索春暉

氷江愛子
子供二人を、めぐって。
合議は、もつれていた。

「だから、官位も財産もある私が……」
「貴殿には八人も子があるだろう。子の無い私こそが……」

 皆善人顔をする。だが。
 考えているのは、ただ己の利益のみ。


二月程前。
 陸駿――儂の従兄が、亡くなった。
 後に残されたのは、母も既に亡くしていた、二人の幼子。一人はまだ乳飲み子だ。
 彼等の行く末を話し合うため、一族の者が集められた。
が、この有様だ。
無理もない。
陸駿は、陸家の事実上の総領。その息子達には、次代総領の座と、彼の遺功故の地位、そして財産が約束される。特に長男の方には。
彼等の養父となれば、相手は幼い子供のこと、後見人として、自分がそれを行使できる。彼らが成長した後も、彼等の養父として恩を売っておけば、自分もそれに与れるのだ。
 皆、彼等の将来を案ずるような顔をしている。彼等の為には、自分が彼等を引き取るのがよいのだと。
だが、皆、腹の中では、己の利益しか考えておらぬ。如何にして己が金づるを手に入れるか。それだけだ。それだけのために、こうして一族が争う。
「季寧殿」
一族の一人が、話しかけてくる。
「貴方はどのように思されます」
 儂、か?
 問うまでもない。答えは一つだ。
「下らぬ」
一同の視線が、儂に向く。
「儂はそなた達とは違う。浅ましく己の利を漁ったりはせぬ」
 座が静まりかえる。儂は席を立った。
「儂は総領の座にも二人の財産にも何ら興味はない。二人を引き取るつもりは毛頭ない。そなた達で、勝手にどうとでも決めていてくれ」
 引き止める従者に目もくれず、呆然とする一同をあとに、儂はさっさと合議の席から立ち去った。


「績」
 中庭で遊ばせていた息子の名を呼ぶ。が、遊びに夢中なのか、応えがない。
「績!」
 傅役に促されるとほぼ同時に、やや怒気を含んだ声で呼びつけられると、
「あ、ちち、うえ……」
 恐る恐るといった様子で、漸く績は振り返った。
「帰るぞ。もう用は済んだ」
 回廊からそう言いつける。が、績は、すぐに上がってくるかと思いきや、不満顔で何やらぐずぐずしている。
「どうした」
「あの、まって、ください。えっと。もう、ちょっと」
 珍しいことだ。績が言いつけに従わず、駄々をこねるとは。
「そのように我儘を言うものではない。帰るぞ」
中庭に降りて息子の腕を引いた。その時、
「お父上がいらしたというのに、大変に失礼を致しました」
 そう言って頭を下げられ、儂は漸く、息子と傅役のほかに、もう一人、いや、二人の子供がいたことに気づいた。
績と遊んでやっていたらしい、赤子を抱いた子供。
利口そうな顔をした子供だ。四歳の績より、四つ五つほど上か。
この年の頃。それに、腕に抱いた赤子。もしかすると……
「そなた、議か? 季才の息子の」
「はい。私は、九江都尉陸駿の長男、陸議と申します。こちらは、弟の瑁です」
 思った通り、彼等は、今奪いあいの的となっている、当の子供達だ。
「遊んでやってくれていたのか。績と……」。
 議が、にっこりと笑う。
「はい。績殿がここにいらした四日ほどの間、お相手させていただいておりました」
年の割に出来た物言いをする。礼を述べると、笑顔でこちらこそと答えた。
績が、泣きべそ顔で儂の衣の裾を引っ張る。
「父上、帰りたくないです。もうちょっと、兄上といっしょにいたい」
「兄、上……?」
 績には兄がいるが、今日この場にはいないはずだ。どういうことなのか。
「績様は、すっかり議様になついてしまわれて。兄上、兄上と呼んでしたっていらっしゃるのですよ。」
 傅役の口添えで、儂はやっと意味を察した。
(しかしまた、そこまで懐いてしまっていたとは)
 余程、かわいがってもらったのだろう。離してしまうのが少し惜しくもあった。
「聞き分けがないぞ、績。きりがないだろう」
「ほら、績殿。お父上のお言いつけは、きちんと守らなければなりませんよ」
 議に促されて、やっと績は、しゃくりあげながら、儂の後についてきた。


 帰ってからも、績はべそをかき続けていた。
「何を泣いている。男子が泣くものではない」
「だって……」
 潤んだ績の目が、儂を見上げる。
「ぼく、兄上といっしょがいいです。兄上に、あいたい」
「兄なら、そなたにもあるだろう。何も議のことばかり慕い続けずとも」
「いやです。議兄上がいい。それにほかの兄上たちは、みんな、ぼくのことなんかちっとも相手にしてくれない」
 確かに、そうだった。
績の兄達は皆、績とは年が離れていて、それぞれに官職に就いている。顔をあわせることすらあまりない。遊んでもらうなど尚更だ。
儂もあまり績に構ってやってはいない。寂しい思いをさせてしまっていたのだろう。それが、あれほど績が議に懐いた原因の一つかもしれない。
「いずれまた、議と会うこともあろう。だから、泣き止め」
「ほんとに……?」
「一族の者が集まるときに、議も瑁と一緒に来るだろう。そのときにまた、お前を連れて行ってやるから」
 こくりとうなずいたものの、やはり、績はしゃくりあげ続けていた。
(兄、か……)
議は賢そうな子供だった。もし議が儂のもとに繰るなら、績のよい兄になってくれるのかもしれない。
彼等が儂のもとに来るというなら、力を尽くして大切に育てよう。今からでも遅くはない。彼等を引き取りたいと一族の者に言えば、彼等を引き取れるかもしれない。儂も、陸家の最有力者の一人だ。それくらいは可能だろう。
そうだ。そのほうが、あの欲深共のもとで育てられるより、ずっと議や瑁の為にはよいのではないか。
 ふと、そんなことを思ってみてしまったのだが。
(馬鹿な)
彼等が儂のもとに来るなら、などと。儂は、彼等を引き取る気はないとはっきり告げてきたばかりではないか。その舌の根も乾かぬうちに、やはり彼等を引き取りたいなどといえば、どのような目で見られるか。
そんな考えは、即座に振り払った。


 それから、二年ばかり経ったか。
儂は再び、議と顔を合わせた。
相変わらずの礼儀正しさで拱手してきた議と、績は未だに議に会いたがってしょうがない、だの、背があまり伸びていないようだからもっと食べた方がよい、だのと、他愛もない話をしていた。
「おや」
儂はふと、あることに気づいた。
「議。あの、赤子の方はどうした。そなたの弟は」
 てっきり議に手を引かれてついてきていると思ったのだが。
 問うと、彼は静かに首を振った。
「分かりません」
 思いもよらない答えだった。分からない、などと。
「分からない? 一緒ではないのか」
「はい」
 弱い微笑を浮かべたまま、議は答えた。
「私たちは一族の間を転々としていましたが、いつの間にか、私たち二人を、別々に引き取ることが決まったようで、それで……」
 それきり、瑁とは会うことが許されなかったのだと、議は答えた。
「何故、そのような」
 そのような、酷い決断が、下されたのか。
「どなたが私たちを引き取るかでもめて……これが、妥協案だったようです」
「妥協、案……?」
 では、あの欲深の輩の利害のために、彼等兄弟を引き裂いたというのか。
 冗談ではない。
 議は、どんな思いでいる?
 こうして、微笑を浮かべてみせてはいるけれど。心中、一体、どれほど寂しい思いをしている?
 績が議と別れた時でさえ、あれほど寂しそうだった。
たった三、四日、共にいただけで、議をあんなにも慕って。別れとなると、ずっと泣き続けて。
だったら、血を分けた、たった二人の実の兄弟ならば。
短い間とはいえ、弟と呼んだ人と、引き裂かれてしまったならば。
「議」
 真正面から、彼の瞳を見据える。はいと答えるのが、小さく聞こえた。
「議、儂のもとに来い」
そんな、欲得ずくで幼い兄弟二人を引き離すような輩のもとにいるよりは。
「そなたさえよければ、権勢ずくででもそなたを儂のもとに引き取る。全力を挙げて、瑁とそなたとが共に暮らせるようにする」
 驚きと戸惑いとが、彼の顔に浮かぶ。当然だ。こんな話を、今更に、無力な子供の彼に。
儂は愚かだった。あの欲深共と一緒にされるのを恐れて、体面ばかりを気にして。結局彼等と変わりない。
考えるべきことは、大切なことは、そんなものではなかったはずなのに。
そんなことにも気づけなかった、愚かな儂ではあるけれど。
「績の、兄に……儂の息子に、なってはくれないか」
 一礼して、顔を上げた、儂の目に。
 戸惑いに代わって彼の顔に浮かんだ、微笑みが映った。
「はい、父上」


「それでね、兄上。みかん、母上のためにこっそり持ってかえろうとしてね」
「うんうん」
「みつかっちゃったけど、『母上のために持って帰ろうと思って』って言ったら、みかん、これだけくれてね」
 議と績とが、楽しそうに話している。今日出かけた先でのことでも話しているのか。
「本当は?」
「みかん、もっと食べたかったの……」
 績の笑い声が聞こえる。そして、議の。
 いつまでも、こんな日々が続けばよい。
 こんな、平穏な日々が。



  〈あとがき〉
 相も変わらずこの場から逃げ去りたいほどに恥ずかしい代物を出し続けております、氷江愛子です。
 今回は何といって、常のヘタレっぷりに加えて、この一人称が。
 ハタチにもならぬ小娘が、このような一人称でモノを書くって……。


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