RUN!

雪村晴佳
 十二月のことを、昔の人は「師走」と言っていたらしい。年の瀬でバタバタしていて、普段は落ち着いていると思われているお師匠様すらも走り回る月。それが「師走」。
 だからって訳でもないと思うけど。
 あたしの少し前を、担任の中村先生がばたばたと走っている。頭上のスピーカーからは、チャイムが鳴り響いている。教室は三階。そしてここは一階。
 で、そんなことを言ってるあたしはと言えば……。要するに、その先生よりさらに後ろにいるわけですから。
 当然ばたばた走ってるわけです。
 遅刻、チコク、ちこくー!
 腹の出た中年教師なんかに、花の女子高生二年目は負けやしない。階段を二段飛ばしで駆け上がって、三階まで登り切ったところでセンセを追い越す。
 で、そのまま教室に駆け込んでフィニッシュ。……すべり込み、セーフ。
 机にカバンを勢い良く置くと同時に、先生が入ってくる。
 きりーつ。れい。ちゃくせーき。
「鈴平、もう少し早く来るようにな」
 同時にどっと笑い声。うぬ、言わんでもいーことを。
「すずひらー、もーすこーしはやくくるよーになー」
 直後に、窓際の席から男の子の声が上がる。
「うっさいわよ冬也!」
 思わず大声を上げてから、教壇からの視線に気付く。
「中井、鈴平、今は何の時間だか知ってるか?」
 我が担任はこういう時、取っても怖い微笑をなさる。
「す、すいません……」
 小声で言ってから、もう一度アイツの方を睨む。
 こっそり舌を出すアイツ。
 ……後でコロす、絶対!

 あたし、鈴平鳴美。高校二年生。ついでに言えば乙女座のB型。背の高さは、まあ女の子にしては高い部類だと思う。どっちかと言えば気の強い方だという自覚も持ってる。一応は。
 で、向こうで舌を出してるアイツが、中井冬也。まったく当然ではあるけど、恋人でも何でもない。単なる幼なじみ。それもお手々つないで何とやら、というような関係ではなく、言うなれば腐れ縁。幼稚園の頃から、あたしは何も悪くないのに暇さえ有れば突っかかって来る奴だった。……あれ? 先にちょっかいを出したのはあたしだっけ? まあいいか。とにかく、一言で言えば「ムカ付くやつ」。それだけ。一時期はあたしの方が背の高さでも迫力でも明らかにリードしてたのに、最近遅まきながら成長期が来て簡単に追い抜かれたのが妙に悔しい。しかも自分の方が強くなったと思って、最近態度が大きくなるばかり。悔しいことに成績もけっこういい。トーヤの癖に。
 なのに、何故か小学中学はおろか高校まで一緒。しかも7組まであるこの風見丘高校で、何故か二年連続で同じクラス。腐れ縁もここまでいけば恐ろしい。困ったもんだ。
 ……さてと。アイツのことなんか考えてても仕方がない。期末テストも近いんだし。さ、勉強勉強……。
 あれ?
 先生、今気が付いたんだけど、そのプリントって何ですか?
 しまった。今日、朝礼テストがあるんだっけ。
 ……えい、なるようになれ。

 そして瞬く間に授業は終わって。
「ナルミちゃん、テストどうだった?」
 終礼が終わると同時に、沓掛さんがやって来た。一応名前は純子って言うんだけど、名字が変わってるせいかみんな名字で呼んでいる。沓掛、もしくは沓掛っち。
「今日はわりあい簡単だったね」
「あ、そーなんだー」
 机に突っ伏して起きあがる気力もないまま答える。顔の下にある答案には、「再試」とやたら大きな字で書かれている。ちなみに再試の日程は、本日放課後、二年四組教室にて。つまりは動く必要なし。ちなみに周りでは、成績下位のいわゆる常連さんたちが「あーあ、またかよ」とかお気軽に言っている。
「鈴平、どうしたー。再試か?」
 くっ、また来なくてもいい奴が。
「今日は特に簡単だったから、赤点に引っ掛かる奴もあまりいないよなー」
「うっさいわね」
 思わず体を起こして怒鳴ってしまう。そしてその勢いに巻き込まれて、答案が風に乗ってひら、ひら、ひら。そして答案面を表にして床に落ちる。目立つ大きな文字。
「再試?」
 一瞬戸惑ったような声が上がった後、どっと吹き出す。
「マ、マジかよ……」
「わ、笑わなくてもいいじゃない」
「まさか本当に再試だとは思わなかった……いやいや、頑張ってくれたまえ、ナルミくん」
「誰がナルミ君よ!」
 怒鳴り返す。
「顔が赤いぞ」
「うるさいっ」
 無言で足元のカバンを振り上げる。
「甘いっ」
 にやけながら身をかがめてかわすアイツ。
「じゃ、頑張ってくれたまえ。ワシはもう帰る」
 わざとらしく手を振って出ていく。
 ああっ、嫌なヤツ嫌なヤツいやなやつ。

    2

 幸いにして、再試はそれなりに出来た(当たり前だ、再試を覚悟して授業中も内職してたんだから)。何とか先生に許してイタダいたあたしは、筆記用具をカバンにしまうととっとと教室を後にする。
 廊下では沓掛さんが、壁にもたれて文庫本を読みながら待っていた。
「遅ぉい」
 わざとらしく口を尖らせてみせる彼女。
「これでも急いだんだよっ」
 思いっきり口を尖らせ返してやる。
「それに、急いでやって再々試くらったら最悪でしょ」
「はいはい。分かったから、帰ろ」
 そう言うと文庫本を鞄にしまって歩き始める。
「ま、とにかく待ってくれてありがと」
 そう言いながら、あたしも歩き出す。
 学校から駅までは、歩いて十分ぐらい。一応公立高校だけど、最近郊外に出来た新設校なので、辺りはまだほとんど何もない。高校の通学路用に作られた舗装道路は、時には田んぼのど真ん中を突っ切ったりしている。秋の夕方にもなれば赤トンボが飛んでいたり、帰りが遅くなって暗くなると虫の声が聞こえたり、と風情がある道ではあるけど、どうしても「田舎!」というのが先に立ってしまう。
 途中に寄るような店もないので、あたしたちは話をしながら、寄り道もせずに真っ直ぐ駅に向かう。……最初のうちは、他愛のない雑談だった。勉強のこととか、先生のちょっとした悪口とか。期末テストも近付いているこの時期、ちょっとだけそんな話題も出て……そして、二人同時に「やめよ」と言ってすぐに終わる。
 そんな中、ふと一瞬話題が途切れた時だった。
「そう言えば、ナルミ」
 思い出したような口調で沓掛さんが言った。
「ナルミ、あいつのことどう思ってるの?」
「あいつって?」
 良く分からないまま聞き返す。
「中井のこと」
「はぁ?」
 思わず露骨に呆れた口調で聞き返す。
「トーヤのこと?……デリカシーのない奴、生意気な奴、むかつく奴、最低の奴、……これだけ並べれば充分?」
「はは」
 苦笑する沓掛さん。
「……でも、本当にそうなのかな?」
 そう言って、彼女は少し首を傾げた。
「そうだよ。沓掛っちだって見ててそう思わない?」
 あたしが聞き返す。
「それにしては、中井ってナルミに絡みすぎてない? 何か、からかわずにはいられないって感じで」
「ちょっとそれ、どーいう意味よ」
「まあ……ね」
 言葉を濁す彼女。
「ごめん、気にしないで」
 その時、ちょうど駅に着いた。朝だと下りホーム側の臨時出口が開いているんだけど、帰りがけは上りホーム側の駅舎まで回らなくちゃいけない。踏切を渡って、道を右に折れると、古い木造の駅舎がある。駅の正面には大きなモミの木が立っているぐらいで、辺りにはコンビニも何もない田舎の町並だ。辛うじて駅の向かいの商店で、ジュースとかお菓子とか売っている程度。と言っても、ジュースを買うときは店先の自動販売機を使う方が多いかな。
 一応電化されているけど、単線だし、電車の本数も三十分に一本程度。
「あと三分くらいかな」
 沓掛さんがそう言って時刻表を見上げる。
「ちょうど良かったね」
 あたしもそう言いながら、定期券を駅員に見せてホームに入る。
「今年ももうすぐ終わりだね」
 待合室の壁にもたれながら、あたしは言った。
「うん。期末テスト、終業式、そしてクリスマスが過ぎて……で、お正月か」
「クリスマスかあ。関係ないなあたしには」
 苦笑しながら答える。
「だろーね」
「……さすがに聞き捨てならないぞそれは」
 そう言っている間に、彼女はとっとと小走りで逃げて、跨線橋を越えていく。
 追い掛けようとしたところで、ちょうど電車がホームに滑り込んできた。……彼女の家はちょうど反対方向。電車が来るのはほぼ同時。間もなく、向こうのホームにも電車が滑りこんだ。
 くそぉ、上手く逃げられた。

    3

 電車のロングシートに一人で座って、あたしはぼんやりと考え事をしていた。
 さっきの沓掛さんの言葉が、妙に気に掛かって仕方がない。
 確かにアイツとは長い縁だ。ずっと喧嘩をしつつも、気が付くと十年以上の付き合いになる。……本当に嫌いな奴なら、とっとと関わらないようにしているはずだ。でも、あんな奴大嫌いだと言い続けていながら……結局は、今も延々と喧嘩をし続けている。それは向こうにしても全く同じだ。
 じゃあ、あたしにとってアイツは何なんだろう?
 トーヤにとってあたしは何なんだろう?
 頭の中で堂々巡り。「幼なじみ」。それだけの筈だ。いや、それ以下。
 でも、それなら何でこんなに、沓掛さんの言葉が気になるんだろう?
 電車は十分ほどで街に着く。家まではここから、もう一度乗り換え。横断歩道を少し急いで走って、私鉄の駅に飛び込む。
 何となく一番前の車両に乗って、運転台のすぐ後ろの席に腰掛ける。新型の車両は窓が大きく、ロングシートに腰掛けていても前がよく見える。
 普段毎日通っている車窓に、今更目新しさもあろうはずもないのに。でも落ち着かない気持ちを紛らわすように、じっと前を見つめる。市街地をすぐに走り抜け、田んぼと住宅が入り交じった中を電車は走っていく。対抗電車が近付いて来てすれ違うのも、ここから見るとけっこう新鮮な感じだ。
 ……何やってるんだろ、あたし。
 なんであんな奴のことが気になってるんだろう。
 アイツなんて、生意気なだけの単なる馬鹿。嫌味なだけの単なる最低ヤロー。そうでしょ。その筈でしょ。
 自分に何度訊いても答えは返ってこない。
 いつも通りに四駅目で電車を降りて、駅前に止めた自転車にまたがる。そして、普段にも増して思いっきりペダルを踏み締める。
 自転車はどんどんスピードを上げていく。県道なら車通りも多いけど、住宅地の中の古い道を通れば車通りもほとんど無い。あたしは自棄っぽく、馬鹿みたいに、無我夢中でペダルを踏んづけて、通りを駆け抜けた。

    4

 あたしが色々と悩んでいても、そんな事実は微塵も考慮されずに時間は過ぎていく。……テスト前の時期。悩んでいては成績が下がる。そうじゃなくても、中間テストで大概な点を取っている。期末で挽回しないとちょっと大変なことになりそうだ。
 と、自分に言い聞かせてみてはいるものの。
 あれから何日か過ぎたけど……結局、あたしはテスト勉強は完全に上の空になっていた。何でもない、なんでもない、と言い聞かせてはみるものの、どこかで気になっている自分がいる。
 あんな奴大キライ。
 そう思ってみても気になる自分がいる。
 気にしちゃいけない。
 あんな嫌味な奴、幼馴染じゃなかったらとっくの昔に縁が切れてる。
 それより……期末テストをがんばらなきゃ。
 そう思って机の前に座ってみても、結局心は別のことを考えてしまう。
 そのうち、煮詰まってしまって、「ちょっと休憩して気分を変えよう」。
 そして一日は終わっていってしまう……。
 取り敢えず、アイツのことを少しでも考えずに済ますのが先決だろう。

 なんとなく、一本早い電車に乗るようになった。
 学生であふれたホーム。わざわざ一本早い電車に乗らなくても、ホームの真ん中にいればアイツと顔を合わすことはないはずだ。アイツはだいたい改札のそば、ホームの端のドアから乗るはずだから(そう、あたしはこんな事まで知ってる!)。それでも……同じ電車に乗ってしまうのが何となく嫌だった。あんな奴大キライだから。間違っても、顔を見ると意識してしまうからだとか、ましてやアイツのことが気になっているだとか、そういうわけではない。決して。大体、同じ駅から乗るわけだから姿を見かけることぐらいはあるけど、通学の時に話をすることなんてほとんどない。高校に入ってからは、軽く言葉を交わすことが月に一回あるかないかぐらいだ。
 もちろん、そんな事情は親には言っていない。「テスト前だし朝の教室で落ち着いて勉強したいから」とか言えば、お母さんは喜んで、ちょっとだけ早起きして弁当を作ってくれるようになった。本当は早く行ったところで、教室でぼぉっとしてるのが関の山なんだけど。ちょっとだけお母さんに申し訳ないような気分になる。
 ともかくも、そうすればアイツの顔を見る回数は少しは減る。どうせ同じクラスなんだし気休め程度にしかならないとは分かっているけど。ちょっとはマシだ。

 でも、その日は……テスト三日前のその日は、あたしはちょっと寝坊していた。
 一本後でも間に合うと思って、お母さんも強くは起こさなかったらしい。
「何で起こしてくれないのよ!」
 文句を言いながら、あたしは食パンにかじり付いていた。台所の時計は、既に一本前の電車の発車時間の三分前をさしている。。……ちなみに、家から駅までは自転車で七分。すっ飛ばしても五分。要するに、どう頑張っても間に合わないって事だ。
 イチゴジャムをトーストに乱暴に塗りつけて、むしゃむしゃ食べる。
「ちょっと鳴美、女の子なんだし少しはゆっくり食べなさい」
 母親がため息混じりに言う。
「はいはい」
 パンを頬張りながら。むしゃむしゃ。
「そんなの男の子に見られたら、百年の恋も冷めるわよ」
「うるさいなぁ」
 かちんと来て睨み付ける。
 その時ちょうどトーストも食べ終わった。残っていた紅茶をさっと飲み干すとさっと立ち上がる。
「行ってきまーす」
 持って降りていた鞄を掴むと、そのまま家を飛び出す。
 今から慌てて飛びだしても電車まではまだ間があると気付いたのは、自転車に飛び乗ってからだった。
 ……ま、まあいいわ。
 たまには早めに駅に行くのもいいわよね。

    5

 冬の朝のホームは寒い。あたしは白い息を吐きながら改札をくぐると、そのままホームの真ん中に向かった。
 することもなく、いつも通りにぼんやりと対向ホームを眺める。しばらくすると、向かいのホームに上り電車が入ってきて、数人の客を降ろして学生を乗せるとすぐに出発していく。
 その時、背後から声がした。
「鈴平」
 聞き覚えのあるいやーな声。振り向くと、予想通りのトーヤの顔がそこにあった。
「何よ、トーヤ」
 顔をしかめてみせる。
「何の用ってわけでもないんだけど……最近電車で見ないから、どうしたのかと思って」
「何でもないわよ。一本早い電車に乗ってるだけ」
「別にこの電車でも余裕だろ」
「勉強してるのよ」
「ほんとーか?」
 疑わしげな目で見るトーヤ。
「そりゃ、そんなにしてないけど……やろうともしないよりはマシでしょ」
「まーな」
 苦笑するトーヤ。
「それより、あたしがいないなんていちいちチェックしてたわけ? 暇ねぇ」
「チェックしてたら悪いか?」
 悪いわよ、と言いかけてその言葉を飲み込む。
 何故か真剣な目で、トーヤはあたしの方を見ていた。
「な、何よ。気持ち悪いわね」
 思わず二、三歩引いてしまうあたし。
「……ゴメン。気にするな」
 そう言って、アイツは普段通りの改札のそばへと戻っていく。
 何が気にするな、よ。
 カッコつけちゃって。
 そんなこと言われたらこっちの方が気にしちゃうじゃない。
 いやな……イヤナ……
 嫌なヤツ!

 翌日、あたしが元通りの一本前の電車に乗ろうとすると、アイツは素知らぬ顔で改札のそばに立っていた。
「そっちこそどうしたのよ」
 あたしが言うと、アイツは淡々と言った。
「俺もちょっと早朝勉強でもしようかと思ってな」
 あたしはそれに答えないまま、ホームの真ん中へと歩いていった。
「あの馬鹿」と小さくつぶやきながら。

    6

 そして、アイツが一緒の電車に乗るようになって以来、あたしは学校で真面目に勉強することになった。コンビニで時間を潰したりしてアイツの前で弱みを握られる訳にはいかない。仕方がないので、図らずも両親の期待通りに早朝勉強に励むことになったのだ。とは言え、アイツのいる教室で勉強するのは嫌だった。そう思ったときに初めて気付いたのだが、うちの学校の図書室は早朝から開いている。そして、そんな朝早くから図書室に来る人間なんて少ない。あたしは一本早く来る分の時間だけでなく、朝礼直前までの時間を図書室で過ごすようになった。漫画やら小説やらが目に入る自分の部屋と違って、気の散るもののない図書室での勉強ははかどった。そして、図書室で勉強すれば、帰りもアイツと絶対に時間をずらせるし、ついでに言えば帰り道に多少寄り道しても「図書室に下校時間までいた」ということで親に言い訳が出来る……一石二鳥どころか三鳥。
 そうして迎えた期末テスト。……自慢じゃないけど、出来は良かった。今までだったら分かるのと分からないとが混ざり合ってるのに、今回は「難しい」問題はあっても、「分からない」問題はほとんど無かった。
 ……そして、テスト後に返ってきた答案は、あたしのその感触を証明してくれた。

 あたしの高校では、答案返却日から終業式までの何日かは休みになっている。答案を見てご機嫌の両親のおかげで、その間数日はいつもみたいに「勉強しなさい」と言われることもなく、家でのんびり過ごしていた。
 そして迎えた十二月二十二日、終業式。いつも通りに運動場で、校長のかなり眠たい話を聞かされる。やれ冬休みの過ごし方云々……しかし何故、小学校の時以来この手の話は変わり映えがしないんだろう。
 そして教室に帰って、もう一度担任のちょっと眠たい話(校長よりはマシだけど)を聞かされて、通知票が一人一人に渡されて、そして二学期が終わる。礼と同時にわっと歓声が上がって、気の早い連中は大慌てで教室を飛び出していく。
「ナルミ、なんか楽しそうだね」
 沓掛っちがそう言いながら近寄って来て、断りもなく勝手に通知票を覗き込む。
「わ、すごい」
 感動があるのかないのか分からないような調子で言う。
「まーね」
 さり気ない口調で言い返してやる。……まあ上位とはとても言えないけど、あたしの今までの成績から言えば御の字が五個も十個も付く出来だろう。にやけてるつもりはないんだけど、ちょっとぐらい楽しそうな顔をしても良いはずだ。
 ……当然ながら、これはあたしが頑張ったからであって、その横にアイツがいたこととは何の因果関係もない。アイツへの反感すら何の関係もない。そうに決まっている。
「もう帰るよね?」
 沓掛っちが言う。
「うん。一緒に帰ろー」
 あたしはそう言うと、通知票を鞄にしまって立ち上がった。
 学校を出たところで、空から白いものが降ってきた。
 ……ちょっと遅めの、今年初めての、雪。ぱらりぱらりと少し降っているだけど、制服の袖に落ちては、次の瞬間には消えていく。
 いつもの田んぼの中の道を歩いていくと、やがて線路が見えてくる。
 踏切を越えて駅舎の前に出たところで、あたしと沓掛っちは同時に声をあげた。
「うわぁ」
 駅前の大きなモミの木。
 その木の全体に、星やらリボンやら綿やら色々な飾り付けがなされていた。
 思わず立ち止まって、モミの木を見上げる。
「キレイだね」
 ツリーをさらに飾るように、空からは銀色の輝きが降って来る。
「凝ってるなぁ」
 沓掛っちがそう言いながら、ツリーの周りをグルグル回る。……行きには、学生専用出口から出たから、こんなものがあることには気が付かなかった。去年も確か無かったはずだ。多分、駅前の商店のひととかが中心になって飾ったんだろう。
 あたしがぼんやりと見上げてると、背後からあたしの肩がたたかれた。
 振り向くと、そこにはトーヤの顔があった。

    7

「よ」
 短く言うアイツ。
「……何よ、トーヤ」
 顔をしかめてみせる。
「別に何でもないけどな」
 それっきり黙るアイツ。
 あたしも黙りこくる。
 一瞬視線が合って……そして二人同時に慌てて目を逸らす。
 ちょっと待ってよ。何よこの間合い。
「テスト、どうだった?」
「まーまー、ね」
 コイツにはきっと負けてるんだけど。どーせ嫌味でも言うんだろう。あー、悔しい。
「そっか。良かったな」
 しかし予想に反して、彼はそう言っただけだった。
 何よ。
 何なのよ。
 いったい何なのよ。
 二人向かい合ったまま、お互い目を逸らしたまま、沈黙が続く。
 トーヤなんか放っておけばいいのに。
 何故あたし、動かないわけ?
「じゃ、先行くね」
 その時、いつの間にかいた沓掛っちが不意に言った。振り向いたときには、既に彼女は駅舎へと駆け込んでいくところだった。
「あのさ」
 トーヤの声で、もう一度向き直る。
「明後日とか、何か予定ある?」
「いや、別に予定なんてない……」
 言いかけてふと気付く。
 今日は十二月二十二日。と言うことは、明後日は……
 多分顔がかぁっと赤くなったと思う。自分でも分かるくらいはっきりと。
 背後には華やかに飾り付けられたモミの木。
 頭上からは白銀色の飛沫。
「特に予定なんか無いわよ」
 目を逸らしたまま答える。
 同じく目を逸らしたまま、トーヤが言う。
「暇だからさ。こーなったらナルミでもいいから、遊びに行こうかなって」
「……奇遇ね。あたしも同じ事思ってたところ。トーヤでもまーいいわ」
 そう言いながら、振り向いてモミの木を見上げる。ちょっとわざとらしいけど、構うものか。
 今日は機嫌がいいんだ。
 ちょっと楽しい気分は通知票のせいだけじゃないのかもしれないけど構うものか。
 そっと胸の前で手を合わせる。
 きらきらと銀の粒は空から降ってくる。

 その時、トーヤが言った。
「おい鈴平、ちょっと見て」
 その声で振り向こうとしたあたしの頬に……トーヤの人差し指がめり込む。
 そして、アイツの顔が邪悪に微笑む。
「ぎゃはは、今どきこんな小学校低学年のネタで引っ掛かるか?」
 そう言い捨てて逃げようとするアイツ。
「……その小学校低学年のネタをしてるのは誰よっ!」
 あたしは怒鳴りながら、アイツを追って走りだした。
 さっきの全部取り消しよ。
 ええ。あたしが全部悪かったのよ。アイツはこーいうヤツなのよ。
 アイツなんか、アイツなんか……
 大っキライ!

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