GUNHAZARD

jt

 コインを入れたのは彼の方。やろうと言い出したのは彼では無い。この手のガンシューティングは好きじゃなかった。やる奴は趣味が悪いとさえ、思う。

不満なまま始まる。
彼は石組みの回廊に、同僚と肩を並べている。灰色の回廊には乾いた足音が反響する。気温も湿度も低い。水の匂いがするべきなんだろうな、とぼんやり思い付いた。
手には拳銃。そこに目をやった気分は何とも白けて、乾いていて。何の期待感も無い。彼を強引に誘った同僚の手には大仰なショットガン。鼻歌を歌いながらカシャカシャと銃身を鳴らしている。それらの音は反響しない。作り物の空間で反響できるのは、同じく作られた、足音と、軋む扉。
扉は赤い。赤く塗られたのではなく、しかし塗り込められたように一様に赤く、錆びている。
その向こうにも廊下は続いている。格段に暗い。明かりは、角を曲がった所に灯されているのだろう、揺れる灯だ。侵入者の不安を煽るための・・・わざとらしい。相変わらず、同僚の鼻歌は反響せず、彼の耳にばかり障る。

STARTの文字が、白いゴシックで表示され、赤く変色し、どろりと崩れて流れて消えた。

開いた扉の脇を抜ける。錆の匂いがちりちりと鼻の奥を侵し、舌にまで絡み付いてくる。同時に・・・それに血の匂いを暗示させて・・・それも想像だ。実際には匂いなど作り込まれていない。
訪れたのは、またも、音だけ。人ならぬ息遣いが、二人の足元を脅かした。低く。溜め息とも、苦悶ともつかない。
「ほら来た来た来たあ・・・」同僚が呟く。
ああ、来た。
まずは重い影。泥濘を歩くじめついた足音。そして、もう、泥濘と区別のつかぬ。人だったものが、姿をあらわす。
「それ」を、彼はただ見つめた。全体として捉えれば、おおむね灰色をしている。それが腐った衣服の色なのか、腐り果てた皮膚の色なのかは眼を凝らしても判然としなかった。小学校の廊下の脇の、古い雑巾を思い出す。
白い歯を剥き出しているのは、もう唇が無いからだ。目は・・・そうだ、焼き魚の目だ、と思い当たったときに。同僚が撃った。
破裂音
破裂
破裂音の反響
飛沫
ゾンビの残骸を見降ろしても、まだ彼は白けていた。飛び散った暗い赤の肉片に、砕けたすいかを重ねていた。

この時始まった。

何かが頬に張り付いている。べつに何の予期もせず、触れた。
曖昧な、泡立ったような手応えが潰れて広がる。手が赤く汚れた。恐らく頬も。
彼はそれを見た。赤い腐肉だった。
思考の停止した彼を置き去りにしてゲームは進む。
よたよたと2歩進んだ胴体が、足元に倒れた。消えない。
前と全く同じ乾いた足音が響き、視界が前へ、そして右へと、勝手に動く。しかし彼は足元を見た。泥沼を踏んだ。泥濘と化した死体を踏んだ。靴に泥が流れ込み、靴下を越えて腐汁が足を甲まで浸し、足を抜くときには蛙の断末魔じみた音が確かに背筋を昇る。
脳の奥が凍り付いていく。
これは、何だ。

「おい、ぼけっとすんなよ!!撃て!!」
同僚の罵声で彼は顔を上げた。目の前ではひっきりなしに肉が弾け、それを踏み越えて十数体のゾンビが更に迫ってくる。ショットガンの爆発音とゾンビの呻き声と足音と、不快な音ばかりが耳を支配し、塞ぐ。
そして・・・最初は濡れ雑きんで鼻と口を覆われたように感じた。次に鼻孔と喉の奥が塞がれる。むせ返る。
狂暴なまでに確かで、吐き気すら許さない圧力で君臨する。感覚。
腐臭だ。そう気付いたときに、両手が跳ね上がった。喚き声は出ず、浅い速い呼吸が意識を支配した。
震える腕、痙攣する指!
撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ静かになる足音がする扉が迫る開く群れて迫る死者を撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ静かになる足音がする扉が迫る開く群れて迫る死者を
撃ち続ける。耳を塞ぐ轟音。体中に染み込み皮膚にすら感じられる臭気。視界を埋め尽くす死者の群れと飛び散る腐肉と血は個々の死者と個々の銃撃ではなくもはや、壁だ。
一面の壁に対し、手にしたプラスチックの銃は余りに軽く、引き金を跳ね返すバネの感触は、何処か関係ない遠くで起こっている冗談のようだ。引き金を引き続ける行為と目の前で炸裂する肉塊の間には何の因果関係も実感できない。ただ恐怖に追い立てられて彼は腕を硬直させ指を暴れさせ手を迫る群れに突きつけて抵抗を続ける。

ぞぶり、と異質な音が彼の脇、同僚の立っている位置から突き刺さってきた。思わず、腕はそのまま首だけそっちに振る。
「あ、やられた」
舌打ちと軽い呟き。喉の奥で一息笑い。自分を傷つけた死体を鼻先で破裂させ。血まみれで、左肩に鎖骨を覗かせて、同僚はプラスチックの筒を構えていた。「ちくしょう、やったな」だけ言って、続けざまに轟音を生み出しゾンビ達を片づけていく。一片の痛みも恐怖も嫌悪も無く、笑みを浮かべて。
彼は確信した。こいつは気が狂っている。
そして彼自身は再び一層の恐怖に支配され、銃撃を続けた。

どの位経ったか。何度目かわからない一段落。前進。扉が開く前から彼は銃声を立て続けていた。同僚がからかうが、彼の耳には届かない。
扉が開いた。
何も居ない。灰色の部屋、中央に木箱が一つ。銃声が空しく反響する。静かだ。
彼は息をついた。追放されていた正気がゆっくり帰って来る。

HELP!!
真紅のゴシック文字と同時に、切実な訴えを彼は確かに聞いた。
木箱の影から、白いワンピースの少女が立ち上がり、必死に両手を広げた。生きている、少女が。
青ざめた唇。蒼い瞳。栗色の髪がほつれ、汗ばんだ額に張り付いている。
彼は完全に落ち着きを取り戻した。この子を助けるために。これから起こる事の見当はつく。頼りない銃をしっかりと構え直す。別種の高揚に身を包まれる。
奥の扉が開いた。死者の群れが、こわばって逃げ出せない少女を喰うために溢れ出す。数は多くはない。
慎重にねらいを付けて、撃ち始めた。片端から頭を吹き飛ばされて倒れていく死者どもは、少女に触れる事も出来ず、飛び散った肉片すら白いワンピースにかかりもしない。
後一体!引き金を引く!
轟音。そして。赤い飛沫。
確かに最後の死者を打ち抜いた。そして。
少女の右半身が吹き飛んだ。ワンピースが赤い。赤い。目の前が真っ赤になった。
「違う!」彼は叫んだ。
「あ、やっちゃった・・・」同僚が呟いた。
ぼう、と見開いた目で。ゆっくりと首が回って、彼は隣を見た。
「悪い。しくじった」
そいつはにやにやと笑う。狂っているから。
腕が動いた。指が痙攣した。撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ目の前が赤い赤い肉が飛び散る顔にかかる撃つ撃つ撃つ撃つ
血の匂いを押しのけて、ついに喚き声が喉を突き破って出た。自分が喚いているという事を意識は端の端でだけ感じていた。開いた口に押されても瞼は細められず、むしろ見開いた目は紅い。
・・・HELP・・・へ・る・ぷ・・・
耳元に壊れた囁きが吹き込まれた。右肩が首の後ろごと熱く焼け、次いで感覚が無くなる。泥をかき回す音は、泥どもが蠢く音。そして彼がかき回される音・・・彼がわななく。
暗転
「おい、大丈夫かよ。おい!!」
ゲームセンターで慌てている高校生。そして倒れている高校生。彼の体から流れ出す血は、もう誰にも見える事はない。


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