闇童話追録記〜剣士の微笑み〜

如月冬真

「――舞踏会だって?」
 貴族の服に身を包んだ青年は眉を寄せた。
「違います、王子」
 青年が腰掛けている椅子の横に立っている老婆が返した。
 ここは大きな城の一室で、椅子に座っている青年はこの城の王族の第一王子だ。王子は老婆の言葉に再び訝しげな表情を見せた。老婆は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、説明を始めた。
「今からちょうど一ヶ月後に、この城で大規模な武闘会を開催してはいかがでしょうか、という事です」
「は?」
 王子は素っ頓狂な声を上げた。それもまあ無理はない。城で舞踏会が開かれる事なら比較的よくある話だが、よりによって武闘会である。こんな催しをする城がどこにあろうか。
「…なんだってまた、そんなものを?」
「時にはこのような戯れもよかろうかと思いましてな。それに……」
 老婆は意味ありげな含み笑いをもらした。
「王子も最近はさぞ退屈でいらっしゃるでしょうに」
 その言葉に、王子は苦笑した。
「確かに。この城にはホネのある奴がいないしな…武闘会、か。結構いい暇つぶしにはなるかもしれないね」
 王子は立場が立場なだけに戦地に赴いた事こそないが、比類なき強さを持つ武人であった。過去『一騎当千』とうたわれた彼の父――現国王の若い頃に優るとも劣らない力を持つとまで言われている。場内ではもはや彼にかなう者はなく、暇を持て余していると言われれば否定はできなかった。
 王子のそんな反応を見て、老婆は話を続けた。
「――という訳でして、一度大きな大会を開いてみてはどうか、と。男子のみでなく女子の部も設けてできる限り多くの者が参加できるようにするのも面白いでしょうな」
「成程…しかし、そうなれば褒美がいるな。何にすればいいだろう?」
「そうですな……」
 しばし、老婆は黙考した。すると突如、王子が楽しげに口を開いた。
「そうだ!僕の地位を賭けるっていうのはどうだろう」
「地位…ですか?」
「そう。優勝者は僕と闘う。それで勝ったらその人は次の日から僕の代わりに第一王子になる、ってこと。これならかなりの人が集まるんじゃないかな」
 いきなりとんでもない事を言う人だ、と内心老婆は呟いた。だが、確かに人数を集めるためとしては名案である。
「それもいいでしょう。しかし、女子の部はいかがいたしますか?」
「そうだな…僕と結婚できるっていうのはどう?」
たいした自信でございますね、という言葉を何とか抑えながら、老婆はうなずいた。
「…よろしいでしょう。それでは開催の報せを兵達に――」
「よし!」
 おもむろに王子は椅子から立ち上がった。
「僕たちも手伝おうじゃないか」
「…手伝う?王子、一体何をなさるおつもりで」
「決まってるだろ?」
 言いつつ、王子はぽんと老婆の肩を叩いた。
「…王子、まさか…ビラ配りでもしろ、とおっしゃるのですか?」
「――流石だね。判ってるなら話が早いな」
「…………え?」
 老婆の返答は数秒遅れた。そんな事は知らずに、王子は明るく踵を返した。
「宣伝の紙を今から兵達と一緒に作ってきてくれ。できれば今日中にしてほしいな」
「あの、王子、ちょ……」
「それが終わったら今週中に町中にそれを配ってきてほしいんだ。それじゃ、僕は大会の準備をするから」
「王子、あの……」
「じゃ、ガンバってね」
 無慈悲な明るさとともに、王子は颯爽と部屋を出ていった。
(妙な所で行動力があるな……)
 半ば憔悴した表情で老婆は呟いた。これでもしサボったりでもすれば、物理的に首が飛ぶかもしれない。
「仕方がない…これも目的のため」
 意味深な言葉を残し、老婆は部屋を去った。
 この日、城中の者は眠る事を許されなかったという。

 暮れなずむ夕日を背に、老婆は街路を歩いていた。宣伝活動を開始してはや六日。今日中にビラを配り終わらねばならない。だが、老婆の足取りはもはやおぼつかず、その瞳はもはや焦点を失っている。
(何故私がこんな事を……)
 自分が墓穴を掘ってしまったのが原因だというのは判っているのだが、そう思わずにはいられない。
 しかし、この重労働ももうすぐ終わる。彼女の手元には、宣伝用紙の最後の一枚があった。
(最後はあの家だな……)
 老婆はさほど離れていない家へと歩を進めた。

「やり直しよっ!」
 豪奢な服装に身を包んだ女性が質素な格好の少女に鋭い平手打ちを見舞った。乾いた音が家の中に反響する。この家では、至極一般的な事であった。
 そこには、四人の女性がいた。そのうち三人は豪華に着飾っているのだが、ごちゃごちゃとつけているだけでセンスの良さはあまり感じられない。金持ちの人間などによく見られるタイプである。
 そして、残る一人は――
「す……すいません、お義姉さま」
 先程の平手打ちのショックで地面にへたり込んでいた少女は、申し訳なさそうに澄んだ瞳で義姉を見上げた。
 三人の女性達は、少女の義姉二人と継母であった。彼女達は今は亡き少女の父の後妻とその娘だったのだが、腹違いであり、かつ美しい容貌を持つ少女の事を毛嫌いしていた。
 少女は彼女達の厳しい躾――もとい、イジメにより過酷な労働を課せられていた。そしていつしか彼女の服は灰や埃にまみれ、そのためこう呼ばれるようになった。
 灰かぶりの姫――シンデレラ、と。
「シンデレラ!何、この掃除の仕方は!」
 義姉の一人が窓の縁に指を軽く滑らせてから、いまいましげにその指先を眺めた。
「まだ埃が残ってるわよっ!もう一度一からやり直しなさい!」
「………はい…判りました」
 覇気のない声でシンデレラは答えた。
「これが終わったら炊事と洗濯よ!判ったわね!」
 言うなり、三人は乱暴にドアを閉めて部屋から出ていった。
「はあ……」
 消え入りそうに溜息をつく。
 その時、玄関の方で人の声がした。どうやら来客らしい。その客は数分ほどで帰っていったらしく、やけに上機嫌な顔で継母達が部屋に戻ってきた。
「…?」
 シンデレラが首をかしげる。継母達は楽しげにクローゼットの中の洋服を見ては話し合っている。
「…お義姉さま。一体、何があるんですか?」
 普段なら『あんたに言う事なんてないわよ』とにべもなく返されるところだが、今回は違った。どうやら本当に機嫌が良いらしい。
「今から三週間後にお城で武闘会があるんですって」
「武闘会?それって、舞踏会のことじゃ」
「どうも、本当に武闘会らしいわよ。格闘のほうね」
継母は言いつつ、一枚の羊皮紙をシンデレラに見せた。そこにはこう書かれていた。

※第一回・王宮武闘会 参加要綱※
開催地 王宮内闘技場
《大会規定》
○勝ち抜きによるトーナメント方式
○武具の装備は自由
○勝敗判定は一方が戦闘不能になるか、もしくは降伏の意思を表明した時に決する
○参加者は大会開始二週間前までに申込を済ませる事
○男子優勝者は第一王子への挑戦権を得、それに勝利すれば第一王子の位を貰い受ける事が出来る
○女子優勝者は男子優勝者および第一王子との婚姻が認められる
○男子には参加の証としてルージュが、女子にはガラスの服飾品が配布されるのでそれを着用のうえ来場する事

諸君の健闘を祈る。
第一王子



(男子にルージュ……いい趣味してるわね、ここの王子)
内心、シンデレラは呟いた。その横には妙に熱くなっている継母達の姿があった。
「ふふふ…踊りのほうはさっぱりだけど、格闘ならこっちのものよ!なんたってお母様直伝の格闘術が私達にはあるものね。楽しみだわ」
「あの、私は……」
『あんたはダメ』
 一応言ってみはしたものの、即座に三人の声がハモる。
「あんたは家で黙って掃除でもしてりゃいいのよ」
「第一あんたが格闘技なんかできるわけないでしょ?」
「…はい」
 気落ちしたようにシンデレラはうなずいた。

 あれからしばしの時が経った。今日は武闘会前日の夜である。継母達は街で買い物をしてから行くそうで、今はもう家にはいない。
「んっ……」
 外に出たシンデレラは伸びをして夜の冷気を吸い込んだ。
 何度か深呼吸をしてから、すっと腰を落とす。拳を構え、静かに目を閉じた。
「――せいっ」
 鋭い正拳突きを放つ。常人なら目で追えないレベルの速度だ。
 シンデレラは、継母達が寝静まってから毎晩、このような訓練を続けていた。それには当然、理由がある。
 継母は先程の言動でも判る通り、カポエラという妙な格闘技を身につけており、その腕前は達人の域に達している。義姉達も当然それ相応の技量をそなえている。そんな三人のイジメには時に体罰が含まれる事もある。もし鍛えていなかったなら、今ごろは体中の骨が砕かれていたであろう。継母達のイジメに耐えるうち、必然的にシンデレラもまたその域に達していたのだ。彼女たちは気付いていないようだが。
 仮想の敵に対し、シンデレラは流れるような連撃を打ち込んでいく。その動きが突如、止まった。
「――誰?」
 シンデレラの目は閉じられたままである。わずかな人の気配を、彼女は察知したのであった。
「なかなかいい動きをしよるのう」
 ややしわがれた声が聞こえた。シンデレラの背後から、一人の老婆が歩いてきた。
「お婆さん…?あなたは一体?」
「…王子の側近、とでも言っておくかの。――ところで」
 老婆は一枚の羊皮紙を取り出した。それは、明日開催される武闘会の参加証明書であった。
「武闘会に行く気はないかえ?」
「え……どういう事?」
 戸惑うシンデレラ。その表情を見て、老婆は薄く笑った。
「これまでに幾度かおぬしの練習しとる姿を見てのう。おぬしほどの強さを持つ者が出ないというのもまた不条理な話じゃろうて」
「じゃあ、まさか…参加させてくれるの?」
 期待に満ちた目で見るシンデレラに、老婆は笑いかけた。
「そうとも。馬車を用意しておいたからそれに乗ればよかろう。――あとは」
 老婆は懐から一本の樫の木の杖を取り出した。シンデレラに向かってその杖をかざす。それが軽く振られた瞬間、シンデレラは閃光に包まれた。
「あ…」
 一瞬、浮遊しているような感覚がした。再び地に足がついた時には、シンデレラの姿は大きく変わっていた。
 腰まであるつややかな黒髪は後ろで一つに束ねられ、重さを全く感じないような青銅色のブレスト・プレートを身につけている。腰には紅の鞘におさまった細身の剣。これもまた、重さがないと思えるくらいに軽い。
 驚くシンデレラに、老婆は簡単な説明をした。
「驚いたじゃろう。こう見えても魔法使いでな。おぬしには魔法によって造られた武具を与えたのじゃよ。試しに、そこの木に剣を振ってみるがよい」
「…どれ……」
 木に歩み寄り、腰を落として剣の柄に手をかける。
(確か……)
 故人である父は有名な剣士で、居合いを得意としていた。シンデレラも、居合いについては多少教わった記憶がある。
 呼吸を整え、標的を見据える。瞬間、鞘から白銀の刃が走った。
「――はっ」
 銀光が月明かりに閃く。大人の胴ほどもある木の幹が、真っ二つに両断されていた。思わずシンデレラが目を疑う。
「ウ…ウソ…」
「どうじゃ?威力は折り紙付きじゃろう」
 面白そうに老婆は言った。唖然とした表情で、シンデレラはうなずいた。
 剣とは、実際扱いが難しいものである。斬り込む速度や角度を少しでも違えるとまともに斬れるものではない。自分は剣を握るのは初めて(以前居合いを教わった時はカタナだった。あれは剣よりも少し短く片刃なので扱いが違う)だったから例え切り裂く事が出来ても手にはかなりの痺れがあるのが普通だった。だが現在、シンデレラの手には何のダメージも残っていない。
「凄い……あ、でも参加に必要なガラスの服飾品って」
「ここにある」
 老婆はまたも懐から透明のハイヒールを取り出した。
(…何でも出てくるわね、あの服……)
 そうは思うが口には出さない。老婆は靴を地面に置いた。
「これが参加に必要なガラスの服飾品じゃ。もう残り一個じゃからこの靴しかないが、我慢してくれ」
「あ…ありがとう、お婆さん」
「礼には及ばんよ。こっちも大会を盛り上げたいのじゃよ。――さて。馬車に乗ってくれんか」
 シンデレラは無言で頷き、歩き去る老婆の後を追った。
 ――老婆が、狂気の笑みをたたえているとも知らずに。

「そこだ!いけーっ!」
「何やってんだ、早く決めちまえー!」
 そこここで歓声が沸いている。シンデレラが闘技場に着いた時には、すでに武闘会は始まっていた。参加受付けの席にいる女性に問い合わせてみると、自分の試合がこの次に組まれていると言われた。
「次?じゃ、急がないと……」
 その時、ひときわ大きな声援が上がった。どうやら今やっている試合の勝敗が決したらしい。慌ててシンデレラは駆け出した。
 会場に行く途中、担架に乗った血まみれの敗者とすれ違った。その女性は、すでに息がなかった。
(…成程。真剣勝負ね)
彼女は臆する事もなく、闘技場への門を開いた。
「審判!私の相手はいないの?」
 闘技場へ入るなり、聞き覚えのある声が聞こえた。
「もうすぐ来るはずですが……あ、来ましたね」
 審判に促され、その女性もシンデレラの方を見る。
 目が合う。数秒間、重苦しい沈黙があった。
『――あぁぁぁぁぁっ』
 二人とも驚愕の表情。先に質問を投げかけたのはシンデレラであった。
「おっ…お義母さま」
「シ…シンデレラッ」
『どうして、ここに』
 またもハモり、しばしの沈黙。継母がまず立ち直った。
「わ…私はこれに出るって言ってたでしょ?なんで、あんたが出てるワケ?」
 その問いに、シンデレラはさらっと答えた。
「私も出たかったんです」
 その態度は、継母の神経を図らずしも逆撫でしてしまった。彼女にとっては、シンデレラはこっそり出場してみたのに自分に見つかってしまったという事から恐怖し、萎縮し、とことんまでいびり倒せる状況にならねばならなかった。
 そこで、継母は自分からシンデレラを追いつめる事にしたようだった。見下す視線で話を切り出す。
「――ふん。どうせこそこそと黙って出場しようって魂胆だったんでしょ?残念だったわね。どうせ一回戦で負けるに決まってるのに運が悪かったわねえ」
 シンデレラの眉が、ぴくりと動いた。それには気付かず、継母がさらに続ける。
「まあ所詮あんたはそんなとこでしょうね。何の役にも立たないクズには運も味方してくれなかったようね」
 再びシンデレラと継母の目が合った。継母はその時、戦慄した。シンデレラのその瞳に、冷たい何かを感じたからである。それはおそらく――殺気。
「………審判。試合開始の合図は?」
「あ……わ、判った。両者、構えて!」
 シンデレラに気圧されたように慌てて審判が準備に入る。微妙に怯えている素振りがある継母を尻目に、試合が始まる。
「時間無制限・真剣勝負………始めっ」
 そう言った瞬間だった。シンデレラの右手が剣の柄にかけられ、かすかにブレたように見えた。そして、鞘鳴りの高い音が闘技場に響き渡った。
 継母は立ったままぴくりとも動かない。シンデレラは踵を返し、背を向けた。慌てて、その背に審判が声をかける。
「――君…試合はどうするんだね?」
「試合?」
 一体何を言っているんだ、という顔をするシンデレラ。
「…そんなの、もう終わってるわよ」
「は?」
 そう言った刹那だった。継母の体が、縦に両断されていた。ふたつになった継母が地に崩れ落ち、血溜まりがじわりと広がる。
 あまりの出来事に対応できない審判を無視して、シンデレラは悠然とその場を去っていこうとした。
「しっ………勝者、シンデレラ!」
 随分遅れて、歓声が上がる。それには応えず、シンデレラは選手控室へと入った。自分用のロッカーの場所を教えてもらった後、彼女はガラスの靴を脱いだ。
「これは脱いでおいたほうがいいわね。…斬りにくいわ」
 ぞっとするような底冷えした声で、シンデレラは低く呟いた。

 シンデレラは破竹の勢いで勝ち続けた。風より早く、鋼より強く。細身の長剣一本であらゆる敵を切り捨てる絶世の美貌は、いつしか人々に恐怖として映った。
 蒼い夜叉――その仰々しい二つ名とともに。
 そして――女子の部、決勝戦。シンデレラは息も乱さず、無傷で闘技場の中央に立っていた。
 対峙しているのは――同じく、無傷の剣士。深緑の髪を短くそろえ、赤い鎧に身を包んでいる。両手の短いカタナ――確かワキザシ、とか言ったはずだ――を遊ばせている。こちらを見据える瞳からは、これまでの選手に見られた恐怖の色は窺えない。
 冷たい美貌を持つ剣士は、こちらに左手のカタナを突き付けてきた。
「…一分で終わらせてやるよ」
 その言葉を聞き、シンデレラが皮肉げに笑う。
(……たいした自信ね)
 口には出さない。その代わりにといってはなんだが、こう言い返した。
「一分、ね。判ったわ、やってみてちょうだい」
 シンデレラが鞘から剣を抜き――これまですべての試合を居合斬りで仕留めていたにもかかわらずだ――薄く微笑む。
 双方の準備が整ったと判断したのだろう。審判が二人の間から一歩退いた。
「それでは、決勝戦――」
 ざわめいていた観客席が沈黙に包まれる。二人が同時に腰を落とす。
「始めっ!!」
 ほぼ同じタイミングでなされた踏み込みの音が闘技場全体に響く。直後には、高い金属音。その間になされた動きは――おそらく、常人には見えもしなかっただろう。
「…やるね」
 腕に力を込めながら、女剣士が呟く。開始直後に袈裟懸けに斬りかかったシンデレラの刃を、カタナを十字に交差させて受け止めたのだ。
「一分で終わらせるんでしょ?」
 皮肉のつもりで言い、シンデレラが退く。一旦間合いを置き、剣を構え直した。一分の隙も見られない構えに、女剣士がたじろぐ。迂闊に手が出せない事を理解したのだろう。
 そのまま、しばしの時が過ぎる。緊張を打ち破ったのは、シンデレラの唐突な言葉だった。
「――十」
「…?」
 女剣士が訝しげに眉根を寄せる。それにはとりあわず、続ける。
「…九」
 言葉の意味は判らないが、とりあえず攻勢に出ようとしたのだろう。女剣士が間合いを一気に詰めた。
「八。七…六」
 放たれるカタナを体を軽くそらすだけの動きでかわしながら、シンデレラ。一発目の勢いを活かしたもう一方の手での攻撃も、やはり紙一重でかわす。
「五、四、三…二……」
 理解できないカウントダウンを続ける。もはやそれは気にしない事にしたのだろう、女剣士がシンデレラを攻め立てる。が、そのどれもが空を切る。
「一…」
 その時、これまで防戦一方だったシンデレラが剣を握り直した。瞬間、強い殺気が女剣士の背を襲う。
「なっ…?」
 気付くとともに身を翻そうとするが、遅い。彼女の背後に、右手で剣を構えるシンデレラがいた。
 無造作な踏み込みと、無造作な突き。それだけで、決着はついた。
「――ゼロ」
 低く、呟く。女剣士の左胸を貫いた剣を引き戻し、血を拭ってから鞘に戻す。彼女の眼前で、女剣士が――そういえば名前も聞いていながったが――自らの血溜まりに倒れ伏した。
「確かに――ちょうど一分だったわね」
 事切れた剣士を見下ろし――シンデレラは、冷たく呟いた。
 勝利を告げる審判の声は、観客の喝采に掻き消されていた。

「…これで決勝?聞いて呆れるわね」
 ぽつりと呟くが、聞いたものはいなかっただろう。誰にともなく嘆息し――
「まあ、がっかりしないで。まだもう一試合残ってるよ」
 不意に、後ろから声をかけられた。驚いて、振り向く。そこに立っていたのは、いかにも貴族といったふうな服装をしている青年だった。決して動きやすい服装ではないのだが、その返り血を見るに、彼はおそらく――
「――へえ?もう終わったのね」
 焦燥を押し隠し、言う。
(…やるわね)
 心中で呟く。後ろにいたにもかかわらず、彼はシンデレラに気配を察知されなかったのだ。よほどの修練を積んでいない限り、こうはいくまい。
 その青年はにこりと笑った。
「ぼくが――この国の第一王子さ」
「やっぱりね。じゃ、質問があるんだけど」
 おもわず剣にかけていた手を下ろし、彼女は王子と向かい合った。
「何だい?」
「女子の部の優勝者は結婚が云々って話を聞いてたわよ」
「うん。ぼくもそう言ったね、確か」
 王子がこくこくとうなずく。
「じゃあ、もう一試合…って、誰と?」
「ぼくと」
 臆面もなく、王子が即答する。
「…どうして?」
 その質問に、王子は小さく微笑んだ。
「退屈してるんだろう?」
「…………まあね」
 言いつつ、シンデレラも冷たく笑った。
「でも、私が勝ったら何かあるの?」
「そうだね……」
 王子はしばし黙考した。不敵に笑う。
「この国の、王位継承権を君に渡そう」
「…え?」
 呆気にとられたのか、剣を握る手の力が思わず緩む。
「いいの?女性が王位に立つなんて前代未聞よ?」
「構わないさ」
 一国の信頼を左右する問題を、王子はたった一言で片付けた。そのまま、にこりと笑う。
「世間体なんか、どうでもいい。政治なんて、やれる奴はやれるし――」
「…男でも女でも、やれない奴はやれない、って?」
 王子の言葉を、シンデレラが引き継いだ。
「そう。それに…」
「まだ、何かあるの?」
「……そうまでしても、君とは闘う価値がありそうなんでね」
 王子が不敵に笑う。これまで一度も見せていなかった、好戦的な笑顔だ。
「そう?期待はずれかもしれないわよ。もっとも――」
 言いつつ、剣を構える。
「楽しそうだから、私は今更退く気はないけどね」
「そうかい?嬉しいよ」
 こちらも剣を構える。全く同じスタイルの、細身の長剣だ。だが、リーチは若干だが王子の剣のほうが長い。そしてふたりが浮かべる笑みは――やはり、似通ったものだった。
「じゃあ、いこうか」
「ええ」
 笑みは崩さない。にじり寄る二人。
「せいっ!」
 踏み込みはシンデレラが先だった。上段からの斬り下ろしを王子が剣で受け止める。一瞬剣圧に押されたようであったが、すぐにふたつの力は拮抗した。一筋の汗が王子の頬をつたう。
「…流石。やるね」
「あなたこそ。これで王子なんて、惜しいわね。兵隊だったらこの国がどんなに強くなるやら」
 言いながら離れ、再度切り結ぶ。
 ――そんな事が五分ほど続いただろうか。シンデレラの顔に、疲労の色が出てきていた。
(…まさか、ここまで強いなんて…!)
 心中で、シンデレラはぞっとしていた。こちらがケリをつけようと速度を上げると、それに呼応するかのように王子はぴったり同じ速度で斬り返してくる。もう数分も戦闘を続けようものなら、こちらの敗北は明白だった。体力に、大きな差があるのだ。しかも彼にはまだ力に余裕がある。
 今は王子とは間合いをとっている。いつ、仕掛けられるか――後の先をとる以外、勝ち目はない。
 と、不意に王子が口を開いた。
「…それ…魔法剣だね?重さがない、っていう」
「…ええ。よく判ったわね」
 言いつつ、不敵に笑う。
「どこで手に入れたんだい?そんなレア物」
 純粋に興味があるのだろう、王子が訊く。シンデレラはしばし戸惑った末、冗談めかしてこう言った。
「――神に祈りが届いたのよ」
「は?」
 一瞬、彼は呆気に取られたが――すぐに、微笑んだ。
「いいね。ユニークな答えだ。まあ、それはどうでもいいか」
 再び構え直す。
「いくよ――」
 右足を踏み出すその瞬間――
 王子が何かに気付いた。とっさに身を翻し、倒れこむ。
「――っ!?」
 シンデレラは次に起こったことが何かが、一瞬判断できなかった。背後から飛んできた光の槍に、王子が脇腹を貫かれたのだ。
「だっ…大丈夫?」
 慌てて駆け寄る。王子はシンデレラには目も向けず、光の槍が飛んできた方角を虚ろに見つめていた。
「ど…どうし、て………」
 呟き、体中から力が抜ける。意識を失ったのか、死んだのか、それは定かではないが――シンデレラも、その方向を向いた。
 そして、愕然とする。
「…おばあ…さん…………?」
 シンデレラをここに招待した老婆は――酷薄に笑った。
「くく…どうして、といった顔をしているな」
 実に愉しげに、言う。
「どっ…どうして?」
「力のためさ」
 老婆が即答する。
「武人の血が必要だったのだ」
 瞬間、闘技場の地面が赤く輝いた。
「えっ…?」
 驚いて下を見る。それらはやがて複雑な紋様を描き――ひとつの大きな魔方陣になった。ややしわがれた声で、老人は話を続けた。
「貴様を呼んだのも、そのため。実によく踊ってくれたな。私の掌で」
 陰鬱に、老婆が笑う。
「これで私はすべてを超越した力を得る事ができる。私は至高の存在になるのだ――すべてを破壊する力を得ることができるのだ!」
 感極まった様子で、老婆が叫ぶ。この時点で、観客のほとんどは逃げ出してしまっていた。
 王子をゆっくりと地面に下ろしてやり、シンデレラは剣を構えた。息を整える。
「ん?よもや貴様、闘えるとでも思っているのか?」
 面白そうに老婆が問う。シンデレラはうなずいた。
「…許せないわ。あんたみたいな、エゴに他人を巻き込むよーな奴はね」
 一歩、間合いを詰める。
 そこで、時計塔の鐘が鳴った。真夜中を告げる鐘だ。
 その直後、シンデレラが眩い光に包まれた。光の後にいたものは――以前のような薄汚い服装をしたシンデレラだった。
「忘れたのか?貴様の魔法は十二時に解けるのだぞ?」
 焦るシンデレラを見ながら、老婆がにやりと笑う。
「いや――言ってなかったか。どうやら忘れていたようだ」
 これは傑作だと言わんばかりに老婆は笑った。
「さあ?どうする?」
「闘うに決まってるでしょ」
 シンデレラは即答した。魔方陣から赤黒い光を集めつつある老婆に向かって。
 倒れ伏す王子の傍から長剣を拾う。ずしりとした感触が、手に響いた。
「ほう…普通の剣で闘うか。あの魔力剣でさえ王子と五分であった貴様が」
 言うなり、老婆は軽く杖をついた。すると赤い光がおさまり、老婆は歩き出した。
「今の状態でもすでに五十%ほどの力は得た。貴様など相手になるはずがない」
 にやりとして、手をかざす。そこに深紅の剣が出現した。
「さあ――始めようか?」
 瞬間、老婆の姿が消える――少なくともそう錯覚した――異様に体勢を低くして踏み込んだのである。死角から背後へまわりこみ、赤い剣を振る。
(殺った――)
 確信の笑み。しかし、そこにはすでにシンデレラの姿はなかった。
(何だと?)
 驚き、振り返る――そこには、シンデレラの姿があった。
 これまでのなかで最も冷たい、殺気立った無表情を見せて。
「言っておくけどね――」
 氷のように冷たく、穏やかに言葉を紡ぐ。
「私、重さのない剣なんて扱い辛くてしょうがなかったの」
 ゆっくりと、剣を振り上げる。老婆は固まったようにそれに見入ってしまい、身動きが取れなかった。
「――死んで償うがいいわ」
 直後、雷光のような一閃を叩き込み――
 多大な犠牲を出させた張本人である老婆は、あまりにあっけなくその体を分断されていた。

「…………」
 これといった感慨がわく訳でもなく、シンデレラは踵を返した。王子の傍を通る時、持っていた長剣を地面に突き刺す。
「…剣、勝手に借りちゃってごめんね」
 ぽつりと、呟く。
「あなたに貸しひとつよ。いつか、返しに来てね。絶対」
 消え入るように呟き、彼女は闘技場をあとにした。
 淋しそうに微笑み、しっかりした足取りで歩いてゆく。
 艶やかな黒髪が、夜の闇に溶けていった。



「――さて……」
 シンデレラは一息つき、前を見た。
 ごく普通の、街と街をつなぐ街道である。そこを彼女は、独りで歩いていた。
 服装は随分まともになっている。全体的に黒っぽい服で、砂色のジャケット(男物だが)を羽織っている。ブーツもしっかりした革製だ。
 あれからシンデレラは旅に出ることにした。継母達が、全員あの武闘会で死んでいたのである。家と家具を売り払い、こうして家を出たのだった。
 特に、あてがある訳ではない。やる事も、おいおい決めていく事になるだろう。
(ま、気ままな旅ってやつね――)
 ひとりごちて、苦笑する。そして再び、歩き出した。

 一時間ほど歩いただろうか。眼前に、一台の馬車が止まっていた。通り過ぎた時にふと中を見て――ゆっくりと彼女は馬車の前まで引き返した。皮肉げに笑って、聞く。
「こんな所で何してるの?王子さま」
「やあ。奇遇だね」
 こちらの意志を汲み取っているのかいないのか。そらっとぼけて、王子は言った。ゆっくりと、馬車から出る。
「君は何をしてるんだい?」
「私?旅に出ようとしてるんだけど。あなたは?散歩にしちゃあ城から随分遠いじゃない」
「偶然だね。ぼくも、城を飛び出して旅に出たんだ」
 突拍子もない言葉に、シンデレラは驚いた。
「あっ…あんた、正気?王位はどうしたの?」
「…そんなもの、弟にくれてやったさ」
 あっけらかんと、笑う。
「それより――一戦、どう?」
 言うや否や、馬車から剣を取り出す。今になって気付いたが、服装も確かに普通の旅人らしくなっていた。
「徒手空拳もできるにはできるけど、あんまし得意じゃないわよ?私は」
 言いつつ、肩をすくめる。すると。
「――そう思ってたよ。はい、これ」
 王子はおもむろに、一本の剣をシンデレラに差し出した。かなり使い込んだ感のある、細身の長剣。シンデレラにはすぐに判った。これは、武闘会の時にシンデレラが借りた剣だ。
「……いいの?」
「あげるよ。君がこれでぼくの仇を討ってくれたんだろ?」
 言って、にこやかに笑う。シンデレラは彼から僅かに目をそらした。
「…ありがと」
 照れ隠しに、言う。
「でも、そしたらあんたはどうするの?」
「ぼくはちゃんと自分のを持ってるよ」
 言って、王子――もとい、元王子は新品の剣を取り出した。柄や鍔のデザインまでまったく同じ、一本の長剣だ。それを見て、シンデレラが頬をひきつらせる。
「へ〜…『偶然』出会ったわりには準備がいいじゃない」
「深いことは考えないでくれよ」
 彼が苦笑する。シンデレラも同じように苦笑しながら剣を受け取り、鞘から抜いた。
「じゃ、始めましょっか。『参った』って言ったら負けね」
「いいよ。いこうか」
 構えて、対峙するふたりは――
 同じように、晴れやかな笑みを見せていた。
「いくわよっ!」
「ああ!」
 二人は叫ぶとともに――
 まったく同じタイミングで踏み込んだ。


――了――


作品展示室トップへ
総合トップへ