リレー小説第3弾(題名未定)

目次

第1章(雨野璃々)

第2章(jt)

第3章(京元光)

第4章(椎名流)

第5章(Sin)

第6章(鹿ヶ谷)

第7章(Syi_nin)

第8章(ヤタガラス)

第9章(雪村ぴりか)


第1章

雨野璃々

「――そうかぁ」
 遣水がさらさらと響く。
 聞こえるのはその水音だけで、深い山奥だというのに、蝉時雨も聞えない。
 茶室の窓から見える庭は草が青々と茂り、濃い青の空から降り注ぐ強い光を受けて黒々とした影をつくっていた。しかし、風もない、わだかまる暑い空気の底にいるはずなのに、何故かそれが身にこたえない。出された座布団は、着物をほどいて作ったと覚しき、古いとはいえ華やかなしぼりの布地だ。汗で濡らしてよいものかと少々敷くのにためらった。が、座ってかなり経つのに、正座した足は不思議に、ほとんど汗をかいていなかった。
 向いに座る、茶室の主は、急須から深川焼の茶碗へ茶を注いだ。無心に急須を持ち上げ、注ぎながら何度か持ち直す。注ぎ口から茶碗への細い茶の滝が、主の手の動きに伴って流路を変える。
「さ。どうぞ」
 主はゆっくりと云い、二つの茶碗の一つを押してよこし、一つを手前に引き寄せ、両手で持って啜った。
 息をつくと、茶碗をおいて、主は軽く腕組みをした。茶色の絽の着物は薄手で、下の肌襦袢の白がうつっている。
「そうかあ」
 主は六十歳近いという。中背で、静かに重厚に構えている男だ。穏やかな面差しながら眼に力があるので、老人というより壮年と感じさせる。
「熊野権現(ゆやごんげん)も、お宮を引き払われるか」
 客人の目を覗き込んで、主は低い、耳に心地好い声で尋ねた。
「はい。もはや熊野の社には留まっておられぬと」
 ともすればうわずる声で客人は早口に応え、しぼりの座布団の上で座り直した。
「そうなあ」
 茶を飲み乾して、主は考え込むように頷いた。
「臆病とお思いでしょうか。けれどあの地震以来、まだ我らの周りでは地鳴りが止まないのです。いえ、地鳴りは近づいてくるようで……」
「だとしたら、たいへんな事態になるなあ。引き払われるが良いかもしれませんな。何せ、せんの地震をくらった葛城のお宮は、鳥居がまっぷたつに崩れ落ちたと聞くからね……」
「葛城にはお見舞いにあがりました。霊威ある鳥居が、一刀両断にされたように、無惨にくずれておりました」
 そこで、客はぬるくなった茶をようやく口にした。主はふうむ、と呟いた。
「ほかの皆々さまは、如何ようになさるお心でございましょう」
「葛城に近い面々は、それこそお宮を遷す遷さぬと詮議のさなかよ。お宮も社も寺々も。住吉の社などは動かぬと云うて聞かず、動こうという面々を糾弾しておられるが、ああ言った振舞も……」
 主は首を一つ振り、茶を淹れ直し、客の前の茶碗も渡すよう促して、熱い茶を注いだ。
「――恐れ入ります」
「暑いときに熱いお茶は飲みづらいでしょ。冷まして」
「いえ、すいません……」
「いやいや」主は手を振った。「そんなことは気にすることではない。――あ……」
 思い出すように主は上方へ視線を投げかけた。
「まあ一週間ほど前かな。住吉の宮司のお子がこちらにみえてね。この暑いのにきらきらしい正装をきっちりと着込んで、見た目にも暑苦しかった。云うことも暑苦しかったけど、ねえ」
 はあ、と客は頭を下げた。とりあえずこの主はこちらに好意的であるらしい。ここまで訪ねてきた肩の荷が降りた心地がする。
「おお」何かを思いついたように主が身を乗り出した。
「あなた、今宵はここへお泊りか?」
「あ、いえ。前の坂を下りましたあたりに、宿をとっております」
「さよか。それはよろしい。ここでは漬物や納豆くらいしかお振舞い出来ぬけれど、下はさびれたりとは言え門前町、遊山の気分でゆるりと休んで行かれなさい」
「いえ、そのような……」
「いや」主は穏やかな表情でじっと客を見つめた。「変事続きで気の休まる間がなかったことであろ。肩の力を抜きなされ」

――つづく。

第2章

jt

 …既に予兆にとどまらず。
 あり得ぬことが始まっていた。
 「おい、加奈子。お茶」
 神域を俗と区別せぬ、地の力。
 いや、むしろ神域を好んで揺さぶる、地の力を掌握した、神ならぬ何物かが…
 「なーにを書いとるかこのボケ娘が」
 …仄めかすのはやめよう。神ならず、神にも止め得ず、地を掌握し、いや、大地そのものとして眠るもの。
 世に知れたその名を…
 「これ!加奈子!」
 …『燃える枯れ木爺』と言う。
 「だーれが枯れ木かあ!」
 …あ、間違えた。

 「もう、うるさいなあ!」
 あたしはとりあえず現実に帰ってきた。
 えーと、やたらぴかぴか磨いてある文机。右肘のそばに殆ど木の色に戻った古文書がどさっと乗ってて、反対の端にはフラワーロック(なつかしい?ていうかおぼえてる?音に反応して動くラブリーファンキープラスチックフラワー)のナツユキ君がくねくねと踊っている。クラシックだろうが雅楽だろうが爺の怒鳴り声だろうがくねくねダンスに変換しちゃう『彼』は密かにあたしの尊敬する人ナンバーワン、だったりはしないけど。
 でもって、真正面の原稿用紙の束にかっちりした文字が並んでるのは、これ、小説。さっきまで書いてた奴で、書いてるのはあたし。橋呂木(はしろき、て読む。わりと珍しい苗字)加奈子。中学2年生。
 あ、まあ、文章、中学生っぽくも女の子らしくもないんだけどね。おまけに文字、やたら厳つく立派な正しい楷書だったりするんだけど…これ、一つにはもっと小っちゃいころから(今でも背は低いけど)小説書いてきた賜物、だし、もう一つには…そもそも、無邪気なポエムともかわいい丸文字とも無縁な環境で育った不幸な少女なんだよね。あたしって。
 「何が不幸か!加奈子!」
 キコキコとモーターな音を立ててナツユキ君が踊るのを見て、心臓麻痺を起こさないように深呼吸一秒。振り返ると口がある。口の上に白いちょび髭がある。ちょび髭の上には肉の薄い穴の大きい鼻がある。鼻の上にはビームが撃てそうなギョロ目があって、ギョロ目の上には禿頭がある。
 「誰が禿かあ!」
 といちいち怒鳴るこの人は、人呼んで『燃える枯れ木爺』。略して『爺』こと(お年寄りの多いこの界隈で『爺』の一文字で通じるって言うのは…)橋呂木文殊(もんじゅ)。燃え盛りつづけて十分の八世紀。枯れ木の癖にいまだに燃え尽きないのは多分、高速増殖炉でも内蔵してるんじゃないかとあたしは密かに疑っている。そのうちメルトダウンして世界の危機が…
 「わしは恐怖の大王か?」
 …まあ、そんなことはないか。きっと。多分。
 「加奈子」
 と、お爺ちゃんがあたしの名前を呼ぶ。本当は『加奈』で二文字のほうが好みなんだけど…日本の女の子だから、と言う勝手な理由で無理やり『子』を付けさせたのもこの人だったらしい。これだけでもあたしには一生『爺』を恨みつづける動機が…
 「古いことをぶつくさ言っとらんで座らんかい」
 もう座っている。三時間正座している。足が痺れないのはまあ、教育の賜物で…日本人の脚の形が悪いのって正座の所為らしいからこれも爺の悪行リストに載っている。お父さんとお母さんが家にいないのはいいかげん慣れたからもう良いけど、こんなご老人に育てられた不幸の恨みはお墓まで持って行こうと…
 「ええい、いちいちしつこい!こっちを向いて座れい!」
 ああ、もう。うるさいなあ!地の文に割り込まないでよ!
 「何を言うか。ちょっと主人公だからと浮かれおって下らんことをくどくどと」
 さらに枯れ木爺は舞台上手読者側に向き直って深々と一礼。
 「先ほどより加奈子の聞き苦しい愚痴にお付き合いいただくこととなり、読者の皆様には真に申し訳ございません。これより、私、橋呂木文殊めがようく言って聞かせ、読みやすい文章となるよう勤めますのでここは一つ、今のところは、なにとぞご寛恕くださいますよう平にお願い申し上げます」
 …びゅう、と何か冷たい風が吹き抜けた。えーと…

 二人揃って咳払いして、とりあえず仕切り直し。背筋がぴんと伸びた正座で向き合う。
 「全く。下らん戯れ書きにうつつを抜かしおって。言いつけた分は出来とるのか?」
失礼な。
 「とっくに終わったわよ。伊達に年中こればっかり書かされてるわけじゃないんだから」
 と、文机の上、古文書の束の上には原稿用紙の束。この神社(そう、うち、神社なんだよね)の由来やら神話やらと残っている資料をかき集めたものを、訳して物語風にまとめたものだ。一昨年からこれがあたしの仕事になっていて(古い紙の匂いとのたくった草書に慣れれば、けっこう楽しい)、お陰で国語の成績はすこぶるよい。まあ、後の才能は全部体育に行っちゃってるんだけど…
 と、あれ?おじいちゃん、いきなり立ちあがるとどすどすと廊下を歩いて出て行く。
 ふ、あたしの仕事の速さに恐れをなして恥じ入って退散したのね。さあ、続き書こう。
 世に知れたその名をどすどすどすどす、ずずん。
 ずずん、なんて擬音通りの音(というか圧力と言うか…)を初めて聞いた。恐る恐る目を上げると…(危ないって…)古文書の山が、成長していた。あたしの背丈の二割増ぐらいの、紙の山。紙って言うのは要するに木材だ。これだけ積まれると、怖い。
 ぐぎぎぎ、と首関節が軋んで回って、振り返ると爺が顔を真っ赤にして肩を怒らせていた。…まさか、老体に鞭打ってこの紙の山抱えてきたんだろうか。書庫とこの部屋って別棟で、100mくらいは離れてるんだけど…
 「ふん。まだ年はとっとらんわ」
 嘘だ。
 「さあ、仕事は山ほどあるぞ。早よ、かかれい」
 冗談でしょ。
 「あのねえ…」
 とあたしはこめかみ揉み解す仕草をしてみる。実際、頭痛がしてきた。
 「こんな量、読めるわけないでしょ。今日の仕事はお終い。趣味に時間使うのはあたしの権利」
 「権利ではない。この罰当たりめが」
 かちん。怒鳴った。
 「ちょっと!だーれが罰当たりよ!あたしは小説が好きで書いてるだけよ!いっくら神社の娘だからって、大切にしてることを罰当たり呼ばわりされるいわれは…」
 「中身が罰当たりじゃ」
 あ、ああ。
 ちょっと熱くなりすぎたし、あたしは一遍黙る。まだ全力で顔が熱いけど。
 「神職の娘が鳥居が割れたの神が避難されたのと不吉なことを書きおって。本当になったらどうする」
ならないって。
 「甘い!良いか、全て言の葉には言霊が宿り!」
 どん、と足を踏み鳴らす。ぐらっと来た。枯れ木ボディの癖に結構な揺れだ。エネルギーが余ると体重って一時的に増えたりするんだろうか。と、あたしはアカデミックな考察にふけり、爺さんは説教を続け、床は揺れつづける。白木の柱が軋み、天井が鳴り…本当、爺パワー炸裂って感じだ。ていうか、メルトダウン?
 「ほれ見ろ。地震じゃ」
 え?あたしのせい?ってそんなわけないけど確かに地震だ。じゃあ、まあ、そんな訳ないけどそうだとすると本当に『あれ』が目を覚ましちゃったことになるわけで。世に知られたその名はバサリドサドサズンと薄い木材の山が崩れてきて真っ暗になった…


第3章

京元光

「それみろ、加奈子。お前が縁起でもない三文小説を書きよるからこんなことになるんじゃ。」
と、爺。私は紙屑の山からやっとの思いで這い出す。神社でドンドンと足を踏み鳴らしてるあんただって十分神のお怒りに触れてると思うけどねえ。・・・って、こんな悠長なことを言ってる場合じゃない。
もし本当に私の小説が現実になったら大変なことになる。(空からブタが降ってくるよりひどい。)そんなことはありえないとは思うが、とりあえずテレビに走る。
「こら、加奈子。まだ話は終わっとらんぞ!」
私の背後で爺がわめいている。まあいい。ほっとこう。
テレビのニュースチャンネルを探して、震度と震源地を確認。
「むむ!震源地は熊野の近くではないか。三文小説の通りになってきおったではないか。」
だからそれを心配してるんだって。てゆっか、三文小説、三文小説と連発しないでよね。どうしたものか。このまま行くと、熊野神社はお宮を引き払うことになるのか?神社同士の付き合いで他人ではないし、なんとかしないと・・・小説を書き直そうか。などと非現実的な考えが頭の中を駆け巡る。どこかもう一人の私がそんなわけないと冷ややかな目で見ているのだが、今日はどういうわけかその私は声を大にして発言しようとしない。
「加奈子、お前、熊野に見舞いへ行ってこい。」
「は?」
爺まで今日はメルヘンモードなのか?
「は?、ではない!同業者が震災に遭ったかもしれんのだぞ。一刻も早く見舞いに行くのが筋じゃろう。小遣いをやるから、これでカステラでも買って、さっさと見舞いに行かんか。」
カステラ?確かにそれは熊野の神主の好物ではあるが、震災に見舞われたのなら、もっと実用的な物の方が喜ばれるのでは?そんなにひどい地震でもなかったのかな。もっと詳しいことが分かってからの方がいいんじゃ・・・
「何をしておる、さっさと行かんか!」
私は爺に追い出されるようにして家を出た。

特に建物が壊れている様子はない。境内にある松の木が何本か折れてはいたものの、鳥居が一刀両断にされる事態はまぬがれたらしい。私はつまらない心配をしたことが今更のようにバカらしく思った。
が、その矢先に目の前に奇妙な猫が飛び出してきた。神社の猫かと思ったが、首には鈴の代わりに数珠のようなものをつけている。動物嫌いな私はその猫を避けて通り過ぎようとしたが、猫の方から声をかけてきた。
「これ、わしが目に入らんのか。」
私はそれには答えずに叫んだ。
「化け猫!?」
猫の方はいたって冷静である。
「誰が化け猫だ。わざわざ迎えに出てきてやったというのに、何だその態度は。」
私は必死に心を落ち着かせて考えた。今私の目の前に居るのは紛れもなく猫である。どこからどう見ても、猫である。しかしその猫から人間の声が発されているのも、紛れのない事実である。なぜこのような事態が発生したか。私の目か耳がおかしくなった以外に考えられない。・・・いや、待て待て。もっと現実的に考えるんだ。この猫に超小型の発声装置が取り付けられているという可能性もある。いや、むしろその可能性が強い。
そこで私はその猫の周りをぐるりと回ってみた。猫は私の動きに合わせて首を巡らす。見てないふり、見てないふり。見ただけでは何も異常が発見できない。そりゃそうか。毛の間に潜ませるもんな、普通。
でも、動物に触るの、ヤダなあ。と考えていると、再び猫が口を開いた。
「全く反省の色が見られんな。というより、わしが誰か分かっていないようにも見える。そなた、わしに会いに来たのであろう?」
重大な事を見落としていた。声に合わせて口も動いているじゃないか。ああ、頭がクラクラする。もうどうにでもなれ。
「私はこの熊野神社の神主に会いに来たのよ。あんたみたいな変な猫に会いに来たんじゃないわ。
精一杯の強気を装って答える。
「その神主様がわしだと言っているのだ。頭の悪い奴だな。立ち話もなんだ。こっちへ来い。」
来いって、木の上を移動するな!行動は猫なんだから、ついて行けるわけもない。まあ、いいか。今のはなかったことにして、神主がいそうな部屋へ行こう。そうすれば何事もなかったように人間の姿をした神主が出迎えてくれるに違いない。

が、しかし。神主がいつも暇な時にくつろぐために利用している部屋には、何故か入れたてのお茶を前にして座布団の前に座る一匹の猫がいるだけだった。そしてその猫の向かい側には同じようなお茶と座布団が。悪夢だ。出直した方がいい。と思ってきびすを返そうとしたところで、猫が言った。
「遅いではないか。早くそこへ座れ。」
私は半ば夢うつつの心持ちで席についた。
「お?それはわしへの手土産か?」
猫の視線を追うと、私が座る時に無造作にわきに置いた紙袋がある。
「そうよ。私は地震が起きたって聞いたから熊野の神主のお見舞いに・・・カステラを買って・・・」
私は今にも気がふれそうになりながらぶつぶつ言った。猫はそんな私の様子には全くお構いなしに、
「それは心配をかけて申し訳なかったなあ。見ての通り、大した被害もなかった。そうだ。せっかく来てもらったのだから、酒でも酌み交わそうではないか。」
などと言って杯と徳利を、順に口にくわえて持って来た。私は未成年だ。思いながらも、もはや反抗する気力も出てこない。私はかろうじて猫がすすめる杯を手に持つという反応だけを行った。
「相当混乱しているようだな。では事情を詳しく話すとするか。実はな、厳密に言うと、わしは今から約千年前まで神主をしていたのだが、先程の地震がもとで、どういうわけかこの猫の体にはいってしまってな・・・」
うう・・・もういい。聞きたくない。


第4章

椎名流

千年前、確かにこの神社は一度なくなった。あの忌まわしき言の葉が実を結び、現実となったからだ。そして、今再び同じ言の葉が存在している。

「さて、この神社は実は二年前にできたばかりなのだが、もうすぐなくなろうとしている。何故だと思う。」
観音開きのテレビとかめちゃくちゃ古いオーク材のタンスとかがあるので、二年前ということはないだろうと思ったが、加奈子はあえてつっこまないことにした。
「千年前、わしは一つの言の葉を読み取った。それはこの神社の崩壊を示すものだった。だが、わしにそれを防ぐ術はなく、ただ言の実が成るのを見ているしかなかった。」
「あの、言の葉とか言の実って何ですか。」
「そうさな、そこから説明せねばなるまいか。まず、この世界を言の木と考える。そして、その言の木から言の葉がなり、言の葉はやがて言の実となる。ここまではよいかな。」
加奈子はうなずいた。
「言の葉とはすなわち言葉であり、わしらの使う言葉がすべて起こり得ることであることを示す。というのは、わしらが使っている言葉がすべて言の葉からの借り物だからだ。そして、すべての言の葉は言の実、すなわち言実(げんじつ)になる可能性を秘めている。もっとも、すべての言の葉が己の関係する世界に関することのみではないのだが。」
「あのよくわからないんですけど……」
「つまり、言葉とは起こったこと、あるいは起こり得ることしか表現できないということだ。一つ例をあげると、予言という能力は身近なことでかつ起こる可能性が高い言の葉を読み取るということだ。おわかりかな。」
「ん〜、なんとなく。」
「で、どこまで話したんだったかな。」
「言の実がなるのを見ているしかなかったってとこ。」
「おお、そうだった。それで、今、同じ言の葉が言の木になっているとしたら、どうなると思う。そして、この神社が存在するということまでがすでに言の実になっているとしたら。」
「まさか……」


第5章

Sin

「そう、再び言の実は熟れ、この神社が崩壊するという事の実へと変化する。これを止める事はもはや誰にもできんだろう」
「そう、あのときは、神社だけではなくあたり一面にまで被害は及び、紅海迩死、地の赤き海が出来、みなが死に瀕していた」
…頭痛い、きっと神社についたとたんに地震に巻き込まれて気絶したんだ。それでこんな変な夢を見てるんだ。大体何よ。紅海迩死って…どこからどう見ても強引な当て字じゃない。もうあたしの頭は限界にきていた。大体なんで猫に説教なんかされないといけないのだろう…
「だが…おかしい」
「どうしたの?」
「この神社が存在するという言の実が出来てから、この神社が崩壊するという言の実が出来るではもっと長い時間がかかるはずなのじゃ…」
そんなの、私の知ったことじゃない。前回出来なかったんだから今回くらいはどうにかしなさいよ。
「そんなのきまってるの?」
「大体はな。まあ時によって言の実が熟れるまでの長さというのは違うものじゃが。今回はあまりにも短すぎる。このままでは昔と同じく予兆として鳥居が崩れるまでそう時間がないだろう」
鳥居が崩れる?まさか…
「鳥居が崩れるって、真っ二つにでもなるの?」
「なぜそれを知っておる。おぬしはそのときまだ生を受けてはいないはずじゃが…」
うそ…仕方がない。あたしの書いてる小説の事を話してみよう。
「実は今、あたし小説を書いててその内容が熊野神社が崩れるというものなんです」
「何!?そうか、そういうことか」
「?」
「つまりじゃ、昔起きた言の葉をおぬしが無意識のうちに読むことで今回の言の実との交錯機会を持ったわけじゃ。それを小説として表すことで今、事の実へと熟れようとしている」
じゃあ、ひょっとして、爺の言っていた罰当たりって言うのは正解だったのか?あの爺もたまにはやるじゃん。と、そんなことを思ってる場合じゃない。まさか本当にそのとおりになるのだとは…あれ?小説どおりになるのなら小説の内容を変更したらいいんじゃないのか?
「じゃあ、小説を変更すればいいんじゃないの?」
「まあ、それでうまくいく場合もあるが、その際には過去に現実として起こったこととまったく反対のことを書かねばならん。事実が真であると言うことは背反が真であることとおなじだからじゃ」
「じゃあ、そうすれば?」
「ばかか?おぬしは。そんな昔の記録が正確に残っているわけなかろうが」
「じゃあ、どうしろっていうのよ!」
私は思わず声を荒げてしまった。


第6章 「線形代数でポン、明日は晴れますように」の巻

鹿ヶ谷

「……どうしたらいいのかな」
 途方もない話になってきた。昔起きたのと全く逆なんて。文献も残ってないのに分かる訳ないじゃん。
 しかも猫神主は関係ないって顔してお茶すすってるし。
「あんたも考えてよ」
「わしは知らん」
 即答かい、この猫畜生。もうお前には頼まん! ……なんて私じゃどうしようもないんだけど。くやしーけどやっぱりこいつが必要なのだ。
「またまた。世界の危機を救う方法、知ってんでしょ? はやくはやく」
 知っていたら、いいのにな。もしそうだったら、いいのにな。
「知らん」
 うそ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。
 じゃあ地球滅亡じゃん。みんな助かんないなんてうそうそうそうそっ(30倍かわいくゆってみました、エヘッ)。
「なんじゃそれは……。冗談だ、方法は伝わっておる。何の心配も要りはせん」
 そっか……。ちょっと心配して損した。ほんとにちょっとしか心配してないけど。
 それから私達は、この崩壊を食い止める方策を示した書物が保管されているという『宝物庫』へと出発した。それには、なんと逆真の言の葉を紡ぐときに必要なことが記されているんだとか。これは頼れる。と期待に胸を膨らませていたのだが……。
「神社ってこんな広かった?」
 おかしいくらい歩くのだ。もっと狭かったはず。私は自分が変な世界に入り込んでしまったんじゃないかと疑い始めてしまった。パラレル・ワールドとか。ひええ――。しかもすごく暗いよ――怖いよ――……。
 猫は黙ったまま、提灯に火を灯した。どこに持っていたんだか。でも、本当にそれぐらい廊下が暗いのだ。気味が悪くて仕方がない。もう一度尋ねたけれど、猫は面倒そうに「大丈夫だ」と一言言っただけだった。何が大丈夫なんだ? 答えになってないし。
「お、扉だ」
 猫が急に立ち止まった。でも、扉なんてない。ただ、廊下があるだけだ。
「扉なんてないじゃない……」
 ゴツッ。
 先に進もうとした私を遮るものが確かにある。すごく痛い。油断してたから、すごい痛い。腹立つくらい痛い。ほんと腹立つ。
「扉があるといっただろう。何故止まらんのだ」
 猫がしかめつらしく訊いてくる。うるさいうるさい。
「さて、お主にはこの問題を解いてもらいたい。あと、こっちは参考書だ」
 猫は私の心配なんて全くしてないらしく、もう話を先に進めたがっている。横柄に紙と一冊の本をよこした。紙にはなんやら数式が、本には「やさしい線形代数学」と……。
「この部屋には幾重にも封印の呪術がかけてあってな。わしはこれからそれらを解除してゆく。その間にお主はその問題を解くのだ。責任重大だぞ、誤りのないようにな」
 なにそれ!? まったくもって意味が理解できないんですけど? 私は一体何のためにさっぱり分からない数学の問題を解かなきゃならないわけ?
 私が質問しようとすると、猫はさっさと私に背を向けて儀式の準備みたいなこと始めてしまった。解くしかないのか……。
 数珠を振りかざし、何か変なものを投げたりしている猫を眺めながら、私は溜め息をついた。ここは何処だろう。何もない空間って感じ。右も左も上も下も単調すぎる板張りの廊下。提灯の他に明かりもない。風もない。温度も感じられない。まるで異次元空間みたい。……こんな所で全然分からない数学の問題を考える非現実。いや、最近起こったことってみんな非現実的だ。私は変になったのかも。どうしよう。
「ふんっ!」
 腹に力の込もった唸り声が猫から発せられる。それと同時に「バシッ」という音が響く。きっと一つの封印を解除したのだろうと想像する。私も考えるか。
「……ってこんなの分かんないってば」
 意味不明な数式と意味不明な参考書。とにかく解かなきゃなんない。猫の呪文をバックに、私は必死で問題に取り組んだ。こんなに真剣になったことってあるだろうか(いや、言い過ぎ言い過ぎ)。そして遂に、解けたのだった。
「ネコぉ――、解けたよ…………あ゛――終わった!!」
 つ、疲れた。頑張りすぎだっ。
 猫は頷くと、またバシバシッと封印を開いた。それから数珠を頭上にかざし、気合いを一つ。扉は姿を現し、静かにゆっくりと開いたのだった。
 だが。
「……がっかり」
「がっかりって言うな」
 だってただの物置きじゃん。すっごい散らかってるし……。こんなとこに何重にも結界張るなんて酔狂な人達。
「なんであんなに結界張ってたの?」
「たぶん趣味だろうな」
 なにをゆーとるのだこの猫は? 殴っちゃろうか。
「いやいや、これも心身鍛練の一環だ。先人たちは我々を鍛えるためにこのような複雑な結界を張り巡らせておいでなのだ。数学をからめたのはわしの遊び心だが」
 お前か、こら。だったら自分で解けっての。嫌なところで私を巻き込まないでほしい。
「さて、何処だったかな」
 猫はぶつぶつ言っている私を放っといて中へと入って行った。そして、いろんなものを乗り越えて黒くて重厚そうな金庫の前で止まった。そして私に手招き猫。
「これだ。この金庫は力ずくで開く」
 本当ですか!? なんてアホくさいんだ。困った困った。
「ん――――!! んんんんんっ!!!」
 ギ、ギギギギ。
 開いた音です。
 やっと。やっとこれで崩壊を止められる。
 ……ん? 紙一枚?
「これは何なの?」
「見て分からんか? これは天気図というやつだ」
「これでどーするの?」
「分からんか?」
「分かる訳ないでしょ!」


第7章

Syi_nin

 目の前にまたも、あたしの背丈の二割増しぐらいの本の山。あの時は「枯れ木爺」が運んできたのだが、今回はこの書物をここまで運んできた、いや運ばされてきたのはあたしだ。しかもこの神社はあたしの家より格段に広い。今回はその疲れでへたばっていて私の目線が低くなっている分、その書物の壁は更に巨大に見える。溜息一つ。家での爺のやらせようとしていた仕事は熊野に来たことで逃れたと思ったんだけど、まさかここでも同じものを見るとは思っても見なかった。
「さて。では、はじめようかの。言の実はいつ熟れるや知れぬ。頼んだぞ。」
 はじめよう、ってやるのはあたしでしょ。もうやんなっちゃう。頭痛をかんじて私は頭を押えた。

 結局、例の物置で見つけたものは天気図一枚。黄ばんで虫食いまで入った「天気図」といわれたそれはあたしから言わせれば、どう考えても「落書き」以上のそれじゃあない。それは、幾つもの二重三重の丸と、「コウ」とか「テイ」とかいう記号じみた文字、それに地上を表すのであろう、海岸線を思わせる複雑な形のラインが描かれているんだけど、墨と筆で描かれているためか、ラインの太さも一定じゃないし、ところどころ墨が飛んでいる。確かに宿題で天気図を書いたことはあるけど、こんなものを書いたら学校では絶対に「1」だろう。

「ふむ・・・言い伝えの通り、美しい墨のラインじゃな・・・」
 天気図を覗きこみながら前足を顎の下にあて、その辺りの毛をさすっているエラそうにも見える猫の、その呑気な言葉に私の頭痛は酷くなる。
「これを、あたしに読め、っていうの?」
「うむ、そうじゃ」
「これを読んで、更にこの天気図も解読するのよね?」
「そうじゃ。過去の真実とまったく正反対の事を書く。こんな事はもちろん出来るわけがない。じゃから、わかっていることだけを手がかりに、出来る限り正確に、その正反対の事を書く。先ほども言ったな?何度も同じ事をいわせんでほしいのだが、本気で理解しておるのか?」
 本当なら今回の出来事自体、理解したくないし、理解したいとも思わないんだけど。私は無言で書物の山の一番上に積まれているものを手にとって作業にかかる。
「もう一度言うぞ?この天気図、紋は過去に描かれた「天気図になる可能性」だったもの、つまり絵の形態は取っているがこれは言の葉の一種じゃ。お主が今回言の葉を偶然に読み取ってしまったように、この紋のあらわす天気は一度、偶然とは言え、可能性を読み取り現実になってしまったのじゃ。言葉という形態を取らぬ分、効果は低いかもしれんがの、言い伝えにあるので間違いない。かの有名な言霊使いが描いた紋で本人は戯れだったかもしれんが、事実、ほれ、この台風、これじゃ。これが猛威をふるったと言う記録がある。」
 とんとんと尻尾を使って落書きの何重にもなった円を叩く。・・・猫が板についているものね・・・、地震と同時に猫の体に入っちゃったんじゃなかったっけ。
「これこれ、よそ見はいらん。耳だけで良い、日が暮れるぞ。   (あー、はいはい)
 さてさて、この天気図だが、これをまったく反対に描き直す、というのは不可能じゃ。当然じゃの。今だに天気予報ほど当てにならぬものもない。この天気図があっても凡そのことはわかっても正確なことなどわからぬ。つまり・・・」
「はいはい、この天気図は言の葉として実現はしたけれど、それは大まかなことを決めただけで細部に関してはまったく決まっていない。でしょ?」
「うむ。だが、天気図というものをまるで正反対に記述したりなど出来ようか?言葉と絵ではその含まれる情報量がまったく違う。つまり、この部分は正反対にしようがない。部分的に変える事は出来ても正反対などは不可能じゃ。そこでその部分は手をつけずに・・・」
「細部のことを文献から読みとってその部分だけ、大まかに決まった部分と矛盾しないように書きかえるんでしょ?」
「そうじゃ。その上でお主の素質、無意識に言の葉を読めてしまう、というものを併せてだな・・・」
「何通りも物語を書いてみて、どれかが当たるのを信じるのよね・・・。」
「うむ。」
 つまりは変えようがないことはそのまま残して、変えられる部分は正反対を書く。変えようのない大まかな部分、天気図はかなり曖昧な表現なので、変えられる部分である細部、文献から得られる情報部分を変えても大丈夫なような状態はありうる。いつかマンガで読んだ「未来は決定しているけど、その未来までの道筋は何通りもあって、どれを選んでも未来は変わらない」っていう説と似たようなものだと思うんだけど。そのための情報を仕入れるために、この天気図と文献。でもこの量なのよね・・・。しかもそのあとあたしはどれかが当たる、正反対になる可能性を信じて何通り、何十通りもの物語をかいてみなくちゃいけない。
 でもやっぱりそんなことでいいのかなぁ・・・。あたしは哲学の先生でもなんでもないからこういう抽象的で頭の中でだけ考えるような、現実離れしたというか、そんな感じの、しかも正確な論理だのなんだのっていうのはよくわかんないんだけどね・・・。
「わかっておるようじゃな。さすがに想像力で物を書いている人間だとこういった頭で考えることは得意なんじゃろうな。優秀優秀。」
 詳しくはわかってないってば・・・。あたしは、小説だから書けるの。こんな面倒な事は考えないに限る、そうやって来たんだから。できることならこれからもそうしたいんだけど・・・。
「あとは細部で正反対の事がおきれば、それは全体に影響を及ぼしはじめる。バタフライ効果、というのはさっきも言ったな?つまり・・・」
 あたしはもう猫のしゃべることを聞いていなかった。もういいよォ・・・。


第8章

ヤタガラス

 風が吹き荒れていた。波を吹き飛ばし、飛沫を飛ばし、水煙を吸い込んでいた。
 人はそういった風を嵐というのかもしれない。もっとも南のほうでうまれたから今は台風と呼ばれることのほうが多いだろうし、不幸にして海の上で出くわした人が居たなら時化と呼ばれたりもするのだろう。でもそれで風―――やっぱり台風と呼ぶ事にしよう――自体が変わるわけでもない。何処に行くかはまさに風まかせだった。その日の風は人間に言わせればずっと沖のほうを吹いていた。だから台風はその通りに進んでいった。結局台風は陸地に何ももたらさずに北の海へと飛び去っていった。
 そう、台風から遥か離れて、しかも台風が行き着かないほどには遠くない場所に陸地があった。
弓状に並んだ島々の一角、神々の住まう地。たとえ他の土地に災厄が降りかかったとしてもこの地にそれが及ぶ事は決してなく、まして災禍を直接受けるなどあり得ない場所。それが熊野、そして葛城の地だった・・・

「これもダメじゃっ!」
 今度は何よ。
「これじゃと台風の被害が無かったこととこの辺りが無事なことしか書いとらんじゃろうが!」
「それ以外なら別のに書いたでしょ!」
「どれが当たるかわからんから毎回全部書くようにさっきも」
「聞いたわよっ!でも細かい所が変わったら全部変わるんだって自分でいってたじゃない!」
「じゃからといって何でも良いとは一言も言っとらん!それもさっき・・・(ぶつぶつ)・・・大体(ぶつぶつ)・・・」

猫は丸まってしまった。そう、さっきから年のせいとか言って不貞寝を決めこんでいるんだ。

作業開始から2時間、今ではずっとこの調子。最初の方こそ真面目に文献を調べたり、正反対のことってどんなことだろうって頭使う気力もあったけど、もーダメ、バテた。
そもそも文献に書いてあるようなことといったら人がどうしたこうしたああしたってことばっかりで、天変地異そのものに触れているのはほとんど無かったのよね。たまにあってもすっごく大げさで大雑把だったり。で、ともかく分かってることの反対の出来事だけでも書いてみようって思ったんだけど、これが全くわかんない。わかんないったらわかんない。

結論:やっぱりひたすら書くべし。

それで書かなきゃいけないことは一通り書いてみた。でも目に見える成果は無し。
敢えて言うなら猫がなかなか強情で注文が多い(私をとって食おうかってくらい)のがわかったくらい。
まったく、売れない作家じゃあるまいし。
そんな事を考えながら、家で書いた分の小説の続きを考えてみる。

(前略)
神ならず、神にも止め得ず、地を掌握し、いや、大地そのものとして眠るもの、世に知れたその名を、

パターン1、しりあすば〜じょん

その名を『御土乃大邪竜(みどがるずおるむ)』と言う。
この世界が生まれた頃、神々によって殺されその身を大地と成したはずの大蛇。
それが永き眠りから目覚めようとしていた。
未だ覚めやらぬうちの身震い一つでさえ神の庭を脅かすに足る。

だが・・・。


蛇だけに低体温、動けないまま再び眠りに就いたのだった。めでたし、めでたし。

あれ、なんかノリが違う気がする。ま、いっか。まともなやつは十分書いたし、
気分転換にこういうの書いていってみよっと。

パターン2、お〜るどふぁっしょん

その名を『燃える枯れ木爺』と言う。
目からは常に鋭い眼光が辺りに放射され続け、足を踏み鳴らせば地が揺れる。
必殺技は『五月雨御叱り乱打』。梅雨時の雨の如く延々と続き、
その雨を集めた最上川の流れの如き激しさでもって放たれる叱責は
半径百由旬を無人の荒野へと変える。
(一由旬=五十四キロメートルとも百二十キロメートルとも百六十キロメートルともいわれる。)

だが爺は天災を起こすことに興味を示すことはなかった。めでたし、めでたし。

うんうん。お爺ちゃんならこれくらいやりかねない。

パターン3、ふぁんき〜ぷらん

その名を『ナツユキ君』と言う。
其の者は音を受け取るたびに全身全霊をもって大地を動かした。
原始のリズムが大地を伝い・・・

「なにを書いとるんじゃ!現実になったらどうする!?」
「冗談よ。大体、書いただけで現実になるんだったらもっと別の事書くって。」
スタイルがよくなりますように、とか。最近字を書くばっかりでちょっと運動不足だし。
「うむ、それもそうじゃな。じゃあわしが人間に戻る話をかくのじゃ。」
そう言って猫は毛繕いを始めた。猫のほうがはまってるんじゃないの・・・?


第9章

雪村ぴりか

 いつの間にかあたしの周りには、書き損じの小説の山が出来ていた。
 気圧配置を変える、時間を変える、規模を変える。ネタがなくなってきて、ついには緯度を逆にしてみる作業までやった。北緯が全て南緯になって、オーストラリアに台風来襲。いや、南半球だからハリケーン……でもない、えーとサイクロンか。
 これだけ書けば何か一つくらいは当たるんだろうか……。しかし例の猫は相も変わらず文句ばかり言っている。「猫の手も借りたい」なんて言うけれど、実際には猫の手なんて何の役にも立たないと実感。これじゃあ孫の手の方が、痒い所に手の届く分まだ便利だ。

 結局どうすればいいんだろう。とうとう思い付くことがなくなって、あたしは途方に暮れてしまった。
 昔のペンパルが言っていたことを思い出す。
「訳が分からなくなって来たら、取り敢えず最初から全部見直してみるのがいいよ」
 そんな面倒くさいこと、なんて思うけど。でもこういう時は、確かにそれがいちばんいい方法なのかも知れない。あたしは、とりあえず例の小説……あたしの読みとった「言の葉」を、初心に返ってもう一度見直してみた。
 ……あれ?
 今まで何となく勘違いをしてきたけど。
 よく見るとあたしは、熊野神社の鳥居が真っ二つになるなんて崩れるなんて一度も書いていない。崩れたのはあくまで「葛城」の神社であって、本来の熊野権現三宮のどれから見ても遠く離れた地だ。
 ということは……どうなるんだろう。
 つまりあたしの読みとった言の葉は、長い年月を経た結果、歪んで伝えられてしまった……ということだろうか。しかし、だとしたら、その言の葉が本来の形で……つまりはこの熊野神社の崩壊という形で実現しようとしているのは何故だろう。言の葉が言実になろうとしているのなら、それは葛城で起こるのが筋じゃないだろうか。
 今まで猫のペースに呑まれていて気が付いていなかったが……そう思って考えてみると、他にも妙なことはある。この神社が出来たのは2年前だ、と猫は言っていた。と言うことは、2年前に既に「この神社が存在する」という言の葉は成立していたことになる。しかしあたしが例の小説を書き始めたのは、ほんのこの前、せいぜい一週間前のことだ。2年前にはこの話はかけらも存在しておらず、それどころかそもそも小説を書き始めてすらいない。と言うことは、少なくともこの神社が存在することを示す言の葉を生み出した人物が、あたし以外に存在するはずだ。
 そうとでも考えないと、説明のつかないことが多すぎる。1000年前の人間で、そして地震で猫の体の中に放り込まれたという、目の前の猫神主。2年前にできたはずなのに、観音開きのテレビとかが存在する神社。あたしが言の葉を無意識に読みとっただけでは、それと直接無関係な不可解な出来事がこんなに起こるはずがない。そして当然ながら、こんな言の葉が1000年前にあった訳もない。そもそも1000年前に観音開きのテレビなどない。
 ふと正面に目をやる。例の猫が、相変わらず慣れた様子でしっぽを使って毛繕いをしている。全く、この前猫になったとは思えない。
「何をしておる。とっとと書かんか」
 はいはい。
 思わず猫の方を睨み付ける。
「トイレ行こっと」
 当てつけみたいに言うと、あたしは部屋を出た。……場所は分かっている。さっき大量の古文書を運ばされたときに確認しておいたのだ。「厠」とか書いた古めかしい木の札が、柱に打ち付けられていた。

 「厠」を出て廊下を歩きながら、さっきの続きを考える。……一体誰が、このような言の葉を紡ぎだしたというのだろう。そして、何故あたしが選ばれて、このように延々天気図を見ながら小説を書かねばならないと言うのだろう。
 そんなことを考えているうちに、ふとさっき聞いた言葉を思い出して、あたしは足を止めた。
「事実が真であると言うことは、背反が真であることとおなじ」
 確かあの猫が言った言葉のはずだ。私に小説を書かせるための説明の時に、口にしていた言葉。
 そしてこの言葉をひっくり返すと、こうも読める。
 背反が真であることは、事実が真であるということと同じ。
 あたしの背中に寒気が走った。
 今まで書かされた沢山の「言の葉」の破片。それがその言葉自身を実現させるものでなく、逆の言の葉、つまりは「熊野神社の崩壊」という言の葉を導かせるものだとしたら。それの至る所は激しい天変地異、そして……日本自身の壊滅。
 そしてそれを私に書かせているのは、他ならぬあの猫神主。いや、神主かどうかも分からない、あの化け猫。……神主ではないような気がする。あまりにも猫が板に付きすぎているから。
 あたしはもう一度、天気図のおいてあった物置に戻った。ポケットには、いつも使っている愛用のボールペンが突っ込んである。
 ここが神社なら、どこかに必ず……あれが置いてあるはず。えーと……ああ、もうっ。だから何でこんなに散らかっているのよ。急がないと、あの猫が私のことを怪しむ前に……。
 数分の山なす雑多なものとの格闘。古い破魔矢やら雅楽の笙やら訳の分からない雑多なものを物置のもう片隅に山積みにして。
 そしてやっと、あたしはそれを見つけ出した。短冊よりちょっと大きいほどの大きさの和紙の、詰まった箱を。

「遅いぞ。ほれ、とっとと書かんか」
 相変わらずわめいている猫を軽く頷いてあしらうと、あたしは再び机の前に向かう。……今度は何を書こうか。やっぱり『ナツユキ君』の続きかなぁ。とか考えながら、ちらちらと猫の方をうかがう。しばらく私の方をじっと見つめていた猫は、しばらくすると欠伸をしながらまた毛繕いを始めた。……よし、今だっ!
 あたしは素早く立ち上がると、胸元に手を突っ込んで……そして、さっき物置で見つけた和紙を猫の額に貼り付けた。和紙の表には、私がボールペンで書き込んだ呪言が書き込んである。簡単に言えばお札。と言っても、平安時代の古文書に載っていた、強力な悪霊祓いのお札だ。枯れ木爺に古文書の整理をさせられている時に見つけて、何となく覚えていたんだけど……こんな時だけは、枯れ木爺に感謝しとこう。たまにはしてやらないと。
 ただ問題は、筆でなくボールペンで書いたものが果たしてちゃんと効くのかどうか……だけど。
 猫に触れた札は、ぼぉっと柔らかく、しかしまばゆい紅い光を放った。
「な、なに?」
 そこまではまだ人間の声だったが、そこから先はただ、ぎにゃぁぁ、と猫の声で断末魔の雄叫びを上げる。……上手くいったの?
 地響きが起きる。部屋が激しく揺れ、天井や壁から細かい破片が落ち始める。
 化け猫の創り出した熊野神社が、今滅び去ろうとしている。
 あたしは大急ぎで、神社の外へと飛び出していった。
 廊下を抜けて、神社を飛び出して、松林を走り抜けて、そしてやっと大鳥居が見えて来た。
 地面の揺れは一向に収まる様子を見せないどころか、ますます激しくなっている。……おかしい。あのお札は悪霊を祓う札であって、ここまでの天変地異を起こすようなものではないはずだ。本来なら悪霊は消えるはずなのに……これではまるで、逆に悪霊が出現するような有様だ。
 その私の想像を裏付けるように、鳥居をくぐろうとした時、背後で再び、ぎにゃぁぁ、と大きな猫の雄叫びが上がった。いや、この声は既に猫の声なんてものじゃない。神域を好んで揺さぶる、地の力を掌握した、神ならぬ何物か。既に人智を越えたそんな生き物。
 あたしが思わず立ち止まって振り向くと、そこには巨大な黒い影がもうもうと砂煙を上げながら立ち上がっていた。その時、頭上で何かが砕ける音がする。見上げたあたしの目の先で、大鳥居が二つに割れ、そして……
 悲鳴を上げて、ぎゅっと目をつぶる。
 次の瞬間、何かがあたしに向かって飛んで来て、そしてあたしは跳ね飛ばされた。
 激しい衝撃が全身を包む。

 ……あたし、生きてる?

 そうっと目を開ける。
 目に映ったのは、信じられないものだった。
 神ならず、神にも止め得ず、地を掌握し、いや、大地そのものとして眠るもの。
「枯れ木爺……」
「だれが枯れ木爺かぁ!」
 目の前の枯れ木爺……そして私のお爺ちゃん、橋呂木文殊は、私に大声で一喝した。

「馬鹿もの! ボールペンで書いたお札なんぞが、完全な効き目を顕わすわけが無かろうが!」
 案の定、爺は私を再び怒鳴りつけた。
「怒るのは後だ。……悪霊を完全に封じ切れずに、邪気だけが暴走してしまっている。こうなっては、この神社自体を丸ごと封印するしかない。加奈子、手伝うのじゃ!」
 そう言うと爺は、6枚の札を取り出した。さっきのあたしのものと違い、表面には黒々とした墨で、比べものにならないほど複雑な文様が描かれている。そのうちの一枚を爺は持つと、残りの5枚をあたしに渡した。
「あの辺りとあの辺りと、それから……」
 爺が指さすのに頷くと、あたしは地面の揺れる中を、神社に沿って札を置いて回る。神社の悪霊は、未だ態勢を整えられないまま、相変わらず雄叫びを上げ続けている。
 1枚目、2枚目、3枚目、4枚目……。
 最後の5枚目を置いた瞬間、ひときわ高い雄叫びが上がった。とっさに飛びのいた次の瞬間、あたしがさっきまで立っていた地面に大きな爪痕が走る。……札は辛うじて無事だ。
「お爺ちゃん!」
「儂の後ろに回るのじゃ!」
 そう叫ぶと、爺は人差し指で最後の一枚の札を挟んで、両手でぎゅっと手印を結んで、祝詞をあげ始めた。
 あたしは何とか、爺の背後に回り込む。
 化け物は既に、完璧に形を結んでいた。見上げるように高いその体は、鬼のようにも鵺のようにも見える。元が猫であったことを物語るかのように、その瞳は妖しく光っている。巨大な耳も、形だけは猫の耳のままだ。こういうのもネコミミって言うんだろうか。腕はけむくじゃらで、その先には長く伸びた爪。巨大な肉球が妙にアンバランス。
 再び雄叫びを挙げる。松の木が何本か、倒れる……と言うより吹っ飛ぶ。
「お、お爺ちゃん!」
 焦った声を上げると、爺はあたしの方をちらっと見て軽く頷いた。心配は要らん。声はなくても、その言葉は伝わった。
「覇っ!」
 正面に向き直った爺が、気を籠めた。

 神社を包むように、巨大な晴明桔梗――いわゆる六芒星の印が、大地に浮かび上がる。そしてその線上から、青と赤と黄色と……いや、あらゆる色を含んだ光が、天に向かって伸びて行く。その光は神社全体を包んで、そして化け物を覆って行く。
 そしてその光が消えたとき、そこにそびえていた熊野神社は跡形もなく消え去り、何事もなかったかのようにそこには松林が広がっていた。
「お爺ちゃん……」
 あたしは思わず、爺に抱きついていた。

 数週間後。
「ほれ、まだまだ古文書はあるぞ」
 枯れ木爺が、また大量の古文書の山を運んでくる。
 結局、家に帰ったあたしを待っていたのは、枯れ木爺による今まで以上の強制労働だった。
「あたしの趣味の時間はどうなるのよ!」
「そんなものはない!」
 断言する爺。
「この前の事件にしても、お前の無知からあのような大事件にしてしまったのじゃ。それを儂は、一切咎めずに、古文書の整理で済ませてやっているのじゃ。分かっておるのか!」
 この調子で、もう何週間も、暇な時間はずっと古文書の整理をさせられている。もしかしたら化け猫よりたちが悪いかも知れない。
 あの時、爺をちょっとでも格好いいとか好きだとか思ったあたしが馬鹿だった。
 ああ、こんな爺に育てられたあたし、日本の不幸な少女ベストテンには入るはずだ。
 一生恨んでやる。お墓に入って来世に生まれ変わっても恨んでやる。
「さあ、仕事はまだまだあるぞ。早よかかれい」
 あたしは絶望のあまり、机に突っ伏した。

――おしまい。

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