Power of...?

いづみ
「…魔物退治?」
 メデルは手にした依頼書を見て呟いた。
 ここは町中の一軒の酒場。規模はやや大きい方だろうか、一階の食堂には冒険者らしき姿がいくつか見られた。そしてカウンターに腰掛けて呟いたメデル自身もその一人だ。
「ああ。お前に頼もうと思ってな。」
 カウンターの中で答えたのは中年の男性。大柄で屈強な体つきに紺色のエプロンを身に着けているのが、あまり似合っていない。彼自身も元は冒険者だったのだろうか、その服から覗く腕には幾筋もの古い傷跡が見える。
「ちょっと待ってくれ。…こんな雑魚退治をか?」
 メデルは手にしたままだった依頼書を再びカウンターの向こうにいる店主(マスター)へと突き返した。口調は変わっていないがその眉がわずかにひそめられている。
「問題なのは仕事の内容そのものじゃないんだ。」
 店主は目の前に突き出された依頼書を片手で反転させた。メデルの表情の変化には構わずにそれを押しやる。
「…。」
 無言のままそれを見つめるメデル。黄色味を帯びたその目がいつもよりもさらに鋭くなる。
「まあ待て。何も、お前の力量を疑ってるわけじゃないさ。いい加減長い付き合いなんだ。」
 小さなため息が聞こえて店主は苦笑する。とはいえ、メデルのこの愛想のない性格など当に承知だ。20歳にしてはいささか爺むさいとも思ってはいるが。
「単に他の古株連中がみんな出払っちまってるだけだ。いくつか厄介な仕事が続いててな。」
 その言葉にメデルは店内を見回した。正午を少し過ぎた時間帯、いくつかのテーブルには冒険者のパーティの姿もあったが確かに馴染みの連中の姿はなかった。せいぜいがここ二ヶ月ほど居ついている若手のグループ程度だ。
「…で?」
 再び店主の方に向き直ってメデルが言った。その目がもう一度依頼書を眺める。
 書かれている内容は、ごく普通のものだった。『村に魔物が現れたから退治してほしい。』
 別に依頼そのものに問題があるわけじゃない。ただ、メデルが納得していないのはその相手だった。『なお、魔物はオークと思われる。』
 オークとは豚顔のヒューマノイドだ。群れを作って行動し、会話ができる程度の知能もどうにかある。…それだけだ。厄介な特殊能力があるわけでもなければ、身体能力が格別優れているわけでもない。つまり駆け出しの冒険者でもどうにかなる程度の雑魚でしかない。
 メデルがこの『白い風見鶏亭』を拠点にしてもう二年がたっていた。その間には当然20を超えるほど多くの依頼をこなしてきたわけだから、店主が彼の冒険者としての腕前を知らないわけではない。メデルの魔術師(ウィザード)としての能力はかなりのものだ。この『白い風見鶏亭』を拠点とする冒険者の中では1,2を争うほどのものだろう。
「この依頼を持ってきたのはプラークさんなんだがな。」
 店主が上げた名は、この町の神殿に勤める神官(プリースト)のものだった。『白い風見鶏亭』とは懇意にしており、神殿からの依頼はほぼ彼を通じて行われている。
 店主は一拍間を置いた。
「…なんでも、最近外務に付いたばかりの巫女さんが担当らしい。」
「冗談じゃない。」
 その言葉にメデルは即答した。そのまま席を立とうとする。
「だから待て。他に頼める相手がいないんだ。」
 店主はカウンターから身を乗り出してメデルの肩を掴んだ。しぶしぶとメデルが再び席につく。
「万が一の時に、駆け出しの巫女さんの面倒をきちんと見れそうなほどの奴じゃないと困るんだ。こっちも駆け出しを行かせるわけにはいかないだろ?」
 そう言う店主の口ぶりにもかすかに困ったような色があった。メデルも大人しく話を聞いてはいる。
 ただし店主の目にはかすかに笑いがあったが、視線をそらしたままのメデルにはその表情は見えなかった。
 そのままの姿勢でメデルが言う。
「甘やかしても本人のためにならないだろ。」
「だからといって『失敗しました』じゃどうしようもないだろ、村の方だって困っているんだ。」
 それを聞いたメデルの次の言葉は出てこなかった。確かに店主の言う言葉は正しい。仕事の失敗で一番困るのは依頼者である村人たちなのだから。
 そう、正しくはあるのだが…。
「……。」
 そのまましばし、互いに沈黙する。とはいえ苦々しそうな表情をしているのはメデルだけで、店主の方は余裕を見せていた。
 メデルが小さく舌打ちした。
「…決まりだな。よろしく頼む。」
 それを合図に、店主はきっぱりと言って依頼書をさらに押しやった。
「ガキのお守りは苦手なんだよ。」
 ひったくるようにその依頼書を受け取ってメデルが答える。
 店主のにやついた顔を無視して、メデルは改めて依頼書を読み返し始めた。


 翌日。メデルの前には、一人の少女が立っていた。
「さ、三位巫女のウィーネ・パーシュフルです。い、一生懸命頑張りますので…よろしくお願いしますっ!」
 顔を真っ赤にして深々とお辞儀をする少女を前にして、メデルは顔にこそ出さなかったが内心ではため息をつきたくなった。

 結局、メデルは一通り依頼書を読んだ後すぐに依頼主であるプラーク神官の元に向かった。そこで依頼の内容と担当する神官についての説明を受けてきたのだ。
 今回の仕事にあたるのは三位の巫女(女性神官)、ウィーネ・パーシュフルという名の16歳の少女だった。
 一ヶ月前のこと。外務に就いて約半年、他の神官と組んでの仕事も十分にこなしたので、神殿はそろそろ個人での仕事を始めさせる頃と判断して彼女にも単独の仕事を与えた。内容は魔物退治であり、相手も既に判明していたため何の問題もなく遂行できるはずだった。ところが。個人で行ったこの初仕事を、まず失敗するようなものではなかったにもかかわらず彼女は失敗してしまったのだ。幸い通りがかりの冒険者のおかげで事なきを得たものの、予想外の事態に神殿側としても困ってしまった。
 そこで。彼女の修道院時代の指導教官とも相談した結果、『習うより慣れろ』との結論に達し新たな仕事を行わせることにしたのだ。もちろん万一の事態に備えて仕事の難度もさらに落とし、おまけに腕の立つ冒険者をサポート代わりにつけて。
『彼女は、神官としての能力は高いんだ。ただどうも…度胸がないとでも言うのかな。まあ実際に会ってみれば分かるだろう。』
 とはメデルがプラーク神官から又聞きで聞いてきた、指導教官の言葉である。

「…ああ、話は聞いているから。とりあえず顔を上げてくれ。」
 放っておくとそのままいつまでも顔を上げなさそうだったので、メデルは声をかけた。
 その言葉を聞いた瞬間、弾かれたかのように瞬時に顔が上がる。さっきから赤かったウィーネの顔はさらに赤くなっていた。
 メデルも一目見てウィーネの高い魔力は分かった。短めに切り揃えられた髪の毛は、その魔力の強さを示して鮮やかな銀色を見せている。色の強さは魔力の証、メデル自身もまた強い黄色味を帯びた髪と瞳を持つ。だが色の鮮やかさで言えばむしろウィーネの方が強いぐらいだろう。教官の言った『能力は高い』の言葉は嘘ではあるまい。
 …そして問題点も。
「俺はメデル・サティーレ。仕事(ジョブ)は魔術師(ウィザード)だ。一応、冒険者歴は4年になる。」
「は、はい。どうぞよろしくお願いしますっ!」
 なぜかもう一度お辞儀をしながらウィーネは答えた。さすがに今度はそのまま頭を下げっぱなしということはなかったが。
 そしてそのまま見つめ合う。
「…。」
「…え、えっと…。」
「……とりあえず、問題の村まで移動しよう。大体の仕事内容は聞いているから、細かな話は向かいながらでもいいだろう。」
「す、すみません!そうですね、分かりました。」
 顔を赤くしたまま慌ててウィーネが答える。恐縮しているのか元からの癖か、少し背を丸めたせいでもともと小柄な体がさらに小さくなったように見えた。


 目的の村までは馬車で半日強だった。幸い、タイミングよくその村へと向かう商人の馬車があったので、メデルとウィーネは同乗させてもらうことになった。
 荷を詰めてもらって、二人並んで幌の中の片隅に座る。その場で仕事内容の確認に入った。
 今回神殿が請けた仕事内容は、『村の農場に魔物が住み着いたから退治してほしい』というありふれたものだった。ウィーネが失敗した例の仕事と同様のものである。そして相手の見当もついていることまで同様だった。ただし、今回の方が魔物は弱い。
 そして、依頼の際に聞けた内容については既におおむね依頼書に記載されていた。だから細部については現地での情報収集が必要である。
「ええと、向こうに着いたらまず村長さんのところで話を聞かせていただいて、それから、自警団の方々に話をうかがえばいいんですよね。」
「…そうだな。」
「話としては…えっと、オークの目撃証言をきちんと集めて、本当にオークかどうかも念のために確認して、それから現場周辺の地形図も必要ですよね。」
「…ああ。」
「オークだったら昼間はねぐらで眠っているはずですから、そのねぐら探しが必要で…あ、後、夜間の見張りも頼んだほうがいいですよね。」
「……。」
 分かりきったことへの返事にいい加減疲れたので、メデルは無言でうなづきを返すだけにした。が。
「あ、あの、私、何か間違ってましたか?」
「…大丈夫だ。話もちゃんと聞いている。」
 うなづきが目に入ってなかったらしく、慌ててウィーネが確認するかのように問いかけてきた。仕方なくメデルはちゃんと言葉に出して答えてやった。
「す、済みませんでした…。」
 消え入るような小さな声でウィーネが謝った。
 それきり静かになったので、さすがに少し気になりメデルは横目でウィーネの方を見た。
 ウィーネは小さく背を丸めて座っていた。小型の短杖(ワンド)をしっかりと抱きかかえている。その目は、斜め下をじっと見てはいるが何かを見ているというわけではないようだった。
 声をかけようかメデルは一瞬迷った。しかし思いとどまる。声をかけてやることは簡単だが、それでは同じことの繰り返しが続くだろう。簡単に解決できる問題でないことではあるが…。
「あの、どうかしましたか?」
 ウィーネの問いかける声で、自分がそのまま彼女の方を見続けていたことにメデルは気づいた。そのことに気づいて、自分自身に少しだけ驚く。
「…いや。」
 何でもない、と続けようとした瞬間に馬車が急停車をした。

「どうかしたか!」
 すかさず杖を手にしてメデルは幌から顔を出した。振り返った商人の顔は青ざめていた。
「あ、あんたか!獣が出たんだ、何とかしてくれ!」
 その言葉に外を見る。道の先で、脇の森から跳び鼠(ジャンピングラット)が数匹続けざまに飛び出してきた。
 メデルが再び振り返ると、ウィーネも外に出てこようとしていた。緊張した表情をして、両腕で強く短杖を握り締めている。
「ウィーネ、跳び鼠の群れだ。」
「あ、は、はい!」
「始末は俺がつけるから馬車を頼む。」
「えっ……。」
 ウィーネが戸惑っているような返事をしていたが、メデルは構わずに外へと飛び出した。そのまま馬車の前に移動する。
 跳び鼠の数は七匹だった。群れとしてはごく標準的な数である。子犬ほどの大きさをし、驚異的な跳躍力をもって集団で獲物に跳びかかってくる性質をもった獣だ。群れであるのが護衛の際には厄介だが、攻撃と防御を分担すればそれほど問題なく対応できる。
 メデルの姿を見て、跳び鼠の群れは甲高い威嚇の叫びを上げた。そしてすぐさま動き出す。
 ―跳んだのは、三匹。残りは馬車の方に向かって駆け抜けようとしていた。
「…風よ我が前を切り裂け(イ・ホペ・インダ・ト・スォル・フィル・フロン・メ)。」
 慌てることなく、冷静にメデルは呪文を唱えた。その正面にかざした杖(ロッド)の先端を基点として前方に真空の刃が放たれる。
 悲鳴とわずかな血しぶきが舞った。見えない刃は確実に三匹の獣を捕らえ、その体に無数の浅い傷跡を刻んだ。
 だが、同時に後方からも悲鳴が響いた。
「―何だっ!」
 予想外の事態に一瞬メデルの表情が変わる。
 すかさず振り返った先では、ウィーネが跳び鼠に襲い掛かられていた。
「なっ…!」
 メデルの予想は外れていた。…いや、予想が外れてやり直した予想が外れたという方が正確だろう。つまり、『まさか跳び鼠に後れを取ることはないだろうから今の悲鳴は別の魔物か何かが現れたに違いない』と思ったのが、実際はその跳び鼠に襲われていたというわけだ。
 あまりのことに一瞬言葉を失っていたが、すぐに気を取り直してメデルは新たに呪文を唱えた。
「……風よ我が先にその力を放て(イ・ホペ・インダ・ト・レス・フィル・フロン・メ)。」
「きゃあっ!」
 突風が真っ直ぐウィーネに向かって吹き付けられる。その勢いで周囲に群がっていた跳び鼠は吹き飛ばされたが、当然あおりを受けてウィーネも転倒した。
 それでもすぐに起き上がる。そして立ち上がったウィーネはなぜかメデルの方を見た。
「あ、ありがとうございま…」
「―何をやっているんだっ!」
 場違いな感謝の言葉に、メデルは思わず声を荒げた。
「言葉はいいからさっさと呪文でも唱えろ!」
「は、はい!ええと、この場合は…。」
 ウィーネは不安げに周囲をきょろきょろと見回した。その周りでは吹き飛ばされた跳び鼠が起き上がり、再び跳びかかろうとしているというのにだ。
 見ていられずにさらにメデルが叫ぶ。
「障壁を張るなり手はあるだろっ!」
「はいっ!光の壁よ我らが周りを囲め(イ・ホペ・リト・ト・コヴェル・ロム・エ)!」
 ―反応は早かった。
 今度のメデルの言葉には、ウィーネはすぐに魔法を発動させた。ウィーネ自身と馬車を囲むように厚い光の壁が生まれる。
 あまりの状況の変化にメデルは呆然とした。さっきまでの戸惑った様子とは全く異なり、素早く、かつ正確に魔法を用いている。壁から放たれる魔力は十分に高いものだった。少なくとも持っている力を使いこなせてないという様子はない。
「ギャウッ!」
 鳴き声で我に返った。障壁に巻き込まれた跳び鼠が悲鳴を上げていたのだ。まだ全ての鼠を駆除したわけではなかったことを思い出して、メデルはもう一度魔法を放った。

 馬車は移動を再開した。
 幸いウィーネはほとんど怪我を負っていなかった。簡単に手当てをして、馬車に乗り込む。
 小さく揺れながら馬車はゆっくりと進んだ。
「…ウィーネ。」
「は、はい!」
 落ち着いたところでメデルはウィーネに声をかけた。相変わらず、すぐに返事が返ってくる。
 声をかけたメデルはしばらく言葉に悩んでから言った。
「さっきは、どうして反応ができなかったんだ?」
「す、すみませんでした!」
 座ったままの姿勢でウィーネが深く頭を下げた。
「…いや、謝らなくてもいい。」
 反応に困ってため息混じりにメデルが言うと、ウィーネは顔を上げた。だがその表情はまだどこか不安げである。
「さっき、最初に俺は馬車の護衛を頼んだよな。」
「はい。」
「…で、なんで何もしないで跳び鼠に襲われていたんだ?」
 するとウィーネは申し訳なさそうに、そしてためらいがちに答えを返した。
「え、ええと……どうすればいいのか、分からなくなってしまって…。」
「……何だって?」
 あまりの言葉に、思わずメデルは問い返した。
「その、どの魔法を使ったらいいのかとか、迷ってしまってたんです…。」
 言わんとしている事をようやく理解して、メデルは一人頭を抱えた。
「つまり、さっきの場合だと障壁を張るとか束縛するとか、方法が全く分からないわけではないんだな?」
「あ、はい。そうです。」
 メデルの指が落ち着かなく床を打つ。
「だから…どうすればいいのか迷ってしまった、と?」
「はい…。」
 その言葉に指が止まった。
 思わず怒鳴りつけそうになったのを、かろうじてメデルはこらえた。
 つまり。ウィーネは、魔力は十分にあるし、魔法の使用も問題はない。状況の判断そのものも一応はできている。…ただ、それを自分で決定して実行ができないのだ。
 ついさっきの馬車内での会話もそこに起因するのだろう。分かりきったことをいちいち一つずつ確認するように問いかけてきたのも、自分ではそれでいいのか分からなかったからだったのだ。逆に戦闘の時に具体的な指示を出した瞬間に反応が素早くなったのも、同じ理由だろう。
 …単独での初仕事に失敗したのもむべなるかな。
 この後の事を考えて、メデルは深くため息をついた。


 そして、馬車が村に着いたのは予定を少し遅れた夕方だった。
 乗せてもらった商人に礼を言って、今回の仕事の正式な依頼主である村長の家に向かう。
「…ウィーネ。」
「あ、はい。」
 歩きながらメデルは話しかけた。
「とりあえず、村長宅に着いてからだが…交渉その他は任せるからな。」
「えっ…。」
 ウィーネは言葉に詰まった。
 しかしこれは予想の範囲である。そのままメデルは続けた。
「仕事を請けたのは神殿側だ。直接の交渉に当たるのは神官が行った方がいいだろう。」
 内容は一応合っているが、実際のところこれは建前である。たいていの場合はこうした神殿をはさんでの依頼でも雇われた冒険者が中心になって動くことの方が多い。
 それをわざわざウィーネに依頼したのは……つまり『習うより慣れろ』である。
「はい、分かりました。」
 ウィーネは少し頬を赤らめながら、大きくうなづいた。どうやらメデルの言葉を全面的に信じ込んでいるらしい。
 やっぱり、まだまだ経験不足ということなのだろう、とメデルは思った。今回の仕事を無事成功させて少しは自信をつけてくれるとありがたいのだが…。
「きゃ!」
「大丈夫か?」
 そう思っていた矢先に、轍に足を取られてウィーネが転びそうになった。とっさに手を出してその体を支えてやる。
「あ…あ、ありがとうございます。」
「…ああ。」
 地面を見ると確かに幾筋もの轍が走ってはいる。だが、そんなものは一目見れば分かることだ。
 …本当に任せて大丈夫なのだろうか、一抹の不安を感じながらメデルは手を離した。

 村長宅には程なく着いた。早速室内に通してもらう。
 応接間に通されたところで村長は現れた。初老の、だが年齢の割にはきびきびとした感じの男性だ。
「やあ、どうもどうも。私が村長のルーエンです。」
「あ、その…神殿より参りました、三位巫女のウィーネ・パーシュフルです。」
「……。」
 メデルは無言のままだ。
「あ、あの…。」
 心配そうにウィーネが振り向いたが、あえて何も言わずにおいた。ただし小さく目配せをする。
「あ、こちらは、今回協力していただける冒険者の方です。」
「…魔術師のメデル・サティーレです。」
「そうか、よろしくお願いします。」
 村長は深々と礼をした。
 ウィーネの様子は、やはり緊張しているらしく頬が紅潮している。
 どうなるかは分からないが、とりあえずなるべく手出しはするまいと考えてメデルは腰を下ろした。
「あの、それでは…仕事の内容の確認に入りたいのですが、よろしいですか?」
「ああ、はいはい。準備はできてますよ。それでは何からお話すればよろしいでしょうか?」
 ウィーネの言葉にルーエンはすぐに答えた。こちらは慣れているのか、落ち着いた感じで滑らかに言葉を続ける。
「え、ええと…。」
 再びウィーネはメデルを目でうかがった。
 さっきと同様に、メデルは無言のままうなづいた。交渉の内容は既に行きの馬車の中で確認済みである。それをきちんとこなせば何も問題はない。
「…まず、今回の仕事は、む、村の農場に現れた魔物の退治でよろしいんですね?」
「はい、そうです。いやあ全く、収穫が済んだ後だったからよかったものの、貯蔵庫もそばにあるんですよね。扉がちゃんと閉めてあればいいんですが…と、これは余計でしたかな。」
「い、いえ。」
 落ち着いた…というよりはいささか喋りすぎのようにも思えるが。ウィーネも少し圧倒されているようだった。
 再びウィーネが振り返る。メデルはもう一度うなづいた。
「そ、それでは…その農場や、周辺の地形図などを。」
「はいはいはい。―あれを。」
 命じられて使用人が数枚の地図と筆記具の類を運んできた。
 あらかじめ用意でもしてあったのだろうか、指示が出た直後にそれらは運ばれてきた。さらには地図に印までつけられている。
「これが周辺の地形図です。こちらの方が広域のものですね。それからこれが農場の地図で、ここからオークがやってきたようです。」
「は…はい。」
 二人は広げられた地図を覗き込んだ。
 村は周囲をほぼ完全に森に囲まれている。山地も近いため、ねぐらにするのにちょうどいい洞窟はどこにあってもおかしくはない。運が悪いと手間取ることにもなるだろう。
「それじゃこれはお貸ししますので。仕事が終わったらきちんと返してくださいね。」
「分かりました。」
 ウィーネが答えると村長はさっさと地図を手際よく丸めた。そのまま机の脇に置く。
「それから、後は何がありましたかな?」
 振り返り、うなづきが返る。
「ええと、魔物の確認などをしたいので、目撃者の方を…。」
「ああそうでしたな。私なんかは話を聞いててっきりオークと思ってましたが、いや、さすが本職の方はしっかりしていらっしゃる。」
「いえ、あの…。」
 ウィーネは赤面して口ごもった。が、ルーエンは構わずに言葉を続ける。
「幸い、オーク…いや、その魔物を見たのは自警団の人間でしてな。すぐに対処を取ってくれたから、まだ村の者に被害は出ていません。―通しなさい。」
 ウィーネがまた振り返った。しかし今度は、メデルはうなづくのを忘れていた。
 ルーエンのついさっきの言葉とは裏腹に、こちらも先に呼んでおいたのか一人の男性が入ってきた。30歳ほどだろうか、それなりによい体格をしている。恐らくは自警団の中でも中心に近い存在だろう。
 …オークと思い込んでいた、とか言うのはリップサービスじゃないのかと勘ぐりたくなる。
「彼は自警団三班の班長、ステアドです。話は直接彼に聞くとよいでしょう。」
「はじめまして、ステアドです。どうぞよろしく。」
 ステアドが名を名乗った。
 そしてウィーネは、展開に戸惑っていた。
 助けを求めるような視線をメデルに送ってきたが、メデルは無言で促した。
「あ…、え、ええと、私は三位巫女のウィーネです。よろしくお願いします。」
 …どうにか対処できたようだ。
 メデルは無言のまま、内心ではまたため息をつきながらウィーネとステアドの会話を見守っていた。

 話をまとめると、現れた魔物はやはりオークに間違いないようだった。特徴は全て一致し、異常な点も何もない。
 とりあえず仕事は明日から行うことにして、今夜からの見張りを自警団に頼むことにする。
「それではよろしくお願いします。」
「まあ任せておいてください。我が村の自警団は優秀ですからな。…さ、遅くなってしまいましたが夕食にしましょう。すぐに用意させますので。」
 メデルたちは仕事の間、村長宅に泊めてもらうことになった。荷などを片付けるために一旦与えられた部屋へと向かう。
「…あの、サティーレさん。」
 その途中の廊下でウィーネの方から話しかけてきた。
「どうした?」
 メデルが問い返すと、ウィーネはうつむいた。
 立ち止まって待ってやる。すると、ためらいがちにウィーネは言った。
「あの、さっきの仕事の話ですが…。」
「ああ。」
 短い返事。
 ウィーネはまた少し口ごもる。と、その顔が出し抜けに上がった。
「…え、えと、私、おかしいところとかありませんでしたかっ?」
 思い切ったように早口で聞いてきた。じっと見つめられて、少しメデルは戸惑う。
「あ、ああ。ちゃんと必要な事は聞けている。十分だ。」
 多少ぎこちない笑みを作りながら答えた。
 まあ、内容としては十分だったのは事実だ。何かあるとすぐに自分の方を向いてきたことを除けばではあるが。
「そうですか?……よかった…。」
 メデルの言葉に安心したのか、ウィーネは少し微笑んだ。
 多分、初めて見る笑顔。
「…とりあえず、仕事はこれからだからな。」
 何となく窓の外へ視線をそらしてメデルは言った。そしてそのまま部屋の方へと歩き出す。
 一拍の間があって、その後ろから小さな足音がついてきた。
 …どうも調子が狂う。
 メデルはふとそんな風に思った。

「ささ、どうぞどうぞ食べてください。まだまだありますから。」
「あ、ありがとうございます。」
「…どうも。」
 メデルたちが案内された部屋には、半ば宴会のように豪華な料理が用意されていた。
 ウィーネがまた戸惑っていたがメデルは気にしないことにした。少し大げさな気もするが、向こうが好意で出してきた物ならば受け取っておいても問題はないだろうと割り切る。そもそも料理はもう作られてしまったのだから、今さら遠慮してもしょうがない。
「それから、お二人はお酒はいかがですかな?この村には地酒があるんですよ。聞いたことはありませんかな?」
 と言いながらルーエンは酒瓶を持ってきた。中では透き通った淡い琥珀色の液体が揺れている。
「あの、私は…。」
 ウィーネは小さく手を振った。
「おや、どうかしましたか?」
「い、いえ、お酒は苦手なので…。」
 恥ずかしそうに頬を赤らめて答える。
 しかし村長は笑いながらも食い下がった。
「いや、この酒は苦手な方でも平気ですよ。多少強めですが、飲みやすいですし悪酔いすることもないですから。」
 と酒瓶を前へと差し出す。
「あの、その……。」
「村長さん、彼女は体質的に飲めないタイプだ。それくらいにしといてくれ。」
 さすがにウィーネの困りきった様子を見かねて、メデルが口を挟んだ。
「そうですか、それじゃ仕方ありません。ではあなたはどうですかな?」
 その言葉にようやくルーエンは手を引いたが、今度はメデルに勧めてきた。
 予想できたことではあったが、口を挟んだことを少しだけ後悔する。
「…いただきます。」
 成り行きとしてここで断ることはできない。仕方なくメデルは自分の席に置かれていたグラスを差し出した。
 メデル自身は酒が飲めないわけではない。むしろ強いくらいなのだが、単純にあまり好きではないだけだ。
 グラスになみなみと酒が注がれる。
「さささ、一気にどうぞ。」
「…。」
 さすがに一気にあける気はしなかったので、軽く飲むだけにしておいた。
 滑らかな味が口の中に広がる。何かの果実酒だろうか、さわやかな香りに滑らかな口当たり。あまり酒を飲まないメデルでも素直においしいと思えた。
 だが、予想以上に強い。多少…という範疇におさまるかどうかには大いに疑問が残る。
「いかがでしたかな?」
「ええ…おいしいですね。」
「まだまだありますから、好きなだけ飲んでいってください。」
「……。」
 明日からの仕事の事を考えて、メデルはこの注がれた一杯だけにしておくことに決めた。
「ああそうだ。そう言えば魔物が出た農場、あそこはこの酒の材料が植えてあるんですよ。」
 酒瓶を脇に置きながらルーエンは二人に話しかけてきた。
「はあ…。」
 返事に困りながらもウィーネが相槌をうつ。
「それで、地図にも載せておきましたが貯蔵庫がありましたよね。あそこは酒蔵も兼ねているんです。樽がいくつも並べてありまして。」
「酒蔵…ですか。」
「ええ。だから、魔物があそこに手を出していないかが心配なんです。なんせこの酒は村の名産品。万一だめになってしまったら、買いに来てくれる商人さんにも申し訳ない。」
 話を適当に聞き流していたメデルの耳に、ちょうど馬車が駆けていく音が聞こえた。
 その音と、今の話で気づく。村に入ったときに目立った轍もそれだろう。あるいは、この村長の少し贅沢な暮らしもその交易のおかげかもしれない。
「どうですかね。やはり、魔物でも酒を飲んだりとかはするんでしょうか?」
「さ、さあ…。」
「まあ酒を飲むかは分かりませんが、やはり酔いはするんじゃないでしょうかね。メデルさんはどう思います?」
 急に話を振られて、一瞬戸惑う。
「…さあ。」
「ああ、やはり冒険者の方でもさすがにこんなことまでは分かりませんよね。いやいや失礼しました。そうそう、それから…。」
 戸惑いっぱなしのウィーネや適当に相槌をうつメデルに対し、ルーエンの話はその後も続いた。
 仕事の話での手際のよさやこの生活ぶりなどから考えるに、少なくとも村長としては有能なのだろう。
 ただ、この過剰ともいえるほどの流暢さは…。
「…ふう。」
 つい、ため息が口をついて出た。半ば癖になりつつあるのかもしれない。そもそも、メデルにとって今回の仕事は無理やり押し付けられたようなものだった。始まりからずっと調子が狂い続けている。
 そしてそんなメデルの気分には関わらず、ルーエンの話は食事の間中も続いたのだった。


 長く続く木の柵の向こうに目指す農場はあった。
「それではよろしくお願いします。」
「はい、分かりました。」
 案内役の青年は農場の入り口まで二人を案内すると、足早にもと来た道を帰っていった。
 そこには『立入禁止』と書かれた真新しい立て札が立てられている。その脇を通ってメデルとウィーネは農場へと入った。
「この地図によると…問題の場所はこっちでいいんですよね?」
「…ああ。」
 ウィーネが地図を広げて場所を確認する。それに返事をしながら、メデルは行くべき方向を見た。
 先には背丈よりやや高い程度の潅木が植えられていた。その葉はうっすらと黄色に色づき始めているが、落葉はまだまだ先のことだ。生い茂る葉のために見通しはひどく悪い。その上、木の植えられている間隔が狭いために静かに移動することは難しいだろう。
 相手が探しにくい上に気づかれやすい。条件は悪かった。
「あの、メデルさん。」
 メデルがどう動こうか考えているところに声がかけられた。
「ここ、静かに移動するのは難しいですよね。どうしましょう、思い切って上から探すか、それともまっすぐ問題の場所に向かうか…。」
「…ウィーネ。」
「あ、は、はい!」
 突然名を呼ばれ、ウィーネは反射的に返事をした。
「…いちいち確認をしなくてもいい。」
「え、でも…。」
 戸惑い、ウィーネは口ごもる。
 無理のないことだろう。だがそのままメデルは言葉を続けた。
「…自分で考えて動け。」
「えっ……。」
 メデルは短く言った。そしてそれきり黙りこむ。
 ウィーネはしばらくうつむいていた。不安なのか、短杖をきつく握り締めている。
 そのまま、立ち止まったまま時間が流れる。
 メデルが再び口を開いた。
「……いざという時にはきちんとサポートする。」
 安心しろ、と言いかけたがそこまでは言わずにおいた。
「は、はいっ!」
 それでも言わんとしていることは伝わったのだろう、ウィーネは顔を上げるとはっきりと返事した。
「じゃあ、頑張ります!」
 そう言うと、意を決してかおもむろに木々の中へと分け入った。
 最短距離を行くことにしたのだろう、メデルもまた自分の杖を抱え込むようにしてその後からついていった。

「…ん?」
 何かが聞こえた。
 一度足を止め、耳を澄ます。
 微かなざわめきが聞こえた。
「ウィーネ、ちょっと待て。」
「あ、はい。」
 小声で先を歩くウィーネを呼び止める。
 ウィーネはすぐにその場で立ち止まった。木々の揺れる音が止む。
 小さく、だがはっきりとざわめきが聞こえた。木々のせいで距離感が掴みづらいが、それほど遠くはなさそうだ。方向はちょうど向かおうとしている先。
「…これは?」
 ウィーネも気づいた。低い声、内容はよく聞き取れないがなぜか陽気そうだ。
「…笑っているな…。」
 そう思って聞くと、響きは明らかに笑い声だった。それも複数。
「…でも、どうしてですか?」
 ウィーネの疑問も当然だった。まだ午前中、そんな時間に農場の真ん中で笑っている人間などまずいない。そう、酔っ払いなどでもない限り…。
「―酒だ。」
 メデルはひらめいた。昨夜の、夕食の関での村長の話。貯蔵庫は酒蔵を兼ねていると言った。そしてその扉が閉まっているかどうか分からないとも。
「そんな!こんなところで飲んでいるなんて、危ないじゃないですか!早く避難させないとっ!」
「あ、ああ…。」
 ウィーネが少し声を強めて言った。そしてそのまま、音が立つのにも構わず早足で先へと歩き出す。
 メデルも少し遅れてその後を追った。
 確かに、こんな所に一般人がいては危険だ。大方、立ち入り禁止になっている隙にこれ幸いと忍び込んで酒を盗んだのだろう。
 だがそれにしても、こんな農場の真ん中で朝っぱらから宴会など始めるなんて冗談にもほどがある。
 舌打ちしながら木々を分け入って進んだ。
 問題の場所に近づくにつれて声が大きくなってくる。何が楽しいのか、笑い声ばかりが耳に届く。話の内容は相変わらず分からないというのに。
「…ん?」
 ふと、違和感が生じた。そう、こんなところで朝っぱらから宴会をするなんて、真っ当な人間(・・)じゃない…。
 ウィーネが、目の前の木の枝を掴んだ。
「待…」
「―きゃあっ!」
 一瞬早く、悲鳴が上がった。
 ウィーネの前に立ち上がった影があった。

「―ギャッ?」
 同時に、メデルの耳に低い声が聞こえた。
 現れたのはオークだと一目で分かった。やや太った体に豚の顔、腰には棍棒らしきものがぶら下がっている。
 ウィーネが手で押しのけた木、その向こうは広い空間になっていた。
 ちょうど貯蔵庫のある場所に出たらしい。すぐ近くに木造の低い建物が見える。
 その前には立ち上がろうとしているオークが三匹。
 そして、転がっているのは…酒樽。辺りには酒の匂いが立ち込めていた。
「ウィーネ、離れろっ!」
 棍棒の直撃を受けたらオーク相手でも危険だ。ましてやウィーネの体では、その打撃をかわしたり受け流したりはあまりできないだろう。
 他のオークも立ち上がって武器を抜こうとした。
 ―ごっ。
 その瞬間、鈍い音がする。
「は、はいっ…きゃあああっ!」
 メデルの指示を聞いてウィーネが逃れようとしたその時、突然その視界が琥珀色に歪んだ。
 ばしゃり。オークが立ち上がろうとしてぶつかった樽、勢いよく倒れたそれから酒が飛び散った。すぐ近くにいたウィーネはまともにそれを浴びる。
「大地よその者の足を喰らえ(イ・ホペ・ラン・ト・ドミナ・ヘ・フォート)っ!」
 メデルは呪文を唱え終えた。ウィーネの正面に立つオークを狙い、魔法を放つ。
 オークの足元の地面が突然陥没した。そのまま両足が膝上まで大地の中に埋もれる。
 だが、同時にウィーネの体も倒れた。
「ウィーネっ!」
 名を呼ぶ、だが返事はない。そのまま地面へと崩れ落ちた。
 とっさにメデルは駆け寄った。一度後方に逃がすため腕を掴み、半ば引きずるようにして引き寄せる。
 そして顔を見た。目を閉じている。
 メデルが魔法に集中していた一瞬、その隙に打撃でも受けたのだろう。気絶しているらしかった。
「―大地よ厚き壁となりて伸びよ(イ・ホペ・ラン・ト・コヴェル・イクスパ・フロン・メ)っ!」
 牽制のためにさらなる魔法を放った。メデルの正面の地面が今度は大きく持ち上がり、そのままその小山が前方へと一気に伸びながら広がる。
 本当は炎の方が牽制として都合よかったのだが、こんな所で炎など放ったら延焼してオーク退治どころではなくなる。
 改めてメデルはウィーネの様子を見た。呼吸は比較的落ち着いている。出血もない。一刻を争うような外傷はないことにひとまず安堵した。頭を打っている可能性は十分あるが、その場合でも治療は多少後でも何とかなるだろう。
 メデルは歯噛みした。もう少し早く自分が気づいていれば、少なくとも彼女がこんな目に遭うことはなかっただろう。自分の不注意以外の何物でもない。
「…すまなかった。」
 未だ気絶したままのウィーネに一言声をかけると、再び正面を見た。
 土壁の向こうでオークどもの声が聞こえる。崩そうと殴りつけているのだろう、鈍い音とともに壁が微かに震えているのを感じた。
 メデルは一度大きく息を吸った。次の呪文を頭に思い浮かべて、杖をかざす。
 土が瞬時に高さを失った。視界が広がる。
「大地よ立ちて(イ・ホペ・ラン・ト・)…」
 その瞬間、メデルの頭上を光が駆け抜けた。

 光の玉は、正面で爆発的に広がった。
 視界が白く輝き、メデルは反射的に手で目をかばった。同時に太い叫びが響いた。
 気づいて振り返る。
「ウィーネっ!」
 そこには、紛れもなくウィーネが立っていた。短杖をかざしている。間違いない、今の魔法は彼女の放ったものだろう。
 だが、返事はなかった。その短杖が高く掲げられる。
「―光よ全てを飲み込み消しつくせ(イ・アセ・リト・ト・フィル・アル)ぇっ!」
 掲げた短杖の先端に魔力の高まりが感じられた。
 とっさに身をかがめられたのは経験のおかげだろう、メデルの頭上で莫大な魔力が解き放たれた。
 広がった光は無差別にそこらじゅうを飲み込んでいった。悲鳴はもはや聞こえない。恐らく、オークはさっきの一撃で絶命したに違いない。
「…ウィーネ?」
 メデルが問いかけたが、またも返事はなかった。
 目がようやく慣れてきて、その細かな表情が見えてくる。
 ウィーネの顔は真っ赤だった。そして、不意に酒の匂いが鼻をついた。
 その顔をじっと見る。―目が完全に据わっていた。
「…もしかして、酔っているのか?」
「光よ我が手より飛びて打ち砕け(イ・アセ・リト・ト・ニーダ・ツヘ)っ!」
 無論返事はなかった。代わりにまた魔法が飛んできた。
 短杖の先端から放たれたいくつもの光の弾が、オークのいた辺りに向かって打ち込まれる。
「―わっ!」
 しかし酔っているせいかその狙いは不安定で、メデルは慌てて自分の方に向かってきた弾をよけた。
 ここにいたってようやくメデルは何が起こったのを理解した。
 先ほど、最初にウィーネは酒を頭から浴びた。この、口当たりのいいくせに強い地酒のせいで彼女は完全に酔いつぶれてしまっていたのだ。
 そして、今、目覚めたのは…。
「…大地よ我を覆え(イ・ホペ・ラン・ト・コヴェル・スフェル・エ)。」
 メデルの体が地面へと沈み込んだ。さらにはその上を土が覆う。
 ―酒乱。
 人の話を聞かず、勝手に暴走するあの様子は『白い風見鶏亭』のなじみの一人でもたまに見かけられた光景だった。
 対策としては勝手に疲れてまた気絶するのを待つしかない。ウィーネの魔力がなまじ高いだけに、下手に取り押さえようとしたら返り討ちにもあいかねなかった。
 土の中でうずくまるメデルの頭上では、相変わらず無差別な魔力の暴走が続いていた。


「……あれ?」
 ウィーネが目を覚ますと、なぜか見慣れない建物の中だった。
 しばらく考えて思い出す。ここは、今回の仕事でお世話になった村長さんの家だ。
 でも、なぜ自分はここにいるのだろうか。
「………あああっ!」
 さらにしばらく考えて思い出した。
 そうだ、自分は仕事でオーク退治に出かけて、そこで木をかき分けたら目の前にオークがいて、逃げようとして…。
 そこで記憶は途切れていた。
 頭がずきりと痛む。
 恐らく、オークに頭を殴られて気を失ったに違いない。
 …仕事はどうなったのだろうか。
 そう思った瞬間いてもたってもいられなくなり、ウィーネは慌ててメデルの部屋に向かった。

 慌ただしい足音に続いて扉がノックされた。
「…どうぞ。」
 予想がついていたので、メデルは机から立ち上がりながら返事をした。
 扉がゆっくりと開く。
「…あの、すみません…。」
 その影から恐る恐る現れたのは、案の定ウィーネだった。
 入り口の所で戸惑うウィーネに対し、メデルは椅子を出して座るように勧めた。

 あの後。
 しばらく魔法が発動するのを土の中で感じていたメデルだったが、突然その力が感じられなくなったので地面の上に出てきた。
 その先ではウィーネがまた倒れていた。
 それからは単純だった。まずはウィーネを背負って連れ帰り、適当な村人を捕まえて村長宅に届けさせた。とりあえず仕事はほぼ終わったが疲れているみたいだから休ませてやれ、とことづてを添えて。
 そして狩人を一人呼んできてもらい、再び農場へと戻った。オークが全滅してしまったので足跡などを頼りにしかねぐらを割り出す方法がなかったからだ。
 幸い足跡はすぐ見つかった。ウィーネの魔法のせいで辺りの地面はえぐれていたが、貯蔵庫の影になっていた側で続いていたのだ。
 その足跡をたどるとねぐらは見つかった。中ではもう二匹のオークが眠っていたので、すぐに退治する。
 これは推測に過ぎないが、あの時酒を飲んでいたオークたちは…ちょうど人で言えば夜更かしをしていたのかもしれない。オークは夜行性だから昼と夜の感覚は逆のはずだ。まあ、オークに『夜更かし』という概念があるとは思えないが。
 これで仕事は終了したので、再び村長の家に戻ってきた。ウィーネはまだ眠っているようだったので、翌朝には目覚めるだろうと思いそのままにしておいた。
 そして今、もうすぐ正午という時間に至る。

「…とりあえず、仕事は無事完了したから安心していい。」
「あ、ありがとうございました!それから…すみませんでした…。」
 向かい合って座った状態で、ウィーネは顔を真っ赤にしてうつむいた。さすがに今回は当然だろうとは思う。
「…まあ、あそこまで酒に弱いとは思わなかったがな。」
 メデルが呟く。するとなぜかウィーネは首をかしげた。
「え?お酒が、どうかしましたか?」
「……え?」
 メデルは耳を疑った。
「あの、私、何かあったんですか?」
「…ちょっと待ってくれ。ええと、覚えていることを順に語ってくれないか?」
 ウィーネは首をかしげながらも、言われるままに自分の覚えていることを話した。すなわちオークから逃げようとしたところまでだ。
「だから、私はあの後頭を殴られて気絶したんだと思ってたんですが…。もしかして違うんですか?」
 まっすぐな瞳でそう問いかけてくる。
 どうやら、酔って暴れてた時のことは全く記憶になかったらしい。まあ酒乱の人間はおおむねそうだと聞くが…。
「ウィーネ、全然関係ないが一つ聞く。ここに来た最初の晩の食事の席で、酒が苦手だと言ったが…飲んだことは?」
「え、一度あるんですが…よく覚えていないんです。ただ、翌朝友達が『お前はもう酒を飲むな』と言っていたので…。多分すぐに酔いつぶれて、迷惑をかけたんだと思います。」
「…。」
 迷惑(・・)をかけたのは事実だろうが…友人たちは真相を伝えるのは避けたらしい。
「あの、それで…仕事の方ですが、済みませんでした…。私が、軽率な行動をしたばっかりに…。」
 ウィーネは再びうつむいた。
 声をかけようとして、その肩が微かに震えていることにメデルは気づいた。
 無理もない。最初の仕事に失敗して、二回目の仕事も自分が意識のない間に終わってしまったとあっては…心苦しいだろう。
 しばらくそのままメデルは考え込んでいたが、おもむろに口を開いた。
「何だ、何も覚えていないのか?」

「…え?」
 ウィーネが少し顔を上げた。うかがうようにメデルの顔を見る。
 メデルはそのまま言葉を続けた。
「確かに頭を殴られたのは事実だが…あの後、オークを退治したのはお前の力だった。」
 そう言ってウィーネの目を見つめ返す。
 少し潤んで赤くなっていた瞳に、戸惑いの色が浮かんだ。
「え、でも…。」
「頭を打ったショックで記憶が混乱しているんだろう。あそこで出てきたオークたちを仕留めたのは、ウィーネ、おまえ自身だ。」
 もう一度、今度は名を呼んで言ってやった。
 頬が赤く染まる。ただ、今度は恥ずかしさではない。多分照れだ。
「…え、ええと……。」
「俺は見ているだけだったが、ちゃんと、自力でオークを退治して仕事をこなしていた。心配は要らない。」
 言葉にしながら、メデルの唇の端に小さな笑みが浮かんだ。もちろん嘲笑などじゃなく、本当に微笑ましい気分になったのだ。
「あの、それじゃっ…!」
 ウィーネが顔を上げた。
「もちろん、後のねぐら探しなどは俺がしたから自力で全部の仕事を済ませたわけじゃないが…。」
「あ、はい、そうですよね…。」
 少し、その表情が曇る。
 微笑んだままメデルは言葉を続けた。
「…それでも、今回の仕事の大半はお前が自力でこなしたんだ。――よくやったな。」
 きっと、彼女に足りないのは自信。
 それでも仕事を自力でこなせたと思えば少しは自信がつくだろう。そのためになら多少の嘘をついたって構うまい。
 その言葉に、ウィーネは笑顔を見せた。
「は、はいっ!」
 嬉しさに、つい笑顔が出てしまったのだろう。
 久しぶりに見たような気がする。前に、こうやって笑顔を見せたのは―。
「あの、」
 ウィーネが再び声をかけてきた。
「…どうかしたか?」
「あの、その……ありがとうございましたっ!」
 そして深々と礼をした。
「いや、礼はいい…」
「―でもっ!」
 少し苦笑して言葉を返そうとする。それを、ウィーネはこれまでに見せなかったような強い言葉でさえぎった。
 その瞳がまっすぐにメデルを見つめる。
「…こ、今回の仕事を私が自力でできたのは、やっぱりサティーレさんが色々と助けてくださったからです。だから、ありがとうございました!」
 そう言ってもう一度深く頭を下げた。
 ―あの時。そう、この仕事は押し付けられた最初から調子が狂いっぱなしだと思っていた。
 その気持ちは今も変わっていない。いつもとは完全に調子が狂ったままだ。
 それでも。
 ―まあ、たまには悪くないだろう。
 正面で未だ頭を下げたままのウィーネの後頭部を見ながら、メデルは一度ため息をつき、そしてまた苦笑したのだった。
〈終〉






〈あとがきのたぐいのおまけ〉
 …ってなわけで、Power of…≠ヘこれにておしまい。さーてみなさんいかがでしたか?
 ということでどーも。ライト&ファンタジー担当のいづみです。いやはやなんともかんとも(意味不明)。
 オイラのオリジナルなファンタジー世界「Black Light」(略称B.L.)を舞台に毎回テキトーな登場人物のもとてきとーなストーリーでお送りする(爆)短編シリーズもこれで今年度はおしまい。ふう。
 …っておしまいでこれは何やねんっ!というセルフツッコミが飛びそうな勢いです(笑)。つーかまず、通常の会誌の目安として『作品は10P』ってのがあるのを破りに破って気がつきゃ1.5倍の15P。え、だったらせめてあとがきをなくせ?いや、こればっかりは趣味だからやめられない…(殴!)ぐはっ。ご、ごめんなさいぃ、でもこれはポリシーだからやめたくないんですぅ。(←捨ててしまえそんなポリシー)
 …話を作品に戻そう。というか戻してもやっぱりつっこみの鉄拳は飛んできそうな気がするんですが(汗)。つーかこんな神官…書いてて激しく何かを間違えた気が(死)。くれぐれも彼女に眼鏡をかけさせてはいけない、そんな電波がどこからか飛んできてるような気がします(危)。おまけに相方(違)の魔術師さんもなんかおかしいし。いや、ホントはもっとクールで無口なキャラになるはずだったんですが…自分にナイものはどうしようもないかと(逃)。まあここまでのしゃべりを見ての通り、私はおしゃべりです。というわけであれでも頑張った方なんです。本当ですってばっ。…まあストーリー自体いい加減だから今更何を言ってもしょうがないんですが(オイコラ)。
 自己分裂によるボケツッコミはやってて不毛なので(死)この辺で話題転換。さて。新年度からは『いづみ』は一時休息を取ることにして、しばらくは他の人格による毛色の違った作品に手を出してみようかと考えております。いや、本質的には変わらないんですけど気分の問題。とりあえずシリアスありラブコメありと多様な作品をば……あれ、やっぱり分裂してないか自分(汗)。
 収拾がつかなくなってきたのでこの辺で強引に終わりにしちゃいましょう。というわけで読んでくれた方、ありがとうございました。
 それではまた☆


作品展示室トップへ
総合トップへ