ここは戦場だった。
男は、もう随分長い間この戦場で生きている。
男は一見、まったく兵士らしくない。
いつも、ちゃらちゃらした格好で、へらへらと女を口説いている、
しかし、男の戦闘能力がずば抜けていて、特に射撃に関しては天才的である事は、隊内の誰もが認めている。
常に変わることのない飄々とした表情の中で、その瞳に時折冷たい光がきらめく事に気付いている者はほとんどいないが。
ここでは、毎日のように戦闘があり、毎日のように戦死者が出る。
よほど戦闘が激しい時でなければ、戦死者はきちんと基地内の墓地に葬られ、遺品は、もし分かる場合は、遺族に送られる。
今日も、同僚の遺体が葬られ、遺品が整理されている。
男は、日常茶飯事の光景を特に気に留めることもなく、食堂でのんびり昼食を取っていたが、ふと、自分を呼ぶ声に気付き顔をあげた。
「誰か呼んだ?」
すると同僚のカーター軍曹がこちらに近寄ってきた。
「何だ、こんなとこにいたのか。」
「何か用?」
「さっき遺品整理係がこんなもん持ってきたんだけど、これお前のだろ。」
といって、セクシーな女性の絵が書かれたジッポを差し出した。
「ああ、ほんとだ。そう言えば最近見当たらないなあと思ってたんだけど、なんで遺品整理係が?」
「昨日戦死したノーマン二等兵の遺品から出てきたらしいぜ。大方、どっかで拾ったまま返しそびれてたんじゃないか。」
「ノーマンってどんな奴だったっけ?」
「ほら、ついこの間入隊したばかりの、背が低くてちょっと気の弱そうな奴だよ。」
「ふーん、でもよく俺のだって分かったねえ。」
「こんな悪趣味なの、お前以外にないだろ。」
と、カーターは笑いながら去っていった。
一人になってジッポを眺めていた男は、ふと3週間ばかり前の事を思い出した。
その日、男は、射撃訓練場にいた。
男は、すでに、特に訓練の必要もないほどの腕前だったが、単純に射撃が好きなので、暇なときはよくここで一人で射撃をしていた。
一息ついて、見るともなく他の人間が撃つのを見ていた時、一人の男が目に入った。
素晴らしい射撃が目をひいたという訳ではなく、むしろあまりの下手さ加減が目に付いたのである。
よく見ると、男というよりは、まだ少年と言った方がいいような年頃で、まったく銃が手についていない。体も小さく、どことなく気の弱そうな顔で、こんな戦場にはあまりに不釣り合いな少年だった。
普段は、他人に無関心な男だったが、少年があまりにも下手だったので、思わず口が出てしまった。
「もうちょっと脇締めて、ひじを伸ばした方がいいよ。」
突然かけられた声に、少年はびくっとして銃を取り落としそうになり、振り向いて、基地の中でも割と有名な存在である男がいるのを見てさらに驚いた。
「ぐ、軍曹殿! 申し訳ありません。」
「別に謝らなくてもいいんだけどさ。きみ新人? 撃つときはもっと的をよく見なきゃだめだよ。」
「申し訳ありません。軍曹殿。自分は先月入隊したカール・ノーマンです。」
「だから別に謝らなくていいんだって。ふーん、それじゃ、特別にこの俺がじきじきに射撃を教えてあげましょ。」
「ほほ、本当ですか?」
入ったばかりのノーマンも、男がこうしたことを言うのは非常に珍しいという事は知っていたようで、卒倒せんばかりに驚いていた。男自身、どうしてこんな気まぐれを起こしたのか分からなかった。しかし、このおよそ軍隊に似つかわしくない少年の相手をして過ごすのはなかなか面白かった。彼はどうやら、男に憧れを抱いていたようで、カチカチに緊張していたが、30分ばかり男の指導を受けた甲斐あって、射撃の方はなんとか見られるようになった。
「うーん、なかなかうまくなったねえ。じゃあ、ごほうびにこれあげる」
と、男はジッポを差し出した。
ノーマン2等兵は、めっそうもないと首を振ったが、男は、いいから、いいから、とそれを渡すとひらひらと手を振って立ち去った。
少年は、手の中のジッポをじっと見つめて、その場に立ち尽くしていた。
彼は、入隊してまだ間もなかったが、男の事はよく知っていた。
男は、よきにつけ、悪しきにつけ、非常に目立つ存在だったし、ノーマンは男にひどく憧れていた。
ノーマンは、見かけ通り、臆病で腕っ節も弱くおよそ兵士に向いていなかった。
自分でもその事はよく分かっていた。さまざまな事情と成り行きで入隊してしまったが、入った早々から、やはりここは自分のいるような場所ではないと、非常に後悔していた。初戦闘では、飛び交う銃弾や血に震え上がり、あまりの恐怖に失神寸前だった。
再び戦闘に行かなければならなくなったらと思うと夜も寝られず、今すぐにでも逃げ出したいと思いながら、脱走する勇気もなく、明日にも死ぬのではないかとおののき、おびえながら日々過ごしていた。
そんなとき、戦闘でも、まったく表情を変えることなく、冷静で、かつ強い男を見て、ノーマンは崇拝にも似た想いを抱いた。
自分もあんな風になれたらと願い、少しでも近づきたいと射撃を練習した。
そして今日、初めて男から声をかけてもらった。それどころか、射撃の訓練までつけてもらい、ジッポをもらったのだ。
ノーマンは、男にもらったジッポを握り締めた。
このジッポを持っていれば、自分もこの戦場で生き抜けるような気がした。
ノーマンの想いなど知らぬ男は、戻ってきたジッポを眺めながら、
(あの坊や、長生きしないだろうなあ、と思ったら、案の定だったな。)
などと思いながらジッポを開けてみた。
まあ、せっかくだから、追悼に煙草の1本でも吸ってやろうかと、煙草に火をつけようとしたが、ジッポからは気の抜けた音がするばかりだった。
「ガス欠か」
舌打ちして、男はジッポをごみ箱に放り込み、それっきり、男にとっては日常と化した一つの死についても、男の脳裏から、永遠に消え去ったのだった。