Monochronika

die
SommerTage

裸の付き合いってやつよ!


yoshikem




T


「エルフと人間の違いって何なのかしらね」
 リーネ・クレンペラーの呟きに、シラム・リストゥーバは目を開けた。
 森林警備隊【森の翼】の事務所、やや奥まったところに設置されている仮眠室である。泊まり込みをするような用事でも無い限りは誰も使わない、言わばシラムの秘密のサボり場。そこで横になっていたら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 ベッドの脇にリーネが腰掛けて、こちらへ優しげに微笑んでいる。
「あら、起こしちゃったかしら」
「起こしに来たんじゃないのか?」
 寝起きで惚けている頭に徐々に血が巡っていく。
 ここでこうして居眠りをしているといつもリーネが起こしに来る。
 それはシラムにとって守るべき日常の一こまだ。その、いつもと変わらない景色に小さく息を漏らす。
「まあね。一応名目上はそう。だけど、久々にシラム君の寝顔見てたら、なんだか可愛くってさ」
「寝顔!?」
 恥ずかしさで一気に目が醒める。
「今更恥ずかしがることでも無いでしょ。寝顔なんて昔から良く見てるんだし」
「恥ずかしいに決まってるだろ! もうガキじゃないんだから」
「さあ、どうでしょうか。少なくとも寝顔は昔とそんなに変わらなかったと思うけど」
 そう言って、愉快そうに肩をすくめる。
 こうなってしまってはもうシラムに勝ち目はない。何を言っても良いようにあしらわれるだけだ。
「……はあ、どうせオレは子供ですよ」
「うん、そうだね」
「……んー……、やっぱり認めるのはそれはそれでしゃくだな」
 胸の中に微かに凝る、苛立ち混じりの温かさ。けなし合いではなくじゃれあいの感触。
 幼なじみで互いに気心の知れた相手だからこそ出来る会話だった。
 だから、この会話も適当なところで打ちきりになるはずだった。お互いに笑い合って、日常のアルバムの一枚として収納されるものとなる筈だったのだ。
 けれども、リーネは少し遠い目をして寂しげに続きを呟いた。
「でも、子供だよ。……だから、アリアちゃんとも仲良くできない」
「……っ」
 非難の言葉に思わず息を呑んだ。
 そんなシラムの動揺を、恐らく見越してだろう。リーネは更に続きを口にする。
「エルフと人間の違いって、何なのかしらね」
 それは彼を眠りから揺り起こした呟きと同じものだった。
 エルフと人間の違い。
 その言葉の意味を、改めて考えてみる。
「なんでシラム君とアリアちゃんがいがみ合わなきゃいけないのかなぁ」
 それは……、そういうものだと思っていたからだ。
 エルフと人間は、生きる時間の長さが違う。人間の約五倍寿命があるエルフは、見る世界が全然違う。わかり合える筈なんて無い。
 生き物として持つ能力も違う。魔力を扱うことに長けたエルフと、そうでない人間。この世界に対する態度そのものが違うと言っても良いくらいだ。わかり合える筈なんて無い。
 社会構造も違う。ひっそりと小さな集落を作って閉じた社会で生活しているエルフと、大規模な街を作り、積極的に自分たちの版図を広げて言っている人間。それはそのままこの世界における種族としての序列を表しているようでもある。わかり合える筈なんて、無い。
 何もかもが根本的に異なる種族なのだ。
 そんな二つの種族が本当の意味でわかり合える筈など無い。
 だから、と言うわけではないが、幼い頃から人間と仲良くする図など想像したこともなかった。いや、そもそもエルフは独立した集落で暮らしているから日常で人間との接点を持つことがまず希だ。
 距離の離れた二つの種族。
 互いのことは知識では知っている。
 意識しない、筈がないのだ。
 自分たちの種族について誰しもが少しは持っている誇り。他の種族に、自分たちは決して劣ってなどいない。そんな矜恃が、恐らくはきっかけ。
 だから、なんとなく人間は気に食わない。
「私、エルフと人間の違いを気にするのって、下らないと思うのよね」
 一言で遠慮無く完膚無きまでに否定された。
「……そんなことを言っても、二つの種族の間の溝は深いんだよ」
「溝って何よ?」
 真正面から顔を覗き込まれて真っ直ぐに訊ねられる。
 改めて問われると、何だろうか。
「そりゃ……、お互いに別々に生活してきたんだから、色々あるだろ」
「そんなの、アリアちゃん個人を見る時には関係ないでしょ」
 何も言い返せない正論だった。
 言葉に詰まって目を逸らすと、顔を両側から掴まれてぐいとリーネの方を向かされる。
 澄んだ水のような青い瞳が真正面からシラムを捉える。
「ねえ、シラム君、もう一度真剣に考えて答えて。溝って、何?」
「…………わかんねえよ」
 そう答えるしかなかった。
 目をしばたたかせてどうにかそれだけを口にすると、リーネは満足げな表情になる。
「うん、じゃあ、分かって。そんな溝なんか無いって、分かって」
「いや……それは……」
「だって、溝って何かわからないんでしょ。じゃあ、きっと溝なんて最初から無いのよ」
 言葉に詰まるシラムに、リーネは怒濤のごとく言い立てる。
「もっとアリアちゃんを見てあげて。彼女個人を見てあげて。そしたら、きっと種族の差なんて関係なく仲良くできるから」
 ふざけている風は全くない、真剣そのものの表情。あれだけ仲の悪かったシラムとアリアが本当に仲良くできると信じ切っている、その顔を見たら流石に否とは言えなかった。
「わかったよ」
 困ったように頬を掻きながらそう呟いたシラムを見て、リーネは満足そうに頷く。
 かと思いきや、ふと何かに気付いたようにばつの悪い表情を浮かべて、こちらを上目遣いに見つめてくる。
 何事かとシラムが首を傾げるのと同時に、先ほどまでの勢いのある口調とは打って変わった弱々しげな言葉がリーネの口から漏れた。
「……あの、ね」
 妙にもじもじとして言いにくそうに、指先をちょんちょんと弄ったりしている。いつも言動がはっきりしているリーネにしては、らしくない。
 シラムが不思議そうに覗き込んだ視線を逸らしながら、うつむき加減にリーネが言った。
「アリアちゃんを見過ぎて見惚れちゃったり、あと本当に惚れちゃったりっていうのは駄目だからね」
「…………………………は?」
 思わず目が点になる。
 それは一体どういう意味だ。
 問い返そうにも混乱で言葉は出てこず、リーネはリーネでまるで頭から湯気でも立ちそうな勢いで顔を真っ赤にして俯いてしまっている。
 気まずい……というよりは気恥ずかしい沈黙の中、理解の中でリーネの水色の髪の毛だけが柔らかに揺れている。
 とにかく何かを言わなければ。意志だけでどうにか喉を震わせて、
「あの……、それは大丈夫だから」
 どうにか言えた言葉がそれだった。
 弾かれたようにリーネが顔を上げる。
 互いの視線が絡み合って、お互いに何も言えない沈黙が再び降りる。
 どちらが先だったのか、ごくりと唾を飲み込む音が鼓膜を振るわせた。
「リーネ……」
「シラム君……」
 互いの名前を呼び合う。
 その音を紡ぐ唇が次第に近づいていく。
 とろけるように目が細まり、二人の間の距離が互いの吐息が感じられるまでに縮まる。
 その距離がゼロになろうかという、まさにその瞬間。
 部屋の外で騒がしい足音が聞こえた気がした。
「大変よ!」
 仮眠室の扉が盛大な勢いで開かれた。
 ぎぎぎ、と錆びた機械のようなぎごちなさでそちらを向く。
 何だかよく分からない表情で動きを止めたエリアネル・テルミチェットが、二人のことをじっと見つめていた。
 なにもことばがない。
 なにもいわれない。
 なにもいえない。
 きぃー、
 そんな軋みを立てて扉が閉じられる。程なく、靴音が遠ざかっていくのが聞こえた。
「えっと……何だったんだ?」
 リーネの方を見て呟く。
「さあ……、でも大変って言ってたわよね」
「けど、戻っていっちゃったぞ?」
 何も言われないままだと何が大変なのかも分からない。が、肝心のエリアはどこか別の場所へと行ってしまったのである。
「なんだったんだよ、ほんと」
 良いところだったのに。そう呟きそうになったのはどうにか押さえつけて、シラムはリーネを見た。
 リーネもシラムを見ていた。
 視線が絡み合って、再び気まずい沈黙。
 どうしたものか、そう思案しようとしたら、扉の外で足音が聞こえた。
 ばあん!
 扉が勢いよく開かれる。
「大変よ!」
 先ほどと全く同じ台詞をエリアが叫んでいた。



II

「……えっと、とりあえず状況説明を要求します」
 シラムは頭痛を感じながら目の前にたつエリアにそう言った。
 ここは村の中でも日頃用事がなければ余り立ち入ることのない宝物庫のある区画である。
 大変、と口にしたエリアに引っ張られるままにシラムとリーネが来てみれば、そこには既に先客がいた。
 シラムたち同様に困ったような表情でエリアを見つめるその少女は、まさに先ほどシラムとリーネの話題に上っていた人間の少女、アリア・ムーシカであった。
「エリアさん、私からも説明を要求します。これは、どういうことですか?」
「人手を集めてきただけよ。シャルを捜索する、その人手をね」
 エリアがシラムたちとアリアのその両方をほぼ均等に見ながら、楽しげに語る。そこまで楽しげに言われると何を言う気にもならない、そんな表情だ。
「あの……話が読めないんですけれども、シャル君がいなくなったんですか?」
 おずおずと挙手しながらそう訊ねたのはリーネだ。エリアは彼女の方を向いて真面目そのものの表情で頷く。
「そうよ。本日、ついさっき、この辺でアイツがいなくなっちゃったから探そうって、そう言う話。おっけー?」
「おっけー、じゃないッス」
 エリアの声に不機嫌そうな返事が被さる。
 見るからに不満がありそうな顔で、シラムがエリアと、その隣に立つシャルの師匠を交互に見つめる。
 シャルの視線を受けて怪訝な表情を浮かべるアリアを視界の端に捉えながら口にする。
「それって、シャルがいつもの……、そいつの訓練から逃げ出したとか、そう言う事じゃないんですか?」
「それはどういう意味ですか?」
 答えたのはアリアだった。
 怒りのこもった声で、しかしあくまで冷静は保ったまま聞き返す。
 そんなアリアの様子を鼻で笑い、リーネが止めるのも無視をして更に神経を魚出るようなことを言う。
「ややこしいことを言ったつもりはなかったが? 単純な話だよ。師弟関係、上手くいって無いんじゃないのってこと」
「そんなことはありません。シャルと私に限ってそんなことはありえません。いい加減な憶測でものを言うと、自分の低能を露呈するだけですよ」
「ほお……、こいつはまた、自信たっぷりに出たな。なんなら、」
 言いかけた言葉は、息を呑む音に取って代わられた。
 何事かと思えばシラムの脇腹にリーネの肘が鋭角でめり込んでいた。
「り、リーネ……」
「喧嘩しないって言ったでしょ。シラム君はすぐにそうやってトゲトゲするんだから」
 涼しげな顔のリーネと、対照的に表情を歪めながらうずくまるシラム。
 その様子を唖然として見ていたアリアにリーネが柔らかく笑いかける。
「ごめんなさいね。シラム君ったら、どうも突っかからないと気が済まないみたいで。きっといつだったかに貴方にこてんぱんにされたことが忘れられないんだと思うんだけど」
「はあ……」
「まったく、そんなことをいつまでも気に掛けてるなんて、小さいわよねぇ」
「あの……、えっと……」
「リーネちゃんさー、話進めて良い?」
 対応に困っていたアリアに助け船を出したのは、それまでのやりとりを苦笑しながら見守っていたアリアだった。
 うずくまっているシラムに哀れむような視線を投げかけながら、コホンと一つ咳払いをする。
「まあね、さっきのは正直端折りすぎたかなぁって思うのよ。てなわけで、この馬鹿にもきちんと分かるようにもうちょっと詳しく説明するわね」

***

 抜けるような青空に魔力が拡散していく。
 シャルシュが放った魔法をいつも通りにかき消せた手応えを感じて、アリアは肩の力を抜いた。
「はい、じゃあ休憩を入れましょうか」
「……はい」
 意気消沈したようなシャルシュの声。さっきまであった元気はどこかへ消え失せてしまったようだ。それも仕方ない。何せ今日こそはと意気込んで、自信作の魔術式を組み上げたのに、表面上の結果はいつもと変わらなかったのだ。
 シャルシュの魔術式、そしてその魔術式を鋳型として放たれた魔法は、例によって例のごとくアリアの解呪によって空中分解してしまい、なにとも知れない魔力のかすとなってしまったのだ。
 落ち込む気持ちも分からないでもない。
 だが、それはあくまで表面上の話だ。
 解呪を行ったアリアにはシャルシュの魔術式が回を経る事に強固で崩しにくくなってきており、その成長ははっきりと感じられる。
 まだまだ当分の間は自分の技量であしらえるレベルを脱することはないだろうが、それにしても驚くべき成長速度ではある。これがシャルシュ個人の才能によるものなのか、それともエルフという種族の持つポテンシャルによるものなのか。いずれにしても、羨ましいを通り越して妬ましく思えるほどの成長だった。
「……えっと、僕の顔に何かついてますか?」
 そんなことを考えていたら、シャルシュの事を見つめてしまっていたらしい。
「え? ええっと……」
 アリアは慌ててかぶりを振って「別に何でもありませんよ」と答えた。
 見つめていたことに他意はない。
 そうだ、他意など無く、純粋にいち魔導士として彼の才能について量っていただけなのだから、そこに個人的な感情など無い。
 そう、自分に言い聞かせる。
「はぁ……」
 何故そんなことを考えているのか。自分に呆れて小さく溜息を吐いた。
 シャルシュが不思議そうな声を上げたのはその時だった。
「あれ?」
「だから……、別に何でもありませんよ」
「そうじゃなくて、何か聞こえませんでしたか?」
「ですから、今の溜息なら」
「そうじゃなくって、ですね……」
 シャルシュが辺りを不思議そうに見回しながら立ち上がる。耳に手を当てて音を集めようとしているその表情は、決して冗談や悪ふざけでやっているようには見えない。
「……あの、シャル?」
「なにかが聞こえるんです。どこから聞こえてるのかもよく分からないんですけど……」
「本当に?」
 アリアも耳に意識を集中させてみるが、変な音など聞こえては来ない。
 ただ、いつもと変わらない木の葉の音だけが風に任せた気まぐれなリズムを刻んでいるだけの、穏やかな森の音だけが響く。
「シャル……、あなたの聞き間違いじゃ……」
「呼んでる」
「え?」
 そう呟いたシャルシュの方を弾かれたように見る。
 その目は一つの方向を迷い無く見つめており、決して耳鳴りを勘違いしただとかのあやふやな根拠に立つ者の様子ではなかった。
「……行かなきゃ」
 呟くと同時にシャルシュが駆け出した。
 呆然としたまま置いて行かれたアリアが我に返って追いかけ始めた時には、シャルシュの背中は既に小さくなっていた。

***

「っていうことがあったのよ」
 エリアが大きく溜息を吐いて肩をすくめた。
「……いや、偉そうにまとめてるけど喋ったのは全部コイツじゃないですか」
 シラムが呆れた様にアリアを指さす。
「大体、今の話だったらエリアさん関係ないですよね?」
「いいでしょ、別に。その後シャルを追いかけてるアリアちゃんを見つけて面白そうだから追いかけたのよ。文句ある?」
「無いと思うんですか?」
「べっつにぃ〜」
「うわ……、最低だ、この大人……」
 シラムが呆れた表情で顔を手で覆う。
 こんなやりとりは既にこの二人と親しければ見慣れたものだ。リーネが全く意に介していない様子で二人を無視し、アリアに訊ねた。
「それで……、その話だと別にシャルが消えたってことにはならないと思うんだけど、そのあと何があったの?」
「あ、はい。実は私とエリアさんでここまでシャルを追いかけてきたんですけど、シャルが消えてしまったんです」
「……どういうことですか、エリアさん?」
「アリアちゃんの言ったまんまよ」
 エリアは意味が分からないと言った様子で肩をすくめた。
 どういうこともなにも、そのままの意味だ。
 アリアと二人でここまでシャルシュの後ろ姿を追いかけてきては見たものの、いざ建物の角を曲がってみればシャルシュの姿は消えていた。
 それこそ、夢か幻のように。
「はあ?」
「え?」
 アリアのさらなる説明を受けて、シラムとリーネが疑問の声をハモらせる。
「とにかく、消えたとしか言いようがないんです」
「それで……捜索の手としてオレらを呼んだってわけですか」
「そういうこと」
 弟子達がようやく状況を理解してくれたことに、満足げな表情でエリアは頷いた。
「じゃ、頑張って下さい」
「何言ってんのよシラム?」
 刹那の後、身を翻したシラムとその襟首を隙無く捕まえているエリア。
 二人ともいつ動いたのか見えなかったほどの一瞬の身のこなし。
 アリアとリーネが呆然としている前でシラムはエリアに不満げな視線をぶつけた。
「何でオレたちがそんなことせにゃならんのですか?」
「私が気になるからよ。大体、貴方だって気になるんじゃないの? 心の底では探したいって思ってるんでしょ?」
「……思ってないですよ。シャルだって一人になりたいことくらいあるでしょ。その為にそいつに嘘ついて逃げ出したくなることくらいある。ただそれだけのことでしょうに」
 そう言ってシラムがチラリと視線をやった先にいたのは、勿論アリアだ。
 シラムのその言葉を聞いて、アリアのこめかみがわずかにひくついたのが見えた。
「言うに事欠いてそんな下らないことを……。私の修行からシャルが逃げ出すですって?」
「ああ、そうだよ。大方厳しくしすぎて嫌われでもしたんじゃないのか?」
「ちょっと、シラム君、言い過ぎだよ」
 慌ててリーネが止めにはいるが、既に遅い。アリアは怒りも露わな表情でシラムのことを睨み付けている。
「そ、そんなことあるわけ無いじゃないでしょう! だって、訓練はシャルの希望でやってるんですよ!」
「それでも……、だよ!」
 シラムが一瞬視線を逸らす。
 その視線が向かった先が、自分の襟首を掴んだままのエリアだったのは、決して誰の見間違いでもないだろう。
「……まあ、シラムが何か言いたげなのはとりあえず置いておくとしても……、実はね、シラム」
 エリアがシラムの襟首を離して何か言いたげな表情を見せる。
「まだ何かあるんですか?」
「ん……、なんて言うかね」
 その目がチラリとアリアの方を向く。
 アリアはそこから何かを読み取ったのか、小さくこくりと頷いた。
「まあ、なんというか、ただ消えただけってワケでも無さそうなんだわ、これが」
「シャルの魔力反応が……消えているんです」
 再び、シラムとリーネの不思議そうな声が重なった。

***

「つまり、こいつの魔力探査でもシャルの奴は居場所不明だったってわけか」
「そういうこと。これは、もはや行方不明と言っていいレベル……なのよね、アリアちゃん?」
「はい」
 アリアが深刻そうな表情で頷く。
 状況はさっぱり分からないが、要するにシャルシュの場所が本当に分からないらしい。なんでも魔力探査という術を用いればどこにどんな魔力の持ち主が存在しているかが分かるということらしい。それ自体恐ろしい技術だと思うのだが、アリアのその魔術でシャルの居場所が掴めないと言うことらしい。
「そこまでしてシャルを探してた、ってことについてはとりあえず放って置くけど……、それ、本当に信用出来るのか?」
「あなたに負けない程度の実力ですので……、まあ信用しきるのは危ないかも知れませんけれど」
「てめえ、喧嘩売ってるのか?」
「先に売ってきたのはそちらでしょう?」
 相も変わらずトゲトゲした会話を続けるシラムとリーネを見て、エリアがにやついた笑みを浮かべる。
 そんなエリアの様子を見てリーネが不安そうに顔をしかめる。
「あの……、エリアさん、楽しんでません?」
「んー、まあまあ」
「シャル君を捜すなら、早く動かないと……」
「そうねー。リーネちゃんの精神衛生上、これは良くないか」
「え、別にそんなことを言ったつもりじゃ……」
 戸惑ったようにリーネが俯くのも楽しげに眺めて、エリアはパンと一つ手を叩いた。
 みんなの注目が彼女の元に集まる。
「アリアちゃん、この二人に。さっきのをもう一回やって見せて上げてよ」
「はい、わかりました」
 シラムを一瞥するとアリアは何やら地面に模様をつけ始める。
 そこに描かれた模様がどういう意味を持つのか、シラムやリーネには分からない。
 一人エリアだけは得心のいった顔でアリアが地面に展開していく魔法陣の意味を理解している様子だった。
「私がさっき見た時も、この魔術でシャルは引っかからなかった。アリアちゃんの魔法は感心するくらい完璧よ……。それでも駄目って事は、きっと何か起きてるのよ」
 そう言って、先ほどまでのへらへらとした様子とは一変悔しがるように下唇を噛む。
 苦虫でも噛み潰したかのように眉根にしわを寄せて、アリアが描く魔法陣を見ながら小さく呟いた。
「……もうちょっと先だと思ってたんだけどな」
「エリアさん、今何か言いましたか?」
「ん? ううん、何でもないよ」
 不思議そうに呟いたシラムにエリアがそう答えたのと、地面に描かれる魔法陣が完成したのはほぼ同時だった。
「探索魔法陣、起動します」
 アリアの静かな呟き。
 同時に、辺りの空間を渦巻く魔力の流れが劇的に変わったのがシラムたちには分かった。
 それまでは無秩序に流れていただけの魔力が、突然良く調練された兵隊達のように秩序だって動き始めたのだ。
 魔力のうねりはさながら鬨の声。縦列をなした勇敢なる行軍が向かう先は、魔法陣の中心。アリアの指先だった。
 アリアの指先を通過した魔力が、そこから辺り一面へと急速に散開していく。
 均等に、広く、まるで一枚の紙を作るかのような光景にシラムもリーネも思わず息を呑む。
 魔力とは、これほど緻密に扱えるものなのか、と。
 エルフの常識では考えられない光景が、目の前にはっきりと見える。
 感覚に任せて気ままに力を振るうだけのエルフの魔法とは全く異なる、人間の緻密で計画された魔力運用。確かに、その場で動員されている魔力の総量はエルフのそれと比べれば大人と子供、物の数にも満たない程度だ。しかし、今アリアが展開している魔術式から見ればシラムたちの扱う魔法など、数ばかり多い烏合の衆と同じ。統制のとれたわずかな精鋭が一騎当千の働きを見せれば、成る程、魔力の量で押すばかりのエルフの魔法がアリアにとって恐るるにたり無いものであることは当然だった。
「展開、完了しました」
 アリアの声が静かに響く。
 シラムたちの足下には、この辺りの地図であるらしい図が一面に描かれていた。
 その細やかな魔力運用に、シラムとリーネは揃って溜息を吐く。
「……あれ?」
 間抜けな声を上げたのはアリアだった。
「うん。なんでだろうね」
 それにエリアも呼応する。
 二人は不思議そうな顔を見合わせて、お互いに首を傾げている。
 理解が追いつかないのはシラムとリーネだ。
「あの……、一体どうしたんですか?」
 リーネがおずおずと訊ねる。
 エリアがなんとも情けない表情でリーネの方を向き直り、肩をすくめた。
「あのさー……、散々言っておいて何なんだけど」
 そこで一息吐いて、首を捻る。
 なんと言ったものか迷っているのか。
 エリアがぽりぽりと頬を掻いていると、アリアが溜息と共に口を開いた。
「シャルが……、いました」
 アリアの視線の先、ひときわ強烈な白金の光を放った光点が点滅していた。

***

「で、結局どういう事だったんだよ?」
 道に掛かっていた蔦を鉈で散らしながら、シラムがぼやいた。
 シャルシュの反応があった場所は村から随分と離れた森の中だった。歩いて往復するのなら一時間は掛かるだろうか。ほいほい行って帰ってこいと言われると顔をしかめたくなるような場所ではある。
「その質問は、私が訊ねたいくらいです。さっきまでシャルの反応なんてどこにもなかった。それはエリアさんも保障してくれるんですから」
 シラムの後を追うアリアが不満そうに口を尖らせる。
「エリアさんを疑いたくはねーけど……、やっぱり見落としとかあったんじゃねえのか?」
「あり得ません。さっきは確かに無かったんです」
「はいはい。じゃあ、そう言うことにしておきましょうかね」
 その二人を後ろから追いながら、リーネとエリアはあきれ顔を浮かべている。
「ほんと……仲良いわね」
「……というか、よくもあれだけぶつかって飽きませんね、あの二人も」
「あれ? 良いの? 二人があんなに仲良さげでも」
「エリアさんにからかわれるだけだというのがよく分かりましたから」
 そう言いながら、リーネは少し歩を進めてエリアの前に出る。
 その眉根に少なからぬしわが寄っていたのは恐らくエリアの見間違いでは無かろう。
「もー、素直じゃないねぇ、みんな」
 最後尾を行くエリアは鼻息一つ、そんなことを呟き、辺りをぐるりと見回した。
 首筋をくすぐるかのようなむずがゆさを感じる。
 どこかから見られているのか。前を行く三人に置いて行かれないように、注意を払いながら周囲の気配に気を配る。
 腰のポーチから小振りのナイフを一本取り出した。
「ちょ、ちょっとストップですよ、エリアさん」
 ナイフを投げるのにほんの一瞬だけ先んじて、静止の声が掛かった。もしその声が聞き覚えのないものでなかったら、それでも恐らく投げていただろう。
「……で、なんの真似かしら、オーウェル?」
「オーウェルさん?」
 立ち止まったエリアの呟きに、前を行く面々もこちらを振り返る。
 シラムたちの視線を浴びたエリアの見つめる先、木々と木々の間に気配無き幽霊の用にうっすらと立っていたのは、オーウェル・フィンチだった。
 やわらかな笑みを浮かべて両手を挙げ、降参の意を示す。
「試されるのとか、尾行(つ)けられるのとか、嫌いなんだけど」
「知ってますよ。別に隠れてるつもりはなかったんですよ」
 困ったような表情で頬を掻きながらこちらへと向かってくるオーウェルの姿を上から下まで眺める。
 一通りの武装と森歩きの装備。森林警備隊の一員として巡回する時のごく普通の恰好である。
「何してたのよ?」
「パトロールですよ、パトロール」
「今日、貴方非番じゃなかった?」
「ちょいと交代を頼まれましてね」
「ふーん……、まあいいわ。っていうか、丁度良いわ。オーウェル、アンタも付いてきなさい」
「は?」
 驚いたような表情を浮かべるオーウェルを無視してエリアは止まっていた足を再び動かす。
 呆気にとられているシラムたちの肩を叩き、先へと進むように促す。
「ほらほら、シャルの馬鹿をさっさと捕まえに行くわよ。ぼちぼち近いんでしょ?」
「え? えっと、はい、そうです。もうすぐです」
 アリアが手に持った紙片に目を落としながらそう答える。先ほどの魔術の簡易版を貼り付けてある紙片には、白金の光が中心近くで点滅していた。
「あのー、エリアさん、話が見えないんですが」
 困ったように、それでも一応付いてくるオーウェルの方をちらりと振り返り、エリアはぱちりと一つウィンク。
「いやいや、ただ単に護衛よ、エリアさん探検隊のご・え・い」
 それだけ言うとエリアはシラムとアリアの背中を叩く。
「さーて、アリアちゃんとシラムはどっちが先にシャルを見つけるのかしらねー」
「え?」「ん?」
 息を合わせたように互いを見つめるアリアとシラム。次の瞬間には、二人が全く同じタイミングで駆け出していた。
「こらー、あぶないぞー」
「棒読みのお手本みたいな注意ですね……」
 リーネの呆れた様な声をかき消すように、茂みをかき分ける音が遠ざかっていく。
「あの、いや、だから、エリアさん?」
 オーウェルの情けない声が後ろから聞こえる。
 かと思ったら、次の瞬間。
「え? きゃああああああ!」
「あ? だあああああああ!」
 二人の悲鳴と、強烈な水音が前方から聞こえてきていた。
「あれ? シラムとアリアちゃんなら事故るなんてことは無いと思ってたんだけどなー……」
「言ってる場合じゃないでしょう!」
 そう叫びながら駆け出したリーネを追って、アリアも足を速めた。勿論、危険がないか足下には細心の注意を払いながら。
 特に何も変わったことのない茂みの中をしばらく進んでいくと、不意に濃い木立が現れる。まるで天然の垣根のように、低木が鬱蒼と壁を作っていた。ご丁寧に人が突き抜けたであろう穴を二つ開けたその木立の向こう。
 恐る恐る顔を出して覗いてみると、果たしてそこにはクレーターが存在していた。
「……何これ?」
「さあ、なんでしょうか……」
 隣で同じようにもう一つの穴から顔を出したリーネも、ぽかんとクレーターを見下ろしている。
 直径にして二十メートルほどだろうか。お椀状に地面が抉れて、そこだけ岩肌が露出している。
 そして、そのクレーターの底の部分。泉の様に水が溜まって、その中でシラムとアリアが仲良く座り込んでいた。
「あんたたちー、何やってんの?」
「これは別に何ってわけじゃなくてですね……」
「エリアさーん、お湯です。何故かこの水たまり、お湯です!」
「はあ?」
 シラムがなにやら興奮した様子で自分の周りの水……いや、彼の言うところによるとお湯をばしゃばしゃしてみせる。
 確かに、よく見れば彼の周りにはぼんやりと靄が掛かっているようにも見える。
「どういうことなんでしょうね?」
「私に訊かれても、知らないわよ……」
「ですよね……」
 困ったようにリーネと二人顔を見合わせて、再びお椀の底へと視線を戻す。
 アリアが困惑顔でお湯を掬って眺めている横で、シラムは深いところへと潜っていこうとしているらしい。
 そんな光景に呆れにも似た感情を覚えていると、
「あのー……、シャルを探してるんでしたっけ?」
 背後からオーウェルの間の抜けた声が掛かる。
「ん? ああ、うん、そうだけど」
「いましたけど」
「あー、ご苦労様……、って、え?」
 流れで受け答えだけをして、その意味が頭に浸透して弾かれたように振り返る。
 果たして、そこには気持ちよさそうに寝息を立てるシャルシュを、いわゆるお姫様だっこで抱えるオーウェルの姿があった。
 意外と絵になってるかも……。
 そう思ったのは、エリアだけの秘密である。



III

「……議題。何故俺たちはこんな事になっているのだろうか」
「僕に訊かれましても……」
「いや、完全にシャルの所為だろ」
 男三人、オーウェルと、目を醒ましたシャルシュ、そしてシラムが揃って溜息を吐く。
「えっと、そもそもここはどこなんですか? あと何でシラムさんはびしょ濡れなんでしょうか……」
「村から歩いてちょっとの所だよ。オレたちは行方不明になったお前を捜しにわざわざこんな所まで来たんだよ。あとオレのことは気にすんな」
「俺は違うけどな。たまたま近くを通りがかったらエリアさんに捕まっただけだ」
 シラムの言葉にオーウェルが補足する。
 そして、肩をすくめる。
「ただし、こんな状況になる理由にはとんと心当たりがない」
「同感です」
 オーウェルの言葉にシラムが疲れたような同意を示す。
 その耳に水音が聞こえる。
 ぱしゃぱしゃと楽しげに跳ねる水の音。そして、それに負けず劣らずに楽しそうな甲高い声。
「えっと……それで、今どういう状況なんですか? あの声……エリアさんですよね」
 シャルシュが背後にある分厚い垣根の、中程にあいた二つの穴から奥を覗こうとする。
「見るな! 死ぬぞ!」
「へ?」
 オーウェルのその言葉でびくっと体を止める。
 大声を放ったオーウェルの方はと言えば、緊張の表情で背後、垣根の向こうの気配を探る。
 暫く無言で耳を澄ませていると、何もないと分かったのかほっと胸をなで下ろした。
「えっと……、意味が分からないんですけど」
「いや、……うん、オーウェルさんは間違ってないさ。シャルもその内、今の静止を感謝する日が来るって」
「ですから、意味が分からないんですけど」
 そう言って首を傾げるシャルシュの事をオーウェルとシラムはぽかんとしたように見つめて、その後思い出したように手を打った。
「そうか。さっき寝てたもんな。こっちはお前にも色々と聞きたいことがあるんだが……、まあそれは後で良いか」
「それで、状況を説明して欲しいんですが……」
 シャルシュの言葉に、オーウェルが一つ大きな溜息を吐く。
 そして、困ったような表情で背後の垣根……その向こうを親指で示す。
「温泉だ」
「は?」
 シャルシュの口がぽっかりと開いた。

***

「大丈夫なんですか……、こんなところで無防備に水浴び……湯浴みなんてしても」
 アリアが心配そうに辺りを見回しながら、落ち着きなさげにお湯をかき混ぜた。
 先ほどこの湯溜まりに落ちてしまった時にずぶ濡れになった服は、適当な木にもの干し場を作って干してある。初夏の陽気の下だ。適当に湯浴みをして上がる頃には着られる程度には乾いているだろう。
 しかし、真昼の太陽の下。しかも大自然の開放的な空間で一糸すら纏わずに湯浴みをするというのは思ったよりも落ち着かない。
 そんな感情が思い切り表情に表れていたのだろう。エリアが呆れた様に笑い声を漏らした。
「まあ、たまにはこういうのも良いでしょ。裸の付き合いってやつよ!」
「でも、あんまりにも唐突と言うか」
「だーれも見やしないわよ」
「……それは私の体に見るほどの魅力がないという意味ですか?」
「いや……そうじゃなくてさ、一応男どもに外は見張らせてるわけだし、そもそもこんなとこ誰も来ないわよ」
「まあ、シラム君達が裏切ったら話は別ですけどね〜」
 うーん、と大空へ向けて伸びをして、リーネが言った。
「いやー、それはないでしょ。そんなコトしてばれたらどうなるか、知らない連中でもないし」
「ですよねー」
 そう言ってリーネとエリアは二人してくすりと笑む。この状況で緊張が解けないアリアに比べて、気の緩め度合いは計り知れない。
「あの……お二人とも、なんでそんな風に……」
「リラックスしてるかって?」
「さあ……、なんででしょうかね。私からすればアリアちゃんがそんなに緊張してる方が良く分からないんですけど」
 リーネが不思議そうに首を傾げた。
 その姿は……、何というか女性であるアリアから見ても思わず赤面してしまうくらい色っぽいもので、有り体に言うのならばリーネの胸は非常に大きかった。
 その彼女が、不意に悪戯でも思いついたような表情を浮かべてエリアの方へと視線をやる。
「いやー、それにしてもエリアさん……、相変わらずイイ体してますよね」
 背筋を撫でるような猫なで声。
 エリアがぎくりとした表情でリーネから距離を取る。
「リーネに言われたく無いわね。おっぱい魔人のくせに」
「いえいえ。私のなんておっきいばかりで邪魔なだけですから……。男の人にはきっとエリアさんみたいにほどよくおっきい方が良いんですよ〜」
 甘えたようなゆったりとした声はこちらの感覚さえも鈍くしてしまう様な気がして、気がついたらエリアの背後にリーネが回り込んでいた。一体どこにそれだけの俊敏さを隠し持っていたのかというスピードで、リーネの二本の腕がエリアの脇の下からにゅるりと生え出る。
「ひゃんっ」
「森林警備隊最強のレンジャーもこうなっちゃったら形無しですねぇ……」
「リーネ……もしかしてさっきからかったのを根に持ってる?」
「いえいえ、別にシラム君とのことを執拗にからかわれたのがもの凄く恥ずかしかったとか、そんなことはありませんよ、はい」
「それ、絶対根に持ってるでしょ……」
 どうにかリーネの腕から逃れようともがくエリアだが、上手く力が入らないのかそれともリーネの腕捌きが絶妙なのか、ふりほどける気配はない。
「あん、こら、リーネ……いい加減にしないと」
「しないとなんですかぁ?」
「こ、……このおっぱいエロ魔人が……」
 お湯の中で豊満な体の女性二人によって繰り広げられる危ない光景。
 それを冷めた目で眺めながら、アリアは溜息を一つ吐いた。
「エルフの方々のスキンシップが過剰なのはよくわかりました。じゃあ、私はそろそろあがりますね」
「あ、ちょっと待て、アリアちゃん! もう、リーネ、離れなさいよ! アリアちゃんが誤解しちゃってるじゃないの!」
「まあまあ……。アリアちゃんも混ざればいいのに〜」
「結構です。大体……、私、そんなに胸無いですから」
 ふて腐れたように呟き、立ち上がる。
 その姿に一瞬二人の視線がじっと注がれる。
「そ、そんなにじろじろ見ないで下さいよ」
 視線の圧力に耐えかねて再びお湯の中にしゃがみ込んでしまうアリア。
 そんな彼女を眺めながら、リーネが笑みを浮かべる。
「大丈夫よ〜、アリアちゃん。まだまだこれからだから」
「そうそう。リーネこんなおっぱい魔人のリーネだってアリアちゃんくらいの頃には………」
 そう言ってエリアはしばし空中に視線を彷徨わせる。
 彷徨わせる。
 彷徨わせて……、口元に乾いた笑みを浮かべた。
「まあ、気に病むことはないわよ、アリアちゃん」
「それ、喧嘩売ってるんですよね」
 引きつった笑みで拳を握りしめるアリア。
 今度こそお湯から立ち上がると、間髪入れずに湯溜まりから出て行った。
「流石エリアさん……。励ます振りをしてぐっさり会心の一撃とは。最強レンジャーの称号は伊達じゃありませんね」
「あー、うん。今のはちょっと反省してる」
 後に残されたエリアと、彼女に組み付いたままのリーネ。
 その呟きがとけ込んだ湯気に、どこかからかぽーんという音が響いてきたような気がした。
「って、リーネ、あんたはいい加減離れろ!」
「やーん、エリアさん柔らかいんですもん」

***

「はあ……、良いお湯でした」
 垣根の穴からアリアが現れた。
 良いお湯だった、と言いながらもどこか疲れたような表情を浮かべるアリアを、シラムがニヤニヤと見つめる。
「おう、おつかれさん」
「シラムさん……、その顔はリーネさんのアレを知ってた顔ですね」
「まあ、そりゃね」
「知ってたなら教えて下さい。びっくりしたじゃないですか」
「大丈夫。あんたじゃターゲットにはならんって」
「よ、余計なお世話です!」
 そんなことを言いながら、濡れた髪の毛を手櫛で整えるアリア。
 その顔が、不意にこちらを向く。
「ああ、シャル、起きてたんですね。……どうしました? 私の顔に何か付いてますか?」
「え? あ、いや、そう言うわけじゃなくて」
「じゃあ、一体どうしたんですか。……何か変なところでもあるんですか?」
 そう言って恥ずかしそうに髪を整える。その姿に見とれてしまったなどとても言えるはずもなく、シャルはただ首を横に振ることしかできない。
 そんな二人の様子を見てオーウェルが呆れた様に呟いた。
「難儀だねぇ」
「何がですか?」
 耳ざとく聞き返したのはシラムだった。
「何でもないよ。まるで昔のお前らを見てるみたい、って話」
「はあ……。はあ?」
「いや、忘れてくれ。それよりアリアちゃん、中の二人はまだ掛かりそうだった?」
「知りません」
 そう言ってアリアはついとそっぽを向く。
 どうやらもう暫くここで待つ羽目になりそうだった。

***

 そうこうしてエリアとリーネも湯から上がり、当然のごとく男衆にくつろぎの時間など与えられる間もなく帰路である。
「オーウェル、ちょっと良い?」
 先頭をシラムに任せ殿を歩いていたエリアは、少し前を行くオーウェルに小声で呼びかけた。
「なんですか?」
「率直な感想で良いんだけど……、アレ、どう思った?」
「……そうですね。自然のものじゃないと思いました」
 アレというのは説明するまでもなく、先ほどの温泉のことである。
 森の中、しかもここら一帯には火山があるわけでもない、そんなところにいきなり温泉が湧くなどと言う話は聞いたこともない。そもそもエリアたちにすれば温泉というもの自体がほぼ初めて見るものだったわけだが。
「魔力の流れも乱れてましたし、人為的な仕業でしょうね」
「やっぱりそうよね……」
 そう言ってエリアは肩を落とす。
「どうしたんですか?」
「面倒事が起きそうな気がしてね」
「ああ、なるほど」
「アンタは随分気が楽そうね」
 恨めしそうに睨み付けるエリアの視線をさらりと受け流して、オーウェルは笑顔で頷いた。
「ええ。だって、我が軍には最強のレンジャーがいますから」
 さらりと言われたその言葉に、エリアは一瞬キョトンとなる。
 が、すぐに思い出したかのような笑顔を浮かべると、オーウェルの背中を音が出るくらいに強く叩いた。
「仕方ないなぁ……。まあ、任せときなさいって。でも、褒めたって何も出ないからね」
「知ってますよ、それくらい」
「そっか」
 そう言ってひとしきり笑った。

***

 数日後、再び温泉のあった場所を訪れてみると、そこにはただの冷たい泉がわき出ているだけだった。






to be continued




WEB版あとがき

 Monochronika die SommerTageその2をお送りいたしました。
 温泉ネタと乳ネタが被ったことに悔い無し。これの直前の幻想組曲で八墓さんがエレンディア戦記譚に温泉ネタを書いてたんですけどね。勘弁してください。
 エロいですか? エロいんですかね。目指したところは一応ToLoveるレベル? いやいや、それもなんか違う気がする。ともあれ、お風呂シーンは単なる遊びです。
 夏編第二弾。物語は進んでいるようで留まっているようで。一見ただその場で回っているだけに見えて実は前進している螺旋のごとく。
 年度の締めとしては、やたら寒い時期に真夏の露天風呂の話ですが、流れの区切りにはなっている……んですよ、一応。次回の新歓本からはまた少し趣を変えて再スタートです。

 yoshikemでした!

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