the Man.

いづみ

…だから私は、こんな仕事なんか始めっから引き受けたくなかったんだ。


 そもそもの始まりは、いつもの仕事の帰り道にこの村に寄ったことだった。
普段は私も自分の村の中で狩人とかやりながら暮らしてて、わざわざ遠くの場所なんかにはあんまり出かけない。本当ならずーっとそうしてられたら一番いいんだけど、なのにルディはわざわざ私のところまでやってきて仕事の手伝いを頼む。仮にもファルの僧侶なら、神殿から依頼すればいくらでもちゃんとした冒険者を雇えるはずなのに。言い分はこうだ。
「初対面の奴等と一緒に旅をするのはどうも苦手なんだよ。」
どうだか。本来ならそんな言い訳は通じるわけがなくて司祭様とかに無理やり仕事をさせられるのがオチなんだろうけど、少なくとも私と組んだときのルディの仕事の達成率はけっこういいらしい。だから特例扱いでもされているのだろう。…案外、その司祭様がむしろ進んでやらせてるのかもしれない。正式な冒険者と違って、私はあんまりお金にはこだわらないから。そりゃ、かかる費用が少ない方があちらさんとしても都合がいいだろうし。
 で。そういうわけで今回も私はルディに狩り出されて仕事に出かけたわけだ。いや、この仕事自体は簡単なものだった。偶然「門」が開いたらしくてその村の近くに現れた下級の魔物を退治するだけだったんだから。思ったよりもあっさり済んだので、ちょっとだけのんびりと帰ることにした。
 …あるいは、それが間違いだったのかもしれない。
 今、私たちがいるこの村は、いつもは仕事の途中に通過するだけの小さな村だった。名前も知らない。近くにもっと大きな町があるから、たいていはそこまで行って宿を取るし。だけど、今回はのんびりと帰ろうということであえてこの村で一泊することにした。言い出したのがどっちだったのかなんて覚えてないけど。
 ただ、最初に・・それに気づいたのは私だった。一泊するということでのんびりと村を見て回っていたら、なんとなく村人の顔が暗い。それも一人や二人ではなく、全体でだ。
 私は首を突っ込む気なんかなかった。本当に困ったことがあるのなら隣町まで行って神殿に依頼するなり冒険者を雇うなり手はあるだろうし、あるいは向こうから私たちに言い出すだろう。少なくともルディの格好を見れば、プリースト神官とはわからなくても冒険者か何かだとは思うはずだ。
 ところが、私はついうっかりとそのことをルディに漏らしてしまった。そしたらあのおせっかいは、いきなり酒場のマスターに何か問題があるのかと尋ねたんだ。直球勝負にもほどがある。しかも案の定言葉を濁したマスターを見て、ルディはじゃあ村長に直に尋ねるって言い出した。
 結局、私とマスターの二人がかりでの説得も無駄に終わって村長の所に行くことになった。しかも私まで連れて。マスターは頭を抱えるし、私もあきれた。もう何も言う気になれなかった。
 そして当の村長は、最初こそ口ごもっていたけれどルディの押しに負けたのかとうとう話し始めてしまった。何でも二ヶ月前から魔物が現れて若い娘のイケニエを要求しているらしい。わざわざ若い娘と指定するなんて冗談かと思ったが、どうやら本気のようだ。しかもこの村の不幸だったところは、冒険者に仕事を依頼したらそいつらが仕事に失敗したことだ。その上、二組も。おかげで魔物側からは「冒険者をまた呼んだりしたら今度は村全体を滅ぼしてやる」ときて町の方に下手に救援依頼を出せなくなったし、村内部としても二組もの冒険者に前金として半額を支払ったせいで財政が苦しくなりやっぱり仕事の依頼もできないというどうしようもない事態に追い込まれたらしい。
 さすがにここまで聞かされちゃ、ほっておくわけにもいかない。とうとう私たちはこの村で新たに仕事を請ける羽目になったってわけだ。ご丁寧にも、ほんとにごくごくわずかな金額で、しかもこっそりと。確かに村にお金がないのは事実だし、依頼を相手に感づかれちゃあ意味がないのも事実だ。でも、だからといって私たちがここまで苦労しなくてもいいように思うのは…気のせいじゃないだろう。
「困っている人を助けるのは、神の教えとして十分正しいことだ。それにウィラ、このまま村人を見捨てるなんて人でなしのようなことを言い出す気じゃあないよな?」
 …そんなわけじゃないけど。
でもやっぱり、博愛主義なファルの神なんか大っ嫌いだ。

まずは村長から事件のあらましを聞いた。ともすれば話を止めて嘆きだしそうな村長をなんとかなだめて話を強引に進めさせたところ、こんなことが分かった。
二ヶ月前に、突然魔物が現れて村に襲撃をかけてきた。手近な家を二件ほど破壊し、自警団がようやくのことで撃退したがその時には既に年頃の娘一人が連れ去られていた。慌てて村は隣町に救援を依頼。二人連れの冒険者が早速派遣されて翌日にはすぐに探索に向かった。ところが。さらにその次の朝、村の入り口にはなんと彼らの無残な死体と一枚の手紙があった。手紙にはひどく下手な字で、「若い娘を一人、山のふもとにイケニエとして連れて来い」。仕方なく言われた通り娘を一人連れて行くと祭壇めいたものがあったので、そこに娘を置いていった。翌日にはその姿は消えていた。村として再び救援を呼ぶかどうか相談していた時に、偶然一組の冒険者が村を訪れた。直接話をしてみたところ、仕事として引き受けてくれるという。正式に依頼をし、彼らもまた同じように探索に向かった。だが…その日の深夜、魔物たちは再び村を襲った。言い分は「よくもまた人を呼んだなー!」、「今度やったら村を全滅させてやる!」。そして村を半壊させて、ようやく去っていった。さらに一ヶ月前に再び手紙が届いた。同じく下手な字で、「毎月一人、この日に若い女を一人イケニエに捧げろ」そしてまた一人女性がイケニエとなった。そして…次のイケニエを捧げる日は四日後だという。
事件のあらましを聞き、とりあえず私たちは情報収集から始めることにした。まずはその魔物について分からなきゃ行動のしようがない。
ところが、さっそく家の外に出ようとした私たちを村長は慌てて引き止めた。
「下手に村の中を歩き回られたりしたら、あの魔物に感づかれてしまいます!必要があれば村の者はその都度呼んできますから、なるべくあなたたちはここにいて下さい。」
 無茶を言うにもほどがある。誰が必要かなんて直接会って聞かなきゃわかりっこない。だいたい、村の中で情報収集をするくらいで感づくような大それた魔物なら、私たちがこの家に来た時点でばれているに決まってる。
 そう言ってやると村長は頭を抱えて座り込んだ。口からはわが身と村の不幸を嘆く呟きが漏れている。あまりの辛気臭さに怒鳴ろうとした私だったが、さすがにそれは止められた。
[[村長さん、終わっちまったことは仕方ねえ。だがとりあえず今の段階でできることはしたほうがいい。まずはその魔物について知りたいから、直接見た奴とかがいればそいつを連れてきてくれよ。]]
 ルディの言葉に、村長はようやく顔を上げると急いで外に出て行った。
「えらく優しいことを言うじゃない。」
「お前のように怒鳴ったりしたら、さらに辛気臭くなるに決まってら。それに俺たちが目立つのは事実だしな。ま、とりあえず追い出しとくにはあれで十分だろ。]]
 どうやら考えはほとんど同じだったようだ。
 まあ、確かに私たちが村の中を歩き回れば目立って仕方がなかったかもしれない。ルディは十分傭兵でもやっていけそうな体格と装備だし、私については何を言わんかだ。
「それにしても何か妙な事件よね。見当はつく?」
「さあなあ。イケニエに若い娘なんて言い出すからにはロクでもない奴なのは間違いないがな。文字を書ける程度には頭もあるようだし。」
「ただ、二組も冒険者がやられてるんでしょ。ただの雑魚じゃな…」
 そこまで言ったところでいきなり派手に扉が開いた。そして、息を切らした村長と肩で息をついている中年の男性が入ってきた。
 また私は頭を抱えた。
「ルディ、村長の方はあんたに任せるからね。」
 言われたルディは反論しかけたようだったが、結局引き受けてくれた。まあ私がこの村長を相手にしてたら、どんなことになるのかは想像できたらしい。
 私は連れてこられた相手に簡単に説明をし、すぐに本題に入った。
「で、その魔物を直接見たの?」
「あ、ああ。おれだけじゃない、あの晩に村にいた奴はほとんど全員が目にしたはずだ!奴等は村を襲いにやってきたんだ、あの役立たずな冒険者どものせいで…あ、いや、すまん。」
「…まあいいわ。で、魔物の外観は?」
素人相手で話を聞きだすのに苦労したが、何とかまとめるとどうやら人間とあまり体格の変わらない醜悪な魔物だったらしい。そして、豚のような顔。―オークだ。
 私は村長の方に向き直った。ルディは何かをひとしきり話し終えたらしく、深くため息をついている。
「村長さん、今回の魔物の正体については見当がつきました。」
「ほ、本当かね!ならば早速退治に…」
「で、そのためにまだ聞きたいことがあるんです。自警団の代表かそれに次ぐ人に、ここ三ヶ月ほどの魔物などの目撃報告を聞きたいのでよろしくお願いいたします。」
 相手が口を挟めないように一気に要件を告げた。当の村長は一瞬あっけにとられていたようだったが、内容を理解するとすぐに了解して出て行ってくれた。
 …今度は、目立たないようにちゃんと歩いて。
 私は改めてルディの方を向いて言った。
「ちゃんと言いたい事は分かってくれたみたいね。」
「そりゃあな。」
 ルディはやれやれというように首を振った。
「あの…」
 突然後ろから声がかかる。一瞬だけひやりとし、振り返るとさっきの男性が居心地悪そうに立っていた。
「なにか?」
「いや、用件が済んだなら戻りたいんだが…かみさんが待ってるし。」
 そこまで言われて、ようやく男が村長に急いで連れてこられたんだったことを思い出した。思えば、この男も災難ではある。
「ありがとう、参考になったわ。…ついでに後ひとつだけいい?」
用件自体はもう済んでいたが、ちょっとだけ聞いてみたいことがあった。 
「ああ、まあ一つぐらいなら…」
「あの村長って、村長になってからまだ日が浅いの?」
 私がそう言うと、一瞬の間を置いて目の前の男は苦笑した。
「ああ、そうだ。前の村長は半年ぐらい前に急病でぽっくり逝って、その後任として選ばれたんだが…やっぱ、見てりゃ分かるか。」
「そりゃあ、ねぇ。」
私も、横で話を聞いていたルディも同じように苦笑を返した。まあ、あの様子を見てたら誰だって慣れた村長だとは思わないだろう。
男は、自分が言ったことは一応黙っておいてくれと言い残して帰っていった。
しばらく静かに時間が流れた。
「そーいや、今度の相手は何になりそうなんだ?」
 出し抜けに、ルディが顔だけ私のほうに向けてきた。
「オークが数匹、かな。」
 そう、それなら確かにつじつまは合う。
 豚顔の醜いヒューマノイドで、付け加えるなら多少の知性と力を持った魔物なんかオークしかいないだろう。人肉を喰うからイケニエを欲しがっても何の不思議もない。若い女性を選り好みするのは先にどこかで味を占めたのだろう。そして駆け出し程度の冒険者なら、同数程度のオークに負けることも…十分ありえる。
「オークか…やっぱり、前の二組がひよっ子だったんだろうな。まったく運の悪い。」
「それってどっちが?」
 私の言葉にルディは一瞬間をおき、こう言った。
「両方だろ。」

 村長が別の男を連れて戻ってきたのは、それからすぐだった。見るからにひ弱そうな男が、両手に余るほどの資料を抱えていた。
「こちらが、現在臨時で自警団の団長補佐をしているフライルです。」
「よ、よろしくお願いします。」
 フライルと呼ばれた男は深くお辞儀をした。その拍子に抱えていた資料が大きな音を立てて転がり落ちる。
「わ、す、すすすいません!」
 さすがにそのまま拾おうとしてさらに資料を落とすということはなかった。残っていた資料を先に机の上に置いてから手を伸ばす。
 とりあえず黙って見ていた。横を見るとルディも少々呆れ顔をしていた。そっとうかがうと村長は相も変わらずの疲れたような困ったような顔だ。いや、その度合いが増したかもしれない。
「お、お待たせしました。さあ、どうぞ。」
 ようやく全ての資料を机に並べ終えたフライルが、案の定落ち着かない様子で私たちの方を見ていた。
「じゃ、村長さんから聞いてるとは思うけど、ここ三ヶ月の魔物なんかの目撃報告を教えて。」
「は、はい。」
 さすがにまったくの素人ではないらしく、それなりに要領よく説明してくれた。この村はわりと開けた土地にあるおかげで、近くに危険な魔獣の生息地もなく比較的平穏な状態にあるらしい。ただ北から北東にかけて山地に続いているために、そこから時折魔物がさまよい出てくることもある。二ヶ月前に初めてオークが現れたのも、やはりこの山の方からだったらしい。
「二ヶ月前に、初めて?」
「はい。本当に、突然でした。」
「ほかに似たような魔物を見たって話はないのか?」
「ええ。…その前はダイアー魔ウルフ狼が普通の狼の群れとともに何度か見つかってますが、それ以外には何も。」
 ダイアー魔ウルフ狼。通常の狼より高い知性と魔力を持ち、狼の群れを率いることも多い魔獣。だがその恐ろしさは、より強い存在に指揮されたときに発揮される。犬に近い種族であるが故に、主人の命令に忠実に従い恐れることなく敵に立ち向かうのだ。野生の場合は、こちらから手を出したりしなければことさら人間を狙ってきたりはしないから比較的安全な存在なのだが。
「…他に、何かありますか?」
「ん、これでとりあえずは十分だろ。」
 ルディはそう言ったが、私は何かがちょっとひっかかった。
「待って。それから魔狼は現れたりした?」
「さあ…。事件以来、村人は誰も森にほとんど入ってませんから。」
 言われてみたら、確かにその通りだ。
 結局、話はそれで終わり彼も帰っていった。ひっかかった・・何かが自分でも分からなかったから、さらなる質問も思いつかなかったし。
村長がまた他の誰かを呼ぼうかと言ったが、とりたてて他に聞くことも思いつかなかったので遠慮させてもらった。それに正直、私自身がこのまだるっこさにそろそろ飽き始めていた。これ以上同じことを繰り返すなんて考えただけでぞっとする。

 村長には明日から動くと言い残して資料などだけ借り、私たちは当初にとっていた宿に戻った。マスターがやっぱり心配そうな顔をしていたが、面倒だったので放っておく。二人で部屋に戻り、今後のことについて話し合うことにした。
「…よくあの状況を耐えたよな。」
 苦笑交じりで放ったルディの開口一番の台詞に、私は言葉ではなく肘で返した。いくら何でも、そこまで場が読めない性格ではない。
 改めて、借りた地図などを広げて席に座った。
「で?とりあえず明日、その祭壇めいた物の所にでも向かうってことでいいのか。」
 祭壇がある場所は村からさして離れてはいなかった。案内役さえ村で雇えば、徒歩でいっとき一時位で着くだろう。
「…一応、村の破壊された跡を調べておきたいんだけど。」
 私がそう言うとルディが意外そうな顔をした。
「必要ないだろ。犯人はオークって分かってるんだし、だいたいもう一ヶ月以上経ってるんだ。何も残ってないに決まってるさ。」
「そうだけど…どうも、納得がいかないのよ。」
 私の胸からはまだ疑問が消えていなかった。話を聞いた限りでは現れた魔物は確かにオークらしいし、そう考えても一応はつじつまが合う。だが、何となくだけどしっくりこない気がするのだ。
 と、おもむろにルディが黙って考え込んでいた私の頭を小突いた。
「何やってるんだよ、ウィラ。」
「え?」
 名をよばれて顔を上げた。ルディは珍しく真面目な顔をして、正面から私を見ていた。
「このままここで悩んでたってラチが明かないだろ、そんなに気になってるんならまずその場所を調べてみればいいさ。」
「そうだけど、あの村長が…」
「んなこと気にしてんのか、構うことねえさ。そうだろ?」
 そして、にやりと笑って見せた。―私も笑い返す。
「その通り!」
 はっきりと言われてようやく我に返った。そう、あんな村長の愚痴を真に受けてやってるなんて自分らしくもない。仮に見つかって文句を言われたって構うもんか。
 荷物を置いて身軽な装備を整え、早速村のその場所に向かうことにした。

 村の北から北東部にかけては、砕かれた土壁や大きな瓦礫がまだ多く残っていた。特に、完全に壊されたらしい外塀は修復もロクにされてなくて応急処置としての木が乱暴に打ち付けてあるだけだった。
「また見事にやられたもんだな。」
ルディが少々驚いた顔をして呟いた。近くの人が恨むような目線を向けてきたが、止める気もなかった。私も同意見だったからだ。
とりあえず一通り眺めて状態を確認してみた。修復が進んでいるため確実なことは分からなかったが、山の方向から塀を壊して侵入して後は無差別に破壊したようだということは判断できた。
「あとは、当時の状況を詳しく聞いておきたいところなんだけど…。」
 辺りを見回したが、暗い表情をした人間が数人。それから自分たちに胡散臭げな目を向けている者もいる。確かに二回も失敗されて、挙句の果てに村を襲撃されたのだから冒険者を信用できなくなっても仕方はない。
「仕方ないな、誰かを捕まえて話を聞くしかないか?」
「それができれば困らないわよ…って、ちょっと!」
 私でもさすがに話しかけるのをためらっていたのに、ルディは何の気兼ねもなくそこら辺にいる人を捕まえようとした。慌ててその手を掴む。
「何だよ、だって話を聞かなきゃ結論が出せないんだろ。」
「だからっていきなり?この様子を見て、そんなことができるように思う?」
「そんなことを考えるより、さっさと行動をして事件を解決した方がよっぽど相手のためだろ。違うか?」
 …そうだった、こいつはこういう奴だった。
 適当な言い訳も浮かばなかったので、とりあえずは任せておくことにした。私としても話がさっさと聞けるのならそれに越したことはない。
 後を着いて歩くと、適当な相手を見つけたらしくルディはすぐに一方向に向かって歩き出した。
「すみません、少々話を伺いたいのですが。」
 ルディが声をかけると、家の前の木陰に座り込んでいた相手は顔を上げた。どうやら初老の男性のようだ。ただ表情はひどく気難しそうだった。
「…何の用だ。」
 やっぱり口調が険しかった。どう話しかけるのかと思いきや、なんとルディはおもむろに聖印を取り出して祈り始めた。それも略式ではなくかなりこまごまとした台詞を並べている。
ひとしきり祈って、それから話しかけた。
「…美しき光が、汝の下にあらんことを。いや、すみません。自己紹介が遅れましたが、わたくし私、ファル教の僧侶を務めるノヴェーバー・ストルディと申します。」
 そして、後ろに立つ私のわき腹をつついた。慌てて付け加える。
「あ、私は今回協力している冒険者のフォヴァール・ウィラーと言います。」
「今回はたまたまこの村を訪問したのですが、何やらひどくお困りの様子。もしやと思い村長様に話を伺うと、なんと恐ろしい魔物に襲われているとか。仮にもファル教の神官たるもの、困っている人々を前に何もしないわけにはいきません。」
 老人は明らかに戸惑っていた。
「いや、僧侶様、お気持ちはありがたいのですがなにぶん状況が状況ですので…」
「いえいえ、お気になさらず。話は全て村長様から伺ってます。ですから、私は町まで戻り神殿に救援を乞おうと思っているのです。ただ、そのために魔物について調べておきたいだけなのですから。何も心配することはありません。」
 相手が戸惑っている合間に、もっともらしいことを並べ立てる。疑おうと思えばいくらでも疑いようがあるのだが、最初の突然の祈りが効いたらしくわりと素直に話を聞いていた。
「そ、そうですか?じゃが、こんな老いぼれに何の話を…」
「それは、こちらの方が。」
と、突然私のほうを見た。そして再び老人に向き直った。
「いえいえ、心配はありません。彼女は若く見えますが有能なウォーロック精霊使い、その能力は私が保証しますよ。それこそ、光にかけて。」
 言葉に合わせてにっこりと笑いかけた。その瞬間、相手はどこか安心した表情を浮かべた。
 …オちたな。
私もルディのハッタリに合わせて、にこやかな表情を作って話しかけた。
「すみません。伺いたいのは、一ヶ月ほど前にこの村を魔物が襲撃した時の様子なのです。もちろん、思い出せる範囲でかまいません。どうかお願いします。」
 すると、最初の警戒が嘘のように老人は滑らかな口調で話してくれた。…やはり、一ヶ月以上経っても記憶に残るほどに衝撃的な経験だったようだ。
 それは、またも突然だった。老人が騒ぎに気づいたのは比較的早いほうだったらしく、壁が力技で強引に壊されていくのを目の当たりにすることになった。そして魔物が何匹もそこから村に入ってきて、手当たり次第に目に付くものを壊しにかかった。罵るような口調で冒険者を呼んだことを怒り、次は完全に村を壊すと叫んでいた。既に前回の襲撃で半ば壊滅していた自警団にはなす術もなかった。ついには家に火が放たれ、燃え盛る炎の中去っていったという。
「恐ろしい光景じゃった…炎が、まるで自然ではありえないほどの速さで燃え上がり、半壊になっていた家々を呑んでいったんじゃ。」
「…炎が?」
「ああ。あの火はまさに悪魔の火じゃった。奴等が去った後も、長々と消えずに燃え続けとった。あんな火が普通の火なわけがない。」
 後は、同じような話を繰り返すだけだった。必要な情報はとりあえず手に入ったようだったので、私は老人に丁重に礼を言った。
「頼みます、僧侶様、どうかこの村を…我々を救ってくだされ。お願いします。」
 何度も深々と礼をする老人を、なだめるようにルディは言った。
「ええ、私たちに任せてください。きっとこの魔物を退治してみせます。お話を聞かせていただき有難うございました。あなた方に光の加護がありますよう。では、失礼します。」
 この場を去っていく間もずっと、老人は私たちに向けて頭を下げていた。…ハッタリも、使いようだろう。

「…はぁーっ。」
あらためて宿に戻り自室に入った所で、突然ルディが大きなため息をついた。そしてそのまま椅子に座り込んだ。
「どうしたのよ、急に。」
「いや、やっぱり僧侶としての仕事は疲れるなって。」
「…自分の職業が何だか分かってるの、ファル教の神官さん?」
 ちょっとだけ嫌味を効かせた口調で言った。だけどあんまり応えてなかったらしく、平然とした口調で返された。
「いや、俺自身は僧兵のつもりだからな。」
「僧兵なんて公式の職業名じゃないでしょ。それにさっきの祈りはなかなか堂に入ってたわよ。」
「あんなもん、毎日唱えさせられてりゃ嫌でも身につくさ。」
「…あんなもんだなんて、それを聞いたらさっきのお爺さんがどう思うかしらね。あれだけ感動してたんだから…。」
 苦笑交じりにそこまで言ってから、私はあることに気づいた。
「そういえば、あの人は祈りで素直に話を聞いてくれたけど、やっぱりファル教の信者だったってこと?」
「ああ、そうだな。」
「もし信者じゃなかったらどうする気だったのよ、たまたまうまくいったから今回はよかったけど。」
 私がそう言うと、ルディはちょっと驚いたようだった。
「気づかなかったのか?あの爺さんの荷物の中に、うちの聖印のレプリカがあったんだ。おそらく信徒だろうな。」
 今度はこっちが驚く番だった。ルディが日常に近いところでそういう注意力を見せるとは正直思わなかったからだ。
「ナニ意外そうな顔してるんだよ。俺ってそんなにいい加減な性格に見えるか、ウィラ?」
 どうやら顔に出てたらしい。慌てて目線をそらす。
「…まあ、いいや。それよりも問題は解決したのか?」
 ルディの口調が真剣なものに変わったのに合わせ、私も改めて椅子に座り直した。一度深く呼吸を取ってから、話し始める。
「ええ。…やっぱり、この事件はただのオークが起こした事件じゃないと思う。」

翌日、私たちは夜明けとともに山のふもとに向かった。
夕べルディと話し合った後、改めて村長の下に赴き例の場所への案内人を頼んだ。期限までは後四日、行動は急いだほうがいいと判断したからだ。村長はなおも不安がっていたが、魔物の行動時間帯は夜間が多いから早朝の行動は安全だと言って納得させた。…少なくともオークが相手なら、それで間違いではない。
案内人のおかげで迷うこともなく、祭壇めいたものがある場所にはたどり着けた。実際、獣道の上に人やその他の足跡がさらに重なっているので注意深くたどっていけば自力でも何とかたどり着けただろう。
とりあえず村までの道を地図上で再度確認した上で、この案内人には帰ってもらった。これ以上はついてきてもらう必要もないし、足手まといについてこられても何か起こった時にかばえる自信は、ない。
「本当に、大丈夫なんだな?…頼むよ、もうあんたらしか頼れる奴はいないんだ。」
「ええ。今日中に、解決してみせるわ。」
 もし今夜中にカタがつかなければ、相手に感づかれ再びオークが村を襲うこともありえる。それだけは避けたかった。
 そして、まずは祭壇そのものを調べにかかった。祭壇といっても削った木を何本も乱暴に地面に突き刺して形を作っただけのひどく稚拙な代物だ。仕掛けなどの類もやはり見当たらなかった。
「オークどもの祭壇なんて言うからもっと汚い物を想像してたけど、思ったよりは汚れてないな。」
「そう…みたいね。」
 ルディが言う通り、もっと汚れた…それこそ血糊が全体に付着したような物を想像していただけに、少し拍子抜けだった。目に付く傷は、縛られていた女性が逃げ出そうとした跡らしく表面が擦り切れて微かに茶色くなっている一箇所だけだった。
 ひとしきり調べた後、立ち上がって腰を伸ばした。
「少なくとも、ここではイケニエを殺してはないってことかな。」
「むしろ祭壇というよりはただの目印じゃないのか?ここにイケニエを連れて来いという。」
「それにしては凝り過ぎてるでしょ。ただの目印だったら、木を一本と看板か何かを立てておくだけでも済むはずよ。」
 そう、わざわざいくつもの木を使ってここまで手間をかける必然はどこにもない。それこそ、宗教上の理由とかいう精神的なものでない限り。
「ま、この祭壇ばっかり気にしてても仕方ないわ。ヤツラの足跡がないか調べてみるから、一応辺りに気を配っといてね。」
「了解。」
 周囲の警戒はルディに任せて、私はたどれそうな足跡がないかを注意深く調べた。恐らく一ヶ月ほど経っているというのが正直つらかったが、仮にも狩人で生計を立ててる以上はオークという比較的大型な足跡を見つけられないはずがない。
 案の定、大して時間をかけることもなくすぐに見つけることができた。数匹の群れらしい足跡が一方向に向かっていた。
「ルディ、こっちよ。ついてきて。」
 恐らくこれが現状で見つかる、ただ一つの確かな手がかりだろう。そう思った私はいつになく真剣に足跡をたどっていった。

「それにしても、オークがあんな信仰めいたものを持っているとはなあ。これは、事件が解決したら改めて特記して神殿に報告でもしとくか。」
 気楽な口調でルディが話しかけてきた。もちろん、プロである以上周囲の警戒は十分行っている。
「ルディが報告なんて事務的な仕事を自分からやるなんて言い出すとはねえ、珍しいこともあるもんだ。ま、ヤツラの・・・向こうでの生活なんて誰も知らないんだし、そういうのがいてもおかしくないんじゃないの?」
「いや、今までそういう類の話は皆無だったんだよ。…ああ、だからただのオークじゃないってことか。なるほど。」
「違うって言ってんでしょ。」
 …まったく、人が夕べ話したことを何だと思ってるのやら。やっぱり危機感があまりないように思えた。くどいようだったが、もう一度頭から説明してやることにした。半分は、ただの八つ当たりだけど。
 今回の事件で直接村人の前に現れているのはオークだけだが、私はその後ろにより強力な何かの存在を確信していた。理由はちゃんとある。
 一つはその出現だ。オークが一匹なら「門」が偶然開いてこっちの世界に転がり込んでくることも十分ありえる。しかし今回は群れだ。と、いうことは自然に出現したものではありえない。だからといってもっと昔に現れてこの世界に定着した存在である可能性も低いだろう。なぜなら、ここにはもともと野生のダイアー魔ウルフ狼が生息していたからだ。オーク数匹と魔狼の群れとが争ったら、ほぼ互角だろう。だからわざわざそいつらと戦ってまでここに移住することもまずありえないわけだ。
「オークの群れがもっとたくさんで、魔狼との争いで今の数にまで減ったってことはないのか?」
「二桁の数になったオークの群れなんて、それこそ聞いたことがないわよ。それもやっぱりありえないでしょ。」
 そしてもう一つは、あの老人の証言だ。オークは炎を使うことはほとんどない。発火技術を持ってないのだから当然だろう。ところが二回目の村の襲撃では見事に家々が焼かれた。しかも、老人の言葉を借りれば「悪魔の火」でだ。恐らくそれは、何らかの魔法が加わっていたに違いない。もちろんオークは魔法なんか使えるわけがない。つまりはオークとは異なりしかも魔法を使えるであろう相手が、この事件にはかかわっているわけだ。
「確かに、そう言われるとそう思えてくるが…考えすぎかもしれないぜ。例えば壊された家の中でランタンか何かが倒れて火があがり、それが燃え広がっただけかもしれないだろ。」
「そうだけど…やっぱり、嫌な予感がするのよ。」
 後は、ホントになんとなくでしかない。オークが若い女性のイケニエを毎月要求したり、冒険者を呼んだことを怒って村を襲撃にくるというのも考えられない話ではない。だけどそういうあまり聞かない話が相次ぐと…不自然な気がする。
「おい、あれか?」
 ルディが突然小声で言ったので、私もそっと先をうかがった。
 木々の向こうで、山の地肌がむき出しになった斜面に洞窟が見えた。奥はまったく見えない。そして、たどっている足跡もまたそこへと向かっていた。
「多分ね。…思ったよりも早いうちに見つかってよかったわ。まだヤツラが眠っていればいいんだけど。」
 恐らくここがオークたちのねぐらだろう。まだ午前中だから、見張りさえ気をつければオークは間違いなく眠っている時間である。見えない敵の存在が気にはなるが、少なくともすぐに出てくる雑魚の数が減るだけでもありがたい。
 私はもう一度洞窟を見つめた。
「…急ごう。」

 狭い洞窟では愛用の弓は使えない。私はそうした大型の荷物をルディの物も合わせて木陰に隠した。地形から考えれば、この洞窟を抜けて先に進むとも思えない。最終的にはここに戻ってくることになるだろう。身に着けた鎧と、呪文の発動体も兼ねた短剣を改めて確認する。
 ルディも同じく装備の確認を行っていた。ただし彼の場合は武器が二本のメイス鎚矛だから、洞窟内でも使用に問題はない。
 以前、私はルディになぜ鎚矛という珍しい武器を使うのか聞いたことがある。戦士の中でもこの武器を使う者は少ないからだ。理由は、「ガキの頃から木の枝を振り回して遊んでたからな。刃物よりもこういう武器のほうが性に合うんだよ。」答えにあまりなっていない気もするが、まあ、人それぞれということだろう。
「準備はできたわ。さ、行きましょ。」
「ああ。じゃ、明かりを頼む。」
 その言葉に私は目を丸くした。
「まさかまだ覚えてなかったの?仮にも神官様が、初歩中の初歩の聖魔法である光を生み出す呪文すら使えないなんて!ああ、なんてことかしら。」
「…呪文の類は苦手なんだよ。前々から言ってるだろ。」
 確かに、ルディはもともと魔法の素質は低かった。だからその代わりとして肉体を鍛え戦士並みの身体能力を身につけたのだが…だからといって神官がまったく聖魔法を使えないのは問題だろう。たとえば実体を持たないアンデッドが相手の時はどうするつもりだ?
「司祭様には何か言われてないわけ?」
「まあいろいろとやってはくれてるが…だいたい、無理に短所を補うよりは長所を伸ばした方がよっぽど役に立つだろ。」
 つまりは、相変わらずその気はないということか。…こんな所で争っていても仕方がない。その辺の論争はまた後日、この事件が解決してからじっくりとすることを心に決めて私は呪文を唱えた。
「リト・レス光よ、集え。」
 手の上に光球を発生させる。光量は念のために少し落としておいた。
「これくらいなら簡単なことなんだから、ちゃんと習っておきなさいよ。」
「そのうちに、な。」
 それでも一応、一言を言ってから洞窟に足を踏み入れた。
 だが、数歩も行かないうちに、暗闇の向こうから異臭が漂ってきた。
「…えらく臭うな。オークどもの臭いにしては強すぎないか?」
「…違う…これ、腐臭よ!それも相当強い。」
 あまりの気持ち悪さに、つい片手で口元を覆ってしまった。落ち着いたところで再び手を戻す。―片手がとっさに使えなくなるのは避けたい。
 しかし奇妙だった。イケニエの女性たちが食べられたのなら、肉があまり残らない分ここまで強い腐臭が漂うことはないはず。何らかの異常な事態が起きていることは間違いなかった。
 そのことをルディに伝えると、さすがに表情が険しくなった。
「問題は、その元が何かってことだよな…仕方ない、虎穴に入らずんば虎児を得ず、か。」
 高まる不安はあえて押し殺しているのか、何事もなかったかのようにルディは再び歩き出した。私も、それに合わせて足を進めた。

 そして、腐臭の元は程なく見つかった。
 トラップの一つもない洞窟は、すぐに行き止まりになっていた。その奥に、・・それがあった。
「…死体ね。それも、オークの…。」
 息をするだけでも苦しいほどに、臭気が満ちていた。頭痛がする。
「ああ。とりあえず、ここで行き止まりのようだな。分かれ道もなかったし、何かに不意に襲撃されることもないだろう。…光を強めてくれ、詳しく調べてみたい。」
「ウォルド拡大。」
 光量を強める。昼間のように明るくなった空間には、想像を絶する光景が広がっていた。
 オークの屍、それも著しく腐敗の進んだものがいくつか、洞窟の一角を占めていた。既に崩壊がひどいために、見ただけではその数を判別することすらできなかった。腐肉が解け崩れ、転がった手足やあるいは頭には骨が露出しているところもある。蛆虫らしいのがそのいたるところで蠢いていた。
 とたんにひどい吐き気に襲われ、また口元を手で押さえた。目に涙がにじんだ。
 よろけそうになった体を、ルディが支えてくれた。
「やられて、結構な日数が経っているな。…一ヶ月か?」
「洞窟の奥だから、空気がこもっているせいで正確な時期は分からなくなってるけど、少なくともそれくらいは経っている、はず。」
「…誰がだ?」
「……。」
 分からなかった。この状態ではロクに死因を調べることもできやしない。あるいは、それも狙っていたのなら…狡猾、そしてとてつもなく残虐な相手なことは間違いない。
「とりあえず、前任の冒険者たちなら、わざわざ死体をこうやって集めたりはしないはず。それに、彼らの遺体はどこに…まさか!」
 私は思わず身を乗り出して、その屍の塊に触れようとした。
この状況を見て、あまりのショックに冷静な判断力を既に失っていたのかもしれない。ある恐ろしい考えにとりつかれた私は、必死でそれを確かめようとした。
「ウィラ、待てっ!」
 ルディの手が伸ばした私の手をとっさに掴もうとする。だけど、間に合わなかった。
 右手が死肉を崩す。生々しい感触が私の手をなめた。
 そして、どこかでカチリという音がした気がした。

 意識が戻ったとき、目の前は真っ暗なままだった。
 目をこすろうと手をやって、初めてそこに何かがくっついていることに気づいた。何も考えずに手でそれを掴んだ。
 柔らかな感触と、腐臭。
「きゃあああっ!」
 夢中で投げ捨てた。遠くで、小さくベチャリという不快な音がした。
 ようやく我に返る。辺りが真っ暗なままであることに気づいて、再び光を作った。
 …見ては、いけなかった。
 洞窟中に腐肉が散らばっていた。壁、天井、いたる所に肉片らしきものがこびりついている。そしてさっきまで屍の塊があった一角を中心として放射状に、ずたずたになった腐肉が広がっていた。
「…うっ!」
 不意に込み上げた吐き気に、思わず私は吐いた。胃が空っぽになっても、それでも吐き気は治まらなかった。
 肩で激しく息をつき、無理やり呼吸を整えようとした。そして、ようやく思い出した。
「…ルディ?ルディっ!」
 あの一瞬、最後に強い力で横に跳ね飛ばされた気がする。そして次の瞬間にはすさまじい力で吹き飛ばされた。爆薬のトラップが発動し、ルディが私をかばったのだとしたら…。
 恐怖と嫌悪感に耐え、もう一度周囲を見回した。
 ―いた。私よりもさらに遠いところで、横たわっていた。
 駆け寄った。名を呼び、肩を揺すったが意識は戻らなかった。だがうめいているから、息がまだあることだけは確かだ。
 呪文を唱えようとして、発動体の短剣を握った右手が震えていた。左手でそれを掴み、押さえ込む。今、自分がしっかりしなければ、どうしようもないと何度も言い聞かせて口を開いた。
「…ブ、ブレド・リフェ・リト・フェイル命を育みし聖なる霊よ、カレ・ヘ彼の傷を癒せ。」
 手先から広がった光がルディの体を包んだ。力が、吸われる。出血は少ないが、やはり見えない所の傷が深かったようだ。
 ひとしきり治療が終わって、光が消えた。かざしていた手を地面につき、再び肩で息をする。ルディはまだ気を失ったままだった。ショックが大きかったらしく、怪我をある程度治しても目覚めなかった。
「どうしよう…。」
 少しだけ安心した途端に、体のあちこちが痛み始めた。かばってもらったとはいえさすがに無傷ではいられなかったようだ。再び癒しの呪文を唱えようとして、思いとどまる。
 事件は終わっていない。オークを殺し、このトラップを仕掛けた相手はまだ現れていない。今、下手にこれ以上魔法を使っては相手に対処できなくなる恐れもあるし、最悪の場合相手に感づかれることもありえる。
 ルディのすぐ横に座り直し、光球を消した。辺りが再び闇に包まれる。
 私は横たわるルディの手を握り締め、一刻も早く目覚めてくれるのを祈った。

 足音が聞こえた。
 小さな音。歩幅は狭く、ゆっくりとした歩調…人が、一人。 
 ルディの手を離し、改めて短剣を握った。微かに、明かりが見えた。
それが少しずつ強くなり…そして、相手が見えた。
「おや、こんな所に…。」
 姿を見せたのは、なんと壮年のエルフだった。相手が太っていた上に光が弱かったため、実は一瞬人間かと見間違えたもののすぐに分かった。
 安心をした。
「助けて、下さい…。」
 私がとぎれとぎれながらそう言うと、相手は目を丸くした。
 そして…笑った。
「スォル・テンデル・インダ・フェイル柔き者を切り裂く風霊よ、ニーダ・アル・ツヘこの者らをその顎で喰らえ。」
「ラン・コヴェル大地の壁よっ!」
 出遅れた分、魔法の発動は同時だった。
 真空の刃が私たちを捉える寸前、土の厚い壁がそれを遮った。なおも刃が打ち付ける。私はそれに耐えるべく、魔法を維持せざるを得なかった。
「ほう、これだけの力があるとは…前の二組のような雑魚ではないようだな。」
 その瞬間確信した。目の前のこいつが、今回の事件の首謀者だってことを。…最悪の状況だ。
「―あんた、いったい何者なのっ!」
魔法が均衡を保っている間に、少しでも時間稼ぎをしようと口を開いた。だが言葉を発した瞬間に集中が弱まり、壁が砕けそうになる。唇を噛んで意識を保った。
相手は壁の向こうで笑ったようだった。風の音にまぎれ、微かな含み笑いが聞こえた。
「ただのエルフのソーサラー魔道士だ。そっちこそ何だ。あの村はもう冒険者を雇う状態になかったはず。…ああ、そうか。偶然この洞窟を見つけて入ったんなら、運が悪かったと思うんだな。」
「…残念ながら、おせっかいな冒険者の方よ。」
 本当に、その通りだ。こんなことに首を突っ込んだりしなければ、今頃隣町でのんびりと観光でもしていただろう。
「それは珍しい。報酬もロクにないくせに、よくも働く気になったもんだ。まったく、貧乏なその日暮らしの癖に善人ぶるのにはいい加減呆れるな。」
「人の勝手でしょ!それに、お金の問題なんかじゃないわ。」
「金の問題じゃなかったら何だって言うんだ。人情か?下らん。何の役にも立ちゃしないものを。」
 やたらとお金にこだわる男だ。…まさか。
「お金お金って、やたらとお金にこだわるわね!そのくせこんな貧乏な村をオークに襲わせて、いったい何のつもりよ。」
「村に現金がなくても、売り物ならあるさ。」
「…最低の、ゲス野郎が。」
「負け犬の遠吠えなど見苦しいな。まあ分かったんなら話が早い。そうさ、売らせてもらったよ。若い娘はいい金になる。まあ、あと一人ぐらい売り飛ばせばそこそこの金になるから、ここから離れるつもりだったがな。」
 イケニエとして若い娘を要求していたのは、喰ったり儀式に使うためではなく、より金になるからというただそれだけの理由だったらしい。少なくとも、彼女たちにとってはすぐに殺されたりしなかっただけ、ましだったとは言える…そう、思いたい。
「イケニエについては分かったけど、オークどもはどう操ったのよ。それにあの死体は何!」
「さっきソーサラー魔道士と名乗ったばかりだろう。あんなクズども、必要に応じて召喚したのさ。送り返すのも面倒だったから、用が済んだらあの洞窟に押し込めて殺したがな。死体が見つかっては、さすがに事件をオークどものせいにするのが難しくなるしな。ついでだからトラップも仕掛けておいたが、こううまくいくとは思わなかったよ。」
 事件がオークによるものだというミスリーディング誤導。なるほど、闇魔法の使い手たる魔道士ならばオークの召喚も支配もたやすいだろう。…おかげでこっちはこんなに危険な状況にあるのだが。だけど、まだ弱みは見せたくはなかったし時間も欲しかった。
「うまくいっただなんて、私たちをこうやって相手にしてよくもまあ言えたもんね。それにオークの件だって、あの程度のカモフラージュで誤魔化したつもり?はっ、お笑い種ね。」
「…ほう、そこまでいうんならそう思わなかった理由でも聞かせてもらおうじゃないか。面白い。」
 口調がちょっとだけ変わった。多少は興味があるらしい。
「一つは魔狼の存在よ。二ヶ月前…たぶんあんたがここに来るまでは、彼らがこの辺りに住み着いていた。そんな所にオークの群れが移住してくるとでも思ったの?」
 ことさらゆっくりと間を取り、余裕があるように見せかけて話す。ハッタリも使いようだと、つい昨日目の当たりにしたばかりだったことをふと思い出した。
「なるほどな。わずらわしかったからすぐに殺したが…次からはせいぜい参考にさせてもらうよ。で、他にもまだあるのか?」
「ええ、もう一つね。二回目に村を襲ったときよ。ろくに火も使えないオークが、どうして家を燃やせるわけ?しかも魔法による炎なんて、オークは犯人じゃありませんって言ってるようなものじゃないの。」
「脅しを聞かせたつもりだったが、少々調子に乗りすぎたかな。いや、よく気がつくお嬢さんだ。」
「お褒めにあずかりどうも。」
「だけど、知りすぎた者は殺されるもんだ…時間稼ぎに付き合うのももう飽きたな。」
「!」
 相手の声音が変わった。来る!
「フォルド・アル・フィレ・フェイル全てを飲み込む炎の魔人よ、レカル・レス・ツヘその腕でわが敵をなぎ払えっ!」
「ムク・ワテル・コヴェル厚き水の壁よっ!」
 一瞬の後、これまでとは比べ物にならないほどの炎が私の作った水の障壁を襲った。強大な負荷が、全身を襲う。
 相手の属性に合わせた防御を張らなくてはならない以上、どうしても遅くなるため略呪文しか唱えられなかった。…おまけに、多分こいつの力量は私よりも、上だ。
 既にこっちの力は残っていない。壁が、少しずつ薄くなっていく。
 水の幕の向こうで、炎に照らされた相手の黒い影が揺らめくように見えた。
「…ルディっ!」

「伏せろ、ウィラ!」
 名を呼んだのと、叫びが返ってきたのはほぼ同時だった。とっさに下げた頭の上を、・・何かがすさまじい勢いで飛んでいった。
 ―ガスッ。
「ぎゃあっ!」
鈍い音と男の叫び声が響いて、炎が消えた。そして倒れる音。
その瞬間、私の力も尽きた。水が消滅して残った熱気が勢いよく広がる。
そして、目の前を、・・・・・一本の槌矛を両手で振りかざしたルディが駆け抜けていった。
「くたばれっ!」

 鈍い音が洞窟中に響いた。


 洞窟の外に出た瞬間、あまりの眩しさに目が痛くなった。太陽はちょうどほぼ天頂にある。まだ、昼頃だった。
 そして、あらためて日の光の下で自分たちの格好を見てげんなりした。鎧が傷んでいる上に全身のあちこちにオークどもの死肉が付着したままで、目も当てられない状態だ。すでに感覚が完全に麻痺しているのが、あまり救いになってない気もするが唯一の救いである。
 私は、その場に座り込んだ。
「大丈夫か、ウィラ?」
「…そんなわけないでしょ。いたた、あちこち怪我したままだし、もう体力の限界よ。」
 私がそう言うと、急にルディは真面目な顔をして自分の装備を漁り出した。
「急にどうしたの。」
「…いいから、しばらく黙ってろ。」
 やがて、何かを見つけたらしく動きが止まった。
 聖印と、一枚の紙だった。それを広げてじっと目を凝らしたあと、突然ルディは私に向けて聖印を握った手をかざした。
「ちょ、ちょっとルディ?まさか…」
「黙ってろよ、まだよく覚えてないんだ。えーと…イ・アセ・リト・ト・カレ・ヘ光よ、彼の者を癒せ。」
 そして、ルディが呪文を唱え終わるとごくわずかにだが確かに光がその手に集い、私の体へと広がった。
 体が、少しだけ楽になった。
「よかった、間違わなかったようだな。…少しは楽になっただろ。」
「うん…ってそれより、聖魔法、使えるんじゃないの!どうしてさっきはそれを言わなかったのよ。」
 私の言葉に、ルディは照れくさそうに目線を逸らして頭を掻いた。
「まだ習い始めたばっかりなんだよ。だから、今みたいな基礎の聖魔法にだってカンペが必要なんだ。…笑うなよ。」
 そう言われたけど、やっぱり私は、笑ってしまった。
「ま、これから覚えていけばいいでしょ。よかった、これで一安心だわ。」
 素人ながらそれなりに練習したらしく、思ったよりも体が回復していた。立ち上がる。
「何とか村まではもちそうね。体力がもつうちに、急いで村に戻りましょうか。」
「そうだな。報告は早い方がいいし。」
 その言葉で、ふと私は思い出した。
「…どうした、ウィラ。」
「ん…結局、今回の黒幕ってあのエルフのオヤジなんだよね。」
「ああ、そうだな。」
 そう言ってルディは洞窟を振り返った。さすがに、撲殺した死体を運ぶ気にはなれなかったらしい。
「…最悪。」
 私は大きくため息をついた。
「何、あの太った姿は!おまけに金の亡者だし。ああもう、エルフの印象ぶち壊し。種族の風上にも置けない野郎ね。」
 毒づく私の頭を、ルディが小突いた。
「種族も何も、お前が気にすることはないだろ。」
「だって。」
 すると、ルディはおもむろに私の・・・長い耳を引っ張った。
「しょうもねーことにこだわってんな。エルフも人間も、おんなじヒト人なんだからあんなのがいたっておかしくないだろ。違うか?」
「…確かに、そうだけど。」
 ほんと、その通りだ。人なんて、種族に関係なくいろんなのがいるから。
 私がうなづくと、ようやくルディは手を離してくれた。そして、いつもの笑みを浮かべる。
「それにしても、ホントにひどい仕事だったな。」
「勝手に首を突っ込んだのはそっちでしょ。まったく、村長はうるさいし死にそうな目にはあうし、ついでに言えば謝礼もなさそうだし。」
「分かってるって、まあ今回の場合は神殿からボーナスが出るだろうから、その分でお礼はするさ。」
「そういう問題じゃなくて!…だから私は、こんな仕事なんか始めっから引き受けたくなかったんだって言ってんの。」
「ま、終わったことだしそう気にすんなよ。終わりよければ全てよし…、あいてっ。」
 その言葉には、やっぱり肘鉄で返した。まったく懲りない奴だ。
「…さ、こんな所に長居は無用だ。とっとと帰るとするか!」
「荷物を置いていく気?ホントにどうしようもないヤツね。だからどーせ神殿で他の冒険者も雇えないんでしょ。」
「痛いとこをつくなー。だから、ほんと感謝してるって言ってるだろ。」
「だったら行動で返しなさいよ。ああそうだ、次までに聖魔法がどれくらい覚えられてるのか、楽しみにさせてもらうわ。」
「だから魔法は苦手って言ってるじゃねーか。ったく…。」
 そして、私たちはまた歩き出した。


 ファヴォール・ウィラー、愛称ウィル。81歳の花の乙女で、狩人が本業だけどたまに友人に連れ出されて冒険者もやってる。時には大変な目に遭ったり、本当に命を賭けたりするようなこともあるけど、まあ今の生活に満足している。
 ああそう、一応種族も名乗っておかないとね。おんなじ人でも、いろんなのがいるんだし。
 私は、エルフ。そしてそれを誇りに思ってる。でも友人に言わせりゃ、種族なんてどうでもいいことらしい。
 …そう思う。


                       ―end.



 〈あとがきのたぐいのおまけ。〉
 はい。the Man.はいかがでしたか?楽しんでいただけたら何よりです。
 自己紹介はもういいかな。ライト・ファンタジーを担当しているいづみです。どうもー。
 今回の短編では、B.L.世界の特徴(というほどのものでもないが)の一つである、「人」という概念をちょっと紹介してみました。まあ要するに、この世界では人間やエルフやそういった類の種族の総称として「人」という概念があります。ま、実際の用例は二人の会話にちょっと出てきたのでお分かりいただけるかと。
 ああそうだ。ファンタジーに詳しい人からは「悪役のエルフはダークエルフに決まってるだろー!」、「太ったエルフって何?人間過ぎていやー。」とかいう意見もあるかと思いますが…まあ、うちの世界では異種族もほとんどメンタリティとかに違いはないです。だって書き分け出来ないし(死)。で、ダークエルフについては…とりあえずまだ設定はしてません。だって人間は悪役もそのままなのに、なんでエルフだけ特別扱いしなきゃいかん?…そんなわけです。
 ああ、一応ストーリーについて言い訳を(笑)。実はB.L.シリーズにおいては、ストーリー作成が泉で執筆がいづみという分業体制が整ってます。で。今回、泉からはかなりいい加減なストーリーしか届きませんでした。理由を聞くと、「次のB.L.は久々の長編でしょ!そのストーリーの最終調整で私は忙しいのっ。」…なんだかなぁ。というわけでかなり勝手にやらせてもらいました。そのせいでキャラは妙だわRPGチックかと思えばスプラッタになるわ…後で泉に殺されるかもしんない(汗)。まあいいか。
 ちなみに、そこはかとなく漂ってる気がしないでもないラブコメ風味は…気のせいです。(断言)決して、作者の趣味や恋愛傾向などは反映されてません。ええ、反映されてませんともっ! …しくしく。(ナニかあったらしい。)
 今回のあとがきは少々長くなっちゃいましたが、まあこんなもんでしょう。ちなみにこの二人組は完全に単発キャラとして作ってるので、再登場はまずありえないです。だからB.L.シリーズのメインはナシィさんたち三人組なんだってば。次回作は久々に彼らの長編だし。
 あ、それではこれにて失礼。ばいばーい☆


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