(タイトル未定)(2001年度新歓リレー企画)   第1章 雨野 璃々(1/6)


「俺が死んだら、この野心はおまえにやろう」
 常夜灯さえない、照明の落ちた闇。風はないが涼しい。
 おぼろに輪郭が分かるのは闇に眼が慣れたせいか。あるいは外を包囲する軍の夜営のライトが此処まで届いているのか。伏せたマドラスの眼が、瞬きするたびに僅かに光を帯びる。
 闇の中で、マドラスは何故か優しげに、たおやかにさえ見えた。
「野心はもう、要らんのか。
 死んでも野心を持ち続けようとは云わんのか、マドラスともあろう者が」
 ロランは嘲笑のような言葉を口にした。けれどもう、それは戯曲の台詞を続けるようなものだった。内乱の首領とその同志との、最後の一葉。
「動けぬ死霊の身にこの野心を抱えていては、狂うというもの」
 マドラスは穏やかに云った。
「俺が死んだら、この野心はおまえにやろう」
「――おまえの野心など貰っても」ロランは笑った。どの道、マドラスもロランも明日の総攻撃で落命する身だが、それは云わなかった。「俺まで血迷った人間になってしまう」
「最後に国立博物館に立てこもるような、か? 面白いだろう」
 云って、マドラスは少し上方を見廻した。吹抜の上の2階の手摺のあたり。
 闇の中で――柔らかいものが床に落ちるかすかな音がした。
 とっさにロランが銃を掴む。が、その前にマドラスが音のした方へ声を投げかけた。
「カレヴィア」
「――はい」ロランも聞き慣れた声が応えた。マドラスがずっと伴ってきた、暗鬱な雰囲気の少女の声。
 軽い足音を響かせて、マドラスはそちらに歩いて行った。
「どうした」
「いいえ……」
「ああ……これか。気をつけてくれ」
 何かを拾うようにマドラスの輪郭が屈み込む形になる。
「マドラス」ロランは呼んだ。「何だ」
「ここを占拠したときにな」
 マドラスのシルエットの左手が何か不定型な輪郭のものを振る。
「職員どもがわけのわからん仕事をやりかけのまま放り出していったわけだ」
 マドラスの声がどこか明るさを帯びる。
「博物館に保存してあった――歴史上の連中の血を布に染み込ませて――その布で古い半月刀をくるんで、机の上に放置してあった。他にも血の入った瓶が十本ほど、いくつかはフタまで開けて並べてあった――というありさまだった。面白いだろう」
 ロランは頭を振った。
「おまえの趣味に叶ったか」
「そうだな」
「血液は全部布に呑ませました」カルヴィアが云う。「まだ乾き切ってはいませんけれど」
「いや、いい。――誰か逃げる人間に持たせようと思ってな」
 マドラスは再び、その不定形のかたまりを振った。
「それがその布か」
 マドラスは頷いた。はっきりとした表情は判らなかった。


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