Black Light

いづみ

chapter: 1-1, 1-2, 2-1, 2-2, 2-3, 3-1, 3-2, 3-3

第一章 ACCIDENTS.〈前〉


 照りつける太陽の光は、全ての大地に注がれていた。
 街道の気温がそろそろ上がってくる時間帯。その中で彼は、いささか時期外れにも思える黒のロングコートをまとって歩いていた。
 この先には町がある。それほど距離もない。普通に歩けば、正午の前にはたどり着けるだろう。そして、彼もまた多くの旅人のように普通の速度で歩いていた。
 季節はそろそろ夏に向かう頃。木陰の多い森を抜ける街道ではある。だが日陰やあるいは涼しい服装ならともかく、街道の真っ只中の日の照りつける場所をそんな服装で歩いていれば、自然と汗が流れてくるだろう。
 当然彼も、何気なく額を拭った。
 が、数秒の後にそっと、拭った手の甲を見た。薄手の革の手袋には染み一つない。
 濡れた跡も。
 そして彼は苦笑した。
「無意識のうちに出る習慣は、そう簡単にはなくならないか。」
 小さくつぶやき、再び正面を向いて歩き出す。
 その額には汗一つかいていなかった。

 彼の名は、フォン・ナシィ。
 長身を黒いコートに包み、荷物は比較的小ぶりの肩掛け鞄と脇に差した片手剣のみ。整った顔立ちに切れ長の瞳は一見鋭そうに見えるが、穏やかな表情がより優しげな印象を見る者に与える。だが何よりも目を引くのは、全ての色を失ったかのような漆黒の髪と瞳。
 言うなれば『運命の悪戯』と呼ぶべきであろうものに振り回された挙句、今、彼は一人旅をしていた。

 街道を行く姿は他には特に見当たらなかった。少し前に、行商人の団体と冒険者らしいグループ二つにすれ違っただけだ。
 ふとナシィは思い出した。神殿に雇われた冒険者たちが、この街道を狩場としていた盗賊団をつい最近壊滅させたばかりだという。だから当分は安全だろうと夕べ泊まった酒場で商人たちも話していた。
 どうやら次の町までは問題なく移動できそうだ。そう考えてそのまま歩き続ける。
 だが、その歩みは突然止まった。一転した険しい表情で素早く辺りを見回す。
 視線は道の前方で止まった。そのまま数秒、何かに神経を集中させる。
 そして次の瞬間、彼は街道の先へと駆け出していた。


 それとほぼ同時刻。同じように険しい顔を見せる少女がいた。
 年の頃は16前後だろう、赤みのかったセミロングのストレートヘアに大きな瞳。装飾が施された布製らしい服と帽子を身に着けている。白を基調とした統一の取れたデザインで、こちらも肌を露出する部位は少ない。そして右手には長い杖。先端には宝玉を持った天使の彫像があしらわれている。一方の左手には、布を幾重にも巻きさらにその上から鎖で縛られた物を抱えていた。
 どうやら同じく旅する者なのだろう。ただし、先ほどとは状況が大きく違っていた。武器を手にした男たちが数人、その先にいたのだから。
 そしてその一人は倒れていた。気絶をしている。
「…その荷物さえ手に入りゃ見逃すつもりだったが、気が変わったな。とっ捕まえて売り飛ばしてやる。」
 少女の正面、刃の曇った長剣を手にした男が言った。所々に傷跡が目立つ、さして品質も良くなさそうな軽装の鎧を身に着けている。他の者も個々の装備は違うとはいえ似たような身なりだった。
「これがどんな物なのか、あなたたちは分かってるんですか!」
 少女は厳しい声で言った。そして手にした荷物を守るように片手で強く抱きかかえる。
「さあなあ。俺たちは、その荷物を持って来いと命令されただけだ。まあ、荷物以外のものは好きにさせてもらうがな。」
 そう答える男の口元には嘲るような笑みが浮かんでいた。周りの男たちもまた、同じような表情をしていた。
「…そんなことはさせません。」
 険しい表情のまま少女は答えた。しかしその顔に怯えはなかった。
「強気だな。多少、聖魔法が使えるからっていい気になるなよ!」
 男の口調が脅すものへと変化する。
 それでも少女は表情を変えなかった。男が舌打ちして剣を握り直す。それに合わせ他の男たちも、そして少女もそれぞれの武器を構えた。
「―やっちまえ!」
「光よ激しく広がれ(イ・アセ・リト・ト・フィル・ウォルド)っ!」
 男たちが飛びかかろうとした時、少女は瞳を閉じて叫んだ。
 次の瞬間、手にした杖の先端からまばゆい光がほとばしった。目をやく光の奔流が辺り一面に広がる。
 男たちは悲鳴を上げその場にくずおれた。傷こそつかないが、瞬間的に目には鋭い痛みが走る。
 そして少女は瞳を開いた。光は一瞬だった。
 ただ一人、無事だった目で辺りを見回す。男たちがそれぞれうずくまっているのを確認すると再び呪文を唱えた。
「光よ、我が手に宿りて力となれ(イ・アセ・リト・ト・ミャ・ウィプ)。」
 手にした杖が白い光に包まれる。すると少女はその杖を逆手に持ち替えて、おもむろに渾身の力で目の前の男に叩きつけた。
「―えいっ!」
「ぐわっ!」
 頭部に打撃を受けて、殴られた男が昏倒する。そして少女は次の男の方を向いた。…どうやら、相手が無力化しているうちに一人ずつ気絶させていくつもりらしい。
 男たちの叫び声は一つずつ静かな森に響いて……やがて、また静かになった。
 あらかた気絶させたと思われる所で少女はため息をついた。額の汗を拭って立ち止まり、荒い呼吸を落ち着かせる。杖を持ち替えて地面を突くと、同時にそこに宿っていた光が消えた。
 だが偶然にも同じ瞬間、少女の背後に横たわる男の一人が意識を取り戻した。当たり所が良かったのか悪かったのか、とにかくすぐに意識ははっきりとした。
 顔を上げる。周囲には倒れた仲間たち。そして目の前には、自分に背を向けて立っているあの少女。記憶にあるのは、少女に襲いかかろうとした瞬間眩しい光で目がくらみ、その後頭を殴られ気絶したこと。…とにかくこの少女が敵だという事は間違いがない。
 男は再び武器を手に取り、無防備にも背を向けている少女に襲いかかった。
「くたばれっ!」

「光よ集いて砕け(イ・アセ・リト・ト・レス・ヘ)っ!」
「危ないっ!」
 すかさず放たれた光球が男の腹部に当たったのと、片手剣が男の右腕を深く斬ったのはまさに同時だった。
 男が跳ね飛ばされて倒れる。手斧を落とし、激しく咳き込みながら右腕を押さえてうずくまった。
 少女は正面に立つ見知らぬ男の姿を見た。素性は分からない。だが、とりあえず今は自分を助けてくれたようだ。
「大丈夫…みたいでしたね。」
 振り返った目の前の男はそう言うと、軽く一振りして剣を収めた。表情は見たところ穏やかである。どうやら安全そうな相手だと判断して、少女はお辞儀をした。
「いえ、助けていただきありがとうございました。」
 そして辺りをもう一度見回す。起き上がってきそうな相手が本当にいない事を確認してから、改めて言った。
「申し訳ないのですが、私はライセラヴィの使いの仕事で急いでいます。この人たちを代わりに町まで連れて行ってもらえませんか?礼金はあなたのものにしていただいて構いませんから。」
 そう言われて男も再び周囲を見回した。倒れている男たちはいずれも、質の悪そうな鎧に雑多な武器を身に着けている。どう見ても衛兵やまっとうな冒険者の類ではない…盗賊あたりのようだ。衛所に突き出せばそれだけでいくばくかの礼金はもらえるだろう。
 男は少し考えてからうなづいた。
「いいですよ。」
「では、よろしくお願いします。あなたに光のご加護がありますよう。」
 少女は安心した表情を見せた。そしてもう一度深く礼をして、後は振り返りもせずに早足で先へと進んでいった。

 残されたナシィはその姿を見送った後、荷袋から出したロープで倒れたままの男たちを縛っていった。
 別に一刻を争うほどには急いでいる旅でもないし、そろそろ路銀が心もとなくなってきた頃だ。もともと次の町で仕事を探すつもりだったが、この報酬によってはもう少し先まで進んでからでも良くなるだろう。頼まれごとを断る理由は特になかった。
 作業をしていて気づいた。どうやら、ほぼ全員が気絶しているだけのようだ。先ほどとっさに斬りつけた男以外はさしたる怪我もない。瞬間の身のこなしといい、幼そうな見かけに反して彼女はかなり有能な神官らしい。
 再び少女が去っていった方向を見る。この先には、自分が目指していた町があるはずだ。
「…まあ、もう会うこともないか。」
 名前も聞かなかったが、所詮偶然会っただけのこと。悲鳴らしき声が聞こえたので武器を片手に駆け出したが、実際は自分の助けがなくても彼女のあの様子なら問題なかっただろう。
 倒れたままの男が一人、うめき声を上げた。急いでその男を先に縛る。
 ライセラヴィ。大陸全土における二大宗教の一つにして、『光』が作った世界を守るべく秩序と正義を重んじている。ゆえに、その秩序と正義に反する者ならばたとえその相手が人だとしても容赦はない。―ひょっとしたら、この盗賊たちは運が良かったのかもしれない。状況によっては自衛のために殺されたとしてもおかしくはないのだ。もし相手がもう少し腕が劣り、そしてもっと過激な神官だったとしたら…。
「…うう…。お、おい、これは何だっ!」
 目を覚ました男の声で、思考は中断された。
「町の衛所に連れて行きます。大人しくしていて下さい。」
 順に目を覚まし始めた男たちが口々に罵詈雑言を叫んでいたが、ナシィはそれには構わずに行く先の道を見た。
 何にせよ、彼女にもう一度会うことはまずないだろう。自分は誰かと共に旅をするつもりなどもはやないし、ましてや…。
 一瞬の思考を自ら打ち消す。重みのあるロープを強く握り、前だけを見据えた。
 その先から吹いてきたそよ風が、漆黒の髪をかすかに揺らした。


 結局、町に着いたのは予定よりも少々遅れてだった。
 というのも途中で一度、この盗賊たちが数と力に物を言わせて襲い掛かってきたからだ。思わぬ事態に少々てこずったものの、どうにか彼らを再び大人しくさせて衛所まで連れて行くことはできた。
 衛兵に引き渡して礼金を受け取る。思ったよりは少ない金額だが、最近盗賊団が一つ捕らえられてそちらにお金を使ったばかりだということもあってあまり余裕がないらしい。
 もちろんナシィに文句はなかった。ついでにこの辺りで最近何か変わった事はなかったかと尋ねてみる。
「例の盗賊団以外には、最近は特に大きな問題もなかったな。兄ちゃん、その身なりからして冒険者だろ?仕事を探してるんだったら…そうだな、街道を抜けて西に向かうといいかもしれねえぜ。」
「西の方で何か問題でも?」
「ああ、最近あっちの地方を中心に盗賊どもの動きが活発化しているらしいんだ。そのうち大規模な討伐隊の派遣があるかもしれねえって、俺たちの間じゃもっぱらの噂さ。その時はまたあんたらにも仕事が回ってくるかもな。よろしく頼むぜ。」
「ええ。そちらも、お気をつけて。」
 一礼をし、衛所から出る。
 日差しが強くなっていた。そろそろ昼になる頃、町の大通りの喧騒も少し落ち着きを見せている。
 宿を取るにはいささか早い時間ではあるが、次の町まで歩くとなると夕方近くになる可能性が高い。それに、一泊して情報収集と仕事探しをしてから移動を決めても遅くはないだろう。
 手がかりと言えるものもろくにない、恐らく長きにわたる旅路。…急がねばならないのは事実だが、焦ってもどうしようもない。
 ナシィは大通りへと足を向けた。

 先に町中を見て回り、混雑するであろう昼食の時間帯を過ぎたところでナシィは一軒の宿屋を選んだ。
 『源流亭』。かなり大きなつくりだが、建物自体のランクは中流程度だろう。一階が食堂兼酒場、二階が宿屋になっているようだ。冒険者がまっとうな仕事を探すのなら、これくらいの宿が一番妥当である。
 扉を開いた。
「いらっしゃい。」
 あまり年齢を感じさせない声だった。これほどの店の店主(マスター)にしてはやや若いとも思えるほどだ。
 店内を軽く見回す。冒険者たちの団体が数多く入れるような広い食堂、だが今はあまり客もいないようだ。それでもいくつかのテーブルには休憩に来た町人とは明らかに異なる者たちがついている。何人かはこちらを振り返ったようだった。
 まずは奥のカウンターへとまっすぐ向かう。
「宿を一泊頼みたいのですが。」
「それなら、今夜と次の日の朝の食事の代金が込みで60G(ガルド)だ。」
「はい。ついでに、紅茶を一杯頂けますか。」
「ああ、泊り客にならそれはサービスしとくよ。ちょっと待ってな。」
 店主は一旦奥へと引っ込み、すぐに鍵と一杯の紅茶を手に戻ってきた。代金と引き換えにして礼を言って受け取る。
 お茶を飲みながら改めて店内を見回した。どうやら最近建て直したものらしく、壁や床に使われた木々の木目がまだ色鮮やかだ。かすかにその香りまでも漂ってきそうなほどに。
 客の数は二桁に届く程度。テーブルに団体でいる冒険者らしい一団と、仕事の合間らしく工具を床に置いて談笑している男が数名。あとは一人ないしは二人で机にいる様々な人。そして自分が今いるカウンターの端にももう一人。
 店主の方を見ると、仕事に取り掛かるわけでもなくカウンターの中でのんびりと本を読んでいた。しかし奥からは何か作業をしているらしい物音も聞こえてくる。さすがにこの規模の宿となると、裏ではまた別の人が働いているのだろう。
 店主がとりあえず忙しくなさそうなのが確認できたので、ナシィは再び声をかけた。
「マスター、ちょっといいですか。」
「ん、なんだ?」
 本をさっきまで座ってた椅子に無造作に置いて、店主がカウンターに戻ってくる。
「仕事は何かありますか?それと、何かこの近辺で変わった事などがあれば教えてください。」
「仕事なら十分あるさ。それから…まあいいや。後の方は、仕事の話を済ませてからだな。」
 そう言ってカウンターの中から紙の束を取り出した。その量は意外に多い。
「職種と職歴と、その他希望があれば先に言っとけよ。」
「冒険者(アドベンチャラー)の剣士(ソーズマン)で、職歴はこれのみで三年。仕事の内容は問いませんが…できれば、神官と共同でのものは避けたいです。」
「ふん…冒険者になったのは18過ぎか?職歴が短いな。」
 資料をめくりながら、ナシィの顔を一目見てつぶやく。
「まあ三年もやってりゃ十分か。…神殿からの依頼はちょうど今他の奴等が仕事中だから、そっちの心配はないな。剣士一人かもしくは神官以外の連中と共同か、と。」
 そして数枚の紙を選んで机に並べた。
「こんなもんだ。後は自分で直接選べばいいだろ。」
 内容を見る。近隣の村からの魔獣退治の依頼、村の自警団の短期指導、行商人の護衛、ペット探し、などなど。
「…結構仕事がありますね。」
 剣士一人でできる仕事などは高が知れている。それですらこれほど集まるのなら、全体として依頼の量はかなりのもののはずだ。
「まあな。おかげで、こっちは商売繁盛だが…どうも最近は物騒になってきてるみたいだな。」
「最近?」
 ナシィの問いかけに、店主は依頼の束を一枚一枚繰りながら答えた。
「最近っていうほど近くもないが、親父の代よりはやっぱり仕事の量が増えているんだ。…街道での護衛や盗賊団がらみのが特に多い。」
「それはいつ頃から?」
「はっきりといつからってのは覚えがないが…俺がこの宿を継いだのが五年前で、その時にはもうこんな感じだった。」
 そう言って店主は店内を見回した。
「ああそうだ、あの時、仕事が増えてきてたから思い切って改築をしたんだ。おかげで客も多く来るようになったが…やっぱり、手放しでは喜べないな。」
 少し複雑な表情を見せる。それはナシィも同じだった。
「…そうですね。」
「まあ、冒険者がいなかったり斡旋所がなかったりしたらその分被害も大きくなる。ないよりはあったほうがいいさ。」
 そこまで話してから、ふと、店主は我に返ったような顔をした。
「つい、関係ないことまで話し過ぎたみたいだな。とりあえず仕事は適当に選んでおいてくれ。ええと、それから…。」
「何かこの辺りで変わった事がないか、です。」
 ナシィが答えると、店主は軽く頭を掻いた。
「そうは言ってもな…もう少し具体的に言ってもらわないとな。」
「まあ、確かにそうです。でもとりあえず返答に困るってことは、明らかに異常な事は起こってないってことですよね。」
 ナシィが小さく笑ってみせる。
「…まあな。だがそんな大事が起こったら、隣町やその向こうにまで話はいくはずだ。そういう噂を耳にしてないってんなら、この町でそんな異常事態が発生してはいないってことじゃないか?」
 今度は店主が笑う番だった。
「なるほど。いや、その通りですね。じゃあ他の町のそういう噂は耳にしていませんか?」
 素直に負けを認めつつ、ナシィはそこから話を進めた。
「ああ、それなら…そう言えば、確か北の少し離れた村で、変わった盗賊団が出たって耳にしたな。」
 店主はわずかな間を置いてから思い出したように言った。そしてカウンターから身を乗り出して、店内に声をかける。
「おおい、誰か北の村での盗賊団の話を知らねえか?あの、魔物が現れたとか何とか言ってたやつだ。」
 その言葉に対し、店内の一部がざわついた。複数の人がついたテーブルでは互いに話し合っているようだ。
「北の村って、つい一昨日かその辺のやつか?」
「ああ、確かそうだ。」
 誰かが声を上げ、店主が答える。また別の声がそれに重なった。今度は女性の良く通る声だった。
「あれは…神殿から神官さんが派遣されたんじゃなかった?何か調査をするって…。」
「それよりもマスター、そんな話を急に振ってどうしたんだよ。」
 さらに別の声によって女性の言葉はかき消された。
「いや、こっちの兄ちゃんが、何か変わった噂とかを聞かないかって言ってな。」
 店主がナシィを指差した。途端に客の目線はそっちに集中する。
「噂?そんなのいくらでも転がってるぜ。西の彼方にゃ古代の大魔導師が今なお生きている孤島があるとか、今の国王は影武者で本物は例の事件の時に暗殺されたとか…。」
「そんな遠くの噂なんかして何になるってんだよ。とりあえずここから見える北東の山、あそこには降魔戦争の昔からの遺跡があるって話が、」
「そんなもんがホントにあったら、とっくに国や神殿から調査隊が派遣されてらあ。それよりも、隣町のスラムで最近…」
「あの…。」
「それってあの魔法の壷だろ?あれはガセだぜ。」
「なにぃっ!そんなわけ…」
「あの、」
「それよりも北の…。」
「いやいや実はここだけの話、」
「―あのうっ!」
 鋭い声が響いた。

 その一声で、騒いでいた客たちも店主もそしてすっかり聞き役に回っていたナシィもみな、息を呑んだ。
 入り口に少女が一人いた。
「…し、仕事を依頼したいんですが。ええと、マスターさんはみえますか?」
 その声は、場が静かになると同時にか細いものへと変わっていった。奥のカウンター席にいるナシィですら、少女が赤面したのがはっきりと分かった。
「あ、ああ。ここだが…。」
 店主が答え、ナシィの前から少し離れた。そのままカウンター内の椅子を近くに寄せて腰掛ける。
 店内には奇妙な空気が漂っていた。その中を、真っ赤になって少女が通り抜けていく。
 手にしていた長い杖を立てかけ、自分のすぐ横に座られて、ようやくナシィはその少女がついさっき街道で会ったばかりの神官だということに気づいた。ただし服装は少し身軽なものになっている。
「仕事の、依頼です…。あの、ガーテの街までの護衛を。」
 少女の声は小さなものだったが、それでも聞こえてくるほどに店内は静まりかえっていた。
「ああはい、分かりました。えーと…依頼内容は護衛、目的地はガーテ。では対象と期間と報酬と、その他備考を。」
 店主だけはさすがに仕事に戻って、白紙の依頼書を出して書き取りを始めている。しかしどことなく口調がぎこちない。
「内容は…ライセラヴィの二位巫女一人を護衛、ただし、その荷物をガーテの神殿に届けることが最優先です。それから期間としては移動の間全て、日数は未定ですが徒歩の旅になります。なお急ぎの仕事なので明日には出発します。それと報酬は、経費を含めて1500G。これは前金が500G、ガーテの神殿に到着した時点で残りが支払われます。」
 一方の少女の方は、顔の赤みこそそのままだったが慣れた口調で手際よく依頼内容を伝えた。
 ライセラヴィの二位巫女といえばかなりの位だ。一般の冒険者への依頼に関わってくる神官の中では、依頼主としてのものを除けば最高位に近い。1500Gという一人を数日間護衛するだけにしてはいささか多すぎる報酬もそれを証明していた。
「なお、この荷物を狙って盗賊が現れる恐れもありますので。」
 金額は、それなりに正当性もあってのことらしい。
「…はい、結構です。ではここに署名をして手数料を。」
 少女がサインを書き、規定の料金を支払ったところで店主は立ち上がった。
「しかし急ぎの旅となると、すぐに動けそうなのは…。」
 書き取りを済ませた店主が店内の客を見回した。それにつられてなのか、少女も店内を見回す。
 そして、ナシィと目が合った。
「あ、あなたは…。」
「…どうも。」
 ナシィはこの偶然に戸惑いを隠せなかった。少女もまた少し驚いたような表情を見せたが、それ以上は何も言わなかった。
 だからごく短いやり取りだった。だが、店主の耳には十分に届いた。
「ん。なんだ、あんたら知り合いか?」
「いえ、まあついさっき…。」
 どう説明したものかと迷っているうちに少女が答える。
「街道で私が盗賊に襲われていた時に、助けてくださったんです。」
 その言葉を聞き、店主は明らかに感心したようだった。
「ほう、そんな事があったのか。…兄ちゃん、確か職歴は三年って言ったよな。」
「ええ、まあ…。でもそれが、」
 言いかけて、気づいた。
「…って、まさか?」
 一人慌てた顔をしたナシィをよそに、近寄ってくる店主の口元に笑みが浮かんだ。
「神官一人の護衛なら、剣士一人で十分だな。なにせ二位巫女様だし、剣士の腕もさっきの話じゃ悪くないようだ。」
「いえ、あれは偶然の事ですし、そもそも僕は…。」
 店主の考えが分かったナシィは慌てて否定しにかかったが、当の店主は書き上がったばかりの依頼書を片手にあらぬ方を見ていた。口元に笑みが浮かんだままのところを見ると、多分わざとだろう。
「幸い予定も今夜一泊だけらしいし、知り合いなら話も早い。うん、これ以上にない好条件だな。」
「待って下さいよ。僕は、」
「ん、この依頼に何か不満でもあるのか?」
 ナシィの訴えをあっさりと受け流して話を進める。同時に、さらに体を近づけながらその影では空いた片手でさっきまで机の上にあった数枚の依頼書を回収していた。
 そして平然と言葉を続ける。
「仕事は手頃、金額は申し分なし、実にオイシイ仕事だと俺は思うがね。」
「それはそうですけど…。」
 さらに店主は付け加えた。
「それに、こんなかわいい少女の依頼を断るのか。あーもったいない、いい年した若いもんが。」
 と言って少女を本人からは見えないように指差す。
「そ、それは別に関係ないでしょう!別に依頼人がこの後まで関わってくるわけでもないんですし。」
 なぜかはっきりと、ナシィはつい否定してしまった。
 そして、当の少女をそっと盗み見る。話題の中心になっている事も知らずに、少女は店主とナシィの方を少し不思議そうな目で眺めていた。
「分かってないな、あの子の胸元の装飾を見てみろよ。」
 店主が耳元でそう囁いた。
 言われて、目を凝らす。胸元には精緻な文様が彫り込まれたプレート状の装飾品があった。
「あれはライセラヴィの神官の証だ。それも…二位の巫女を示している。間違いない。」
 店主の一言にナシィは振り返った。その口元はまだ笑みを浮かべたままだが、目の真剣さがその言葉が真実であることを証明していた。
「さっき街道で助けたとか言ってたな。ここまでも旅してきたってんなら、恐らくあの少女自身が今回の護衛の対象でもあるんだろう。」
「…そうですね。」
 街道での一連の行動を思い起こせば、うなづけない話ではない。
 さらに店主は真面目な口調で続けた。
「まあ、結局仕事は請ける奴の意思次第だから強制はしないが、別に問題はないんじゃないのか?」
「…。」
 黙って話を聞くナシィに対して、店主は腕を組み直して言葉を続けた。
「なんでお前が神官との仕事を嫌がるか知らんが、今回の仕事はどうせ数日で終わる。それに護衛の仕事だ。ライセラヴィなら襲ってきた相手に対してまでむやみに殺すなとか、正直うるさい注文をつけてくることもないからな。ファルの神官を相手にするよりはよっぽど楽だろう。」
 店主の言葉はもっともではある。しかし…。
 ナシィはしばらく無言のまま考え込んでいたが、ついに決心して口を開いた。
「…分かりました。」
 せいぜい数日間の短い仕事。心配がないわけではないが、まあなんとかなるだろう。そう考えた。
「そうか!いや、そいつはよかった。」
 店主はまたあの笑みを浮かべながら、少女の方に改めて向き直った。
「お客さん、仕事を引き受けてくれる人員が無事に決まりましたよ。こちらの彼です。まだ若い剣士ですが、腕の方は確かでしょう。」
 そう言って店主はナシィを紹介した。少女が喜んでいるらしいのが、その向こうに見えた。
 席を立ち、ナシィは少女に向かって一礼をする。
「では、改めて自己紹介を。剣士として冒険者をしている、フォン・ナシィと言います。どうぞよろしく。」
 少女もまた礼を返した。
「ライセラヴィで神官を務める、セイン・リアと申します。こちらこそ、よろしくお願いします。」
 顔を上げた少女は、にっこりと微笑んだ。その顔は本当にごく普通の少女そのものだった。
 そして右手が差し出される。
 ナシィもまた右手を差し出した。

 しっかりとした、握手。
 これが、ちゃんとした形では始めての、二人の出会いだった。

   第一章 ACCIDENTS.〈後〉


 互いに名乗り合ったところで、ナシィは店主の方に再び向き直った。
「と、いうわけで正式にこの依頼を引き受けます。依頼書を頂けますか?」
「そうだったな。―ほらよ。」
 手数料と引き換えに依頼書を受け取った。これで斡旋所の仕事は完了となり、後は依頼主と仕事を引き受けた者の当事者同士の話となる。
「どうも。…では、詳細の打ち合わせに入りますか?」
「あ、はい。そうですね。」
 振り返って声をかける。
 セインがうなづいたのを確認すると、ナシィは机に置いたままだった自室の鍵を手に取った。
「どこで話をしますか?そちらの神殿でも構いませんし、一応ここでも一人部屋を取ってありますが。」
「…では、ここの部屋で。」
「分かりました、ついてきて下さい。」
 ナシィとセインが部屋のある二階に向かおうとした時、短い口笛が聞こえた。
 振り返る。つい先ほどまでの奇妙な静寂は消えて、室内にいる人々はそれぞれに時間を潰していた。仲間同士で話をしている者、一人で静かに過ごす者、そしてなぜかこちらを見てニヤニヤと笑みを浮かべている者。
「…マスター。」
「あーほっとけほっとけ。さっきのやり取りでこの子が仕事の依頼に来たことは分かってるさ。ただの冷やかしだ。」
 ナシィの冷たい口調を気にすることもなく、店主は片手を振って受け流した。
 言うべき二の句が出てこなかったので、あきらめて行くことにする。
「…じゃ、部屋に入りますから。」
「ああ、分かった。…うまくやれよ。」
「―ってちょっと!」
「さて、仕事にでも戻るかなー。」
 そう言い残して、店主はすぐにカウンターの奥へと去っていった。一瞬見えた表情はやっぱり笑っていたが。
 後に残されたのは、ため息をつくナシィとどことなく居心地の悪そうな表情をしたセイン。
「…すいません。とりあえず、部屋に行きましょう。」
「…はい。」
 そして二人はそのまま二階へと去っていった。

 二人が去った直後。食堂で、カウンターに座っていた人物がやおら立ち上がると店主の近くの席に座り直した。
「マスター、ちょっといい?」
「ん、どうかしたか。」
 声から察するに女性のようだった。だが室内だというのにマントをまとい、目深にフードを被っているためその容姿はほとんど分からない。唯一分かるのは、女性にしてはやや大柄な体格をしているというようなことだけだ。
「さっきの客相手に、えらく楽しそうだったじゃないの。」
 女性は少し身を乗り出し、店主のそばで囁いた。その唇には笑みが浮かんでいる。
「まあな。ああいうからかいがいのあるヤツを見ていると、ついつい色々とやってみたくなるんだよ。」
 店主もまた女性と同じ表情を見せた。…そう、まるでいたずらをする猫のような。
「話は大体聞こえたけど…今回の仕事、ほんとにあの組み合わせで大丈夫なのかしらね。」
「幼い二位巫女と、まだ若造な剣士との組み合わせか?問題はそんなにないと俺は思うが…。」
 なかなかに辛辣なことを言って、店主が少し考え込む素振りを見せる。
 女性は何も言わずに手にしたグラスを軽く回していたが、おもむろにそれをカウンターに置いた。
「―決めた。マスター、明日、あたしもここを発つわ。」
 店主がそのグラスを受け取り、言葉を返す。
「ほう、どういう風の吹き回しだか。…まあそろそろだとは思っていたがな。」
「ここにも結構いたしね。いい加減飽きてきたし、そろそろまた旅をしたくなったのよ。」
「失礼なことを言うやつだな。それがしばらく居ついてた宿の店主に向かって言う言葉か?」
 言葉のやり取り。しかしその口調には悪意のかけらもなく、ただ慣れた会話を楽しんでいる空気だけがそこにはあった。
「まあ気にしないでよ。宿代もきちんと払い、仕事もたくさんこなした。こんなにいい客なんて貴重じゃないの?」
 女性の言葉に、店主は笑ってみせた。
「確かにな。食堂で乱闘騒ぎは起こすわ、勝手に依頼書を見てこっちが知らぬ間に仕事を済ませるわ。こんな客はそりゃあ他にはまずいないさ。」
 その返事に女性も声を立てて笑う。
 だが、その表情がふと、何かを懐かしむようなものへと変わった。
「ま、それも今日でおしまいね。一ヶ月か…結構長かったわね。」
「そうだな。…やっぱり、あんたは『旅の民』だよ。その方が良く似合ってる。」
 店主のしみじみとした言葉に、女性はくすりと笑って見せた。
「ありがと。ほめ言葉として、受け取っておくわ。」
「そうしといてくれ。まあ…そのうち、気が向いたらもう一度ぐらいここにも来いよ。あんたが寿命で死ぬぐらいまでは、多分俺が店主を続けてるだろうからさ。」
「あら、女性に向かって年齢のことは口にしないほうがいいわよ。特に異種族(・・・)が相手の時はね。」
「ご忠告どうも。」
 店主はやんわりと答えた。女性も微笑を浮かべている。
 そして、やおら女性は立ち上がった。
「なんだ、もう行くのか?」
 驚いた顔をして店主が尋ねる。
「まさか。出発は明日って言ったでしょ?とりあえず荷造りとかの準備をするだけよ。」
 女性はそう言って、いつの間にやら取り出していたらしい宿の鍵を手の上で躍らせた。
 店主もカウンターに寄りかかっていた体を起こした。
「なら今夜はここにいるんだな。せっかくだ、いつものを飲んでいってくれよ。」
「へえ、優しいところもあるんじゃない。当然サービスでしょうね。」
 澄ました顔で言う女性に、店主は苦笑する。
「冗談言うなよ、そんなことされちゃ商売上がったりだ。…とはいえあんなのを飲む客は他にはまずいないからな。売れ残っても困るし、まあ多少はサービスしてやるよ。」
「ありがとね。じゃ、また後で。楽しみにしてるわ。」
 楽しげな笑顔でそう答えると、この女性もまた先ほどの二人と同様に二階へと姿を消した。

 一方その頃。ナシィは借りたばかりの自室に、セインとともに入っていた。
 それほど広くはない部屋だったが、幸いにも椅子は二つあった。机と椅子を運んで向かい合える形にする。
 そして、窓を大きく開いて風を通した。
「さて、と…。どうぞ座ってください。リアさん…でよろしいですか?」
 部屋の準備ができたところでナシィは声をかけた。
「いえ、セインで構いません。」
「分かりました。では、僕の方もナシィで構いませんから。」
 セインが帽子と杖を置いて椅子に座ったのを見てから、自分も向かいに腰掛ける。手袋だけは外した。
 窓からの風が、室内のややこもっていた空気を明るいものへと変えた。
「先ほどは、すいませんでした。あのような…。」
「いえ…。」
 かすかに眉をひそめたナシィと、うつむいてまた少し顔を赤らめたセイン。
 気まずい沈黙。
「とりあえず、仕事の内容を詳しくお聞きしたいのですが。」
 先に再び口を開いたのはナシィの方だった。セインもうなづいて、説明を始めた。
「基本的には依頼書に書かれた通りです。そして、今回護衛の対象となるのが…私です。」
 そう答えて自分を指し示した。
「では、あなたが二位巫女なんですね。まだ若いのに、すごいことです。」
 少し驚いた素振りを見せる。さっきまでの店主とのやり取りが本人に対しては秘密で進んでいたものである以上、これぐらいの反応は返しておくべきだと思ったからだ。
「い、いえ。」
 セインは照れた表情を見せた。事務的に仕事の話をしている時とは異なり、こうした仕草はひどく幼く見える。
 一瞬彼女の年齢が気になったが、ナシィもさすがにそれを口にはしなかった。
「それで、ガーテの街までの護衛ですね。街道を通るとして…。」
 言いながら、手持ちの地図を机の上に広げる。道を指でなぞりながらナシィは言葉を続けた。
「道は一本。ただ途中の村や町が少ないですから、野宿の必要があるかもしれません。大丈夫ですか?」
 そう言って顔を上げた。しかし正面のセインの表情には、不安げな様子は微塵も感じられなかった。
「ええ、大丈夫です。慣れていますから。」
 その言葉にナシィはちょっと驚いた。どうやら自分の前に立つ少女は、見た目で思うよりもずっと世慣れた神官らしい。
 だけど自分もそういう点(・・・・・)では変わらないことを思い出し、小さく苦笑する。
「…どうかしましたか?」
「あ、いえ。それならば心配はないですね。」
「別に、気にしないで下さい。もともと神殿では外務に就いてましたから、旅などには慣れているんです。」
 セインはそう答えて微笑んで見せた。
 ライセラヴィの神殿での仕事は外務と内務に大きく二分される。そのうち外務の仕事は、主に神殿の外部からの依頼を受けて魔物や魔獣の討伐、時には遺跡などの調査までも行うことだ。その仕事の内容から、ここには戦闘などにも対応できる力を持つものが多く集まる。
 セインもまた、この例にもれてはいなかった。赤みの強くかった髪と瞳。人の持つ魔力はそこに現れる。本人の持つ魔力の量が、その色の強さとなるのだ。魔力が高いほど、現れる色はより鮮やかなものとなる。人間とエルフとを比較する時などは体質の違いもあって一概には言えなくなるが、基本的には種族共通で現れる特徴だ。
 黒い色を元としながらも、はっきりと色が確認できるほどの赤さ。それはこの少女が人間として優れた魔力の持ち主であることを明確に示していた。
「神殿からの伝達事項がまだありますが、よろしいですか?」
「そうですね…ええ、まずそちらからの話を先に聞かせてください。細かい点はその後でいいでしょう。」
 ナシィは机の上に広がる地図を脇に寄せた。
「では、まず仕事内容の再確認です。…今回の仕事は、護衛よりも荷物の輸送が最優先になることを頭においてください。」
 そう言うセインの表情は硬い。話を聞くナシィの表情も、同様な変化を見せた。
「厳しい依頼ですね。…つまりは、それほどに危険な任務だと。」
「いえ。今回の場合は、むしろ運ぶ荷物の重要性からです。」
 返事はごくあっさりとしたものだった。
 ナシィは内心では納得のいかないものを感じていたが、それを口にはしなかった。仕事と命の重要性といった談議をここで始めても仕方がない。…考え方は人それぞれだ。
「分かりました。では、その荷物とはどのような物なのでしょうか。」
 問いかけに対してセインは一度口をつぐんだ。少し考えた後、答える。
「申し訳ありません。それは、神殿内での機密事項と関わるのでお答えできません。」
「…それならば構いません。ですが、輸送のためにその形状や外観などはお聞かせ願えませんか?」
 これにはすぐに返事が返ってきた。
「布で包み、さらにその上に鎖を巻いた小ぶりの荷物です。」
 言いながら両手でその大きさを示す。人の肩幅ぐらいの長さをした、細長いものだった。
「この封印は絶対に解かないで下さい。多少ぶつけたり、地面に落としたりといった程度なら問題がありませんが、封印だけは必ず守って下さい。多少の修復なら私でもできますが、しっかりとした封印を施すのは恐らく神殿でないとできませんので。」
「では、この荷を無事にガーデの街の神殿まで届けることが今回の仕事の目的だと。」
「そうです。」
 うなづいてから、セインがそっと目線を落とすのをナシィは見た。
「了解しました。」
 答えて、一度言葉を区切る。そして少し微笑みながらこう付け加えた。
「ただし、仕事としてはあくまで神官の護衛です。―それで構いませんね?」
 その言葉にセインは一瞬驚いた顔を見せて、それから静かに頭を下げた。
「…よろしくお願いします。」
 
 改めて、ナシィは話を本題に戻した。
「では、仕事の話に戻りましょうか。…この荷物を盗賊が狙ってくる危険があると言いましたが、それはどういう事情で?」
 セインもまた顔を上げた。再び、少し考え込む様子を見せてから質問に答える。
「一部お話できない事もあるのですが…この荷物は、つい数日前にある盗賊団が壊滅した時に神官によって神殿に持ち込まれたものです。そして盗賊団の残党がこれを取り返そうとして狙ってきています。」
「それが、あの時にあなたを狙っていた盗賊だと。」
 ナシィの言葉にセインはうなづいた。
「ええ。ですが、あれで全部ではありません。盗賊団は壊滅したとは言いましたが、実際のところ頭が死んだから分裂しただけであって、人員はそれほど減少してはいません。だからこの先でもまた現れてくる恐れがあります。今回、依頼に来たのもそれが理由です。」
「なるほど…では、盗賊に襲われたのはあれが最初だったんですか?」
「はい。当初は私が単独でこの荷を運ぶ予定でした。あの盗賊たちがこの荷を取り返そうと狙ってくるとは、神殿の方でも予想していなかったので。」
 そして小さくため息をつく。
「彼らの口ぶりを見ると、少なくとも団の中で位の低い者はこの荷がいかなる物か知らないようです。上から取り返してこいと命令を受けていたようなので…。ただ我々としては、なぜ彼らがそこまでこれにこだわるのかについては正直分かりません。」
 セインのその言葉にナシィが口を挟んだ。
「待ってください。では、この荷の危険性は盗賊が狙う理由とは無関係だと?」
「え、ええ。」
 一瞬戸惑いを見せたが、再び落ち着きを取り戻してセインは言葉を続けた。
「神殿の立場からすれば非常に危険なものですが、盗賊の立場からすればこれにそこまでこだわる理由はないと思われるんです。…ごめんなさい。これ以上は私の口からは言えません。」
「いえ、こちらも深く追求をしてしまってすみませんでした。」
 ナシィもまた自らの非をわびる姿勢を見せた。そして質問を続ける。
「この盗賊について分かることは他にありますか?」
「ええと…人員についてですが、壊滅時に確認された総勢が20名ほど。そしてこの時に死亡、もしくは身柄が拘束されたのが7名。先ほどの遭遇で同じく身柄を拘束したのが…6名でしたね。」
「そうです。ああ、彼らの身柄はすでに衛所の方に引き渡してありますので。」
「ありがとうございます。それで合計13人が団から確実にいなくなっているわけですが…残りの人数を考えれば、襲撃がまたあるのは間違いないでしょう。」
「確かに。」
 そう言って、ナシィは再び地図を広げた。
「襲撃がありそうなのは…基本的には村などから多少の距離がある地点ですね。まず、彼らが壊滅したというのはどこですか?」
「ここです。」
 セインが示したのは、現在彼らがいる場所の北にある小さな村だった。そこにナシィの指があてがわれる。
 指がたどる道は途中でもう一つの道と合流しながら、まっすぐに南へと向かう。
「つい先ほど、あの盗賊が現れたのがここでしたね。」
 中ほどの一点で止まり、さらに指は一本道を進んでいく。
「そして現在我々がいる町が、ここ。…この先が今回の目的地。」
 町を抜けると、しばらく進んだところで大きな分かれ道が一つある。その片方をたどっていった先にガーテの街があった。
 ナシィの指が街からさかのぼり、再び分かれ道を示す。
「彼らが確実にこの荷を取り返そうと思っているなら、この分かれ道の前で襲撃してくるでしょう。」
「そうですね。道沿いにこの森はつながっていますから、彼らも目立たずに移動が可能ですし。」
 前に会った時の様子から判断すれば、彼らの姿はかなり不審なものだろう。下手に街道を使えば偶然出会った冒険者たちに逆に狙われる危険性もある。人員が少なくなっていることを考えれば、余計な戦闘はなるべく避けたいはずだ。
「ならば、多少時間がかかっても、この間では野宿を避けましょう。幸い分かれ道のすぐ手前に村があります。明日一日歩けばたどり着ける距離でしょう。この間なら襲撃があったとしても、昼間なので十分対応ができます。」
 顔を上げて相手の様子を確認する。セインが少し考えてから言った。
「では、出発は明日の早朝の方がいいですね。」
「ええ。夜が明けて一時(いっとき)経ったところで、町の南門で合流して出発しましょう。」
 再び地図に目をやる。
「分かれ道の後は、野宿を避けるとなると一日余分にかかりますね。村や町同士の距離が中途半端でしかないですから。」
「なるべく余計な日数はかけたくありません。分かれ道の後では襲撃の危険性も薄いでしょうから、間で一度野宿をして二日間で抜けましょう。」
 セインからの答えは、今度はすぐに返ってきた。それは考えの確かさを示している。
「ではその準備もしておきます。」
 地図から指を離し、手際よく片付ける。そして、ナシィはふと思い出して言った。
「ああそうだ。その荷ですが、あの盗賊たちに襲われた時に持っていた物ですね?」
「ええ、そうです。…それが何か?」
 素直に答えてから、少しその言葉を不思議に思ったらしく逆に尋ねてきた。
「いえ、申し訳ないのですがダミーを一つ作っていただきたいのです。とりあえず似せるのは外見だけで構いませんから。」
「あ、そうですね。それはこちらで用意します。」
 ナシィの言葉に納得したらしく、ほっとする表情が浮かんだ。
「他に何か、そちらからの伝達事項などはまだありますか?」
「いえ。特にはもうありません。後は、これが前金となります。」
 セインは小さな麻袋を取り出して、ナシィに手渡した。
 多少の重みがある。その場で確認すると、銀貨が50枚用意されていた。同じ500Gでも金貨5枚よりはよほど便利だろう。
「確かに受け取りました。ではこれで、基本的な打ち合わせとしては終わりですね。」
「ええ。私は、この後は神殿に戻ります。封印の儀式を行っているので日沈までは外に出られません。何か用事がありましたら、その後に訪ねてきてください。」
「はい。僕の方も夜間はここにいますので。」
「分かりました。よろしくお願いします。」
 そう言うとセインは椅子から立ち上がり、軽く礼をした。帽子を被り杖も手にして出口に向かう。
 扉を開き外に出た所で振り返った。
「いろいろとありがとうございました。ではまた。」
 最後に会釈をして、扉を閉めた。
 見送って、後に残ったナシィは少しその場で考え込んでいた。
 仕事の内容自体は単純なものだが、やはり運ばれる荷のことが気にかかる。セインの言葉によれば、『神殿の立場からすれば非常に危険なものだが、盗賊の立場からすればこれにそこまでこだわる理由はない』ようなものだ。…ライセラヴィの主要な仕事。秩序と正義の維持。それは主に、犯罪者と魔物退治によって行われていた。
 そしてふと思い出した。セインがこの宿に入ってくる直前の噂話。北の村に現れた、魔物がかかわった盗賊団の話だ。その内容とセインがここで話した依頼内容には類似性がある。
 恐らくは、この盗賊団こそが壊滅した盗賊団なのだろう。魔物がらみならば、ライセラヴィが特に意識をして仕事に当たるのも当然だ。しかし彼女の口からはこの事件についてさして情報は得られないだろう。神殿の機密事項にかかわっているのだから仕方があるまい。
 ならば他の場所から話を集めるしかない。夜になれば、この宿に泊まる客たちの多くは下の食堂に集まる。そこで話を聞けばもう少し詳しい情報が手に入るかもしれない。
 考えがまとまったところでナシィは身支度を簡単に整えた。数日ぶりの仕事、それも単独行動ではない。この前金でいろいろと用意しなくてはならないものがあった。
 部屋を出ようとして開け放したままの窓の存在に気づく。光がやや角度をもって室内に差し込んでいた。
 閉ざそうとして窓枠に手をかける。
 ふと見た空の向こうには、輝きを見せる太陽があった。その光はあますところなく全てを照らしている。
 まぶしさに、自然と目を細める。
 それでもナシィはじっとその太陽を見つめていた。


 買い物や支度などを済ませ、宿に戻ってこれたのは夕方になってからだった。
 道具などを買い揃えながら、明日馬車で南の方に向かうかどうかも一緒に尋ねる。方向が同じならいくばくかのお金を払って同乗も考えていた。だがあいにく、そういう話は一つもなかった。
 旅の支度がある程度できたところで一階に再び下りる。そろそろ暗くなり始めた店内で、店主ともう一人女性がそれぞれ灯りをつけていた。差し込む夕日とともに、いくつものランプの光が広い室内を穏やかに照らしている。
 客の数も増えていた。昼間はそれぞれの理由で出かけていたであろう者や、逆に夕方間際になって入ってきたばかりらしい者の姿もある。
 昼間と同じカウンター席に座ると、戻ってきた店主が気づいた。
「あんたか。これから夕飯か?今、裏で他の客の分を支度中だ。一緒に頼んでくれるとありがたいんだが。」
「じゃあお願いします。」
 火種を片付けている女性に店主が声をかける。すぐに女性はカウンターの奥へ姿を消した。
「仕事の方は準備できたのか?」
「ええ。打ち合わせは済みました。明日の早朝の出発となりそうです。」
「なら明日は早めに起きるってことだな。朝食は、カウンターに誰かいるだろうから適当に声をかけてくれ。」
 そう言ってから、店主はナシィの方へと少し身を乗り出してきた。
「で。やっぱり、護衛対象はあの子だっただろう?」
「…そうですけど、それがどうかしましたか?」
 無表情で言葉を返す。
「いや、別に。」
 店主も平然と答えてみせた。そして体を戻す。
「それよりも、一つ聞きたいことができたんです。」
「どうした?」
「昼間、うやむやになってしまったあの噂ですよ。」
 それを聞くと店主は一瞬宙に目を泳がせたが、すぐに思い出した。
「ああ、あの北の村に現れたって言う盗賊団か。あの神官から話を聞けたんじゃないのか?」
「いえ。どうやら神殿内の機密に関わっているらしくて詳しいことは聞けずじまいでした。」
 ナシィの言葉に店主は首をかしげる。
「そうか?そんな大きな事件だったっていう話は聞いてないけどな…。」
「内容は分かりませんが、何でも、魔物がらみの事件だったんでしょう?ライセラヴィの立場では何か重大な事が起こったのかもしれません。」
「そうだな…ちょっと待っててくれ。人数も増えたことだし、誰かに聞いてみれば早いだろう。」
 店主はカウンターから出ると、あちこちに座る客たちに声をかけた。
 しばらくそれを繰り返したところで、あるグループの前で立ち止まり少し長めに会話をする。そしてまっすぐ戻ってきた。
「いたぞ。あそこの席にいる一団だ。何でも、事件のすぐ後にあの村を訪れたらしい。直接関わったのではないにしろ、ある程度の事は知っているはずだ。」
 指差した先には三人の冒険者らしい一団があった。既に食事を済ませたらしく、空になった皿が何枚か積み重ねられている。
「分かりました。ありがとうございます。」
 礼を言って、銀貨を二枚机に置いた。
「これで、適当な飲み物をあの人たちに。夕食はもう少し遅らせてください。」
「分かった。飲み物の方はすぐに運ぼう。」
 そしてナシィはカウンターから立ち上がると、店主の示した席に移動した。
「すみません。ちょっといいですか?」
 声をかけると、三人とも振り返った。
「ああ。あんたか?さっき店主が言ってたんだが、北の村での事件について知りたい奴って。」
 中の一人が返事をする。少し顔が赤い。
「はい。少し必要があって。」
 そう答えると別の男が空いている椅子を出した。
「座れよ。まあすぐに済む話だが、立っているのもなんだろ。」
「では、すみません。」
 軽く礼をして席に着く。そこに三人目の女性が声をかけてきた。
「話をするのは別に構わないけど、私たちも詳しい事は知らないわよ。単に偶然あの村に寄って、それで村人の話を耳にしただけだから。彼らだって一部始終を目撃したわけじゃないしね。」
「それでも構いません。少しでも知ることができればいいですから。」
 そう答えたところで、店主がグラスを三つ手にして現れた。無言で机に置いて去っていく。
「どうぞ。」
 ナシィが勧めると、三人ともすぐに受け取った。
「わりいな、頂くぜ。」
 最初の男が、口をつけて一気に飲み干した。
「―それで、何から話せばいい?」
「事件のあらましを。それから、特に盗賊団が壊滅した時に何があったのかを詳しく教えて下さい。魔物が関わったという事程度は耳にしているのですが、それ以外の事はほとんど何も分からないので。」
「そうか。…説明はお前の方が上手だろ。頼むぜ。」
 空いたグラスでもう一人の男に促す。された男はいささかうんざりした表情でそれに答えた。
「またか。まあいいけどな…事件の起こる前のいきさつは俺たちも知らない。どうやら、盗賊団に目をつけられて度々襲撃を受けていたようだがな。それで依頼されて、冒険者の一団が派遣されたそうだ。」
「すみません。そこに、ライセラヴィの神官が加わってはいませんでしたか?」
 気づいたナシィが口を挟んだ。
「さあな。ただ、盗賊の一団が相手だったし、派遣された中に治療役の神官がついていた可能性は高いぜ。」
「怪我を治してもらったっていう人もいたわよ。」
 女性が付け加える。
「まあ、そういったわけだ。それでしばらくして、盗賊団の襲撃があった。冒険者たちが当然戦ったが…そこに、魔物が乱入してきたってわけだ。」
「乱入?」
 ナシィが聞き返す。男は手にしていたグラスを置くと腕を組んだ。
「乱入…としか言いようがないな。とにかく、突然魔物が現れたんだ。それも戦闘の真っ最中に。」
「一体どこから?」
「それが皆目わからねえ。まあ、村人だから遠くから眺めていたしな。確かなことは言えないが、とにかく、本当に突然現れたらしいんだ。」
「見た人の話から考えると、ゴブリンあたりだとは思うんだけどね。」
 女性も釈然としない表情を見せている。
「ただ、どうして出てきたのかが分からないのよ。少なくともその辺りに居ついていたとしたら、一匹で戦闘の最中に現れてくるはずもないじゃない。突然『門』が開いて放り出されたってのならまだ可能性はありそうだけど。」
「ゴブリンが一匹、ですか。」
「そうだ。まあ所詮ゴブリン、冒険者たちについでに倒されちまったようだがな。」
 ゴブリンとは魔物だ。人間よりやや小柄で、力こそないが人並みの知性を有しており群れで行動する。だから一匹で、それも戦闘の真っ只中という危険な状況で現れるとは普通考えられないのだ。
 ナシィはしばらく考え込んでから言った。
「そういえば、調査のために神官が派遣されたとかいう話を聞きましたが、それについては知りませんか?」
 三人が互いに目を合わせ、首をかしげる。
「いや、知らねえな。」
「私たちが村に入ったのはちょうど襲撃の翌日だったし、その次の朝にはすぐに村を出たから。道ですれ違ったがどうかまではさすがに覚えてないけれどね。」
 女性がそう言い、もう一人の男の方を見た。
「とりあえず覚えてるのはこんなところだが、まだ何かあるか?」
「…いえ、結構です。ありがとうございました。」
 ナシィが礼を言うと、それまで説明には加わっていなかった男が軽く手を振った。
「なあに、困った時はお互い様さ。また何かあったら言ってくれ。場合によっちゃ、協力するからよ。」
「って、お前は何もしてないだろ。」
「まったく、都合のいい時だけ口を挟んでくるんだから。」
 途端に、他の二人に鋭くつっこまれる。さすがに男も少しばつの悪そうな顔をした。
「では、失礼します。」
 話がこじれ出す前に、ナシィは早々にその場を離れた。
 カウンター席に戻る。すると店主はすぐに食事を持ってきてくれた。
「ほらよ。」
「あ。ありがとうございます。」
 湯気の立つ料理を受け取る。どうやらわざわざ時間を合わせておいてくれたようだ。
「で、どうだった?」
「おかげさまで助かりました。」
 料理に口をつける前に答える。
「まだ不明な部分も多いですが…ある程度の予想は立ててみました。あくまで勘に近いものですけれど。」
「ほう。じゃあ、その予想とやらを聞かせてくれよ。」
 店主は感心したような顔をして、話を促した。
「話によると、魔物が突然その現場に出現したようです。それから、ライセラヴィが守ろうとしていることも考えると…恐らくは魔物を召喚する魔道具(マジックアイテム)の類かと思われます。それから盗賊がわざわざ追うところを見ると、魔力が低い者でも使えるようになっている、あるいは召喚後に支配が行えるなどの特殊な効果が付加されているのかもしれません。」
 なるべく簡潔にナシィは自分の考えを述べた。店主はそれを聞き、深くうなづいた。
「なるほどな。筋は通ってる…が、間違いないとはさすがに言えないな。」
「それは仕方ありませんよ。僕だって、あくまで可能性として考えているだけですし。」
 ナシィが軽く苦笑した。
「そうだな。―じゃあ、俺は仕事に戻るよ。」
 そう言って店主はナシィの前を離れた。
「そいつは冷める前に食べてくれよ。せっかくの自慢の料理なんだ。」
「分かりました。…どうもありがとうございました。」
 ナシィの礼の言葉に、店主は肩越しに手を振って答えた。
 ようやく食事に手をつける。
しかし、さすがに店主が自慢するだけのことはある料理を味わいながらも、ナシィの意識は別のところにあった。
 可能性は一つではない。魔物の突然の出現は、人為的な召喚や『門』だけで起こるのではない。…少なくとももう一つの例を知っている。
 ナシィの漆黒の瞳には、これまでにはあまり見せたことのないような厳しさがあった。

 結局この夜は、それ以上は何事もなく過ぎていった。


 翌朝。
 夜明けとともに身支度を済ませたナシィは、昨夜のうちに用意してあったらしい朝食を食べると予定の場所に向かった。
 時間にして夜明け後ほぼ一時。まだ町は目覚めたばかりで、道行く人の姿もほとんどない。空の端にはうっすらと深みのある青が残っていた。
 そして、到着した門の前には人影があった。
 近づくにつれてその姿が明確となる。―セインだ。自分より先に来ていたらしい。服装は昨日最初に見た旅装に戻っていた。
 そして彼女もまた、近づいてくるナシィの存在に気づいた。二、三歩歩み寄る。
「待たせて、すみませんでした。」
「いえ。私の方が早く来過ぎただけですので、気にしないで下さい。」
 屈託のない微笑で答える。どうやら本心からの言葉のようだ。
 そして手にしていた物をナシィへと差し出した。
「これをどうぞ。」
 一目でそれが何か分かった。
「頼んでおいたダミーですね。ありがとうございます。」
 受け取って気づく。思っていたよりも軽い。
「本物は私が自分の荷の中に持っています。そちらについては、ナシィさんにお任せしますので。」
「分かりました。ちょっと待っててください。」
 そう言うとナシィは自分の荷の中からもう一つ小ぶりの鞄を取り出した。前日に仕入れておいた物だ。預かった荷を、わずかにはみ出すようにしてそれに入れる。もともとわざと小さめの鞄を用意しておいたためにそれは簡単にできた。
「これでこっちの準備も完了です。では、行きますか。」
「はい。」
 ナシィの言葉にセインがうなづく。
 そして二人は町を後にした。

 早朝の街道はまだ涼しい空気に満ちていた。
 日差しも柔らかく、かすかな鳥の声が聞こえるほどに辺りは静かだった。
「…そういえば、ナシィさんは冒険者をしていらっしゃるんですよね?」
 長い道、互いに無関心なままでは仕事など実に味気ないものとなるだろう。何気ない口調で話しかけてきたのはセインの方からだった。
「ええ、そうです。まだ冒険者になってから日は浅いですが。」
「失礼ですが、お年は?」
「21ですよ。時々、もう少し年上に見られたりすることもありますけど。」
 長い黒髪に整った顔立ちは若々しい。とりあえず外見上の年齢は言葉の通りだった。
「そうなんですか。私は、逆に実際よりも年下によく見られてしまうんです。」
 セインはそう言って少し照れたような笑顔を見せた。
「…女性にこんなことを聞くのは申し訳ないのですが、お年は。」
「18です。だからもう成人なんですが、よく未成年と間違えられてしまって。」
 遠慮しつつ尋ねたナシィに対し、セインの答えは素直だった。
 人間が公的に成人と認められるのは16歳からだ。だから18歳といえばもう立派な大人である。
 そしてセインは、言葉の通りにどこか幼く見えた。例えば体つきや何気ない仕草が、まだ成人前の少女のようにも見える。
「それで、ひどい時には私の神官位まで疑われることもあるんですよ。」
 照れと苦笑交じりの言葉だった。
「それはひどいですね。もともと、ライセラヴィの神官ならばむやみに嘘をつかないことぐらいは常識だというのに。」
「ええ。私たちも光に従う者として誇りを持っていますから。…それでも、必要な嘘はつくこともありますけれどね。」
 ライセラヴィでは秩序と正義を重んずるためにその妨げとなる嘘は敵視されるが、だからといって全ての真実を白日の下にさらそうとするわけではない。ただいたずらに混乱を生むだけの不要な嘘を拒否しているだけだ。
「でも、ナシィさんはあまり年齢を間違えられそうな方には見えませんね。」
「見た目よりも別のことでですね。祖父母によく面倒を見てもらったせいか、妙に古い知識が入ってしまっていて…それでも、だからといって30より上に見られたことはさすがにまだありませんけれど。」
 こちらもまた苦笑をする。
 理由こそ違っているが、どうやらお互いに似たような悩みを抱えていたらしい。
「そういえば、私が入ってくる時にあの宿の中はひどくにぎやかでしたけれど…あれは何があったんですか?」
 ふと思い出したらしくセインが尋ねてきた。
 問われたナシィは、返答に少し困った。しばらく考えてから答える。
「ちょっとした事情があって、あることを調べているんですよ。その手がかりがないかと思って宿のマスターに何か変わった噂はないかと尋ねたんです。」
「…はあ。」
 セインは今ひとつ釈然としない様子で首をかしげた。
「そうしたらマスターが、店にいたお客さん全員に聞こうとして大声で呼びかけてしまって。それでみんな口々に喋り出して…収拾がつかなくなって、あんな大騒ぎになってたんです。」
「…そういうものなんですか?」
「まあ…そうです。」
 まだ完全に納得をしたといった感じではない。とはいえ、ナシィにもこれ以上の説明はできなかった。そもそもあれが、理由があってというよりもむしろその場の空気によって起こった事だというのを考えれば仕方のないことだろう。
 しばらくセインは不思議そうな顔をしていたが、歩いているうちに何となくは納得したらしい。いつの間にか小さな迷いは表情から消えていた。そして、その先に話を進めてきた。
「よろしければ、その調べていることについて教えていただけませんか?何か私の方でも協力できることがあるかもしれませんから。」
 その言葉に、ナシィはさらに困った。
 自分の追っているもの(・・)の話をすれば、きっとセインはそれに反応するだろう。唯一の手がかりは、ライセラヴィの神官ならば立場上間違いなく追求をするであろうものだからだ。情報を集めるという面ではライセラヴィに頼るのが一番手っ取り早い。
 しかしそれを実行するわけにはいかない理由もまた、存在していた。それを考えた場合、ライセラヴィと深く関わりを持つのはあまりにもリスクが大きすぎる。
「…すみません、あの、そちらの個人的な事情に立ち入ろうとしてしまって…。」
 セインの言葉で意識が現実に引き戻された。どうやら、無意識のうちに深く考え込んでいたらしい。
「いえ、別に気にしないで下さい。」
 申し訳なさそうにしているセインに、ナシィは言葉を返した。
「…何から話していいのか、正直困っていたんです。というのも手がかりが実質的には何もありませんので…。」
 その言葉は滑らかに流れ出た。
 意識のどこかが、現実から遊離する。いつの間にか、真実を隠すための嘘をつくのが上手くなっていた。…いや、慣れてきているだけだ。
 そして自嘲的な笑いが小さく起こる。もう、どれくらいこうした言葉を繰り返してきたのだろう。
 それでも言葉だけは続いていた。
「…ある男を追っているんです。だけど分かっているのは、その姿と名前と…いずれ起きるであろう事、それだけです。」
 だがナシィ自身も気づかないうちに、その口調は氷の刃を思わせるものへと変わっていた。日頃の穏やかな表情はそこにはない。
 もう、その目はセインを見てさえいなかった。
「その、名前は…?」
 不安げに、聞きようによってはかすかにおびえたようにすら聞こえる声でセインは尋ねた。だがナシィの表情は変わらなかった。
 瞳は虚空の先を見つめる。
 胸の内に強い思いが渦巻く。使命感、いや、そんな明確なものではない。より感情的なもの…いくつもの思いが不明瞭なままに交錯し、一つの方向へと向かう。
 ―その先にはあの姿があった。

「ナトリード・ブリッド。」
 記憶の彼方、最期(・・)の光景が目の前に現れた気がした。


 しばらくの間、互いに何も言わずに歩いていた。
 朝の道は他に歩む人もない。空気だけがその色を変え始めていた。
「…まあ、これはあくまで僕の個人的な旅の理由です。」
 口調をそれまでのものに戻して、ナシィが言った。表情には先ほどの厳しさはなく、ただ、やはりどこか遠くを見るような眼差しをしていた。
「それは…。」
 セインが何かを言いかけて、言葉を失った。何を言えばいいのか?自問の答えは見つからないままだ。
 だから、せめて感情を表に出さないようにじっとこらえた。口をつぐみ、ややうつむき加減で歩き続ける。
 見えるのは凹凸の残る地面だ。何度も踏まれて形を刻み、雨でぬかるみ、また新たにその形を変えていく大地。
「―来ましたね。気をつけて。」
 ナシィの突然の呼びかけで、再び顔を上げた。
 立ち止まる。森の木陰から、二人の男が姿を見せた。一目で盗賊と見て取れる。
「ばれてたんなら仕方ねえか。一応、その荷物をおとなしく渡せば命は助けてやってもいいぜ。」
 言葉とは裏腹に、既にその手には得物が握られていた。
 ナシィもまた自らの腰に差した片手剣に右手をかけて答える。
「渡したとしても身の安全の保障はないでしょう。それに、渡すつもりも全くありませんから。」
 放たれた剣先が光を反射して白く輝いた。だが、きらめきは一瞬にして消える。漆黒の刃を持つ剣はその腹に深い傷を持っていた。
「…伏兵がまだいるはずです。後方にも気をつけて。」
 相手に聞こえぬよう小声でナシィが伝えた。セインもまた、杖をかざして身構える。
「まあ、そう思うんなら好きにしな。どっちにせよ奪い取るだけさ。」
「語るに落ちましたね。…手加減はできませんよ。」
 正直なところ、不安がないわけではなかった。もともとは一人旅を続けてきた上に、仕事もなるべく個人で行えるものを選んできたからだ。守るべき対象をもった戦いはあまり多くはこなしてこなかった。救いは、この対象自身もまた戦える力量をもっているであろうことだ。
「大口を叩きやがって。…くたばりなっ!」
 言葉とともに二人の男は駆け出した。
「セインさん、気をつけて!」
「はいっ!」
 後方の援護は任せて、正面だけに意識を集中する。相手の武器は両手剣と曲刀だ。
 目の前の二人の男はほぼ同時に自分へと斬りかかってきた。
「死ねっ!」
 右から来る両手剣の大振りな一撃をかわして懐に入り、脇から斬り上げる。
 刃は鎧の隙間である関節部をとらえた。確かな手ごたえとともに宙に血しぶきが上がる。
 同時に曲刀が左後方から襲う。体をひねったが、肩口に鋭い痛みが走った。
 ―一瞬の攻防。
 ナシィは地面に手を突き素早く身を起こした。曲刀を持った男は一歩後ずさり、再び身構える。左脇から血を流した男は、重い両手剣を投げ捨ててダガーを抜いた。
「光よ厚き壁となれ(イ・アセ・リト・ト・コヴェル・ムク)!」
 セインが呪文を唱えた。その瞬間、ナシィは背後で魔力が解き放たれるのを感じた。
 それがあたかも合図となったかのように、再び二人の男はナシィに斬りかかった。
 左右から曲刀とダガーが同時に走る。半歩引いて横振りの曲刀をかわし、さらに胸を狙って下から振り上げられたダガーを背を反らしてよける。
 目の前を刃が通り過ぎた。次の瞬間、体を戻しつつ伸ばされたその腕に斬りつける。
 ダガーが宙に飛んだ。
 返す刃で曲刀を持った男の喉元を狙う。だがこれはかわされた。
 一歩後ずさって距離を置く。両腕を斬られた男は膝をついた。しかし、もう一人の男はいまだ無傷だ。
 横目で素早く後方をうかがった。光の壁が大きく広がり、そこに数本の矢が突き刺さっていた。魔法による障壁は有効に働いているようだ。
 正面に視線を戻した。この隙に相手は動いていた。刃の距離が近い。
 とっさに身をひねってかわす。反撃の余裕はなかった。
 その時、背後の方で小さな音がした。矢の飛んできたであろう方向とは異なる。
「―右です!」
 ナシィの言葉はわずかに遅かった。言葉と同時に、木をかき分けて新たに一人の盗賊が急襲をかけてきた。
 突然のことにセインも即座の対処ができなかった。一瞬息を呑み、呪文を唱えるのが遅れる。
「光よ(イ・アセ)…」

 呪文は完成しなかった。
 目の前の男が、出し抜けに前のめりに倒れたからだ。
 血しぶきを上げて男が倒れこむ。その向こうに別の姿があった。
「伏兵は、何もそっちの専売特許じゃないのよ。」
 女性の声だった。そして、その口元が笑ったのをセインは見た。

 一方、ナシィは自分の対峙する相手と斬り結んでいた。曲刀と片手剣の刃がぶつかり、鋭い音が響く。
 後ろの状況は分からない。ただ、魔法が発動するでもなく静かな様子が不安を誘う。光の壁から放たれる魔力すらいつしか失せていた。
 時間をかけてはならない。ナシィは多少の怪我は覚悟の上で距離を詰めた。剣を両手で握り、体重を乗せて一気に突く。
「―っ!」
 首筋に鋭い痛みが走る。だが、同時に男の口からは血が溢れた。
「がっ…!」
 剣を抜く。血の糸を引いて、男の腹部を貫いていた刃は離れた。そしてそのまま男が倒れる。
 ナシィは左手で首筋をそっと押さえると、振り返った。
 そこには無言で立つセインの後ろ姿と、もう一つ別の姿があった。
 やや古びたマントとフードをまとっているためにその顔は見えなかった。手に握られているのは剣とは異なる特異な形状の武器だ。その先はわずかに血に濡れ、そして盗賊が一人倒れていた。
「…あなたは。」
 ナシィはその姿に見覚えがあった。確か、宿に入った時にカウンターの片隅に座っていた相手だ。だが、なぜここに?
「案の定、苦戦してたみたいね。駄目よそんなんじゃ。」
 それなりにある体格とは裏腹に、聞こえてきたのは女性の声だった。鈍く輝く手甲に覆われたその手がフードにかかる。
 現れたその顔に、二人はさらに驚きを見せた。
 無造作に短く切られた濃い紫の髪に、十分に美しさを備えた顔立ち。バンダナによって上げられた前髪の下、やや吊り気味の目には縦長の楕円形をした瞳が輝く。だが二人の目を引いたのはそんなことではなかった。
 頭の上にある、一対の猫の耳。―彼女はまぎれもなく、ハーフキャットだった。
 造物主の気まぐれとも、海の向こう、はるか彼方からの移民とも伝えられる小数種族ハーフキャット。いかなる力によるものか、この種族はまさに人間と猫を足して二で割ったような独特の姿をしていた。その耳は猫のものと酷似した形状となって頭部に移り、また猫の尾も兼ね備える。さらには人間よりも高い魔力としなやかで身軽な体を持つが、引き換えとして個々の寿命は人間よりもなお短いものとなった。
 二人が驚くのを見て、女性がくすりと笑う。
「その様子だと、ハーフキャットを見るのは初めてみたいね。人間(・・)のお二人さん。」
 少なくともナシィはその通りだった。何も答えないが、恐らくはセインもまた同様だろう。
 ハーフキャットは大陸の南西部を中心にして独自の集落を作っている。血がそうさせるのかその多くが旅を好み、若者の一部は集落を離れもするが、もともと数が少ないために多くの人は出会うこともない。さらにナシィは東部(イースト)育ちだった。西部(ウェスト)に移ったのは成人して家を離れてからだ。その上旅を始めたのはつい三年前。知識としては知っていても、直接会うのは初めてだった。
「…ま、いいわ。」
 慣れたことなのか女性はさして気にする様子もなく、手にしていた武器を片付けた。
 そして改めて言った。
「あなたたち、あたしを雇う気はない?」
 突然の話に、面食らう。女性はそれに構わず言葉を続けた。
「昨日の宿屋での話は聞こえてたわ。ガーテの街まで、護衛の仕事なんでしょ。今の様子だと二人だけじゃ厳しいんじゃないの?」
 軽い口調だった。だけど言っている内容は真実だ。
 正直なところナシィにとってその申し出はありがたかった。やはり多数を相手にした時にこの剣一つで戦うのは厳しい。この女性の力量は分からないが、装備の古び方やこちらが気づく間もなく盗賊を仕留めたところを見ればそれなりの腕をしているようだ。
 だが、素直にうなづくわけにはいかなかった。
「…まず一つ質問があります。」
「何?」
 ナシィの口調はまだ少し強張ったものだったが、女性は意に介した様子もなく先へ促した。
「なぜ、僕たちを助ける気になったのです?」
 相手がここに現れた意図や目的が見えない以上、その申し出を無条件で歓迎するわけにはいかなかった。
 女性は少し考えた後こう答えた。
「そうねえ…カンが働いたのよ。」
「…勘、ですか?」
 予想もしなかった答えに思わず聞き返す。女性は少し困ったような顔をし、頬を軽く掻いた。
「ほんとに、それだけなのよ。まああの宿には一ヶ月近くいたから、そろそろまた旅を始めようかとは思っていたけれどね。そんな時にあなたたちの話が聞こえてきたわけ。」
 そこまで話して女性は一度言葉を切った。ナシィをじっと見つめ、そしてその唇が愉快そうに笑った。
「…予感がしたのよ。面白そうなってね。」
 それきり、口を閉ざした。
 しばし迷った挙句ナシィは言った。
「少し待ってください。依頼主はあくまで彼女です。」
 ナシィはいまだ何も言わぬセインを見た。
 自分の存在を呼ばれたのに気づいて、セインが初めて振り返る。その表情には明らかな戸惑いの色が浮かんでいた。
「じゃ、二人で相談しててよ。その間にあたしはこいつらを片付けておくわ。」
 女性はそう言うと、返事を待たずにさっさと歩き出した。倒れていた男を担ぎ上げ、道を外れて森の中に入っていく。
 ナシィはその姿を見送って、改めてセインの方を向いた。
「…どうしますか?」
 一言尋ねる。
 返事はすぐには返ってこなかった。悩むその姿を見て、言葉を加える。
「彼女の話を全て信じるなら、話を受け入れるべきでしょう。…今回襲ってきた相手の数はまだ少ないです。恐らく、また襲撃があるはずです。」
 正面から現れた男が二人。矢を放ってきたのは恐らく二、三人。そして背後から現れたのがもう一人。合計は五人前後だが、今のやり取りの合間に矢を放っていた者は退却をしただろう。
「不意の襲撃があった場合、手が回らない可能性もあります。…今のように。」
 ナシィは唇を噛んだ。
 もしあの状況で女性の手助けがなかったとしたら、セインが思わぬ深手を負っていたかもしれなかった。…自分の責任だ。
 セイン自身もそれは気づいているようだった。
「…ええ。」
 杖を握る手にかすかにだが力が加わっている。
 しばしの逡巡の後、ようやく答えを返した。
「確信は持てませんが、私はあの方の言葉を信じたいと思います。少なくとも、先ほど助けていただいたのは事実ですから。」
 決意にも似た響きを持った、はっきりとした言葉だった。
 それを聞いてナシィはうなづきを返した。
「分かりました。彼女が戻ってきたら、そう答えましょう。」
 そう言ってから少し考え込む。
 念のために、ナシィが手にしている荷物がダミーである事だけは伏せておくことにした。セインは最初は反対したが、結局ナシィの説得に従った。万が一の可能性は捨てきれない。どこで情報を手に入れたかは知らないが、彼女もまたこの荷を狙って自分たちを欺こうとしているという危険はあった。
 ほどなくして女性は戻ってきた。汚れを払うかのように、手甲をつけたままの手のひらを数回叩き合わせる。
「どう、結論は出た?」
 口調はまったく変わらないものだった。
 ナシィの方は少し意識して、それまでの話を気取られないよう普通の口調で答えた。
「決めました。ガーテの街まで、あなたを雇います。」
 その言葉を聞き女性は笑顔を見せた。
「そう。それじゃよろしくね、お二人さん。あたしはミーア・ウィンドラス。」
 そう言って、優雅に一礼をしてみせた。

 ミーアはまず、二人に自己紹介をした。
 ミーア・ウィンドラス。呼び名はミーア。ハーフキャットの22歳でなんと10年も冒険者稼業をしているベテランだった。(ハーフキャットは人間の約1・3倍の速さで年をとる。だから12歳にして成人を迎える。)身分(クラス)は本当は宝物探索者(トレジャーハンター)なのだが、正直それだけでは食べていけないので冒険者もしているらしい。仕事(ジョブ)は一応手刀使い(セバー)。一応というのは、一般の手刀使いとは異なってダガーやナイフではなく、カタールの変形したような物を武器としているからだ。
「正式名称はあたしも知らないのよ。父さんに仕込まれたんだけど、名前は教えてくれなかったし…多分父さんも知らなかったんでしょ。」
 形状は鋭い二等辺三角形に近い。底辺の部位の内側に握りが作られており、残りの二辺が刃と化している。比較的小振りで、射程の大きさとしてはダガーとほぼ同じだろう。それが二つで一対の組になっている。
 そしてさらには自分の旅の目的についても話した。
「あたしが追ってるのは…『天使』の伝説。ま、これも父さんのを受け継いだんだけどね。」
「天使様のことですか?」
「そ。まああたしは、それがこの世界を作ったなんて大それたものとは思わないけど…おっとと。」
「…。」
 口を挟んだのはセインだった。
 『天使』と呼ばれるものについては、一般的に次のような伝説が存在している。今よりおよそ1300年前、降魔戦争と呼ばれる人と魔物の激しい争いがあった。その理由や様子についてはほとんど伝わっていないが、人が滅びの危機を迎えた時に大いなる存在が現れて人を守ったという。この存在が、現在『天使』と呼ばれるものだ。
 そしてこれは、ライセラヴィが世界を創りし『光』の化身として崇める存在でもあった。
「ごめんごめん。ただ、あたし自身は神様とかがいるとは思ってないから。」
「…いえ。人の信仰は、自由ですから。」
 セインの返事は静かなものだった。それでもミーアは少し対応に困ったらしく、意味もなく背を伸ばしたりした。
 結局、話題を変えた。
「それと、もう一つ最近気になることがあってね。」
 これは旅の目的というほどのことでもないが、と断った上で話し始めた。何でも、ここ数年少しずつ盗賊の動きが変化してきているらしい。それは依頼で壊滅させた盗賊団の隠れ家に予想外に財宝が少なかったり、あるいは盗賊団同士が手を組むといった異常な事態までも起こったりというようなことが度々あるというのだ。
「偶然にしてはちょっと多いのよ。ひょっとしたら、裏で何か大事が動いてるのかもしれない。だからついでにそれも調べてるわけ。どうせ伝説の方は、そう簡単に手がかりとかも得られないしね。」
 そこまで話してから、おもむろに人差し指を立てた。
「というわけで、何でもいいから知っていたら教えてね。」
 残念ながら、二人ともそれには答えられなかった。
 今度はナシィたちが自己紹介をする番だった。同じような話をする。
「ナシィにセインか。何だ、二人とも年下だったのね。」
 ミーアは正直に驚いた顔を見せた。
 ハーフキャットはその短命のため、他の種族と会った時に実年齢では下になることが多い。ところが今回は、珍しく実年齢でも自分が一番上だったわけだ。
「それはこっちも同じですよ。それにしても、僕が何歳ぐらいに見えたんですか?」
「まあ、同じぐらいだとは見当をつけてたけど…。それよりも、そっちも同じってどういうことよ。」
 耳ざとく言葉尻を捕らえる。
「いえ、さっき最初に顔を見た時は、もっと若いかと思ってたんですよ。」
「ふーん…。」
 ナシィが慌てて言った言葉に、ミーアが疑わしそうな目を向ける。その横でセインがくすりと笑った。
 続いて仕事の確認に入った。セインが、ナシィに昨日話した事や二人で話し合った旅の予定などを伝える。ただし運ぶべき荷だけはナシィが持っていると説明した。これにはミーアからの異論もなく、すんなりと話が済んだ。
「そうだ。報酬に関してですが、等分で構いませんね?」
 一通りの説明が済んだところで、ナシィがミーアに尋ねた。
「あら、えらく親切ね。こっちが勝手に首を突っ込んだだけなのに等分だなんて。」
「雇う、ということになってますからね。妥当な報酬でしょう?」
「あ、そっか。ついいつもの癖で言っちゃった。でももらえるものはありがたくもらっておくわよ。」
 舌を出したミーアに、二人は笑った。とはいえ、もし無償で手伝うと言われていたら逆に信用できなかっただろう。
 笑顔はお互いに向けてのものだった。

 ひとしきり話が済んだところで、ミーアはおもむろに右手の手甲を外した。下には薄手の手袋と柔らかい革の鎧があった。
「じゃ、とりあえず三日程度の仲間だけど、よろしくね。」
 微笑み、立ち止まって二人に右腕を差し出す。
 まずナシィが、そしてセインが順に握手した。
「よろしく。」
「よろしくお願いします。」
 その言葉を聞き、ミーアは満足そうな表情を見せた。残りの二人も同じように笑顔を見せる。

 三人での旅が、ここから始まった。

   第二章 Truth,… and False.〈前〉


「…やっと着いたわねー。疲れた。」
「とりあえず、今夜の宿を探しませんと。もうすぐ日が落ちますよ。」
「明るいうちに急ぎましょう。」
 夕暮れ時。空が茜色に染まり、そろそろ多くの店がその商いをやめて家庭へと戻る頃。
 三人は予定していた中継地点の村にようやく到着した。ここで一泊をして、明日から二日間かけて目的地のガーテの街に向かうのだ。
 時間がかかったのは、盗賊の襲撃と付け加えるなら予想外の乱入者(・・・)のせいだった。襲ってきた盗賊を仕留めればその後始末だってあるし、突然現れて同行したいと言われてもはいそうですかとすぐに受け入れられるわけがない。
 とはいえ十分許容範囲の時間ではあった。もともと襲撃は予想されていたことだ。そして村の門が閉まるまでは、決して宿の扉が閉ざされることはない。だから村への到着さえ間に合えば、とりあえず問題はないわけだ。後は本人たちの気分次第である。
 そういうわけで、三人は門をくぐったところで口々に自分の思いを口にした。…結論としてはまず宿を探そうということになる。
 探すといっても村の中を全部見て歩いていたら完全に日が暮れるだろう。街道の分岐点のすぐそばに位置する村なだけあって、ちょっとした町並みの規模はあるのだ。
 他にどうしようもないので、目の前に見える大通りをまっすぐ歩く。雑多な店に混じっていくつかの宿屋が街道を歩く旅人のために営業をしていた。窓からは明かりが漏れてその賑わいを伝えている。
「そうだ、宿について何か希望はある?」
 周囲を見回しながら、ミーアが後ろを歩く二人に尋ねた。
「希望ですか?」
「中流程度の宿がいいんじゃないでしょうか。あまり質の悪いところに泊まるのも落ち着きませんし、贅沢をする気もありませんから。」
 質問の意味が把握しきれていなかったセインに対して、ナシィは自分の意見を述べた。
「中流か。なら、食事つきで一泊50G前後のところぐらいが妥当かな。さっき一軒そんな感じのところがあったけど…あまり入り口近くの宿は避けた方がいいしね。」
「どうしてです?」
 ミーアの言葉の後半部分は半分独り言に近かったが、それにセインは質問をした。
「簡単よ。奥の方にある宿は入り口に近いのより客寄せが悪いじゃない。その分中身で勝負しなきゃ成立しないからよ。」
 振り返りもせずにあっさりと答える。
「そうなんですか。」
「そ。というわけで、夕飯にありつけるのはもう少し先まで行ってからね。」
 ミーアのその言葉に、セインは空腹感を思い出したらしくそっとお腹を押さえた。

 前を行くミーアが立ち止まったのは、それから半時ほど歩いた末だった。
「ここならいいんじゃない?」
 指差した先には、宿にしては小ぢんまりとした建物があった。扉の上に出ている看板を見落としたらあるいは宿だと分からなかったかもしれない。
「値段はともかく、部屋数がありますかね。少なくとも二部屋は取らないといけないでしょう?」
 少し心配げにナシィが言った。建物の大きさから判断すると、部屋数は10を超えないだろう。二階を見上げると宿らしく小振りの窓がいくつも並んでいる。
「でも、明かりのついてない窓がいくつかありますから、大丈夫ではないでしょうか?」
 そのうち明かりが点いているものは半分以下だった。
「今の時間だと夕食に降りてきている客も多いでしょう。ちょうど下が賑わってますから。」
 階下に目をやると、明かりに照らされたカーテンには忙しそうに立ち働く人の姿が映っていた。小さな風が吹く度に料理の実においしそうな匂いが届く。
「そうですか…。」
 セインが残念そうに視線を落とす。そこでようやく、ナシィは自分のとっている行動の意地悪さに気づいた。
「ここで悩んでたってしょうがないでしょ。とりあえず部屋があるかどうか聞いてみればいいじゃない。何なら、ここで夕飯だけ食べていってもいいんだし。」
 ミーアがそう言って、ちらりとナシィをにらむ。
「…すいません。」
「じゃ、入るわよ。」
 謝るナシィには構わずに、ミーアは扉に手をかけた。
 滑らかに扉が開く。一目で店内が賑わっている事が分かった。人々の談笑とナイフやフォークの音で外の物音が聞こえなくなるほどだ。決して多くない机のほとんどが客で埋まっている。
「いらっしゃいませ。」
 不意に聞こえてきた女性の声に、ナシィたちは思わず辺りを見回した。見える範囲にはそんな姿はない。首をひねって室内を見回し、それでも見つからずに視線を落としてようやく気づいた。
 すぐ足元に、幼い女の子が自分たちを見上げていた。
「いらっしゃいませ。」
 同じ言葉をもう一度聞かされて、ようやくさっきの声がこの女の子のものだと気づいた。
「ここに泊まりたいんだけど、お父さんか誰かを呼んできてくれないかな?」
 先に気づいたらしいセインがしゃがんで女の子に話しかける。女の子はこくりとうなづくと奥へと駆けていった。
 それを見送りながらミーアが半ば呆れたように言った。
「あんな子が出迎えだなんて、こりゃ、マスターは相当忙しいみたいね。」
「この状況じゃ仕方ありませんよ。」
 ナシィも苦笑する。
 少しして、奥から店主らしい恰幅のよい男が姿を見せた。手にした料理を近くの机に置いてから入口の方に歩いてくる。
「いらっしゃい。お客さんたち、泊まりだね。部屋の数はいくつだい?」
 女の子から多少のことは聞いてきたらしく、手際よく尋ねてきた。
「私たちが二人部屋で、彼には個室を。」
「それなら大丈夫だ。」
 店主は腰に下げた鞄から二つの鍵を取り出した。
「これが二人部屋でこっちが個室だ。部屋の番号を間違えないでくれよ。それから、今は見ての通り忙しい。代金なんかはもう少し後になってから払ってくれ。」
 そう言いながら鍵をミーアに手渡した。
「分かったわ。」
「じゃ、また後で。ああ、夕飯は悪いが少し待っててくれ。今来られても席がないし…。」
 そこまで言ったところで、奥から妻のものらしい呼び声が聞こえてきた。店主が大声でそれに返事をする。
「…すまんな。二階への階段はあっちだ。それから、今なら風呂が空いてるだろうから、何なら先に汗でも流してくるといい。」
 それだけ言うと、店主は急いで奥に戻っていってしまった。
 ため息混じりにミーアがつぶやく。
「仕方ないわね。まあ昼間の戦いで少し汚れたし、先に一風呂浴びてきた方がさっぱりするでしょ。」
「そうですね。先に荷物も片付けておきたいですし。」
 それぞれ旅装も解いていない上に、浴びた返り血は拭っただけなので答えるナシィの顔などもまだ汚れていた。先に荷物の片付けや入浴を済まして身軽になっておいた方が気分はいい。それに目の前で食事風景を見せられて空腹感は強まっていたが、席がないのでは結局あきらめるしかなかった。
 鍵の受け渡しを済ませて、三人はそれぞれの部屋に向かった。

 ナシィと廊下で別れて、ミーアとセインの二人は与えられた一室に入った。
 まずは入り口横のランプをともす。つくりは小さな部屋だったが、調度類が控えめにされているおかげでそれほど狭さは感じない。
 明るくなったところでミーアがまっすぐ奥に進み、大きく窓を開いた。既に暗くなった空には星が輝きだしている。頬を撫でる風は涼しさを増していて心地よかった。
「ミーアさんはどちらのベッドを使いますか?」
「そっちの希望がないなら、左側にするわ。」
 部屋は窓を挟んで左右対称になっている。違うのは扉の開きぐらいのものだ。
 ミーアが振り返ると荷物を置いたセインが装備を脱いでいた。といっても、まず帽子と背中にかかる薄手の布にその付属品、それから両腕の腕輪を外す程度だ。
 それにならってミーアも手甲を外し、そしてまとっていたマントを脱いだ。現れた体はマント姿から想像されるよりもずっと細かった。ただし長身はさすがにそのままだ。
 しなやかな体はほぼ全てが黒いタイツで覆われていた。その上に薄手の革鎧が、動きの妨げとならない範囲でのみ着けられている。腰には厚手の布が短くスカート上に巻かれており、その下から耳と同じ毛並みをした尻尾が生えていた。
「ミーアさんって、スタイルがいいんですね。」
 その姿を目の当たりにしてセインが思わずもらした。
「ああ、マントを着てれば体格は分からないからね。びっくりした?」
「…はい。」
 正直に答える。その答えにミーアは苦笑した。
「まあ、あたしだって着なくて済むもんならこんな暑苦しくて邪魔な物は着たくないんだけどね。」
「着なきゃいけない理由があるんですか?」
 セインが不思議そうに尋ねた。
 答える前に、まずミーアはそのマントを再びまとってみせた。しっかりとフードも被る。その状態でセインに問いかけた。
「この格好を見て、まず女性って分かる?」
 肩にはアーマーが取り付けられていて、肩幅はかなり広く見える。さらには胸面を覆うように胸鎧(ブレストアーマー)があるおかげで胸の膨らみも分からない。もともとの長身もあいまって、一見しただけでは男性のようにも見えた。
「いえ。」
「そうでしょ。それが第一の理由。」
 フードを外して、軽く頭を振る。肩に届くか届かないかという長さの髪が左右に揺れた。
「女性って分かると、一人旅ではいろいろ面倒な事があってね。まあそんな程度の相手なら簡単にあしらえるんだけど、やっぱり面倒じゃない。セインも身に覚えはない?」
「…そうですね。」
 昨日の盗賊の襲撃も、もしも自分一人で移動していなかったら起こらなかったかもしれなかった。その是非は何とも言えないが、面倒だというミーアの言葉はある意味で正しい。
 ミーアは再びマントを脱いで、そのままベッドの上に放り出した。その横に腰掛けて足を組む。
「それからもう一つ。コレよ。」
 そう言いながら、頭の上に出ている耳を両手で引っ張ってみせた。
「耳?」
「やっぱり、ハーフキャットってあんまりいないじゃない。どうしてもこのままだと目立ちすぎちゃうのよ。」
 軽く肩をすくめ、ついでに長い尻尾も軽く振る。
 マントとフードの姿もそれなりに目立つものではあるが、それでもハーフキャットよりはよく見かける姿ではあった。
「大変なんですね。」
「まあね。でもこれも使いようよ。そこらへんの人と明らかに違うってことは、逆に役立つこともあるからね。」
 そう言ってミーアは小さく笑った。
「そうなんですか…。」
 セインがどこか感心したような、あるいは納得したような顔をして視線をそっと外した。
 と、突然ミーアは立ち上がって歩み寄り、その頭に手を置いた。
「ま、そんなことはどうでもいいことよ。」
 思わずセインは顔を上げた。そこには、いつもの笑みを唇に浮かべたミーアの顔があった。
「それよりもそろそろお風呂に行かない?どうせ男の方が早風呂なんだし、あんまり遅らせちゃ悪いでしょ。」
 ミーアはそれだけ言うと頭に置いた手を外し、さっさと自分の荷物から物を出して準備を始めた。
 その後ろ姿に最初あっけにとられて、それから笑ってセインは答えた。
「はい。」

 ちょうどその頃、ナシィは既に浴場の脱衣場に入っていた。
 コートは部屋に置いてきたため、その下の半袖のシャツに長ズボン姿である。
 脱衣籠を見るとどうやら一人入浴中のようだった。混んでいない事に安心して服を脱ぐ。腰に備品のタオルを巻いて、脱いだ服をきちんと畳んで片付けてからナシィは浴室への扉を開いた。
 途端に立ち上る湯気が視界を覆った。ぼんやりと見える先には、湯船に浸かっているらしい人の姿が見える。
「あー、そこの娘さん。ここは男湯じゃぞ。」
「…は?」
 その言葉が自分に向けて放たれたものだとナシィが理解するまでに、実にたっぷり数秒間がかかったとしてもそれは仕方のないことだっただろう。

「…いや、それにしてもすまなんだ。なんせもう年での、どうも視界がぼやけてしもうていかんわ。」
「まあそれなら仕方ないですよ。」
 体を一通り洗った後で隣に浸かりながら、苦笑交じりにナシィは答えた。
 湯船に浸かっていたのは何と老人だった。話を聞くと、家族旅行でかなり遠くの村からやってきたという。親戚がこの先の町に住んでいるらしく、遊びに行く途中なのだそうだ。冥土にいい土産ができたと言って老人は笑った。
 この老人がナシィを女性と見間違えたのは、半分は老眼と湯気のせいである。だが残りの半分の責任はナシィにもあった。長身ではあるが細身の体と、腰近くまである長髪のせいだ。
「それにしてもえらく長い髪じゃな。邪魔になったりはせんのかね?」
 髪の毛をしげしげと眺めながら老人が言った。一応、湯船に浸からないように頭の上にまとめてある。
「切りたいのは山々なんですが、そうするわけにもいかない事情がありましてね。」
 ナシィがそう答えると老人は一人納得したようにうなづいた。
「そうじゃのう。願掛けは途中で止めたら意味がない。わしも若い頃はよくやったもんだが、今じゃこの有様じゃ。」
 そして自分の頭髪がすっかりなくなった頭をつるりと一撫でした。ナシィはそれには答えず、曖昧な微笑を浮かべるだけに留めた。
 温かい湯はそれだけで心地よい。別段効能のある温泉というわけではないが、疲れには十分効く気がした。思わずため息がこぼれる。
 老人もかなりの長風呂になるはずだが、相変わらず平然とした顔で湯船に浸かっている。
 しばらく互いにそのままでいたが、おもむろに問いかけられた。
「そういえば、お前さんは何で旅をしておるんじゃったっけ?」
「冒険者として、旅をしながら調べていることがあるんですよ。」
「そうじゃなくて、ええと、…仕事が何かってことじゃよ。」
 老人はその言葉がなかなか出てこなかったらしく、かなり考え込んでからナシィに尋ねた。
「仕事ですか?一応、剣士です。まだまだ駆け出しレベルですがね。」
「道理で傷一つない、きれいな肌をしとるわけじゃ。」
 老人の漏らした一言にナシィは思わず振り返った。しかし老人の方はそれには気づかなかったらしく、同じ口調で話を続けた。
「わしも昔は行商人としていろんな若いもんと仕事したが、腕のいい戦士はたいていあちこちに傷をつくっとったよ。怪我の一つも負ってないような奴は逆にいかん。ちょっとしたことですぐかなわんとか言い出す。」
「…はい。」
 妻と老人の長話は黙って聞き流すのが一番賢い。ぼんやりとそんな言葉を思い出しながらも、ナシィはきちんと話だけは聞いていた。
「若いうちは苦労した方がええんじゃ。それがあって、ようやく本当の意味で一人前になれる。お前さんもまだまだこれからじゃろ、苦労していい剣士になれよ!」
「はい。」
 ナシィが返事をすると、老人は満足したように大きくうなづいて、それからナシィの背中を強く叩いた。
「―っ!」
 その音は浴室内によく響いた。
「よしよし。若いの、気に入った。後でいいもんをやろう。」
 嬉しそうに話す老人を目にして、ナシィは真っ赤な跡がついた背中の痛みを黙ってこらえた。
「せ、せっかくのお誘いはありがたいんですが、僕はこれで上がりますので。」
「ああ待て、わしももう出る。人がせっかくいいもんをやろうと言うんじゃ、そう老人を急がせるな。」
 ナシィが湯船から立ち上がったところで、老人が引き止めるように手を振った。
「しかし、人と待ち合わせがあるので…。」
「何、そうたいした時間はとらせんよ。…とりあえずここで話しとっても仕方ない。まずは外に出んとな。」
 結局、ナシィは老人と一緒に浴室から出た。
 着替えを済ませて髪の毛をほどく。よく拭いた上で手ぐしを数回通すと、もともと癖のない髪はきれいに広がった。
 一方、先に着替えを終えた老人は荷物の中から水筒とコップを一つ取り出した。
「風呂上りのこれがまた格別なんじゃ。お前さんにも分けてやろうと思ってな。」
「それは?」
「牛乳に、潰した果物を混ぜて濾したもんじゃよ。贅沢品じゃが、年寄りのささやかな道楽じゃ。これぐらい大目に見てもらわんとな。」
 嬉しそうに言いながら、老人は水筒の中身をコップに注いだ。
 その様子を見てナシィは気づいた。水筒は魔法的に特殊な加工がされていた。恐らくは、保温性を特別に高めてあるものなのだろう。よく見れば着ている服も上質のものである。老人は行商人をしていたと言ったが、それもかなりのやり手であったに違いない。
 コップに満たした飲み物を老人が一気に飲み干した。喉を鳴らし、飲み終えたところで大きく息をつく。満面に浮かんだ笑みがその幸福感を物語っていた。
 そして老人はもう一杯コップになみなみと飲み物を注ぎ、ナシィに差し出した。
「ほれ、飲んでみ。」
「…いいんですか?」
「さっきのお詫びじゃ。早く飲まんとぬるくなってしまうぞ。」
「では、いただきます。」
 ナシィはコップを受け取って口元に運んだ。一口飲む。
 よく冷えた飲み物は、風呂上りの火照った身体に非常においしく感じられた。味も申し分ない。
 すると、突然老人が声を張り上げた。
「…なんじゃその飲み方はっ!若いもんなら、それぐらい一気に飲まんか!」
「え?」
「風呂上りに一気に飲むのが、この飲み物の醍醐味じゃ。ほれ、さっさとやらんか。」
 戸惑うナシィに老人は早く飲めと促した。言われたとおり、今度はコップ一杯分を一気に飲もうと手を上げた。
 あごを持ち上げ、高く掲げたコップを傾ける。のどを鳴らしながら本当に一気に飲み干した。爽やかな味と冷たさが喉を駆け抜けていく。
 手を下ろすと思わずため息がこぼれた。無論、それも心地よいものだった。
「な、格別じゃろ?」
 老人が笑いながら言った。ナシィもそれに笑顔で答える。
「ええ、大変おいしかったです。ありがとうございました。」
「うむうむ。」
 返事に満足したらしく、老人は機嫌よく荷をまとめて脱衣場の出口に向かった。ふと、扉の前で立ち止まって振り返る。
「…若いの、人生は長いもんじゃ。この先もいろいろとあるじゃろうが、絶対にあきらめてはいかんぞ。」
「―はい。」
 その言葉にナシィがうなづく。すると老人は付け加えた。
「それに、老後になれば、こういう若いもんを相手にする楽しみもあるからな。」
 そう言って笑い、荷物を手に一人で脱衣場を出ていった。

 食堂に先に来たのは、ミーアが言っていた通りナシィの方だった。
 脱いだ服などを部屋に置いて、あれからすぐ来たのだ。まだ濡れたままの髪がそのことを示していた。
 食堂の客はかなり減っていた。残っている者も夕食は終えているらしく、食後の一杯を楽しんでいるといった雰囲気である。カウンター席を見ると、店主が冒険者らしい客と話しこんでいた。とりあえずテーブルの一つを選んで席に着く。
 窓の外を見るとすっかり暗くなっていた。時折なびくカーテンの向こうに夜の闇が見える。
 待つことしばし、残りの二人も食堂に姿を見せた。ミーアのマントを脱いだ姿にナシィは一瞬目を疑ったが、すぐに本人だと気づいた。
「お待たせ。」
 ミーアとセインも同じテーブルに着いた。こちらも洗い立てらしい濡れた髪をしている。
「マスターは話し込んでるみたいですけど、どうします?」
「いつもなら多少待ってあげてもいいんだけど、そろそろこっちも限界ね。先に食事の注文だけ済ませておきましょう。」
 そう言ってミーアは店主に声をかけた。やって来たところで夕食のメニューを聞く。三人とも特に食べられないものなどはなかったらしく、そのまま注文する。食後にはナシィとセインが紅茶、ミーアはワインを頼んだ。
「待たせてすまなかったね、すぐに届けさせるから。支払いは運んできたヤツにしてくれ。」
 それだけ付け加えると店主は再びカウンター内へと戻っていってしまった。
「えらく忙しいみたいね。」
「今回は偶然でしょう、きっと。」
 頬杖をついてつぶやくミーアに、なだめるようにナシィが答えた。
 そして濡れて首に張り付いた髪の毛をそっととかす。その仕草を見て何気なくセインが言った。
「ナシィさんって、すごく長くてきれいな髪をしてますね。」
 その言葉にふと手を止める。
 言葉の通りにナシィの髪はセインよりも長かった。当のセインの髪の方は、肩の少し下ほどの長さである。
 さっきの浴室での出来事を思い出し、ついナシィは苦笑がもれてしまった。それを目ざとくミーアが見つける。
「…どうしたのよ、ナシィ。」
「いえ、別に。」
 慌てて両手を振って否定する。しかしミーアはそれには構わず追求をしてきた。
「理由もなしに笑うわけないでしょ。何かあったの?」
「そういうわけじゃ…。」
「例えば、女の子に間違えられたとか。」
 ごまかす動きが止まった。
「あ、カンで言っただけなのに…まさか図星だったとはね。」
 言った本人も目を丸くしている。
「そんなことがあったんですか?」
 セインも驚いた顔をしている。
 女性陣二人の好奇心に満ちた視線にさらされて、仕方なくナシィはついさっきの出来事を全て話した。
 話し終わると、予想はついていたことだがやっぱりミーアは笑い出した。セインまで口元に手をやって、肩を震わせている。
「なるほどね、そりゃ仕方ないことだけど…フフフ。」
「そんなに笑わないでくださいよ。」
 ため息混じりにナシィがつぶやく。
「だって、『そこの娘さん』でしょ?」
 そう言ってナシィの顔をしげしげと覗き込む。
「…なるほど、間違えるわけだ。」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!湯気と老眼のせいだから、顔が見えてたわけじゃないんですよっ!」
「誰も顔のことなんか言ってないわよ。」
「…!」
 しれっとした顔で言ったミーアに、ナシィは顔を真っ赤にして硬直した。
「そ、そんなに気にしなくてもいいんじゃないでしょうか。少なくとも普段の生活の中では間違えられることはないでしょうし…。」
 セインが場を取り繕うように言ったが、相変わらずミーアはにやにや笑いを見せているしナシィは視線をそらしているしで効果は薄かった。
 …この時に料理が運ばれてきたのは、やはり幸運だったのだろう。
 給仕の女性が両手にお盆を持ってやってきた。その後ろに、宿に入って最初に会った女の子がもう一つ小さいお盆を持ってついてきていた。セインが微笑みかけると、顔を覚えていたらしく笑顔を返した。そして食器を並べ終えた女性に背伸びしてお盆を手渡す。
 その和やかな光景にナシィはつい毒気を抜かれた。
「はい、どうぞ。料金は食事代と宿泊代込みで45Gね。ワインのお客さんはもう5G追加してよ。」
 支払いを済ませたところで、ミーアがナシィにやんわりと言った。
「とりあえずは食事にしようか。」
「…ええ。」
 色々と思うことはあったが、もう張り合う気力もなかったし目の前に出来立ての食事を並べられた以上休戦をするのが正しいだろう。そう思いながらも心のどこかで釈然としない思いを抱えたナシィだった。
 早速一口食べる。
「…おいしい。」
 ぽつりと言ったのはセインだった。料理は値段の割に質がよかった。その上食事が遅くなったことによる空腹もあいまって、非常においしく思える。ミーアの判断力の確かさに改めて二人は感心をした。

 一通り食べ終わったところで食後の飲み物が運ばれてくる。
「あんたたちは、酒は飲まないの?」
 ワイングラスを片手にミーアが聞いてきた。
「私は、お酒は苦手で…。」
「僕もです。どうも気分が悪くなってしまって。」
 二人の言葉にミーアは残念そうに頭(かぶり)を振った。
「もったいないわねー。酒の味を楽しめないなんて、人生をちょっぴり損してるとあたしは思うわよ。まあ無理には勧めないけど。」
 そう言ってグラスを傾ける。一口をじっくりと味わい、嬉しそうに目を細めた。
 二人もそれぞれ紅茶を口にした。香りがほのかに漂い、場に広がる。
「…じゃ、そろそろ真面目な話に移りましょうか。」
 ミーアがグラスを机に置く。そこには、プロとしての意識を備えた表情があった。二人もそれに合わせて姿勢を正す。
「明日からの予定は、野宿を一日挟んでガーテの街まで直接向かうんだったわね。荷物とかの準備は二人ともできてる?」
「ええ、僕らは前日に支度をしましたから。ミーアさんは大丈夫なんですか。」
「一通りの装備は普段から持っているし、保存食や水の類は確保してあるわ。心配しなくても問題ないわよ。」
 そう答えて手提げ袋から地図を取り出した。机の上に広げる。
「さてと。この道はそんなに勾配もないし、危険な魔獣の類もこの辺りには生息していないはず。」
「問題はあの盗賊がもう一回ぐらい襲撃をかけてくるかどうかですね。」
 セインの言葉にミーアは悔しそうな顔を見せた。
「やっぱりあの時に、相手の一部に逃げられたのがまずかったわね。間違いなくしつこく狙ってくるわよ。」
「ええ。その可能性は高いでしょう。」
 地図上の分かれ道を指で押さえてナシィは言葉を続けた。
「やはり襲撃は、この分かれ道の前ですかね。」
「…そうとも限らないわよ。」
「え?」
 二人が、意外な言葉にミーアを見る。
「分かれ道の前ってのはこちらが警戒しているのを向こうも分かっているからね。ここには監視役だけを仕掛けておいて、後で追いかけてくる可能性もあるわよ。今回の場合は特に、盗賊の方もしつこく狙っているみたいだし。」
「そうなんですか。」
「さすがに黙って観察だけしているヤツは、いくら凄腕の冒険者でもそうそう分からないからね。まあ不意打ちされるのが問題なんだから、警戒を怠らなければいいだけの話なんだけど。」
 その言葉にナシィは納得したようにうなづくと、セインの方に顔を向けた。
「セインさん、どうしますか?当初の予定通りに野宿をするか、それとも安全のためにもう一日とって村で毎晩宿を取るか。」
 少し考え込んでから、答えが返ってきた。
「やはり急いだ方がいいでしょう。こちらの都合もありますし、移動期間は短いほうが襲撃の危険性も減ります。」
「そんなに気にしなくて大丈夫よ。」
 生真面目に言ったセインに対してミーアが軽く手を振った。
「三人いれば交代の夜番もかなり楽になるわ。こっちには治療のできる神官もいるしあたしも夜目が利くから、向こうよりは有利よ。夜襲をかけられてもそうそうやられはしないでしょう。」
 その言葉にセインはほっとした表情を見せた。
「あとは、街道の話とかも仕入れないとね。そろそろマスターを呼びたいところだけど…。」
 三人がそろってカウンターの方を見る。店主は客と談笑をしていた。少なくとも重要な話をしているといった風情ではない。
「相変わらず忙しいみたいね。」
「どうしましょう?」
「待ってたってきりがなさそうだし、こっちから呼んだ方が速いわ。」
 ミーアは立ち上がって店主を呼びつけた。慌ててこっちにやって来る。
「はいはいはい、すまんね。用件は何だい?」
 人のよさそうな口調にミーアは少し呆れたような顔をしたが、すぐに気を取り直して質問をした。
「明日からガーテの街に移動したいんだけど、街道で何か問題とかは起きてない?」
 その言葉に店主は腕組みをし、少し考え込んでから答えた。
 今月に入って、街道で魔物を見たという報告がいくつか入っているらしい。そしてそろそろ仕事の依頼をするつもりだったと言う。この村は街道を通る冒険者が多いために自警団があまり発達しておらず、代わりに宿屋同士が連盟を組んで冒険者に依頼することで村近辺の治安維持に努めているのだ。
 店主は逆に三人に依頼をしたいような素振りを見せていたが、急ぎの仕事の最中だということでそれは断った。
 ついでに近辺で変わった話がないかどうかや天使の伝説について尋ねてみたが、これはどちらも空振りに終わった。
「ありがとうございました。」
「ああ、こっちもあまり役に立てなくてすまなかったな。じゃあ仕事の方、頑張ってくれよ。」
 そうして店主はもといたカウンターの中へと急ぎ足で戻っていった。
 再びミーアがワインに口をつける。
「何であんなに落ち着きがないのかしらね。」
 店主の後ろ姿を見ながらぼそりとつぶやいた。苦笑してナシィが言葉を返す。
「性格なんじゃないでしょうか。とりたてて急ぎの用というわけでもなさそうですし。」
「人は見た目によらないものねー。黙って立ってれば、貫禄のあるようにも見えるのに。」
 ミーアはそう評したが、カウンター内で客と談笑する姿は貫禄には乏しくとも十分似合っているようにナシィには思えた。

 一息ついたところで、ミーアは地図を眺めながら誰ともなしにつぶやいた。
「魔物の出現か…相手が分からないのがちょっと気がかりだけど、まあいざとなったら逃げればいいかな。」
 そこまで言ってから、自分をじっと見つめるセインの存在に気づいた。確認するように問いかける。
「セイン、それで構わないわね?」
「…ええ。今回は仕事の方を優先にします。」
 しばしの沈黙の後、静かに答えた。その様子にミーアは小さくため息をついた。
「何度か一緒に仕事をしたけど、どうもライセラヴィの感覚は分からないわね…。どうして魔物相手にそこまで目くじらを立てる必要があるわけ?」
 無遠慮とも言えるその言葉に、セインが身を強張らせる。横に座るナシィが自分に向けて心配そうな表情を見せたのが分かったが、ミーアは無視をした。
「『闇』に属するものは、この世界を乱すものですから…。」
「そういう教えがあるのは知ってるわ。でも、現実はどう?有用な魔物もいれば、よっぽどタチの悪い人だっているでしょ。」
 セインのか細い言葉は途中でさえぎられた。
 唇を噛んでうつむく。その様子を見かねたナシィが口を挟んだ。
「ミーアさん、ここでそれを言っても仕方のないことでしょう?今は、」
「いえ、いいんです。…私もそれを疑問に思うことが、ないわけではありませんから。」
 ナシィの言葉はセインによって止められた。
 しかし続くその内容に二人は目を丸くした。二位巫女という高い位は、神殿でそれなりの年数を勤めるとともに教えに忠実でなければそうそうなれるものではない。ところがセインの口から出た言葉は、ある意味でその教えに異を唱えるものであった。
 一瞬の沈黙の中でセインがおもむろに立ち上がった。
「それじゃ、私はもう部屋に戻ります。…おやすみなさい。」
 目線は外したままだ。そして返事も聞かずに机から離れようとした。
「セ…!」
 声をかけようとしたナシィの手をミーアが強く掴んだ。
「おやすみ。大変なのは明日からだから、今夜はよく休んどくといいわ。」
「…失礼します。」
 ミーアの言葉に、セインは一礼だけをして階段の先に姿を消した。
 姿が見えなくなったところで、ミーアが掴んでいた手を離す。黙ってセインの後ろ姿を見送っていたナシィが振り返った。
「どういうつもりですか?」
 ナシィのやや激しい語調にもひるむことなく、ミーアは淡々と答えた。
「…さっきのが言い過ぎだって事は認めるわ。悪いのは別にあの子じゃないんだから。」
「そういうことではなくて、」
「じゃああの状況で引き止めてどうするつもりだったの?」
 逆に問われて、ナシィは言葉に詰まった。ミーアがナシィの目を見据えて言う。
「あの子自身、今の言葉に戸惑っていたのは分かるでしょ。」
「…ええ。」
 去っていくその時までセインが目を合わせようとしなかったことに、気づかなかったわけではなかった。
 ミーアが視線を外した。手持ち無沙汰に指がワイングラスの縁を撫でる。
「しばらくそっとしておいた方がいいわ。…あたしは同じ部屋だから、後で直接謝っておく。」
「…。」
 ナシィも黙ってカップを手に取った。ぬるくなっていた紅茶は、口の中にかすかに苦い後味を残した。
 ライセラヴィの考え方にナシィ自身も疑問を抱いていないわけではない。ただ、あくまで今回は仕事の上での短い付き合いだからそのことは考えずにおいていたのだ。…ミーアの発言はナシィにとっては自分の気持ちを代弁したものに等しかった。そして、今の言葉も。
 飲み干した紅茶のカップをソーサーに置く。小さな澄んだ音がした。
「…セインさんをお願いします。」
 それだけ言って立ち上がる。
「分かったわ。…さっき、口を挟んでくれてありがとう。感謝するわ。」
 視線を戻してミーアが言った。
 その唇に小さな笑みが見えた。あまりにはかなすぎて、その真意も見えないほどに。
 ナシィは席を離れた。
 階段の所でそっと振り返る。一人残ったミーアが、かすかに赤い液体を残したグラスを小さく揺らしているのが見えた。

 セインは部屋に一人いた。
 灯りを落とし、かすかな月明かりの中で椅子に一人座っていた。窓から夜風が入ってその髪を揺らす。
 ミーアの一言は頭から離れなかった。逆に思い出す。昔、自分が同じような言葉を叫んだ時のことを。
 胸元のプレートをそっと外した。返した裏には非常に小さな袋が留められている。張り付くその薄さは、中身を感じさせないほどだった。
 それを祈るように額に押し当てると、セインは瞳を閉じた。
 再び夜風が吹いた。

 自室に戻ったナシィは灯りをともした。
 そのまま窓に歩み寄って勢いよく開く。カーテンが大きくなびき、そしてまた静かに元の位置へと戻った。だが時折吹く夜風がそれをかすかに揺らす。
 窓枠に手をかけた。
 窓の外、広がる夜の闇をじっと見据える。
 握る指先に、知らず知らずのうちに力がこもっていた。
「…僕には、その資格はないんです。すみません。」
 そのつぶやきは誰にも届くことはなく、静かに闇の中に消えていった。

   第二章 Truth,… and False.〈中〉


 翌日は快晴だった。
 今回も、先に食堂に降りてきたのはナシィの方だった。
 辺りを見回すがセインやミーアの姿はなかった。仕方なくまた一人でテーブルにつく。
 カーテンは開かれていた。窓の向こうからまだ強くない朝日が差し込んできている。その先を見ると、大通りの向かいでは商店が仕込みを始めていた。夜が明けたら人の活動時間が始まる。
 明るい光の中で改めて食堂内を見回してみた。昨夜の喧騒が嘘のようにひっそりと静まり返っている。客も数えるほどしかいない。カウンターの中では、夕べ料理を運んできてくれた給仕の女性が一人静かに座っていた。
 昨夜のうちに掃除を済ませてあるらしく机にはゴミ一つない。素手で触れるとかすかにひんやりとしていた。
 少し待つ。今度はあまり間を置くことなく、ミーアとセインは姿を見せた。
「おはようございます。」
「あ、おはようございます。…昨夜はすみませんでした。」
 セインがすまなそうに目を伏せて言った。
「いえ、気にしないで下さい。」
 申し訳なさそうではあるが、セインの表情が比較的穏やかなことにナシィは安心をしてそう答えた。昨日の問題は完全に解決したわけではないだろうが、とりあえず表面上はおさまったようだ。
 ミーアと目が合ったと思ったら、ウインクをしてきた。軽い目礼でそれには答えた。
 朝食を頼み、簡単に食事を済ませる。食後のお茶を飲みながら再び仕事の確認に入った。
 日程としては午前中のうちに分岐点を通過し、夕方の時点で行程の約半分を進んでおきたいところだ。暗くなってから野宿の場所を探していては不都合も多いし、夜番が交代制である以上パーティ全体で休む時間はどうしても長くなる。
 そういった予定や街道での注意事項などを話して打ち合わせは済んだ。一時後に出発となる。
「それじゃ、失礼します。」
 ナシィが席を立とうとしたところで服の裾が軽く引かれた。その先にはミーアの手がある。ナシィは白々しいとは思いつつも座り直してブーツの端を整えた。
「では後ほど。」
 怪しむ様子もなく、一人セインが席を立つ。ミーアは後で行くと短く答えて平然と紅茶を飲んでいた。
 その姿が見えなくなったところで体を起こす。
「ミーアさん、こっそり引き止めたいんなら先に言っておいてくださいよ。」
「ごめんごめん。なかなか言い出す機会がなくて。」
 ナシィは少しとがめるように言ったが、ミーアは笑ってごまかした。咳払いをして雰囲気を強引に変える。
「…それで、用件は何ですか?」
「あの子をちゃんと見てやってほしくてね。」
「セインさんを、ですか?」
 ナシィが問い返すと、ミーアはかすかに目を伏せた。
「これは全くの個人的理由なんだけど…やっぱりあたしには、あのライセラヴィの考え方が肌に合わないのよ。」
 ぽつりともらして、その後すぐに苦笑を浮かべる。
 その仕草でナシィはこのミーアの言葉が本心からのものだとほとんど直感的に悟った。
「もしかして、ミーアさんはファルの信者なんですか?」
「あ、それは違うわよ。」
 はっきりと手を振る。
「…もともとあたしの故郷にはそういう宗教は一切入ってきてなかったから。成人して集落の外に出て、初めて知ったのよ。」
 言いながらそっと指を組んだ。ゆっくりと、自ら思い出すように語る。
「一応話には聞いていたけど、最初は驚いたわ。あの考え方も巨大な組織も、何もかもにね。…その後仕事でライセラヴィの神官さんと組む機会がいくつもあったんだけれど、始めの頃はよくもめたものよ。魔物と見れば狩り立てて、悪人とみなした相手には容赦なし。」
「それは…。」
 厳しい言葉だったが、ある意味では真実をついていた。秩序と正義を重んずるがゆえに、その行動は時に冷酷と思えるほどのものとなる。ライセラヴィの裏での蔑称、『魔物殺しのライセラヴィ』を聞いたことがない冒険者はいないだろう。
「まあこっちも段々慣れてきて、だいぶ平気で仕事できるようにはなったんだけどね。」
 手元を見る目線は静かだ。唇の端だけが、小さく笑う。
「それでも時々、依頼の最中に依頼主と論争になったり、ひどい時には仕事を放り出したりもしたわ。」
 ここで言葉を切り、ミーアがその目を再びナシィに向けた。思い起こすような口調が直接語りかけるものへと変わる。
「だから、あたしだとあの子の面倒が見きれないかもしれない。夕べの様子を見ていれば分かるでしょ。」
 思いはそう簡単に変わるものではないし、決して相容れない相手は存在する。そういったものはナシィ自身いくつも見てきた。否定など、できない。
「…ええ。」
 ナシィがうなづくとミーアはため息をついた。
「まあ、こんなことをわざわざ頼まなきゃいけないようじゃ冒険者失格だけどね。」
「いえ…それは、仕方のないことだと思います。」
 返ってきた言葉に、にっこりと笑う。
「仕方ない、か。それで済まない時もあるけど、何とか折り合いをつけていくしかないのは確かだからね。」
「…。」
 ナシィはその言葉には何も言えなかった。
 そしてミーアは立ち上がった。
「じゃ、あたしはもう戻るわ。あんまりのんびりしてたら準備の時間もなくなっちゃうからね。ナシィも急ぎなさいよ。」
「…分かってますよ。」
「それじゃ。」
 それだけ言って、階段へと歩いていった。
 その後ろ姿を見ながらナシィは思った。言葉こそ厳しいが、結局ミーアはセインのことを気にかけているのだ。本当に相容れない相手ならばこのような話を誰かにすることもないだろう。
 ミーアの姿が見えなくなってからもナシィはしばらくの間そのまま座っていた。
 やがて、自分の手を見た。手袋を外した手は三年の月日を経ても色白で傷一つない。
 その手を強く握り締めると、ナシィも立ち上がって二階へと向かった。


 街道は日差しが強い事を除けばいたって平穏だった。
 午前中は何事も起こることなく、順調に進むことができた。幸いにして警戒していた魔物などの出現もなかった。
 昼食をとり進行状況を確認する。
「ここまでは問題なかったけど、そろそろヤツラが出てきてもおかしくはないわね。」
 ミーアの一言にナシィとセインはうなづいた。
「はい。…ナシィさん、荷物の保持についてはよろしくお願いします。」
「ええ、分かってます。だけどそちらも気をつけてください。」
 カモフラージュはしてあるが、それでも万が一の危険はあった。
 セインが背に回した自分の鞄を確認する。ベルトの強度、口の閉まり具合をそれとなく調べる。
「では、行きましょう。」
 セインのその一言で三人は立ち上がった。

 そして、動きがあったのはそれからすぐだった。
 分岐点の手前、もう数十歩も歩いたら木々の向こうに2本に分かれる道が見える場所。
 最初に気づいたのは前を歩くミーアだった。
「あらあら、とうとうお出ましか。」
 その言葉に足を止める。
 目を凝らすと、街道の先に立つ人影が複数あった。こちらが立ち止まったのを見ると逆に向こうから歩み寄ってくる。
「あたしが前に出るわ。あなたたち二人は、後方支援をお願い。」
「はい。」
 ミーアは手甲を外した。それを合図として、二人もそれぞれの武器を構える。
 前から歩いてくるのは明らかに盗賊風の男が四人だった。どういうつもりかは分からないが、その手に武器は握られていない。
「…話の通り、神官の娘に剣士の男、それからもう一人が大柄の男の組み合わせだな。」
 盗賊の一人がそう言った。そのまま、ナシィたち三人の少し前で立ち止まる。
「大柄の男か。は、あんたら見る目がないわね。」
 そう言って笑うと、ミーアはその場でマントを脱ぎ捨てた。その体があらわとなる。
 盗賊から感嘆のざわめきがおこった。
「こいつは予想外の上物だな。ハーフキャットとは珍しい。…かわいがってやるぜ。」
 好色そうな笑みとともに一人の男が言う。そして両手にダガーを握った。その姿をミーアは鼻で笑い、同じく武器を抜いた。
 その前に別の男が立った。
「まあ待て。一応、確認はしておかないとな。」
 そして片手を差し出した。
「大人しく例の荷を差し出せ。そうしたら、このまま黙って見逃してやってもいい。」
 一見親切な物言い。だが、その顔に浮かんだ傲慢な表情が全てを物語っていた。
「心にもないことをよくもまあそこまで平然と言えるものね。ご立派。」
 当然相手の意図などお見通しといった様子でミーアが答える。
 言われた男は挑発に乗って激昂することもなく、静かに剣を抜いた。
「渡す気がないなら、奪うだけだ。…あんたみたいないい女を殺すのはもったいないが、まあ仕方がないな。」
「お褒めに預かりどうも。だけど、弱い男は嫌いでね。」
 そう言ってミーアが手にした武器をかざす。その仕草に他の男たちもそれぞれの武器を抜いた。
「…死にな。」
 その一言を合図として、四人の男は一斉にナシィたちに襲いかかった。同時にミーアが前に駆け出す。
「セイン、防御と足止めを!」
「光の壁よ、この杖によりて、(イ・アセ・リト・ト・コヴェル・フォルド)我らを長きにわたりて囲めっ(・マイン・タイン・ヘ・ビ・ウィプ)!」
 セインは杖を大地に突き立てると、一気に呪文の詠唱を行った。
 その豊かな髪がふわりと舞い上がる。そして次の瞬間、輝く壁が辺り一帯を囲むように出現した。
 ナシィは後方を振り返った。直後に、その壁に2本の矢が突き立つ。矢の飛んできた先にはこちらを狙っている男たちの姿があった。効果がないことに気づきながらも、構わずに次の矢をつがえる。―何か作戦があるに違いない。
 前方は二人に任せて、ナシィは周囲に意識を向けた。
 一方ミーアは、四人の男を相手に引けをとらない働きを見せていた。
 同時に襲い掛かる複数の刃を素早い身のこなしでかわし、隙を見ては確実に反撃を加えていく。重いマントを脱ぎ捨てたその動きは、野生の獣のごとく俊敏だった。
 両手剣を握り締めて突っ込んできた男の一撃を小さな動きでかわす。片腕で容赦なくその喉を裂いた。
 血しぶきが上がる。男たちは一瞬焦りの表情を見せたが、次の瞬間一気にその距離を詰めた。
 一人がミーアに斬りかかる。同時に、残り二人の男はそこを抜けてセインを狙った。
「光の糸よ、彼らの足を捉えよ(イ・アセ・リト・ト・リム・ドミナ・ツヘ・フォート)!」
 焦ることなくセインが呪文を唱える。障壁の維持のために杖は地面に突き立てたままだが、かざしたその両手から直接魔法を放った。
 男たちの足を細い光の糸が巻く。一人は素早くその足を抜いたが、もう一人は足をとられて転倒した。
 ミーアに斬りかかっていた男も同様に転倒する。すかさずミーアは、前に倒れこんできた男の無防備な後頭部に刃を突き刺した。
 しかしセインの前にはまさに斬りかかろうとする男がいた。杖を使わない魔法はその身にかかる負担が大きいため、セインはまだ次の呪文を唱えられずにいた。
「―くたばれっ!」
 金属音が響いた。
 その刃をナシィの剣が受けていた。そのままなぎ払い、相手に距離をとらせる。
 男は再び身構えたが、そのまま崩れ落ちた。血の飛沫とともにミーアの手にした刃のきらめきがその後ろを通り過ぎる。
 ナシィはセインの安全を確認すると、再び後方に目を転じた。こちらに駆けてくる男が三人。
「背後から来ます!」
 一声叫んで注意を促すと、一歩前方に踏み出した。
 光の障壁を無理やり通過してくるつもりだろう、ならばその最中はあまり動きがとれなくなる。
 その時、駆けてくる男の一人が短剣と反対の手に短杖(ワンド)をもっている事に気づいた。その口が動く。
 次の瞬間、短杖から炎の玉がいくつも放たれた。
 弾丸は光の壁の一点に集中する。打ち付けられる度にその光が激しさを増し、輝きが正視できないほどに高まった時、ついに壁の一部は破られた。残った数個の弾丸はそのまま内部の者を狙う。
「―ハッ!」
 ナシィは気合とともに、剣で炎を斬った。黒い刃がその炎の塊を捉えるやいなや、燃え盛る炎は勢いを減じて消滅した。呪文を唱えた男が驚愕の表情を見せる。
 だが、残りの男はそのまま壁へと突っ込んだ。干渉を受けて歪んだ壁がさらにまぶしく光を放つ。
 炎を防いだナシィが再び剣を構えた時には、既に男たちは壁の内部へと侵入していた。
「遅れた伏兵はただの雑魚よっ!」
 そこに前方の男たちを片付けたミーアがやってきた。同数なら勝てる相手だ。勢いに任せ、今度はこちらから打って出る。
 進入してきたことで逆に退路を断たれた二人の男は焦ったようだった。力任せの攻撃で反撃しようとする。大振りの荒い攻撃をよけることは難しいことではない。すばやくかわし、その隙のできた体を狙う。
 二人の男はほぼ同時に倒れた。だが、そのうち一人の手が偶然にも突き立てられたセインの杖に当たった。
 杖が倒れる。
 同時にそれによって維持されていた魔法が解除された。光の壁は跡形もなく消滅する。
 数本の矢が支えを失って落ち、地面に転がった。
 セインが倒れた杖に手を伸ばした。その横を、まさにこの時を狙って放たれた矢がかすめた。
 ―体に当たらなかった事が逆に恐るべき偶然を呼んだ。
 かすめた矢は、そのままセインの背に背負われた鞄を裂いた。中に入っていた荷が散乱する。その中には、何としても守るべき『封印された荷』もあった。
 背中の感覚の変化に気づいたセインが杖を手に振り返る。瞬時に何が起こったかを理解した。
 手を伸ばす。だが、一瞬早くそれは地面へと沈み込んだ。
 呪文を唱える間はなかった。わずかに土を盛り上げながらそれは高速で地中を移動し、短杖を持った男の元に跳ね飛ばされた。待ちかねていたように男が受け取る。
 男の顔に笑みが広がった。
「…ははは、やったぞ!ついに手に入れた!」
 ようやく気づいたナシィとミーアが男に向かおうとする。だが、すかさず放たれた矢がその足を牽制した。
 一瞬の遅れ。
 そして男はダガーでその包みを裂いた。

 封印が、解かれた。

 包みの中から現れたのは、鞘に収められた一見何の変哲もない一振りの短剣だった。男はためらわずにその刃を抜き放った。
「そんな…。」
 セインがこらえきれずに呟きをもらす。力なきその声には、絶望の色があった。
 そしてナシィは、現れた物の姿を見て驚きを隠せなかった。刃が抜かれると同時に弱いものではあるが身に覚えのある感覚が走る。かつては悪寒であり、そして真実を知ってからは逆に同調すら感じたもの。
 …探し続けていた手がかり。
「間違いない、こいつだ!この力だっ!」
 男は狂気にも似た笑いを浮かべて叫んだ。
 その隙にミーアが相手に飛びかかろうとする。自分を狙う矢を武器で弾き飛ばし、一気に男に斬りつけた。
「うるさいのよっ!」
 だがそれより早く男は後ろへと下がっていた。
 既に消耗は激しい。この荷を奪う、それが最大の目的ならばここで戦いを続ける理由などなかった。
 後ろを向いて急いで森に逃げ込もうとする。
 不意に、その背で蠢き(・・)が起こった。
「…いけないっ!光よ、集いて砕け(イ・アセ・リト・ト・レス・ヘ)っ!」
 我に返ったセインが光球を放つ。
 光はそれることなく男の背に激突して、その体は吹き飛んだ。
 男がそのまま地面に倒れ、動きを止める。だが、背中の蠢きは止まること無くむしろその大きさを増した。―まるでそこに別の生命があるかのように。
 ミーアが思わず足を止める。
「何よ、あれ…。」
 追撃の手を止め、つぶやくように口にした。
 眼前にあるのは見たこともないような光景だった。伏したまま動かない男の背だけが、外へと向かって不規則な収縮を続けていた。
 服が徐々に赤く染まっていく。骨がきしみ、肉を裂くようなかすかな音が聞こえそうなほどだった。
 男の体が痙攣したかのように震えた。―何かが生まれようとしている。
 ついに、その服が裂けた。
 不自然に黒ずんだ鮮血とともに空に向かってその何かが広がる。
 目の当たりにしても理解には時間がかかった。
 …黒い翼。
 その翼が二、三はためき、揺らめくように男が起き上がった。
 うなだれたままの顔が、突然に天を仰ぐ。
「―ギャアアアアアッ!」
 上がった絶叫は、既に人のものではなかった。

 あまりの異常さに、そこにいた誰もが動きを止めていた。
 目の前で倒れた男が、その背に生えた異形の翼で空へと舞い上がる。
 そしてゆっくりと振り返る。顔には、青黒い肌に耳まで裂けた口があった。その口が開く。
「ガアアッ!」
 獣の咆哮が上がった。
「―あれはインプです!二人とも、しっかり!」
 最初に叫んだのはナシィだった。
 小悪魔(インプ)…それはこの世ではない、異界に住まう下等な悪魔の総称。分類も未だされない無数のものが存在する。共通の特徴は、さして強くはないものの闇の魔力を有すること。
 ナシィの言葉に、我に返ってミーアも武器を構え直す。
「とりあえず、あの魔物は敵で間違いないわよね?」
 だが、声にはまだ戸惑いを残していた。
「ええ。…人としての自我が残っているかは疑問ですが。」
 答えるナシィの声ははっきりしていた。それを聞き、ミーアの表情が再び変わる。
「それならいいわ。」
 二人は身構えた。
 矢は一本も飛んでこなかった。盗賊たちは状況のあまりの不可解さに攻撃の手も忘れて、ただ目の前の光景を眺めているようだった。目の前で自分の仲間だった人間が魔物へと姿を変えた…目の当たりにしても信じられることではなかった。
 だが周囲のそうした様子には構わずに、インプは背の翼をはためかせて空へと舞い上がった。
 口からはうなり声とも言葉ともつかない音が発せられている。その手にどこからともなく闇が集まるのがはっきりと見えた。見る間に闇は密度を増し、そして硬質化して反射光すら放った。
 右手を振り下ろすのを合図に数本の黒い矢が飛んだ。
「―うわああっ!」
 隠れていた盗賊の悲鳴が上がる。
 攻撃は無差別だった。放たれた矢はそこにいる者全てを狙った。かつては味方だったはずの盗賊たち、ナシィやミーア、そして未だ動けずにいたセインをも。
「危ないっ!」
 ナシィがその前に立ちはだかる。再び、剣で飛来する矢を弾いた。
 だが今度は完全には消滅させることができず、かけらが右肩を裂く。赤い血が飛んだ。
 歯を食いしばって苦痛に耐え、空いた左手でその傷口を押さえる。そして振り返った。
 セインは未だなおも呆然としていた。
 ミーアがインプを引きつけにかかったのを視界の端で確認すると、ナシィはその肩に手をかけた。
「しっかりして下さい!今は、やるべきことがあるはずでしょう?」
 肩を揺すって声をかける。ようやくその目の焦点があった。
「あ…あれは…。」
「落ち着いて。封印が解けたせいで、あの男が魔剣に囚われて魔物と化したんです。今為すべきことは、現れたインプを倒して再び剣を取り返すことですね?」
 ナシィがゆっくりと語りかける。青ざめていたセインは、その言葉にはっきりとうなづいた。
「…はい!」
 ようやくセインは立ち上がった。それを見て、再びナシィも剣を手に駆け出した。
 しかし未だ動揺したままのセインは、ナシィの言葉の奇(・)妙(・)さには気づかなかった。
「光よ薄き刃となりて切り裂け(イ・アセ・リト・ト・ニーダ・スリグ・スォル・ヘ)!」
 杖を高くかざして魔法を放つ。先端の宝玉が強い輝きを放ち、その輝きがいくつもの刃に具現化した。
 そして大きく杖を振った。刃は空を舞うインプを襲う。
「ゴアアッ!」
 咆哮によってその刃のいくつかは砕かれた。だが、残った刃が一方の翼を集中的に狙う。魔を祓う光の刃は魔物の肉体を鋭く裂いた。悲鳴が上がり、黒い血が噴き出す。
 ついにその翼は切り落とされた。インプが苦痛に叫んだ。
 そのまま体は地面へと落ちる。あがくように動く長い爪は、空しく宙を掻くだけだった。
 そして、その先には待ち構えていたナシィがいた。高くかざした剣を、狙いを定めて振るう。
「はあっ!」
 鮮血が散った。―横なぎの刃が、その柔らかな腹部を両断した。

 黒ずんだ血をその身に浴びながら、ナシィはその場に膝をついた。再び右肩を押さえる。
 地面に落ちたインプの死体が見る間に解け崩れていく。その残骸から腐臭が広がった。
「ナシィさん、大丈夫ですか!」
 セインが駆け寄る。それに気づいたナシィが顔を上げた。
「ええ。それよりも、剣の確保を。」
 その言葉にセインはハッとして慌てて周囲を見回した。
 剣は何事もなかったかのように地面に転がっていた。その刃には曇り一つなく、太陽を反射して輝きさえも見せている。
 セインは駆け寄って、封印の呪文を唱え始めた。
 それを確認して、ナシィも立ち上がる。矢のかけらに切られた肩を押さえていた左手をそっと外した。
 傷は既にふさがっていた。
 そこで盗賊の存在を思い出す。慌てて周囲を見回すと、こちらに向かって歩いてくるミーアの姿があった。その手に握られた刃は血糊のついたままだ。
「一人逃がしたわ。…しくじった。」
 悔しそうに言って舌打ちする。
「いいえ、僕の方こそすみません。そこまで気が回らなくて。」
 べたつく顔の血を拭って答えた。
「…ところで、セインは?」
「あちらです。」
 振り返って示す。地面に置かれたままの剣を前に、呪文の詠唱を続けていた。
「…とりあえず当座の危険は去りましたね。」
「後は、この血に獣が寄ってこなければいいけど。」
 辺りは無残な有様だった。ナシィとミーアの手によって傷ついた、あるいは死んだ盗賊が六人。ここからは見えないが、森の中にはさっきの攻撃で死んだ盗賊やあるいはミーアに仕留められた盗賊もいるだろう。さらには問題の魔物の腐乱死体。感覚が既に麻痺しているため分からないが、今ここには血の臭いが満ちているはずだった。
「とりあえず少し見張ってて。先に血を拭ってくるわ。」
「分かりました。」
 ミーアはナシィに見張りを一旦任せると、脱ぎ捨てたマントを片手に再び森へと入っていった。
 一人残されたナシィはセインの元へと近づいた。離れた状態でも、封印のために渦巻く魔力の流れがはっきりと感じられた。
 一定の距離をおいて立ち止まる。周囲に注意を払って儀式が終わるのをじっと待った。
 だがいつしか、その目は封印を受ける剣へと移っていた。
 …間違いなかった。ついさっき目の前で起こった光景が、この荷こそが自分の追い求めているものだということを何よりも明確に示していた。
 声をかけようとする。しかし次の瞬間、伸ばしかけた手を自ら引き寄せる。
 今はこの荷を、依頼先まで届けることが先だ。理性がそう叫んで行動を押しとどめた。それでもまだ抗おうとする思いにその手を握り締める。
 葛藤が胸の疼きを呼ぶ。
 ―不意に、魔力の流れが止まった。
「…お待たせしました。」
 その言葉にようやく我に返った。
 セインが、再封印を施した荷を手に立ち上がった。だが顔色が悪い。
「大丈夫でしたか?」
「ええ、封印は済みました。」
 気丈にも微笑を浮かべて答える。しかし無理をしていることはナシィにもはっきりと分かった。
「まずはしばらくここで、休息を取りましょう。」
「ですが、しかし…。」
 一歩足を踏み出したセインを押しとどめる。
「急がなければならないのも分かりますが、このまま無理に動いても逆に危険が増します。まずは体力の回復が先決でしょう。」
「…そうですね。」
 さすがに自身の消耗を自覚しているらしく、セインはその提案をすんなりと受け入れた。
 日差しを避けて木陰に入り、その場に座り込む。ナシィも並ぶようにその横に座った。
 午後の街道はその暑さを増していたが、日陰はまだ涼しさを保っていた。それだけで幾分か疲労は和らぐ。
 葉擦れの音が小さく聞こえる。その中で、セインは無言のまま荷を抱えていた。唇はきつく噛み締められたままだ。
 ナシィはそんなセインの姿に何も言えずにいた。
 仕事は失敗だ。だがあれは、誰の責任でもないだろう。強いて言えば三人が平等に責任を負うはずだ。…しかしそれは何の慰めにもならない。
 しばらく互いに何も言わないまま時間だけが過ぎる。
 重い沈黙を変えようと、思い切って自ら声をかけようとした矢先に別の声が聞こえた。
「お待たせ、ナシィ。交代していいわよ。」
 既に体の汚れを一通り拭ってきたらしいミーアがやってきた。
 少し迷う。セインはいまだ沈黙を保ったままだ。その目は一度ミーアを確認するように動いたが、再びややうつむいて虚空を見つめていた。
 一方ナシィの戸惑いにミーアも気づいた。セインに目を落とし、状況を理解する。
 そして二人の目が合った。
「さ、見張りは一旦あたしに任せて、早く行ってらっしゃい。」
「あ、はい。」
 ミーアはナシィに出て行くように促した。
 その考えまでは分からないが、何か思ってのことだろう。そう捉えてナシィは素直にその場を離れた。
 それを見送って、今度はミーアがセインの横に腰を下ろした。
「さて、と…体の方はもう大丈夫?」
 すぐに声をかける。弾かれたようにセインは振り返った。
「は、はい。」
「そんなに慌てなくてもいいわよ。ナシィが戻ってくるには多少かかるでしょうし、まずは休息をきちんと取るのが先よ。」
 笑って言ったミーアの言葉に、セインも微笑を浮かべた。だがその表情は長く続かずに消える。
 その様子を見てミーアはさらに話しかけた。
「…とりあえず、その荷が相手に奪われなかったのは不幸中の幸いだったわね。」
 まっすぐに核心をつく言葉。一瞬セインは身を強張らせた。そしてあることを思い出す。
「…すみませんでした。」
「ん?」
「本当の荷を、私が持っていたことを黙っていて…。」
 うつむいてか細い声で謝罪するセインに、ミーアは笑いかけた。
「気にしなくていいわよ。むしろ、賢明な判断だったと思うわ。ほら言うじゃない。敵を欺くには、まず味方からだって。」
「…はい。」
 返事の声は小さかった。その様子にミーアは内心で苦笑する。
「さっきは助かったわ。」
「え?」
 再び振り向く。ミーアが少し笑っているのが見えた。
「そっちからの援護がなければ、さすがに四人相手じゃキツかったから。」
「いえ、ミーアさんのおかげです。あれだけの数だと、私とナシィさんの二人では対抗できなかったでしょうから。」
「まあ、お互い様ってことね。」
 その言葉にセインも再び微笑を返した。今度はすぐに消えることもなく、多少落ち着きを取り戻している。
 ふと思い出して、ミーアが言った。
「そう言えば、相手の数が思っていたよりも多かったわね…。それについては何か分かることはない?」
 セインは少し考えてから首を横に振った。
「いえ。…ひょっとしたら、最初に村を襲撃に来たのが団の一部だけで、全体では相当な数がいたという可能性ならありますが。」
「それはないでしょ。村の襲撃なんて、よっぽど巨大な組織でもない限りほぼ団の全員が駆り出されるのが普通よ。それにもしそんなに大きな組織だったとしたら、こんな下手なやり方で荷を奪いに来ないわ。それこそ腕に自身のあるヤツ数人か、あるいは逆に力技以外の手を使ってくるか…。」
 そこまで言ったところで、ミーアはセインがしっかりと荷を握り締めているのに気づいた。
「…まあ、今回のはホントに不幸な偶然だったわけだし。」
 その言葉にセインは首を振った。
「それでも、この荷の封印が解かれたのは事実です。せめて私が、もう少ししっかりしていれば…。」
「ストップ。後悔だけじゃ前に進めないわ。」
 ミーアはセインの自分を責めるような言葉を強引にさえぎった。戸惑いを見せるセインにさらに語りかける。
「まずは、この先のことを考えましょう。…ちょうどいいわ。ナシィも戻ってきたところだし。」
 顔を上げると、こちらに向かってくるナシィの姿が見えた。

 とはいえこのまますぐに、のんびりと話し合いに入るわけにはいかなかった。
 まずは街道の後始末をしなくてはならない。街道を時折通る人に怪しまれないようにして転がる死体を片付けるのはそれなりに骨の折れる作業だ。職歴の長さからかこういう類のことに手馴れているミーアの指示に従って、二人も黙々とひたすら作業を進めた。
 それだけでかなりの時間が経つ。夕方になる頃には今夜の休息場所も探さなくてはならない。仕方なく、長話は夜になってからということにして簡単な話をしようと移動した。
 適当な木陰を見つけて三人で丸くなって座った。日差しさえ避ければ、場所を選ばなくとも比較的快適な休息をとることができる。
「じゃ、話に入りましょうか。」
 出し抜けにミーアが言った。その口調はまるで散歩に行こうとでも言うかのような何気ないものだった。
「ええ。ですが、具体的には何を?」
「とりあえず今後の方針についてよ。」
 ナシィの質問には簡潔に答えて、ミーアはそっとセインの方をうかがった。先ほどと比べるとだいぶ落ち着いてきたようだ。そろそろきちんと話をしても大丈夫だろう、そう判断して言葉を続ける。
「まず、さっきこの荷を相手に開けられた時点で仕事としては失敗しているわ。無事なままという条件が満たせなかったわけだから。」
「…そうでしたね。」
 あえて、重大なことではないとでも言うかのように軽い口調で言った。しかしそれに対してナシィは短く答えただけだった。ミーアが横目でちらりと見ると、表情にどこか思いつめた節がある。仕事の失敗を気にしているのかもしれなかったが少しだけ違和感もあった。
 …今はそれを気にしても仕方ない。そう考え、ミーアは構わずにさらに話を続けた。
「それで、今後のことについて確認したいわけよ。一応ガーテの街までの輸送を続けるのかどうかも含めてね。」
 後半はセインに向かっての問いかけだった。しかし反応はない。
「…セイン?」
「あっ、す、すみません。今後のことでしたっけ。」
 慌てて答えた。その様子を目の当たりにしたミーアは、今度は困った表情を隠さずに見せた。
「済んだことをいつまでも気にしていても仕方がないわ。とりあえず、この仕事はこのまま続けるってことでいいの?」
 はっきりとした口調は、聞きようによっては鋭くもあった。
 セインは申し訳なさそうに一度目を伏せた。短い間が生まれる。
 が、まるで何かを払うかのように頭を振ると顔を上げた。
「…はい。ガーテの街までの護衛を、引き続いてお願いします。」
 毅然とした表情だった。
 それを見て、ようやくミーアも安堵の笑みを見せる。
「分かったわ。よし、依頼主さんの意向が確認できたところで本題に入りましょうか。」
 そして雰囲気を変えるがごとく、手を一度強く叩いた。
 それをきっかけにナシィも表情を変えた。先ほどまでの張り詰めたような鋭さは姿を消した。
「では、基本方針はこのままで変わらないんですね。可能な限り荷を守ってガーテの町を目指すという。」
 普段に近い、だが仕事としての真剣さをもった口調でナシィが言った。
「はい。…荷の輸送に関しては、警戒を怠らずに続けてください。神殿まで届けたら仕事は完了になります。」
 答えるセインの口調もまだ硬さは残っていたが、少なくとも不安げで頼りないものではなかった。
「…じゃ、それがはっきりすれば問題はないわね。行きましょうか。」
 そう言ってミーアは一人立ち上がった。
 服の土を払う姿に、慌ててナシィが声をかける。
「これだけでいいんですか?」
「いいでしょ。当座の目的が決まっているんなら、ここでのんびりしている必要はないわ。」
 二人はまだ納得のいかないような顔をしている。それを見てミーアは言葉を続けた。
「それに急がないと、明日中にガーテの街までたどり着けなくなるわよ。今日はあいつらの襲撃のせいで思わぬ時間をくったから。」
 襲撃自体は予定していたことであっても、その数や剣を奪われて魔物が現れたことについては全くの予定外である。
 その言葉にようやく納得したらしく、二人も立ち上がった。
 服の汚れを払い荷を整えたところでセインが言った。
「そうだ…この荷のダミーについては、どうしましょう。」
 その言葉にナシィも手を止める。偶然とはいえ、相手には本物の存在が知られてしまった。ならばダミーを本物と入れ替えた方がいいのかもしれない。
「うーん。とりあえずそのままにしておいて、後で相談しましょう。」
「え?」
「どうせ、今日中にヤツラがもう一回襲ってくることはありえないでしょ。さ、のんびりしてるといい場所が見つからなくなるわよ。」
「そうですね。」
 セインは納得した様子で、木に立てかけておいた杖を手に取った。ナシィも同じく出発の準備を完了する。
「じゃあ、行こうか。」
「はい。」
 ミーアの一言を合図にして、三人は再び街道を歩き出した。

   第二章 Truth,… and False.〈後〉


 それからの移動はいたって平和だった。
 村で話があった魔物の類との遭遇もなく、もちろんあの盗賊たちが現れることもなかった。出会うのは街道を行く旅人ばかりだ。
 その中で見かけたある冒険者の一団は、まだ狩ったばかりと見える魔物の死体を始末していた。何でも街道を歩いていたらいきなり襲ってきたという。ひょっとしたらあれが例の魔物だったのかもしれない。
 そうしたことを経て、空の端が赤くなった頃から夜営の場所探しを始めた。街道の両脇には身を隠すのに比較的都合のよい森が広がっている。しかし三人もの人数で休息できる場所となると、探すのにもそれなりに時間がかかってしまう。
 幸いにして、休息にふさわしい場所はあまり手間取ることなく見つかった。簡単に地面などを整えて三人が横になれるスペースを確保する。
「まだちょっと早いけど、もう休みましょうか。」
 ミーアは早速荷を放り出して、マントを脱いでいた。セインもそれに習っていくつかの装飾品を取り外した。
「そうだ、焚火用の木が必要でしたね。拾ってきます。」
 ナシィだけはそのまま立っていた。コートを脱ぐつもりはないので、他の二人と違って手間はかからない。荷物を降ろすだけで終わりである。
「あ、私も行きます。」
 すかさずセインが立ち上がろうとした。それをミーアが止める。
「セインは大人しく休んでなさい。さっきはほとんど休まずに歩き出したから、まだ体力が完全に回復してないはずでしょ。体力回復も仕事のうちよ。」
 そう言って身軽になった自分が立ち上がった。まだ釈然としない様子のセインに、もう一言付け加える。
「だから、あたしが行ってくるわ。その代わりに後で水の用意をお願いするから。」
「分かりました。では、ここで見張りをしておきます。」
 ようやく納得したセインを残して、二人は森の奥へと足を踏み入れた。

 焚火には適度に乾燥した木でないといけない。幸いここ数日は雨が降っていなかったため濡れている心配はなかったが、落ちている木切れを集めるのにはそれなりに手間がかかる。持ってきた手提げ袋が一杯になるには時間がかかりそうだった。
 作業を黙々と進める中で、ミーアがナシィに声をかけた。
「ナシィ。少しいい?」
「あ、はい。どうかしましたか?」
 もう一本焚き木を拾い、立ち上がりながら振り返った。
 ミーアは作業を止めて木にもたれかかっていた。しかし次の言葉はない。いぶかるナシィに構わず、ミーアの目はどこか異なる場所を見つめていた。
 しばらく黙ったままだったが、急に目線が動いた。ナシィを見て再び口を開く。
「…あれは、何なの?」
 一瞬、動きが止まった。しかしすぐにいつもの口調でナシィは答えた。
「あれとは、何ですか?」
「しらばっくれなくてもいいわ。」
 ミーアはまっすぐにナシィの目を見つめて言った。その様子にいつもの気安さはない。
 風が小さなざわめきを呼んだ。
 しばらく互いに沈黙を守っていたが、先に視線を外したのはミーアの方だった。空いている右手で繰り返し髪をすく。
「封印にこだわる理由も分かったわ。あんなことが起こるんじゃ、おちおち持ってもいられないものね。」
 今回の仕事の最重要品である荷。それを指していることは明確だった。
「なぜ、僕に尋ねるんです?セインさんに直接聞けば早いじゃないですか。」
 ナシィはミーアを見つめたまま言った。ミーアが手を止め、顔を上げる。
「荷については神殿の重要な機密に関わるんでしょ?」
「ここまで明らかになって、なおも機密とでも言うんでしょうか?尋ねたって構わないと思います。それこそ、仕事の継続条件として求めたっておかしくはないはずです。」
 やや遠慮がちの考えを見せるミーアに対して、ナシィは珍しく強気の意見を主張した。
 腕に抱えた小袋を下ろしてミーアが腕を組む。短く考え込んだ後、視線を戻して言った。
「それが本音か。」
 わずかな言葉。だがナシィは明らかに動揺の色を見せた。あるいは自分自身、気づいていなかったのかもしれない。
「…どういう意味ですか?」
 何とか態勢を戻して聞き返す。しかし生まれた間はいかんともし難い。
 ミーアの視線は離れていなかった。
「あたしとしても、もちろんあの荷の正体については気にかかるわよ。でもそこまではこだわる気はないわ。どうせ短い仕事だし、もともとは神殿からの依頼だから後で問題が起きるってこともないでしょ。」
「…。」
 返事はできなかった。とりあえず、それは正論だ。だが発言の意図は見えない。
 無言のままであるが目だけはひるまずに合わせているナシィに、ミーアは更なる言葉を続けた。
「さっきの意見。尋ねたいのは、」
 虚飾を剥ぐ、刃物のように鋭い言葉を。
「―あなた自身なんでしょう。」
 唐突に突きつけられた真実。断罪者のようにミーアはそれを言い放った。
 目をそらしておきたかった。少なくとも、今は仕事を優先すべきだと思って自分の想いを押さえ込んでいた。…予想外のところから、その抑制が崩れる。
 言葉はこぼれ出るかのようだった。
「…違いません。」
 堤防が蟻の穴から決壊を迎えるように、一度崩れ始めた自戒の念は崩壊を止めることはできない。想いはやがて激流となる。
「セインさんには聞きたいことがあります。荷の正体が分かった今、僕はそれについてどうしても知りたいことがあります。」
 真剣な眼差し。同時に、声の響きがわずかに硬質化する。ほとんど無意識ながらもそれを思う度に自分の中で何かが変わるのを感じる。
 ミーアはその言葉にわずかにうなづいた。
「考え込んでいたのは、それだったのね。…安心して。少なくとも止めはしないわ。」
 そう言って下ろした小袋を拾い上げる。重力によってその形は少し変わった。
 次に顔を上げた時には、ミーアのその表情はいつものものに戻っていた。唇の端のわずかな微笑。
「どうして、分かったんです?」
 疑問は本当のものだった。少なくともミーアに対しては、悟られるようなことを言ったりした記憶はない。
「ささやかだったけれどね。隠しても、本気で何かを思っているときは周囲に違った空気ができるものよ。」
「…そうでしたか。」
 その言葉が真実かどうかは分からなかったが、少なくとも自分の感情を見抜いたのは事実だ。そしてそれで十分だった。
「さてと。そろそろ仕事に戻ろうか。」
 体を完全に起こしてミーアは上を見上げた。木々の合間から見える空は暗さを増し始めている。それは森の中も同様だった。
「そうですね。早くしないと、灯りなしでは作業もできなくなりますから。」
 自分の腕に持った小袋を重みを確かめるように軽く振る。手持ちの焚き木は一晩を過ごすにはまだ足りなかった。
 ミーアは早速新たな焚き木を見つけたらしく、腰をかがめていた。
「…まあ、あたしとしてもあれが気になるのは同じだしね。もしセインが知ってる事以外にもナシィが知ってる事が何かあれば、教えてもらうわよ。」
 作業を続けながらミーアは言った。視線はもう合わせていない。
「それは構いませんよ。まあ、恐らくはセインさんの方が詳しく知っていると思いますが。」
 答えるのはいつもの口調だった。
 そして腰を伸ばすかのように立ち上がる。視線の先には静かな森があるだけだった。
 不意にその表情が変わる。
「ただ、一つだけお願いがあります。…いざとなったら、僕を止めてください。」
 視線の先には何も見ることなく、ナシィは言った。
「分かったわ。」
 説明はなかったが、ミーアははっきりと肯定の意を答えた。
 その言葉を聞き、ナシィの口元も小さく笑った。
 そのまま、二人は夕暮れの森の中で静かに焚き木拾いを続けていた。
 
「おかえりなさい。」
 戻ると、セインが一人待っていた。既に手荷物から調理道具などを取り出してある。
 遅くなったことを詫び、早速焚き火を作る。程よく空気が流れるように木を組んで、次にミーアは一冊の本を取り出した。
「小さき炎よ我が元にきたれ(イ・ホペ・フィレ・ト・レス・ウェアーク)。」
 右手をかざして本に書かれた呪文を唱える。手の先に言葉の通りの小さな炎が生まれた。それを焚き木に当てる。焦げたような臭いがかすかに漂い、やがて炎は大きさを増した。ミーアが本を閉じて手を離す。
「ミーアさん、呪文は覚えてないんですか?」
 その様子を見ていたセインが問いかけた。
「もともと正式には習わなかったからね。それに今更覚える気もないし。戦闘に使う最低限の呪文だけは覚えてるけど、後はこの本があれば十分でしょ。」
 そう言って示した本の表紙には、『日常用呪文集』と記されていた。
「…もったいないですね。」
「まあそう言う人もたまにいるけど、なくてもあたしは十分やっていけるから。もともと体を動かす方が性に合ってたしね。」
 セインの言葉には笑いで返す。
 炎に照らされたミーアの髪は鮮やかな紫色をしていた。もしその気になって魔法を習えば、有能な魔法使い(メイジ)にもなれただろう。もったいないというセインの言葉も当然のものであった。
「じゃ、食事にしようか。」
 本を片付けて保存食を取り出す。そこでナシィが言った。
「時間があれば、木の実とかも拾って来れたんですけれどね。」
「仕方ないでしょ。それに、拾ってきても調理できる自信ないわよ。」
 焚き火の上に金属の器を設置して、中に乾物を入れた。そこにセインが水を注ぐ。もちろん、これも汲んできたものではなく魔法によるものだ。
「調理というほどのものでもないでしょう。そのまま食べられる果実も少しはあるでしょうし、木の実の大半は火で炒るか水で煮ればあとは味付けをするだけですよ。」
 ミーアからの返事はなかった。そっと表情をうかがうと、なぜか視線をそらして口を尖らせている。
 しばらくそのまま見ていたら目が合った。
「…料理は苦手なのよ。」
 一言ぼそりと言って、そっぽを向き憮然としたような表情を見せた。
 全くの予想外の言葉に、聞いていた二人が驚いた。有能な手練の女性冒険者が実は料理が苦手だった。ありえない話ではないが…珍しいことは確かだ。
「で、でもとりあえずはそれでも困りませんからね。保存食だっていろいろな種類がありますから。」
 セインの一言はあまりフォローになっていなかった。
 煮立ってきた鍋から湯気が上がってくる。それにナシィが調味料を加える。匂いが広がり始めた。
 互いに何となく言うことが見つからずに、微妙な沈黙が場に流れる。
 ―小さくお腹のなる音。
「…ぷっ。」
 三人がほとんど同時に吹き出していた。
 途端に場が和む。
「まあ、食べられりゃいいのよ。もうそろそろでしょ?」
 さっきまでの表情はどこに消えたのやら、おかしそうに笑ってミーアが食器を手にする。
「そうですよね。おいしいものは、街に行ってから食べましょうか。」
 セインも笑いながら、自分の食器を手にした。
「明日の夜には街に入れますものね。…もう、できましたよ。」
 そしてナシィも同じく笑って、取り分け用の大匙を手に取った。
 結局あの音が誰のものかは分からなかったが、とりあえず和やかな食事になった。不機嫌も空腹には勝てないということだろう。

 一通りの食事と片付けが済んだところで、再び仕事の話に戻った。
 まずは今夜の夜番を決めなくてはならない。これに関しては、旅慣れている事と夜目が利く事を理由にミーアが深夜に当たる二番目を選んだ。次いで、もともと朝が早い生活を送っているセインが夜明け前の三番目を選ぶ。残ったナシィが一番目になった。
 決定したところで、ミーアが焚き火に木を加えた。まだ新しい木が小さくはぜる。火の粉が宙を踊るように舞い、消えていった。
「じゃ、本題に入りましょうか。…まずはあたしから聞きたいことがあるんだけど、先にいい?」
 二人とも構わないと返事をした。
「一つ目ね。今回の盗賊の襲撃なんだけど、数が思ったよりも多かったわ。」
「そうでしたね。まず最初に四人、それから後方から現れたのが三人。」
 ナシィが指折り数える。
「あと、矢を撃ってきたのが三人いたわ。…これは一人に逃げられたけれどね。」
 事実を正確に述べる。表情には出ないものの、声にわずかに混じる不満は隠せなかった。
「合計十人…明らかに、多いですね。」
 セインがうなづきながらつぶやく。
「元々の話では、盗賊の数はそんなに多くなかったわよね。セイン、やっぱり思い当たる節はない?」
「いえ。正直、見当もつきません。」
 ミーアの問いかけには首を振った。
「そうか…やっぱり、盗賊団同士が手を組んだのかな。」
 その言葉に二人が不思議そうな目を向けた。それに気づいてミーアが付け加える。
「ほら、最初に話したでしょ。最近の盗賊団の異常な動き。」
「そうでしたね。でも、なぜでしょうか?」
 ナシィが思い出して返事する。だがもう一つ疑問が生じた。
「それが分からないから、こうして探っているのよ。」
 答えてセインに目を向ける。
「…私にも分かりません。ただ、共通してこの荷を狙っているのではないでしょうか。その理由までは分かりませんが。」
「そう、結局そこなのよ。」
 ミーアが口を挟んだ。そしてナシィの方を見る。
 その意図を察して、ナシィは肯定のうなづきを返した。ミーアも小さくうなづいて了承を示す。
 再びセインの方に向き直った。
「今回の荷。あれは、何なの?」
 遠慮や虚飾を廃してまっすぐに問いかけた。
 セインが一瞬身を強張らせる。だが自分をまっすぐ見つめる二人の目に気づき、小さく息を吐いた。覚悟を決めて口を開く。
「…もう、隠しておくわけにはいきませんよね。まずは今回の事件を一からお話しします。」
 上げた顔に不安は見られなかった。そしてセインは話し始めた。
 盗賊団の村への襲撃が発端だった。ナシィが冒険者たちから聞いた通り、ここが事件の始まりだ。しかし魔物は乱入したわけではなかった。盗賊団の頭が、戦闘中に突然ゴブリンへとその姿を変じたのだ。ゴブリン自体はさして力のある存在ではなかったためすぐに退治されたが、この異常な事態はこの時に村の防衛の仕事に加わっていた神官から隣町の神殿に報告された。事態を重く見た神殿はその時に偶然外務で来て仕事を済ませていた二位巫女を派遣。それがセインだった。まずは現地での調査に当たり、使っていた短剣から異常な闇の魔力が放たれている事が分かった。生身の人間が防護手段をとらずにこの剣に触れれば、放たれる闇の魔力によって異常が引き起こされることは間違いない。そしてセインは町の神殿へとこの剣を輸送することにした。途中盗賊の襲撃があったがこれを撃退する。(ナシィと最初に会ったのもこの時だ)しかし町の神殿での話し合いの結果、この剣をより詳しく調べる必要があるとしてガーテの街までさらに輸送することになった。だが盗賊に狙われているという危険を考慮して、輸送には引き続きセインが当たりさらに冒険者も雇うということになった。そして今に至る。
 話し終えたところでセインが息をついた。
「流れとしてはこうなります。」
「…あらましは分かったわ。だけど、あの盗賊たちがこれを狙ってる理由なんかについては結局分かってないってことよね。」
 ミーアがはっきりと正直に言う。その言葉にセインは一瞬の間を置いてから答えた。
「はい。ただ、『持って来いと命令された』とは言っていました。その依頼主については不明のままですが…。」
「だとすると、襲撃してきたヤツラを捕まえて尋問してもあまり役に立つ情報は入らない可能性は高いわね。」
 失望したような表情を見せたミーアに対してナシィが言う。
「しかし、さっきの魔法使いは明らかにこの剣について分かっているようでした。中には知っている人がいるかもしれません。」
 その言葉にミーアが顔を上げた。
「そうか。何とか、リーダー格の相手を捕まえられればいいんだけど。」
「ええ。盗賊団の団結といった行動も確かに気になりますしね。」
 ナシィが言葉を受ける。
「まあこれは、個人的に追っているだけなんだけどね。今回の事件と直接関係があるのかは分からないから。―だけどひょっとしたら手がかりになるかもしれないわね。」
 小さく笑みを見せ、一人納得したようにうなづいた。
「では、その剣についての説明をお願いします。」
 ミーアに代わって今度はナシィが問いかけた。
 焚き火に照らされるセインの表情に、かすかに影が混じる。
「はい。…先ほど話した通り、この剣には強い闇の魔力が存在しています。」
 回収の時点で魔力の存在は分かっていた。しかしこのままでは使える者は人の中には存在しない。鞘から抜いた瞬間に放たれる魔力がその主を蝕むだろう。町の神殿で調べた結果、剣の柄に封印用の護符が貼られていた痕跡が見つかった。盗賊の魔物化も、戦いの中でこの護符が焼け落ちたのがきっかけだろうと推測された。しかし他には分かることはなかった。いかにしてこのごくありふれた剣に魔力が付与されたのか、そしてそれを行った存在についての手がかりといえるものはなかった。
「剣について我々が分かっている事はこれだけです。」
 セインの言葉に、ナシィがさらに問いかける。
「では、他にこうした剣を見たというような話はないんですか?」
「え、ええ。」
 ナシィの口調は普段の穏やかなものとはいささか異なっていた。強い問いかけに思わずセインは戸惑う。
「…そうでしたか。」
 短く答え、ナシィは視線を外した。
 何気ない仕草だったが、それを見ていたセインは気づいた。一瞬ではあったがその目には明らかな失望の色が浮かんでいたことに。
「だけど、それが何か…?」
「いえ、別に何でもありません。」
 かすかに不安を抱いてセインが尋ねる。だがナシィはいつもの微笑を見せて答えただけだった。瞳は優しげなままだ。
「そうですか?それなら…。」
 気のせいと受け流そうとして、突然その言葉は止まった。
 なぜ今まで気づかなかったのか。この荷の話が出たことで、今頃になってようやく思い出した。―あの時に彼は何と言った?
 しばしの逡巡の後、口を開く。
「…ナシィさん。」
 逆に問い返す。努めて普通の声で言おうとした。言ったつもりだった。
 だが、自分を見るナシィの目に微妙な変化が現れた。炎を照り返した漆黒の瞳がわずかに鋭さを増す。
「どうか、しましたか?」
 短い沈黙を経て、心配げにナシィが言う。しかしその目には純粋な心配以外のものが確かに混じっていた。…少なくともセインはそう思った。
 無意識のうちに手にしていた荷を引き寄せる。
「…あなたは、何を知っているんですか?」
 包みを握る指先に力がこもった。布のざらついた感触が手袋の上からであるにも関わらず不思議と感じ取れた。
「何か、とは?」
 表情を変えずにナシィが問い返す。しかし揺らめく炎がその顔を彩り、刻一刻と明暗を変えていく。
 それは無言のまま二人を見るミーアも、そしてセインにおいても同様だった。
「あの時、言いましたよね。『魔剣に囚われて魔物と化した』と。」
 ナシィの眉が動いた。
「どうして、見ただけでそう分かったんですか?剣のせいだと分かったんですか?―なぜ、それを知っていたんですか。」
 勢いに乗せて一気に言う。そうでなければ、聞けなかっただろう。
 否定を予期しての問いかけだった。いや、むしろ否定を求めていた。見てれば分かる事だと、そう答えを言ってほしかった。
 じっと目を見つめる。それでもナシィの表情は変わらなかった。
 沈黙。―返事は来ない。
 心が歪み始める。生じた小さな疑いが、消えるきっかけを見出せないままに肥大していく。
 耐えかねて、セインは自ら言葉を続けた。
 唇が乾いていて出てきた声はかすかにかすれていた。
「あなたは、何者なんですか?」

 不意に視線が外された。
「何者か…ですか。」
 うつむいたまま、静かにつぶやく。その声からは何の感情も読み取れなかった。
 セインは自分の手が小さく震えていることに気づいた。だけど、目をそらすことができない。
 わずか二日間の旅だった。それでも相手のことは分かってくるものだ。しかし今、目の前にいる相手が再び未知の存在となろうとしている事をセインは理性ではなく感覚として感じ取っていた。
 ナシィの横顔に自身の手が触れた。そのまま、包むかのように顔を覆う。
 隠された表情は見えない。
「答えてください。…お願いです、教えてください。」
 沈黙に支配されまいと言葉をつむぐ。
 言葉を放つので精一杯だったセインには、その時ナシィの顔を覆う手に力が加わったのを見ることはできなかった。
 何かをこらえるように強く押さえる。肉体の抑制を精神の抑制に転化するかのように。
 瞳を閉ざす。
 だが、その力が緩んだ。
 口の端がかすかに歪む。再び開かれた瞳は、何も見ていなかった。
「…僕は…。」
 絶望的な色を備えて、その口が動く。
 ―風が吹いた。一際大きく揺れた炎が照らす顔に影を作る。
 一瞬の闇を経て、出し抜けにナシィは立ち上がった。その手が引き剥がされる。
「―少し、一人にさせてください!」
 吐き捨てるような、あるいは激情を押しとどめたかのような言い方だった。
 そのまま踵を返し森の奥に向けて踏み出す。名を呼ぶセインの声が背後から聞こえたが、振り返ることなく駆けた。
 すぐにその姿は夜闇にまぎれて見えなくなった。
「ナシィさ…!」
 立ち上がろうとした瞬間に手を引かれるのを感じた。
 振り返る。さっきまで微動だにせず二人の様子を見ていたミーアが、膝立ちになってその手を掴んでいた。
「待ちなさい。」
「―離してくださいっ!」
 振りほどこうとするが、その力は強かった。それでも逃れようと身をよじる。
「セイン、落ち着きなさい!」
「離してっ!」
 幾度か同じ行為を繰り返す。逃れられないと分かってはいたが、なおも抗い続けた。
 しかし体力と気力が続かない。かなりの時間抵抗を続けた末に、ようやくあきらめたかのように座り込んだ。手が離され、自由になったが動けはしなかった。うつむいて肩を震わせている。
 ミーアは何も言わず、ただ見つめながらじっとセインの言葉を待った。
 肩の震えは次第に小さくなっていき、そしておさまった。深く息をつく。
「…どうして、止めたんですか。」
 手で地面を突いたままの姿勢でセインは言った。声が震えている。
「頼まれていたのよ。」
 ミーアはただ一言を答えた。
 その言葉に弾かれたかのように顔を上げた。
「―正確には、自分を(・)止めてとだけどね。」
 それを聞き、肩の力が少し抜ける。しかしもう視線を落とすことはなくそのまま尋ねた。
「どういうことですか?」
 表情は険しい。
 それを見るミーアの瞳に、かすかに悲しみめいたものが混じった。

 ナシィは一人森の中にいた。
 漆黒のその姿は闇の中にあっては完全に一体化していた。
 他に動くものの姿はない。獣の声や、風の呼ぶざわめきすらも遠い場所に一人立ちつくしていた。
 瞳の先には果て無き夜の闇。空にかかる細い月の光は木々にさえぎられ、大地にはほとんど届いていなかった。
 静寂と一枚絵のような世界の中では時間の意識が失われていく。感覚も、言語でさえも。
「…くそっ!」
 動きは唐突にだった。
 目の前の木の幹を拳で殴りつける。右腕を鈍い痛みが貫き、後にわずかに痺れが残る。そのまま体重を預けて少し前に倒れた。
 つぶやきは音にはならなかった。
 後悔と自責の念だけが胸を埋める。そこに、もう一つの言葉が聞こえた。
 なぜ問いかけに答えなかったのか。答えればよかったはずだ。今の見たままの姿を。
 唇を切れそうなほどに強く噛み締める。
 剣を追う理由だって、適当に作り上げて話せばよかったじゃないか。神殿もまたそれを追っているのなら、協力した方が都合も良い。所詮仕事上の短い付き合い。何をためらうことがあるのか?
 強く頭を振る。
 違う。…どこまで、偽りの姿を続けようというのだ?
 かつて誓った。なんとしても生き抜くと。そして、止めてみせると。たとえどんな犠牲を払うとしても。
 違う。そんな生き方を望んでいたのか?
 今さら何を求めようというのか。この手には、もう光はないというのに。
「…違う!」
 叫んでいた。
 そのまま膝をつく。握りしめて木に打ちつけられていた手が、力なく地に落ちる。
 知らぬ間に涙がにじんでいた。

 ミーアは事実だけを語った。ナシィが、荷について何かを知りたがっていたことを。そしてもしもの時は自分を止めてほしいと言ったことを。
 セインは驚きを隠せなかった。
「…どうして…。」
 ナシィがこの剣について知っていたことも意外だったが、その後の言葉にむしろ衝撃を受けた。
「気づかなかったの?何かを必死でこらえようとしていたあの姿に。」
 ミーアの言葉は胸に突き刺さった。
 言い訳は何の意味も持たない。自分自身をだますことは決してできないのだから。
「でも、ナシィさんは何のつもりでその言葉を…。」
 顔を伏せる。
 視線を合わせてはいられなかった。尋ねる言葉にさえ、どこか弁解めいた響きが生じるのを抑えられない。
「それは本人しか分からないけれど…少なくとも、あなたを傷つけまいというつもりだったことは間違いないわ。」
 聞くまでもなく分かっていた。彼の行動は決して自分に対しては攻撃的ではなかった。あの言葉だって、呆然としていた自分を元に戻すために出た言葉の一部だった。
 地面をついたままの腕が小さく震える。
 その肩に、ミーアの手が触れた。一瞬体が強張る。
「過度に気に病むことはないわ。」
 わずかに重みがかかる。
「確かに、ナシィの行動にはあたしも疑問点が残るもの。疑ったっておかしくはない。」
「ですが、」
「そんなに自分を責めるものじゃないわ。…ほら、顔を上げなさい。」
 手が離れる。素直に坐り直し、ミーアを見た。
 照らされた顔は穏やかな表情を見せていた。
 そのままじっと見つめる。少しずつ、冷静さを取り戻せてきた。
「…迎えに行きましょうか。」
 言葉は自然に口をついて出た。
「いいわ、先に休んでなさい。適当に頃合を見計らってあたしが行くから。」
 多少強引な意見だったが、それでもその言いたいことはよく分かった。和解にはそれなりの時間の経過が必要だろう。
 小さく微笑みを返す。
「まだ、休むには早いですよ。」
「文句は言わないの。そっちは夜明け前が担当なんだから、先に休んでおくことも仕事のうちよ。」
 軽く頭を小突かれた。同時に笑みがこぼれた。
 木がパチリとはぜて、また火の粉が踊るように舞った。


 背後に聞こえたかすかな草の音で、我に返った。
「―誰ですか?」
 振り向きはせず、そのままの姿勢で問いかける。
 返事はこなかった。足音が近づき、自分の背後で止まる。
「迎えに来たわよ。」
 声の主はすぐに分かった。ゆっくりと立ち上がり振り向く。
「…ご迷惑をおかけしました。」
 謝罪の一言に、相手は苦笑を返した。
「止めるべき相手が、結果的には逆になったみたいね。」
「いえ。おかげで助かりました。…ありがとうございました。」
 礼をする。ミーアはその姿を何も言わずに見ていた。
 顔を上げたナシィは、辺りに他の姿がないことに気づいた。
「セインさんは?」
「先に寝かしておいたわ。あの子の夜番はもともと明け方だし、」
 一度言葉を切り、改めてその目を見る。
「今会ったらお互いに気まずいでしょ?」
「…ええ。」
 ナシィは苦笑を見せて視線を落とした。
「後のことまでは面倒見ないからね。始末は自分でつけてよ。」
「分かってます。」
 その一言に満足そうな表情を見せ、ミーアは小さく手招きの仕草をした。
「さ、帰るわよ。あたしも夜番の仕事はあるんだから、そろそろ寝かせてもらわないとね。」
「すみません。」
 ナシィも歩き出した。
 その一瞬で、ミーアは背後に回りこんだ。
「―!」
 とっさにかわせたのはまさに幸運だったろう。
 振り向いた先には、武器を自分に向けて振ったミーアがいた。
「…さすがね。」
 口調は変わらない。だが、まとう空気が変わっていた。
 目を見据える。ミーアの目は挑戦的に輝いていた。闇の中で大きく広がった瞳はためらうことなく自分を見つめていた。
「どういうつもりですか?」
 全くの予想外の行動だった。
 聞き返す言葉が鋭いものになるのはむしろ当然だ。腰に下げた剣の柄に右手をかける。
「何者か、ってセインの問いはね。あたしも同意見なのよ。」
 口元の笑みはいまだ消えていなかった。だが、それの示すものが同じであるという保証はどこにもない。
「ならば、あなたは僕のことをどう考えているんですか?」
 距離を測る。リーチは大差ない。すばやい身のこなしは脅威だったが、いざとなれば手がないわけではない。…だが戦いたくなどなかった。
「ベテランの戦士の目をごまかせるとでも思っていた?」
 返ってきたのは答えではなかった。少し戸惑いながらも、こちらからも言葉を返す。
「ごまかすも何もないでしょう。僕が何をしたっていうんですか?」
「しらばっくれるのは癖かしら。」
 細かい内容こそ違えど、気にしていることをはっきりと言われて思わず顔をしかめる。
「悪いけど、あんたの腕じゃあれだけの戦いで怪我をしていない方が不自然よ。」
 続くミーアの言葉にはつい苦笑した。
 しかし実際にそれは事実だ。コートのあちこちには裂けた跡があった。そして、その下の体には確かに傷一つない。
 人ならば、治療もなくそうなることなどありえない。それ以前に治療しても傷跡の一つや二つは残るだろう。
「…今までで感づかれたことは、せいぜい数回程度だったんですけどね。」
「たまたま組んだ相手の目が節穴だっただけじゃないの?気づかない方がどうかしてるわよ。」
 お互いの言葉ははったりではなかった。共に、それぞれにとっては真実である。
「で、どうするつもりですか。」
 ナシィが言う。
「まあ放っておいてもいいんだけど、ライセラヴィの神官がいるのに魔物をそのままにしておくのは気まずいでしょ。」
 答えるミーアの言葉はストレートだった。
 ナシィの口元に、再び笑みが浮かぶ。微笑。だがそれは、決して穏やかなものではなかった。
「…そうですよね。」
 一言に、通り過ぎてきた三年間が蘇る。こうした場を迎えるのは何回目だっただろうか。数える気はしなかった。
 あきらめにも似た感情が胸を覆う。その内の思いを塗りこめるかのように。
「分かってるんなら話が早いわ。―行くわよ。」
 そう言って、ミーアは一気に踏み込んできた。
 剣を抜くと同時に受ける。スピードを乗せた斬撃は予想よりもはるかに重かった。
「くっ!」
 腕に走る痺れ。そのわずかな隙に、ミーアは反対の手での攻撃を仕掛けてくる。
 身をひねってもこの至近距離ではかわせるものではない。右腕に鋭い痛みが走る。
 飛沫となるのは赤色の血。だが、それは数秒も経たないうちに黒く変色する。
 ようやく、力任せに腕を弾いた。
 互いに再び距離を置く。
「…なるほど。これじゃ、らちがあかないわね。」
 血に濡れた刃を一振りしてミーアは言った。
 確かに切り裂いたはずのナシィの腕の傷口からは出血が止まっている。恐らくはもう塞がっているのだろう。
「分かっているなら止めにしませんか?」
「さすがにそうもいかないでしょ。―風よ我が刃に集いて力となれ(イ・ホペ・インダ・ト・レス・ミャ・ウィプ)。」
 ミーアが呪文を唱える。その魔力に応じて、周囲の空間から集められた風の力が二つの刃に集結するのがはっきりと分かった。
 もう一度一振りする。風がうなった。
「ただの武器がだめなら、魔化するだけよ。」
「僕を魔物だと思うのなら、光を使う方が早くないですか?」
「聖魔法はあいにく覚えてなくてね。それに、自分から言うことはないんじゃないの?」
 魔物は闇の属性をもつもの。対立属性である光の力を持つ聖魔法を使えば一番効果が高いのは事実だ。
 ―次の一撃は合図もなしにだった。
 再び、かろうじて剣で受ける。
「…!」
 ミーアの目が見開かれた。ナシィの黒い剣に受けられた刃から、急激に風の力が拡散していくことに。
 次の瞬間、ナシィの体が後ろに飛んだ。
 もう一撃を加える前に再び距離をとられる。
「とりあえず、僕たちが戦う意味はないと思うんですが。」
 場にそぐわないような言葉と口調だったが、それを言うナシィの目は真剣だった。
「まあその意見を考えてもいいんだけど、だとしたらこの後どうするつもり?」
 武器を構えて警戒は解かないままでミーアが聞き返す。
 数秒間の思考の後にナシィは答えた。
「…何者か、という質問ぐらいなら多少は答えられます。その後は…またそれから考えるしかないんじゃないですか?」
「ふざけた答えね。」
 一蹴。だが次の瞬間、ミーアは笑った。
「まあいいわ。無駄に体力を使って不必要な怪我まで負うこともないでしょ。」
 そう言って武器を下ろす。
 ナシィもまた手にしていた剣を収めた。
 その先の動きはなく、互いにそのままの距離を保ったまま立っていた。

 時折吹く風が、木がつくる月影を動かす。一瞬照らされたナシィの姿はただ立ち尽くす人そのものだった。
「…まずは、何者かについて説明してくれる?」
 沈黙を否定するようにミーアが促した。その口調は普段と何も変わらない。
「それが分かれば、僕だってさっきみたいに取り乱したりはしませんよ。」
 苦笑交じりに答えを返す。少なくともこれは本心だった。
 言葉を捜すかのように動きを止める。わずかな空白を経て、再び口を開いた。
「ただ、これだけは分かってほしいんです。…僕は魔物ではありません。」
 真摯な瞳。
 ミーアは一度深くうなづくと、言葉を返した。
「魔物ではないのなら、何なの?」
 腕を組む。その涼やかな目は冷静にナシィを見ていた。
 ナシィは右手を上げた。
「エルフです。―正確には、元(・)ですが。」
 そのまま顔の横の髪を持ち上げる。それまでは隠れて見えなかった長い耳が始めてあらわになった。
 大陸に住まう『人』の中で、人間に次いでその数の多い種族。それがエルフ。やや虚弱な肉体の代わりに人間よりもはるかに長い寿命と優れた魔力を誇る、別称精霊の民。その外見的な特長としては、長い耳と鮮やかな色の髪をもつことだった。
「その黒髪で?」
 ミーアが揶揄めいた響きで問う。
 そう、エルフはその高い魔力ゆえに全ての者が鮮やかな色をした頭髪をもつ。逆に言えばそれこそがエルフを端的に証明するものでもある。―漆黒の髪を持つエルフは存在しない。
「だから、元なんです。」
 ナシィは右手を離した。しなやかな黒髪は音も立てずに流れ落ちる。
「僕は魔力を失いました。そして、引き換えにこの力を得ました。」
 右手が腰に下げた剣を再び抜く。ミーアは姿勢を変えることなく黙ってそれを見ていた。
 逆手に持ち替え、手袋を外した左手をその先に掲げる。
 次の瞬間、自らその左手に刃を突き刺した。
「―ぐっ!」
 生じる痛みは消えない。
 激痛に顔をしかめながら、ゆっくりと剣を抜く。
 赤い血が指先を伝って地面に滴り落ち、そして闇と同化して見えなくなった。
 剣を完全に抜いたところで左手の手のひらをミーアに向けてかざした。
「…見ての通りです。」
 流血は既に止まっていた。血の汚れは黒ずみとなって残っているが、貫通したはずの傷口は跡形もない。
「肉体の損傷に対する再生能力。…完全な消滅以外には、死ぬことすらできません。」
「だったら試してみる?首を切り落とせばゾンビの類は確実に滅びを迎えるわ。」
「そうしたいのならどうぞ。無駄に終わるだけですから。」
 挑発的なミーアの言葉に、ナシィは静かに答えただけだった。恐るべき言葉を何の感情も見せずに口にする。
 風が動いた。
 一瞬にして詰め寄ったミーアが、下げていたはずの刃をナシィの喉元へと突きつける。
 ナシィはなんら能動的な行動をとることなく、そのままの姿勢でそれを見つめていた。
「…はったりじゃないようね。」
 ミーアが一歩後退する。今度は武器をきちんと鞘に収めた。
 ナシィは小さく笑った。
「僕についてはこれで全てです。…何者かと言われても、どう答えればいいのかは僕にだって分かりません。」
 再び口元に苦笑が浮かぶ。そこには自嘲めいた雰囲気も漂っていた。
「なるほど。確かに答えるのは一苦労ね。…で、そのことと今回の事件にはどう関わってきてるわけ?」
 さっきよりは近いもののまだ距離を保ったまま、真正面に立ってミーアは尋ねた。
「誤解しないでほしいんですが、僕はあの剣そのものを必要としているわけではありません。」
 そもそも今回の仕事は、引き受けるまでは自分の求めるものと関わっているとは知らなかった。引き受けたのだって偶然に近い。さらに、もし何事もなく仕事が終わればそのまま気づかないままだったかもしれなかった。…皮肉な偶然に、感謝と哀しみを抱く。
「剣がいらないのなら何を求めるわけ?」
「入手経路の情報です。」
 剣そのものはあくまで作られた品に過ぎない。追うのはその製作者だった。流通の経路が分かればたどることもできる。現在考えられる、唯一の手がかり。
 次の言葉は来なかった。何を思うのか、ミーアの動きはない。木の作り出す影に半ば隠れたその顔からは感情を読み取ることはできなかった。
 ややあってその口が動く。
「創造者を追って、突き止めて、…そして何をするつもり?」
 一瞬、言葉を見失った。
 決意は変わらないはずだ。それによってもたらされるものがたとえ自己満足に過ぎなくても、自ら決めたことだ。
 どんな犠牲を払うとしても。
「身に課せられた呪いは、術者によってしか解呪はできないでしょう。」
 ミーアの瞳を見つめて答える。
 自身を偽ることには慣れてきた。胸の痛みは消えなくとも、それを無視して歩き続けることはできた。
 だが、偽るものが他者ならば。
「なるほどね。…確かに、忌まわしき呪いだわ。」
 ミーアの言葉に、ナシィは小さくうなづいた。
 ―違う!
 胸の内の叫びは外には決して出せない。
 呪いなどとは呼びたくなかった。あの時、その命を懸けて彼女が為したこと。後悔や憎しみなどはない。それを向けるべき対象は他にいる。そして、彼女に感謝の意を伝えることはもはや永遠にかなわない。
 葉擦れのざわめきが耳をうつ。
「…さて、どうしますか?」
 問いかけた。言葉を口にすることで自らの思考を一度さえぎる。
 話せることはこれで全てだった。後は、ミーアがどう考えるか次第だろう。他者の意思を変えることは何者にもできない。
 ミーアの口元が笑った。
「それを答えるのは、あたしじゃないわね。」
「え?」
 聞き返す。ミーアが自分の方に向けて右手を軽く上げた。
「もう、出てきていいわよ。―セイン。」
 振り返った先には、神官の少女が立っていた。

 思わず、その名を呼んでいた。
「セインさん…。」
 その先の言葉は出ない。
 全くの予想外の事態にナシィは戸惑い、もはや何も言えなかった。
 立ち尽くす彼女の目は赤い。
「あたしも最初は驚いたわ。突然現れるんだから。とりあえず、一旦隠れるようには指示しといたんだけどね。その後出てこさせる機会をなかなか見つけられなくて。」
 ミーアの言葉はかろうじて聞き取ることができた。理解はする。が、感情は追いついていなかった。
「…いったい、いつから。」
 声がかすれ気味になるのは仕方のないことだろう。
「さっき斬り合った時よ。だから、話はほぼ全て聞いていたことになるわ。」
 ミーアはいつもの笑みを浮かべた表情で、あっさりと答えた。
 セインを見つめる。目が合った。
「…ナシィさん…。」
 何かを言おうとするが、それは形にはならない。口を開きかけてはつぐむことを幾度も繰り返す。
 ナシィはただ待った。自分から言うべき言葉はまだ見つからず、また、セインの言葉を待ちたかった。
 ようやくその口から意味のある音が生まれる。
「…ごめんなさい。私は、何も知らずに…。」
 震えていた。夜の暗さの中でも、その瞳が潤んでいるのははっきりと分かった。
 その先の言葉は、出ない。
 セインの瞳はまっすぐにナシィを見つめていた。
「あなたが謝ることはありません。…謝罪すべきは、僕の方です。」
 ひたむきに自分を見つめる目に耐えかね、視線を落とす。
 純粋なその瞳が痛かった。
 互いに次の言葉が出ないまま、再び立ち尽くす。
「―お互い、気は済んだ?」
 沈黙はミーアの言葉によって唐突に破られた。
 共に顔を上げ、発言者を見る。
「今回のことはそれぞれに責任があるでしょう。ナシィの行動も、セインの対応も、そしてあたしのやり方も。」
「それは…。」
「いいえ。これで決着にしましょう。」
 口を挟もうとしたセインの言葉をさえぎる。
「仕事は後一日残ってるわ。今は、そっちを優先させないといけないんじゃないの?」
 強引な言葉だったが、それに異を唱えるものは誰もいなかった。
 さらにミーアが手を叩いた。
「ほら、こんな所にいつまでも残ってないで。荷物を放っておいて盗まれても知らないわよ。」
 促すようにそう言いながら、向かい合う二人の間に入り込む。
 覗き込むような姿勢で双方の顔をさっと確認する。
「あたしは先に戻ってるわ。さっさと戻ってきてよ。」
 鋭く、だが瞳には優しさを見せて一言言い放つ。
 その瞬間ようやく、ナシィは言うべき言葉の一つを言うことができた。
「―ありがとうございます。」
 その言葉には笑顔を返してミーアは体を起こした。軽く片手を上げて、返事に代える。
 そして夜営の場所に向かって一人歩き去った。

 再びの沈黙。
 だがそれは、少なくとも苦しいものではない。
「…本当に、すみませんでした。」
「いえ。僕の方こそすみません、あのような行動をとってしまって。」
 改めてもう一度謝罪する。
 互いに下げた頭を上げたところで目が合った。不思議と、ほのかな笑みが生まれる。
 例え全てを分かり合えなくとも、受け入れることができるのならば、今はそれでいい。
「ナシィさん、手は…?」
「ああ、大丈夫ですよ。」
 視線に気づいて左手を上げる。既に血は固まりとなっていた。数回はたいて、汚れを落とす。
 セインがそっとうつむいた。
 その様子に気づき、しばらくそのまま待つ。
 曖昧な感覚のために明確には捕らえられない長さの時間を経て、言葉がつむがれた。
「…あなたの言葉を、信じます。」
 その肩が小さく震える。
「ですから、自らを傷つけるようなことはもう二度と、止めてください。」
 泣いていた。
 その涙に、ナシィは何も答えることはできなかった。
 話を聞いていたのだから、怪我などは何の意味ももたないことは分かっているのだろう。ならばこの涙は。
 月光が、その姿を淡く照らす。木々の狭間からこぼれる光が彼女を優しく包む。
「分かりました。」
 はっきりと答えを返した。傷は、自らだけが負うものではない。
 ナシィの言葉を聞き、セインは手で涙を拭った。顔を上げる。
 微笑んでいた。
 そしてセインが右手をそっと前に出す。―いや、出そうとしてその手を引いた。自ら左手(・・)を差し出した。
「じゃあ、帰りましょう。明日もよろしくお願いします。」
 ナシィの瞳を見つめる。その表情は、幼さを残した少女のものでありながらも、同時に聖母のような慈しみを帯びているかのように見えた。
 …少しためらう。だが、同じように左手を差し出す。
 汚れたままの左手を。
「ええ。こちらこそ。」
 触れ合った手を互いにそっと握る。
 
 二度目の、そしてより確かな握手を二人は交わした。

   第三章 Integrate.〈前〉


 行く先に、大きな門が見えた。
「ようやく見えたわ。―さ、急ぐわよ。」
 ミーアが声をかける。横を歩く二人もうなづき、残りわずかとなった道を急いだ。
 既に太陽はその姿をほとんど隠している。目指す方向の空にはまだ赤さが残っていたが、灯りなしで歩くにはそろそろつらくなろうとしていた。

 あれからほぼ一日がたっていた。
 それぞれに葛藤といさかいを経て、長い夜を過ごした。多少のぎこちなさは残ったがそれはやむを得ないことだっただろう。
 ともかく、三人は再びパーティとなって旅を続けることを選んだ。
 盗賊の襲撃はなかった。一度は手に入れかけたものをあきらめるとは考えられなかったが、向こうから出てこないものは対処の仕様がない。それに今の仕事は荷の輸送、何事も起こらないならそれに越したことはなかった。
 …その旅も終わりを迎えようとしていた。

 いくばくかの通行税を払い、三人が門をくぐる。
 目の前には賑やかな街並みが広がっていた。
「セインさん、神殿の場所は分かりますか?」
「ええ、こちらです。」
 どうやら以前に来たことがあるらしく、セインは二人を導くべく先に立って歩き出した。
 歩きながらナシィは辺りを見回した。
 この街を訪れるのは初めてだった。いや、三年前に当てもなく旅立って以来ずっと戻らない旅を続けてきた。訪れる場所は全て初めてのものだ。
 夕方を迎えようというのに通りの喧騒は止むことはない。濃厚な食事の匂いと陽気な呼び声、響く笑い声。道行く人の中には冒険者の姿も多くあった。
 ガーテの街は近隣でも特に大きな街だ。そこには様々な理由をもって、あらゆる場所からの人々が集う。一旗上げようとする若者も、商売をする商人も、それらを狙おうとする小悪党も、そして力ある存在を求める者と冒険を求める者も。
 街の活気を目の当たりにして、ナシィも自分の胸が少しだけ高揚するのを感じた。
「あれか。話には聞いていたけど、相当大きな神殿ね。」
 ミーアの言葉に視線を正面に向けた。
 そこには、壮大な神殿がそびえていた。
「はい、ここです。―到着しました。」
 ライセラヴィの神殿、すなわち仕事の目的地。
 それは街の大きさに比例して大規模なものだった。一目で分かる。付近の店などとは明らかにその雰囲気が異なっていた。白い石造りの建物には見る者を圧倒するかのような威厳がある。その入り口には、あたかも訪れるもの全てを受け入れるかのように扉が存在しない。
「どうしたの、行くわよ?」
 ミーアに促されて、ナシィは初めて自分がその前に立ち尽くしていたことに気づく。神殿をこうして見上げるのも多分三年ぶりだ。
 歩き出そうとして、横に同じように立ち尽くしているセインに気づいた。
「…セインさん?」
「あ、すみません。私が先に行かなくてはいけませんでしたね。」
 小さく笑って十数段ある幅広の階段を駆け上る。かすかな足音がナシィの耳にも届いた。
 その後を追いながら、考える。彼女は今、何を思ってこの神殿を見上げていたのだろうか。
 段の上で待つミーアにはすぐに追いついた。再びセインが二人を先導する。
 足を踏み入れた瞬間、ナシィは強い光の力を全身に感じた。
 神殿の内部は穏やかな光に照らされていた。魔法によるものだろう、特定の光源をもたず空間全てが穏やかな光に包まれている。磨き上げられた床には影すら落ちなかった。
 入ってすぐの場所は、誰もが入ることのできる礼拝所になっているようだ。大部屋にはたくさんの長椅子が並べられ、正面には精緻な金の刺繍が施された赤い布で飾られている演台がある。その向こうには大きな天使像が立っていた。まるでそれ自身が光を放っているかのように、石の彫刻は影を作ることなくその姿をはっきりと見せている。
 掃除をしている僧らしい青年が、セインの姿を見て深く礼をした。セインも会釈を返す。旅装とはいえ、天使の彫像があしらわれた杖と胸元の装飾がその身分を示していた。
 部屋の右側の扉を開く。
 広い廊下は先ほどの礼拝所よりはやや弱い光で照らされていた。それも空間全体ではなく、所々に取り付けられた専用の燭台の上の光球によって照らされている。それでも十分な明るさが保たれていることには変わりはない。
 横手に並んだいくつもの扉の前を通り抜け、突き当たり正面の扉の前で立ち止まった。他よりもいささか大きく、そして立派に作られている。
 ミーアが着ているフードをめくった。それを見てからセインが扉を叩いた。
「クーの村より参りました、二位巫女、セイン・リアと申します。」
 ややあって返事が返ってきた。
「入りなさい。」
「では、失礼します。」
 扉がゆっくりと開かれた。
 正面に、こちらの方を見て座る男性がいた。装飾は控えめながらかなり立派な身なりをしており、年の頃は50前後か。鋭い瞳は三人を見つめている。
 やや広めの室内には男性の座る大きな机と、それとは別に向かい合って座れる椅子と平机がある。恐らくは冒険者などを相手に仕事の話などをする部屋に当たるのだろう。
 セインは一歩前に出て、荷物の中から書状を取り出した。
「遅い時間に申し訳ありません。魔道具の保管及び調査のために参りました。詳しいことはここに。」
 そう言って手にした書状を差し出す。
 男性はそれに目を通した。その眉がかすかに上がる。
「…ほう、これが。」
「付け加えることがあります。旅の途中で、この荷が一度盗賊に強奪され封印が解けるという事態が起こりました。その時に盗賊が一名、魔物へと変化しています。」
 男性の顔色が一瞬青くなる。
 語るセインはあくまで事務的に、不安げな表情を見せることもなく事実を報告していた。口調は冷静そのものだ。
「ただしこれによる物品の損傷などはないと思われます。なお、その時に起こった一連の事態については、明日正式に報告書を提出します。」
 男性はしばし考え込んでからうなづいた。
「分かった。…だが輸送は完了した。報酬については二割減にとどめておこう。」
「ありがとうございます。」
 深く礼をする。
「早速で重ね重ね大変申し訳ないのですが、この報酬を先にいただけないでしょうか?彼らに支払いをしたいので。」
「ああ、そうだな。少し待ってなさい。」
 セインの言葉にうなづくと、男性は立ち上がり部屋の奥の扉から出て行った。
 すぐに小さな袋を手に戻ってくる。それはセインに手渡された。
「―1200G、確かに受け取りました。」
 金額を確認してセインが言った。それを聞き、男性の目は後ろに立つナシィとミーアに移った。セインが一歩脇に下がる。
「仕事を果たしてくれてありがとう。神殿長に代わって礼を言おう。」
 黙礼で答える。
 顔を起こしたところで、男性は付け加えた。
「ただし一つ頼みがある。今回の仕事の中で起こった事や、運んだ荷については他言無用にとどめてほしい。」
「…了解しました。」
 神殿の機密である以上、この申し出は当然のものだろう。予想はついていたことなので戸惑いはしなかった。
 男性が再びセインの方を向く。
「調査に入るには今日はいささか時間も遅い。その品は保管室に運んでくれ。」
 そう言って保管室の場所を教えた。
「では、失礼します。…まことに申し訳ありませんでした。」
 もう一度セインは頭を下げた。
「少なくとも魔道具の確保には成功したのだ、その功績を考えれば今回の失態は微々たるものだろう。気にすることはない。」
 男性はセインを見つめて言った。その言葉は簡素なものだったが、口調は優しげだった。
 三人は部屋を後にした。

 廊下を歩きながらセインが言う。
「依頼の時よりも報酬が少なくなってすみません。支払いは夕食時にします。」
「いえ、仕事に関しては僕たちの責任ですから構いません。」
 済まなそうなセインにナシィは言葉を返した。
「仕事としてはある意味で失敗とも言えるのに、二割減にとどめてくれるなんてむしろありがたい話よ。」
 そこにミーアが付け加えた。
「たちの悪い依頼主なんか、この程度で報酬を半額にしたりとかを平気でするんだから。」
 やけに説得力のある言葉は、それが本人の体験談であることをはっきりと物語っていた。セインがその言葉に笑った。
 一度礼拝所まで戻り、今度は入り口から見て左側の扉を開く。
 廊下のつくりは途中までは同じだったが、突き当たりは扉ではなく曲がり角になっていた。
 さらに数回道を曲がりいくつもの扉を経て、ようやくセインが立ち止まる。
 小さな扉があった。飾りもなくシンプルな扉だが、他の多くの扉とは異なり鉄製だった。
 ノックをする。
「どうぞ。」
 聞こえてきたのはいささかぶっきらぼうな声だった。
「失礼します。」
 扉を開く。
 中は小さな部屋だった。簡素な木の机に一人の若い男性が座り、眠たげな細い目で三人を見上げていた。
 室内には調度の類はごく少ない。脇にある大きな棚は、参拝客などが忘れたり落としていったりしたらしい雑多な品物の中でも主に貴重品の類が納められている。だがそれらとは別に何よりも目を引くものがあった。
 入り口の向かい側に、壁のほぼ全面を占めるほどの大きな扉があった。その扉には精緻な文様が彫り込まれ、さらにはいくつもの宝玉もあしらわれている。
 とはいえこれがただの装飾ではないことは一目で分かった。神殿の貴重な品、あるいは危険な物を安全に保管しておくために封印のかけられている扉だ。装飾も宝玉もその魔法の一部である。
 突然、セインが何かに気づいたのかその男性の下に駆け寄った。
「―お久しぶりです、サーク先輩!」
 喜びに満ちた声だった。それを聞き、男性の目が少し大きくなる。
「…もしかして、その声はセインか?」
「はい!」
 笑顔でうなづく。
「懐かしいな、修道院を俺が出て以来になるか。」
「そうですね。もう、四年になります。」
「そうか。…再会を喜びたいところだが、まず後ろの連れに説明ぐらいしたらどうだ。困ってるみたいだぞ。」
 それを聞いてようやくセインは振り返った。
 いきなりの行動に呆然としている二人を見て、ハッとしてから気まずそうに口元に手をやる。
「…とりあえず今の会話で、セインの修道院時代の先輩だってことは理解できたけれどね。」
 ミーアが言った。
「そ、そうです。ええと…この方は私の二歳上の先輩で、修道院にいた頃はよくお世話になりました。」
 セインがいささか慌て気味で、男性を二人に紹介した。
「サーク・ブーフェットと言います。この神殿で保管室の管理人を勤めています。どうも。」
 立ち上がって黙礼をする。セインの二歳上ということは二十歳になるはずだ。年齢の割に落ち着いた風格を備えている。言い換えれば、年齢相応の若者らしい活気にいささか欠けている節もあった。顔は表情に乏しい。
 二人も礼を返した。
「こちらは、今回の外務の仕事で一緒になった方たちです。」
 セインが今度は二人を男性に紹介した。
「ミーア・ウィンドラス。宝物探索者兼冒険者をしてるわ。よろしく。」
「フォン・ナシィです。職業は冒険者をしています。よろしくお願いします。」
 同様の自己紹介を返した。それにはサークもうなづいて答える。
 そしてサークは再び席に着いた。
「…で、ここには仕事で来たんだろ。用件は?」
 促されて、セインが荷袋から物を取り出す。もちろん今回運んできた荷だ。
「これを保管室内にお願いします。詳しい事は、明日正式にお伝えすることとなりますので。」
「今回来た、外務関係の物だな。預かっておく。」
 すぐに受け取って無造作に机の上に置いた。ごとりと低い音をたてる。
「せっかく来てくれたのに悪いな、今夜はこのままここで夜番をしなくちゃいけない。まあ明日の昼過ぎになら時間も取れるだろう。よければ、その後に宿舎の方にでも来てくれ。」
「はい。―仕事も今日で終了ですから。」
 わずかに言いよどんだ。
 サークもそれには気づいたようだったが、何かを察して口にはしなかった。代わりに立ち上がる。
「じゃ用件が済んだのならこの部屋を出てくれ。品を早いうちにしまっておいた方がいいだろう。」
「あ、そうですね。では失礼します。」
 言われたとおり素直に退室しようとする。扉を開いて外に出た。
 そこに、背後から声がかけられた。
「宿舎の夕飯はもう済んでいるだろう。どこか適当な場所で、彼らと一緒に食べて来ればいい。」
 口調はそれまでと変わらずそっけないものだった。
「―ありがとうございます!」
 セインが振り返り深く礼をする。サークはそれきり何も言わなかった。
 その姿を見て、二人もまた微笑んだ。

 もう遅い時間と立地条件を考慮して、ミーアが近くの宿を選ぶ。その代わりにちょっとランクの高い宿にすることにした。
 店内の様子は明るい。比喩ではなく、灯りが多く使われているらしく文字通りの明るさがあった。さらには流れの吟遊詩人(バード)か何かがいるようで美しい竪琴の音色と歌声まで聞こえた。
 店主に宿泊の部屋数を聞かれて、尋ねるミーアにセインが答える。
「せっかくなのですが、今夜は報告書の作成などもありますので神殿の宿舎に泊まります。」
「そう。…じゃマスター、二人部屋を一つ。」
「えっ?」
 後ろで戸惑うナシィにミーアが振り返る。
「別にいいでしょ。その方が安くつくし、あたしは別に気にしないわよ。」
「まあ、ミーアさんが気にしないのなら僕は別に構いませんけど、でもやっぱり…。」
 歯切れ悪く答えるナシィを無視して、さっさとミーアは二人部屋を頼んだ。
 そのまま夕食を三人分頼み、丸テーブルに移動する。今までの店よりも広い机は三人が囲んでもまだまだ余裕があった。
「先に報酬の件を済ませておきましょうか。」
 ミーアの一言で、セインがもらった小袋を出して机の上に置く。
「後金は1000Gでしたね。では、二割減なので800Gを。」
 早速金貨を並べ出そうとするセインをナシィが慌てて押しとどめた。
「ちょっと待ってください。もともとの1500Gが二割減なんですから、前金で500もらいましたので差額は700でいいはずですよ。」
「しかし、前金に関しては仕事前のことでしたから…。」
 八枚目の金貨を手にしたままセインが戸惑う。
 そのまま数秒が経過した。
「あーもう。あんたは全くお人よしなんだから!」
 突然にミーアが言った。驚くセインの手をとってそこに握られたままの一枚の金貨を拾う。
「こうしよう。あたしたちの報酬は700G。で、この100Gは今夜の食事代として贅沢に使ってしまう。それでいいわね?」
 そう言って残る二人を交互にじっと見た。
「…それなら、まあいいですよ。」
 ナシィが苦笑しつつ提案を呑む。
「ですが…。」
 まだ迷うセインに、ミーアはさらに言った。
「ほら、いつまでもこんなことで悩んでたって仕方ないでしょ。食事ももう来たんだし、とりあえず机の上を空にしなくちゃ。」
 そう言いながら合計800Gを手にして、袋に入ったままの残りをセインに投げて返す。
「そうですね。」
 セインが照れたような笑いを見せ、袋を受け取る。言葉の通りに食事が運ばれてきていた。
 並べられるそれを横目で見ながら早速ミーアは追加注文を始めている。二人も慌てて壁に張られたメニューを確認した。
 ―贅沢すると言っただけあって、かなり様々な品を食べることができた。机の上にはいくつもの空き皿が積み重なっている。ナシィも普段は頼まないようなデザートをつい口にした。
 とはいえあくまでちょっとランクの高い宿の食事程度、計算してもそうむやみに高い値段にはならなかった。そのことに少し安心する。
 食事が一段落して机の上の空間に余裕ができた頃、ミーアが再び金貨を一枚取り出した。
「じゃ、1200の半分で600受け取ったから。残りの100Gね。」
 弾かれた金貨をナシィは両手で受け止めた。
「分かりました。ここの支払いは?」
「言ったでしょ、あの100Gは贅沢に使うって。あたしが預かったんだから残りの支払いも引き受けるわよ。」
 食事だけならともかくその後の二人分の宿泊費を考えればどう考えても100Gでは足りないはずだったが、自信たっぷりに言うミーアの言葉に意見は止めておいた。正直、もともと1500Gの収入の予定が半額以下の600Gになるのはいささかつらい。まあ生活費を抑えるなら手がないわけではなかったが。
 ともかくその心意気に感謝をする。
「ありがとうございます。」
「気にしなくていいわよ、もともと後から入ってきたのはあたしの方だからね。」
 そう言って片目をつぶってみせた。
 歌声はなく竪琴の澄んだ音色だけが聞こえてきた。何となく、次の言葉が出てこなくて静かになる。
「…二人とも、今回の旅では本当にありがとうございました。」
 セインが礼をした。机の中央に置かれたランプの光がかすかに揺れた。
「今さら、そんなこと言わなくていいわよ。…まあいろいろと楽しかったしね。」
 そう言ってミーアがくすりと笑う。そしてそっとナシィの方を見た。
「実際、色々なことがありましたけど…印象に残る旅だったことは間違いありませんね。」
 ナシィも苦笑した。確かにこんな旅は初めてだった。一人旅を始めてからも仕事で他の人と一緒に行動することはあったが、ここまで自分自身を見せるようなことはなかった。
 笑いに照れがつい混じる。
「まあね。でもそれは、お互い様よ。」
 ミーアがワインを口にした。上質のものなのだろう、漂ってくるほのかな香りは優しく穏やかだ。
 お互い様だとミーアは言ったが、やはり二人のおかげだろう。自分の正体を感づき一度は攻撃をかけながらも手を引いたのも、そして自分に向けて涙を流してくれたのも…あれ以来久しぶりだった。感謝するのは、自分の方だ。
 そして胸がまた小さく痛む。仕方のないこと、必要なこととは分かっていても、真実を隠したままであることは事実なのだから。
「お互い様なら…僕からもお礼を言いますよ。二人とも、本当にありがとうございました。」
 言葉は自然に口をついていた。嘘偽りのない、本音。
 セインが小さく首を横に振った。
「いえ。私は、何も…。」
「そんなことはありません。あの言葉は―救い、でしたから。」
 そう。胸の内に押し殺し忘れかけていた痛みを思い出させてくれた。それは自分にとっての、救いだ。
 セインがそっとうつむく。その頬は光の加減か少し赤みがさしているようにも見えた。
「まあ、いい旅だったことは間違いないみたいね。仕事のことはともかくとして。」
 ミーアがあっさりと言う。ナシィを見るその目は笑っていた。
「そういうミーアさんにとっては、今回の旅はどうだったんですか。」
「あたし?言ったでしょ、楽しかったって。それで十分よ。」
 笑った口元から本心を見抜くことは難しい。ワインに濡れた唇は赤く艶めいていた。だが、笑いそのものは言葉通り楽しげなものだ。
 セインがアイスティーを手にした。口にはせずそのまま止まる。
 グラスの中で氷の触れ合うかすかな音がした。
「ナシィさん。神殿の方でも、今回の事件に関しては調査を続けていくつもりです。少なくともあの魔剣の製造を止めなくてはならないことは確かですから。」
 顔を上げてはっきりと言った。目には強い光がある。
 ナシィもうなづいて、言葉を返した。
「…ええ。ただ、僕はあくまで独自の探索を続けます。神殿との共同作業にはならないでしょう。」
「それは…。」
 表情が少し悲しげなものに変わる。だが構わずに言葉を続けた。
「幸い、今回は盗賊団という情報を入手できそうな手がかりが残っています。まずはそれを追いますよ。これは、個人の方が動きやすいですし。神殿は別のやり方で調査を続けてください。広範囲にわたる大規模な情報収集などはそちらでしかできないはずですから。」
「…そうですね。」
 納得してセインもうなづいた。
「お互いに追うものは一緒なんです。ひょっとしたら、その中でまたいつか出会うかもしれませんね。」
 微笑みを見せる。
 恐らく、それはまずないだろう。究極的には神殿側と自分の追うものは違う。神殿側は彼(・)の為したことを調べ、その罪を突き止めるのが目的となる。だが自分の求めるものはそうではない。―存在、そのものだ。
「縁があれば、人はきっとまた会う。―うちの村で昔よく聞かされたわ、旅人の教えだって。」
 ミーアは静かに言った。旅の民の言葉、語り継がれるそれは全ての旅する人への言葉だ。
「縁、ですか?」
 セインが問いかける。
「そう。ある意味では、こうやってあたしたちが出会ったのも一つの縁と言えるわね。それから、さっきセインが先輩と再会したのも。」
 ミーアが笑って言った。セインの顔が赤くなる。
「あれは、ただの偶然ですよ。縁だなんてそんな、」
「偶然ととるか縁ととるかは個人の自由よ。その後、どう動くかもね。偶然の再会で恋が芽生える、うん、悪い話じゃないわね。」
「ミーアさんっ!」
 真っ赤になってセインが声を強めた。対するミーアは余裕とも楽しんでいるともとれる笑みをみせている。…多分両方だろう。
「ま、からかうのはこれくらいにしておいて。」
「…。」
 黙りこむセインに優しく語り掛ける。
「お疲れ様。そっちはこれから忙しいだろうから、頑張ってね。」
「…ミーアさんはこれからどうするんですか?」
 赤さの引いた顔でセインが聞き返した。
「さあね。どうせ気ままな一人旅だから。少し休んだらまた仕事を探して、そしてここをまた出て行くでしょうね。…だから多分、もう一度会うことはないわ。」
「そうですか。」
 うつむきかけたセインをミーアは指差した。セインが驚いてそれを見つめる。
「だから、もしまた会うことがあれば…それがきっと縁よ。そうじゃない?」
「―はい。」
 セインも笑顔を見せた。
 置いていたアイスティーを再び手に取り、今度はまっすぐ口に運んだ。そのままグラスを傾ける。
 戻されたグラスは透明だった。
「それでは、私は帰ります。…ありがとうございました。」
 礼をするセインにミーアが手を振る。
「だから礼とかはいいんだってば。…元気でね。」
「はい。ナシィさんも、お元気で。」
 顔を上げたセインは微笑んでいた。一瞬、あの夜の微笑みが重なる。
「―ええ。お互いに、元気でいましょう。」
 だから、笑顔を返した。
 立ち上がったセインは二人に向けて右手を差し出した。
 その手にミーアも、ナシィも自分の手をそっと重ね合わせる。
「それでは、さようなら。」
 互いに笑顔を見せ、別れの挨拶が交わされた。

 セインが出て行ったのを見送ってから、ミーアがつぶやいた。
「…可愛い子、だったわね。」
 閉められた扉の向こうを見るその目は母親のようだ。
「ええ。でも、きっと芯は強いですよ。」
 答えるナシィの表情もまた穏やかである。
「そうかな…うん、そうでしょうね。じゃなきゃ、ああはやっていけないもの。」
 大きくうなづいた。
 詩人の高らかな歌声がその間を流れる。どこか遠い地の、勇気ある冒険者たちを称える詩だった。
 そしてミーアがその目を再びナシィに向ける。
「さて、と。それで、これからどうするつもり?」
 問うミーアの顔は、手練れの冒険者のものへと戻っていた。
「その事なんですが。…仕事を一つ、依頼したいんです。」
 それを見つめるナシィの瞳もまた、鋭いものへと変わる。
「いいわ、話を聞かせて。引き受けるかどうかはそれから決めさせてもらうわ。」
 ミーアは正面に置かれたワイングラスを脇へと引いた。顔の前でその指を組む。
 大きな瞳は、まっすぐにナシィを見つめていた。
 ナシィは一度考え込むように視線を落とし、再び顔を上げた。正面からその視線を受ける。
「―仕事は、盗賊団の中心人物の捕獲です。」
 冷静な口調で話し始めた。
「今回の仕事の最中に襲ってきたあの盗賊団。その中で、魔剣に関する情報を持っていると思われる者を生きたまま…正確には、尋問ができる状態で捕らえてください。」
 迷うことなく、一息で全てを伝える。
 ミーアは無言のままナシィの目をじっと見つめていた。試すようなその視線は、圧力となって相手にのしかかる。
 互いの瞳が向かい合う。
 しばしの時間を経て、ミーアが息をついた。
「…いいわよ、引き受けるわ。」
 そう言って小さく笑う。
「あたしとしてもあの盗賊たちの動きが気になってたからね。仕事としてというよりは共同に事に当たるパーティとして、それを引き受けるわ。」
 はっきりと答えると、組んでいた手を外して右手を差し出した。
 ナシィも答えるようにその手を差し出す。
「改めて、よろしくね。」
「こちらこそ。よろしくお願いします。」
 力強い握手が交わされた。
 一拍をおき、その手が再び離れる。
「じゃ、まずは情報交換といこうか。まずはそっちが知っている、魔剣についてのことを教えて。」
 尋ねてきたのはミーアからだった。
 ナシィが言われるままに答えを返す。しかし、ナシィ自身もさしたる情報を知っているわけではなかった。
 まずは魔剣そのものについてのことを話す。魔剣にはいかなる手段によるものかは不明だが、本来なら人では扱えないような闇の魔力が付加されていた。そもそも闇の魔力はこの世界に生きる生物には害でしかない。特に力ある魔法使いなどでなければ、扱おうとするだけで力に犯されて死に至るほどのものだ。そしてこの剣によってつけられた傷は、闇の魔力が加わることで苦痛と腐敗を起こし、その上光の魔力による回復魔法の効果を減じてしまう。さらに、強奪した盗賊は魔力に犯されたが、封印をうまく施せば使い手にはなんら害を与えないようにすることも可能だった。
「危険なものであることは誰にとっても間違いありませんが、恐らく盗賊にとってはその力は魅力的だったのでしょう。」
「忠誠と引き換えに力を得る…よくある話ね。」
 ついで、魔剣に関わる存在についての話へと移った。すなわち、彼(・)だ。だが、その居場所も、組織も、目的すらも何一つ分かっていなかった。分かるのは外見と名のみ。そしてもう一つあった。
「以前見た組織の一員と思われる人間、および持ち物には印章が彫られていました。これがその形です。」
 ナシィは自分のペンと紙を取り出し、直接描いて示した。
「六角形の中に、いばらの蔦が絡まる十字架か…。」
「分かっているのは、これだけです。」
 ナシィが小さくため息をつく。
「手がかりが少なすぎるわね。その、さっき言った手がかりを見つけた所には他に何もなかったの?」
 ミーアからの問いかけに、ナシィはほとんど反射的に身を強張らせた。
「…すみません。それに関しては、聞かないで下さい。とりあえず分かっている範囲のことは全てお話ししましたから。」
 傷は未だ癒えない。恐らくは、誓いが果たされる時まで永遠に。
 ナシィの握りしめられた拳が震えていることにミーアは気づいた。それを本人が気づいていないことも。
「分かったわ。…その過去の事にはもう触れないから、落ち着きなさい。」
 言われて、ハッと我に返る。
 ナシィは自分の両腕がひどく強張っていることにようやく気づいて、ゆっくりとその力を抜いた。自分自身に苦笑をする。
「すみません。とりあえず、こちらが分かっていることはこれで全てになります。」
「なるほどね。一応、あたしが気になっている盗賊たちの動きについても説明しておくわ。」
 話された内容は、最初の自己紹介で旅の目的として話した事とあまり変わりはなかった。盗賊団同士は通常反目しあっており、壊滅させられたうえで吸収される事などはあっても双方の力がある状態で手を組むなどという事はこれまでなかった。ところがここ数年、そうした動きが現れだしているらしい。今回の仕事でもそれは同様だった。最初に村を襲った盗賊団は力をある程度残していたにも関わらず、途中からその人員を大きく増やしていたのだから。他には襲撃量に対して保有する金品の類が少ない事も何回かあった。
「もし、この二つの話が一つにつながるのだとしたら…。」
 ミーアがつぶやく。ナシィはそれに答えた。
「盗賊団たちは、魔剣を扱う何らかの組織に支配されつつあるというところでしょうか。」
「可能性は高そうね。まあ、あたしがここ数年旅してきた西部に限った話だけれど。」
 そう言って、一度大きく背筋を伸ばした。話に集中して強張っていた体をほぐす。
「さて。問題は、これからどうするかね。」
「盗賊を追うという方針は決まっていても、今度はこちらから探さないといけませんし。」
「さすがに、神殿内に収められた物を取り返しには来れないでしょうからね。」
 ミーアが窓の方を見る。直接は見えないが、その方向には先ほど訪れたライセラヴィの神殿があった。
「だとすると、どう動きましょうか。」
 窓の外は既に夜の闇だ。だが、街の夜はまだ終わっていない。様々な明かりと絶えない呼び声が未だ道を埋めていた。
「まずは、最初に襲撃があった北の村…コーの村に行かなくちゃいけないわね。あそこならもともと盗賊団の根城も近かったでしょうから、情報を得やすいわ。」
「となると、元来た道を逆に戻ることになりますね。」
「…せっかく町のマスターに別れの挨拶をしてきたのに、これじゃ台無しね。」
 苦笑する。
「まあ、よくある話ですよ。…でもあのマスターですか。」
 ナシィも思い出して苦笑した。さんざからかわれたことは、まだよく覚えている。
 そのことを考えていたので、ミーアが一瞬苦笑ではなく本当に笑ったのをナシィは見逃してしまったが。
「…じゃ、方針も決まったし話はこれでいいわね。」
 ミーアの呼びかけにうなづく。
「はい。部屋に荷物でも置いてきましょうか?」
「そうね。あたしは支払いだけしてから行くわ。荷物は自分で持っていくから。これ、部屋の鍵ね。」
「はい。」
 部屋の鍵を受け取ってナシィは立ち上がった。
「それではお先に。…よろしくお願いします。」
「任せなさい。伊達に、十年も冒険者を続けてはいないわよ。」
 ミーアは不敵に笑って返事をした。
 ナシィもそれには笑みを返して、一人二階へと向かった。
 吟遊詩人の歌声はまだ続いていた。


 気配に気づいて、サーク・ブーフェットは顔を上げた。
 読んでいた本に栞をはさんで机に置く。そしてそのまま少し待ってみた。
 物音はしない。もともとこの保管室の管理部屋は、外に扉の解呪文が聞こえないよう特に防音に気を使って作られている。だからよっぽどの轟音でもない限り外の物音が聞こえるはずはなかった。
 しばらく耳を澄ませていたが、それきり何の音もしなかったので再び本を手に取った。
 ただの気のせいだ。
 夜番にあたっていると時々あることだった。何もなかったことに少しだけ安堵し、本をめくる。
 この仕事の評判はあまり良くない。めったに人の来ない保管室の管理人なんて退屈だとよく言われる。特に任務の関係上、魔力がある程度優れているものが任されるために不満の声は大きかった。えてしてそういう者の多くは、自らの魔力を直接人の役に立てたいと外務や研究職に就きたがるものだ。
 しかし彼にとっては、この環境は理想に近かった。待機中はめったに人も来ない。私物などの持込は自由だったので、文献の研究にはまさにうってつけだ。生来の魔力とこの仕事に就くまではそれなりに真面目に仕事をこなしてきたため、準一位神官というかなり高い地位を得ることができた。おかげで神殿の蔵書をほぼ全て借りることもできる。
 手にしている書物を繰りながらぼんやりと考える。今日は思わぬ知り合いに会った。そういえば、修道院にいた頃はよく彼女が自分のところに来ていたものだ。先輩と呼んでくるその姿はなかなかに微笑ましかったのを覚えている。彼女は人のために自分の力を役立てたいと外務を希望していた。夢はかなったわけだ。
 ふと思い出して、手首につけられた細い編みこみの腕輪を見た。そういえばこれも彼女にお守りとしてもらったものだ。切れた時にその人の一番の願いがかなうと言っていた。だが卒業の時にもらったその場で縛って以来、未だに切れていない。
 口元に小さく笑みが浮かぶ。明日、会いに来るのだったら色々と話を聞いてみるのも悪くないかもしれない。
 本を片手にそうしたことを考えていたため、その時、扉のノブが音も立てずに動いたことに彼は気づかなかった。
 扉は突然に開かれた。
「ここだな!命が惜しけりゃ、大人しくしな。」
 身構える間すらなかった。
 一瞬で相手に詰め寄られ、喉元にダガーを突きつけられる。
「…分かった。」
 素直にうなづいて、まず本を下ろす。もともと格闘戦の類は不得手だ、下手に抵抗して殺されるのは愚の骨頂だろう。そう考えて一旦は相手に従っておくことにした。
 状況を確認する。まず自分を押さえつけている男が一人。身なりと行動からして盗賊のようだ。それから入り口には、若い僧を連れている仲間らしいのがもう一人。僧は同じように喉元に短剣を突きつけられていた。頬に赤いものが見える。恐らくは逆らって切られたのだろう、少し同情の念がわく。偶然今夜の夜番に当たったばっかりにこんな目に遭うとは、彼も不幸なものだ。
「話の分かるやつで助かるよ。じゃ、次のお願いだ。短剣を出しな。」
「…短剣?何のことだ、もう少し詳しく説明してくれ。」
 男の要求しているものは分からなかった。この保管室の中には、魔道具である短剣なら何本も存在する。
「しらばっくれる気か?まあいい。時間稼ぎされても厄介だから教えてやるよ。今日運ばれてきたばかりの短剣だ。厳重に封をして運ばれてきたんだ、ここに届けられてるに決まってる。」
 その言葉で要求するものが何かは分かった。今日、セインが持ち込んできた荷物だ。厄介なものを持ってきてくれた、任務だから仕方がないとはいえ少しそう思う。
「どうだ兄ちゃん。これでもまだ分かんねえって言うなら、次は体に聞くことになるがな。」
「分かったからそれは止めてくれ。あれなら、その扉の向こうだ。」
「じゃあ開けてくれ。どうせ封印がされているんだろ、頼むぜ。」
 内心舌打ちする。相手もそこまで馬鹿ではないらしい。
「分かったよ。なら、まずはそこまで行かせてくれ。開けるんなら前まで行かなくちゃどうしようもない。」
「まあ当たり前だな。ほら、立て。」
 腰掛けていた椅子から立ち上がる。扉の脇に置かれた杖を持とうとした瞬間、声が飛んだ。
「杖は使うな。おかしなことをされちゃかなわないからな。」
「これがなくては扉は開けられないんだ。」
 嘘である。だが、反撃の糸口を掴むためにもここでなんとしても杖を確保しておきたかった。魔法の負担も減るし、修道院時代に授業で習わされた棒術もまだ何とか使える。
「ちっ、仕方ねえな。だが扉が開いたらその場で手を離しな。」
 しかし相手もやすやすとは許してくれないようだ。
「扉の維持に必要だ。出てくるまでは持っている必要がある。」
「…まあいいだろう。だったら、さっさと開けな。」
「言われるまでもない。」
 反撃の糸口は見つかりそうになかったが、仕方がないので杖を手に扉を開ける。
 今さら手遅れとも思えるが、せめて解呪文だけでも聞かれないよう小声で発音した。幸い男は魔法には興味がないらしく聞き耳を立てている様子もない。
 呪文を唱え終わると、扉は淡く輝いた。その光が消えたところで手をかける。
「開けな。」
 扉を開いた。
 中は暗闇に閉ざされていた。
「灯りを作る呪文を唱えようか。」
「目潰しされちゃたまらねえ。持参の灯りを使うさ。おい、そいつはほっといてこっちに来い!」
 後ろで鈍い音と悲鳴が上がった。振り返って確認しようにも身動きは取れない。
「心配はいらねえ、ちょっと眠ってもらっただけだ。まあ起きられるかどうかはそいつの運しだいだがな。」
 男が笑うのが分かった。…今はどうしようもない。
 すぐにもう一人の男によってランタンが持ち込まれた。暗かった室内の様子がうっすらと見えるようになる。
「さあ、案内しな。」
「…こっちだ。」
 あいにく、まだ分類もできていない品は入ってすぐの場所に置かれていた。持ち込まれた状態のまま包まれて転がっている。中身は短剣だと聞いたが、いかなるものだろうか。
「これだ。」
 かがめないので、手にした杖の先で示した。
「拾って、お前がその包みを開けな。」
 男はそう言って束縛を少し緩めた。
 罠か何かを警戒したのだろう、だがこれは貴重なチャンスだ。しかも手にしているものは一応は武器である。わざわざここに運んでくるくらいの物だ、危険ではあるが何らかの力を持っている可能性は極めて高かった。
 まずは言われたとおり封を破る。封印のされている鎖を外し、布をはがす。暗がりのため鎖に施された封印の種類を確認することはできなかった。
 中から現れたのは、何の変哲もない短剣だった。だがかすかに魔力を感じる。恐らくは鞘に収められているためにその働きを抑えられているのだろう。少し手を引くと、たやすく抜けそうだった。
 …やるなら今だ。
 すかさず剣を抜いて、男の腹部に斬りつける。
「ぐわっ!」
 一瞬遅れて男のダガーが肩に突き刺さった。激痛が走るが、命に別状はない。
 そのまま保管室を飛び出した。開いた扉から廊下に向かう。宿舎なら確実に人がいるはずだ。
 だが、その瞬間背中に焼かれるような痛みを感じた。
「余計なことをしやがって!」
 もう一人の男だった。
 そのままもんどりうって倒れる。背中の痛みは変わらなかった。斬られたらしい。
「―っ!」
 更なる痛みが襲った。
 男が、傷口を踏みにじっていた。痛みに本能的にうずくまる。握ったままの剣は一緒に抱え込んでいた。
「ちくしょう、おい、大丈夫か?」
「…いてえ、いてえよ…血が止まらねえ…!」
 男の会話がかすかに聞こえた。盗賊らしからぬ弱気な言葉に少し驚いてから気づく。それが、この剣の力だろう。
「この野郎、よくもっ!」
 思考は途切れた。再び背中に激痛が走る。もはや息もできない。
「てめえはぶっ殺してやらなきゃ気がすまねえ…その後でその手にした剣を持って行くさ。まずはその耳から…。」
 相手の声すらもいつしか聞こえなくなっていた。
 少しずつ、感覚が薄れていく。なのに意識だけはまだはっきりとしていた。
 痛みまでも徐々に消えていくにつれて、不思議と気持ちが落ち着いてきた。あきらめだろうか。救援の来ない状況でこの傷では、さすがにもう助かるまい。
 先ほどまであった嫌悪感も薄れていた。剣を抜いて男に斬りつけた時から、肌が粟立つような不快感があった。それももはや感じられない。
 ようやく意識が朦朧としてくる。同時に、曖昧な意識の中で自分の存在が希薄になっていくように感じた。
 怖くはない。逆に、心地よさすら感じていた。
 視界が暗闇に閉ざされていく。

 そして、彼の意識は失われた。

   第三章 Integrate.〈中〉


 悲鳴が響いた。

 聞こえてきた声に、ナシィは飛び起きた。
 今は真夜中。室内は暗く、窓からのわずかな光だけが全てを照らしている。
 その窓に駆け寄って外を見る。音は遠くから聞こえた。視界の先には、夜の闇の中にそびえる神殿が見える。
「何があったの?」
 同様に目を覚ましたらしいミーアが、背後に立っていた。
「悲鳴が聞こえました、外からです。方向は確認できませんでしたが。」
 それを聞いてミーアも窓の外を覗いた。一通り見回して、その視線が一箇所で止まる。
 神殿の方角だった。
 舌打ちし、表情が歪む。
「…見積もりが、甘かったかもしれないわね。」
 ナシィはつぶやきに振り返った。
「―まさか!」
 ミーアの目は外を見つめたままだった。その顔は険しい。
「恐らくヤツラよ。神殿に急襲をかけたわね、あたしたちも急ぐわよ!」
「はい!」
 それだけで全ては分かった。
 部屋に置いたままの装備を素早く身に着け、外へと飛び出した。

 セインは外の騒がしさに目を覚ました。
 扉の向こうから聞こえるのは悲鳴と怒号、異常が起こっている事をすぐに察知する。
 跳ね起きて素早く身支度を整えた。杖を片手に扉を開く。
 宿舎の廊下には、避難する僧や巫女の姿があった。その中で指示を出している僧を見つけ状況を聞く。
「何があったんですか!」
「あ、た、大変です!本殿に魔物が現れたんですっ!」
 まだ若い僧の顔は青ざめ、震えていた。なだめるようにその肩に触れる。
「分かりました、落ち着いて。その場所は?」
「保管室前の通路です。」
 その場所を耳にした瞬間、セインの顔も青ざめた。
 保管室の今夜の夜番は―サークだ。彼の力ならばそうそう魔物に引けは取らないと思うが、それでも万一のことがある。何より、保管室付近に魔物が現れたということは保管室で何かが起こった可能性が高かった。
 動揺を顔に出さないよう努めて、不安がる僧に言葉をかける。
「では私もそちらに向かいます。あなたは、彼らを安全に避難させて下さい。」
「は、はい!」
 それほど力を持たない僧や巫女では足手まといになるだけだ。指示に従って避難を続ける彼らを横目に、セインは保管室へと全速力で駆け出した。
 胸を締め付けるような不安は治まらない。果たして、彼は無事でいるだろうか。まだ再会の挨拶もろくに交わしてないというのに。
 気持ちを落ち着けようと、手にした杖を強く握り締めていた。

 駆けつけた神殿の前では戦闘が始まっていた。
 剣戟の音とほとばしる魔力、そして時折起こる叫びがそれをはっきりと伝えていた。
 魔法やランタンによるいくつもの光が、揺れ動きながらあちこちを小さく照らしている。
 盗賊たちと戦っているのは付近の宿に泊まっていたらしい冒険者だ。ただしどちらの数もそれほど多くはない。
「多分、親玉は神殿の内部にいるわ。抜けるわよ!」
 ミーアの一声で、二人は一気に階段の中央を駆け上がった。
 それに気づいた盗賊たちが斬りかかる。
「邪魔よ!」
 ミーアは素早く刃をかわすと、既に構えていた武器でその喉元を裂いた。
 盗賊が血しぶきをあげて倒れる。だがミーアはそれを確認することもなく、そのまま神殿内部へと向かった。
 ナシィにもまた斬りかかってくる盗賊がいた。
「くっ!」
 かわしきれず刃が腕を裂く。だがそれには構わずに剣で斬りつけた。
 盗賊が倒れる。
 腕には痛みが走ったが、構わずにミーアを追った。どうせすぐに跡形もなくふさがる傷だ。支障はない。
 階段を上り、神殿内部へと足を踏み入れた。

 この先が保管室だ。
 息を切らしながら、目的地までの最後の曲がり角を曲がる。もう目の前だ。
 ―通路の先が見えた瞬間、息を呑んだ。
 無残な破壊の跡があった。壁にはまるで強い力で殴られたかのような陥没がいくつもあり、まばらな血痕が散っていた。
 地面には血だまりが広がっている。その中には壁の破片にまぎれて死体が一つ横たわっていた。服装から神官でないことだけは分かった。だが胸より上と思われる部位は、潰されたかのように崩れた肉片と化している。
 こみ上げる嫌悪感と血の臭いに、片手で口元を覆った。しかし目はそらせない。
 保管室の入り口の扉は開かれていた。血だまりを避けて室内に足を踏み入れる。
 僧が一人、血にまみれて横たわっていた。駆け寄る。だが先に来た誰かが簡単に手当てをしていってくれたらしい。呼吸に異常もなく、眠っているかのような表情をしていた。
 無事だと分かって立ち上がる。歩み寄って奥の扉を確認した。封印は正常に働いているらしく、手をかけても動く様子はない。そのことにほんの少しだけ安堵する。
 再びざっと室内を見回した。他に人の姿はない。血しぶきは外と同様にまばらに広がっていた。
 サークの姿も、ない。
 …ここは放っておいても問題はあるまい、そう判断して廊下に出る。
 血に濡れた大きな足跡が先へと続いていた。明らかに人のものではない―現れた魔物のものだ。
 通路の先を見つめる。耳を澄ますと、いくつかの叫び声らしきものが聞こえてきた。
 セインは再び駆け出した。

 礼拝所は、昨夜と同じ柔らかな光に満たされていた。
 その明るさが明確に事実を伝える。広い礼拝所は、静かな祈りの場から戦場へと化していた。
 ナシィたちは状況を確認した。
 どこから現れたのか、20を超える数の盗賊がそこにはいた。戦うのは神殿の神官たちだ。だが、数で負けている上に武器を振るって直接戦うのには慣れていない者が多いためか苦戦をしている。
 そして…中央にはもう一つの姿があった。

 廊下を進むにつれて、声は明確に聞こえてきた。
 呪文を唱える声と攻撃を放つかけ声、そして悲鳴だ。いくつもの音が重なり合って狭い廊下に反響し、耳が痛む。
 足跡はまっすぐ続いていた。正面、開かれたままの扉を抜ければ礼拝所にたどり着く。
 飛び出した。

 そこにいたのは、まぎれもなく魔物だった。
 トロール、それは人間型(ヒューマノイド)の魔物。体格は人間のおよそ2倍、筋肉質の体は赤茶けた肌に覆われている。そして恐るべきはその肉体そのものだった。魔法を使うことはできず知能も簡単な言葉を何とか理解することしかできない程度だが、その欠点を上回るすさまじい力をもっていた。その腕の一振りはたやすく巨木をへし折るだろう。さらにもう一つ、たいていの傷はすぐにふさがってしまうという高い再生能力をも備えていた。
 トロールは見境なく暴れていた。自分の周りにいる者は神官であろうと盗賊であろうと無差別に襲っていた。
 一人の盗賊が、その腕の一振りで吹き飛ばされるのが見えた。

「―セインさん!」
 ナシィは思わず声を上げていた。部屋の左奥の扉から現れたのは、間違いなくセインだった。
 しかしこの声に反応して盗賊がこちらに気づく。すぐにこっちに向けて駆け出してきた。
 うかつだった。自分の行動ミスに気づき、内心で悔やむ。だが今は目の前の相手を倒すのが先決だ。
 斬りかかってきた盗賊の攻撃を間一髪でかわす。
 外にいた相手よりも腕がいいようだった。巻き込まれた髪が切られ、落ちる。
「邪魔なのよっ!」
 ミーアもまた相手の攻撃を受けていた。武器同士のぶつかる鋭い金属音が響く。
 再び盗賊がナシィに斬りかかろうとした。
 早い。間違いなく、腹部を裂かれるだろう。
 恐怖はない。隠す必要のなくなった今、傷など何の意味もないからだ。逆に相手に隙を作らせるチャンスだった。
 次の一撃に備えて身構える。
 刃が届いた。
「―ぐあっ!」
 叫んだのは、盗賊だった。
 ナシィは目を見開いた。その場で盗賊が倒れる。
 その向こうから駆け寄ってくるセインの姿を見て、何が起こったのかを悟った。
「大丈夫でしたか!」
「ええ、セインさんは。」
「―私は、無事です。」
 返事にわずかな間があった。しかしそれを尋ねる間はない。
「セイン、状況を説明して!何が起こってるの?」
 盗賊を斬り捨ててミーアが尋ねた。珍しく、少し息を切らしている。
「分かりません、私もたった今来たばかりなんです。」
 そして振り返った。その先では魔物が暴れ続けている。
「保管室前に魔物が現れたと聞き、その足跡を追ってここまで来ました。…なぜ、盗賊まで。」
 魔物の周りには何人かの盗賊がいた。
 ナシィも改めて見て、気づいた。戦ってはいるがどうも様子がおかしい。魔物に攻撃を加えようという様子はないのだ。むしろ神官からかばおうとしているかのようだった。
「これはあたしの予想になるけど、恐らくは昨日の盗賊たちよ。あの魔物も、また魔剣のせいで出てきたんじゃない?」
 ミーアが素早く答えた。セインの表情が驚きに変わる。
「そんな!あれは、保管室に運んだはずです。」
「他に考えられないでしょ、それにあの先輩はどうしたのよ!」
 その言葉にセインは部屋の中を見回した。数回それを繰り返し、首を振る。
「…どこにも見当たりません。」
「ならもういいわ。まずは、あの魔物を何とかするのが先だし。」
 ミーアが再び魔物をにらむ。
「行くわよ、魔法の援護を頂戴!」
 そう言うやいなや、まっすぐに魔物に向けて駆け出していた。
 ナシィもその後を追う。
「は、はい!」
 セインも返事をし、二人の後を追った。

 部屋の中央にはトロールがいた。それを囲むように盗賊たちがいる。神官のうち何人かは盗賊と直接交戦していた。また別の神官はトロールに呪文を放つ。それを別の盗賊が妨害すべく攻撃をしていた。完全な乱戦だ。
「ナシィ、あんたは魔物の足止めを!あたしたちは盗賊を何とかするから!」
「分かりました、依頼の件もよろしくお願いします!」
 貴重な手がかりでもある盗賊を全滅させるわけには行かない。
「大丈夫よ、その代わりそっちは完全に任せたから!」
「はい!」
 答えて、ナシィはまっすぐにトロールに駆け寄った。
 気づいた盗賊の一人が斬りかかろうとする。だが次の瞬間、光の糸がその体を束縛した。セインからの援護だ。
 胸の内で感謝をして、そのまま駆け抜けた。
 トロールは向こうを向いていた。腕を振り回し、目の前の神官を殴りつけようとしている。
 そして接近して初めて気がついた。トロールは衣服などを身に着けることはないが、目の前の相手は体の所々に千切れた服らしきものをつけていた。それはかろうじてだが神官のものだと分かる。魔物化したのはここの神官だったのだろう、巻き込まれたその存在にナシィは哀れみを感じた。
 だが感傷は何の意味も持たない。魔物化した者は既に人としての意識を残してはいないのだから。今できることは、止めを刺してやることだけだ。
 まずは気を引くべく斬りかかった。相手の体は固い。両腕で剣の柄を握り、一気に薙ぐ。
 背後からの攻撃は回避されることもなく、そのまま肉が裂けた。
「グワアアッ!」
 トロールはうなり声を上げた。傷みは感じるらしい。しかし、剣を振りぬいた瞬間にその傷はふさがり出していた。再生能力だけなら自分と同等だろう。
 振り返る。血走った目は、確かに自分を捉えていた。どうやら気を引くことには成功したらしい。後はどれだけ時間を稼げるかだ。
 拳が動いた。
 ―速い!
 何とか身をかわす。轟音とともに、殴りつけられた地面が陥没した。体に対して大きな腕から繰り出される打撃はその怪力も相まって恐ろしい破壊力を生む。直撃を食らえば人の体など粉々になるだろう。
 相手に傷を負わせるという意味では、反撃は何の役にも立たなかった。一撃で首でも落とさない限りこの怪物に傷を負わせることはできないだろう。たとえ手足を切り落としたとしてもつなぎ合わせれば数秒で完全につながるのだから。最も有効な手段は光の属性を持つ魔法だったが、今の自分にそれが使えるわけがない。
 回避に専念して、相手の打撃を避けていく。
 傷を負うのは何も問題ないとはいえ、吹き飛ばされたり潰されたりするのは避けたかった。前者ならここまで戻ってくるのに時間がかかるし、後者でも再生には手間取るだろう。何より周りにはまだ多くの神官がいた。いらぬ誤解を招くのは避けたい。
 再び拳が振り下ろされる。かわした後の地面が、また陥没した。その打撃によってクレーター状に凹む。
 相手の攻撃は素早かったが、単調だった。力任せに拳で殴りつけるだけだ。まったく予測ができないというわけでもない。
 これならば何とかなる…そう思った矢先に、突然背中に痛みが走った。
 反応が一瞬遅れる。
 飛びのいた目の前を拳が通り過ぎた。何とかだが、トロールの一撃はかわすことができた。振り返る。
 一人の盗賊が今まさに自分を斬り下ろそうと長剣を振り上げていた。
 これもとっさに横に飛んでかわす。
 先ほどの痛みも、この男に斬られたものだろう。素早く周囲を確認すると盗賊と神官たちとの戦いは続いていた。その中にはミーアとセインの姿もある。たまたまこの男だけは手が空いていて、自分を狙ったに違いない。
 武器を構えようとした瞬間、迫り来る気配を感じた。反射的に床を蹴って飛ぶ。
 次の瞬間、その場所をトロールの拳が振りぬいていた。
 相手に協力の意思がないとしても、同時に二人の相手から狙われるのは明らかに不利だった。今は運良くかわせたもののこの後もうまくいくという保証などない。
 ―そもそも、盗賊たちはなぜここにいるのか?
 考える間はなかった。二つの攻撃をかわしていくだけで精一杯だ。盗賊もトロールを恐れて時々攻撃ではなく回避行動をとることがあったが、基本的には自分を狙ってきている。トロールについては言うまでもない。
 援護を求めたかったが、それは無理そうだった。向こうも自分たちの抱えている相手で手一杯だ。
 攻撃をいつまでもかわしきれない、ならばどうするか…?
 再び男が斬りかかってきた。ナシィは、今度はあえて完全にはかわそうとしなかった。
 刃が自分の肩に振り下ろされる。
「くっ!」
 苦痛に声が出るのはやむをえまい。男の口元が笑うのが見えた。
 だが次の瞬間、その顔が驚愕に変わった。
 ナシィが刃をその肩に突き刺したまま、男の腕を掴んだのだ。
 そこにトロールの拳が振り下ろされる。
「や、やめ…!」
 悲鳴は途中でかき消された。
 目の前で、男の体はトロールの拳に潰された。巻き込まれてナシィも倒れるが、これは大した被害ではない。
 …非常手段とはいえむごかった。その瞬間を正視することはできず、顔を背けてしまった。
 生暖かい血の感触にその目を開ける。そこには男はいなかった。あるのは、クレーターの底に付着した判別のつかない肉片だけだ。
 ナシィは素早く立ち上がって自らの体に刺さったままの折れた剣を抜いた。そしてすぐに振り返る。
 だが、トロールの次の攻撃はこなかった。不審に思い、その姿を見る。
 拳を舐めていた。
 いや、正確には自分の手についた肉片を舐めていた。その口元からは赤く濁ったよだれが垂れている。魔物の血の色は黒だ、ならばこの赤は…犠牲者の血だろう。
 わずかな時間、その間にナシィは途切れた思考をつないだ。
 盗賊たちはなぜここにいるのか。―獲物があるからだ。
 正面に立つトロールを見る。礼拝所全体を覆う光の魔力のせいで感知しづらかったが、ようやく分かった。その体から、魔力に乏しいトロールにしては異常なほどに闇の魔力が放たれていることに。
 目を凝らす。…あった。腹部にあの短剣が突き刺さっていた。いかなる偶然か、魔剣は神官を魔物化させた後もその体に残っていたのだ。その肉体の再生能力のために、抜け落ちることもなく刺さったままだったのだろう。
 その時、トロールが再び振り返った。その目がナシィを捉える。
 ナシィも身構えた。
 次の瞬間、濡れた拳がナシィに振り下ろされた。
 前に飛んでかわし、そのまま懐に入る。
 魔剣に触れることに迷いはなかった。たとえどれだけ触れていようと、自分が魔物化することはないと分かっていたからだ。…経験済み(・・・・)だ。
 自分の剣を放り出して両手をかけ、一気に引き抜く。
 剣が抜けると同時に、トロールの蹴りがナシィを襲った。―かわす余裕などない。
 そのまま蹴り飛ばされた。

 宙を飛んで、壁に激突する。
「ぐっ…。」
 うめき声が洩れた。全身に鈍い痛みが走る。だが、それでも構わない。
 自分の手の中には、確かに短剣があったのだから。
 その場でうずくまったまま顔だけ上げた。
 神官たちは盗賊との戦いを続けている。その中にセインとミーアが加わったことで、やや優勢になってきたようだ。トロールは再び近くにいる相手に襲いかかっていた。
 自分に注目している者はいない。
 この機会に、確保した魔剣を一旦隠そうとナシィは起き上がった。
「お、おい!剣が消えたぞっ!」
 だが盗賊の叫びによって、その望みは絶たれた。
 その一声で盗賊たちの動きが変わる。そして、ナシィの方を振り返る者もいた。さっきの剣を抜く動きで感づかれたらしい。
 ならば仕方ない。ナシィはそう思い、手にした魔剣を自ら構えた。
 気づいた盗賊たちが一瞬ためらう。
 その隙に自分から斬りかかった。
「―うわああっ!」
 恐怖に駆られた者が、叫び声を上げて逃げ出す。だが二人ほどは残って身構えた。
 逃げた者には構わずにすぐ近くにいた男に斬りつける。斬撃は手斧(ハンドアックス)で受けられた。
 その隙にもう一人が斬り込んでくる。刃がわき腹を大きく裂いたが、踏みとどまった。
 苦痛に歯を食いしばって耐え、一歩下がる。
 自分を見る盗賊たちの表情が恐怖へと変わっていた。それも剣ではない、自分に向けてのものだ。
「こ、こいつは…。」
「…魔物だとしたら、どうします?」
 あえてその言葉を受けて、答えた。さらに笑みを浮かべて見せる。
 ハッタリだ。だが、今の光景を目の当たりにしている彼らには十分効果があっただろう。
 魔剣を平然と振るい、これまでに受けたはずの傷も、たった今自分たちが負わせたばかりのはずの傷もまるでないのだから。
「…て、撤収だ!もう魔剣なんざ知らねえっ!」
「!」
 言葉と同時に男たちが踵を返して駆け出す。予想外の事態に一瞬反応が遅れた。
 ハッタリを、かけすぎたらしい。
「撤収だ!ずらかるぞっ!」
 逃げ出す男たちの後を追いながら、叫ぶ。
「ミーアさん、ヤツラが逃げます!追ってください!」
 その声にミーアが振り返るのが見えた。
「―ちっ、手間を取らせるヤツラね!ナシィ、ここの後始末は頼んだわよっ!」
「はい!」
 答えると、ミーアもまた盗賊を追って駆け出した。その姿が礼拝所の外へと消えていく。
 だが、戦いは終わっていなかった。

 再び犠牲者の悲鳴が上がった。
 トロールが、空を仰いで叫びを上げる。
 突然、盗賊たちは撤退をした。何が起こったのかは知らないが、少なくとも救いではあった。
 だが神官たちの大半は既に盗賊たちとの戦いで消耗しきっていた。トロールを相手にするだけの魔力と体力が残っているものは、ほとんどいない。
 セインは再び顔を上げた。ミーアは何かを叫んで、盗賊たちを追って出て行ってしまった。ナシィの姿もいつしか消えている。…戦えるのは自分しかいない。荒い呼吸のまま杖をかざし、呪文を唱える。
「光よ、大いなる刃となれ(イ・アセ・リト・ト・レス・ウォルド・スォル)!」
 かざした杖の先に、ブーメラン状に湾曲した光の刃が生まれた。
「―ハッ!」
 気合とともに杖を振り、その刃を飛ばした。
 杖を振ってその動きを直接コントロールする。身にかかる負担は大きいが、再生を繰り返すトロールを仕留めるにはこの刃で直接首を落とすしか手はなかった。
 刃を背後に飛ばそうとする。だか、気づいたトロールは巨体に似合わずそれなりに俊敏な動きを見せ、なかなか隙ができなかった。
 ついにその腕が刃を捕らえた。
「ガアアッ!」
 トロールが苦痛の叫びを上げて、刃を掴んだ指が落ちる。同時に刃は消えうせた。
「…そんな。」
 膝をつく。
 トロールの指は、もう再生していた。これで何度目だろうか。
 再び呪文を唱えるべく立ち上がろうとした。だが、立てなかった。膝が笑っている。杖を持つ手にも力が入らなかった。
 目の前ではトロールが死体を喰らっていた。骨の砕ける音が耳に届く。
 止めたい、なのに自分にはその力がない。悔しさに視界がにじむ。
 ―その横を、黒い影が通り抜けた。

「グワアッ!」
 トロールが、叫び声を上げた。
 セインは目をこすった。
 正面に、トロールに斬りかかる姿があった。見覚えのある黒いコート姿、あれは…。
「ナシィさん!」
 その名を叫んでいた。

 ナシィは手にした魔剣でトロールに再び斬りかかった。その腕をえぐる。
 斬られたトロールは一瞬苦痛の叫びを上げるが、回復自体はむしろ早かった。魔剣のもつ闇の魔力は、魔物にとってはむしろプラスに働くのだろう。
 気づいて剣を離す。さっき、自分の剣を投げ捨てたのはこの場所のはずだった。
「剣なら、後ろにあります!」
 その時、声が聞こえた。

 振り返る。そこには、杖を手にしたセインの姿があった。疲労のためか膝をついているが、その表情はまだ生気があった。
「―ありがとうございます!」
 ナシィはセインだけでも無事だったことに、心から安堵した。
 そして足元を見る。自分の片手剣は、確かにすぐ後ろにあった。
 拾って振り返る。トロールは、あの濁った目で自分をにらんでいた。その腕が動く。
 打撃をかわすことはできた。そのまま、もう一度腕に斬りつける。
 トロールは苦痛にうめいた。だがやはり、再生は起こっている。―このままではきりがない。しかしセインは疲労の極地にあった。他に戦う者の姿もない。援護の入りそうな様子はなかった。
 …どうするか。
 再びトロールが殴りつけてきた。
 ナシィはそれをかわすと、渾身の力で腕に切りつけた。
 断ち切られた腕が落ちる。それはそのまま、セインのそばにまで転がった。

 セインは反射的に身構えた。だが、転がった腕が動く様子はなかった。

 トロールが腕を拾いに行こうとする。
 そこにナシィは斬りつけた。今、セインの元に行かれるわけにはいかない。
 トロールの体が痛みに一瞬震えた。そして、再びナシィを振り向いた。

 セインはそのまま目の前の腕を見つめていた。その目が、一点で止まる。
 肉ひだに覆われた手首の関節部。そのひだの隙間に、見覚えのあるものがあった。
 ―細い、編みこみの紐。

 トロールは疲れを見せることなく、何度もナシィを攻撃した。
 片腕はその先端がないにもかかわらず、構わずにむき出しの傷口で殴りかかってくる。その傷口も再生した肉によって半ばふさがっていた。
 ナシィは内心で舌打ちした。
 何とかして、首を切り落とさなくてはどうしようもない。
 再び振り下ろされた拳を飛んでかわす。少しずつ、セインのいる場所から離れるように誘導していった。

 セインはそっと手を伸ばした。
 紐は引っ張るとするりと抜けた。
 手にとって眺める。
 間違いなかった。見覚えのある品だ。この編み方は、自分が父に教わったものだから。
 大切な人に贈るようにと。

 トロールはなおも執拗にナシィに殴りかかっていた。攻撃はぜんぜん当たっていないが、そこから何かを考えるという能力はないようだ。
 しかしナシィも攻撃をかわすばかりで、有効な反撃をできずにいた。
 さすがに集中力が途切れてくる。
 向こうは疲れを知らないかのように、最初の頃と変わらないような攻撃を繰り返していた。知能の低さが逆に途切れることのない集中力を生んでいるようだった。
 一瞬、反応が遅れる。
 拳が目の前を掠めた。

 手にした紐を見ながら、半ば無意識のうちにその名を口にしていた。
「…サーク先輩…?」
 小さな声は、かすれていた。

 ナシィは変化に気づいた。
 トロールの向こうでセインが立ち上がるのが見えた。
「セインさ…。」
 だが、その呼び声は止まった。
 セインの手には、杖が握られていなかった。

 セインは立ち上がった。
「サーク先輩。」
 目の前のトロール…いや、サークに呼びかける。
 そして、サークはゆっくりと振り返った。
 あの頃と同じように。

 セインの言葉が聞こえた。
 それを聞いて、目の前でトロールがセインの方に振り返った。
 止めなくてはならない、分かっている。なのにナシィはその場を動けずにいた。
 セインの瞳から流れ落ちる涙が見えていた。

 視界が再び涙でにじんだ。
 涙が頬を伝ってこぼれ落ちるのが分かったが、拭いはしなかった。
「先輩…どうか、やめて下さい。」
 サークの顔は見えない。
 だけど、その瞳が自分を見ていることだけは分かった。
 一歩歩み寄る。

 セインが自分からトロールに近づくのが見えた。
 トロールはじっとセインを見つめている。
 セインの一言で、ナシィは何が起こったのかを悟った。魔剣に犯され、このトロールに変化した神官…それがあのサークだったのだ。
 ありえない話ではない。いや、むしろ最も可能性が高いはずだった。彼は保管室の管理人だったのだから。
 そして、セインはトロールの目の前で立ち止まった。

 サークの前で立ち止まった。
 その顔を見上げる。
「先輩。」
 返事は返ってこない。
 それでもよかった。サークは、もともと静かな人だったから。
 だから祈るように…全てを受け入れるように瞳を閉じた。

 セインはトロールの目の前で立ち止まり、瞳を閉じた。
 ナシィはその光景を呆然と見ていた。
 魔物化した者に、元の人としての意識など残っていないはずだった。
 しかし今、目の前のトロールは先ほどまでの行動が嘘のように静かにセインを見ていた。
 ありえないほどの、静寂。
 ―これは奇跡なのか?

 トロールが、いや、あるいはサークが…その手をセインの元に伸ばした。

「―いけないっ!」
 ナシィは、その瞬間呪縛が解けたかのように駆け出した。

 衝撃が襲った。


 セインは衝撃に目を開いた。
 体が跳ね飛ばされて、倒れる。
 見上げた先には信じられないような光景があった。

 ナシィは自分を襲った衝撃に、叫んでいた。
 だが声は出ない。
 胸元に苦痛が走る。口から、血がこぼれた。

「―ナシィさん!」
 セインは叫びを上げた。
 トロールの手が、ナシィの体を掴んで握り締めていた。

「ぐ…!」
 うめき声が洩れる。同時に、さらに血が口から流れた。
 トロールの手はナシィの細い体を掴んで持ち上げ、万力のように締め上げていた。
 骨が音を立ててきしみ…砕ける。
「や…やめてくださいっ!」
 セインが叫んで立ち上がった。
 使われていない、斬り落とされた方の腕にすがりつく。
 だがその腕はうるさいハエを追い払うかのように無造作に振られた。
「―きゃあああっ!」
 小さな体はたやすく跳ね飛ばされた。
 そのまま地面にぶつかり、止まる。
 ナシィは自由なままの両手で、自分を握る指に刃を突き立てた。
 だが力が入らず、自分の腕ほどの太さしか持たないはずの指も貫けなかった。
 それに気づいたトロールがさらに力を込める。
「…!」
 肋骨が、砕けて自分の体に突き刺さるのが分かった。
 だが意識は消えない。
 再生しようと蠢き続ける肉体は、ナシィにその意識を手放すことを決して許さなかった。
 激痛だけを鮮明な意識の中で受け続ける。
「やめて、もうやめてくださいっ!」
 セインの声に、かろうじて動く首をゆっくりと向けた。
 震える足で立ち上がりながら、セインがこちらに向かって叫んでいた。
「サーク先輩っ!」
 それは悲鳴に等しかった。
「……セイン…さん…。」
 声をかける。だが、潰れた肺ではほとんど音にならなかった。
「ナシィさん!待っててください、すぐに、助けますから…。」
「…無理です……もう、先輩の…意識は………。」
「そんなことは!」
 必死になってセインは答えていた。
 だが、それは決してありえない。何よりもこの状況がそれを明確に語っていた。
「……先輩を…止めて、下さい………あなたの…手で…。」
「そんなっ!私は…っ!」
「…それが、彼の……た………!」
 言葉は、血となって消えた。
 トロールがその拳を握り締める。
 その瞬間に、ナシィの体は完全に潰れた。
「―いやあああっ!」
 セインはただ叫ぶしかできなかった。

 トロールが砕かれたナシィの体をゴミのように放り投げる。
 その体はそのまま地面に激突して、横たわったまま動きを止めた。
「…グウウウ…。」
 獣めいたうめきをあげ、トロールが地面に落ちた自分の片腕を拾い上げた。
 その声に、座り込んでいたセインが呆然と見上げる。
 トロールが切り落とされた腕を傷口に押し当てた。数秒の後、その指がぴくりと震える。そしてその動きが徐々に確かなものとなっていき…完全につながった。
 そしてその瞳がセインを見つめた。
 涙の涸れた今、その顔をはっきりと見つめることができた。
 血と破壊に歓喜の輝きを見せる、魔物の瞳。その目がセインをじっと見つめていた。
 口元が、醜く歪んで―笑う。
 その瞬間、セインは恐怖を感じた。
 異質なものに対しての恐れを。
「…あなたは…。」
 放たれる声は乾いていた。
「……先輩じゃ、ない。」
 無機質のようなその声は、最後の言葉を発していた。
 もう、あの人はいないと。


 その向こうで、瓦礫の転がる小さな音がした。
 セインはそれを見て、息を呑んだ。
 ナシィが立ち上がっていた。
 その胸元は吐いた血で黒く汚れている。服も度重なる戦闘であちこちが裂けていた。
 だが、その立つ姿は確かだった。
 黒い瞳は、まっすぐにセインを見つめていた。
「とどめを、刺します。…援護を。」
 声が聞こえた。ならば、これは幻覚ではない。―何もかも全てが現実なのだ。
 セインはもう一度立ち上がった。
「―はい。」
 その杖を握り締めて。

 ナシィは剣を手に駆け出した。
 セインの放てる魔法は、次で恐らく最後。ならばその発動までは決して邪魔させるわけにはいかない。
 背後から勢いをつけて剣を振り下ろす。
 刃はトロールの背を大きく裂いた。
「ガアアアアッ!」
 叫びを上げてトロールは振り返った。
 一瞬その目が奇妙なものを見るかのように丸くなる。だが次の瞬間、再び怒りのみに覆われた獣の瞳に戻った。

「光の糸よ(イ・アセ・リト・ト)、」
 セインは杖を地面に突き立て、呪文の詠唱を始めた。
 思い出す。昔、実技の練習で彼に魔法の指導を受けた日のことを。あの時もこの魔法を使った。
 だけど、うまくいったかどうかは思い出せない。
 記憶は薄れていく。そうやって、やがては傷も癒されていく。
 いずれはこの悲しみも遠くのものとなるのだろう。
 それはつらくはない。…今が、つらいから。
「彼の者を、捕らえよ(リム・ドミナ・ヘ)。」
 だから、全ての力を、想いをその杖から放った。
 無数の光の糸がトロールの巨体を覆う。
「…さようなら。」
 握り締めていた紐が、緩めた手から風に乗って離れていく。
 そして別れを告げた。

 ナシィは強大な魔力の放出を感じ、一歩下がった。
 次の瞬間、トロールの巨体が光に包まれる。
 トロールはわずかに抵抗したが、その動きは止まり、そのままゆっくりと地面に倒れた。
 正面に立ち剣を振りかざす。
「…せめて、安らかに。」
 その刃が、トロールの首を両断した。


 光が消える。
 ナシィはセインを振り返った。
 セインは、微笑んでいた。その悲しみを全て受け止めるかのように。
 そして次の瞬間、崩れるように地面に倒れた。
 急いで駆け寄る。
 横たわるその顔を見た。
 静かに、深い眠りに落ちていた。その閉じた瞳から一筋の涙が零れ落ちる。
 それきりだった。
 ナシィは何も言わずそっとその体を横たえた。
 指でその涙を拭う。
 やがて立ち上がって、外を見た。

 夜明けはまだ遠かった。

   第三章 Integrate.〈後〉


 見上げた空は、星がまばらに輝いていた。
 ナシィは階段に立ち天を仰いでいた。
 神殿の内部では、無事だった者によって既に救助活動が始まっている。気を失っていたセインはその際にやって来た神官に託した。セインには何よりも休息が必要だったし、他の怪我人の治療も神官たちに任せるしかない。それに、自分にはまだやることがあった。
 目を細める。星の光は儚い。
 思考が過去へと戻る。自分の行動は果たして正しかったのか。―少なくとも間違ってはいまい。依頼は終わった。盗賊の襲来は完全に予想外だった。そして魔物は、とどめを刺すしかなかった。
 だがセインの涙がまだ目に焼きついている。敬愛していた先輩を亡くすことになった、その悲しみは深いだろう。
 やりきれない思いが胸に満ちる。しかし、自分が彼女に向けていったい何を言えるというのか。先輩だった存在にとどめを刺すように言ったのは自分自身なのだから。
 自分にその資格は、ない。
「…遅かったわね。」
 聞こえてきた声に、ナシィは階段の下に目を向けた。
 ミーアが立っていた。ナシィが顔を向けたのに気づいて階段を上ってくる。
「こっちは手頃なヤツを一人捕まえたわ。副官って言ってるから、多少の情報は得られるでしょ。」
 横に立った。
 その体にはいくつかの傷跡があった。もちろん、既に止血や簡単な応急処置は済んでいる。
「…何人かにはさすがに逃げられたけどね。結局トップも逃がしちゃったわけだし。」
 そう言って少し不機嫌そうにため息をついた。
「いえ。ありがとうございます。」
 ナシィは素直に礼を言った。ミーアの行動は、ある意味では見返りも求めない完全な善意によるものだったのだから。
 それにこれならある程度の情報は手に入るだろう。万一その男が何も知らなかったとしても、副官ならば頭の居場所を知らないはずがあるまい。最初に考えていた通りそこからさらに追うだけのことだ。その意味でも感謝をする。
「気にしなくていいわ。もともと、そっちから依頼がなかったとしても情報収集はするつもりだったし。」
 言いながら、ミーアは本当に何でもないと言うかのように小さく手を振った。
「で、そっちはどうだった?」
 そして普通に問いかけた。
 …答えは返せなかった。
 その言葉に、どう答えればいいのかをナシィは迷った。話すべきことはあまりにも多い。
 ナシィの沈黙に気づいてミーアが声をかける。
「…何かあったみたいね。とりあえず魔物はどうなったかだけ聞かせて。」
「トロールは仕留めました。今、神官の方々が後始末や救助活動に入っています。」
 質問に対して事実を答えることだけならできる。それ以上のことは、まだ言うべき言葉を見つけられずにいたが。
 ミーアはその答えにうなづいてナシィに微笑みかけた。
「話は後でもいいわ。歩きながらでもいいから。」
「いえ、…そうですね。ここにずっといても不審に思われるだけですし。」
 ナシィは一度否定したが、結局はその言葉に従った。確かにここで悩んでいても仕方がない。まずは自分のなすべきことをするだけだ。
「相手は、目立たないように裏手に放り出してあるわ。案内するからついてきて。」
「はい。」
 ミーアが階段を下りて先を歩き出した。ナシィもその後を追った。
 街は奇妙な静けさに包まれている。神殿の異変に、不安を感じて息を潜めたかのように。
 石畳の上を歩く。足音は聞こえない。
「もう一つだけ確認させて。―セインは無事だった?」
 ミーアが歩きながら振り返らずに尋ねた。
「…ええ。疲労は激しかったですが、とりあえず、怪我はほとんどありません。」
 わずかに間があってから答えは返った。
 本当に彼女が無事なのか…それはナシィ自身分からなかったからだ。
「そう、じゃあ……いや、もういいわ。ありがと。」
 それきりミーアからの返事はなかった。
 その言葉に、ミーアもまたセインのことを気にかけていると知る。わずか三日間の仕事仲間に過ぎなくとも、もはや他人ではないのだ。
 ナシィは唇を噛んだ。自分には、話す義務があると思った。全てを見届けた者として。
「―ミーアさん。」
 名を呼ぶ。
 ややあって、返事は返ってきた。
「何?」
 だが振り向きはしない。
 そのミーアのささやかな心遣いに、胸の内で感謝する。だからこそ答えねばならなかった。
「お話しします。…何が起こったのかを。」
 決心はできた。ナシィはうつむいていた顔を上げた。
 そして静かに話し始めた。途中でためらう前に全てを語ろうと、立ち止まることをせずに。
 トロールとの戦い、立ち上がったセイン、サークの名、流れた涙、静寂…一撃。
 彼の意識は戻っているはずはない。
 そして、最後の一太刀。…セインの微笑みと一滴の涙。
 それが全てだった。
 語り終えて、深く息をつく。
「僕が目にしたのは、これだけです。…セインさんが何を思ったのか、何を為そうとしたのかは分かりません。」
 推測ができないわけではない。だがそれは、あくまで推測でしかないのだ。
 真実などどこにも存在しない。あるのはただ事実のみ。
「なるほどね…。」
 ミーアはつぶやくように言った。
 そして足を止め、振り返る。
「ナシィ、お疲れ様。…あんたはよくやったわ。」
 口元にいつもの笑みはなかった。その瞳はいたわるようにナシィを見つめている。
「いえ…僕は、自分のやるべきことをしただけです。」
 ナシィは首を振った。
 自分がセインのためにできたことなど、何もなかった。そう思う。
「それよりも、急ぎましょう。時間はあまりないでしょうから。」
 夜明けは近づいてきていた。明るくなれば目立たぬ所にいる盗賊も見つかってしまうだろう。そうなる前に全てを終えねばならない。
 自ら先に立って歩き出した。
「…分かったわ。」
 ナシィのその姿を見るミーアの目に、一瞬哀しみの色が宿る。
 だが次の瞬間にはいつもの目に戻った。そして先を行くナシィを案内すべく急いで後を追った。

 気がつくと、白い石の天井が見えた。
 セインは体を起こした。
「―っ!」
 急に起きたせいか、頭に痛みが走った。少し動きを止める。
 鈍い頭痛が引いたところで顔にかかる髪を払い、軽く首を振って意識をはっきりさせる。
 記憶は明確だった。突然の異変から、ナシィとミーアとの再会、盗賊との戦い、トロールとの戦い、全てを覚えていた。
 ―魔物の正体も。
 セインは周囲を見回した。自分が今寝かされているのは神殿の一室のようだ。床に布が敷かれて、何人かの者が寝かされている。よく見ると治療の跡があった。自分の手足にも同様に包帯が巻かれている。杖もすぐそばに置かれていた。誰かが手当てをしてくれたらしい。
 もう一度辺りを見回したが、ナシィやミーアの姿はなかった。
 立ち上がろうとする。
「うっ…。」
 あちこちに痛みが走った。体がひどく重い。
 それでもセインが立ち上がろうとした時、扉が開いて一人の巫女が姿を見せた。
「あっ、無理しないで下さい!」
 驚いた顔をして駆け寄る。そしてセインの体を支えた。
「私は大丈夫です、それより…。」
「いいえ、まだ横になっていて下さい!」
 セインはなおも立ち上がろうとしたが、巫女はそれを許さなかった。その身を案じてか半ば本気になって怒っている。
 仕方なくセインは再び床に座った。
「…分かりました。状況を説明していただけますか?」
 動けない以上、現状を確認するにはこの方法しかない。
 巫女は現在の神殿内の様子を語った。まず、無事だった神官らは魔物の死体の片付けや怪我人の治療などに当たっていた。怪我人の数は、神官と盗賊、さらに協力してくれた冒険者も合わせるとかなりのものになるらしい。それから一部の者は、生き残った盗賊の尋問などにも当たっていた。
「それでは、ナシィさん…いえ、黒いコートを着た男性と、ハーフキャットの女性を見ませんでしたか?」
 話の中にナシィやミーアのことはなかった。
 だがセインの問いに、巫女は首を横に振った。
「いいえ。見ておりません。」
「…そうですか。それでは、魔剣はどうなりました?」
「魔剣?何ですか、それは。」
 巫女の言葉に、セインは自分のミスを悟った。まだほとんどの者には魔剣の存在は知られてないはずだ。
 ―ならば今それを持つ者は?
 セインは飛び起きようとした。それを慌てて巫女が止める。
「いけません、そんな体で無理です!」
「離して下さいっ!こうしている間にも、次の犠牲者が出るかもしれないんです!」
 自分の眠っていた時間が分からない事が不安を誘う。
 傷の手当てが済んでいる事から、かなりの時間が経っているだろう事は分かる。今までに何事も起こってなかったのは、怪我人の始末などに追われて落ちている短剣のことなど誰も気に留めていないからと思われた。しかしそれも時間の問題だろう。
「犠牲者?それはどういう…。」
 巫女が疑問を口にしたその時、再び静かに扉が開いた。共にそちらを見る。
「―大司教様!」
 現れたのは、この神殿の長を務める大司教その人だった。
「ご苦労だったな、セインよ。」
「は、はい。」
 セインがこの神殿で大司教に以前会ったのは、ただの一度きりだ。
 略装とはいえその立派な身なりと漂う雰囲気から一目で分かる。小柄な体だが、備える威厳は圧倒的なものだった。
 大司教はセインの下に歩み寄った。年老いた深い目がその顔を見る。表情は硬い。セインはそのまま言葉を止めた。
 そして大司教は横に立つ巫女を振り返った。
「…巫女よ、場を外してくれ。彼女に話がある。」
「―分かりました。」
 巫女は深く一礼をすると、逃げるように部屋を出て行った。
 後にはセインと大司教本人が残される。だが、室内にはさらに多くの人が眠っていた。
「セインよ、立てるか?」
「あ、はい。」
 突然の言葉に一瞬戸惑ったが、うなづいた。
 疲労は大きいがひどい外傷はなかったはずだ。杖を支えに何とか立ち上がる。
 大司教がその様子を見て手を貸した。既に60を超える高齢の大司教の手を借りるのは申し訳なく思いつつも、セインはその手をとった。
「すみません。」
「気にしなくともよい。無理をさせてすまないな、内密に至急行いたい話があるのだ。」
 大司教は再びセインの目を見つめて言った。その眼差しからは感情を読み取ることはできない。ただ神殿の長としての、何者にも勝る力を備えていた。
「―はい。」
 セインは返事をすると、大司教の肩を借りて共に歩き出した。

 ミーアは神殿の裏手のある一角で立ち止まった。
「ここよ。」
 角を曲がる。
 その先に、壁に半ばもたれるようにして一人の男が倒れていた。気絶しているらしい。さらに、身動きの取れないように手足をロープで縛った上で口も塞いであった。
「起こすわよ。いい?」
「お願いします。」
 ナシィの返事にミーアはうなづくと、武器を抜いて口を縛る布を切った。片腕で体を押さえ込んでからその頬を叩く。
「起きなっ!」
 肌を打つ音がした。
 男が、小さくうめいてからその瞳を開ける。
「う…う、うわっ!」
 ミーアの顔に気づいて悲鳴を上げた。
「目が覚めたみたいね。大人しくしなさい、下手に騒ぐと命はないわよ?」
 ミーアはそう言って武器を男の喉元に押し当てた。さらにその目を覗き込む。
 男の目が恐怖に見開かれた。
「わ、分かってるよ!だから命だけは勘弁してくれ!」
 こうやって縛られる前に何があったのかナシィには分からなかったが、明らかに語尾が震えていた。
 それを確認してミーアが少しだけ武器を引く。そしてナシィの方を振り返った。
「準備はいいわ。何から聞く?」
 ナシィもミーアに並ぶように膝をついてから答えた。
「まずは、魔剣の入手経路を。」
「し、知らねえ!」
 男の答えは即座だった。
「―知らない?本気でそれを言ってるの?」
 ミーアが再び武器をちらつかせた。その刃は赤く染まり、かすかに月明かりを反射して鈍く輝いていた。
「本当だっ!ま、前に死んじまった頭がどこからか持ってきたんだ!詳しいことは俺も知らねえ!」
 再びミーアがナシィを振り返った。
 ナシィは何も答えなかった。
 ミーアが、その武器の刃で男の頬を撫でた。その跡から大きく伸びた血の玉が生まれ、下へと垂れていく。
「本当だって言ってるだろっ!知らねえものは答えようがねえっ!」
 男が悲鳴に近い声で叫んだ。
「静かにしろって言ったでしょ!…本当に知らないの?何か、心当たりもないの?」
 ミーアが声を荒げる。だが次の言葉は不自然なまでに丁寧だった。
 男は汗を流しながら考え、答えた。
「…ひょっとしたら、今の頭なら何か知ってるかもしれねえ。今回あの剣の回収を命令してきたのもそうだった。」
「他には?」
「あ、後は…そうだ!前の頭が言ってたぜ、『こいつは上からの授かりもんだ』ってな。」
「上?」
「そんなもん知るかよ。勝手にあいつが一人で言ってただけだからな。さあ剣についてはこれで全部だ、もう他に話すことはねえぜ!」
 それきり、男は黙り込んだ。見上げるようにして二人を睨み付けている。
 ミーアがもう一度ナシィの方を見て、促すように目配せした。
「では、逃走したリーダーの居場所は分かりますか?」
「…戻るんなら、アジトだろう。だが逃げたんなら分からねえぜ。そんなもん知るか。」
「アジトの場所は。」
 ナシィが問いかけると男はその場所を詳しく説明した。
 アジトは最初に襲撃したコーの村の近くの森の中にあると言う。さらに問い詰めると、見張りの配置や移動経路などについても説明をした。
「分かりました。…ミーアさん、これで十分でしょう。」
「これだけでいいの?」
 確認するようにミーアが聞き返す。ナシィはうなづいた。
「ええ。現時点で必要な情報は手に入りました。後はこちらから動くだけです。」
 ミーアは無言でしばらく考え込んでいたが、納得したらしく軽くうなづきを返した。
「…まあいいわ。これで十分だし。」
 そして男を突き飛ばす。
「命拾いしたわね。せいぜい、長生きしなさい。」
 身動きの取れない男はそのまま倒れた。叫び声を上げる。
「おい、情報は全部出したんだ、この縄を解け!」
「大丈夫よ。ここなら夜が明ければ誰かが見つけてくれるわ。死にはしないわよ。」
 そう言ってミーアは立ち上がった。ナシィも一緒に立ち上がる。
「お、おいっ!ふざけるな!」
 男はなおも叫んでいたが、構わずに二人は歩き出そうとした。その背後から罵声が飛ぶ。
「ふざけるんじゃねえこのアマっ!」
 突然、ミーアは立ち止まった。振り返る。
「―!」
 その瞬間に男の叫びは止まった。
 ナシィはその変化に振り返ったが、後ろ向きになっているためミーアの顔は見えなかった。男の顔が恐怖に凍り付いているのが見えただけだ。
 ミーアが振り向く。その表情はいたって普通な、ただつまらなそうなものだった。
「無駄に時間を食ったわね。行くわよ。」
「あ、はい。」
 再びミーアが歩き出した。ナシィもそれについて歩いていった。
 後ろからは、それきり物音一つ聞こえなかった。

「―そんなっ!」
 セインは立ち上がって叫んだ。
「分かってくれ、若き巫女よ。これは命令だ。」
 大司教はセインに背を向けたまま短く言い放った。その目は窓の外、まだ暗い街に注がれている。
 意識を取り戻したあの部屋を出た後、セインは大司教に案内されて彼の部屋に通された。そのまま三人は座れるだろうゆったりとしたソファーに腰掛けさせられる。その上で、大司教は話を始めた。
 まずはセインが気にしていた魔剣のこと。これは昨夜の早いうちに書類が回されていたらしく、大司教がその存在を知っていた。自ら直接確保をして保管室の奥に収めたと言う。
 それを聞いた時セインは安堵した。少なくともこれで危険はなくなったわけだ。
 そして今度は自分の方から、魔剣についての報告を付け加えた。…今夜起こった事の全てを。
 セインは神殿に使える二位巫女として事実だけを述べた。巫女としてだけではなく自らの個人的にも深く関わった事だったが、淡々と語った。こみ上げる感情は抑えたままで。だが、落とした視線とかすかに震える指先がその感情の乱れを明確に物語っていた。
 話し終えた時点で大司教からはねぎらいの言葉がかけられた。しかしセインにはそれに返事をすることもできなかった。自分の気持ちすら、まだ整理できていなかったから。それでも気持ちを落ち着かせようとして、瞳を閉じた。
 しかし、その後に聞かされた話はセインにさらなる衝撃を与えた。
「聞けません!そんな、では彼はどうなるのですっ!」
 握り締めた拳は激情に震えていた。
 だがセインのそんな悲痛な叫びにも、大司教は振り返ることなく答えた。
「魔物との戦いの中で命を落とした、そう記録されるだろう。」
 その言葉は冷たくすら思える響きを備えていた。何の感情も見せない…あるいは感情を殺していたのかもしれない。振り向かないのも、セインの顔を見るに耐えなかったからなのだろうか。
 そしてまた沈黙が訪れる。
 ―話とは、サークの死についてだった。
 大司教はセインに命じた。彼が魔剣によってトロールと化した事を伏せておくように、さらには魔剣の存在そのものをも伏せておくようにと。
 魔剣の話を知る者はほとんどいない。ましてそれによって魔物化した者が誰だったのかは、神殿内ではセイン以外に知る者はいなかった。大司教自身、セインから話を聞いて始めて分かったことだったのだ。
 大司教はセインの話を聞き、少し考え込んだ末にそう命じた。大司教の、そしてガーテの街の神殿長として。
 既にトロールの死体は神官たちによって消去されていた。サークの肉体は完全に失われたのだ。セインの口さえなければ、真相は大司教の胸の内だけに収められる。
 魔剣の存在や、それによってサークが魔物化した事が下々の僧や巫女にまで伝われば、神殿内に不必要な混乱が起こるだろう。それだけではない。人を魔物化させるその力は、都市を治める領主にとっては魅力的なものだ。もともとこの街の領主はライセラヴィの信者ではない。独立して大規模な力を有する神殿の存在を疎ましく思っているぐらいなのだ。真相が知られることは、その危険性を元に神殿を領主の支配下に置く口実を与えることにもなりえた。
 神殿を治める者として、大司教はそれを認めるわけにはいかなかった。だから命令を下した。
 セインは次の言葉が出なかった。
 唇を噛み締めたまま、再びソファーに腰を下ろす。
 その物音に大司教は振り返った。明かりの影となったその顔は暗い。
「…分かってくれ。わしとてつらいのだ。」
 沈痛な面持ちで言った。その言葉は嘘ではないだろう、証明するかのように声は沈んでいた。
 だがセインは激しく首を横に振った。
「いいえ、分かりません。…なぜ、嘘などをつかなくてはならないのですか!」
 顔を上げた。そのまま潤んだ瞳で大司教の目を見つめる。
 大司教はその目を受け止めて見つめ返した。哀しみと哀れみの混じった瞳、それに心理的な圧迫感を感じてセインが息を呑む。
 再び口が動いた。
「ならば逆に問おう。真相を全て伝えて、何の利益がある?時には偽りも必要なものなのだ。」
 ゆっくりと語りかける言葉。その一言一言が、セインの胸に沈んでいく。
「それは…。」
 セインは答えようとして口ごもった。
 答えられなかった。
 大司教の言葉は、確かに正しかった。それは正論だ。真実を伝えれば、大司教がたった今言った事態になることは避けられまい。神殿の立場を考えればその事態を起こすべきではないことだって分かる。
 だが―。
「分かってくれるな?」
 沈黙したままのセインに、答えを促すように大司教は問いかけた。
 ―抑えられた感情の行方は?
 耐え切れずにセインがうつむく。
 そして、またも沈黙が訪れた。
 遠くからは神官たちの忙しく立ち働く物音がかすかに聞こえてくる。神殿の復旧にはかなりの時間がかかるだろう。
 セインを見つめる大司教の目はあくまで静かだった。
 顔を上げることなどできなかったが、セインはその視線をはっきりと感じていた。
 こらえるかのように噛み締めた唇は血の気を失っていた。
「……はい。」
 どれほどの時間が経ったのかも分からない。うつむいたまま、言葉は半ば無意識のうちに出ていた。
 か細い、震える声でセインは答えていた。
 見つめる大司教の目がわずかに緩む。
「うむ、よく言ってくれた…。今夜はもう休むといい、我々で始末はつけておく。」
 ねぎらいの言葉。それは同時にセインの行動を束縛するものでもあった。
 セインに抗う力はなかった。
「…失礼します。」
 ゆっくりと立ち上がる。
 その顔から表情は消えていた。無言のまま扉へと歩み寄り、手をかけた。
 かすかな音を立てて扉が開いていく。その向こうは薄明かりに照らされた廊下が続いていた。
 セインは扉を越えた所で一度振り返ると、自分を見つめる大司教に黙礼をした。大司教も礼を返す。
 そしてそのままセインは扉を閉ざした。
 留め金の動く音が後に残った。

 風が吹く。木々の揺れる音だけが遠くからかすかに聞こえた。
 再び神殿の裏手から街中に戻る。
 静かな街並みは、建物から洩れる光で所々がほのかに明るかった。空はまだ明るさを取り戻してはいない。
「…これからどうするつもり?」
 歩きながらミーアが尋ねた。少し振り返って横目でその顔を見る。
 しばし考え込んでからナシィは答えを返した。
「このまま、夜明けにはここを発とうかと思います。」
「気が早いわね。でも、当然か。下手にここに残ってれば神殿の方でまた何か厄介事に巻き込まれるかもしれないし。」
 ミーアが軽い口調で答えて正面に向き直った。
 ナシィの考えも一部はその通りだった。魔剣を振るった姿や傷を負わない姿を神官たちに見られていないという保障はどこにもない。まだ神殿が本来の機能を取り戻していないうちに、ここを離れる必要があった。
 だが最大の理由はそれではなかった。―セインの存在だ。
 彼女は、その意図はどうあれ恐らくもう一度自分たちに会いに来るだろう。…何を答えればいいのか?再会は避けたかった。それが逃げだということは分かっていても。
「…すみません。」
 ミーアに謝罪する。
「それは、あたしに言う言葉じゃないわ。…仕方のないことだけどね。」
 ミーアは振り返らなかった。背中を向けたまま前を歩いていく。
 ナシィもそれきり何も言わず、その後を歩いた。
 東の空に鳥が飛び立つ。
 長い夜が終わりを告げようとしていた。

 セインは宿舎に一人戻っていた。
 自室に戻って、すぐさま荷物の整頓を始めた。まるで立ち止まることを恐れているかのような勢いで。
 一通りまとまったところで服を着替える。神殿で巫女がまとう正式の衣装ではなく、着慣れた旅装を身に着けた。
 すぐにでも旅立とうとするかのように、荷袋の紐や外套のベルトを調節する。
 それらの支度が終わったところで、セインは一度深く息をついた。
 だが次の瞬間、再びその口は結ばれた。
 備え付けられた机に座り、紙とペンを取り出す。
 短い手紙を書き上げた。
 それが済むと、セインは荷物を背負った。手紙は机の上に残したままだ。
 そして、部屋を出た。
 その足取りは確かだった。
 その眼差しは、まっすぐに先を見据えていた。


 夜が明けた。
 薄明るい空を鳥が舞う。その姿はまだ影でしかない。
 街の入り口、外への門に続く広場に立つ二つの影があった。
 黒いコートと全身を包むフードつきのマント…ナシィとミーアだ。
 二人はあの後宿に戻ると、すぐに身支度を整え直した。体と衣服などの汚れを拭って荷物をまとめる。そして夜明けとともに宿を出た。
 広場で一度立ち止まったのはやはり感傷だろうか。
「今回は、本当にお世話になりました。」
 ナシィは改めて礼を言った。
「いいのよ。世話になったのは、お互い様だしね。それにまだ終わってないんだから。」
 ミーアが笑って答える。その瞳には優しさがあった。
「―そうですね。まだ、これからですから。」
 ナシィも微笑を浮かべた。
 長い夜だった。だがこの出来事も、長い旅の中でのほんの一つの出来事でしかないのだろう。
 そう思うと胸が痛む。セインの涙は、まだ鮮やかに記憶の中にあった。彼女はこの先どうしていくのだろうか。…しかしそれは、もはや自分の関わることではない。旅はその内に無数の別れをもつのだから。
 別れを告げられなかったのは心残りだが、それも仕方のないことだろう。そう割り切る。
 視線を街から空へと移す。一羽の鳥の姿が見えた。
「じゃ、行くわよ。」
 ミーアが声をかけた。
 それに気づき、ナシィが視線を戻す。
「そうですね。そろそろ出発しませんと。」
 背にかけた鞄を背負い直した。
 そしてその足を街の外へと向ける。門を抜ければ、街道が続いている。
 二人は歩き始めた。

「―待って下さい!」
 声が、その足を止めた。
 ナシィとミーアは振り返った。目を凝らす。いや、見るまでもない。聞き覚えのある声。遠くから駆けてくるあの姿は…。
「セイン!」
「セインさん!」
 名を呼んだのは、ほぼ同時だった。
 神官の少女は必死に走ってきた。そのまま、驚く二人の元までやってくる。膝に手を当て、肩で息をつく。
 二人は何も言えなかった。
 その呼吸が整う。そして、セインは顔を上げた。
「二人の旅に、私も連れて行って下さい!」
 その瞳はまっすぐに二人を見つめていた。
 答える言葉が見つからず、しばしナシィは絶句していた。
 だが急にその頭を振った。何かを払うかのように数回振ったところで顔を戻し、セインを見つめる。
「セインさん、僕は…。」
「だめだと言われてもついて行きます。もう、決めましたから。」
 ナシィの言葉をさえぎるようにセインは言った。
 眼差しは決意に満ちている。
 そして、自分を見る目が同時に穏やかでもあることにナシィは気づいた。
 彼女の身にあれから何があったのか、そして彼女が何を思ったのかは分からない。だがセインは全てを受け入れ、その上で自分との旅を選んだのだと悟った。…それを止めることなどできない。
「セイン、神官の仕事はいいの?」
 ミーアが問いかけた。
 その質問に、セインは晴れやかな笑顔で答えた。
「ええ。」
 机に残してきた手紙。そこには神官として魔剣を追うとだけ記してきた。
 了承など取ってはいない。取る気もなかった。
 はっきりと答えるセインのその表情に、ミーアはそれ以上は何も言わずにただうなづきを返した。
「―どれだけの旅になるのか分かりませんよ?」
「覚悟の上です。」
「途中で、命を落とすことになるかもしれませんよ。」
「構いません。このまま神殿で待つよりは、自分から動きたいんです。」
 ナシィの問いにもセインの答えは確かだった。
 その言葉に改めて気づかされる。セインもまた、魔剣の被害者なのだと。そして自分の意思でそれを追うことを決めたのだと。
 決意に、ナシィもうなづいた。
「お二人とも、構いませんよね?」
 確認するようにセインが問いかける。
 その問いにはミーアも、そしてナシィもはっきりと答えを返した。
「ええ。」
 セインが嬉しげに笑顔を見せる。瞳にはわずかに悲しみを残していたが、満足げな、満ち足りた笑顔を。
 その表情にミーアが笑って言った。
「そうよね。縁は、待ってるだけじゃなくて自分からつなぎに行くこともできるんだ。」
 楽しそうに、そして同じく嬉しそうに笑った。
 二人のその姿にナシィも笑顔を見せる。
 行こう。彼女たちと共になら、きっと人として歩いていける。
「―では、よろしくお願いします。」
 ナシィは手袋を外し、右手を差し出した。
 その手にミーアの、そしてセインの手が重なる。
 互いの手がつながる。

 この瞬間、三人の旅は始まりを告げた。
〈終〉







 あとがきのたぐいのおまけ。   by.いづみ。

…というわけでっ!”Black Light−1.−departure−“はいかがでしたか?やっと終わったよ、バンザーイ♪と喜んでいるいづみでございます。
長編ではお久しぶり。今回からはパソコンのWordを使ったため、ちょっと構成をいろいろいじってみました。章仕立てなのもそのせいです。いや、データ管理はこれくらいに分割した方が楽なもんで。(つまり今回からはデータがあり!パソコンユーザーには朗報か?)でもあとがきは読みづらくてすいません。横書きは趣味です。
それにしても今回は長かった。表紙やらおまけやらを含めばなんと怒涛の93Pっ?!…信じられませんな。我ながらよくやったよ。
まあ今回はストーリーのせいですな。なんてったって三人の待ちに待った出会いです。
思えば昨年。浪人が決まったせいで私はこの作品をあきらめ、代わりにB.L.−icを書きましたからね。(もちろん個人的にはあの作品はかなり好きですけど)…長かった。でもおかげでストーリーも練りこめたし。放置しすぎて発酵どころか腐敗しかけたような気もしますが(笑)
ま、それはさておき。出会い編ということで話の密度もすごいです。一章が初対面、二章が道中、三章が事件。…ある意味、それぞれで一つの話を作れそうな勢いです。そりゃあ長くもなるわな。いやはやナシィたちにとっても非常に目まぐるしい三日間(作品内時間)だったでしょう。
ああ、もう一つ原因はあったわ。…キャラたちの暴走(泣)。
いや、今回は予想外どころか作者が悲鳴を上げそうなぐらいに三人が暴れまくりましたから。思えば、セインが光る杖を振りかざした瞬間…今回の悲劇は決まっていたのでしょう(笑)。そこから始まってナシィは壊れかけるわ、ミーアはライセラヴィを嫌いだと言い出すわ、セインは追及の手を緩めないわ…。書きながら本気で悲鳴を上げましたよ。この後の展開どうしよう〜!!って。(実話)まあそのおかげである意味楽しい作品となりましたが。
<第二章・前>のあのギャグシーンもそんな理由です。もともと宿に泊めて入浴ぐらいはサービスしようかな〜とか思ってたら。「フルーツ牛乳グビグビナッスィーはお願い!」とか友人にリクエストされ…あんなものが出てきました(笑)。まあファンタジーらしくささやかにアレンジしましたが…あれならいいでしょう!ちゃんとグビグビもやらせたし!(笑)ちなみにホントは浴衣のリクエストもあったのだが…これは断念。
後、今回はあのキャラについても触れなければなるまい。…サーク。
いやはや、まるでどっかの誰かさんのような性格設定!よっぽど私はこいつの名前を「コヴァ」ってつけようと思ったよ!…だから、コヴァ氏。(爆笑!)…まあ分かる人だけ笑ってやって下さい。いえね、最初はもっとヘタレ系の兄ちゃんを想定してたんだけど、気がついたらあんなのになってました。だって保管室の管理人なんて暇そうじゃん。本でも読ませてあげようかなーとか思ったら…ああなったと(笑)。しかもセインちゃんは何か初恋モードだったし。もともとストーリーとして決めてたこととはいえ、やばいよなあこれ…とか思いながらもついついほくそ笑んで書いてました。ちなみに、この物語は完全なるフィクションです。実在の人物とは一切関係がございませんので(笑)。ほんと、実際はあんなにうまくいきませんでしたよ。あれは高3の冬、私の切ない片…おっとと(汗)。
でもあれだね。今回書きながら私は思いました。昔どこかで聞いた言葉、「作品の登場人物はその筆者の自我の一部である。」…納得。だからナシィの壊れっぷりもある意味で自分の一部ですし、ミーアのちょっとドライにも思えそうなほどのさばさばしたところも一つの理想系ですし、セインの幼さとひたむきさも。…話が真面目になってきたのでやめよう(笑)。
反省点としては…やはり三人になってくると書き辛い。今までは一人ずつの話だった分、思考と地の文のバランスが取りやすかったけれど今回からはそうはいきませんから。しばらくは文体その他で暗中模索を続けていくことになりそうですね。それから描写の少なさ。これは前々から気をつけてはいるんですが、こないだも改めて言われました。…気をつけます(汗)。
それから今回、またも前回に続いてナシィさんの肺を潰してしまいましたね(笑)。ある友人からは「ひどい!いづみはナシィさんをいじめて楽しんでるでしょうっ!(泣)」とか見抜か…いや、怒られたりもしましたが。でも別の友人からは「血…美しく流れる血をっ!(危)」とかもリクエストめいたものがあったし。あ、もちろんこの話はフィクションだからね(死)。まあこれが彼の運命ってことにしておこう(鬼)。
今回は久々の長編ってことでついついあとがきも長くなってしまいましたな。まあ話したいことがそれだけたまっていたということで勘弁して下さい(謝)。
では業務連絡。一つ目は、BlackLightのシリーズの略称をBLからB.L.に改めます。というのも、BLと書くといろいろと誤解を受けることが判明したので(笑)。まあ大したことじゃないんですが、覚えといて下さいな。二つ目はB.L.の作品について。実は今、いづみは大学で創作サークルに所属して物書きを続けております。んで、サークルではページ数その他の関係により短編を中心に書いてます。その中にはもちろんB.L.もあるというわけで。(!)ただしキャラは単発で、ナシィさんたち三人の物語ではないものが中心となる予定です。(まだ2作しか書いてません)
これは、別の視点から世界観を掘り下げようってのと作者の修行のためです。その販売等については…ある程度数が揃ったら短編集として発行しようかと思ってます。まあ当分は先と思いますが。作品を読みたい方はサークルのホームページまで。…名前ぐらいなら出してもいいよな、どうせこれは商業作品とか大それたもんじゃないんだし。サークル名は「名称未定」(これが正式名称!)です。この名前で検索すれば多分ちゃんと行けます。めんどいのでアドレスは書かないよん(死)。週一ぐらいで掲示板にも顔を出してるんで気が向いたらぜひいらして下さいな。あるいは専用の感想掲示板に一言下さると更に嬉しいです。よろしくね。
…今回は熱く語りすぎました(笑)。長編はやはり時間と体力を使うなぁ。てなわけで次に会えるのはまた来年の夏になりそうです。まあ話の方も伏線をいくつか残しておいたし、いろいろと今後の展開を予想して下さいな。とはいえ私は王道な展開が好きなタイプなんで話の予想は立てやすいでしょう。乞う御期待っ!
ではいつものごとく、感想のお手紙やらファンレターやらビューティホーなイラストやらをお待ちしております!どしどし送ってね。

それでは皆様、また会う日まで…ごきげんよう!ばいばーい♪

                                       <終>






 裏ではないけど裏話。
今回の裏話では、仕事の依頼のところで出てきた「仕事(ジョブ)」と、「身分(クラス)」について説明をします。…大学に入って、TRPGのサークルにも入ったおかげでこういう設定も考えるようになっちゃいました。うーん影響受けまくりだな(死)。


「身分(クラス)」:社会的立場を現す。
「仕事(ジョブ)」:実際の職業を示す。
…もちろんこれだけじゃ分かりづらいんで、具体的な例を挙げて紹介します。ただし一般的なものについては省略。必要と思われるものをいくつか選んでみました。

<身分>
 ・冒険者(アドベンチャラー)
→まあ何でも屋。いわゆるRPGのキャラに近いイメージで捉えてください。各地の斡旋所で仕事を請けて生計を立てていく、そんなことなどをしています。
 ・傭兵(マーセナリー)
  →文字通りの傭兵。主に大規模な戦闘のために雇われます。冒険者と違って、一定の集団を組んでいることが多いです。
 ・探索者(ハンター)
  →遺跡から宝を探したりする宝物探索者(トレジャーハンター)と、賞金首を狩るのを専門とする賞金首稼ぎ(ブラッドリスト・ハンター)の二種類がいます。
 ・騎士(ナイト)
  →王家や領主など特定の存在に忠誠を誓い、仕える者たちです。

<仕事>
 大きくは戦士(ウォーリアー)と魔法使い(メイジ)と神官(プリースト)に分かれます。神官については個々の名称は宗派によって異なるので、ここでは割愛。
 ・剣士(ソーズマン)→剣の使い手。ただしダガーなどの短剣は含まない。
 ・斧使い(アクサー)→手斧、戦斧などの使い手。
 ・槍使い(ランサー)→槍、ポールウェポンの使い手。
 ・手刀使い(セバー)→ダガー、ナイフなど短刀を中心とした、小型の手持ち武器などの使い手。
 ・射手(アーチャー)→弓の使い手。ボウガンも含むが、区別することもある。
            その時は射手とボウナイトと呼び分ける。
 ・魔術士(ウィザード)→四元素の精霊魔法を中心として使う、人間の魔法使い。
 ・精霊使い(ウォーロック)→四元素の精霊魔法を中心として使う、エルフの魔法使い。
 (※魔力の性質から、人間とエルフは区別する。ハーフキャットは人間の側。)
 ・魔道士(ソーサラー)→闇の魔法の使い手。

…こんな感じです。


―今回の裏話はここまで!次回もお楽しみに。


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