リトル・サンクチュアリ

雪村晴佳
 真夏の夜は暑いけど、それでも昼間に比べたら大分と涼しくなっている。
 僕はランプの明かりで照らされた天井を、ベッドに寝そべってぼんやりと眺めていた。どこからか飛んできた虫が一匹、ランプに向かって何度も突撃を繰り返している。
 普段なら僕ももう寝る頃だけど……。
「リオ、起きてる?」
 その時、窓の外から声が聞こえてきた。
 僕はベッドから体を起こすと、窓枠に手の平を添えて、音が立たないようにしながらそぉっと窓を開けた。
「あ、おきてたおきてた」
 窓から顔を出した僕をにこにこしながら見つめる、ツインテールの笑顔。
「ミル、本当に行くの?」
 僕が聞き返すと、こくりと頷く。
「今日は三つの月が全部昇る夜だよ。今日を逃したらいつになるか分からないよ」
「そりゃそうだけど……」
「行こうよ」
 そう言われると何となく、僕はミルに押されてしまう。……小さい頃からずっとそう。別に彼女、ミルが僕を圧倒するほど気が強いわけでもないけど、気が付いたらいつも2人でいて、そして向こうのペースになってしまっている。もしかしたら、押しが強い女の子よりずっとたちが悪いのかも。……僕が気が弱いだけかも知れないけどさ。
「仕方がないなぁ」
 そう言いながら、上着を羽織って、窓枠に飛び乗ってから外に飛び降りる。
 ……まあ、それに。
 二人きりで秘密でどこかに行くって、結構まんざらでもないんだよね。

 三つの月が全て昇る夜は、夜中でも月の明かりで外は明るい。昼間ほどじゃないけれど、灯りなしで外を歩き回るには充分な柔らかい光が地上を包んでいる。
 あかしろきいろ。
 空を見上げると、3つの月が星々の間を縫って散らばっている。ほぼ同じ大きさの光は、ただその色だけが違って見えている。
「リオ、何ぼやーっとしてるの?」
 一足先を歩いていたミルが、振り返って僕を不思議そうな目で見る。お互い十四才になった今も、その目は小さなころ2人で遊んでいた頃とほとんど変わらない。好奇心でいっぱいで、何でもかんでもまっすぐに見つめる茶色い瞳。
「べつにー。月見てただけ」
「よそ見して歩いてるとあぶないよー」
 妙にのんびりとした口調で言うミル。
 砂利道の両側の草むらが、夜風に吹かれてさわさわと音を立てる。
 僕たちは聖域へと続く道を、のんびりと歩いていた。
 「聖域」。取り敢えず教会が指定しているからそこは聖域。と言っても、例えば聖者の殉教の地とか、そういう教会にとって大きな聖地ではない。聖レグサクストとか何とかという人が子供の病気を治しただとか、そういう程度の場所。実際には教会の管理なんて大して行き届いていない、町はずれの草むらの中に佇む小さな祠に過ぎない。それでも一応、聖域ということで柵できっちり囲んで、年に1度の祭日以外は一般人は立入禁止と言うことになっている。たまに草抜きぐらいはしているみたいだ。でも、逆に言えばその程度。
 その聖域の祠に潜り込んでやろうと言い出したのは、いつも通りミルの方だった。「なんで?」と僕が聞き返すと、ミルはこれもいつも通りにこう答えた。
「だって、面白そうだもの」
 ミルにとっては全てがそうらしい。勉強も、遊びも、悪戯も、こんな秘密の冒険も、全ては「面白そう」の一言で片付けられてしまう。
 そんなミルに呆れつつも……正直、ちょっと羨ましい気がしていた。
 砂利道が二つに分かれると、馬車の車輪の跡が付いていない方に入る。こんな夜に来るのは初めてだけど、祭日には何度か来たことがある道だ。分かれ道を入るとすぐに道は左に大きく曲がって、そして道に沿って大きな岩があって、それを過ぎれば……。
 ほら。
 レンガ積みの塀が見えてくる。ちょうど僕の背の高さよりちょっと高いくらい。

「上向いちゃ駄目だよ」
「……ミル、確かズボン履いてなかったっけ」
 そうと知っててもちょっぴり見上げたい気分になる僕は変なのかな。
「男の子は細かいことは気にしちゃ駄目だよ」
 そう言いながら、壁に手を突いて下を向いた僕の肩を軽く蹴って飛び上がる。
 塀の向こうに着地する音を聞いてから、僕は顔を上げた。
「おっけ。リオも早くおいでよ」
 1人で先に行っといてそれもないんじゃないかな。……多分、悪気はないんだろうけど。
 ミルから見える心配もないので、派手にため息をついてから苦笑する。
「リオ、だいじょうぶ?」
「大丈夫、今行くよ」
 そう言いながら、僕は塀の上に指先をかけて、地面を蹴飛ばした。

 当たり前と言えば当たり前だけど、聖域の中にはまったく人気は無かった。塀で隔絶されているせいか、虫の声すら聞こえない。まるで空気の「静まり返った音」が聞こえそうなくらいだ。
 塀の中の広い空間は、祭日の時と違ってあまり手入れされていないらしく、ところどころに雑草が伸びている。しかし、門から続く石敷きの道には草はほとんどなく、その先には柔らかい光に包まれて祠が佇んでいる。
 祭日の時は賑やかだからあんまりそんな感じはしないけど、こうして月の光の下で佇む祠を見ていると、なんとなく厳粛な気持ちになる。
「これからどうするの?」
 僕が訊くと、ミルは即答した。
「祠の中に入って見ようよ」
「……それ、さすがにやばくない? 一応聖なる場所なんだし」
「だいじょぶだいじょぶ。神様ってきっとそんな心の狭い人じゃないよ」
「いや、でも何となく嫌じゃない?」
 それにそもそも神様って、多分人じゃないんじゃないかな……。
「でも、鍵がかかってないかな?」
「あ、そーか。……ま、試してみれば分かるよ」
 そう言って、小走りで祠の前まで1人走っていく。
「リオ〜。開いてるよ〜」
 うそだぁ。

 そんな感じで祠の中に入ると、小さな玄関があって、その奥はいきなり聖堂になっていた。
 外からでは屋根までよく見えなかったけど、窓や天井のガラスがふんだんに使われていて、照明器具が一切ないにも関わらずかなり明るい。正直、外から見ると何の変哲もない古い建物だっただけに、こんなにきれいだというのは予想外だった。祭壇とかも思ったよりもきれいに磨かれている。
 ステンドグラスから射し込む光が、祭壇の手前に色とりどりの影を落としている。
 僕とミルは後ろの方の長椅子に座って、その様子をぼんやりと眺めていた。
「すっごくきれいだね」
 ミルが呟く。
「うん」
 そのまましばらく、ぼんやりと眺める。

「こうしてリオと夜中に抜けだすの、いつ以来だっけ?」
 ふと思い出したように、ミルが言った。
「えっと……最後に覚えてるの、5年ぐらい前かな」
 小さな頃は良く2人で家を抜けだしては、次の日にお母さんに怒られていたものだったけど。最近は2人とも大きくなったし、昼間ならともかく夜に抜けだすことは珍しかった。だから今回、ミルが聖域に行こうと言いだしたときにかなり驚いたんだ。
「あー、そんな久しぶりになるんだぁ」
 感心したように言うミル。
 僕はふと思い付いて、ミルに尋ねた。
「そう言えばミル、結局なんのために突然ここに行こうなんて言い出したわけ? 面白そうだったから、はナシだよ」
「うーん」
 僕が聞くと、ミルはちょっと小首を傾げてから言った。
「リオと2人でどこか行きたかったから、って言ったら駄目かな?」
 突然そんなことを言われて、僕は一瞬戸惑って……それからかぁっと顔に血が上った。
「どういう意味?」
「そういう意味」
 僕は思わず立ち上がって、ミルの瞳を覗き込んだ。
 ちょっぴり照れ臭そうにミルが視線を逸らす。
「……そういうことでいいの?」
 もう一度訊き返す。
「うん、そういうこと」
 それからちょっと横を見る。
「ついでに言うと、折角だからちょっと雰囲気に凝ってみたかったかなって」
 そう言いながら、祭壇の方へと歩いていく。
 僕がその後を追うと、ミルは祭壇の前で僕の方に向き直った。
「今更言うのも何なんだけど、ね。……」

 聖堂の真ん中。

 軽く肩を抱いて。

 唇を一瞬、ちょっとだけ合わせてみて。

 そう。この場所、この時間が……


 僕たちにとっての、小さな、小さな聖域。

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