時の旅人

如月冬真

ACT- 1, 2, 3, 4, 5, 6,

――プロローグ――


 男は暗い部屋の中で机に突っ伏し、溜め息をついた。地図や書類が散乱している。
「…どうすれば…」
 呟き、椅子に深く座る。その時、すぐそばの通信機らしきものが電子音を発した。
「――もしもし」
『…判るだろう?私だ。考えはまとまったのかね?』
 挑発的な声が受話器の向こうから聞こえた。男は眉を寄せた。
「…当然だ。降伏など誰がすると?」
 はっきりした口調で言い返す。ほどなくして、耳障りな笑い声が聞こえた。
『ククク…えらく余裕というものではないか。しかしそうしていられるのも今のうちというものだな』
「……どういう、意味だ」
 少し間を開けてから男は訊いた。
『判らない訳ではあるまい?私達の国が、一体何を造ろうとしているのかが』
「さあ…巨大な兵器ということは判っているのだが」
 これは前に送り込んだスパイの情報だ。男がつまらなさそうに溜め息をつくのを聞いて、僅かに苛立った。
『やれやれ…我が星セキアスの首都、セラキスの情報網もくだらないものだな。ククク…ちょうどいい、教えてやろう。私達は時間軸を完全に凍結させるという兵器の開発に成功したのだよ。この意味が判るかね?セラキスの首長、レグナスどの』
 男――レグナスは一瞬思考が停止したように思った。
「………何だと?貴様、正気か!」
 レグナスは声を荒げた。奴の言う事が確かならば、それは全宇宙の滅亡を意味するのだ。
『――一年と半年くれてやろう。それまでにゆっくり考えることだな。何せ、宇宙全体を巻き込む羽目になるのだ。そのくらいの猶予は必要というものだろう?せいぜい悩むことだな。くく…はぁっははははっ!』
 その直後、通信はすぐに切れた。男が苦渋に満ちた表情で俯く。
「これは………非常事態だ。そう…」
 そう呟くと、ゆっくりと顔を上げた。何か決心したような表情が穏やかさの中に隠れる。
「どんな手段も許される…そうですよね?ライド殿…」
 男は少年の肖像画を見上げ、自信ありげに言ったのだった。

ACT1・始まりの序曲


 地球、グランドシティ。世界は今から約数百年前に大きな戦争――人はこれを第三次世界大戦と呼んだが――があってから時が経つにつれ崩壊し、政府というもの自体がなくなってしまった。それからというものの国の中でも分裂が進み、いまでは都市の中で一番の富豪がその都市だけを統治するという方式になってしまった。ガラは悪かったが、これはこれでそれなりにまとまっていた。
 陽が沈み、人々が騒ぎ始める。雑多な感のある街並みを一人の少年が歩いている。
「あーあ、何かヤな天気だよなぁ」
 少年は愚痴るようにぼやいた。印象的な紅い髪を遊ばせている。ふと空を見上げると、怪しく曇り始めていた。
(あちゃー…早く帰らねぇとひと雨くるな)
 小さくつぶやき、少し早足に歩き出した。
 少年の名はロード・F・ラーハインという。まだ十五、六歳であろう、幼い顔立ちをしていて、大きな瞳はうっすらと蒼く澄んでいる。
 自分の住むマンションへと向かって歩いているうち、ぽつぽつと雨が降り始めた。
「やっべ…急がねーと」
 マンションが見えてきた。階段を駆け上がっていく。自室のドアの前まで来て、軽く息をつく。ドアの中央に手をつけると、ロックの外れる音がした。
「指紋の鍵もそろそろ危ねーかもなぁ…やっぱ音声認識型買わなきゃいけねぇかなぁ?」
 ぶつぶつ言いながらドアを開ける。どうも最近このへんの治安が悪い気がする。まあもともと治安はあまり良くなかったのだが、前にも増して物騒になった。安全のためにもまた余裕が出来たら買っておく必要もあるかもしれない。
 部屋の中に入ると、中には大きなコンピューターが鎮座していた。どうやら大きく改造しているようで、あちこちからケーブルやパイプがむきだしになっていたりしている。
「メモリもいいかげん拡張しねぇと…ちっ、いる物が多すぎるぜ」
 ロードが椅子に座り、背もたれにもたれながらスイッチを入れる。起動までにやたら時間がかかる。ムチャにプログラム入れ過ぎたせいかとも思うが、気にしない。とりあえずは電子メールをチェックする。四通のメールがあった。
「どれどれ…」
一つずつデータを解凍していく。どうやらメールの内容は仕事の依頼のようだ。
 ロードは、多くの仕事を掛け持ちしていた。一つはコンピュータ内のデータ管理の仕事。これは有料の金庫のようなもので、ハッカーなどから情報を保護できるプログラムを持っていない者からの依頼がほとんどである。ほかにも、コンピューター専門学校の教師や大手会社の事務などのほかに、色々な飲食店等のアルバイトもしている。昔は遺跡探索などというアクティブな職にも就いていた。
 一つ目のメールはデータ管理の依頼だ。まあ平凡なデータのようなので、さっさとOKしてしまう。次のはバイト先の店長からだ。会計を頼みたいという。これもすぐOKを出す。三つ目は仕事仲間からのものだった。
 ロードの本業は、プログラマーである。しかも腕が半端ではない。同じグランドシティに住むこのメールの送り主である仕事仲間とともに、必ず世界の一歩先を行くプログラムを次々と作り出しているのだ。人々はロード達を尊敬して『神の双璧』と呼んだものだ。
 その仕事仲間からのメールは端的に告げられていた。
『ロード、私。キャスティよ。早速仕事の話なんだけど、私達に新型プログラムの論文を書いて欲しいって依頼があったの。それほどハイレベルなのじゃなくていいから、今あなたが使ってるやつのひとつ下のやつをお願い。私は小型化したアクセラレイターのを書くから、それとダブらないのなら何でもいいわ。〆切は来週の金曜よ。じゃあね』
 ロードはそれを見て息をひとつついた。論文作成というものは、ロードが嫌いとする仕事のひとつだったからだ。…まあいい。後でさっさとやってしまおう。
「さて、ラストは…と」
 最後のメールを開く。中にはこう書かれていた。
『話ガアル キョウ十ジニ 南ノ山ニ来テモライタイ』
 メールを読んだロードはあごを落とした。
「……何だ?こりゃ」
 何かの暗号――というセンは無いだろうか。試しに解読プログラムにかけてみると、反応が無い。少なくとも、パソコンで処理した暗号ではない。
 ロードは自分の改造した暗号解読プログラムには自信があった。普通の解読プログラム――といっても非常に性能の良い品だが――に自分のオリジナルの暗号を解読できるようにしたもので、これ以外の暗号は無いと思っていたからだ。
「…暗号じゃない…のか?」
 この胡散臭い文章が、かよ?
 思わずそう言いたくなるが、何かのメッセージとふんで話を進めたほうが良いだろう。ロードは念のためこのメールをディスクに落としてみた。
 何かのトラブルもない。データが妙に重いという訳でもない。異常は、ない。
 本当に、ただのメッセージのようだ。
「マジかよ……」
 こういうのは嫌な予感がする。しかし、自分の好奇心が騒いでいるのもまた事実だった。
「行って、確かめてみっか」
 時計を見る。八時二十三分。…なんとか間に合う。
 上着を取り、自分の机に向かう。引き出しから取り出した護身用のベレッタを懐にしまって、ロードは颯爽と自宅を飛び出した。

「――うっし、ギリギリ間に合った」
 軽く息を切らし、腕時計を見る。二分前だ。すでに暗い木々の中を見渡す。
「さってと…」
「来ていただけましたね?」
「うわあっ!」
 いきなり背後から呼びかけられたのでかなり驚いた。ロードの背後には、五〇才ほどであろうという風の男が立っていた。
「ロード様ですね?」
「…ああ、そうだが?」
 とりあえず警戒してあたる。
「……用件は?どうもワケありってな文だったが」
「実は…助けてもらいたいのです」
「助けて?」
 なるほど。ロードはつぶやいた。救助を求める文が相手(誰だか知らんが)に読まれたらマズいからだったのか。しっかし俺宛のメールが盗み読みなんざされるワケねーじゃねぇか…ナメやがって。小さく聞こえないように悪態をつく。
「どんなヤツなんだ?」
「それは…向こうで話しましょう」
「向こう?」
 言った途端に足元に怪しげな模様が浮かび上がる。
「なっ?何を」
 言いきる前に模様から眩い光が溢れ出した。ロード達を飲み込んでゆく。
「うわああああぁぁっっ」
「私達には…貴方が必要なのです。お許しを」
 ヤな予感ってのはコレの事だったのかよ……!
 そう考えたときには、遅かった。

「……う…?」
 瞳が重い。気を失っていた所為だろうか。――そうだ、ここは?光が出てきて…それで!何とか瞳を開く。何か広い草原の中にいるようである。
「草原…?――これは…?」
 ロードの周りには見たこともないような植物が生えていた。ロードはかなりの種類の動植物を知っているが、これはそのどれにも当てはまらない。昔遺跡探索をやっていたこともあって、こういう方面の知識には自信があったのだが。どういうことだ?まさか…。
「――目が覚めましたかな」
 頭上から落ちついた調子の声がした。さっきの男だ。
「!てめぇ…何しやがった!」
 ロードはがばっと体を起こした。すぐに男と間合いを取る。
「まあそう警戒なさらず…。貴方には我々の星に来て頂いたのです」
「……星?」
 まさか…宇宙にでちまったのか?てコトは、ここはまさか…。
「貴方達も地球という星に住んでいるでしょう。同じように我々もここ『セキアス』という星に住んでいるのです」
 …何てこった…シャレになってねぇぞ!
 声にならない叫びがロードの頭を巡る。確かに、冗談では済まない状況ではある。
 何でコイツら日本語喋れるんだ?
 テレビか何かの企画じゃねぇのか?
 どうでもいい考えがパニックのせいか浮かんでくる。かぶりを振って、気を取り直す。
「どーしてくれんだよ!帰らせろ!」
 ロードがくってかかると、男は渋い顔で首を横に振った。
「…という訳にはいかないのです」
「は?」
 じゃあどういう訳なんだよ、と呟いてはみたが、聞こえていない。いや、聞いていないのだろうか。
「………ちっ…」
 苛立たしげに舌打ちをして、ロードは草原の上であぐらをかいた。
「…………どーゆー、コトだ?」
 じたばたしてもどうしようもない事が判ると、ロードは逆に開き直って当初の『依頼』について聞き出す事にした。
「実は…我々の星は今、凄惨な状況にあるのです」
「だろうな。じゃなきゃ人さらいなんざしねぇだろーがよ」
 明らかに不機嫌そうにロードがぼやく。男はばつの悪そうな顔をした。
「まあ、そう言わず…。――セキアスは武器の研究が進んだ世界でして、現在では地球でいうところの『世界大戦』が起こりつつあるのです」
「…で?チキュウジンの俺に何を期待するんだ?」
 思いきり嫌味をこめて言う。斜に構える、などという生易しいものではない。男はあえてそれを無視し、説明を始めた。
「貴方の…特別な力です」
「…は?」
いきなりワケの判らないコトを言われてロードの思考が一瞬止まる。
「俺の…特別な力?それは…地球人の、って意味か?」
「いいえ」
 男が即答してきたので思わずロードも聞き返す。
「じゃあ、俺の力って何だ?説明してもらおうか」
「…いいでしょう。貴方達の『力』は…」
「――貴方『達』?」
 どう考えてもこの言葉は『複数いる』というニュアンスだ。まさか他にも異星人が…?
「ああ、言い忘れていましたね。紹介しましょう。貴方と同じくこの星に呼ばれた…」
(ったく、アレが呼ぶってゆーのか、この星は…?)
 思わずぼやく。いくら悪態をついてみても何も変わらないのだが。
「出て来て頂いて結構ですよ」
「――判った」
 男に呼ばれて出てきた者は…なんとも形容しがたい、二人の人間だった。一人はロードよりニ、三歳は年上だろう。落ち着いた風貌をした青年だ。流れるような漆黒の髪が風に揺れる。問題は、その格好だ。ものすごく古風な服装で、腰には刀をつけている。ロードの記憶が正しければ、千年ほど昔の日本という国にいた『サムライ』とやらにそっくりだ。
 そして、もう一人は――
「……ヴァイン・B・ステアだ。以後、宜しく頼もう」
「リリス・L・クラフトです。よろしくっ」
 エメラルドグリーンのポニーテールにオレンジの瞳という、いささかアンバランスな組み合わせの少女。あまり見かけない服装で、元気いっぱいの笑顔を見せる。
「――女?」
 ぽつりとロードは呟いた。
 ヴァインとやらは、まあ判る。確かにかなり強そうだし頭も相当切れる様に見える。明らかにサムライくさいのは置いといて、だが。
 だが…リリスとやらは判らない。歳もロードと同じくらいだし強そうにも見えない。そんなロードの態度に気付いたのか、リリスがむくれてみせた。
「何よぉ、悪い?」
「いや、そーゆーワケじゃ…オイ、おっさん」
「…何ですかな?」
 何やら不服そうに男が答える。いきなりおっさんと言われたことが納得いかないのだろう。ロードはそれを無視して続けた。
「俺達三人ともに共通した『力』がある――ってコトか?」
「そうです。説明しましょう」
 男は、一つ息をついた。
「セキアスでの『世界大戦』は、機械と機械の争いのようなもので――現に貴方達とこうして会話ができるのもここの翻訳機のおかげなのですが――」
(そうか、それでコイツが日本語を喋ってたワケだな)
 ロードは一人で納得した。その横で。
「よく判らんが、そんな事は聞いていない。早く本題に入ってもらおうか」
 ヴァインが冷たく、しかもあからさまに高圧的に言い放つ。フォローのしようがないのでそのままにしておくが、なんとも居心地の悪い空気が辺りに漂う。
「……それはすいませんね」
 怒りを押し隠して男が謝る。不穏な空気はそのままに、解説が再開された。
「――それで、兵器対兵器の戦いになってしまい、戦争は均衡状態に陥りました。しかしそこで敵国――ラスウェル国といいますが、打開策に恐ろしい兵器を作り出したのです」
「…何なの?それって」
 リリスが聞き返す。
「…膨大なエネルギーを放つ装置のような物でして、全ての世界に共通している『時間軸』を破壊してしまう兵器なのです」
「時間軸?」
「ええ。世の中には時間があるでしょう。それを破壊する…何もかもの存在をそこで凍らせてしまうのです。ラスウェル国を除いて…」
「時間の……はかい?」
 リリスが首をかしげる。
「ええ。基礎コンセプトは不明ですが、それにより何らかの大きな影響が与えられるのは明らかなのです。そしてその可能性として最も高いものが、先程説明しました、世界全体の時の流れを止めるという」
「それは…まさか、その国のみが世界に存在するようになる――という意味なのか…?」
 ヴァインが訊く。男は憮然としてうなずいた。
 男の言いたいことはだいたい判った。ラスウェルっつー国が『時間軸』の破壊――単純に考えれば世界を崩壊させるってなモンだろう――をしようとしてるから助けてほしいというコトだろう。
「…でもよぉ…んなコト、本当にできんのか?ブッ潰すならまだしも時間を止めるなんて…不可能にもほどがあるってもんだぜ」
「可能なのですよ。我々の科学力を甘く見ないでください」
 男は即答した。訝しげに眉を寄せる。まだ納得のいかない表情のロードを見て、男は一言付け足した。
「セキアスの文明は、科学ではない特殊なものにも裏付けされているのですよ」
「は?」
 思わず素っ頓狂な声をあげる。男はさらに続けた。
「第一まずあなたは、すでにその成果を目にしているでしょうに」
「はぁ?」
 ますます、訳が判らない。ロードは怪訝に眉根を寄せた。
「ここに呼ばれたあなたがた。すべて、別々の時代の出身なのですよ」
「ふーん………って、はぁっ」
 半分無関心に話を聞き流しかけたロードだったが、勢いよく向き直った。
「まずロード殿は、現代の地球から。ヴァイン殿は、過去の地球から。リリス殿は、未来の地球から招致されたのです」
「え…みら、い?ってことは、おじさん…」
 横からリリスがひょいと顔を出す。男はゆっくりうなずいた。
「そうです。あなたから見れば、今は『過去』という事になりますね」
 目を丸くして驚く。その後、せわしなくリリスは周囲を見まわした。ひとりで感心して幾度かうなずく。横でロードが言った。
「ってーことはヴァイン、やっぱおめー…江戸あたりのサムライ?」
「その通り。私は徳川家に仕える侍だ」
 徳川家。大戦時の被害でほとんどの資料が焼け、『霞の時代』とも呼ばれる明治時代以前の歴史のキーワードのひとつ。確か、江戸時代の一番偉い人だ。
(ほぉ…こいつは、なんとも……)
 ラッキーなことではないか。誰もが追い求める幻の歴史をよく知る者が、今ここにいる。考古学者のくだらない憶測など話にならないのだ。どんな遺跡にも具体的に記されていなかったのはこの目でじかに見てきた。その霞の生き証人が、ヴァインなのだ。
 ――いや、今はそれどころではない。そう思って気を取り直しかけたとき、ふとひとつの疑問が浮かんだ。
「なあ…ヴァイン。おめー、なんで漢名じゃねぇんだ?」
「漢名?何だ、それは」
「漢字の名前のことだよ」
 納得したようにヴァインはうなずいた。
 現代――つまりはロード達の時代である――の人間は、いろいろと変わっている。まず、髪の色である。遺伝子改造食品の影響とも言われているが、詳しくはよく判っていない。が、何らかの理由で人類の遺伝子バランスは随分前から崩れていった。現在一番判りやすい現象といえば、髪の色素影響率がはるか昔より大きく乱数化されている――ランダム化されたということだ――こととその色素が弱体化した事だろう。これにより黒髪の人類が消え、同時に人々の髪の色にやたらバリエーションが出てきた。実際、ロードの紅い髪も地毛だし、瞳もカラーコンタクトではない。
 リリスはエメラルドグリーンの髪を後ろで一つにくくっている。瞳の色は明るいオレンジだ。未来になっても、一度崩れたバランスというものはそう戻るものではないようだ。
 それで、本題の名前なのだが。横文字の名前がほとんどではあるのだが、何せ世界共通語が日本語と定められている。人々の名前はすべてカタカナで書かれているのだ。しかも、昔は良家および特殊な役職の証でもあったセカンドネームが、ほぼ全員についている。今では深い意味はなくなっているのだ。
 先程言った『漢名』というのは、今となっては滅多に見られるものではない。とはいえ、あのころの日本の人々と言えば、漢名が常識ではなかったか。しかしヴァインには、ご丁寧にもセカンドネームまでしっかりついている。
 ヴァインは憮然とした表情のまま答えた。
「私は五年ほど前に記憶を失った身だ。これまで呼ばれる名など必要もなかったのでな」
 つまりは、記憶喪失で名前は判らないし、呼ばれる事もなかったから考えてもなかった、という事になる。そこで、リリスは首をかしげた。
「あれ?じゃ、なんでヴァイン、っていう名前があるの?」
 より一層憮然として、ヴァインは素っ気無く言った。
「…あの男に先程考えてもらったのだ。適当に、な」
 この回答にはロード達も開いた口がふさがらなかった。自分の名前を適当に人につけさせておいて(しかも今さっき、という事になる)、その名を平然と名乗る。まあ、殺伐とした時代を生き抜いて来た男だ。そんな細かい事など気にしない、という事であろう。
 ヴァインが昔のサムライであることを無視して横文字の名前をつけた男も男であるが。どこか感銘を受けた様子でロードはうんうんとうなずいた。
「なるほどねぇ。――で、リリスは未来、だったよな?都市年で何年だ?」
 都市年というのは、ロードのいた時代の年号のことだ。この名の由来は単純で、都市ごとにはっきり分かれた年を元年としてカウントしているだけの話だ。
「俺は都市年二九五年。リリスは?っつっても、都市年なんざねぇかもしれねーか」
 言いつつ、ロードは苦笑した。リリスは首を横に振り、思い出すように答えた。
「ううん、あるよ。えっとね…一〇三八年だよ」
「あるのか。そりゃ驚いたな…だいたい七五〇年差か。ってーことは、ヴァインと…」
「ずいぶん開いてるよね、差が。だって、あんな服装見た事ないよ?」
 珍しいものでも見るように、リリスはヴァインを凝視した。と言うか実際、ヴァインは明らかに『珍しい』存在ではあったのだが。ヴァインにしても、それは同じらしい。二人の格好を少し見て、難しい顔をした。
「…未来の服装とやらは随分と派手なのだな」
「ま、確かにハデだよな」
 ヴァインは紺一色のややひらひらした感じの服だ。それから見れば、タンクトップに上着のロードに、何と言う種類かよく判らない上着につやがあるようなシャツ、膝より少し上のスカートのリリスとくればまあ派手と言えるだろう。ヴァインから見れば、たいそう奇特な格好に違いない。
「――という訳でして」
 このままではどんどん話がそれると思ったのだろう。男が強引に会話に割りこんできた。
「時間軸を操作した招致が可能であり、つまりは時間軸の破壊も不可能ではないのです」
 そこまで聞かされてようやく、ロードは渋々納得した様子だった。
「…まぁ…だとしてもよ。それ、アンタらの世界の事だろうが。自分らで責任とれよ。地球人は関係ねーじゃねぇかよ。あ?」
「それが…全世界、すなわち全宇宙の崩壊、という事なのです」
「――ってこたぁ…地球もか?」
 ロードの表情が変わる。男はゆっくりとうなずいた。
「…ええ」
 あの地球が…滅ぶ?何てこった!ジョーダンじゃねぇぞ!
「なるほど…理由は判った。が、何故私達が呼ばれたのか、を訊かせてもらおう」
 とくに取り乱すでもなく、冷静にヴァインが訊く。男はうなずいた。
「いいでしょう。貴方方には、『魔力』に近いものが存在するのです」
「は?魔力?」
 ロープレじゃねぇんだぞ?そんなもんある訳が…。
 ロードが頭の中で否定しようとすると、男はおもむろに説明を始めた。
「気孔…とやらがあるでしょう?それの発展形のようなものです。精神力を一点に集中させる事で、特殊な力を発動する事ができるのです」
「えぇっ?私そんなコトした事ないよ?」
 リリスの目がぐるぐる回っている。相当焦っている様だ。ロードも驚きを隠しきれない。何せいきなり魔力だの何だの言われたのだ。驚かない訳がない。
 まあ……さっぱり顔に出ねぇのも、中にゃいるがな。
 ロードは横目でヴァインを見ながら苦笑した。もしかしたら『気孔』という言葉ではぴんとこず、理解していないだけなのかもしれないが。
「それはそうでしょう。貴方達の『潜在能力』なのですから」
「潜在能力…か。成程、私達はそれで連れてこられたんだな」
「なるほど…って、なんでそうあっさり納得できんだよ、オイ!」
 ロードが体ごとヴァインに向ける。ヴァインはやれやれとでも言いたげに肩をすくめた。
「これを認めねば私達がここに連行された理由がつかないだろう。ならこれは認めるべきなのだ。しかもここまで強制的に、という事は…事態は切迫している。違うか」
 男は感心したようにうなずいた。
「はい。何しろ時間がなくて…」
「時間?」
「ええ。『一年半考えさせてやろう。それを過ぎて降伏しないようであれば使う』と言われまして…しかしどのみち降伏しても結局使われる可能性が高いのです。彼等は、全てを…我が物にしようとしているのですから」
 男が苛立たしげに目を伏せた。それを見てロードは少し悩むそぶりを見せ、うなずいた。
「……判った。引き受けてやろーじゃねぇか」
「貴様、よく考えもせずに何を」
「おめーは黙ってな」
 ヴァインを制止し、ロードは男に向かい合って強気に笑った。
「どーせ引き受けなきゃ地球も滅ぶんだろ?ならやるしかねーんだ」
 ロードは決心していた。やらないといけないことなのだ、これは。
「…まあ、そうだな。了解した。その件、引き受けよう」
 多少ためらいながらもヴァインがうなずく。
「じゃあ…私も」
 リリスも賛成した。男が表情を明るくする。
「そうですか。有難うございます」
 ロードは任せとけって、と言ってはみたが、当然、多少不安でもあった。これで自分達は宇宙を守るという大それたコトをせねばならなくなったのである。
 一体何がどーなってんだか…。
「では、本日は私の家にでも泊まって頂きましょうか」
 ロードのそんな気持ちをよそに、男は家に案内してくれた。荒野に近い土地の中に建っている邸宅で、結構広い。ロードの小さな心配事だった食べ物は、ヴァインの時代にあわせてか和食だった。ロードはたまに食べるのでそうでもなかったが、リリスはおっかなびっくり箸を扱って食べていた。
 その日は一行は早めに眠りについた。いろいろな事が一気に起こりすぎて混乱していたものの、ロードとて何はともあれこの奇怪な任務を終わらせない事には帰れないことくらいは理解していたのであった。

ACT2・究極の非日常


 次の日の朝を迎えた。ロードはヴァインの声で眠りから覚めた。
「おい、いつまで寝ている」
「えぇ?今、何時だよぉ」
 寝ぼけて思いっきりマヌケな声になっている。ヴァインはロードをベッドから叩き出した。ロードが予想もしなかった事態に対応できず床を転がる。
「いってえぇー…何だぁ?まだ暗いじゃねぇか」
 そう言ってもう一度ベッドにもぐり込もうとすると、ヴァインが強引に引き止めた。
「八時だ、馬鹿者。地球と同じ基準で考えるな」
 ヴァインが呆れたようにため息をつく。
「一日が二十四時間だというのがせめてもの救いかと思ったが…想像以上に間の抜けた事をしてくれるものだな。私でも時間に対応できているのだぞ」
 そこまで平気なのはてめーぐらいだよ…そう言いたかったが、言ってもどうにもならないので諦めた。それに、ヴァインの時代は時計などそうないはずだ。なのにしっかり二十四時間の概念が頭に入っているとなると、それはそれで十分凄い事である。
 ――そうなんだよなぁ……。
 ここは地球ではないのである。どうやら最も適応力のあるのはヴァインのようだ。地球規模で考えるだけでもあの時代の人間だと大変かとも思っていたのだが。ヴァインの後ろには、ロードと同じくセキアスの暮らしに慣れないリリスが寝ぼけまなこで出てきた。
「おはよ〜、ロードぉ」
 リリスのどことなくトロい口調はまだ頭が眠っているからだろう。眠い目をこすりロードは立ち上がった。
「おっす、リリス…朝メシはどーしたんだ?」
「私はとうの昔に済ませてある。あとはお前等だけだ。早く行って来い」
「……てめーにゃ訊いてねぇんだよ」
 ロードは聞こえない程度に呟き、ゆっくりと立ち上がった。ベッドから落とされた所為で体の節々がずきずきと痛む。上着を取って歩き出した。
「あ、私も〜」
 まだ目が覚めていないように見える。ふらふらしながらリリスがロードの後をついてこようとする。ロードはぴたっと歩くのをやめ、立ち止まった。
「?どしたの?」
「…なぁ、ヴァイン」
「…何だ」
 まだ何かあるのかと言いたげな口調でヴァインが返事をする。
「メシって…何処で食うんだ?」
 あまりに間抜けな質問に、ヴァインがロードをいっそ哀れむような目で見つめる。リリスでさえもが呆気にとられている。
「……階段を降りて右だ。その程度の事は最初に訊いておけ」
 短くそう言って、ヴァインはそっぽを向いた。ロードは一言どーも、と答え、ドアの向こうへと歩き出した。
 朝食はごく普通だった。簡単なサラダに、パンと紅茶である。今の地球の主流だ。
「ねえ、おじさん」
 朝食を食べている最中のリリスが男に話しかける。きわめて普通の様子であるところから考えるに、未来の地球の朝食ともそう変わりはないのだろう。
「はい?」
「この食べ物、どうやって取り寄せてるの?」
 リリスが首をかしげながらさくりとトーストをかじる。
「ああ、コレですか。地球からサンプルを取ってきて、それのクローンを作っているのです。ですから心配は無用ですよ、得体の知れないモノではありませんから」
「ク…クローン?」
「ええ。よって、地球に自生しているものと差異はそうないはずですが。何か?」
「い、いえ…」
 …………それはそれで抵抗あるなぁ……………。
 ロードとリリスは同時に囁いた。どうやらセキアスの人々は合理主義者が多いようだ。ヴァインはそんな事も全く気にせず平気でたいらげたのか…。
 どうでもいい事なのだが、偉大だ、と二人は思った。
「…ごっそさんっ、と」
「ごちそーさまでしたぁ」
 ロードはすぐに立ち上がったが、リリスは行儀良く両手を合わせてから席を立った。
「じゃ、部屋に戻ろっか」
「ああ、そうだな」
 ロード達はゆっくりと部屋に戻っていった。男はそれを見送ってから、冗談じみたように静かに呟いた。
「――さてと、眠れる勇者様達を叩き起こすとしますか」

 部屋に戻ったロード達は、男に少し休憩してから下にくるように、と言われた。各々の部屋に帰ったロード達は、三十分ほど後にヴァインが部屋から二人を強引に引きずり出す形で下へと向かった。
「もう少しくらい休んでてもいいじゃねぇかよお」
 まだ眠気の残っているロードが文句をたれても、ヴァインは一向に気にせずすたすたと歩いていく。面倒だと言う様に冷たく言い放つ。
「時間の無駄だ」
「っつってもなぁ…」
「早いよぉ、ヴァイン」
 一足遅れたリリスがぱたぱたと小走りで二人を追いかける。
「無駄口を叩いている暇があったらさっさと歩け」
「…へいへい」
 三人は階段を降りてさっき食事をした所とは逆の方向へ行った。
「?こっちなのか?」
 さっきの所へ行くとばかり思っていたロードが思わず口を挟む。
「…食堂で話をする奴がいるか、馬鹿が」
 朝からバカバカ言いやがって、と思うロードだったが、とりあえずはヴァインに従う。すると、奥に大きな扉が見えてきた。
「あー、ホントだ。ヴァイン、すごーい」
 リリスが感心したようにヴァインを見上げる。
「何がだ。このくらい常識、当然の知識だ。まあ、知らん馬鹿もいたみたいだがな」
 思いきり見下す感じでヴァインがロードを横目で見る。
「そんな言い方ないだろ?ひでーなー」
「思ったことを言ったまでだ」
 これは反論しても無駄だと思ったのか、ロードは押し黙った。ヴァインが扉を開ける。
「これはこれは、早いですね」
 中では男が待ちうけていた。まさかさっきからずっといたのだろうか。仕事をしていた、という様子もない。とすると、なかなか気を利かせてくれている。
「おじさんのが早いよ」
 くすりと笑いながらリリスが無邪気に言う。
「はは…まあ、そうですけど」
 男は笑いながらロード達のほうを向いた。
「まあ、おかけください」
 言われるままにロード達が椅子にかける。ロードはここで話があるのは判っていたが、訊きたい事を先に訊くつもりでいた。
「――では…」
「ちょっと待った」
「…?何ですかな?」
「ちょっくら訊きてぇコトがあるんだよ。昨日言ってた『魔力』って何の事だよ」
「あ、それ、私も訊きたいな」
 ロードはちらっとヴァインを見たが、勝手にやってろ、という顔をしている。が、とりあえず話だけは聞くつもりでいるらしい。
「おお、そういえばそれを説明していませんでしたね。説明しましょう」
 男はそう言ってロード達とは反対側の椅子にかけた。
「――魔力というのは私達にはない力で、いわゆる『精神力』の事です。地球人のなかのほんの数人が、これを持っています」
「ちょっと待った。精神力を俺達みたいな数人しか持ってないってどーゆーコトだ?」
「みんなあるんじゃないの?強い弱いはあるけど」
「強弱…での区別はできません。ある特殊な波長…感性とでも言いましょうか?それがあるのです。その力は前にも言いましたが、一点に集中させるさせる事ができるもので貴方達の潜在能力を開花させる事ができればそのことによって特別な力を得る事ができます」
「それは知っている。だからその『特別な力』とは何なのだ?」
 何だかんだ言っておいてヴァインもしっかり話に入ってきている。
「それは…例えば炎を起こす事ができたり、雷を落としたりというもので…」
「……はっ、それで『魔法の力』ってワケか」
 半分言い捨てる様に言って、苦笑する。本当にRPGのような話である。夢なら覚めてくれ、とロードは願った。が、さっきベッドから落ちたのがまだ痛むので夢ではない。何だかとんでもないところに来てしまったと、今更ながらに思った。
「ええ、ですから今からその潜在能力を今は時間がないので、無理矢理叩き起こすために集まって頂いたのです」
「叩き起こす?」
 ロードがオウム返しに聞き返す。
「はい。本当なら半年ほどかけてゆっくりと開花させるのですが…」
「タイムリミットはそう長くないから、ってワケね」
 リリスがようやく起き出した頭で会話に参加する。
「でも一年半あるんじゃなかったっけ?その、時間まで」
「完全に習得するまでに開花してからでも遅ければ一年はかかりますよ」
「あ、そうなの?なんだ、そっか」
 うんうんとリリスが納得する。その時、ヴァインが眉を寄せながら訊いた。
「…待て。質問があるのだが」
「…何ですか?」
「確か猶予は一年半、だったな。何故その間に侵攻しないのだ」
「え?だって攻めたらすぐ使われちゃうんじゃないの?」
「そんな訳がなかろうが。少しは考えてものを言え」
 少し身を乗り出してきたリリスの質問を容赦無しに斬り捨てる。もう少しトゲのない言い方はできないのかと考えるとロードは頭痛がする思いだった。リリス本人は気にしていないようではあったが。
「一年半などという長期間はもはや猶予とは呼ばん。言うなれば『準備期間』だろう」
「――あ、なるほど」
 横にいたロードがぽん、と手を打った。
「それほどの兵器なんだからそうそうすぐにゃ使えねぇ…ってコトだな?」
「当然だ」
 ヴァインが憮然とした態度で即答する。
「――よって、今のうちに侵攻する事は可能なはずだ」
「いえ、そうはいかないのです」
「………何故だ?」
 ヴァインがようやく男に顔を向ける。男は残念そうに首を横に振った。
「先ほども言いましたが、事態は均衡状態にあるのです。お互い、限界まで進歩した技術で衝突しているために、どちらかが優勢になるとは考えにくい。そうして我々は十数年、戦争を続けてきたのですから」
「十数年だって?」
 ロードが目を丸くする。リリスも同様だ。
「う〜ん…じゃあ確かに今攻めるのは無理みたいだね」
「…ああ。やっぱ、俺達がやるっきゃねぇみてーだな」
 ロードが苦い顔でうなずく。するとすぐに、男が体よく話をまとめた。
「…という訳で、やはり貴方達には能力を開花させていただくしかない、という事です」
「成程。手段は?」
 ヴァインがさっさと話を進めようとする。疑問が解消したので必要最低限の会話で終わらせるつもりらしい。
「……外にいる魔物と貴方達を戦わせます」
「魔物っ?なんで?」
 リリスが素っ頓狂な声をあげる。ロード達も驚きの表情になる。
「あ、いえ、そんな狂暴すぎる訳ではありませんよ、もちろん。ただ、貴方達が素手で対抗しても勝ち目はありませんけどね」
「――っつーコトは…」
 ロードが冷や汗を流す。ヴァインが何でもなさそうに呟いた。
「開花させるか、死か、だな」
「…まあ、極端に言いますとそうなります」
 ようするに、男はロード達をさほど強くはないが『魔力』が開花しない限り勝ち目のない魔物と戦わせるつもりなのだ。リリスはもちろん、危険な事には慣れているロードでさえ気後れした。未知の敵がどれだけ恐ろしいかよく知っているからだ。どうする…。迷うロードを尻目に、ヴァインが一歩前に出た。
「…いいだろう。外へ出るとするか」
『ヴァイン?』
 ロードとリリスの声が重なった。
「…勝算があるからそんな事を言うのだろう?ならやらねばならんだろうが」
「とは言ってもなあ…」
「もし、これで潜在能力が開花せずに犠牲者が出ようものなら…貴様の首をはねてやる」
 ヴァインは男のほうを向いて言い放った。
「開花するという確信があるんだな?」
「………ええ。ありますとも」
 男は少し間を置いて言い切った。それを聞いて少し安心したロードとリリスは男に向かって言った。
「判った…やってやるぜ」
「よぉし……やります!」
「判りました。では、あちらのドアから外へ。私は最後に出て鍵を閉めますので」
「はーい」
 元気良くリリスが返事をする。一行は外へと出ていった。
「ふう……」
 男が一つ息をつく。――確信など、ある訳がなかった。だからこそ『無理矢理』なのである。確率は――五分。いや…もっと低い。
「果たして――上手くいくのでしょうか…」
 祈るように男は呟いた。

 その後、一行と男は外を歩いていた。植物のあまりない、荒野のような土地だ。遠くには、高層ビルが所狭しと並んでいるのが見える。あれが中心都市なのだろうか。
「――この辺りですね。もうじき群れが通ります。と言っても、そう多くありませんが」
 男は建物の見えない荒野の中で足を止めた。
「ここに…魔物が……」
 一度覚悟を決めたとはいえ、流石に緊張する。今から、命を賭けた戦いをするのだ。
「何か…怖いね」
「ああ…」
「…ふん。臆病者どもが」
 ヴァインひとりが、涼しい顔をしている。恐れる様子が、何一つ伺えない。
「……まだか?」
 むしろ待ちくたびれている。やるならやるでさっさとしたいのだろうか。
「ええ、もう少しで……!来ました!北です!」
 一行が一斉に北を見る。魔物と思われるものが五体、こちらに向かってくる。頭数より多い。まずい――とロードは思った。
「私が二体引き受けます!貴方達は一体ずつお願いします!」
「何だって?大丈夫なのか?」
「私には特殊な武器があります!ですから、早く!」
「――了解した。ロード、貴様は正面、リリスは右だ。私は左に行く。散れ!」
「おう!」
「うん!」
 三人が散開する。男が上手く誘導してくれたので一体ずつ叩けるようになった。ロード達が魔物と対峙する。自分たちの二倍はあろうかという体躯が体毛に覆われている。赤い瞳がこちらを狙っている。魔物がロードに突進してきた。
「くっ…!」
 辛うじて攻撃をかわす。バランスを立て直す前に、第二撃の鋭い爪がロードを襲う。とっさに身をよじるが、かわしきれない。肩にかすり、鮮血が舞う。何故か痛みはそう感じられなかった。恐怖がそれを上回っていたのだろうか。
「ちいっ…やるじゃねーか」
 ロードは立ち上がり、魔物をきっと見据えた。

 魔物が唸り声を上げて迫ってくる。ヴァインは軽く身をひねってそれをかわした。
「ふん…口ほどにもない」
 ヴァインはさっきからそう感じていた。攻撃手段といえば、運動能力に頼った原始的な物理攻撃ばかりだ。よけることくらい造作もない事だった。ただ、この体躯である。刀で倒すのは骨が折れそうではあった。そう思った瞬間、魔物が雄叫びを上げた。
「……………?」
 ヴァインは念のため退き、様子を伺った。魔物が一気に間合いを詰めてくる。スピードがさっきより相当上がっている。何とかしのいだものの、このままではいつか一撃喰らってしまう。
 …多少、まずいかもしれんな。
 その時、魔物が再び大きく吼えた。するとそれに反応するかのように、まわりの魔物達も雄叫びを上げた。

 リリスは苦戦していた。戦いなどしたこともない。武道の経験もない。両腕と左足から血を流しながらリリスは立っていた。立っているのもままならなかった。足取りがふらつく。リリスは男の言っていた事を思い出した。
 ――一点に精神力を集中させる――
 リリスは目を閉じた。さっき雄叫びを上げ、狂暴化した魔物が近寄ってくるのがわかる。恐怖で逃げ出したくなったが、思いとどまり、両手に神経を集中させた。頭の中で強く炎をイメージする。体の中から何か光のようなものを感じる。すると、理屈では言い表せない『何か』がリリスの中に膨れ上がった。『開花』した――。何故か判った。今までそんな経験もないのに。リリスは両手をかざし、目を見開いた。あと一メートル弱という距離に魔物がいる。リリスは己の体の中から涌き出る力を信じた。
「いっけぇぇぇぇ!」
 両手を振り下ろす。光の球が魔物に当たり、魔物は炎に焼かれた。リリスはしばらく唖然とし、へろへろとその場にへたり込んだ。

「!」
 攻撃をかわしながらリリスの様子を伺っていたヴァインはリリスが『開花』したことを知った。魔物の攻撃はかわしきれるかどうかというスピードに上昇している。一旦魔物の前から飛び退き、右手を前にかざした。目を閉じ、精神を統一する。
(力……か…)
 集中する。これは別段、難しい事ではない。
 問題は、精神の力を形にするというものだ。恐らくは『創造する』といったような感覚であろう。つまりは、自分の『潜在能力』に眠る特殊な『何か』を呼び起こすことが必要なわけである。
 ……やってみるか。
 今の魔物との距離から考えて、時間制限は三秒。これを過ぎたら、やられる。右手に何かが集まっていくのがぼんやりと判る。
(精神を……形に……!)
 ヴァインが目を開けた。右手に光が集まっている。というより、体全体が光――というか、闘気のようなものに包まれている感がある。…判った。『開花』した…と。魔物の爪がヴァインのすぐ横まで来ている。
「――もう用はない。消えろ」
 ヴァインが頭の中で命令すると、雷が魔物を撃った。一気に焼かれ、炭のようになる。ヴァインは安心したように息を一つつき、苦戦しているであろう男の援護に向かった。

「…オイオイ、俺だけかよ…」
 魔物から逃げ回りながらも呑気にロードはそんな事を考えていた。精神を形に、ねぇ…。明らかにムリっぽいのだが、すでに二人とも以外にすんなりやってのけている。
「――っつーコトは…できるんだよなぁ…っと!」
 魔物の爪が迫る。とっさに退く。胸をかすめ、衣服を引き裂いた。
「畜生…このままじゃラチがあかねーな」
 とりあえずは魔物と距離を置かねばならない。ロードは、全力で魔物に突進した。魔物の鋭い爪がロードを襲う。上から振り下ろしてきた腕を見る。――かかった。魔物の足元へ滑り込む。魔物は強引にロードを追う。が、ロードはすでに魔物の背後に回っていた。魔物の腕が空を切る。勢いあまって魔物が転倒する。今しかない。ロードは両手をかざし、力を入れた。何も起きない。目を閉じ、落ち着いて精神を統一させる。魔物が起きあがる気配がした。息が荒い。逆上している。突進してきた。が、何も起きない。まずい。ロードは目を開いた。魔物はもう避けられない距離まで接近している。やられる――!
「クソッ…こんな所で…死ぬ訳にはいかねぇんだよっ!」
 その瞬間、ロードの中で何かが爆発するような感じがした。何も考えていなかった。ただ、『生きたい』という気持ちだけが、頭の中にあった。感覚のみで両手を凪いだ。その瞬間だった。
 ――そう。道は開けたのだ――
 囁くような声。とてつもなく遠くから。いや…近くから?
 その声を聞いた直後、目の前が真っ暗になった気がした。

「………――あれ?生き…てる?」
 我にかえったロードは辺りを見回した。眼前には上半身の消し飛んだ魔物の姿があった。
「げえっ……」
 エグい…ロードはそう思った。しばらくして、ようやくそれを自分がやった事や、自分が恐らく『開花』したのだろうという事が判った。試しに、右手にぐっと力を込めてみる。あるかないか判らないようなぼんやりとした光を右手がまとった。
「これが…『開花』…?」
 またえらく中途ハンパな……。
 ロードはしばらくぼんやりしていたが、男の事を思い出して我に帰り、男の援護に向かった。まあヴァインがいるから大丈夫だろうとは思うが、などと考えながら走り出した。

 男は、やはり苦戦していた。手に持ったブレードで攻撃を辛うじて受け流しているが、そう長くもちそうにはない。ヴァインは『力』が上手く使えないようだ。訓練もしてないのだから仕方のないことだが。男が隙を見てヴァインに耳打ちしている。ヴァインはそれを聞き、うなずいて両手を合わせた。『力』を使おうとしているのだろうか。
「……我、遠雷を身にまとい、汝に裁きを与えん……」
 ヴァインがなにか言っている。何か判らぬロードはとりあえず傍観者を決め込む事にした。ヴァインの手に光が集まる。まさか…呪文の詠唱?
「――雷撃波」
 ヴァインの手の光球が一気に膨れ上がる。魔物を包み、中で雷撃が舞う。魔物は焼け焦げて絶命した。しかも、二匹まとめて。ロードがヴァインのそばに駆け寄った。
「スゲェな…いつ覚えたんだ?あんなの」
 さっきのが詠唱だという事は間違いない。が、いつ会得したのだろうか。肩で激しく息を切らせながらヴァインが答えた。
「…あの男に教えてもらったのだ」
 額をおさえる。目眩がするのだろう。相当疲弊している様子だった。
「おっさんに?何で知ってるんだよ」
「…それは…あの…」
 男は僅かな間、解答に戸惑った。
「何だよ?もったいぶんなよ、おっさん」
「……ある神話に出てくる男の言葉です…」
「神話?」
 ヴァインが男に詰め寄る。神話があり、なおかつそれが呪文の詠唱だったという事は、以前にも『力』をもった者がここに来たという事だ。ロードも、それは判っていた。
「…はるか古代に、一人の異国の服をまとった男がここに来たそうです。彼は当時荒廃しきっていたこの星を救ったとされています」
「救った?」
「ええ。どう救ったかは書かれてませんが。その男はわずか十二歳の少年でした」
「少年?」
 いつのまにか来ていたリリスが話に加わる。
「ええ。その少年の名は……ライド、と言いました」
 男は何故かその名を出すのを一瞬だがためらった。特に気にはせずリリスが訊く。
「ふうん…。で、そのライド君が?」
「ライド殿は一冊の本を書き上げ、『またいつかこれが使われることのない事を望む』と言い残し…消えました」
「消えた…?」
「ええ、文字通り。その場から掻き消えたのです」
「……それで、今その本を使わねばならなくなった訳か」
 ヴァインの言葉に、男は無言でうなずいた。
「私の後に…付いて来て下さい」
 少し間を開けて、静かに言った。
「魔法の書を…お渡しします」

 一行は一時間弱ほど歩いた後、一つの洞窟に来ていた。湿気が多い上に暗く、足場も悪い。男の持つ明かりを頼りに歩くしかなかった。
「…そーいやぁよお…俺達が『開花』することに確信を持ってた割には随分と青い顔してたじゃねーか、おっさん」
 ロードは途中から、確信など持っていない事が判っていた。ヴァインなどその前から。あんな殺気の塊のような魔物だと、対抗できるようになる前にやられる事もあったはずだ。
「ああ……それは」
「確信などなかった。そうだろう?奴を一目見て判った。やられる可能性もある、と」
「……それは…時間がなく…すいません。あれの成功率ははっきり言って五分でした」
 本当はもっと低かったのだが、それは黙っている事にした。ヴァインとロードがやはりか、と呟く。リリスひとりが今頃当惑している。
「ええっ?そうだったの?危ない所だったんだぁ」
 リリスはもしやられていたら――と考えて青くなった。
「――ま、結果オーライ。気にしねーでいーだろ」
「……脳天気な」
「あ?何か言ったか?」
 ケンカ腰に言うと、ヴァインはそっぽを向いてため息混じりに答えた。
「……………何も」
 ため息混じりにヴァインが呟く。スカシ野郎が…。ロードはヴァインがあまり好きになれなかった。ヴァインはそんな事も気にせずに男の後に黙々と付いて行く。やがて一行は、何やら開けた場所に出た。見た事もない鉱石が淡い光を放っている。
「……ここは…?」
「…すごい…」
 周りの不思議な雰囲気に圧倒されて思わず絶句する。それほどの場所だった。
「ココの奥に先ほど説明した書物がありますが…その前に皆さん、これを」
 男はロード達に何やら銃のような物を渡した。握るところに何か古代文字のようなものが彫ってある。
「おっさん、これは?」
「ライド殿が残した、魔力を直接エネルギーに換えて戦うための銃です。これはあまり効率が良くないそうですが、今は仕方がありませんので」
「判った」
 ヴァインが銃を受け取る。ロード達もそれに続いた。
「質問させてもらうが…」
 銃を眺めながらヴァインが訊く。
「何ですか?いいですけど」
「何故今更この銃を渡した?」
「それはコレに頼ると貴方達の開花を妨げるからで…」
「違う」
 ヴァインは男の言葉を遮った。
「は?」
「何故コレを入口で渡さなかったのだ、という事だ」
 男は少し考えこんでからうなずいた。
「……ああ、それですか。それは勿論、この先以外に魔物がいる可能性が無いからで」
「え?どーゆーコト?それ」
 リリスが首をかしげる。それはロードも同じだった。何故そんな確証が持てるのか。男が奥を指差しながら言った。
「ライド殿の御加護、とでも言うのでしょうか?あそこに入った魔物達は二度と脱出できない様に結界のような物が張られているのです」
 ロードはその話を聞いて嫌な予感がした。こういう時の予感は嫌でも当たる事をロードは知っている。
「はは…何事もすんなりとはいかねーってワケか」
 一行は奥へと進んだ。何やら重そうな扉を開ける。中は、さっきより狭いとはいえ、かなり広い。奥には祭壇らしきものがあり、そこに箱が飾られている。恐らくはあれが『魔法の書』なのであろう。しかし、それを取りに行く事は出来なかった。何故なら、そこは魔物で埋め尽くされていたからだ。
「………やっぱりかよ」
 嫌な予感は見事に的中した。ヴァインも同じ気持ちらしく、やはりか、と呟いた。リリス一人が驚いている。
「え、え?」
「散開しろ!私は中央を叩く!ロードは右、リリスは左だ!」
「了解!」
「え、う、うん、判った!」
 ロードが素早く一行から離れ、一部の魔物を誘い出す。貰った銃を手に、臨戦体制を取る。使い方を訊いていないが、まあ普通の銃と同じだろう。
「来た来た…餌食になりなっ!」
 正面へ向けてトリガーを引く。一瞬、手に大きな反動があり、太い光の筋が発射された。魔物達の一部が、跡形も無く吹き飛ばされた。ロードは少しの間銃を見つめた。
「…普通……ここまでするかー…?ま、いーや。消し飛べっ!」
 ロードが魔物を一気に蹴散らす。一分もした後、周りに魔物は存在しなくなった。肩で息をする。魔力を予想以上に消費するようだ。見渡すと、ヴァインは手早く魔物を一掃していた。銃からは雷が放たれている。人によって違うようだ。リリスは炎のようである。こちらも問題はなさそうだ。安心して一つ息をつくと、ロードはゆっくりと倒れ込んだ。

「くっ………」
 ヴァインは疲弊していた。どうやらこの銃は、相当な精神力を使うらしい。
 普段使い慣れた銃とも、随分勝手が違う。引き金を引くだけ。しかもここまで小型となると、逆に扱いづらいものがある。まあ、これが未来の科学とやらなのだろう。
 敵は殲滅させたものの、目の前がちらつく。援護の必要性は…確認しておかねば。
 右を見る。ロードが倒れ伏している。左では、リリスが魔物をもう全滅させていた。
 どうやら…その必要は、なさそうだな…。
 ヴァインはがくりと膝をつき、そのまま気を失った。

「……………―ド…ロード!」
 ロードは意識を取り戻した。リリスの声がする。瞳が重い。ゆっくりと目を開ける。
「リリ…ス…?」
「あっ、よかったぁ…。死んじゃったのかと思った」
「はは…あのくらいで死んだらシャレになんねーよ」
 心配顔のリリスに、ロードは軽く言って笑った。
「冗談を言ってる場合か」
 背後から凛とした声が響く。ヴァインが冷たくロードを見ている。
「へいへい、わっかりましたよ」
「ならとっとと終わらせるぞ」
 ヴァインが祭壇に向かって進んでいく。ロード達もそれに付いていく。祭壇には、特に仕掛けらしき物は無かった。ただ箱が置いてあるだけである。
「……よくこんなので盗まれなかったなぁ…」
「それは当然。盗めないように出来ているのです」
「え?でもトラップみたいなのはどこにも」
 ロードは『昔の稼業』の経験上、トラップに関しては誰よりも詳しく、敏感であると思っていた。実際にこれまでそうだったし、自信もあった。その自分が気付かない新手のトラップが…?
「ああ、見ても判りませんよ。何しろ魔力にしか反応しない鍵がついているだけの話です」
 なるほど、それなら納得できる。後継者にはたやすく開けられるが、盗賊には開けにくいというワケだ。男が箱について説明する。どうやら魔力を持った者が触れるだけで開くそうだ。ただし、三人同時に触れ、と警告された。
「三人が魔力を待っている事を証明するために、ですが」
 ロード達はうなずいた。箱の周りに三人が集まる。
「よおし…合図したら行くぞ」
「判った。始めよう」
 三人は息をついた。
「一…ニの……三!」
 ロード達が手を触れる。辺りは眩い光に覆われた。光の中でかろうじてだが箱が開くのが判る。
『………目覚めし者よ…』
 突然、声が響いた。驚いたロード達は辺りを見回した。箱の上に、光が集まっている。
『目覚めし者よ…そなた等を待っていたぞ……』
 どうやら音源はあの光らしい。それとなく偉そうな話しぶりだが、少年の声だ。とすると、あれがライドが残したメッセージという事になる。
「…あなたが…ライド君なの?」
『そうだ。さあ、この書を手にするがいい。我と同じ志を持つ地球の民よ』
「貴様。………ライド、といったな」
 ヴァインが口を開いた。初対面の人間に『貴様』とはいい度胸をしている。何かトラブルが起こらなければいいが、とハラハラする三人をよそに、ヴァインは言葉を続けた。
「何故私達が地球人である事を知っている」
「…あ!」
 ロード達もようやく気付いた様子だ。何故三人が地球人であるのを知っているのか。
『……当然だ。魔力を持つ者は地球の民以外に有り得ないのだ』
「い?……そーだったのか」
 ロードには意外な事実だった。ヴァインにもであろうが、涼しい顔ですんなりこの事を受け止めている。気にする必要は無い、という事だろうか。
「…成程。合点がいった。が、その前に、だ」
『何事だ?』
「私達はそれぞれが別々の力を持っている。どういう事だ?」
 ロードはその事を、人それぞれだから、と簡単に解釈していた。ヴァインが問い詰めるような事となると、もっと深い意味があるのかもしれない。
『簡単に言うと…属性、だな』
「ぞくせい?」
『そうだ。君には炎の属性が宿っている』
 リリスは先程の戦闘を思い出していた。確かに銃からは炎が放たれていた。
「………という事は、私は」
『そう。雷の属性が宿っている』
「…………やはり、か」
 ロードは、会話を聞きながら悩んでいた。ロードの力は、これまでどちらも例えようの無い力だったからだ。はたして自分に属性とやらはあるのか。皆より劣ってないか。
『そして……そこの少年』
 ロードは身をこわばらせた。全身に緊張が走る。
『君には期待している。何しろ、光の属性が宿っているのだから』
「…………………は?光?」
 長い間の後に、なんとか訊き返す。ライドは何故か満足げに答えた。
『うむ。絶望を希望に変える力。君なくしては宇宙は救えないだろう』
 いきなり重大な役目を押し付けられた気分で、声も出なかった。一瞬、思考が吹き飛んだ様であった。
「んー…何かムズい事言ってるけど、まあ俺も闘えるってワケだな?」
『む…まあ…そうなるな』
 投げっぱなしな返答に半ばあきれた声でライドが答える。ライドはロードに魔法の書を手に取るように言った。ロードが首をかしげながら前に歩み出る。箱の中にも罠は見当たらない。箱の中にそっとロードが右手を入れてみると、僅かだが抵抗があった。ちょうど箱の淵の辺りでだ。思わず手を引っ込める。
『どうした?』
「何事だ」
 ライドの声とヴァインの苛立った声が重なった。
「箱の中で若干手に抵抗があった。罠か?」
 ロードはライドの方を向いて言った。ここまで来てまだ何かあるとは思いたくないが、念には念を入れておかねばなるまい。もしもの事があったら、うっかりでは済まない場合もある。片腕が無くなったりでもしたら冗談にならない。
『いや。念のためにここでも魔力のチェックが出来るようにしてあるのだ』
「あ、なるほどな」
 安心したロードは、無造作に箱に手を突っ込んだ。中には古びた様子の見られない本が発見された。これも『魔力』の効果なのだろうか。ロードはそれを手に取り、男に渡した。
「ほらよ、おっさん。これでいいんだろ?」
「ええ。では…戻るとしましょう」
 男はくるりと振り返り、帰りを急いだ。時間がない事から来る焦りだろうか。ロード達も男を見失わないようにそれに続いた。

ACT3・帰還


 ――あれから半年が過ぎた。ロード達の成長は著しく、あっという間に魔力をほぼ自由自在に操る事が出来るようになった。そして、ある朝。ロード達は男に集まるよう言われた。男は、ロード達に、これから敵の本拠地へと向かう事を告げた。
「時間に余裕はないからな。確かにその方が良いだろう」
「ああ。――いよいよ…か」
 思わず身震いする。これから――決戦が始まるのだ。と、ロードの横で、リリスがこぶしを硬く握っている。リリスも同じような心持ちであるらしい。
「……がんばろーね、ロード」
 ロードはリリスと向き合い、笑いかけた。
「…ああ、そうだな。頑張ろうぜ」
 リリスがそれを聞き、晴れやかに笑った。自分の不可解な運命に押し潰される事もなく、まっすぐに立ち向かっていく強さが、この少女のどこにあるのだろう。ロードは少しリリスを尊敬し、誰にともなく微笑んだ。
「ね、ね、ロード」
 くいくいとロードの肩を引っ張る。
「何だ?」
「なんかさ、こーゆーのワクワクしない?私達の手で宇宙を救うなんてロマンチックだよね…夢みたい」
「………ははは、そーか」
 ぎこちなく苦笑する。前言撤回だな…ロードは胸のうちで呟いた。気を取り直し、男に訊いた。
「よし。――で、おっさん。その本拠地とやらはどこなんだ?」
 言われるなり、男は即座に答えた。
「ラスウェル国です」
 あまりにもボケた返答に思わずロードがずっこける。
「…んなコト俺だって判ってるっての!それがどこなんだ、っつってんだ」
 男はそれを聞いて小さくうなずき、棚の方へ向かった。その中から男は丸めた紙を取り出した。恐らくはこの世界の地図なのだろう。男はそれを机の上に広げた。地図の南東部辺りに赤い点が打ってある。ここが現在地なのだろうか。
「――私達のいる国――セラキス国と言いますが…この赤い点が打ってある所です。この星の首都として栄えています。そしてラスウェル国がここから北西――ちょうどこの地図の中央にあたる国がラスウェル国です。ラスウェルの首都がこの西――ここです」
 男がラスウェル国の西の端辺りにペンでマークをつける。しばし黙考していたヴァインが口を開く。
「なら北東からまわるべきだ。首都を落とせばそれでいいのだろう?こちらからの方が」
「ええ、そうです。ですから貴方達には北東からラスウェルの首都に潜入し、首都のみをなるべく見つからないように落として頂きます。手段は問いません。確実であれば」
「よし…で、いつ?」
 男がロードに明日、と告げた、その時だった。若者が、叫びながら部屋に入ってきた。
「大変です!」
「慌てるな…何だ?」
 ロードがこれまで聞いた事のなかった、男の厳しい声に少し驚く。若者は続けた。
「ラスウェル国の奴等に我々が再び地球人を呼ぼうとしているのがバレました!草が――スパイがいたらしくもうラスウェルの上層部にも届いているかと…」
「呼ぼうとしている…?今私達がここにいることは知られていないのか?」
 ヴァインが青年に向かって訊くと、苛立たしげに机を叩いた。
「当たり前です!それで…」
「どうした?それなら問題はないのでは?」
 男が確認する様に青年に問い掛ける。男は首を勢いよく横に振った。
「それで………呼ばれる前に地球を攻撃する、と……」
「なんですってえ?」
 リリスが青年につかみかかる。青年をゆさゆさ揺さぶりながら問い詰める。
「地球が狙われてるの?そうなの?どうするの?」
 思いきり狼狽する若者を無視してリリスが訊く。若者は半ば男に助けを求めるように横目で告げた。
「で…ですから……。レグナス様、ご指示を!」
「………恐らくは首脳陣はラスウェルに残るだろう。軍を欠いた状態なら我等の軍事力でも十分、奴等には対抗しきれまいとは思うが」
「何だと?おっさん、てめぇ!地球を見殺しにしろってのか!」
 男は――レグナスは少しの間俯いた。顔を上げ、無表情に言った。
「多少の犠牲は仕方ありません」
「ふざけるなっ!」
 ほとんど反射的にロードは答えた。帰る場所のない戦いなど考えたくなかったというのもあったが、一度守ると決めた事だから最後まで守り抜かねばならないという考えがあった。多少の犠牲。確かにそうだろう。宇宙なんざに比べればはるかに小さい。だが…。
「おっさん…レグナスっつったな…俺を今すぐ地球に返してもらおう。俺はこの作戦を降りる。いいな」
「私もだ」
 横でヴァインが控えめに手を上げた。驚いてロードが振り返る。ヴァインは続けた。
「私は――失われた本当の自分を取り戻すための手掛かりを失う訳には…いかないな。それに…地球を見捨てた者などと言われては、私の沽券にかかわるだろうからな」
 どこか不敵に、ヴァインは言った。ロードはそれを聞き、勝気に笑った。
「違いねぇな。俺達は地球に戻らせてもらう。リリスはどうする?」
 突然話を振られてリリスは一瞬当惑したが、すぐに明るく微笑み、大きくうなずいた。
「決まってるじゃない!」
「――そうか!おい、レグナスのおっさん、帰り道を教えてくれ。でなきゃ…」
「――いいでしょう。貴方方に力で勝てる訳がありませんから」
 ずっと渋い顔をしていたレグナスが途端に何か決心したような顔をしてロード達に言った。ロード達の考えを変えることは出来ないと考えたのだろう。そうと判れば、レグナスは的確に指示を与えた。
「――まず。あなたがたにはこれから、現代の地球へ行ってもらいます」
 つまりは、ロードの時代だ。一行は無言でうなずいた。
「私についてきて下さい。貴方方にはあちらでラスウェルの陣営を叩いてもらいます。地球でラスウェルの軍が攻撃されたとしても、地球の軍だと考えるのが妥当ですからセラキスへの攻撃は恐らくないでしょう。逆に貴方達が地球でラスウェル軍を倒していけば、上層部も地球の軍は手ごわいと思い込むでしょう。実際にはたった三人なのに、被害の方ばかり気にして相手の陣営はそう気にしないのがラスウェル軍の唯一の欠点ですからね」
「…成程。足元をすくい、上層部を駆り出させるという事か」
 レグナスの怒涛のような説明にひるみもせず、ヴァインがレグナスに言った後、ロードとリリスを交互に見る。判っているだろうな、という確認の意味だろう。ロード達をなめてかかっているのか、それとも気が回るのか。
 前者だな。そうは思ったが、一応ヴァインにOKサインを出す。リリスもそれに続いた。
「よし!そうと決まりゃさっさと行こうぜ。時間がないんだろ?」
a「ええ、では、こちらへ。それと――ヴァイン殿、少しお話が」
「――…そうか、判った」
 ロード達は以前とは違う出口から――恐らくは裏口だろう――外に出る事になった。ロード達はヴァインが気になりつつもとりあえず外に出た。眼前に魔方陣のようなものが描かれている。ロードがセキアスに連れて来られた時と同じ様なものだ。リリスがロードを見つめている。
「…どうしたんだ?不安なのかよ?」
「ううん、そうじゃなくって…昔の地球に行けるんだなぁ、って…」
「ああ…そうだな。やっと地球に…あ!」
 思い出す素振りをしていたロードが不意に声をあげた。慌てて訊く。
「どうしたの?」
 言われて、ロードは派手に肩を落とした。マの抜けた声で呟く。
「…仕事しばらくサボってっから…たまってるかもしんねぇ」
 リリスがくすくすと笑う。そんな事考えてたの、と言われたロードは一言、俺は仕事熱心なんだよ、と答えた。
「緊張感ないね、ロード」
「…………うるせー」
 そう言ってロードは押し黙った。そうこうしているうちにヴァインとレグナスがやってきた。ヴァインがやけに大きな荷物を持っている。魔方陣に全員が集まる。
「では――行きます」
 レグナスの言葉とともに、一行は激しい閃光に包まれた。
 これから――地球に帰るのだ。

 ――閃光の中で、ロードは浮いているような感覚を持った。突然、その感覚は消え、閃光が少しずつおさまり始めた。懐かしいざわめきが聞こえる。…ここは……地球。
 しばらくすると、ようやく視界が開けた。ロードが最初に連れて来られた場所だ。ヴァインやリリス、そしてレグナスがロードの周りに立っていた。
「…着きました。地球ですよ」
「判ってる。――で…ラスウェルの軍隊はどこにいるんだ?」
 ロードの質問に対し、レグナスは地図を広げた。地球の地図だ。中央の島国を円で囲む。もとは日本と呼ばれていた小さな国だ。現在はこの国で使用されていた言語が世界標準語とされているため、小さい地域ながらも技術や経済はきわめて発達している。
「私達がいるのはここ、グランドシティです。ちょうどこの島の西にあたります。それでラスウェル軍がいるのはここからやや東…二町隣のルークシティに来ます」
「え?ルークシティにいるのか?」
 ロードがレグナスに詰め寄る。レグナスがうなずくのを確認して、一行に向き直った。
「あの街はヤバい!急ぐぞ!」
「……どういう事だ?」
「いいから、とにかく!」
 訝しげに眉を寄せるヴァインを無視して焦るロード。無論、それなりの理由があった。
 ルークシティといえば、外からの転居が禁じられていることで有名な町だということをロードは知っていた。逆に考えれば、ルークの人々は外部の人間に敵意を抱いている可能性があるということだ。だから軍隊などが来た日には、衝突は目に見えている。もう来ていたとすると、危険だ。
「早くしねーと…大惨事になるぞ!」
「いやいや、そう急がなくても大丈夫ですよ」
「状況がヤバいのは事実なんだぞ?」
「問題ありません。ロード殿、時計を御覧なさい」
「え?いーけどよ…」
 自信満々のレグナスを不審に思いながらも、ロードが自分の時計を見る。六月十二日、と表示してあるのを見て、ロードは首をかしげた。何故なら、約一ヶ月前の日付だったからだ。電池切れかとも思ったが、時計は今も正常に作動している。となると…。
「おっさん…まさか」
「そう。貴方達がここに来る一ヶ月前の時間に戻したのです。物質も、また然りですよ。意識だけが時間を混同しているのです。ですから、ラスウェル軍が来るまでには実際には一月ほどの余裕があります」
「時間を…戻したのか?」
 ヴァインが驚いた顔をしている。レグナスは自慢気にうなずいた。
「ええ。一ヶ月以上は無理ですが」
「…待て。こんな事が出来るなら何故セキアスで使わなかったのだ?」
 ヴァインが訊いて初めて、ロードも気がついた。これを活用すればもっと訓練できたはずなのだ。それどころかレグナス達だけでもラスウェルを倒せたかもしれない。
「それはですね、セキアスにはこの技術が悪用されないように惑星全体に特殊なフィールドを張っていて、全世界が共通でこれを管理しているからなんです。そのフィールドを解除するには全ての国の承認が必要なので」
 ラスウェルが認めるはずがないでしょう、と言うと、ヴァインはひとつ息をついた。
「…判った。では私達はルークシティに着いてから準備を整えるとしよう」
「お願いします。――それと、ここの魔方陣は消しておきますので、連絡したい時のためにこれを渡しておきましょう」
 レグナスはそう言って、ロード達に通信機らしきものを渡した。レグナスはそれはセキアスと地球をつなぐ唯一の連絡手段である事を話した。単純な使用方法を説明した後に、レグナスは魔法陣に乗った。辺りに閃光が走り、しばらくしてから沈黙した。跡には何も残っていなかった。
 ロードはしばし魔法陣のあった場所を見つめていた。――科学の叡智を極めたばかりに、神の領域に踏み込んだ者達。彼等は己が力に怯え、その力を封じる。全てを超えようとした狂気の力は、やがて己を…そして、全てを滅ぼす。
 知りたいと思う心。好奇心という名の諸刃の剣。知ってはならないこと。知らねばならないこと。知るという恐怖。禁断の領域に踏み入るということ。秘密は好奇心を呼び、好奇心はやがて悲劇を呼ぶ。判っていても知ろうとする心。人々を支配する、欲望。崩壊の引き金。悲劇を生む根元。欲望の星……地球。
 ――地球もいずれ、セキアスの様に――
 ロードは首を横に振った。――何かを振り払うように。


 レグナスは自分の椅子に座り、静かに瞑目した。
 ここまでは、おおかた計算通りだ。ラスウェルのスパイがいつ見つけてくれるかと不安なものだったが、ギリギリで間に合った。これで地球で適当に暴れてくれれば、おそらくラスウェルの上層部にも術士に関する情報がいくはずだ。そして地球に目を向けている間に、一気に決着をつける。奴等の時間軸を操作するゲートさえ封じてしまえば、こちらの勝利だ。彼等には『あれ』を渡しておいたし、おそらくは上手く働いてくれる。
 しかし問題はある。時空フィールドを展開するためのエネルギーが、ほとんど尽きているのだ。少なくとも、ヴァインとリリスを元の時代に戻すには、数年ほど蓄積期間が必要である。仕方のないことではあるが。
 彼等がそつなく第一部隊を撃退した場合、ラスウェルのとりうる行動は二通り。まずは、地球に戦力をそそぐ場合。これなら簡単に勝利を収められるのだが、そう甘くはないだろう。どちらかといえば確率が高いのが、我々を侵攻する場合。その場合、彼等を呼び戻しての隠密戦となるだろう。となると、今のロード達の力では失敗する可能性が高い。
 確かそのためのものがあったはずだが……準備くらいはしておくか。
 レグナスは裏庭にある蔵へと向かい、重い足取りで歩き出した。


 ロード達はとりあえず三日間各自自由行動をとることにした。その後に、以前ロードが仕事で使っていたルークにある家に集合して『任務』の準備を始めるようにした。リリスには、その家の地図と鍵を渡し、そこで待機してもらうこととした。
「じゃ、あそこは他人に対してはヤバいとこだからな。コレ持っとけ」
 ロードは自分の通行証――実のところ偽造したものであるが――であるIDカードをリリスに手渡した。しげしげとIDカードを眺める。
「ふぅん…昔って言ってもあんまし変わんないんだね」
「そうなのか?そりゃ以外だな」
「――おい」
 隣で、ヴァインが口を挟んだ。
「私はどうすればいいのだ」
「あ、ヴァインはな……………ん?」
 ロードはふと、遠くからやってくる人影に気付いた。見覚えがあるような…何となく、嫌な予感がした。
「……あれは………まさか」
「ロードっ!」
 その人影は一直線にロードのいる所へと走ってくる。ヴァインとリリスがそろって訝しげに眉根を寄せた。
「…………………誰?」
「…私に訊くな」
 ため息をついてそっぽを向く。ロードは呆れたように呟いた。
「………俺の仕事仲間だよ」
「仕事?」
「まあ………じき、判るさ」
 困ったように答える。リリスはワケが判らないといったふうに首をかしげた。何だかんだ言っている間にその人はロードの隣で息を切らせて立っていた。
「ふう……やっっっと、見つけたわ」
 明るい紫の髪をリボンで大雑把にくくっている。相当走ったのだろう、疲弊しているのが痛いほどに判る。
「キ……キャスティ…?」
 おずおずとロードが呼ぶ。ヴァインがいっそう不審に感じて訊く。
「――キャスティ?」
「…こいつの名前だよ。さっき言っただろ?俺の…仕事仲間だ」
 そう言ってロードはキャスティに視線を戻した。目に涙を浮かべている。思わずぎょっとして一歩後ずさりした。
「どこ行ってたのよ…五ヶ月も留守にして……ホントに、心配したんだから……!」
「……わりぃ。ちっと、事情が…あって、な」
 目を泳がせてぽりぽりと頬をかく。
「……………あ…あの〜…」
 完全に置いていかれた感じがしたリリスが口を挟む。今気付いたかのようにキャスティが二人の方を向いた。涙をこらえ、自己紹介する。
「――私はキャスティ・R・フェリアスっていうの。ロードとはずっとコンビで仕事をしてるのよ。宜しくね」
「あ、はい…よろしくです」
 なんとなく場に流されてリリスが挨拶をする。ヴァインが不機嫌な表情で一歩前に出た。
「その仕事仲間が何の用だ。今私達に無駄な行動をする余地は無い。用件があるならば早く言ってもらおうか」
「むっ……何よ、コイツ…」
「まーまー、落ち付けっての。確かに俺達は今いろんな意味で緊急事態なんだ」
 あからさまに高圧的な態度のヴァインは全く退く気もなく続けた。
「用件は何だ。ないならさっさと行かせてもらうぞ」
「……………………」
「ま、ま、冷静に。――んで、どうしたんだ?俺に用か?」
「…バカ………私…私……!」
 抑えた涙が再びあふれる。ロードは狼狽した。
「え………え?」
 キャスティが俯いた顔を上げ、ロードを見つめる。潤んだ瞳がまっすぐロードに突き刺さる。一瞬ロードはどきんとした。
「…キャスティ………」
 その直後、キャスティは右手を大きく横に凪いだ。早口にまくし立てる。
「あなた、五ヶ月も仕事サボっててよくそんな事が言えるわね!講義とかも論文とかも、全部!私一人で代わりにやってたのよ!時間が少しでもあるんなら、その分しっっかり働いてもらうわよ。いい?いいわねっ」
「………………………は?」
 ロードが拍子抜けした声で訊き返す。キャスティはびしっとロードに指をつきつけた。
「私の分のプログラム修復と論文。五ヶ月分、きっちりやってもらうわよ」
「……………マジで?」
 キャスティはためらうこともなくうなずいた。ロードが思いついたように反論する。
「――あ、そうそう。俺達、まだ用事があっから…」
「大体その用事が何なのかってことを私はまだ聞いてないんだけど」
「それは…あ〜、もう!今説明してるヒマはねぇんだ!」
「ねぇねぇ。キャスティさん、だっけ?」
 リリスが横からつんつんとキャスティの肩を叩く。半分ケンカ腰に振り向いたキャスティに、悪戯っぽく微笑んだ。
「三日だけなら、ロード、空いてるよ」
 ぎょっとしてリリスを見る。自分に助け舟は出してくれそうにない。俺が完全に遊ばれてるような気がしてならないんだが…気のせいだろうか。
「三日?」
「うん。それ以上はちょっと…やることがあるの」
「だからぁ…」
「――もういい。私が説明する」
 いい加減忍耐の限界だったのか、ヴァインが手短に説明した。説明を聞くと、キャスティは半ば混乱した様子でうろたえた。
「――そんな……ゲームじゃないのよ?」
「私達は実際にセキアスへ行った。この事態は私達以外には解決出来ないのだ」
「そーゆーこと。俺も完全に理解してるワケじゃねぇんだがな。ってなワケで、失敬」
「…ロード」
 ロードがしゅたっと右手を上げてそそくさと立ち去ろうとすると、やけに凄味を帯びた声が引き止めた。ひきつった笑顔で応答する。
「は…はい?」
「三日、あるのよね。そっか……三日、ね」
 いかにも何かを企んでそうににやりと笑う。ロードの表情が蒼白になった。
(まずい……殺される)
 そこまではないだろうが、それに近い労働を強いられるに違いない。恨めしそうにリリスを見ると、逆に面白そうに事態を眺めている。
「あ…私、そろそろ行かなきゃいけないね。じゃーねー!」
「あ、ちょ……!」
「ロード、逃げはしないわよね」
「…………………………了解」
 がっくりとうなだれる。気を取り直して、ヴァインに向きあった。
「ヴァイン、お前はどーすんだ?」
「そうだな………貴様に付き合うとしようか」
 少し間をおいてヴァインは答えた。
「ええっ?何で俺んトコに」
「どうせ三日だろう?大した苦労もあるまい」
 あっさりと言い捨てて行こうとする。無理にでも押しかけるつもりなのだろう。
「…大した苦労も無い、か……だといーんだが、な」
 ちらっと背後にいるキャスティを見る。どう見てもラクはさせてくれそうにない。
「心配するな。仕事くらいなら手伝ってやる」
「………判ったよ」
 とうとうロードが折れた。ヴァインはさらりと仕事を手伝うと言ったが、あいつは知っているんだろうか。ロード・F・ラーハインという名がその道の人々の中では世界中に知れわたっているということを。そして、キャスティとともに、知らないものはいないと言われるほどの『神の双璧』の名を持つことを。
 ロードは二つの意味で不安な気持ちのまま帰宅した。

「ほらほらぁっ!さっさと起きるっ!」
「う〜……」
 まだ寝ぼけている。キャスティがロードをベッドから叩き出した。
「っってぇぇ〜…何?六時ぃ?早過ぎじゃねーか」
 誰かさんにもこんな事されたよーな……打った肩をさすりながらゆっくりと身を起こす。
「こんなもんよ。連れもとっくに起きてるわよ」
 しれっとキャスティが返す。起きて見てみると、確かにヴァインがいる。キャスティの指示だろう、朝食の準備をすでに調えている。ロードは伸びをした。
「しっかし…地球の朝ってのも久しぶりだなぁ」
「だから何だ。さっさとしろ」
 隣の部屋から冷淡な声がかかる。渋々着替えて、朝食をとった。
「さって…やるか」
 言うなりコンピュータの電源をつける。起動している最中にキャスティが呆れた、と呟いた。
「何なの?この記録級の処理の遅さ」
「まあ…ムチャして詰め込んだからな。これでも三倍速処理なんだぜ?」
 それを聞いて、思わず額に手をあてて俯く。
「……どんな使い方してんのよ、あなたは」
「いーじゃねぇか、別によ。――なあ、ヴァイン」
「何だ」
 突然聞かれたにもかかわらず、ヴァインが即座に対応する。
「こっちに来る前におっさんから何か聞いてただろ?アレ、何だったんだ?」
「……明後日に話す用件がひとつ。今言う必要は無いし教えるつもりも無い。あとは…貴様等には関係無い事だ」
「…ちぇー、教えてくれたっていーじゃねーかよ」
 文句を言うロードを無視してヴァインは静かに画面を見ている。何か珍しいものでも見たときのようだ。
 …………あ。
(………忘れてた)
 ロードは内心で脂汗をかいた。そういえば……。
 ヴァインは、江戸時代の人間なのである。機械など知っているはずもなく。そして、手伝えるワケもなく。キャスティも少し前に受けた説明を思い出したらしく、ぎこちなくロードと目を合わせ、ひきつった笑顔を見せた。
『……………………マジ?』
 キャスティとロードの声が重なる。神と呼ばれるほどの者達の手伝いをパソコンを見たことも無い奴がしようとしているのだ。…まあいい、事務作業でもやらせてやろう、とロードは考えた。
 ――かくして、この三人での仕事が始まった。まずロードは、締め切りの迫った論文作成から手がけた。これが間に合わねばコンピュータ専門学校の教師というけっこう大きな職を失ってしまう。まあどうせ自分のオリジナルのプログラムに関する論文とそのプログラムの完成品を提出すれば大丈夫だろう。神の肩書きは伊達ではないのだ。実際未発表の、現在では考えられないレベルのプログラムを幾つも持っている。それを少しだけグレードダウンさせれば――悪用できない程度にという意味である――十分一般人には立派な論文に見えるだろう。うっとうしいのは自分の中では当然のことをいちいち論文にせねばならないことである。しかも今回は…キャスティの分がある。重い気持ちで、ロードはキーボードに手をかけた。
 六時間もの作業のすえ、ようやく論文を完成させたロードは、それを印刷しようとした。だが、印刷用紙が足りない事に気づき、街へ買い物に行くことになった。キャスティを残して、ロード達は家を出た。

 街のデパートにて。ロードとヴァインは、文具店のあるフロアに行った。
「――うっし。ヴァイン、ココで印刷用紙買ってきてくれねぇか?俺はちっと別の所でやることがあっからよ。ほら、こんだけありゃ買えると思うから、百枚セットを二つ頼むぜ。ああ、そうそう、サイズはA4でな。終わったら外で待っててくれ」
 ロードがヴァインに紙幣を一枚渡す。ヴァインは無言でうなずき、人ごみの中に消えていった。それを見送ったロードはエレベーターに乗り、コンピュータ売場へと向かった。

「…これは………」
 ヴァインはあからさまに不機嫌に眉を寄せた。
 何せここは、広い。しかもつくりが妙だ。大小様々な店が並んでいて、いかにも滑りそうなつるつるした床の上をロードと似た格好の人々がごった返している。人々が刀を持っていないぶん鞘当て等の問題は起こらないのだが、自然とよけたくもなる。
 さらに、階層が多い。もしかすると江戸城より高いかもしれない。だが、窓もないし、どこを見ても似たような感じの店ばかりだ。異国の言葉で書かれているものもなかにはあって、よく理解できない。自分がどこを向いているのかもさっぱりだ。
 ところどころ、黒い勝手に動く階段がある。この階に目的の物があるらしいのだから、あれに乗っては二度と後戻りできなくなるのだろう。
(今時の店とは堅牢だな…あのような高度な罠まで用意しているとは)
 実際、エスカレータは罠でもなんでもないのだが。ヴァインには知るよしもなかった。
「それはさておき…『文具』という文字を探せばいいのだな」
 とりあえず、考えなしにそこらをうろついてみるが、行き交う人にじろじろと見られるのが気にくわない。敵意があるではないのだが、どうにも神経を消耗してしまいそうだ。
 数分歩いて、何とか『文具』を見つけたはいいが、どれを買えばいいかが今ひとつ判らない。印刷用紙と言っていたからには、なにかを刷るためのものなのだろう。多分、先程使っていた妙な箱の中の文字を、だ。
 少し探してみて、親切にも『印刷用紙』という部類がまとめて置いてある所を見つけた。この中にあるのだろう。ロードの言葉を思い出してみる。
 百枚せっとをふたつ。さいずはえーよん。
 判らない単語が山ほどある。せっと。さいず。えーよん。
 文脈からして、『百枚せっと』というのは『百枚組』という意味に近いものだろう。それをふたつ。つまり、二百枚必要なわけである。
『さいず』やら『えーよん』やらはさっぱり判らないままなのだが、『えーよん』の『よん』が数字の四だとすると、該当するものがふたつある。どちらも知り合いの異国語を研究していた奇特な奴の帳面に載っていたものだ。確か『亜剌比亜数字』だとか言ったはずだ。見た瞬間はどう読むかなど判らかったものだが、『あらびあ』と読むはずだった。四にあたるものは『4』と書いてあったのを憶えている。
 その『4』が表記されているものが、ふたつ。その前に、同じく異国語――確か英語、とか言ったはずだ――がある。『A』と『B』だ。どっちが『えー』と読むのかは…知らない。
(さて、どうするか……)
 ヴァインはしばし黙考した。あれこれと考えを巡らすうち、一人の女が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。何かお困りですか?」
 この対応からして、この店で働く女だろう。好都合だと思い、ヴァインは口を開いた。
「…人に買い物を頼まれてな。『さいず』が『えーよん』の印刷用紙の百枚組をふたつと言われたのだがどれかが判らないのだ」
「それでしたら、こちらです」
 店員は『A4』と書かれた印刷用紙をふたつ、手に取った。
「これか」
「はい。レジはあちらですので」
 店員はそう言って店の奥のほうを指し、そそくさとどこかへ行ってしまった。
「む……」
 印刷用紙はこれで正しい。が、さらに問題が増えてしまった。
「…勘定はどこですればいいのだ?」
 買うからには金を払わねばならない。おそらくこの店の中にでもあるのだろうが…さっきの女の言っていた『れじ』とやらがそれであるならば話は早いが。
 試しにヴァインは店の奥へと入ってみると、それらしいものがあった。ちゃんとそこで金を払い、ヴァインは無事――かどうかは甚だ疑問ではあったが――買い物を終了させた。
(しかし、まったく――)
 妙な時代だ、と誰にともなくヴァインは呟いた。天井には白い火がともっていて、閉めきったこういう空間でも明るい。楽団も見当たらないのにどこからともなく音楽が聞こえ、扉は近付くと勝手に開くといった寸法だ。その後勝手に閉まった時は刺客かと焦ったものだ。売っているものになると、もう何が何だか判らない。使用言語が自分と同じであるあたり、言葉は幕府のものとそう大差ないはずだ。だというのに、この変わりよう。
 意味不明だが、刺激も多い。知らないことばかりというのも、また一興ではある。
(暇を見て調べてみるか…)
 とにかく今は、ロードと合流せねばならない。入口まで帰らねば。
 無数の人ゴミのなか、限界まで集中して来た道を思い出しながら戻るヴァインであった。


 結局何とか入口を見つけ出し、ヴァインが外で五分ほど待っていると、ロードがデパートから大きな袋を持って出てきた。二人はその後ロードのアパートに帰り、論文を印刷してから一息ついた。ロードがパソコンの裏にまわって何かしている。
「ロード、何をしている」
「ああ、これか?今このパソコンのメモリを拡張してんだ。さっき買ってきたのは追加メモリーボードっつってな、このコンピュータのメモリを拡張させれんだよ」
「まだメモリ増築するつもりなの?何するのよ、それで」
 苦笑しながら言われると、ま、いろいろとな、と曖昧に返した。横でヴァインが首をひねっているのには気付いていない。まあ、ヴァインに横文字が判る訳もないのだが。メモリーボードの接続作業を終わらせたロードは、部屋の奥へ向かった。
「これでよし…っと。なぁ、ヴァイン、これ着てみろよ」
 ロードがさっきの袋の中から、幾つかの服を取り出した。多分、この時代の服なのだろう。ヴァインは露骨に嫌そうな顔をした。
「…私は今の服で十分だが」
「そうじゃなくて、だな。わりぃがこっちの都合なんだよ」
 苦笑しながらも、ロードは続けた。
「どうもその格好は目立つからな。ヘタに目立ってもいい事ありゃしねぇ」
「む…そうか。判った」
 言われるまま、ヴァインは促されて奥の部屋に入り、渡された服に袖を通した。
 紺の長袖に、黒の半袖コート。ズボンも同じく、黒でまとめてある。
 ヴァインから見れば、初めて見るたぐいの服だ。どう着るかも戸惑いながらである。たまに、ロードが『これはこうするんだ』と教えてやった。
 ――数分後。ヴァインが部屋から出てきた。
「へぇ、結構いいじゃないの」
 一目見て、キャスティが歓声をあげた。
 上から下まで、黒一色。もともと持っていた刀の鞘も黒だったので、きれいに整っている。それに加えて、ヴァイン自身の雰囲気がさらにその黒を際立てているとも言える。
 当の本人はというと、せわしなく自分の格好を見まわしていた。
「…どうもしっくりこんな」
「大丈夫。じき慣れるわよ」
 軽くキャスティが言う。どうだろうな、といった表情でヴァインがうなずいた。
「さって……ちょいと休憩しようぜ。茶でも飲むか」
「ええ。そうね、あなたが準備してちょうだい」
「……やっぱ、こーゆーのも俺なんだな」
「当然よ。しっかり働いてもらうからね」
 肩を落としてロードが台所に向かう。一分ほどで、部屋に紅茶の香りが漂いはじめた。ロードがカップを三つ持ってきた。
 普通の休憩時間。そう思っていたが、またもヴァインが妙な事を言った。
「ロード。これは何だ?」
「は?何言ってんだよ。茶じゃねーか」
「嘘を言え。麦茶とも色が若干違うし、なにより茶とはかけ離れた味をしている」
 じーっと凝視したのち、ヴァインは一口紅茶を飲んだ。そして、やはり首をかしげる。
 しばらく面白そうにその動作を眺めていたロードは、キッチンからティーパックをひとつ持ってきた。
「ヴァイン、これな。『紅茶』っつって、えーっと…異国の茶なんだよ」
 とりあえず判るような言葉を選んだつもりだが。不安げにロードが見ていると、ふむ、とヴァインがうなずいた。
「成程。これが異国の茶というものか」
 言うなり、ヴァインが紅茶をストレートのまま飲む。小さな感銘を受けたように呟いた。
「――異国の文化というものは、実に変わっているのだな」
「だろ?でも今の世の中、そういうのばっかだからな。国境なんざありゃしねぇ」
「何?国の境目がない?どういう事だ」
「えっと、そりゃな…」
「あ、私が説明してみていいかしら?」
 キャスティが楽しそうにロードの顔を覗き込む。ロードは笑顔でいいぜ、と答えた。
 その後しばし、二人の色々な『時代の授業』は続いた。


 長話を終えると、ロードは再びコンピュータに向かった。起動までのスピードが多少上昇したことを確認し、ロードは満足そうにうなずいた。資金的にギリギリだったが買ってよかった、とロードは思った。とりあえず拡張したメモリを自分用にカスタマイズしてから、計算用のプログラムを開いた。バイト先の店長に頼まれていた会計を済ませてしまうつもりなのだ。
「それは?」
 ヴァインが横からコンピュータを覗き込む。
「バイト先のファミレスの会計頼まれてんだよ」
「ほう」
 そう言ってヴァインはディスプレイに見入った。しばらくロードが作業を続けていると、ヴァインが横から口を挟んだ。
「人件費がかかりすぎていないか?収入の額からみるとこの店は小規模から中規模の店だというのは判るが、人件費が規模からして釣り合っていない。もう少し削減した方が良いな。光熱費にも無駄が目立つ。この四分の三には落とせるはずだ」
「…さ…さいですか」
 ロードはなんとかそう答えた。物価などについては今しがた教えたばかりだ。だというのに、数値だけでそこまで見抜けるとは思わなかった。ヴァインは一体、記憶がなくなる前、どんな環境で育ったのだろうか。探偵でもやっていたのだろうか…ロードは感心するのと呆れるのとが半々の気持ちでヴァインを見た。
 会計を終了させた後、ロードはそれを送信して、コンピュータの電源を落とそうとした。が、キャスティが口を挟んだ。
「あ、計算ならついでにこれもお願いね」
 三枚のディスクを手渡す。心身ともに疲弊したロードは力なくうなずき、作業を始めた。
(このままじゃ…マジで死ぬって…)
 そんな事を本気で考えるロードだった。

 気力で作業を終わらせた後、皆で夜食をとって眠ることにした。この時点ですでに軽く十二時をまわっている。毎日こんなペースなのか…?ロードは逃げ出したくなった。
 いろんな意味でアンバランスな三人組は、このようにして三日間をすごした。


 ――そして、六月十五日。一行はロードの案内のもと、できるだけルークの住民と出会わないルートを通ってリリスがいる家に集合した。ほどなくして、リリスが飲み物を持ってきてくれた。
「ゆっくりしてってね…って言っても、もとはと言えばロードの家なんだよね」
「ああ、ありがとな。どうせ今は使ってないし、リリスの家みてーな扱いでいいぜ」
 ロードが軽くリリスに笑いかけた。
「――でも……」
 リリスはつかつかと歩み寄り、『予定外の客人』に向かい合った。
「なんであなたがここにいるんですか、キャスティさん」
「いいじゃない、別に。私だって何か役に立てるかもしれないし」
 キャスティは強気に笑い、しれっと返した。リリスはいささか腑に落ちない様子でくるっと振り向き、ロードを見た。
「ねえ、ロード。なんで連れてきたの?危ないよ」
「なんで、っつっても…なぁ?」
「…私にふるな」
 冷たくロードを突き放す。一言だけ付け足した。
「……この女が私達に勝手についてきた。それだけだ。私としても民間人の介入は感心できる事ではないと思うのだが」
「民間人、って…ちょっと」
 ぎゃあぎゃあと本題からズレた言い合いを始めた環境で、ロードはこそっと抜け出そうとした。二人の少女ががきっとロードを睨む。
『ロードッ!』
 びくっと身をすくめる。うつろに笑いながら、妥協案を提出した。
「と、とにかくよ……話、進めねぇか?時間はそうねぇんだからよ」
 二人は不服そうにうなずいた。ヴァインがやってられるかといった様子で、ため息をついてさっき渡されたオレンジエードをこれもやはり珍しそうに飲んでいた。

「――さて、ではそろそろ話を始めるぞ」
 飲み物を飲み終えたヴァインは、自分の荷物から一冊の本を取り出した。セキアスから地球に来るときにレグナスから渡された『魔法の書』だ。ロードとリリスはヴァインがページを繰るのを目で追った。ヴァインはちょうど真ん中辺りのページで手を止めた。
「ここだ。見えるか?」
「うん、だいじょーぶ」
「そうか。なら、この頁の頭から読んでみろ」
 ヴァインはロードの返事を受ける前に話を始めた。そのページにはこう書いてあった。
 ――言の葉は読み上げるのみなるものではない。己が創りあげることにてさらなる力を得る事ができるのだ。神の声は力の奔流の深淵に眠る。神の姿は言の葉を通じて刃となりうるであろう。その心、我へと至り――
「…何だ?こりゃ」
 思わずあごを落とす。意味不明な上に、日本語としてところどころ文法がおかしい。さらに、怪しい。最後の文が切れているのも妙だ。リリスがあごに指をあてて首をかしげた。
「……わかんないね」
「まあ……要約して説明すると、だな」
 ヴァインが多少考えながら話し出した。
「私達が使う言葉…つまり、詠唱という事だろうな。それはこれに記されているもののみではなく、自分自身の力の中にこそ強力なものが眠っているという事だな。おそらくは」
「あ、なるほど」
「へぇぇ…ヴァイン、すっごーい」
 リリスが拍手する。その後ふと考えて、無邪気に訊いた。
「だから、どうすればいいの?」
 それだけは訊いちゃマズいだろ、という考えとともに、三人が押し黙る。何となくお互いの顔を見合わせ、肩をすくめた。
「多分、いざって時には…閃き、みてーなの?があるってコトじゃねぇかなぁ…?」
「………ライドめ、説明不足な書物を遺してくれたようだな」
 苛立った声で書物を見る。リリスとロードは苦笑した。
 その時、部屋の中に呼び鈴が響いた。思わずびくっと身をこわばらせる。ヴァインは警戒体制を取りロードに手招きした。すでに刀に手をかけているあたり危険だが、ドアから見えない場所に待機しているようにしろということだろう。キャスティはすでに奥の部屋に隠れている。ヴァインのもとに向かい、壁にへばりついて玄関の様子を伺う。リリスがドアスコープを覗く。念のためドアチェーンをかけたままゆっくりとドアを開けた。
「――や。君の名前は?」
「え、あ、あの…リリス・L・クラフトです…けど」
 青年の声だ。状況からしてリリスの友人などではなさそうだ。ロードがこっそり壁を背にして玄関を覗く。リリスがこめかみに指を当てて考え込んでいる。その向こうに、薄茶の髪の青年がいる。だいたい十七、八歳くらいだろうか。おずおずとリリスが尋ねた。
「あのぉ……お会いした事ありましたっけ?」
「え?ああ、ゴメンゴメン、初対面なのになれなれしかったかな?僕の名前はカイト――カイト・ヴァレイスっていうんだ。よろしくね、リリスさん」
 そう言ってカイトと名乗った青年は人懐っこい笑顔で右手を差し出した。その勢いに押されて思わずリリスが握手をしてしまう。その後にふと気付いて、カイトに訊いた。
「カイト…さん?あの、私に何か用があったんですか?」
「うーん…用、ともいうかな。実を言うと、君達は僕の仲間ともいえる存在かもしれないからなんだ」
「仲間…?って、どういうことですか?」
「えっと…信じてもらえないかもしれないけれど、僕は人の持つ『力』みたいなのが判るっていう能力というか特技というか…そんなのがあるんだ」
「力を見抜く能力…ですか?それが私達とどう関係が…」
 言ってからリリスははっと口をつぐんだ。私『達』と言ってしまったからだ。部外者がいるのがバレればひと騒動あるにちがいない。カイトが気にしてくれない事を願った。が。
「私達?ああ、よかった。やっぱり君意外にもいたんだね。僕の力は衰えてなかったんだ。ああ、そうそう。僕は外の人間がいたからってどうこうするタチじゃないから安心して」
 カイトが大丈夫、とリリスに笑いかける。リリスはほっとして、ロード達の方を向いて出てくるように手招きした。助かったという顔をしてロードとキャスティが、続いてまだ警戒心を解かないヴァインが刀に手をかけたまま出てきた。
「君達が外の人間かあ。へぇ…ああ、敬語は使わなくていいよ。うっとうしいしね」
 それを聞いて緊張を解いたロードがふう、と大きく息をついた。
「――いやー、常識的な人で助かったぜ。チクられたりしたらどうしようかと思った」
「安心するな、ロード。まだ安全と決まったわけだはない」
「疑い深い奴だなー。だーいじょうぶだっつの」
「何故そんな確信が持てる」
「なんとなく、な。こいつは信用できそうな気がするし」
「ロード、初対面の人にこいつだなんて失礼ねぇ…もうちょっと慎みなさいよ」
「ねぇ、ヴァイン、だいじょぶだってば」
「判らんぞ。民間人を装っての刺客というものはよくある話だ」
「どっから出てくるのよ、そんな話…?」
 またも本題からズレた口論が始まる。カイトが遠慮がちに右手をあげた。
「……あのー…忘れてません?」
「え?あ、すまねぇ」
 口論を止め、ロードが苦笑しつつ向き直った。
「――俺はロード・F・ラーハイン。で、こっちがキャスティ・R・フェリアスだ。宜しくな、カイト」
 ロードが、続いてキャスティが軽く握手する。ちらりとカイトがヴァインを見た。
「宜しく、ロード君。――で……あちらのいつでも斬ってやる、みたいにしてる人は?」
「ああ、あいつか。――ほら、とっとと自己紹介しな」
 ロードがヴァインを強引にカイトの前に押し出す。ヴァインはめんどくさそうにカイトと向き合った。
「……私の今の名はヴァイン・B・ステアだ。以後、宜しく頼む」
「今の名?ヴァインさんは記憶喪失か何かなのかい?」
「…まあ、そうだな。偽名とも言えるだろう」
「へえ…ま、いいや。よろしく!」
 カイトがヴァインと握手する。ヴァインも一応は警戒を解いたようだ。
「……そう言えば、仲間がどうとか言っていただろう?あれはどういう事だ」
 ぶっきらぼうに質問をぶつける。カイトは小さく笑った。
「ああ、そのことか。君達には何か普通の人にはない特別な力があるんじゃない?」
 言われてロードは驚いた。まさにその通りだったからである。魔力など、今の人間は誰も持ってはいないだろう。
「まあ…な」
「そこで、だ。君達には素直に言おう。僕は…この星の人間じゃない」
「え…」
 四人の思考が一瞬、止まった。
『えええええぇぇぇぇえっ?』
 ロードとリリス、キャスティの三人が叫び声をあげる。ヴァインも動揺を隠しきれない。
「ま、まさか……宇宙人ってやつ?」
「うん、そうだよ。幸い僕たちの星の種族も人型なんでね、ここにこっそり住んでるんだ」
「そうなの…地球にいたんだ、宇宙人って。でもあんまり変わんないね、ロード」
「…確かに。ぱっと見ても判んねぇな。何て星から来たんだ?」
「あ…あれ?地球の人って宇宙人の認識があったっけ?」
 微妙に拍子抜けしたカイトが訊く。
「ん?まあ、俺達は…な」
 ロードが曖昧に答える。そう、と安心したように呟いた。
「そりゃ話が早い。僕は君達が他の人と違ってたから君達も宇宙人じゃないかって思ったんだけど…」
「…残念だけど、私達は地球人なの。ちょっと他の人とは変わってるけど」
「あ、そうなの?」
 カイトが少し肩を落とす。が、すぐに立ち直り、ロード達に向き合った。
「で……ものは相談なんだけど」
「何だ?」
「僕を少しかくまってくれないかな」
「…は?なんで、また」
「いや、何せ仕事が無くて。しかも下手するとバレそうなんだよね、僕の正体が」
「無理だ。私達はそれどころではない」
 カイトの方を向きもせずに言い放つ。なだめるようにロードがフォローを入れた。
「まあ、いいじゃねーか、ヴァイン。どーせなら手伝ってもらおうぜ」
「何を言っている。だいたい何の役に立つ」
「手伝うって…?」
「ああ、それは…ヴァイン、どうする?」
 ロードは話すべきかどうか迷った。ことが大きすぎるからだ。
「…好きにしろ。どうせこいつは誰かに話したりはしないだろう?自分が目立つのは代償が大きいからな」
「確かにね。だから話してくれよ、ものによっては手伝うからさ」
「じゃ、簡単に言っちまうか。――今からおよそ一ヶ月後に、この星は狙われる。宇宙から軍隊が来るっつーか…なんせ俺達はこの星を救わなきゃならねぇ」
「地球が狙われてる?」
 カイトは素っ頓狂な声を上げた。何故、何の為に。色々な疑問が交錯する。しかもロードは『一ヶ月後』と言った。彼には予知能力でもあるのだろうか。まあロード達に何か特別な力があるのは確かなのでそうかもしれないが。という事は、この三人に地球の未来がかかっている訳だ。しかしそんなものに自分が手伝う事ができるのだろうか?
「そんな事が…。僕なんかに手伝える事があるのかい?」
「ああ、あるさ」
 ロードは即答した。
「ロード?何を………あ、なるほど」
 キャスティが一人で納得する。ヴァインはしばし考えた末、そうか、と呟いた。リリスには目的がつかめていない。カイトにも、だが。
「カイトの異質な力を読み取る能力ってのは本物だ。ならそれを使えば随分助けられる」
「え?どういう風に?」
「まだ判らんか」
 じれったそうにヴァインが一歩前に出た。
「私達はさっきも言ったように地球外生命体との交戦がある可能性が高い。だが外見は人型なのでまったく区別がつかないのだ。そこでカイト、貴様の力が必要になってくる」
「……あ!」
 カイトが目を見張り、パン、と手を叩いた。ようやく判ったようだ。
「地球人と宇宙人を識別する」
「そう!だから手伝ってくれっつったんだよ、俺は」
 カイトはロードに笑顔でOKサインを出した。
「ぜひやらせてもらうよ」
「そうこねぇとな。よし、決定!いいよな、リリス、ヴァイン、キャスティ」
「私はかまわん」
 歓迎するというより、特に大きな関心は無いとでも言いたげに答える。
「私はいいわよ。っていうか、本来私に断る権利はないんだけどね」
 苦笑しながらキャスティが同意する。
「私も。宜しくねっ、カイト」
「うん、こちらこそね」
 リリスがカイトの手を引いて部屋へ案内する。こうして、カイトは晴れてロード達の仲間入りとなった。


 次の日、またもヴァインが話があると言って一行を集めた。ヴァインの部屋に入ってみると、以前持っていた大きな手荷物を持っている。
「今日は、これについてか?」
「そうだ。まず、これをつけろ。カイト、貴様もだ」
「え、僕も?」
 魔法関係なら特に関係ないだろうと遠巻きに事態を眺めていたカイトが目を丸くする。ヴァインは見向きもせずにうなずいた。
 ヴァインが取り出したのは、指あきの手袋だった。あわせて、五つある。
「…五個?奇数なうえに足りねぇじゃねーかよ」
「いや、これは利き手だけにつけるものだ。二個は予備に受け取っておいたものだ」
「あ、なるほど。じゃ、さっそく」
 ロードがまず手袋を右手につける。続いてリリスが左手、カイトが右手につける。
「えっと、私は……」
「貴様は必要ない」
 問答無用。ヴァインがキャスティを止める。
「あ……そう」
 頬がひきつるのを我慢しながらも、キャスティがしぶしぶ従う。
「――これは各個人の個性や、以前聞いた属性などをあらわせるものだ」
「個性や属性?」
「そうだ。属性も人間の数ある個性の一つと判断されるらしい。これを見ろ」
 ヴァインが魔法の書のページをめくる。ある所で手を止めた。ロード達が魔法の書を覗き込む。そこには、指あきの黒い手袋が描かれていた。横に何か走り書きがしてあるが、インクがにじんでしまっていてまったく読めない。かろうじて判断できるのは、英語で書かれていた一つの単語だった。
 ――CREST――と。
「何?これ。ね、ロード、読める?」
 リリスはちんぷんかんぷんである。まあ英語など、学問が未発達の辺境の地でしか今は使われていないから当然ではあるが。ヴァインもロードを見ている。こちらも読めないようだ。英語は街の名前に使われている事が多いが、どれも数十世紀前に発達して現在に残っているものばかりだ。その意味を知る者は、少ない。未来のリリスなどにいたっては当然もいいところだ。ロードは昔、遺跡探索で生計を立てていたため、英語はかなり詳しい。答えようとすると、横からキャスティが口を挟んだ。
「クレスト…紋、って意味よ。でしょ?」
 ロードは首を縦に振った。
「だな。で、これが?」
 ヴァインに話を戻す。説明を再び始めた。
「……これはレグナスによると、紋章…に近い意味らしい。これについて話がある」
「紋章…クレスト、か…。なるほどな。で?このクレストがどうしたんだ?」
「それだ。この手袋の件に話を戻すぞ」
 言いつつ、ヴァインも右手に手袋をつけた。
「その手袋の甲の部分にある小さな板らしきものに文字に置き換えて焼き付けたもの――それが私達の『くれすと』だそうだ。ちなみにこの手袋は『くれすてぃあ』というらしい」
 ヴァインの話を聞いてじっと手袋――クレスティアを見ていると、それぞれの手の甲の部分にある板のようなものに文字が浮かびあがってきた。リリスのチップらしきものには『炎』『軽』と、ヴァインには『雷』『風』と表示されている。カイトには『視』『武』と、ロードには『光』『真』となっている。そして、ロード、リリス、ヴァインには共通したクレストが刻まれていた。
 …………『希』…と。
「……『希望』のクレスト、ってことか…?」
「ああ…そうだろう。私達に全宇宙の希望がかかっている、という事だろうな」
「………希望…か。がんばんなきゃ、ね」
「……――それでだ。その文字が刻まれたものだが…それは着脱ができる」
「え?てことは、他人とクレストの交換が…?」
「そうではない。紋章のはまっている所より少し指先側に小さなへこみがあるだろう。そこに自分の紋章をはめこむ事で、その紋章の持つ力を大幅に上げる事ができるのだ。おい、そうだな…カイト、貴様の『視』の紋章をつけてみろ。それならそう被害が出ない」
 カイトが言われた通りにクレストを付け替える。ヴァインが紙にすらすらと鏡文字を書く。ヴァインはその紙の裏面をカイトに見せた。
「この紙を見ろ」
「え?でも」
「いいからさっさとしろ」
 ヴァインに言われて仕方なく首をかしげながらカイトが紙をじっと見る。少しして、カイトが大きく目を見開いた。ヴァインが口を開いた。
「何と書いてある?」
「え?んなの、できるワケ」
「少しは黙っていろ、ロード」
 ロードが押し黙る。カイトが紙に見入った。
「えっと…『これが、紋章の力だ』…かな?」
「そうだ。やはりお前にはそれができたか」
「え、え?どゆこと?」
 リリスが目を白黒させている。ロードはだいたいの事は判ったという様子だ。
「クレスティアってのは、人の持つ『特別な力』をクレストとして種類分けして、その中のひとつだけを大幅に強化するんだろ?カイトの人の力を『見分ける』能力を強化したものがさっきの『透視』ってワケだ。違うか?ヴァイン」
 ロードの説明を聞いて、ヴァインは満足げにうなずいた。
「そうだ。同じように私達にもああいう事ができる、という訳なのだ。判ったか、リリス」
「う、うん……わかる。すごいね、この…何だっけ?」
「クレスティア、だよ」
 横からカイトがぽそっと呟く。
「あ、それそれ、クレスティア。こんなのあるんだぁ」
 リリスがしげしげとクレスティアを眺める。指でつついたりピンとはじいたりしている。
「言っておくが、それを普段は絶対に外すな。闘いはいつ起こるか判らないのだからな」
「オッケー。――でね、次はいつごろ来るの?少し練習しなきゃ」
 リリスが左手をきゅっと握る。ロードが確かにな、と呟いた。
「…次の闘いはレグナスから連絡があれば、だ」
「じゃ、それまで特訓だな…やれやれだぜ」
 いかにもめんどくさそうにロードが肩をすくめる。
「その前に、だ」
 ヴァインが立ち上がろうとしたロードを止めた。ロードがまだ何かあるのかと訊くと、ヴァインはおもむろに以前から持っていた大きな手荷物を開いた。
「そうだ。まだある。…これを見ろ」
 そこには、色々な物が入っていた。
 まず、長刀。ヴァインが持っているものと、ほとんど同じモデルに見える。
 次に、指輪。それぞれ大きめの色違いの宝石が埋めこまれている。それが四つ。
 もうひとつは、小さなパソコンのようなもの――いまの地球では最先端モデルの、利き手とは反対の腕につけるリストバンドのような端末だ。が、その裏側には奇妙な文字や模様がありとあらゆる所に描かれている。
「…こりゃ、何だ?」
 思わずロードとリリスが首をひねる。ヴァインが長刀を持って、言った。
「これはライドの遺した資料を頼りに作った『紋章魔法補助用兵器』だそうだ」
「は?」
 チープな回答にロードがそのままあごを落とす。
「これもレグナスの話なのだが、私達がこれまで会得した魔法というものは、すべて基盤にあたるものだったそうだ。実戦では消耗が激しすぎて使い物にならないらしい」
「えぇっ?じゃあ、どうするの?」
「慌てるな。精神力の莫大な消耗を防ぎ、かつ促進させるためには、セキアス独特の技術で作られた『触媒』が必要らしい」
「しょくばい?」
 リリスがさらに首をかしげる。ヴァインは長刀を抜き、うなずいた。
「そうだ。ちなみに、普段扱いなれた物に近ければ近いほど、効果も高い。よって、私達が使っていたものを主に作ったそうだ」
「はぁ……ってこたぁ俺、もしかしてこのリスト・コンピュータ?」
「それの名前は知らんが、とにかくそうだ。つけてみろ。リリスはそこの指輪だそうだ」
「私が?うん、判った」
 リリスは何となく、首をかしげた。
 私が、指輪。多分、『使い慣れたもの』が見当たらなかったのでこうなったのだろう。
 という事は、私にはこういうイメージがあるの?………何だかなぁ。
 色々と思う所はあるが、とりあえずつけてみる。つけた瞬間、意識が遠のいた。
「あ………」
 目の前が暗くなる。そう思うと、いきなり目の前をいくつもの映像が通り過ぎた。
 何かのイメージ。広がり。そんなものが、一気に自分の頭の中に書き込まれていく。
 ――突然、その映像の奔流は止まった。
「……っ!さっきの、何?」
「…リリスもか。何なんだ?さっきの映像は」
「…やはり、か」
 誰にともなく、ヴァインは呟いた。二人が同時に向き直る。
「やっぱりって…どゆこと?」
 ヴァインは一度、深く息をついた。
「――私とて、妙な映像を見た。あれはどうも、この武器の扱い方の基礎のようだな」
「扱い方?あんな一瞬で何を理解できんだよ」
「だから言っているだろう。基礎を学べるのだ。応用は自力で憶えることだな」
「だからだなぁ…」
 ロードはため息をついた。
「言われてみりゃ確かに、あれが使い方の映像だったかもしれねぇよ。でも速すぎて何が何だかさっぱり理解できやしねぇぞ?」
「問題ない」
 やけに自信ありげにヴァインが言った。
「どうやら自分の『深層意識』とやらに眠っているらしい。身体が覚えているはずだ」
「からだが、おぼえてる?」
 リリスがさらに首をひねる。どうも、判らない事だらけである。ヴァインはいつものように憮然としてうなずいた。
「実際に練習してみれば判る事だ。明日からは訓練を始める。以上、解散しろ」
 言われて、散り散りに部屋に戻っていく。ヴァインは自室の鍵を閉め、刀を一瞥した。
「……………」
 無言のまま鞘にしまい、デスクに置く。あとは、普段の生活に戻っていった。
    ――――これからの激動の未来も知らずに………。

ACT4・宇宙を越えた闘い


 ――しばらくの時が過ぎた。ある夜、レグナスからの連絡で一行は集まった。
「もしもし、ロードだ。おっさんか?」
『…レグナスです』
 不機嫌そうに答える。ロードが時計を見ると、まだ一ヶ月先には随分遠い。
「いきなり何の用だよ?一ヶ月にはまだ遠いはずだがよ」
「ロード、レグナスおじさんなの?」
 横からひょいとリリスが通信機を覗き込む。ヴァインもそれについてくる。カイトは横にいたヴァインに事情を説明してもらっていた。
『……ラスウェル軍が地球にやって来る正確な日時が判りました』
「何だって?……ああ、大丈夫だとは思うぜ。…え?……それに関しちゃ問題ない。ちゃんと見分けられる手段が見つかったからな」
 リリス達には会話の内容は良く判らないが、最後のは恐らくカイトの件だろう。そのことを確認する為に連絡をよこしたに違いない。ロードはそのあと少し話をして、通信を切った。ヴァインが通信の内容についての確認をとる。
「…地球人とラスウェル軍の識別に関する事か?」
「ああ、だがそれだけじゃねーんだ。皆、よく聞けよ」
 辺りに緊張が漂う。ロードは少し間を置いて、言った。
「ラスウェル軍が来るのは…恐らくは七月十一日になるらしい」
「七月…十一日、か。今からだいたい二週間後ね」
 一行が沈黙する。それぞれ思うところがあるのだろう。しばらくして、ロードが明るく言った。
「――ま、それまでゆっくり休んでよーぜ」
「…ゆっくり………?」
 ヴァインの眉がぴくりと動く。危機を察したロードは慌てて両手をぶんぶんと振った。
「い、いや、べつになまけよーってワケじゃなくてだな、準備を調えたりも重要だから下手に動くよりはここできっちり体制を立てておけばいいんじゃないかなー、って」
「…………勝手にしろ」
 言い訳を早口にまくし立てるロードに、呆れたと言わんばかりの口調で冷たく言い放つ。ロードは一言はいはい、と返事をして自分の部屋に帰っていった。その背中を見送りながらキャスティがくすりと笑う。
「こんな状況でも…さっぱり変わってないのね」
 どこか楽しげに言って、部屋に戻った。
「じゃあ…私達も部屋に戻ろっか」
「そうだね。でも僕の部屋ってあるのかい?別にどこで寝てもいいけど」
「部屋数は足りてるから。私についてきてね」
「ありがとう。恩にきるよ」
 カイトを部屋に案内していく。それを見て、ヴァインはゆっくりと部屋へ歩き出した。


 そして――七月十一日。決戦の時は、来た。レグナスからの連絡により出現地点もかなり絞り込めている。もとはルークシティで最大の工場だった所の跡地に出て来るはずなのだ。四人は跡地の隅に隠れて様子を見る事にした。作戦は一応だが出来上がっている。
 四人がそこに来てから三十分ほどたっただろうか。突如、辺りに激しい閃光が走った。小声で来た、とヴァインが呟く。そこには、地球のファッションとはかけ離れたデザインの制服らしきものを着た男が二、三十人はいた。
「…どうやらそのラスウェルとやらのようだね。地球人じゃないのは確かだ」
 カイトが呟く。軍隊らしきものの長官と思われる人物が何か指示を出している。
「……手当たり次第に地球人を攻撃する気らしいな。随分と手荒じゃねぇか」
「ロード、判るの?」
「ああ。おっさんにもらったこの通信機には翻訳機能もついてんだ。聞こえるだろ?」
 言われて耳をすましてみる。遠いため声が小さいが、聞こえないこともない。リリスは感心したようにへぇ、と呟いた。
「そんな事はどうだっていい」
 ヴァインが戦闘態勢に入る。それにロード達も続いた。
「……行くぞ。貴様等は避難していろ」
 キャスティとカイトがうなずく。まずはロードがなんでもなさそうにぶらぶらと歩いて出ていく。さっそく見付かったようだ。数人の男達に囲まれてしまった。
「貴様!こんなところで何をしている!」
「え?俺はただ道に迷って…あなた達こそ何してるんすか?」
 とぼけた様子で言う。にわかに男達は苛立った。
「貴様が知る必要はない。なぜなら今ここで死ぬのだからな」
 そういって長官らしき人物が銃口をロードに向けた。引き金を引こうとする。
「…見たこともねえ銃だなあ。やっぱセキアスの文明はすげえな、よお?ラスウェルの軍人さんよ」
 男が動きを止める。焦りと動揺が浮かんでいる。図星のようだ。
「貴様ら…何故、知っている?」
「あんたらが知る必要はねぇな。どうせここで死ぬんだから、よ!」
 ロードのこの言葉が合図となった。ヴァインとリリスが飛び出す。ロードは飛び退き、ヴァイン達のもとへと動いた。
「へっ、残念だったな」
「くっ…第一部隊長官ともあろうものが…ひるむな!全軍、突進!」
 長官が右手を振る。軍が一斉にロード達に向かってくる。兵の持ったブレードがロード達を切り裂いたかと思ったが、すでにそこには三人の姿はなかった。辺りを見回す兵達の背後から声がした。
「ツメが甘いわね、兵隊さん」
 大きな瓦礫の上にリリスが座っている。ちっちっ、と小粋に指を振る。普段とは違う少し挑発的な口調だ。逆上させようとしているのだろう。
「そんなレベルじゃ私達を倒せないわよ」
「何だとっ?女、言わせておけば!囲め!」
 余裕を見せているリリスを兵達がぐるりと取り囲む。
「さあ、どうする?逃げ場もないぞ」
「なんで逃げなきゃならないの?逃げるのはおじさん達の方じゃん」
「…ハッタリが通じるとでも思っているのか?無駄だ」
 リリスが薄い笑みをもらした。勝気な瞳が敵を射る。兵達の動きが止まった。
「おじさん達じゃ遊び相手にもならないわね。こんなに簡単に罠にかかるなんて、ね」
「ワナ、だと?」
 一瞬兵達が後ずさる。が、リリスはそれを許さなかった。右手の甲をかざす。人差し指の紅のジュエルリングが淡く輝いている。
「我の身に寄りし者よ、業火の渦に飲まれよ。かの姿は竜巻の如く、昇りゆく姿は天駆ける竜の如し」
「な、なんだ?」
 兵達がどよどよと騒ぎ始める。少しずつ兵がリリスから離れていく。柔らかに、右手を凪ぐ。指輪からうっすら紅い光の筋が現れ、地面に紋様を描いていく。
「全てを焦がす魔の力を、我に!――炎竜・昇波弾!」
 リリスが鋭く左手を振り下ろす。周囲から激しく炎が巻き上がる。やがてそれは兵達を全て呑み込み、上空へと舞い上がっていった。兵達は炎に吹き飛ばされ、あちらこちらに倒れ伏している。満足そうにうなずき、後ろを振り返った。
「オッケー、もー出てきても大丈夫そうだよ」
「見なくとも判る。あれほど大きな魔法を使う必要はなかったのではないか?」
 ヴァインが忠告しながら隠れていた場所から出てきた。その後ろにロードとカイトが続く。リリスはにっこりと笑いかけた。
「ちょっとしたデモンストレーションってやつよ。でも脅かしすぎたかな?どうだろ、ロード…やっぱりやりすぎ?」
「…んーっとなぁ…まあ、いいんじゃねぇの…?」
 そう答えたもののロードの本心はやはり『やりすぎ』という結論を出していた。カイトと目を合わせて、ぎこちなく笑いあう。
「――それにしても…すごいなあ。こんな大きな規模の力を感じたのは初めてだよ。前から疑問ではあったんだけど、どんな力なんだい?」
「ヒミツ!――ってダメ?」
「え?…いや、別にいいけど」
 思わぬ反応にカイトの反応が遅れた。くすりとリリスが笑う。
「ウソウソ。私達皆ね、魔法使いみたいなものなのよ」
「魔法、使い?それって、どういう」
 カイトが目を白黒させている。ロード達も最初はああだったのだから当然ではあるが。
「んーっとね、私の場合は炎を出したりとかね」
「ああ、そうか!」
 カイトがパン、と手を打つ。びっくりしたロードが慌ててカイトに訊いた。
「どうした?」
「いや、炎って聞いてね。さっきリリスさんから『赤い』力を感じたからね」
「なるほどねえ、色と力がシンクロしてんだろうな、きっと」
「シンクロ……ねぇ?ふーん…変わった力もあったものよね」
 四人が色々と話をしていると、ヴァインがそれを止めた。
「雑談をしている暇はないぞ」
「え?」
「見ろ」
 ヴァインに促されて見た先には、よろよろと立ち上がる数人の兵がいた。何かのボタンを押す。すると、突然地響きがした。
「なっ……何?どうしたっていうの?」
 隠れていたキャスティがうろたえる。ロード達もだ。
「――!退け!」
 鋭く叫ぶ。とっさに跳ぶと、地面が二つに割れた。
「なっ………!」
 割れ目から何かが見える。大きな鉄の塊……機械か?
 それはすぐに姿を見せた。獣…獅子をモチーフにしたかのようなフォルムの機械だ。大きさは大体縦四メートルほどであろうか。一向はぽかんとその機械を見上げた。すると、おそらくは機械の中に乗っているのだろう、隊長の声がスピーカーから発せられた。
『ハハハハハハ!どうだ、我々屈指の汎用機械兵器〈ディアブロ〉は!』
「……ディアブロ…」
 誰にともなく呟く。あんなケタ外れの機械がもし市街地に入ったら大惨事だ。幸いここなら非常に広いため、騒動が起こる可能性も低い。ロードはさっとヴァインと目配せした。
「…あの鉄の塊…ここで始末しておくぞ。街に入られたら状況が悪化する」
「とーぜん。判ってるっての…行くぜっ!」
 言った途端、『ディアブロ』の頭部の機関砲が火を吹いた。思わず物陰に隠れる。
「うおっ……あっぶねぇ」
「馬鹿者、隠れてどうする!背後へまわれ!」
 ヴァインが砲弾の雨の中を突き進む。照準の届かない足元へまわりこむ。手をかざして先制攻撃しようとしたが、予想外のスピードで『ディアブロ』が退く。機関砲が狙っている。舌打ちをして、短く何かを呟いた。『ディアブロ』の四つの機関砲が火を吹く。
 この鉄の塊の銃…大砲と比べれば威力は小さいが、冗談でない速射力を持つ。――だが。
 ――刹那。ヴァインが刀を抜き放ち、まっすぐ『ディアブロ』に突き付けた。
 銃弾が炸裂する。が、それらはすべてヴァインの正面で受けとめられた。水面のように、波紋が広がる。そこには微細な雷光が見えた。ヴァインが防御障壁を張ったのである。
「続け!」
 それだけ言って、ヴァインは横に跳んだ。同時にロードとリリスが飛び出す。小声で、ヴァインがロードに話しかける。
(ロード。私の障壁は長くはもたん。貴様に頼めるか)
(了解。ま、見ててくれよ…軽くしのいでやっからな)
 ロードがキーボードに手をかける。話すような速さでキーを打っていく。
 電源起動。クレストモードα。システムオールグリーン。三次空間展開開始。
 ここまで、僅か数秒。まだ何とかヴァインがしのいでいるが、訓練時のデータからして一分ともたないはずだった。
 やがて、うっすらとした闇色の空間が現れた。その闇はすぐに消えてしまったが、その跡に薄いグリーンの格子――グリッドが見える。これがロードの精神力によって呼び出した電脳的擬似空間――『ヴァーチャル・ゾーン』であった。ロードは更にプログラムを打ち込んでいく。
 防御障壁形成。障壁位置確定。三次空間座標、十四・三九・五二。精神性斥力供給完了。
 ここまで来れば、こっちのものだ。ロードはエンター・キーを軽く叩いた。
 ――プログラム、オープン。
 眼前に光の壁が発生した。銃弾をヴァインの障壁の代わりに防ぎ、叩き落していく。
「よし、これで大丈夫だな」
「ああ」
 たいした感想も漏らさない。刀を降ろし、無表情にヴァインはうなずいた。
『なっ……貴様等、一体ッ?』
 男がうろたえる。まあ、当然ではあるのだが。
 リスト・コンピュータに手をかけながら、ロードはにやりと笑った。
「へっ……ちょいとした手品師だよ」
 言うなり再び、キーを打つ。
 モードをアタックに変更。ターゲット一体に限定、A―狽ニ認識。
 一度プレーンを作ってしまえば、あとは速い。攻撃開始だ。
 辺りの空気が巻き上げられ、紅い髪をあおった。
「――清浄の光は渺茫たる境地にて、全てを司りし神々の加護のもと汝を聖なる地へと導きしものとなるだろう……星辰砕還!」
 空間に魔方陣が描かれる。そこから幾筋もの光が一気に射出され『ディアブロ』へと向かう。が、それらは『ディアブロ』に当たる前に、何かに弾かれた。まるで、空間が壁となったかのようだった。
「……何?」
 思わず自分の目を疑う。試しに、もう一度攻撃してみる。やはり、本体に命中する前に何かに弾かれてしまう。男の高笑いが響いた。
『ハハハハハハ…無駄だ無駄だ!セキアスの科学力の結晶である防御フィールドには貴様等のくだらぬ小手先の技の威力など皆無!あらゆる熱エネルギーを遮断できるのだ』
「…何ですって?」
 キャスティが青い顔で呟いた。馬鹿な。熱エネルギーを完全に遮断するなど、普通不可能なはずなのに。考えられない事だ。あんなものを開発する事が……?その様子に気付いた男が『ディアブロ』の顔をゆっくりとそちらに向けた。
『フフフ…我等の力を甘く見た貴様等の負けだ。何故我等の事を知っていたかは判らぬが、どうせ今ここで死ぬのだ。関係のないことだったな』
 頭部の機関砲がキャスティを狙う。恐怖で足がすくんだ。ロード達は自分から遠すぎる。今から来ても間に合わない。男は震えるキャスティを見て楽しんでいるようにも見えた。
「い………いや…………」
「キャスティッ!逃げろっ!」
 ロードの叫ぶ声。ダメ…体が、動かない。涙声でその場にへたり込む。あと数秒後には、自分は間違いなく殺されているだろう。そんな事を考えて、ぐっと目を閉じ、身をこわばらせた。その瞬間、キャスティの体を誰かが持ち上げた。
「え……?」
 その刹那、左から激しい銃声がした。その音はどんどんこちらに近付いてくる。目を開くと、そこにはカイトがいた。銃弾から逃れ、物陰に隠れる。キャスティを素早く降ろし、ここにいるんだ、と短く告げてすぐに飛び出していった。
「――ロード君!キャスティさんは無事だよ、安心して!」
 カイトが叫ぶ。ロードはぎょっとした表情で振り向いた。
「そりゃよかったが…なんでてめーが出て来てんだ!やられるぞ!」
 切迫したロードの忠告に、カイトはにっこりと笑って返した。
「僕だって…闘えるんだよ。っていうかこの場合、ヘタすると僕の方が役に立つかもね」
「…何?どういう事だ、説明しろ」
 いつのまにか後ろにいたヴァインが眉をひそめる。
「今は時間が無いから簡単に言うよ。さっき『熱エネルギーを遮断』って言ってたから。僕は基礎運動能力には多少の自信があるんだ」
「――――成程。そうか…しかし、貴様がどうするというのだ」
「ああ。アレをブチ破る策があるのかよ?」
 二人はその一言だけで納得した。熱エネルギーを遮断。つまり、ロード達の魔法による攻撃はほとんど無効化される訳だ。だからもっと物理的な攻撃であれば、という事だろう。が、『ディアブロ』の装甲をいかにして破るかが問題である。どう見てもロケットくらいではつぶれてくれそうにない。
「うっし…ま、試しに」
 ロードは懐から一丁の銃を取り出した。頭部に二度、叩き込む。しかし傷すらつけることはできなかった。そうしている間に、『ディアブロ』の銃撃が再び襲った。紙一重でヴァインが障壁を張る。
『フッ…物理兵器を使用するまでは良かったが、所詮はそこまでだな。くだらん手品がどこまで耐えられるかな…?』
 ゆっくりと機関砲を向ける。ヴァインがロードに囁きかけた。
(ロード……先程の銃を私によこせ)
(…え?なんで)
(いいから、早くしろ。時間は無い)
(…ああ、いいけどよ)
 あまり釈然としない様子で素早く銃を手渡す。ヴァインはそれを構え、一呼吸おいた。
(これは確か『べれった』…やや改造した『びんてーじもでる』だな。という事は……)
 少し前、ロードの家で読んだ軍用書に記されていたものだ。私も横文字にずいぶん慣れてきたものだな……と呟いてみる。まあ、今はそれもどうだっていい事だ。
 この銃の勝手はよく判らないが、大丈夫だろう。舶来ものの銃器に似たものがあった気がする。標的は二十メートル先、三七度の仰角。狙えないことはない。
 銃の特徴を考え、角度を調整する。集中して、狙いすまして…発砲。一発だけだ。硬い装甲に阻まれるかと思ったが、違った。機関砲のうちのひとつが爆発を起こした。煙が上がり、『ディアブロ』がよろめく。
「………よし。命中」
 ヴァインが呟く。どうやら、あの小さな砲門内に銃弾を撃ち込み、誘爆させたらしい。しかも内部での弾薬庫は共有していたのだろう、他の砲門からも火の手が上がった。
「す……すげぇ…あんな超高難度の狙撃をよくもまあ、一発で」
 ぽつりと呟く。ヴァインはつっけんどんに造作も無い事だ、とだけ返した。
「感心している場合ではない……来るぞ」
 油断なく身構える。『ディアブロ』は狼狽したように数歩後ずさりしたが、やがて叫びだした。
『貴様等…許さん、断じて許さんっ!たかだか地球人の分際で小癪な…なめたマネを……全員、死ねえっ!』
 『ディアブロ』の胸部が開き、中からミサイルらしきものが撃ち出された。まずい。あれほどの物は今の力では…防ぎきれない。
「リリス!援護しろ!」
 呼ばれて、慌ててロード達と並ぶ。なにごとかを呟くと、ブルーの指輪が光った。円状に障壁が広がっていく。ミサイルが爆発する。爆風が、障壁を突き破った。
「ちっ……!」
 爆風に煽られ、四人は吹き飛ばされた。キャスティのいた物陰のあたりで地面を転がり、止まった。一行がそこに隠れる。幸い、先程の爆風が予想外に大きかったのだろう。『ディアブロ』もこちらを見失っている。とりあえずは各自の容態を小声で確認する。
「ちっくしょう…やられちまったな。みんな、大丈夫か?」
「…ああ、無事だ」
「うん…なんとか。あんまり大きなケガはしてないよ」
「僕もだ。多少かすり傷を負ったくらいだね」
「そっか。ならいいな。でも……」
 ロードは安堵の息をついた。緊張した面持ちで考える。
 さっきの衝撃で、一度作った『ヴァーチャル・ゾーン』のバランスが崩れてしまった。再構築にも多少時間がかかる。使い道が多種多様ではあるのだが、今ひとつ安定感に欠けるというのが大きな欠点でもあった。
 だが、一体どうすれば……。
「…カイト、さっき言ってたヤツなんだがな。勝算はあるのか?」
 言われて、カイトは首を横に振った。
「判らないよ。でも、何かあるはずなんだ」
 とはいえ、ロード達の障壁が破られる威力の兵器を持っている事が判ったのだ。状況はかなり不利である。
 ふと、ロードはキャスティが自分のバッグを探っているのに気付いた。
「キャスティ…何やってんだ?」
「………これだわ」
「は?」
 何を言っているのかが判らない。首をひねるロードを無視して、キャスティが立ち上がった。強気な表情からはもうさっきのような恐怖に満ちた状態はうかがえない。
「とにかく。アレがこっちを見付けるのはすぐだわ。センサー類がある限り、私達は簡単に捕捉されちゃうもの」
「…だからどうしろってんだ?何かあるのか?」
「ええ」
 キャスティは即答した。
「至高の科学を尽くした機械兵器…なら、その探知センサーは非常に敏感なんでしょ?それを逆手にとってやるのよ」
「――なるほど!そうか!」
 ロードがパン、と手を叩く。言っている事の意味が他の者には全くわからない。ただ、そこで待ってな、と言われたのでその通りに従う。ロードはキャスティから手のひらくらいの球体を受け取った。見た感じは大きめの石に見える。
「探知モードを元に戻して、切り換えるまでが勝負よ。……いい?」
「ああ。俺達の予想を越えた逸品じゃねぇのを願うばかりだな」
 軽口を叩いて苦笑するロードを見て、キャスティはくすりと笑った。事態が切迫していればしているほど軽い態度をとるのはロードの癖だ。ちらりと物陰から見てみると、混乱から立ち直った『ディアブロ』がこちらを探しているところだった。
「今しかないわね…行くわよ」
「ああ。――おい、目と耳をふさいどけよ」
「…え?どゆこと、ロード」
 その時、『ディアブロ』がこちらを向いた。どうやら発見されたようだ。すかさず二人は飛び出し、それぞれ持っていた球体を投げつけた。
『………?』
 男がその球体を凝視する。視覚センサーの感度を上げる。石だ。それを見て、男はせせら笑った。
『はっ…とうとうトチ狂ったか?まったく面白い事をしてくれるもの……?』
 二人が目と耳をふさぎ、うずくまった。その瞬間、石が破裂した。閃光とけたたましい爆音が響く。しばらくしてから二人が立ち上がると、『ディアブロ』の各部から白煙が上がった。
「――よし、成功!」
「………さっきのは、何だったんだい?」
 よろよろとカイトが出てくる。キャスティが控えめにVサインをして言った。
「私が改造したスタン・グレネードよ。センサー類はほとんど全滅したはずだわ。ふふ…先端技術に対抗するための兵器だけあって、流石にローテクな兵器への対抗策はなかったわけね」
 カイトが感心したのと呆れたのと半々にそっか、と呟いた。ふとそこで、ロードがいないことに気付く。
 ロードは『ディアブロ』の真正面にいた。何かまたデータを打っている。
 コンセプトチェンジ、グリーン。モードをタイプR―Cに変更。
 何気なく、ロードから目を離す。『ディアブロ』からもうもうと白煙が上がっていた。
 煙?じゃないな……水蒸気?
「…………見えたね」
「ああ。頼めるか?」
 にやりと笑うロードを横目で見て、カイトは勝ち誇るように微笑んだ。
「やってみせるよ。――悪魔の名を持つ兵器への打開策を、ね」

 『ディアブロ』のコクピットでは、各部のダメージが矢継ぎ早に報告されていった。
 『視覚センサー、可視許容量を超える光度により損傷。感度九五パーセント減』
 『聴覚センサー、過度の刺激を受けたため損傷。一時的な修復までに五八〇秒を要します』
 『各部センサーの異常に伴い、弊害が発生。関節駆動部分への情報伝達率五〇パーセント減退。排熱効率四七パーセント減、状態はきわめて危険』
「わかってるが、くそっ」
 男は苛立った。どうやら何世代も前の兵器――確かスタン・グレネードとかいったはずだが――を使用されたようだ。センサー類の感度を上げすぎていた自分にも非があるが、あんな骨董品相手にしてやられたことに怒りを覚えた。もともと『ディアブロ』はかなり危険なバランスのもとで成り立っていたため、ひとつ崩れると次々と悲鳴を上げてしまう。熱エネルギーを遮断できるうえに装甲の厚さも半端ではないが、このままではいつ自滅してしまうか判らない。しかも自分自身の視聴覚も半分やられている。
「あいつら………残さず、殺してやる。そうさ、皆殺しだ。クク……」
 狂気じみた笑みを浮かべ、男は赤いプラスチックカバーを外し、中のボタンを押した。

「――だから、少し僕の囮になってくれないかな」
 短く説明をしたカイトに二人は無言で頷いた。
「そーいや、ヴァインとリリスは?」
「……何とか、無事だ。ここにいる」
 ヴァインがゆっくりとリリスを支えながら出てくる。
「そっか。しばらくそこにいててくれ」
 そう告げて、ロード達は走り出した。まず、キャスティが小さな炸薬式の手榴弾を『ディアブロ』の足元に投げる。爆発。爆風が一歩手前で舞い上がる。ヴァインが後ろから声をかけた。
「何をしている。そういう攻撃は無駄だったろうが」
「じきに判るわよ!だからじっとしてなさい!」
 キャスティが叫ぶ。『ディアブロ』がこちらを向き、割れた声で叫んだ。
『貴様等…………死して詫びるがいい!喰らえっ!』
 言うなり、『ディアブロ』の頭部の――ちょうど口にあたる所が開いた。中にある細い砲門に光が集まる。
「――まずい、散れっ!」
 ヴァインが叫ぶより前にそれぞれがばっと跳び、散開する。太い光の筋が発射された。直前まで一行のいた地面に直撃。大きな爆発が起こった。
「うわああぁぁぁっ!」
 障壁は…間に合わない。ロードがとっさにそばにいたキャスティの前に立つ。爆風に呑み込まれた。吹き飛び、どこかに激しく背中をぶつけた。全身に痛みが走る。
「がっ…」
 手足から血が流れている。背中のダメージも深刻なようだ。意識が朦朧とする。
「早く…何とかしてくれ…カイト……!」
 キャスティの姿は…ここからは確認できない。他の奴等も無事だといいのだが……。
 ロードはそのまま意識を失った。

 カイトは『ディアブロ』の下部に潜り込んでいた。水蒸気がもうもうとたちこめていて、かなり暑い。読み通りだ。カイトは手榴弾を水蒸気を発している所に放り込んだ。小さな爆発。カイトは素早く背後に回りこんだ。しばらくすると、『ディアブロ』の動きが止まった。それを確認して、ロード達のいた場所に戻る。そこには小さなクレーターのように地面がえぐれ、負傷したヴァインとキャスティが血を流しながら立っていた。
「どっ…どうしたんだい?他の皆は…」
「判らん…未知の兵器だ。してやられた……リリスは足を負傷し休んでいる。そこで、な」
 ヴァインがちらっと後ろを見る。リリスが積み上げられた廃材にもたれかかっている。カイトはほっと息をついた。
「…で、ロード君は?」
 キャスティが静かに首を振る。
「…判らないわ。多分、無事でしょうけど」
 俯いて答える。ヴァインがそれを無視して構えた。
「今は希望的観測をしている場合ではない。とにかく、現状を打破するのが先決だ」
 キャスティが強くヴァインを睨む。何かを言おうとして口を開きかけたが、悩むような素振りを見せた後それをやめた。深呼吸をひとつして、うなずく。
「……………そうね。とりあえず『ディアブロ』の排熱機関は破壊できたはずよ」
「間違いない。あいつはオーバーヒート寸前のはずだ。僕がやってきたからね。これならフィールドを張る余裕なんかもうないはずだ」
「そうか。では、やれるのか?」
 特に何の感想も漏らさず、ヴァインは確認をとった。キャスティがおもむろにさっき使った手榴弾を取り出し、投げつける。地面に当たり、爆発。爆風が『ディアブロ』の足に当たったには当たったが、何の損傷も与えられない。
『な……貴様……?』
 男が狼狽する。ヴァインが一歩前に出て、長刀に手をかけた。
「――雷鳴の中にて汝が悪しき心は滅するであろう」
 刀を滑らかな動作で抜く。長刀を巻くように雷が発生する。『ディアブロ』が慌てて照準を合わせた。またあれを撃たれれば…危険だ。
「我が手が導きし雷は闇を裂く刃となりて汝を撃つだろう。失われし力を、今!」
 場の空気が変わる。巻き上がる気流がヴァインをとりかこんだ。漆黒の髪が揺れる。
『くっ…し、死ねぇっ!』
 半ば自棄になった男がもう一度さっきの武器を発射しようとする。それより早く、ヴァインが空気の軽さで地面を蹴った。
「――雷光・爪牙閃!」
 一閃。その軌跡を拡大させたように雷が『ディアブロ』を襲う。その一撃は、『ディアブロ』の厚い装甲版を大きく切り裂いた。
『グ……グオォォ…』
 『ディアブロ』のあちこちがショートしている。頭部が爆発を起こした。それに連鎖するように、次々と爆発が起こる。
『コ……タシ、ガ……、バ……』
 ノイズに声が呑まれる。そして…大爆発。すさまじい轟音とともに、『ディアブロ』は炎に包まれた。
「…ふん。貴様自身で弱点の糸口をくれていては苦労はない」
 肩で息をするヴァインが燃えさかる『ディアブロ』に背を向け、低く呟いた。
「……………語るに落ちたな、ラスウェル軍よ」
 それを聞いてようやく、二人はほっとした笑みをこぼした。キャスティはすぐにはっとして、ロードを探しにいった。カイトもそれを手伝おうとしたが、やめた。
「…僕がいても、邪魔になるだけだよね」
 含みのある笑いをもらし、怪我をしているリリスのもとへと向かった。

 ……瞼が重い。とりあえず…何とか生きてるみたいだ。でも…あれほどのダメージをうけていては、しばらく動けはしないだろう。強引に目を開ける。
「ちっ…ハデにやられちまったなぁ…」
 試しに、手を動かしてみる。不思議な事に動くどころか、痛みまで消えている。思わず自分の腕をしげしげと眺めた。
「あれ?おっかしーな……ま、いっか」
 どうやら傷はそう深手ではなかったのだろう。遠くに高く燃え上がる炎が見える。どうやらうまくやってくれたようだ。折角用意した『あの策』も、今回は必要なさそうだ。安心すると途端に眠くなってきた。開いた目を再び閉じる。疲れたし、ちょっとくらい休んでもいいだろう。
 と、その時。誰かの足音が聞こえた。こちらに駆け寄ってくる。
「ロード…ねぇ、ロード!無事?」
 この声は…キャスティだ。肩をつかみ、軽く揺さぶる。苛立たしげに言った。
「…あ〜?――ったく…疲れてんだからちっとは寝かしてくれよ〜……」
 その瞬間、ごすっ、と頭を殴られた。思わぬ攻撃に頭を抱えるロード。
「っってぇ〜……何しやがんだよ、キャスティ!」
 体を起こしキャスティにくってかかる。キャスティは涙目でくすくすと笑っていた。
「……よかった………」
「…………え?」
 普段の調子でしれっと返されるとばかり思っていたロードは思わず固まった。そんな事は気にせず、キャスティは歩き出した。
「ほら、皆が待ってるわよ。行きましょ」
「あ…ああ、判った」
 慌てて後をついていく。行ってみると、怪我をして足に包帯を巻いているリリスとそれを支えてあげているカイト、かなりの負傷がありながらも涼しく立っているヴァインと相変わらずある意味ちぐはぐな一向が待っていた。
「…肝心な時に何処に行っていた」
 開口一番、これである。ロードはため息をついた。
「……あっちのボロい機材が積んであるトコだよ。しゃーねぇだろ?真正面から喰らったんだからよ」
 弁解するようにぼやく。ヴァインはふん、と言ったきり追求を止めた。一瞬の事だったのでおそらく誰も気付いてないだろうが、ロードはキャスティをかばったがために気を失っていたのだろう。ヴァインとて、それは同じだった。実を言うと、ヴァインもリリスをかばったために大ダメージを負ったのだった。爆発による火傷より、吹き飛んだ地面などの破片による裂傷がひどかった。実際、立っているのがやっとなほどの怪我をしている。そう考えて、ヴァインは首をひねった。
「………おい、ロード」
「ん?」
 なんでもなさそうに振り向く。すでに元気さが戻っているようだ。
「貴様…何故そこまで負傷が少ないのだ?傷がすでに塞がっているぞ」
「え?マジ?」
 ロードは自分の手足を見回した。確かに、裂傷の跡がいくつもあるが、どこからももう血は流れていなかった。
「障壁など張る余裕はなかったはずだ。何故軽傷ですんでいる」
「――さーな。ラッキーだったんじゃねぇの?」
 いっそ軽々しく言う。ヴァインはため息をついて歩き出した。
「……まあいい。行くぞ、時間は無い」
「大丈夫だろ?どーせしばらくラスウェルの奴等は来ねーよ。どうやらあっちは時間を操作するっつー手段はねーみてーだからな」
 地球を攻撃するなら、時間を戻してレグナス達が動き出す前にやってしまえばいいのだ。それをしないという事は、そういう手段が無いと考えていいだろう。ヴァインは当然だ、とうなずいた。
「それはすでにレグナスから聞いている。あの魔法陣はあそこにしかないものらしい」
「あ、そうなのか。――じゃ、なんで?」
「大馬鹿者が。レグナスと連絡を取らねばならないだろう」
「あ……そっか」
「じゃ、早く戻らなきゃいけないね。大丈夫?歩ける?」
 カイトがリリスの肩を叩く。頼りなげにうなずいた。
「ん……多分、もうだいじょぶ。ありがと」
「でもよ…街のやつらに見つかるとヤバくねーか?」
 不安な表情を見せるロードにリリスがだいじょーぶ、と笑いかけた。
「一度街の中に入ったら平気。外の人たちがここに入ってこれるとは皆思ってないから。ロードが知ってた時よりお気楽になってるんじゃないかな、この街の人たち」
「はは…お気楽、ねぇ」
 なんともリリスらしい言い方である。ロードは苦笑した。
「ならとっとと帰るぞ」
「あ、ちょっと、一人で勝手に行かないでよ」
 ヴァインがロード達を無視してさっさと歩いていく。その後を慌てて四人が追う。
 こうして、ロード達の最初の戦いは終わった。


「――ディアブロ、やられちまったみてーだな、おい」
 薄暗い部屋でディスプレイを見ていた茶髪の若者が伸びをして言った。隣にいた老人がほう、と呟く。
「…オーバーヒートを誘って一撃、か……なかなかやりおるではないか」
「…ククク……まあ、所詮は欠陥だらけの鉄屑だ。やられようとも無理は無い」
 二人に背を向けた男は冷笑を浮かべ、目にかかる銀髪を払いのけた。
「何はともあれ、データはとれた。大体熱エネルギーのみを遮断したところで使い物になる訳がないだろう」
「まー、そうだがよぉ……あっけねぇにもほどがあるぜ?」
「もしセラキス戦に投入しておれば一分ももたぬ。フィールド実験用のスクラップにしてはよくやったほうじゃろうて」
 どうやら、はなから期待していなかったようである。若者はため息をついた。
「…ったく、負けるのが判ってんならなんであんなもん送り込んだんだよ?」
 銀髪の男が若者のほうを向き、椅子に座りなおす。にやりと唇の端を歪めた。
「判断力と戦力の確認のためだ」
 言ってから、男は感想を漏らした。
「機転も少しは利くようだ。しかしこの程度では…まだ暇を持て余しそうだな」
 男の言葉に、老人はまったくじゃのう、と息をついた。
「…まあ、おいおいそれらしくなればよかろうに。時間は残念じゃが随分と余っておる」
 その時、扉を開く音がした。深い赤の髪の女性が入ってくる。
「…首尾はどうだ。解析は進んでいるか」
 女は首を横に振った。
「…現在調査は難航しています。データの解析はほぼ不可能とみられます。やはりもう半年ほどかけて解放させるしかなさそうですが」
「そうか。とはいえ、出来る限り解析を試みるよう言っておけ」
「了解しました」
 無機質に言って部屋を出ようとすると、若者のつけていたデジタル時計がピピッ、と鳴った。ちょうど昼の十二時だ。
「お、メシの時間か」
「そのようじゃな。しばし休憩とするかのう」
 老人が座っていた椅子を離れる。
「では、ディルガムよ。少し話でもしながらとしようか」
「そうだな」
 ディルガムと呼ばれた銀髪の男は手元の端末の電源を落とした。
「あ〜あ…っと。久々に寿司でも食いてー気分だぜ」
 眠そうにあくびをしながら言う。ディルガムは肩ごしにそれを見て、ククッ、と喉の奥で笑った。
「――そうだな……食わせてやってもかまわんが?」
「え?どーゆーこった、それ」
 疑問に思いながらも期待のまなざしでディルガムを見る。ディルガムは一枚のプリントアウトを見せた。
「いい加減さぞ体がなまっていることだろう?私からの思いやりだとでもとってくれたまえ。ククク……」
 それには日時と手順が短く書いてあった。地球へ行く計画のようである。
「暇なら行けばいいだろう?どうせここにいてもやる事などありはしないのだからな」
 若者の表情が明るくなる。小さくガッツポーズをする。
「よっしゃあ!久々に暴れるぜぇ…。――な、ディルガム。こいつも連れてっていいか?」
 若者が隣の女を指差す。ディルガムは興味なさそうにうなずいた。
「…『それ』か。どうだっていい、好きにしろ。監視は代わりに私がやっておく。いいな」
「…………了承しました」
 女が辛そうに俯く。それを無視するように、ディルガムは老人と部屋を出た。二人がいなくなったのを確認してから若者は女の背中をばん、と叩いた。
「あんなこと、気にすんじゃねーぜ?いちいちヘコんでてもラチがあかねーってもんだ」
 女はむっとした表情で若者を睨んだ。すました様子で返す。
「……脳天気なあなたに言われても何の足しにもならないわ、レガル」
「なんだよ、そのリアクション?かっわいくねーなー」
 もう一度じろりと若者――レガルをにらむ。レガルはおっかなそうに両手を上げた。
「おっと、そう怖い顔すんなよ。ジョーダンだっての」
 女はレガルにとりあおうともせずにプリントアウトをレガルから取り上げた。非常に端的に、内容が書かれている。
 地球時間午後五時以降であればいつでも可能。転送後、地下の時空転移室にて――
「……久しぶりね…地球ってのも」
 誰にともなく呟き、女は部屋を出た。

ACT5・在るべき理由は


 リリスの家に帰った一行はレグナスと連絡を取った。新しく二人仲間に加わった事と勝利を告げると、レグナスはヴァインに替わるよう指示した。ヴァインはレグナスといくらか話をした後、通信を切った。その後家で食事を作る事になったが、ヴァインとロードは用事があるといって自室に戻っていった。
「はは…なんたって仕事がたまってるからな」
 元気のない様子で部屋に戻っていく。キャスティはそれを楽しそうに見届けていた。
 キャスティ、リリス、カイトの三人は台所で料理をしていた。今はカイトが野菜をきざんでいる。異様な速さで野菜がうず高く積まれていく。包丁さばきには目をみはるものがあった。横でリリスが拍手する。
「カイト、すっごーい。はやーい」
「僕はずっと自炊してたからさ。それにしてもこの星は道具にバリエーションがあるし質もいい。僕のいた星じゃ包丁なんかももっと重かったから…。あ、キャスティさん、じゃがいも切ってくれるかな」
「ええ、いいわよ。…にしても、すごいわねぇ…私もけっこう料理やってるけどそこまでいかないわよ?――あ、そうだ。なんであなたって日本語話せるのかしら?」
 キャスティが何となく疑問をぶつけてみる。カイトは思い出すようにして話し出した。
「そうだね…僕が地球に来たのがだいたい今から十年ほど前なんだ。そこから必死に勉強して憶えたんだ」
 言ってからかすかに俯き、消え入りそうに囁く。
(…十年前、か……………)
 脳裏に忘れかけた映像が浮かぶ。炎に包まれた街。蔑む様に笑いながら家々を焼き払う男。銀色の髪。自分を取り巻く人々の顔。言葉。
 ――せめてお前達だけでも――
「――努力家ねぇ…カイトって。尊敬するわ」
 キャスティの言葉ではっと我にかえったカイトは何とか返答した。
「――そ、そうかな?それほどでも、ないと思うけどね」
 その様子を多少怪しく思いながらも、キャスティは話を続けた。安堵の息をつく。
 それぞれが慣れた手つきで料理をしながら話を続ける。各自担当の料理を作り終えたころ、リリスがスープ用の鍋に火をかけた。鍋の前にリリスが立ち、その背後にヒマになったキャスティとカイトが立つ。ふと思い出したように、リリスが口を開いた。
「――ねぇ、キャスティさん」
「何?」
「キャスティさんって、ロードの仕事仲間なんですよね」
「え?うん、まぁね」
「どんな仕事してるんですか?」
 これまでそう言えば、聞いていなかったのだ。仕事仲間だとしか聞いていない。
「えっとね…私達、プログラマーしてるのよ」
「ぷろぐらまー?」
 リリスの頭上にでっかい『?』マークが浮かぶ。
「パソコンとかのプログラム――ソフトみたいなのを作る仕事よ。私達、これでも結構有名なのよ?リリスちゃんは『神の双璧』って聞いたことあるかしら」
「あ、あります。って……もしかして、それって」
「そ。私達二人のことよ」
 鼻にもかけず、キャスティはあっさりと肯定した。驚きでリリスがきょとんとする。
 『神の双璧』とは、知らない者がいないほどの有名なコンピュータ系統の仕事をしていた人だ、というのがリリスの認識であった。事実、世界の最先端ソフトは大半が『神の双璧』の所属していた大企業――『インテリジェンス・カンパニー』、通称I・Cの製品である。言われてみれば、ロードが来ている上着にI・Cのマークがプリントされていたような気もする。
 未来に名を残している、偉大な会社。その立役者でもあり、数百年と名を残す伝説の情報工学者。それが、ロード達なのだ。
「へぇぇ…ロードって、すごかったんだ」
「そ。見かけと行動によらず、ね」
 その言い方に、思わずくすりと笑ってしまう。キャスティはでしょ?と冗談めかしてにっこりと笑いかけた。
「というワケで、私達の商品をよろしくっ!」
「あはは…宣伝してどーするんですか。そもそも時代違いますよ」
 二人で鈴を転がすように笑う。ほどなくして、鍋がことことと煮立った。カイトが火を止め、ひょいと鍋を持ち上げた。
「さて、こっちはできたね。僕はこれ持っていくけど…キャスティさん、ちょっとしたサラダでも作っておいてくれるかな」
「いいわよ。なんならデザートもつけてあげるけど」
「そりゃいいね。じゃ、お願いするよ」
 楽しそうに笑ってきびすを返し、カイトがキッチンを出る。リリスが皿を並べ、準備を調える。キャスティも早速、冷蔵庫から野菜と果物を取り出した。


「へー…なかなかイケるじゃねぇか。これ作ったの、誰だ?」
 ロードがスープを食べながら言う。
「えっと…スープ作ったのがリリスさんで、他は僕とキャスティさんだけど」
「なるほどねぇ。リリス結構料理上手いんだな」
「そうかな?」
「ああ。俺としちゃ絶賛だね」
 リリスがえへ、と照れたような笑顔になる。ロードはきれいにスープをたいらげ、いつどこから持ってきたのか判らないが、ご飯に納豆をかけてかきこんでいる。
「やっぱ自炊してると上手くなるもんなのかなぁ?自然によ」
「うーん。どうだろ……って、あれ?ヴァイン、どしたの?」
 ふと、リリスがヴァインの異常に気付いた。他のものはすでに食べ終わっているのに、スープと向き合って黙りこくっている。どことなく表情が切迫しているようにも見える。
「どうしたんだ?ヴァイン。ちょっと残すなんて珍しいじゃねーか」
 実際、これまで見た事のない食事――つまりは洋食であるが――でもヴァインはしっかり食べていた。まあその度、珍しいものだとか変わっているなとかコメントを漏らしたものだが。
 とにかく、食べ残した事は今回が初めてだ。
「…………」
「体調でも悪いのかなー………あ」
 ヴァインのスープはだいたいは食べ終わっている。よく見ると、残っているものは少量のスープとあるひとつの種類の食べ物だけだった。それを見て、一同は口を揃えて間の抜けた声で言った。
『……………ニンジン?』
 確かに、人参ばかりがあからさまに残されていた。
「………」
 変わらず、ヴァインは難しい顔で黙っている。現状をかろうじて理解しきったロードが、ぷっと笑いを漏らした。
「も、もしかして、おめー……ニンジン食えねぇ、とか?」
「…ふん」
 ヴァインはふいとそっぽを向いた。一同は互いに目を合わせた。
 数秒間の沈黙。直後、一斉に大爆笑が起こった。
「あっはははははあなたが?ニンジン嫌い?なにそれ、子供みたいじゃないの!」
「ははは…こ、これは予想できなかったね」
「お…お腹いたいよー」
「は、ははは…キャラ合ってねー!」
 それぞれが思い思いのリアクションをとる。ロードにいたっては、床をばんばんと叩き転げ回っている。
「……」
 ヴァインの眉がぴくりと動く。一同がひとしきり笑い終えたあとも、ロードはひとり笑いつづけていた。
「ヴァインとニンジン……あ…合わなさすぎ……って、お?」
 目の前に、ヴァインがそびえたっている。怒りに満ちたドス黒いオーラをまとっているような気がして、非常に悪い予感がした。下から見上げる状況なので、なおのこと、怖い。
「あ…あの〜……」
 ひきつった笑顔のロードと、ひたすら無表情のヴァイン。何が起ころうと別段疑問に思わないようなシチュエーションだ。
 ヴァインは鋭く拳を振り下ろした。掛け値なしの全力で、である。脳天を強打し、その勢いで床に額を思いきりぶつける。
「がっ…!」
 流血どころか頭蓋骨が陥没しててもおかしくないような鈍い音がした。
「うわ……大丈夫かい?」
 カイトが思わず口元をおさえる。これまでの闘いで、ヴァインが相当のウデであることが確かなのは知っている。その全力攻撃が直撃した…気絶なり何なりしているかと思ったが、しぶとくもロードはよろよろと立ちあがった。
「いっっってぇぇぇ〜!ジョーダンになってねぇぞ?これ……死ぬほどいてぇ…」
「……ふん。自業自得だ」
 思い切り、とってつけた言い訳くさい。が、これを追求するとさらに殴られそうなのであえて黙っておいた。
「だからってよぉ…なんで俺だけなんだよ?」
 あえてそれには答えず、ヴァインは横目でロードを睨んだ。何気に凄味のある声で、短く言った。
「……とにかく。片付けるぞ」
 言われるままにロードはこくこくとうなずいた。実のところ冷静さを欠いていたヴァインは、必死で笑いをこらえる他の一行の様子には気付くよしもなかった。


 ――あれから三日が過ぎた。特にこれといった指示もなく、この日は各自自由行動という事になった。
「…ふう……これで、よしっと」
 ロードは端末の電源を落とし、息をついた。
 キャスティに頼まれていた仕事が、全部終わったのだ。五ヶ月分と言われていたが、なんと一月たたぬ間にやりとげてしまったのだ。
 つい先日入手したリスト・コンピュータがその原因だ。これは精神力を糧にイメージとプログラムによって動くものであるが、イメージがプログラム作成を助長するため、労力が少なくて済む。何せ、判っているのに時間がかかるという部分のプログラム作成が、簡単な指示さえ与えれば考えた通りに一瞬でプログラム作成が終わる――ロードは仮にこの手法を『マインド・プログラミング』と呼んでいる――というのは、過去のプログラマーの抱えていた悩みを全て吹き飛ばすほどのものであったからだ。
 これのおかげで、ロードは構造を考えて基軸を打ちこむだけ、という作業で難なく与えられた仕事をこなしていった。何と言っても助かったのは、このリスト・コンピュータの機能のひとつである『レイ・ケーブル』という、精神斥力たるものによってこのコンピュータと対象をリンクするという機能が機械にも対応していたことである。
(…レグナスのおっさん、感謝するぜ)
 使用用途が何やら随分と間違っている気もするが、ロードはこの時初めてレグナスに深く感謝した。
 とはいえ、ロード本人にも何故こんな真似ができるのかはさっぱり判らなかった。
「……わっかんねーなー」
 ロードが気のぬけた声で言う。ゆっくりと起き上がり、一つ息をついた。まあ、魔法なんていう非科学的なものが根本にあるのだからそれもまた当然か。
 知らない事。あって当然だけど、どうしても知りたくなるのが人間なんだよなぁ……。
 あまり訳の判らない独り言を呟く。ふと、ロードは何かに思い当たって顔を上げた。
(忘れてたけど…ヴァインって、記憶喪失なんだよな)
 ヴァインは記憶がない。とはいえ、これまで江戸時代で五年も生活してきたのである。だというのに、ヴァインがどういった生活をしていたのかさえさっぱり知らない。これは仲間として、ある意味失礼にあたるのではないだろうか…?
 またヒマを見て訊いてみてもいいだろう。ロードはうんうんとひとりでうなずいた。
(そうだよな。仲間だからな。別に古代歴史の深淵を垣間見れるだとかそういう不純な動機じゃないぞ、うん)
 実際、思い切り該当している。もしかしたら現代の歴史の根本が覆るかも…そういった期待がロードにはあった。ロードとて、『知らない事を知りたがる』人間の一人であった。
(しっかし……)
 今更なのだが、ヴァインの事を何も知らなかった。あんな得体の知れない奴とよくこれまでやってこれたなぁ…と思う。
 そういえば――ロードはふと思った。ロードはヴァインだけでなく、リリスやカイト達の事もほとんど知らない。まあ、カイトを知らないのは宇宙人だし仕方がないとも言えなくともない。会ってからもそう長くはない。が、リリスはもうひと月以上一緒にいるのに、未来から招致されたということしか判っていない。
 ……ん?ってコトは、逆に考えると…。
「リリス達も…俺の事知らねぇじゃねーか!」
 よくよく考えてみれば、自分も『得体の知れない奴』のうちの一人なのだ。
 そろそろ昼食の時間である。ちょうどいい。リリスとカイトからもいろいろ聞いておくか。ロードはそう考えながらぶらぶら居間へ向かった。

 しばらくして一行は昼食を食べ始めた。キャスティは用事があると言って部屋に残っている。ロードが話し始める前に、リリスが口を開いた。
「ね、ロード。ロードってこれまではどんな生活してたの?」
「え、俺?なんで」
 思わぬ質問にロードは驚いた。リリスは慌てて続けた。
「え、あ、その、私、ロードのことあんまり知らなかったから、いっしょにいるんだから知っとかなきゃって」
 どうやらたまたまロードと同じ考えだったようだ。少し安心してロードは話し出した。
「俺は小さい頃からずっと一人でグランドシティにいたな。いちばん最初に見たのは憶えてる中ではアパートの部屋の中にいたけど、それより前は思い出せねーんだ。確か近所の人の紹介で孤児の施設に入って勉強して、何年かしてそこを出たな。んで、大人に混じって遺跡の発掘作業を手伝ってたなぁ」
「え?遺跡発掘って…そのころ君はいくつだったんだい?」
 カイトが口を挟む。カイトが知っている遺跡発掘作業とは体力と知能の二つが必要なものだ。子供などにできるものではないはずだが。ロードはあっさりと意外な返答をした。
「年齢はいつ生まれたかが詳しく判らねぇからよく判らんなあ…。でも初めて施設に入った時を三歳だとすると七・八歳くらいだったと思うぜ。コンピュータを使って全体の地図を作ったりしてたな」
「コンピュータか…なるほど、そういう手があったんだね。忘れてた」
「ああ。それで、今からだいたい五年ほど前にコンピュータの仕事に専念し始めて、コンピュータ専門学校の教員免許を取った」
「ええっ?ロード、そのころまだ子供だよ?なのに、なんで?」
 リリスが驚いて声を上げる。本来ならそのころは初等部――はるか昔に小学校と呼ばれていたものだ――が終了するかどうかという所だ。なのにロードは教員免許を取得したと言っている。状況によっては学生の労働は許可されているが、資格の取得は許可されていないはずだ。
「ああ、そりゃな…コンピュータ技術の専門学校に通ってたんだが、一応は特待生レベルの力量があったんでな。初等部と中等部はとばして、高等部も一年で卒業したからだ」
 ロードの言葉に一行は目を丸くした。現代の学校というものは義務教育がなくなり、さらにジャンル分けされて――経済学や国語学、世界史などにである――、ある一つの分野が一定以上の成績ならば、その分野でのみ社会で仕事をする事が許されている、というのは各自が知っていた。が、これはあまりにも極端な例ではないだろうか。一気にスキップを重ね、たった一年でたいていは十年ほどかかる学生過程を終えているのだ。これが『神の双璧』の力だとでもいうのだろうか。ロードは話を続けた。
「それから少しして、コンピュータのネット内でのデータ管理の仕事を始めたな。最近はウデに自信のあるハッカーが多いんでなぁ…今じゃこれがメインとも言えるくらいだぜ」
「すっごーい、ロード」
 リリスが小さく拍手をする。ヴァインが口を開いた。
「――そういえば、どこかに会計を頼まれていなかったか?」
「ああ、そーだった。いろんな会社や店の会計とかをやってんだ。副業だけどな」
「へえ…。僕にはとても真似できないなあ」
 カイトがロードを尊敬の目で見る。ロードはそれをちらっと見て、リリスに言った。
「――で、リリスはどんな生活をしてたんだ?」
「…私?私はずっとファギムっていう街で暮らしてたの。お父さん達は私が小さい頃、仕事で遠くに行っちゃったって近くに住んでた人が言ってた。それからがんばって勉強して、去年高等部を卒業したの。今は家からけっこう近いとこにあるお店で働いてるの」
「そっか。なあ、何の分野を卒業したんだ?」
「私は国語の音声科ね。って…それ考えると、昔からずっと教育のしくみって変わってないんだね」
「みてぇだな。感心、感心…国語科は難関だったろ?」
 少なくとも、ロードにとっては冗談ではなく難しい所に見えていた。制度が同じなら、難度もそう変わりはしていないだろう。
「うん。私は合格ラインにギリギリだったんだけど」
 リリスがえへ、と照れ笑いする。それにつられて、ロードやカイト達も思わず笑みがこぼれる。
 突然、ヴァインがガタン、と席を立った。辺りが一瞬沈黙に包まれる。
「……ヴァ、ヴァイン?」
 おそるおそるリリスが問いかける。ヴァインは低く鋭い声で短く言った。
「………部屋に戻っておく」
 そう言ってヴァインはくるりときびすを返し、居間を出た。
 ――しまった。やっちまったぜ。ロードは額に手をあてた。記憶を失っている奴の目の前でこういう話をするんじゃなかった、と今更ながらに後悔した。それを思うと、まだヴァインにこれまでの生活なんてのを訊く前で助かった、とも思った。
 あいつ、普段は堂々としてるからなあ。
 ロードが一つため息をつく。ヴァインは強く生きているように見えるが、ヴァインも人間なのだ。本当の自分が見えないのだから、周りの思い出話などを聞いたら苛立つに違いない。焦りもあるだろう。リリスが心配そうな目でロードを見つめる。
「…あいつのコトだ、大丈夫。ほら、さっさとメシ食っちまおうぜ」
「…………うん」
 その後、ロード達は静かに食事を終えた。

 ヴァインは部屋の中で一人で横になっていた。ぼんやりと天井を見上げる。
 最近の自分は何かおかしい、と思う。前までは、思い出だとか記憶だとかはただの自分を取り戻すための手がかりにすぎないと考えていた。自分が何者かさえ判れば、思い出自体には何の興味もなかった。それが、今は。
 自分は最初、雨の降る街はずれに立っていた。自分がどこに帰ればいいのか、そして自分が誰なのかが判らなかったので、記憶喪失だと判った。必要最低限の知識はあったので、人に対し聞き込みを続け、自分に対する情報を集めた。自分がいるのは江戸という所であること。戸籍が無いことから自分はとりあえずここの人間ではないということ。どうせ名乗る名など必要もなかったので、引っ越してきたと偽って使われてなかった古い長屋を借り、生活していた。自分の事を考えるのは落ち着いてからだとして。
 自分のいでたちから、自分が侍であることは容易に想像がついた。自分は街中で起きた些細な騒ぎで実力を見せつけ、徳川家に仕える侍としての仕事を得た。
 そして数年が過ぎ、ようやく江戸での生活にも慣れ、買い集めた本での勉強もおおかた終わり、自分に関する手がかりを探し始めた。が、半年ほどの調査の結果、江戸には何の手がかりも無いことが判り、江戸を出ることにしたのであった。
 ――ヴァインが記憶を失ってから五年目。自分が唯一知っている街だが、未練は全く、無い。ここを出ても自分が侍であるぶん職には困らないので、不都合もなかった。準備を終えて、街を出ようとしたその時だった。見知らぬ男に名前を聞かれたのだった。つっけんどんに、名乗る名など持ち合わせていないと言ったら、こう言われた。
 ――全てが貴方を必要としているのです――
 そして光に包まれ――セキアスにやってきた。そこでロード達と出会い、特別な『力』を手にした。すべてはあの時、狂い始めたのだ。
 何故、自分が人にあらざる力を持っているのか。本当の自分とは何なのか。自分が選ばれた理由はなんなのか。
 これまでに持っていた、自分を知ろうとすることとは何かが違う。昔の自分を取り戻そうという感覚を持っていたのに。今は何か、そう――混沌の渦の中に一人で立っているようで、自分が何者なのかを知ろうとする事を拒むかのように、その渦はヴァインを呑み込んでいく。そんな妙な感覚が心の底にある気がする。
 今、ここにいる自分。ヴァイン・B・ステアという名前。この自分は、かりそめの存在。本来は存在しない、偽りのもの。……そういえば。ヴァインはふと、自分の右腕を天井の明かりにかざし、その手を見つめた。
 …私はこれまで…私自身の事を考えたことがあっただろうか?
 これまでずっと、『本当の自分』の事しか考えていなかったのだ。それをヴァインは当然の事だと思っていた。今の自分に意味はない、と。ヴァインという名前も、どうだっていいものだった。ただの識別信号だ、と。
 何故、今になってこんな事を考えるようになったのだろう。どうせ私は、本当の自分を取り戻したら消えてしまうものなのに。――消える?私が…?
「…!何を考えているんだ…私は。それを望んでいたのではなかったか」
 ヴァインが自嘲するように呟く。今の私が消えてしまうのを恐れているとでも?…馬鹿な事を。そんな感情は弱者が持つものだ。まさか…私は私でいたいと思っているのか?…下らない。そんなはずはない。そんなはずは…。
 しかし、ヴァインがその考えを否定しようとすればするほど、その思いは確かなものだと認めざるをえなくなっていった。
 いつからこうなったのだろう。ヴァインが瞳を閉じると、ロードとリリスの姿が映った。
 ――おい、ヴァイン!何情けねぇコト考えてんだよ!
 暗闇の中でロードが叱咤するのが聞こえる。
 …黙っていろ。貴様等には関係ない。
 ――ううん、関係あるよ。ヴァインは仲間だもん。
 …仲間?
 ――ああ。大切な仲間だよ、ヴァインは。
 …私のような偽りの存在が、か?このまがいものが?
 ――そうじゃないって。ヴァインはヴァインなのよ。
 …私は……私?馬鹿を言うな。今の私自身に何の価値がある。本当の私こそが…。
 ――ふざけんな!ヴァイン、おめーを認める仲間は、今、ここにいる!
 …私を、認める…?
 ――そうよ。私達といるのは『ヴァイン』なんだよ?
 …私自身に、価値がある、とでも言うのか?
 ――少なくとも、俺達にとっちゃかけがえのない仲間だがな。
 …そうか。
 ――あとは、てめー自身の問題だ。そうだろ?ヴァイン・B・ステアさんよ。
 気付けば、暗闇の中に自分が立っていた。左右で二人が笑いかけてくる。自分を大きく変えたもの。自分を認めてくれる存在。『私』がいることが許される場所。ヴァインはかすかに、強気に笑った。
「…馬鹿に世話を焼かれるほど落ちこぼれてはいないと思っていたがな」
「あーっ、ひっでぇ!ヴァイン、そりゃねぇだろ」
ロードが派手に俯く。リリスがまあまあ、となだめた。
「本当の事だろう」
「……口の悪さは変わんねーのな」
「…何か、言ったか?」
「いーや、なんでも」
ヴァインはそれ以上追求しなかった。追い払う仕草をする。
「さっさと帰れ。遊んでいる場合ではないだろうが」
「――ヘイヘイ、わっかりましたよ。じゃ、またな」
 苦笑しながらもロードがきびすを返す。二人が闇の中から消えた。
 ――笑ったことなど…初めてではないだろうか。
 私は、変わってきている。再び目を開き、右腕を見つめた。『希』の紋章が、心なしか輝いている様に見える。私の中にある…希望。ヴァインは暗闇の上を見上げた。
 ――本当の私よ。せめて、この闘いが終わるまでは、私でいさせてもらうからな。
 小さく呟いて、ヴァインは瞳を開いた。その瞳に、揺るがぬ信念をともして。
 私は、もう、逃げはしない。私を必要とする者が、どこかにいる限り。
 それこそが、私がここに在る理由なのだから。
 ――と、その時。レグナスにもらった通信機の音がリリスの家中に響いた。ヴァインは飛び起きて、自室を出た。
 いつもと変わらぬ、『ヴァイン・B・ステア』として。


 ヴァインはロードの部屋へと走っていた。ふと、クレスティアを見る。さっきのあれは、この『希』の紋章の見せた幻だったのだろうか。…まあいい。とりあえずはロードの部屋に行かねば。ヴァインは部屋の扉を無造作に開けた。
 ロードの部屋には、すでに四人が集まっている。ロードが通信機を手にしていた。
「レグナスからの連絡か?」
「ああ、そうみたいだぜ。――もしもし、ロードだ。…ああ、了解。……わーってるよ。大船に乗ったつもりでいろよ?」
 冗談めかして言った後、ロードが通信を切る。通信機を机の上に置き、強気に言った。
「……どうやら、派手に一戦あるみてーだぜ」
 ――派手に、一戦。それがラスウェルとの戦闘のことだとは、容易に想像がついた。つまり、次の闘いの連絡が入ったのである。一行は緊張した。
「…日時と場所は?」
「…明日、午後五時。前と同じ場所だ」
「同じ場所…ですって?」
 キャスティが怪訝な顔をする。
「なんでまた…デメリットばっかりじゃないの?……いや…という事は、何かひとつでもメリットがあるってわけよね。トラップか何かかしら?」
「いや、理由は単純らしーぜ」
 考えこむキャスティに、ロードは肩をすくめた。
「どーも、転移フィールドがあそこにしかねぇんだとよ」
「あ、そうなの?」
 予想外にお粗末な回答に拍子抜けするキャスティ。
「ああ。……で、一番大事なのが」
 一呼吸開けて、おごそかに告げる。
「上手くいけば、今回が最後の闘いになる」
「………どういう、事だ」
 ヴァインが手近な椅子に座る。
「――今回の作戦で、ラスウェル軍は幹部のうち二人を派遣するんだ。そいつらが軍の勢力の大半以上を抱えてるっつーんで、こっちに来てるうちにケリをつけてみる、っておっさんが。ま、そのぶん俺達の闘いもハードにゃなるだろうがな」
「ふぅん…この非常識な生活もここまで、ってことね」
「ま、運が良けりゃな」
 ロードが苦笑して肩をすくめる。キャスティはそうね、と笑い返した。ロードは席を離れ、伸びをした。
「ってなワケで…今日はもう休むように、だってよ。明日は頑張ろーぜ」
「うん!がんばろっ」
 リリスが微笑み、元気よくうなずく。
「よし。じゃ、解散!」
 ぞろぞろと一行が部屋を出る。ドアが閉まり静かになったところで、ロードは息をついた。茶でも淹れようかと思い振り返ると、まだキャスティがいた。
「お?どした、キャスティ」
「いえ……ちょっと、ね。話がしたくって」
 はにかみながら答える。ロードは首をかしげた。
「ねぇ……私に、何ができるかしら」
「………………はぁ?」
 拍子抜けした声をあげる。しばし考えて、もしかして、と呟いた。
「あれか?クレスティア使って、ってことか?なら無理だな。負担がでか過ぎるからよ」
「…違うの」
「え?」
 キャスティはかすかに俯いた。
「……私、ずっと、悩んでたの。何だかんだいって、足手まといになってないか、って」
「は?そんなワケねーだろ」
 ロードはすぐに否定した。
「ほら、ディアブロ戦でもよ。キャスティのおかげで勝てたよーなもんじゃねぇか」
 キャスティは変わらず俯いている。ぐっと小さな手を握って、話し出した。
「……でも、私は…あなたの、あなた達の領域に踏み込めないの。だから…結局力には、なれなくって…それ、が…くやし、く…って……それで……それで………」
 ぽたぽたと涙をこぼす。ロードは狼狽した。
「キッ……キャスティ…?」
「迷惑なんだって…わかってる……でも、私……あなたといっしょにいたい、って…」
 首を振り、涙を抑える。手でぬぐい、哀しそうに微笑んだ。
「…馬鹿よね、私。わがまま言って…今回が最後かもしれないんでしょ?だから…今度は邪魔しないわ。頑張って…行ってらっしゃい」
 ロードは絶句した。何をどう言えばいいのかが判らない。
 キャスティは、傷ついている。苛立っている。自分が、『力』を持っていないことに。限界があることに。そして…俺の力になれないことに。それを抑え、俺のために微笑んでくれている。
(あいつ……)
 自然と、胸の奥が熱くなっていくのを感じた。思わず目が潤みそうになり、首を横に振る。息をついてから、キャスティの肩にぽん、と優しく手を置いた。
「――キャスティ。今日はもう寝て、明日の準備をしてくれな。寝不足なんかになったらシャレになんねーだろ?」
 キャスティが意外そうに顔を上げる。ロードは強気に笑った。
「おっさんの話によっちゃ、今度来る幹部ってのは相当なウデらしい。でもそれに自信を持ってるんだか、兵はきわめて一般的。たいした装備は持ってねぇんだとよ」
 ぽかんとして話を聞くキャスティ。ロードは構わず話し続けた。
「――が。俺達の障壁をブチ破る特殊金属のブレードを持ってやがるんだとよ。俺達だけじゃ流石にそいつらとまとめて渡り合うのはキツいんだよな」
 びしっとキャスティを指差す。強気な笑みはそのままに、面白そうに言った。
「一般兵の掃討…やってくれるよな?」
 ぱあっとキャスティの表情が明るくなる。微笑んで、うなずいた。
「もちろん!私にできることなら何でもするわよ」
「――じゃ、もう準備にとりかかってくれ。さーって……暴れるぜぇ?」
 背を向けて、冗談めかして言う。キャスティはくすくすと笑った。
「…ねぇ、ロード」
「ん?」
 何気なく振り返るロード。キャスティはそれを、ふわっと抱きしめた。
「キャ……」
「………………ありがと」
 ぽつりと呟く。ロードは呆然と立ち尽くした。優しく、柔らかな抱擁。地球に戻ってからは幾度となく見た、これまでにない表情。行動。とくん、とキャスティの鼓動が聞こえるような気がした。顔をロードの肩にうずめる。
「キャスティ……」
「ロード……」
 甘い、吐息のような声。二人がゆっくり目を合わせる。
 ――と、その時。ドアをノックする音が聞こえた。二人揃って思わずびくっとする。ほぼ反射的に二人は離れた。
「――ロード、いる?あのね、ちょっと聞きたいことあるんだけど…入っていい?」
 リリスの声だ。二人は同時に苦笑いしてから、平静を装った。
「――ああ、いいぜ。カギ多分開いたままだからよ」
「うん」
 リリスがドアを開ける。中ではロードとキャスティがぎこちなく別々のソファーに座っていた。きょとんとした目で、キャスティを見る。
「キャスティさん…何やってたんですか?」
「え?私?そりゃ…ちょっと今度の質問とかをね」
 さらにぎこちなく、曖昧に答える。リリスは特に気にしていない様子だった。
「今度の?もしかして来るんですか?危ないですよ」
「そのくらい、いいの」
「…え?」
 キャスティは即答した。晴れやかな笑顔で笑いかける。
「確かに私にあなたたちみたいな力はないわ。でも、私にもできることはあるはずでしょ?だったらせめて……」
 キャスティはふっと憂いのある表情を見せた。
「皆の役に立ちたいの。どんなに危ない目に遭っても。皆の笑顔が、見たいから。セキアス…だっけ?あっちで一緒に頑張りましょ、リリスちゃん」
 すっと右手を差し出す。リリスは内心で呟いた。
 ……強いんだ。この人は。
 臆する事を知らないのではない。恐らく、これまでにも様々な恐怖と直面すた事があるのだろう。そして場数を踏むにつれ、その恐怖に立ち向かう力を身につけたのだろう。危ない事に首を突っ込みたがる、世話の焼けるパートナー――ロードとともに。
 そこまで考えてから、リリスはきゅっと握手をした。その手は暖かく、そして柔らかだった。リリスは冗談で、意地悪そうに笑った。
(みんなのため、ですか。それって特定の誰かのためじゃなくて、ですか?)
 耳元でぼそっと呟く。キャスティは顔を真っ赤にして反論した。
「なっ…そっ、そんなわけないじゃない!」
「ふーん?ほんとですかぁ?」
 意味深な含み笑い。キャスティはますます赤くなった。
「も……もうっ!だから違うってばっ」
「…?おい、どーしたんだ?」
 ロードが訝しげに二人は一瞬、じっとロードを凝視した。
「…………?」
 思わぬリアクションに、一歩後退する。二人はお互い何となく目を合わせ、くすりと笑いあったのであった。

ACT6・第二の決戦


 そして――次の日。一行は前と同じ場所で待機していた。二度目ともなるとこちらが待ち構えている事くらいは承知のはずだったが、とりあえずは奇襲を防ぐためにも隠れておいた。午後五時、二分前。通り抜ける風が肌寒い。一瞬、眩い光が辺りを覆った。
(来た……!)
 ロードが呟く。前回と同じ服装の兵達と、茶髪の大柄な若者に赤黒い髪の女がいる。おそらくはあの二人が幹部なのだろう。兵の数はざっと…百、といったところだろうか。
 あれで、大半…?
 ロードは奇妙な疑問を抱いた。まあ、多分そうなのだろう。機械化の進んだセキアス文明のことだ。ラスウェル軍が少数精鋭でも何の不思議もない。
「さって…無事着いたな。とりあえずメシでも食いてー気分だぜ」
「そんな時間はないわ。任務を遂行するのが最優先よ」
 あくびをする若者を女がたしなめる。ヴァインが目配せした。
(………行くぞ。私に続け)
 錆びた柱にぴたりと身を寄せ、様子を見る。
「っつってもよぉ…この街けっこー広いぜ?探すとなるとホネじゃねーかよ」
「その必要は無い」
「!」
 慌てて若者が振り返る。ヴァインを先頭に、一行が並んでいた。
「へぇ…てめーら、自分から来るなんてなかなか感心じゃねぇかよ」
 その言葉にはまったく反応せず、一歩前に出る。
「私達の事を知っているか……やはり前の部隊は偵察用だったのだな」
 おそらくは『ディアブロ』からの映像を通して、自分達の情報を収集したのだろう。若者がほう、と呟いた。
「なかなかできるみてーだな。が…俺の部隊にはたしてどこまで通用するかなぁ?障壁とやらをブチ破れるほどの剣術部隊だからな」
 どこか自慢げな若者の口調からはそれがハッタリであるとは考えにくい。事前にレグナスから提供してもらった情報とも一致している。が……。ヴァインは訝しげに眉を寄せた。
「何故そのような事をわざわざ私達に教える。情けのつもりか?」
 微妙に殺気立つヴァインを見て、若者は肩をすくめた。
「ちげーよ。その方がフェア、ってもんだろ?俺はきたねー勝ち方なんざしたくねぇな」
 若者が構える。自分の身長ほどもある長剣だ。
「さてと…俺様と闘おうってヤツはどいつだ?」
 挑戦的に言う。少し考える素振りを見せてから、答えた。
「どうだっていいだろう?私達は貴様等を倒す。それだけで十分だ」
 若者がにやりと笑う。
「…笑えねー冗談だな。ならとっとと……やっちまえっ!」
 若者が大声を張り上げる。一斉に兵が襲いかかった。身構える一行。そこに――
 眼前で、爆発。どちらも、呆気にとられている。一行と兵の間に、何かが投げ込まれる。再び、爆発。
「ほらほらぁ!かかってきなさいっ!」
 威勢のいい声がする。キャスティだ。ロードとちらりと目を合わせる。
(あいつらの相手、してきて。私だけで十分よ)
(ああ。でも爆撃で巻き込むのだけは勘弁してくれな)
 二人は笑いながらうなずき、まわりこむように走った。一行もそれに続く。追おうとする兵の前に、爆発が起こった。思わず立ち止まる。その間に、一行は若者達のいる所へ行ってしまった。振り返ると、両手に手榴弾を持っているキャスティがいる。しかも、荷物満載の鞄を背負って。おそらく、ああいう兵器類がいくらでも入っているのだろう。
「ロード達の邪魔したら……許さないわよ」
 鬼気迫る表情ともとれるその顔を見て、兵達は戦慄した。
(背を向けたら…殺される)
 幾度もの実戦で死線を何度も経験している兵達でさえ、そう思った。部隊長らしき男が、うろたえながらも言った。
「と……突撃っ!まずはあの武装した女を排除せよ!」
 一気に突っ込んでくる。キャスティは余裕の笑みをもらし、右手の手榴弾を投げつけた。地面に着弾するとともに、閃光。最前線にいた兵がもれなく昏倒していく。
「かまうな!進撃!」
 指示通り、突進してくる兵達。笑ったまま、腰のあたりにつけていたスイッチを手に取る。嫌な予感がしたのか、兵が立ち止まる。にっこりと笑いかけた。
「残念。もうちょっと早かったらね」
 スイッチを押す。地面から、大きなネットが出てきた。事前に埋めていた、巨大なものだ。あっという間に兵は捕らえられ、もがいた。どういうつくりかは判らないが、どんどんきつく締め上げていく。そこに、キャスティが大きめの手榴弾らしきものを取り出した。ためらわずに投げつける。爆発は起こらなかった。かわりに、液体が兵に降り注ぐ。
「な……何だ、これは!」
「――さあ?それはいいとして…これは何でしょうね?」
 懐から何かを取り出す。スタンガンだった。上機嫌に解説を始める。
「――そのネットは非常に電気を通しやすい特殊なワイヤーでできてるの。で、さっきの液体はそれをさらに促進させるため…ようは、電気を流しやすくするためのものね。だいたい皆、浴びてるようね。それじゃ…」
 つかつかともがく兵に歩み寄る。悲壮感に満ちた兵の必死の形相を見て可哀相に、と呟いてから薄く笑った。
「心配しないで。ちょっと改造して、威力を八倍にしてるだけの普通のスタンガンよ」
『やめてくれぇぇぇっ!』
 兵の叫び声を無視して、キャスティは全員まとめて『通電』させた。自分がもたらした成果――惨禍とも言えるだろうが――を見て、満足げにうなずいた。
「あとは………と」
 キャスティはゆっくりロード達のもとへと歩き出した。


(私とロードは男を、リリスとカイトは女を。いいな)
 移動中に指示を出す。一行はうなずいた。多少開けた場所に出る。若者が腕組をしていた。待ちくたびれたと言わんばかりに息をつく。
「ほぉ…大勢来たじゃねーか。おもしれぇ、やってやるよ」
 足元に突き刺していた長剣を引き抜く。瞬間、一行が二手に分かれた。若者は値踏みするようにロードとヴァインを見た。
「へぇ、てめーらか。ま、せいぜい俺様を退屈がらせねーでくれな」
 若者は楽しそうに舌なめずりをして、長剣を構えた。
「最近運動不足でなぁ。ストレスがたまってんだよ…っ!」
 若者が突進してくる。左右に散開して斬撃をかわす。若者の縦斬りが空を切り、地面に直撃する。アスファルトにひびが入り、砕け散った。
「――おっと。自己紹介がまだだったよな」
 余裕の笑みを見せながら、若者は二人を交互に見た。
「俺様の名前はレガルってんだ。黄泉まで大切に持っていけやぁっ!」
 再び、突進。ロードに向かってさっきよりやや速いスピードで向かってくる。左に回避。追ってくる。横凪ぎに長剣が振られる。
「ちっ…これなら、どーだっ」
 あと一歩で斬られるという時に、レガルの足元の地面が爆発した。
 このくらいの小技なら、わざわざ『ヴァーチャル・ゾーン』を展開するまでもない。接近戦での回避策としては有効だった。
「おっ…?」
 わずかな瞬間、レガルがバランスを崩す。素早くロードは離れ、間合いを取った。
 レガルは数秒間考えこむ素振りを見せ、ぽんと手を打った。
「あぁ、これが例の魔法ってヤツな。ったく、地味に小賢しいってんだよ」
 悪態をついて苦笑する。この事態を――命のかかっている戦闘をレガルが楽しんでいるのは明白だった。
「軽口を叩くヒマがあるとはな。驚きだ」
 背後で小さく呟く声。ヴァインが振りかぶっていた長刀を振り下ろした。レガルは特に驚きもせず、ひょいと長剣をかざして受けとめた。
「……非力だねぇ。これだから優男ってのは」
 くくっ、と喉の奥で笑って、レガルは力任せにヴァインを吹き飛ばした。なんとか受け身を取り、転倒を防ぐ。ヴァインはさっと移動し、ロードの背に立った。
 その瞬間、レガルはロードが何やらぶつぶつと言葉を発していることに気付いた。ロードを中心に、妙な格子模様の何かが張り巡らされている。そしてその手には、光が集まっていた。
「…?――まさか!」
 反射的にレガルが飛び退く。それより早く、ロードは腕を引き絞った。
「残念。ちょいと遅かったな、レガルさんよ…喰らえ!」
 右腕を龍の顔のようなものを象ったワイヤーフレームがとりまく。ロードは開いていた掌をぐっと閉じた。
「――フラッシュ・ファングッ!」
 瞬間、ワイヤーフレームが光で満たされた。一斉にレガルに襲いかかる。やったか――そう思ったが、レガルは不敵に笑った。
「っおぉらぁぁぁぁっっ!」
 吼えると同時に、乱暴に長剣を振る。剣に当たった光は霧散し、消えた。
「げっ…マジかよ?」
 レガルがすかさず、カウンターにかかる。が、その瞬間、何かに気付いた。
 自分の背後に、刀を振りかざしたヴァインがいた。
「なっ……!」
 バカな。そう思ったが、声にはならなかった。
 さっきまでこいつは、ロードとやらの後ろにいたじゃねぇかよ――
「遅い」
 それだけ言って、ヴァインは刀を大振りに振り下ろした。レガルの背が斜めに裂ける。ぐらりと身体がよろめき、膝をついた。ふと見てみると、ヴァインはまだロードの後ろにいた。レガルが驚愕し、目を見張る。
「な……じゃあ、後ろのこいつは一体……?」
「私以外に誰がいる」
 背後から、凛とした声が告げた。ロードのもとへ悠然と歩いていく。ロードの後ろにも、やはりヴァインがいる。今度こそレガルは悲鳴をあげた。
「どっ…どーなってやがんだよっ」
 ヴァインが、二人いるのだ。
 レガルを斬ったヴァインが、持っていた布で血を拭う。その後勝ち誇ったように言った。
「ふ…貴様もまだ、甘いものだな」
 ヴァインがキンといい音を鳴らして、長刀を鞘に納める。それが合図となっていたかのように、ロードが手元のコンピュータを操作した。
 すると、ロードの後ろにいたヴァインの姿が、忽然と消えた。
「闘いとは、力ではない」
 怜悧な眼差しをレガルに向け、威圧するように言った。
「――戦略だ」
 ロードを一瞥して、上出来だった、とだけ言う。ロードは毎度、とだけ返して笑った。
 これまでに見たモノや事象を、そっくりそのままコピーする。『真』のクレストで扱う、唯一にして多岐にわたる特殊な魔法。
 データ・インストール――彼はこう呼んでいた。
 レガルの顔が驚きとダメージで深刻になる。その瞬間、腕時計らしきものがアラームを鳴らした。レガルが強気ににやりと笑う。
「へっ…今回は、俺様の負けだ。だがな、次会ったときゃ容赦しねーぜ」
 言うなり、服のポケットを探る。小さなカプセルを取りだし、ひょいと投げる。それは光を放ち、レガルの姿を一瞬にして消し去ってしまった。
「あ…………」
 唖然として、声も出ない。逃げられたと認識するまでに多少の時間がかかった。
「ロードー!大丈夫―?」
 遠くからキャスティが駆け寄ってくる。呆然と立ち尽くす二人を見て、キャスティは首をかしげた。
「…どうしたの?敵は?」
 状況を理解する二人が、何となく気まずそうに目を合わせた。

「……どうして、君のような人が、ラスウェルに…?」
 呆然とカイトは呟いた。女はしばし黙考したのち、含み笑いを漏らした。
「…なるほど。あなた、あのシェリクス星の生き残りとやらね?」
「……判ったかい?ま、セキアスの宇宙学なら当然といえばそうなんだろうけれど」
「ま、そんなところね」
 面白くなさそうに女は答えた。会話の内容がまったく掴めないリリスが一人、完全に取り残されている。
「ど…どゆこと?カイト」
 パニック気味になりながらもカイトの服の袖を引っ張る。それに答えるかのように、カイトは女に質問した。
「君は…地球人だね?」
「そういうこと。というより、今回来てるのは皆そうよ」
「えぇっ?」
 思わず大声をあげる。女は面倒くさそうに説明をした。
「――私は地球人で、ラスウェル軍を統括してるの。理由は話すまでもないわ。そのくらいでいい?」
「う…うん」
 状況を飲みこめないまま、何となくうなずく。カイトが感心したようにへぇ、と呟いた。
「解説をくれるとは随分と余裕があるんだね。後悔しても、僕達は責任は持てないよ」
 言うなり、持っていた棒を構える。
「相手が何であれ…僕達は、闘わなきゃならないんだから」
「そこんとこは私も同じよ。しばらく遊んであげるわ」
 女がおもむろに腰につけていた剣を抜く。ぴんと張り詰めた殺気が漂う。それに呼応するかのように、カイトが一歩前に出た。女は薄く、強気に笑って剣の切っ先をカイトに向けた。
「私の通し名は『ブラッディ』。いざ、勝負よ!」
「容赦はしないよ…僕の名前はカイト・ヴァレイスだっ!」
 二人が同時に動く。すれ違いざまに互いに一撃。刃が噛み合い、金属音がこだまする。瞬転し、もう一撃。やはり受けとめられる。素早く間合いを取り、静止する。
「ふぅん…ま、流石はヴァレイス家ってとこかしら?いい動きしてるわね」
「君こそ。さっき少しは本気出したのに…やるね」
「褒めても何も出ないわよ」
 ゆっくりと間合いを詰める。その瞬間、ブラッディが何かに気付いた。ばっと後ろに跳ぶ。カイトの背後で、リリスが両手を胸の前でクロスさせていた。
「我に眠るは紅き奔流、眼前にてその力を見せつけん」
 薬指にはめられた青の指輪が輝く。リリスは両手を前に突き出した。
「バーニング・ウォール!」
 つい先程までブラッディがいた位置に炎の壁が現れる。カイトはびっくりして振り返った。悪戯っぽくリリスが笑っている。
「どう?すごいでしょ」
「う……うん」
 今もなお、巨大な炎の壁はごうごうと燃え盛っている。唖然として、カイトは何とか相槌を打った。
(ふう…うまくいった)
 リリスは安堵の息をついた。
 このジュエルリング、用途は広そうだが扱いが難しい。クレストによってそれぞれ四色ずつの効果、つまりは八種の用途に応じてクレストをつけ外しし、どのリングを使うかを瞬時に判断せねばならない。
 人差し指から順に、赤、青、緑、黄となっていて、それぞれ攻撃、防御、補助、特殊と分けられている。最初は扱いに戸惑ったものだが、もう随分と慣れたものだ。
 リリスが満足げに炎の壁を見た、その時。突如、炎に乱れが生じた。
(…?)
 リリスが首をかしげる。何がどうなったのか一瞬理解できなかったが、炎が検圧で一刀両断されたのである。カイトが驚きに顔を歪める。
「げ……」
 炎の中を、ブラッディが突っ切って突進してきた。
「甘いわっ!」
 即座に、カイトに斬りかかる。とっさに跳躍。僅かに腕にかすり、浅く傷を負う。深く蒼い鮮血が流れた。
「な…なんてデタラメな……」
 たたみかけてくるブラッディを必死にしのぎつつ、カイトはこめかみに脂汗をかいた。単純な力押しなのだが、その威力とキレが半端ではない。その後のラッシュも、パワーとスピードを完璧にかねそえているからこそできる、脅威の荒業だった。
 僅かに、カイトがスピードで負けた。バランスを崩し、よろめく。その瞬間を、ブラッディは逃してくれなかった。
「はぁっ」
 大振りの袈裟斬りを、カイトは回避できなかった。胸が大きく裂ける。カイトは地面に倒れ伏し、動かなくなった。
「カッ……カイト」
 慌ててリリスが駆け寄る。傷は深く、みるみる血溜まりが広がっていく。流れる血の蒼さとともに、リリスの顔が蒼白になった。すぐ側まで寄ると、浅く断続的な呼吸が聞こえるのがせめてもの救いだった。
「まだ闘いは終わってないのよ」
 冷たく言い放つ声が頭上から聞こえた。見上げると、少し離れてブラッディが油断なく剣を構えていた。アラームの鳴っていた腕時計を少し気にしたが、それきりだった。
「あ……あ…………」
 震える声は、言葉にならなかった。オレンジの瞳が焦点を失い、足がすくんで動けない。
 闘わなきゃ……でも………。
 それ相応の魔法を使うには、詠唱を必要とする。が、ブラッディは近接型の速攻戦を得意とする。自分が詠唱をする隙など、与えてはくれないだろう。詠唱なしで使えるものと言えば、小爆発と青のリングでの障壁くらいだ。だがブラッディは一度、炎の壁を突き破っている。対抗策にはなりそうにもなかった。
 ――私は、勝てないの?
 一瞬頭に浮かんだ考えを、リリスはなんとか保っていた自我で押しとどめた。かぶりを振って、すくんだ足を叱咤して立ち上がる。きっとブラッディを見据えると、不思議と恐怖が消えていった。
 黄色の指輪が淡い光を放つ。それに気付いたブラッディが早速仕掛けた。素早く間合いを詰めてくる。詠唱の隙さえ与えなければこっちのものだ。そう思っているのだろう。
(そう…普通はそうだよね。でも……)
 両手を合わせ、ぐっと力をこめる。突き出した掌に、小さな炎が顕れた。
「なっ…!」
 ブラッディの動きが鈍る。今からでは回避する余裕もない。不意をついたぶん、逆にブラッディに隙ができた。
(いけっ……!)
 リリスの持つ、唯一の詠唱のいらない攻撃魔法。その威力には、自信があった。
「――サクリファイス・バースト」
 小さかった炎が、一気に膨れあがる。それは渦を巻き、リリスの掌から扇状に巨大な爆発を起こした。ブラッディの身体が吹き飛ぶ。十メートルほど離れた場所に肩から落ちる。
 ひとつ、息をつく。強い目眩に、リリスはふらついた。
 本来、魔法とは詠唱を必要とする。それは自分の精神力を特殊な言葉の羅列によって助長し、そして安定させるためであった。詠唱は必要な力の半分以上を補っているのだ、とレグナスが言っていた。
 この魔法は、クレスティアの力のみを使って精神力をダイレクトで攻撃に変換させるというものだ。そのため、尋常でない負担がかかる。使えて一度、どれだけ無茶をしても二度が限界という、非常に危険なものだった。現に、これだけで魔力が底をつきかけている。
「…くっ………」
 右手を押さえて、ブラッディが立ち上がる。見た所、剣を握る手にも力がそうこもっていないように見える。――が。
「…なかなか、やるようね。でも、まだ……!」
 ブラッディが以外にも素早く動く。あれを喰らってまだ動けるとは…!
 リリスが強引に次の攻撃に移ろうとする。その時、視界の隅で何かが動いた。
「ん…?」
 ブラッディもそれに気付いたらしい。見ると、カイトが血を流しながら立っていた。傷口を押さえる左手から、ぞっとするほど深く蒼い血がこぼれる。
「カイト」
 思わずリリスが悲鳴をあげる。ブラッディも驚いて、動きを止めた。
「ダメだよ!そんな、傷だらけなのに!」
 カイトはそれを聞き流し、おぼつかない足取りでリリスとブラッディの間に割って入った。荒い呼吸をしながら、右手一本で棒を構える。
「まだ…負けちゃ、いない。僕が…相手、だ」
 誰が見ても、満身創痍のカイトがブラッディを倒せる可能性は皆無だった。ブラッディとて手負いではあるが、そう重い訳ではない。
「…くだらない。あなたはわざわざ死にに来たの?」
「……違う。僕は、君を…倒さなきゃ……ならないんだ」
 勝てる訳がないのは、カイトとて承知のはず。なのに何故、その身体で闘おうというのだろうか。
 ……判らない。
 僅かな当惑が、ブラッディを揺らした。
「あなたは……何故、そうまでして闘うの?」
 そう言われて、カイトは淋しそうに微笑んだ。
「…単純な事さ」
 それだけ言って、俯く。
 果てのない空の下。一瞬の永遠を、僕はまだ憶えている。
 輝くような笑顔と。別れの時に見せた涙と。たったひとつの………言葉。
 ――あっちで生きてたら、また逢おうね。また一緒に、空を見ようね――
 決意の力で蒼く燃える瞳を、カイトはゆっくりと開いた。
「――約束を、したんだ。…………他愛もない約束を」
 ブラッディは思わず息をのんだ。優しく微笑んでいるのに、放たれた声があまりにも哀しい響きを持っていたからだ。
「だから…僕は闘うんだ。何気ない…日常を、取り戻すために。…帰る、ために」
 カイトが落ち着いて言った。すっと、構えを解く。
「――君は…何のために闘っているんだい?」
 突然訊かれて、ブラッディはたじろいだ。
「…私は…私であるために、闘っているのよ」
「君が、君であるため?……どういう、ことだい」
 時折襲ってくる傷の痛みを無理矢理堪える。ブラッディは空虚な響きを持った声で答えた。
「私は闘うために造られた。だから、闘う事だけが、私がここにいる意味なのよ」
「…造られた?」
 おうむ返しにカイトが訊く。溜息をついて、ブラッディが一時的に構えを解いた。
「私は…闘うためだけに、造られた。私のあるべき場所…生命科学研究所で」
「生命科学研究所だって」
 カイトが声を荒げた。生命科学研究所とはカイトの知っている限りでは、行き過ぎた遺伝子研究によって様々な『強化生物』を『製造』している場所だ。無論、その生物の中には人間も含まれているのである。つまり、ブラッディは……。
 唖然とするカイトを見て、ブラッディは投げやりに言い捨てた。
「だから私はここにいる。闘わない私に、意味はないから」
「…そんな………」
 リリスが思わず、口元を押さえた。カイトは若干の間俯いていたが、やがてすっと顔を上げた。
「…………………本当に…それでいいのかい?」
「なっ…どう、いう…ことよ」
 突然の問いに当惑する。カイトはなおも、優しい口調で続けた。
「君が闘う事っていうのは…君を失う事だと思うんだ」
「…え…?」
 彼女が僕を斬った時…一瞬だけ、彼女は動きが鈍った。微かに自分の起こした惨劇にひるんで、彼女は僕に致命傷を与え損ねた。
 彼女は、血が怖いんだ。まだ、どれほど冷たい仮面をかぶせても。だって彼女は、れっきとした人間だから。
 そう。…たとえ、どんな境遇で生まれたとしても。
「………でもいつか、君は君を失ってしまう。君は、人として自由に行動するべきはずなんだ。一つの考えに固執してちゃ、きっと君は、人形になってしまうよ」
 カイトは必死でブラッディを説得しようとした。彼女の奥底に眠る、わずかな哀しみや優しさを感じ取ったからだ。
 ――この人は、死なせちゃいけない。死なせる訳にはいかないんだ。
「――黙りなさいよ!」
 突然、ブラッディが大声で叫んだ。カイトが思わず口をつぐむ。
「あなたに、私の何が判るっていうの?生まれた時からこの姿で、この先老いる事も死ぬこともない私の、何が!」
 ブラッディは瞳にうっすらと涙を浮かべていた。息を切らしながら続ける。
「闘う事こそが、私が私でいられる証!たとえ、全てを敵にまわしたって、そのためなら構わないのよ!」
 ブラッディは一気にまくしたてた後、かすかに俯いた。
「――――ねえ…もし君が闘う事を望んでいるんだったら」
 カイトがゆっくりと、優しく話し出した。
「もし闘いたいと思っているなら、僕達と一緒に闘おうよ。その力は、間違った方向に使われるべきじゃない。『正義』に使われてこそ、意味があるんだ」
 カイトは話しながら冷や汗が出る思いだった。一種の賭けだったので、失敗すれば最悪の事態となる。上手くいってくれればいいが。リリスは後ろでじっと見守っている。まあ口を出そうにも出せないような状況だから、大丈夫だろう。
「僕達のために…その力を役立ててくれないか?」
「………………………黙って」
 ブラッディが肩を震わせながらかすかに呟いた。
「正義のために私を使う、ですって…?あなたたちも所詮、私を『力』という道具として扱うんでしょ?だったらどこだっていっしょじゃない。私が私であるためには、誰かに使われなきゃいけないのよ。私を……私を………!」
 ブラッディががばっと顔を上げた。その瞳には涙があふれていた。
「私を!道具扱いしないで!」
 ブラッディがブレードを構えて一気に突進してくる。カイトは微笑んで、言った。
「――そうだね。君は道具なんかじゃない」
「……えっ?」
 ブラッディがびくっと体をすくませる。攻撃の手が、止まった。
「君は、道具なんかじゃない。それは僕だって十分判ってるさ。だからこそ、僕は君を試したんだよ」
「私を……試した?」
「そう。ほんとうに君が闘う事を望んでいるかどうかを…ね。結果はさっきも見てのとおり、君は自分が道具扱いされる事を嫌っている。そうだろ?」
 カイトが優しく笑いかける。ブラッディは頭を抱えて呟いた。
「ちがう…そんなのじゃない。私は……私は…」
 突然、腕時計らしきものが大きくコール音を発した。ブラッディの肩がはねあがる。
「……どうやら、ここまでのようね」
「ブラッディ?」
 ブラッディはひとつのカプセルを取り出した。強がるように冷たく笑う。
「――もう二度と会う事はないでしょうね。じゃあ」
「待っ……!」
 ブラッディがカプセルを下に落とす。辺りに閃光があふれ、目が眩む。その光は一瞬で、すぐにおさまった。視界が戻ったころには、そこにブラッディの姿はなかった。
「ど……どゆこと?いなく、なっちゃったよ」
「……逃げられたんだよ。まずいな」
 取り逃がしたという意味だけでカイトは言ったつもりだったが、その声が悔恨で小さく震えているのがリリスには判った。
 俯き、ぐっと瞳を閉じる。直後、明るく切り出した。
「――とにかくさ。ロード達のとこに行ってみようよ」
「………うん。そうだね」
 カイトはうなずきながらも内心焦った。
 ロード達がいるべき方向では、すでに闘っている物音がしていなかったからである。

 お互いの様子を見に行こうとしていた一行は、それぞれの中間地点あたりではちあわせとなった。
「ロード君、どうだった?」
 訊かれて、ロードは肩をすくめた。
「逃げられちまったよ。一瞬で手が出なかった。カイトは?」
「僕達もだ。それにしても…何故いきなり撤退したんだろう?」
「…さぁな。見当もつかねぇ」
「なら訊けばいいだろうが」
 横からヴァインが口を挟む。
「は?」
 素っ頓狂な声をあげるロードに、ヴァインは通信機を取り出した。
「レグナスなら何か知っているかもしれん。連絡をとってみるのが得策だろう」
「あ、なるほど。じゃ、頼む」
 ロードがぽんと手を打って納得した。ヴァインは憮然とした表情のまま、通信機をロードの顔の正面に突き付けた。
「私が機械とやらを扱える訳がなかろう。貴様がやれ」
「……あい。わかりやした」
 頼むにしても言い方ってもんがあるだろ、とはあえて言わないロードだった。

 通信をする前に、ロードが何やら色々いじっている。興味津々といった顔で、リリスが作業をしているロードを覗き込んだ。
「ねぇ、何してるの?」
「ん?ああ…オープンチャンネルにしてんだ。めんどくせーしな」
「おーぷん、ちゃんねる?何だ、それは」
 当然だが、ヴァインはいまだに横文字に疎い。仕方なくロードが説明した。
「通信機の音を拡大して、全員にまとめて聞こえるようにしてんだよ」
「成程。全員にまとめて連絡がわたるように、か」
「そーゆーこと。ちょいと前に見つけた機能でな。…さて、始めるぜ」
 通信機の送信スイッチを入れる。それだけで、即座にレグナスが出た。
『レグナスです』
「ああ、俺だ。ロードだ」
『ロード殿ですか。ちょうどいい所に』
「ちょうどいい?何がよ」
 キャスティが訊く。レグナスは珍しく上機嫌そうな声で言った。
『ラスウェルを落とせたのですよ。貴方達に構っているうちに』
「…ホントか?」
 不審がってロードが訊く。すんでの所で逃げられただけあって、あれで作戦成功とは思えないというのがあった。
「あの…本当ですか?僕達、彼等全員に逃げられてしまったんですが」
 少し控えめにカイトが質問する。レグナスは意気揚々と答えた。
『緊急呼集したのでしょう。しかし時すでに遅し。ラスウェル本部は落とし、問題の対象であったろう兵器も破壊し、沈黙させてまいりました』
「…という事は…」
『ええ。幹部達に逃げられはしたものの、彼等の兵器はすでにない。これにて無事作戦終了、となります。お疲れ様でした』
 一行が安堵の息をつく。何となく中途半端な終わり方ではあったが、これでやっと普段の生活に戻れるのだ。
 ロードが伸びをして終わったな、と言った。カイトとリリスがいささか重い表情をしていたようにも思ったが、目があうと明るく微笑んだ。
「――終わった、か。やっと日頃の生活に戻れるな」
「うん。……でも、どうしよう」
 困ったようにリリスがあごに指を当てて考え込んだ。ロードが軽くぽん、と肩を叩く。
「心配すんな。この家は当分使わねぇから、ここに住んどいてくれ」
「え…いいの?」
「ああ。気兼ねしなくていーぜ」
 明るく言うロードにリリスはありがと、とだけ返した。ふと、ロードが振り返る。
「――で、ヴァインもそうしてもらいてぇんだが」
「そうか。了解した」
「じゃ、頼むぜ。またヒマ見て適当な職でも探しといてくれな」
 無言でヴァインがうなずく。ロードがどーも、と言って笑った。
『……ト殿。…カイト殿、おられますかな』
「はっ、はい!」
 以外な所から声がかかって、カイトは肩を跳ね上げた。レグナスが呼んでいる。
「――何ですか?」
『それは…とりあえずオープン・チャンネルを解除して別室で』
 カイトだけでなく、一行が訝しげに眉を寄せた。首をかしげながらもロードに機能を解除してもらい、隣の部屋に入る。数分後、出てきたカイトはほんの数瞬だけ沈痛な顔をして俯いていた。
「ねぇ、カイト。何のお話だったの?」
 リリスに訊かれると、すぐにカイトは笑顔を見せた。
「あぁ、とりあえずこれで決着がついたからゆっくりしてくれってのと、たまには遊びに来いってのと、あとは」
 指折り数えていって、最後にカイトの声のトーンが落ちた。
「…僕の、故郷の事と」
「故郷?」
「僕のいた星のことさ」
 一言だけ言って、俯く。あまり思い出したくない話に繋がっているのであろう。それを察したロードがカイトの肩をばん、と叩いた。
「――ま、とにかく。今日は休むか」
「…うん。そうだね」
 カイトがうなずく。そこで思い出したように付け足した。
「あ、それとね」
「何だ?」
 ぶっきらぼうにヴァインが促す。カイトはとんでもない事をさらりと口にした。
「今ちょっとエネルギー不足だから、当分ヴァインさんとリリスさんは帰れない、って」
 沈黙。一行は何となく互いに目を合わせた。
『何だってぇぇぇっ』
 いきなり叫ばれてうろたえるカイト。そこで初めて、ヴァインの顔でさえもが蒼白になっている事に気付いた。
「だ…だから……何年かセキアスかこの時代にいてくれ、ってさ」
 その一言が一行に追い討ちをかけたのは、言うまでもない。
 怒りに任せて今にも刀を抜き放ちそうなヴァインを必死でなだめるのは――やはり、ロードの役目であった。

 ――その夜。カイトは独りで、ぼんやりと空を眺めていた。
 レグナスにさっき聞いた話――皆には説明しなかった部分だ――を、カイトは思い出していた。
 ――ともすれば、これで終わらない気もするのです――
 レグナスは、根拠は特にないが、これまでのラスウェル国とやる事が違いすぎるからもしかしたら、と言っていた。とすると、それは一体…?
 遊びに来てもよい。これは、何か起こる可能性もあるからまた来てもらうかもしれないという意味かとも思うのだが…考えすぎだろうか。
(まあ…とにかく、当分は大丈夫だろうけれど)
 そこまで考えてカイトはため息をついた。今考えても仕方のない事だ。それにしても…。
「皆……強いんだなぁ…」
 誰にともなく言う。技量だとか、そういうものではない。困難をはねのける強さ、とでも言うのだろうか。そんなものを持っている。皆、どんな状況でもあくまで自分のペースを崩そうとはしないのだ。それでいて、しっかり今を考えている。そんな皆の中で…これまで自分は、何をしていたのだろう?僕は…役に立っていたのだろうか?
 腰につけた、伸縮式の棒を手に取る。ずっと前から使いなれてきたものだ。
「…棒術、か…」
 カイトは随分と昔の事を考えた。棒術を代々扱う格闘技の名門、ヴァレイス家。自分のいた星では知らぬものがいないほどのものであった。自分も当然、棒術は最も得意とするものだ。………懐かしいな。
「……父さん…」
 よく叱られたっけな…振りが甘いだの、足さばきが遅いだのと。不器用な父にできる、数少ない息子への愛情表現だったのだろうとその時考えていたものである。しかし父は…今となっては、もう色褪せた思い出の人である。
 突然襲ってきた、他惑星からの軍。一瞬であらゆるものを焼き尽くした、銀髪の男がしたがえた者達。父は、最前線で戦った。そして……真っ先に殺された。
 耳にまだ残っている。あの男の、狂気の嘲笑が。
 うっすらとだけ憶えている。何かの装置に無理矢理詰め込まれる自分。大人達が口々に自分に言った言葉。せめてお前達だけでも。我等の生き残りとして。そして気付けば、自分は宇宙に出ていた。その装置によってだろう。そこから見えた、自分の星の最期。
 全てが砕け、灰塵に帰す。そこには、多くの想いが沈んでいた。
 ――そして、たったひとつの小さな、でも……果たさねばならない約束。
「僕は……シェリクスのみんなのぶんも、生きなきゃならないんだ」
 自らに言い聞かせる。強い風がカイトの髪をあおった。
 僕の背中には、僕のいた星――シェリクスにいた人々全員の思いがある。そんな中、ロード君達のように生きていけるだろうか?
 カイトは星の瞬く空を見上げ、小さく呟いた。
「僕は――――――」
 ――その言葉は風にかき消されたのだった……

「――――いやはや、まったくわしらはまことに運がよいようじゃ」
 上機嫌に老人は言った。そうだな、とうなずく。銀髪が深紅の瞳を隠した。
「まさか本当に解析が成功するとはな。ククク……実によくやってくれた。礼を言おう」
「恐縮です」
 女が軽く会釈する。
「…ですが。安心はできません。解凍は迅速になりますが、そちらへの人員を多少…」
「わかっておる。――ディルガム」
 老人が手で言葉を遮る。後をとるように、ディルガムが話す。
「私が明日、生命研に奴を送る。あちらなら人は余っているからな」
「へっ。何から何まで手の早いヤローだぜ。…ま、とにかくよ」
 レガルが自分のデスクから離れる。
「大体万事、上手くいったな。あの囮兵器に引っ掛かったみてーだしよ」
「囮とは失礼だな。あれでも私が腕によりをかけて造ったものだというのに」
 冗談で言ってみせてから、低く笑う。レガルもあまりとりあおうとはせず、伸びをした。
「どーも…体がなまってんだよなぁ。あっちに行く前にひと暴れさせてくれねぇか?」
「心配しなくてもいい」
 ディルガムは即答し、肩をすくめた。
「どうせむこうでは仕事が山積みだから暇になる事もなかろう。では、失礼」
 ディルガムに続いてグレイフが部屋を出る。同時に、かすかに呟いた。
『…――楽しみだ』
 シュン、と音がして横開きの扉が閉まる。レガルは肩をすくめ、苦笑した。
「明日かよ…どーせならあっちで泊まってりゃよかったな」
「文句言っても始まらないわ。指揮しなきゃいけないんだし、緊急呼集よりはましよ」
 相変わらずの素っ気ない態度。二人は先程、地球から帰ってきたばかりだった。
「――とりあえず。今日中に兵達には連絡しておくように。いいわね?それじゃ」
「お、おい…」
 一方的に告げて、さっさと部屋を出ていく。レガルは困ったように一笑した。
「――ほんっと、かわいくねぇヤツだな」
 率直ゆえのキツい言葉遣い。親切にするつもりもない、そっけない態度。励ましてやっても『ありがとう』の一言もなく、しれっと返す。そのわりには、なにかとレガルには気を回してくれている。人がいいのか、ただの世話焼きなのか。
 前の任務後、少し雰囲気が変わったと思ったが…どうやら気のせいらしい。
 ――ま、なんにしろ…素直じゃねぇのは確かだよな。
 小さく溜息をつく。彼女が自分に敬語を使わないのは、『使わなくてもいいだろう』という信頼ではなく、『使うまでもない』という彼女なりの率直な意見によるものだということを、レガルは随分と前から判っていた。つまり、なめられているのだ。もちろん最初は腹が立ったものだが、最近はもうイヤには思わなかった。
 困ったような、嬉しいような顔をする。ぽつりと呟いた。
「――ガキだねぇ、ブラッディは」
 あなたにだけは言われたくないわね、と冷たく返す声が聞こえるようだった。

――エピローグ――


「――いい加減…起きなさいっ!」
 キャスティがベッドの中に潜り込んだロードを蹴り飛ばした。ベッドから転げ落ちる。
「……っって〜…何か俺ばっかりこーゆーメにあってねぇかぁ?」
 打った背中を押さえながらロードが出てくる。呆れたようにキャスティが言う。
「あなた何考えてるの?もう昼前よ」
「え〜?いいじゃねぇかよ、今日くらい休ませてくれよぉ」
 再びベッドに戻ろうとするロードの腕をヴァインが掴んだ。若干凄味を帯びた声で訊く。
「………起きるか?それとも、今、永遠に眠るか?どっちだ」
「……………起きます」
 そのやりとりをリリスがくすくすと笑いながら見ていた。むっとした様子で見返す。
「…笑ってんじゃねー」
「えー?だって、面白いんだもん」
 変わらずリリスは笑いつづけている。ロードは追求を諦め、さっさと着替えを済ませた。
「用事がないからと怠けるな。すぐ朝食を済ませろ」
「へいへい」
 適当に返事をして部屋を出る。カイトはなんとなく、それぞれを見てみた。
 ヴァイン以外は武器こそはずしているものの、クレスティアをつけっぱなしにしている。特に気にならないものだし愛着もあるからな、と笑いながらロードは言っていた。
 ヴァインは…クレスティアはおろか、刀まで持ちっぱなしである。本人は『武士たる者が刀を捨てるとは命を捨てると同じ事だからな』と偉そうに言っていたが、実際問題危ない人である事に変わりはない。
 ヴァインは一人、腕を組んでじっとしている。一部の隙もなく、冷たい空気が漂っているように思える。が、これがヴァインなりの『休憩』なのだと最近判るようになってきた。
 リリスとキャスティはというと、雑談に花が咲いている。どちらが持ってきたのか判らないが、携帯型ゲームを持っていた。リリスがはしゃぎながら説明をしている。持ってきたのはリリスのようだ。
「でね、これがね…そ。へぇ、以外と上手いんですねぇ」
「以外って何よ、以外って。でも未来のゲームって凄いわねぇ」
 笑いながら言う。その直後、キャスティが何か企んでそうな笑みを浮かべた。
「ね、リリスちゃん、あのね………」
 ひそひそと耳打ちする。それを聞いて、リリスが楽しそうに微笑んだ。
「ねー、ヴァイーン」
「……何だ」
 呼ばれて、ヴァインが反応する。二人がにこにことして、ヴァインの側にやってくる。
「……?」
 不審に思ったのか、眉を寄せるヴァイン。二人は持っていたゲームを差し出した。
『これ、やってみて!』
 口をそろえて言う。ヴァインが一瞬相当嫌そうな表情をした。
「…そういうものは私は好かん」
 短く告げて、くるりと背を向く。とりあうつもりはないとでも言いたげに、横のテーブルに置いてあった日本茶をすする。
「そんなこと言わないで、ねぇってばぁ」
 リリスがだだっ子のように言う。やるつもりは毛頭ないという態度のヴァインを見て、キャスティはにやりと笑った。
「あ、もしかして。あなた…実はさっぱりできないんでしょ、これ」
 まったく反応なし。相変わらず、ヴァインは涼しげに黙っている。
 昔の人間なのだし、出来ないのは当然だ。それをわざと棚に上げておいて、キャスティはさらにたたみかけた。
「意地張って『好きじゃない』なーんて言ってるけど、本当はすっごいヘタだからやりたくないんじゃない?あー、そう。こんなのもできないのねー。やだやだ」
 大袈裟に肩をすくめる。ヴァインの眉がぴくりと動いた。椅子をきしませ、向き合う。
「……やればいいのだろう、やれば。見ていろ、こんなもの、物の数ではない」
 怒りを隠したつもりの声で告げる。二人に囲まれ、あっさり挑発に乗ったヴァインがゲームをしている。カイトは思わず苦笑した。
 誰がどう見れば、ヴァインとリリスが時代の放浪者であるなどと考えられるだろう?どこをどう見ても、ごく普通の日常である。いつの間にか戻ってきたロードも、面白そうにヴァインを見物している。
 どんな時もペースを崩さない。確かにそれは、いいことかもしれない。でもこれは……。
(…今この事態を真剣に考えてるようには見えないなぁ……)
 戻れない事は、今は置いておく。それは確かに、前向きでいいことかもしれない。が、カイトは何となく不安になった。
 まさか、もう戻る気がない、とかじゃないだろうなあ………。
(まあ……いっか)
 何とか自分を納得させたカイトであった。

「あ、そこ!右だっての」
「違う違う、こっち!」
「あっ、惜しい!」
 三人が口々に野次を飛ばす。ヴァインが心なしか苛立っているようにも見える。開始してからそうたってもいないのに、画面には『ゲーム・オーバー』の文字があった。けらけらとロードが笑う。
「何だよ、そりゃ!できねぇにもほどがあるってもんだぜ?」
「まあそうだろうとは思ったけど、まさかここまでとはね…」
「……うるさい」
 ヴァインが小さく呟く。怒りのオーラが、なんとなくヴァインを不穏な空気で包む。
「ヴァインにも苦手なものってあったんだね。安心しちゃった」
「…安心?」
 怪訝な表情でリリスを見る。リリスはかすかに微笑んだ。
「うん。やっぱりカンペキな人っていないんだ、ってね。前のご飯の時もそうだけど、ね」
「…………そうか」
 静かにヴァインはうなずいた。ロードがいまだに笑いながらヴァインの隣に立つ。
「しっかし…いやー、笑った笑った。ま、ヴァインが一流のゲーマーでもそれはそれで怖いものがあるよな、キャスティ」
 ゲームセンターでコインを山積みにしながら黙々とアーケードゲームをプレイするヴァイン…そんなものを想像してツボにはまったらしく、弾かれたようにキャスティが笑った。
「あはははは!そうよね!想像したくないものナンバーワン、って感じかしら?」
「な?だろ?」
「……………」
 無言のまま、ヴァインがロードを殴った。こめかみにクリーンヒットする。
「いっ………」
 たまらずロードがよろめく。
「…人で遊ぶな」
 いつぞやのように、殴ってから言い訳のように付け足す。
「ちっくしょー…なんでいっつも俺だけなんだよ?」
 その仕草が子供のように見えて、リリス達はさらに笑った。リリスがこっちを見ているカイトを見つけたようだ。手招きする。
「ねー、カイトもこっちおいでよ!」
「え?あ…判った、今行くよ!」
 小走りに、カイトが近付いてきた。ロードはふと、天井を見上げた。

 明日のことなんて、結局誰にも判らないものだ。いくら明日を待ったって、なるようにしかならないのだ。明日なんて、明日になってから考えればいい。
 明日を悩むくらいなら、今日を精一杯生きればいい。二度と来ない、この一瞬を。
 昨日の事は置いていきゃいい。…そうしないと、疲れちまうしな。
 そう思いながら、ふと自分の手を見る。
 これまでの出来事が、遠い昔のように感じられる。元々冒険好きなきらいがあるため、今の状態をいっそ暇だなどとも思っていた。
(ま…でも、これが『平和』って事なんだろうな)
 何気なくクレスティアを見てみる。『希』のクレストが、淡く輝いているように見える。
 ――まるで未来への道を照らす、頼りない一筋の光のように――
「――ロード、何してるの?置いてくわよー!」
 キャスティが玄関で手招きしている。皆が出掛ける準備をして、ロードを待っていた。
「え?オイ、出掛けるならあらかじめ言ってくれよ!」
「ぼーっとしてるあんたが悪いんでしょ?さっさとしなさい!」
「――へいへい、わっかりやしたよ、っと。ちょい待っててくれな!」
 あわてて身支度をして、ついて行く。電気を消し、ドアを閉めた。
 誰もいなくなった部屋に、優しく木漏れ日が降り注いでいた。

――了――


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