あおり
「青狸(セイリ)……本当に行ってしまうの?」
少女は悲しさを湛えた瞳で彼を見上げた。
「僕は、行かなきゃならない」
彼はそれだけ答え、彼は背を向けた。
「どうして?」
歩き出す背中に、少女は問いかける。
「この胸を塞ぐ罪悪感を、少しでも和らげたいから」
用意していた答えを返し、彼は歩き続ける。
「……」
戸惑う少女は、ただ見つめていた。夕日に背を向け、闇へ向かう青き衣を。
「あなたのせいじゃないよ……?」
彼とてわかっているはずだった。だからこそあえて『罪滅ぼし』とは言わなかった。
でも、辛いのは彼だけじゃない。
「神様……どうして、私たちに魔法なんて与えたの?」
肝腎なことが出来ないのに。
少女黄葵。初めて神を疑いし……十二の春の、別れ――
・・・一、医者に関する一考察・・・
俺の村に、初めて医者がやってきた。名をハンキというらしい。字はまだ見ていない。歳は二十前後か。ちなみに女性。地雷で千切れ飛んだ足を接合したり、全身くまなく火傷を負った患者をどうやってか蘇らせたりと、かなり腕の良い医者らしい。腕だけ見れば、天才の名を冠する資格がある。
というか、だ。こんな医者は前代未聞だ。普通の人間ではないだろう。なんらかの魔術経験を積んだ者に違いない。が、それでも無理がありはしないだろうか? まあこんなものは大抵誇張された噂だろうけど。
でも、本当にそうか?
今回に限り、どうも単なる噂の一人歩きではないような気がする。
危ない。
直感的に思った。彼女は神か、さもなくば悪魔に魅入られているのではないだろうか。
判断の根拠はまったくない。
だけど。だけど……
あの暗い顔を見た瞬間、俺は背筋が震えた。悲しそうな顔だった。いわば狂気じみた感じ。
絶対に、何かある。
小説というものの展開の都合上、そんなことは目に見えているのだ。特に作者がページ制限かけられてその上〆切に追われてハイになっているんだから。
俺が思いもしないような、何かが待っているに違いない。
「まあ、そりゃ『何か』はあるんだろうけど」
とりあえず一人で突っ込んでおく。とにかく、あの女医の正体をあばいてやるんだ。
「で、私の居住用天幕のまわりをうろついていた、と」
俺は頷いた。……縄で縛られたまま。
「あんた、それ犯罪よ? 分かってる?」
「嘘だ!」
俺は否定した。怪しい旅人を調べて何が悪いというのだ? 子供だと思って馬鹿にしやがって。
すると彼女、つまり俺を捕まえた女医は呆れ顔で、
「あ〜、それともこんな閉鎖環境じゃ、プライバシなんて概念はないのかしら? 困ったことね……」
と、頭をかく。
こいつ、俺をだまくらかして怯えさせて帰らせようって魂胆だな。辺境の民が何も知らないと思って……
そんな俺の意気込みを表情から読み取ってからか、医師は溜息を一つ。
「こりゃ信じてくれそうにもないか。かといって患者の……ま、しかたがないわね」
そして何を思ったか、そのままくるりと背を向け、立ち去ってしまう。
「おいこら、俺をどうする気だ?」
その背に叫ぶ。はたして彼女は振り返りのたまった。
「とりあえず私のオペの邪魔だから暫くそうしてて」
なんて奴! 堂々と戦う勇気もないなんて!
「俺に負けるのが怖いんだな。腰抜けめ!」
遠い背に、俺は力いっぱい叫んだ。
「そっちの負けだよ。既に私に縛られてるんだから」
静かな声に、不覚にも俺は納得させられていた。
だが俺の探していたこいつの秘密は、こんな性格のことじゃない。……といいな。
そんなことを思いながら耳を澄ます。女医の声だけがとなりの診察用天幕からきこえる。
おいおい姐さん。声が一オクターブ高くありません?
――翌朝。
「おい女医!」
奴が通りかかったのを見過ごさず、俺は呼び止めた。
「何よ。またあんたなの? ひとの天幕に侵入するなんてだめだって昨日言わなかった?」
俺を見て近寄ってきた。
「またで悪かったな」
「何? リベンジでもしたいの?」
「それ以前の問題としてこの縄を……って話を聞け!」
なんて奴だ。俺が口を開いた途端に背を向けるとは。
「何よ? 私は忙しいの。自分に攻撃してくることがわかっている獣を放すほど私は馬鹿じゃないの」
う。一応話は聞いてやがったか? ってそんなことは問題じゃない。とにかくこの縄を解いてもらわなくては。
「つまり俺に負けるのが怖いんだな? 一度は勝てても不意打ちだったもんな」
「じゃあそのリベンジ受けてやっても良いけど……でもその前にあなたは縄を解いて欲しいんだったわね」
よし。狙い通り!
「ってことは助けたことによって私はあきらかにあなたより上位に来るわけで、自動的に私の勝ち。そして私は勝ったためにあなたを縛る権利を得られる……めんどくさいからもうこのままで良い?」
は? えっ? なんか騙されている気はするんだが……ああ! わけわからん!
「そ、それじゃ困る!」
「ふーん? それで?」
「だから、縄は解かなくて良い! このままお前にリベンジしてやる!」
どこかの偉い人はわざわざ言いもしなかったという。
――後で悔やむから後悔っていうんですよ――
「そう。頑張ってね」
女医は、そのまま診察用の天幕へと向かった。
その次の夜、町で急患が発生した。
ちなみに俺のことだ。育ち盛りの子供が三日間飲まず食わずだったのだから、具合が悪くなっても仕方が無いわけだ。(ちなみに一日目は張り込みのため朝食から食べていない)
一応生死の心配はない。なぜならこの小説は俺の一人称で書かれているからだ。……って、話者が死ぬ小説なんて結構あるじゃないか。俺は悲劇なんて認めないぞ。俺はまだ死にたくない……
「お、生きてたね」
目を覚まして聞こえてきた第一声がそれだった。こいつ、本当に医者か?
「あ、そんな顔しないで。ごめんね。流石に三日間の放置はまずかったと思うわ。うん。だから許してくれるよね」
一人であっさり自己完結してやがるし。
「長老に感謝することね。子供が一人行方不明なのだが知らないかって。名はハクユ、字は白い楡。それを聞いて思い出したの。色白で折れそうな侵入者のことを」
俺、忘れられてたのか?
「あ、私はハンキ。知ってるかもしれないけど」
ついでに示されたわら半紙には『黄葵』とあった。しかも達筆。どうでも良いけど。
「あ、そだ。点滴だけじゃまずいからこのおかゆ食べて」
そういいながら俺の腕に刺さっていた針を引き抜く。一体なんなんだ? まさか毒を盛られたってことは無いだろうけど。
というか状況説明で手いっぱいで俺の科白無いんですけど?
「……」
かといって口を開いても何を言ったら良いのだろうか? 散々やられといて今更『ありがとう』も無いだろうし。
そんなことを考えながらも俺は緑色をしたおかゆを受け取った。匂いは安全そうだが色はすでに怖い。
「ちなみに薬膳だから味の保証はしないよ」
薬膳だって旨い料理はあるぞ。
なんてつっこんでみたが、そんなにまずいわけじゃ無いぞ。これ。
とびっきり旨いというわけではないけれど、想像よりははるかにマシだ。
「そんなにまずくはない」
黄葵は満足そうに笑って、
「食欲も必要だから、ある程の食べやすさも考慮に入れてるもの」
なるほど。
そして不思議なことだが、徐々に俺と黄葵の間に妙な絆が作られ始めていった。
黄葵の抱えたあの暗い悲しみの意味は分からないけれど、それを知りたい動機も変わった。前は危険意識から。今は黄葵を救いたいから。親無しの俺にとって、黄葵が父母の代わりというわけではなかったけれど。でも姉のような感じがしてきたのだ。大分年は離れているけれど、長女と末男ならこんなものだろうか?
そして気がつけば俺は、再び旅に出るという黄葵の背中を追う羽目になっていた。
もともと村の保育所みたいなところで育ったのだ。いずれにせよそろそろ一人で暮らそうと考えていたところだし、俺が村から出ても悲しむ奴なんていない。
「医者になりたいって?」
その女性は、黄葵のほうを向いて悲しげに瞳を伏せた。
「だめなの? 母さん」
まるで予想もしなかった答えに、黄葵は驚く。
「そ……そんなことはないわ……でも……あなたはいつか到達して……いいえ」
母は首を振り、答える。
「今のは私のわがままだった。単にあなたに傷ついてほしくないというわがまま。忘れて頂戴。」
傷つく?
「医者になるとどうして私が傷つくの?」
「その答えは、傷ついてから知りなさい。もし此処で私が言えば、黄葵は賢いから理解してしまう。でもこれは、あなたが自分で知るべき痛みだと思うの。そして覚えておいて。その傷を知り、傷を超えるまでは未熟者だと……青狸のように」
かげり行く部屋に、落ちる二つの影。
「お母さん?」
「私に教えられるのは、本当に基礎の部分だけよ。一通り教えたらこの島を旅立ちなさい。私が知っているだけの医師をすべて教えてあげるから。彼らを訪ねて修行すると良いわ」
その時母が何を考えていたのか、黄葵は知らない。
……そして、
十六の夏、黄葵は島を出た。
目指すは北。母の生まれた島。
・・・二、逃げるように避けるように・・・
七年も前の夢を見るとは……やはり昨日のことが原因なのだろう。
『だって俺、まともに字読めねえし』
昨日、私は白楡にそんな言葉を聞かされた。場面はたいしたことではなかった。よくある『なりゆき』って奴だ。まあ、あらゆる現象の原因は『なりゆき』で説明できる気もするけど。
とにかく。
あの子の科白を哀れもうとしている自分がいた。他人事だと捉えている自分がいた。
私もそうだったはずなのに。この村と同じくらい貧しい漁村の、しかも孤児院で育ったのに。
その現実を突きつけるあの子を正視できずに逃げ出した自分がいた。
何が嫌だったのかも分からない。あのままではあの子を傷つける発言しか出来そうになかったのは事実だ。でも。逃げるしかなかったのだろうか?
この身体と黄葵という名前だけを与え、自分たちに関する記憶すら残さず消えてしまった両親。一緒に孤児院で育ったたくさんの兄弟姉妹。小さく貧しい孤児院にいつも魚を持ってきてくれたおじさんを始めとする村の人たち。どこからかやって来て孤児院を引き受けてくれたという私たちの母。旅の医師、青狸。
私に多くを恵んでくれた世界。
そのうちどこまでが欠けたら、私はここからいなくなるのだろう?
私は……世界に恩返しを出来るのだろうか?
この村に残って母のように孤児院を開くのも良いかもしれない。
でも私は誓った。医者として生命を救うのだと、そう青狸の背中に誓った。
そして、青狸に会わなくては。
そして聞かなくては。
どうして死にゆく私を助けたのか?
どうして生きようとする芽枇を助けなかったのか?
その日は何事もなく過ぎていった。そういえば今日で滞在も一月になる。そろそろ黒菜に私の居場所も突き止められてしまう頃合だろう。私が救えなかった一つの命のために、これ以上の犠牲者をだしてはいけない。かといって私には黒菜を殺す資格なんてない。明日にでも出て行かなければ。これ以上ここにいるのは危険だ。私にとっても、この村にとっても。
夜、私は村長の天幕を訪ね、出立を告げた。
そういえばいつのまにか話者が白楡から私に移ってるんですけど……
そんなこんなで私は村を出た。ちなみに白楡は置いてきた。彼は怒るだろうけど仕方が無い。私と一緒にいれば黒菜におそわれるだろうから。
途中のとある辻宿を出る際、自分は医者で、無医村を探して渡り歩いているという話になった。
「そうですか。では北西へ向かうとよいでしょう。先日の戦で多くの怪我人が出たと聞きますから」
「怪我人? 死傷者ではなく」
昨今は魔術師による呪殺を用いた戦争がはやっているのだ。当然そこに医者の出番は無い。
「はい、なんでも人の死なない野原が発見されたとかで、」
「……」
嫌な予感がする。宿主の意見は至極一般的なものだが、それだけではないはずだ。
魔術師の活躍か。確かに魔術でそういうことが不可能なわけではない。だがそれが行われたのであれば……
「それは急がなくてはなりません。すみませんがお話はこの辺で」
「そうは行かない!」
声はすれども姿は見えず。相手は天幕の中に入ってくる気はないらしい。
「その声、バクリョウか!」
宿の主が叫ぶ。
「黄葵とか言ったな、あんた動かないほうが良いぜ。梁の隙間からあんたを狙っているんだからな」
「旅人殿、信じたほうが良いですぞ。ここいらの矢は天幕を貫いても殆ど威力が落ちないですからな」
「忠告してやってくれてありがたいぜ。おかげで無駄な殺生を回避できる」
さてどうしたものだろう? まあ戦うのは最後で良いとして、とりあえず説得してみるとしますか。
「……まあ良いけど。で、何が望み? 予想は付くけど一応聞いておくから」
どうせ馬鹿なことだ。
「俺の名はバクリョウ。麦の竜と書いて麦竜だ。で、あんたなんだろ? ここに来る前に戦争の裏舞台を駆けてたのは」
あ、なんかヤな予感。
しかも聞き覚えあるぞ。麦竜って名前に。確か一昨日までいた村で。
「私じゃない」
「俺たちにもあれと同じことをしてくれれば良い。ただし、川上の奴らには何もするな」
予想通りだよまったく。
「じゃ断る。無駄な殺生は嫌いだから」
「馬鹿かあんた! お前に拒否権はないんだよ」
期待もしないのに大声で笑い出すなよ。
「それは知らなかったわ。じゃあ返事は保留ということで勝手に行かせてもらうから」
そして私は天幕の外へ出た。
「危ない!」
宿の主が叫ぶ。しかし案の定矢はどこからも飛んでこない。
「やっぱり脅しみたいね。どうせあなたたち、私の協力がなきゃ戦の一つも出来ないんだから」
そう麦竜のプライドに追い討ちをかけ、
「こんちくしょう!」
飛んできた矢に、私は倒れた。
ばたり。
ざまあみろ。
「馬鹿が! 黄葵を殺してどうする気だ? ええ、麦竜よ?」
私の倒れた後で口論が始まる。誰の声かは知らないけれど、半分泣きが入っている。
「だ、大丈夫だっ。まだ死んじゃいない」
「でもこの出血を止めないとやばいだろうが? おい、医者は?」
「何言ってやがる。医者はこいつじゃないか」
「だから他の医者だよ。他の!」
「いねぇよ。……でも村の長老なら何か……」
「急いで呼んで来い!」
「駄目だ。長老はもう歩けないし、それにクーデター起こそうとして飛び出した俺が今更どの面下げて長老に会える?」
あんな小さな村でクーデターも何も無いだろうに。
「馬鹿野郎! 麦竜、誰のせいで罪の無い黄葵が死にそうになってるのか分かってるのか?」
「……」
そして駆け出す麦竜。……さて。
「もう行った?」
私は体を起こし、傍らにいる麦竜の仲間に尋ねた。
「は……黄葵さん、大丈夫なんですか?」
驚いているのは宿の主だった。
「う〜ん、このしみは取れないかもね」
そばで呑気に答える麦竜の仲間。どうやら私の問は無視されたらしい。
「大丈夫よ。こうすればね」
私は立ち上がって全身から血を噴きださせた。一瞬にして完全に朱に染まる私の着物。
「なるほど、汗だね。いや面白いことをするよ、君は」
温和な顔をして私のトリックをあっさり見抜くとは。侮りがたし麦竜の仲間。
「ああ宿主さん、これは魔術をちょっぴり使った手品だから気にしないで。じゃ、私は行きますから」
私は背中を向けた。
「行くってど……」
「古戦場」
「……」
「質問ぐらい最後まで言わせて上げなよ」
麦竜の仲間(いい加減くどいな)がやや遅れてつっこんだ。が、あまり意味はなく私は無視して歩き続ける。
「ところで黄葵、ボクも行っていい?」
「行きたきゃ行けば……ってあんた、麦竜の仲間じゃなかったの?」
「いや、あの子をけしかけてちょっと弄んでみようかと思ったんだけど君のほうが面白そうだから」
……あんたがけしかけたんかい。
「面白い? 言っとくけどこの私はこの間の戦の事後処理を確認しに行くだけよ?」
「で、確認結果に問題があれば口出しするわけだ」
「しつこいわね」
まあ、そうだけど。
「大丈夫。ボクもさっきの君ぐらいの事は出来るから。あ、ちなみに君、嫌いな名前は?」
「黒菜(クロナ)」
嫌いというか、とりあえず私を悩ます復讐鬼。
「そうか。きぐうだねぇ。ボクも黒菜っていうんだ」
あからさまに偽名かい!
「サヨウナラ」
私は歩を早めた。麦竜が戻ってくる前にここを離れなくては。
「あ〜ん。なんで置いていくんだよ〜。役に立つはずなのにぃ」
泣きながらわたしのあとを着いてくる黒菜(偽名)。
いや『あ〜ん』はないだろうに。いくらなんでも『あ〜ん』は。私はびしっと言ってやることにした。
「あのね。私は手助けなんて必要ないの。むしろ邪魔ね。特にあんたみたいに有能そうな奴はいきなりあっちに組みして私の敵になる可能性があるから厄介なだけなの!」
「あ〜。たしかに向こうのが面白そうだったら君の敵に回るかもね〜」
「……」
冗談を気の抜けた声でサラリと肯定されてしまった。
「でもそんな事態にはならないと思うよ?」
道中『一方的に話す』黒菜(通称)の話を『暇だったので』聞いてみると、いろいろと面白いことが聞けた。昔ある仙人に仕えていたのだが、あまりに早く仙術をマスターしてしまったので独立したのだという。
ま、それはたいしたことではない。実際そういう早熟な奴はいろんなところにいるものである。問題は彼が仙洞を開く資格を手に入れていなかったことだ。
「んまあ、書類申請はしているんだけど、なかなか通らなくてねぇ。そんなわけで開洞の資格が得られるまでの暇つぶしに国中見回って面白いことを探しているわけ」
書類申請って……仙人の世界にもいろいろあるわけね。
で、その『面白いこと』ってのが。
「基本的には何か大きな変化を伴うものなら何でも。麦竜の運命の糸には何処からか面白そうな糸が絡んできてたからボクはちょちょいとその糸を手繰り寄せてあげたんだ。そしたら君に逢えた」
運命の糸、か。
「あ、今嘘だって思っただろ?」
「うん」
運命なんてものが定まっててたまるものか。
「やっぱりね。でもホントなんだ。隠喩たくさん使ってるけど」
それは殆ど嘘なんじゃ……?
「まあそれはともかく、思ったとおり君は面白いね。早速妙な事件に巻き込まれているし。残念ながら解決劇はあっさり終わっちゃいそうだけど」
「 どういうこと?」
そして突然、黒菜のおしゃべりはやんでしまった。曖昧な笑いを首の上に乗っけて。
戦場跡地はただの荒野だった。折れた剣や弓矢がたまに転がっている以外は何の変哲もない荒野である。髑髏の一つも見つからないのが不思議なくらいだ。
しかし私はそんなことには構わず古戦場の中を進んでいく。中心部と思われる方向へ。
「どこへ行こうというんだい?」
そんな科白を吐いてると可愛い娘さんに人から石を強奪せよだの。命乞いをしろだのと言う羽目になるぞ?(いや冗談だけどさ)
「楔のあるところ」
多分これは結界による魔術だろう。ルールを持った独自の世界を作り、私たちの生きる現実世界と結びつけたもの。そして結びつけるための楔というのが……
「アレじゃないかな?」
黒菜が前方やや上方を指差す。
「私もそう思う」
広い空の比較低いところに、ただ一羽ではばたいている白い鳥。まだ小さくて良く分からないが、多少上下しているものの、上空の一点から殆ど移動しようとしない。怪しすぎて困るくらいだ。
「とりあえず真下まで来ちゃったけど、どうする?」
「とりあえず眺めながら考えているとこ」
まあ、あの鳥が降りてきてくれたら話は早いんだけれどね……でも何か仕掛けがあってあの鳥もあの場所に拘束されているんだろうし……
「射落とす?」
落ちている弓矢から使えそうなものを探し出してきて尋ねる黒菜。
「簡単に殺生しないで」
「いや、死にゃしないと思うんだけど」
確かに、この世界でのは死が禁じられているはず。でも。
「楔が刺さっているのがあの鳥の心臓なら、射落とした時点でこの創作世界のルールが無効化されるかもしれない」
「つーか何をするにせよあの鳥に関するところに楔があるんじゃ結局射落とすしかないのでは?」
「馬鹿言わないで。別のものに刺さっている可能性だってあるんだから」
「でも他に楔らしいものがある? 急がないとまた多くの人が救われて抜きにくくなる。ま、ボクは気にしないけどね」
「……そうね」
世界をつなぐ楔を抜くということは現実からこの『死の無い世界』を引っぺがすこと。その結果、このルールの干渉を受けた存在は折角助かった命を『なかったこと』にされるはず。つまり戦場で死につながるはずの傷を負った者は、この後死ぬことになるのだ。
「その弓矢、貸してくれる?」
「もちろん、ボクは立場上直接手を下せないからね。君がやるしかないわけだし」
「誰がやったのか知らないけれど……」
目を瞑って鏃に意識を集中する。ちょっとした魔法をかける。次は風を読んで……
そして私は手を離した。矢は風を呑むように飛んでいき、例の鳥のそばを掠め――予定通り、風圧に鳥を巻き込み、落とした。
急ぎ落下地点へ走る。
「鴉だね……」
「白い鴉なんて、いたのね」
地面に横たわるその亡骸(ひょっとしたら助かっているかもしれないと思いはしたのだが、やはり落下の衝撃には耐えられなかったようだ)、白いけれども明らかに鴉のものだった。
白い鴉……? わざわざそんな珍しいものを捕まえてきて楔にしたのか? そんな必要はないはず……
「もしかしてこれって罠なんじゃ……」
「ああ、鳴子の代わりだね」
「まあ、そういうことだ」
背後から第三者の声がした。振り返り、私はその姿を確認する。全身真っ赤なその姿は、私のよく知る人物だった。
「白楡……」
頭から流血して、暗い瞳をして、それでも彼は立っていた。
「憑かれているね、彼」
冷静に事態を分析する黒菜は、流石仙人といったところ。
「分かっていると思うが、この身体の持ち主が追った傷は致命傷だ。まあ、本物の楔がわかっていないのでは人質の意味もないがな」
「あら、楔が見つからなくても《余計な世界を破壊する》って手はあるけど?」
「残念ながらそれはお前ごときの手に負える仕事ではない。なぜならお前たちの世界のほうが、我々の世界の上に乗っているのだから」
「んじゃこの辺り一帯を無差別に破壊してみようかしら」
楔が見つからないのなら接合面をごっそり切り離してしまえば良い。
「そうか。私の仕事を手伝うというのか」
やっぱりね。脅し作戦失敗、と。でも相手の目的は確認できた。この土地のエネルギーを取り込もうという腹積もりなのだろう。多くの命を仮初に救っておき、その後十分な数の命を救ったところで楔を抜かずに二つの世界の接触面を無理にひっぺがし、本来私たちの世界に帰るはずの魂ごと自分の存在に取り込もうという魂胆なのだ。
しかし、私にこの悪魔を責める資格は無い。こいつのしていることは、私たちが野生生物を自分の庭に連れてきて保護しつつ育ててから食べようとするのと同じことなのだから。
「あなたを恨む気はないわ。でも捕食者が獲物から恨まれるのは当然だと思わない?」
「そうだな。しかし俺は正規の契約のもとにこれを行ったのだ。邪魔をされるのは理に適わない。とはいえお前たちに俺の説得が通じるとは思えない」
「あ、ボクは見てるだけ〜」
さすが仙人。すかさず保身に走る黒菜。
「よって、この地から排除させてもらう」
それを無視した白楡の口が閉じる。と同時に爆風が巻き起こった。
私は、生まれて初めて空の彼方から自分の住む世界を見下ろした。
青き衣を纏った日々。
あの人の真似をして。
旅先で人助けをして。
治療の末に人を殺し。
それでも自分を信じ。
徒労じゃないと信じ。
ここまで歩いてきて。
すぐに限界を知って。
青き衣を脱ぎ捨てた。
あの人にならぬ様に。
限界の向こう側へと。
行かなきゃならない。
……。 ……。 ……。
青狸、あなたの背中は。
もう、見ずに行くから。
・・・三、惨劇・・・
私は目を覚ました。ここが冥府でなければ良いのだけど。
とりあえず夜空に星が煌いている。
「やあ、起きたかい?」
そばにいたのは黒菜。どう考えてもまずそうな名前の持ち主。……うん。思考ははっきりしているようだ。
「これが夢の中じゃなければね」
答えつつ私は半身を起こした。
「とりあえずボクも結界を張った。と言ってもボク等の周りの時空を閉じただけだから」
あっさり言ってくれるけれど、私には黒菜の施した術が全く分からない。尤も魔術と仙術では術の体系そのものが異なるので私が思いつかなくても仕方がないのかもしれないが。
「黒幕は?」
「今作業の最終場面に入ったところ。あっちのほうが騒がしいでしょ?」
指差すほうを見れば、空間が歪んでいるのか、ぼやけた映像が目に入ってくる。いや、歪んでいるのではない。地面が揺れているのだ。そしてところどころから生えている水柱。新しいそれが噴き出すたびに地割れが起こる。
「急いで楔を処理しなきゃ」
「待って」
駆け出す私の腕を止める黒菜。どうして?
「ボクが送ってあげる。このままあのゆれの中を走るのではどれだけ時間がかかるか分からないし、それに危険だ」
口を動かしながら、早くも黒菜の手は複雑な印を結んでいた。初めて見る、仙術。
「場所はどこが良い? 黄葵のイメージしたところに飛ぶよ」
「わ、ちょっと待って」
どこが良いかって? もちろん楔のあるところだ。急がなきゃ。でもそれはどこ? 急がないと。とにかくあの捕食者にとって最も合理的な場所のはず。早く! 破壊されない楔……この死の無い世界で、奴が一番守りやすいところ……
なんだ。簡単じゃないの。
「良いよ。飛ぶ」
私は右腕に力を込めながら言った。単に魔術を用いて力のリミッタを外しているだけではない。同時に腕がだめにならないように防護膜を発生させる。
勝負は一瞬。不意打ちで楔を破壊する。それだけ。
「じゃ、行くよ」
黒菜の声とともに視界が歪む。
一瞬の後、
目の前に現れた白楡の首を、私は手刀で切断した。
「はずれ」
中に浮いた白楡の首は、不自然な軌道を描いて再び自分の肩に納まった。
「じゃ、これは何かしら?」
私は手に持った楔を示した。ただの石英にも見えなくは無いが、実物を見たことのある私にとってそれは明らかに楔だった。彼の頭のあった空間に刺さっていたもの。
「まさか、お前……初めてでは無いな?」
「さようなら」
私は、空間に刺さったその楔を握りつぶした。そもそも存在法則が異世界にあるため、こちらの世界では存在基盤が薄すぎるのだ。この感覚を説明するのは難しい。よって描写しない。とにかくそれは透明になり、溶けるように消えた。当然だ。向こうの世界に帰ったのだから。
「馬鹿な。我々の妨害に成功した者がいるなどとは聞いていないっ!」
「そりゃあね。そういう契約だもの」
悪魔の契約を阻止できた者は前の契約者の代わりに悪魔と新たな契約を結ばなければならない。ただし人間側の代償は前の契約者が既に支払っている場合必要とされない。
「既に、あなたたちの世界に私の存在が広まることを私は禁じているの。だからあなたが知らせようとしても無駄ね」
「そうだな……その必要も無いしな」
悪魔は再び余裕の笑みを浮かべた。まさか、契約は阻止されていない?
「正直驚いたよ。ここまでやる人間がいるとはね。ちなみに俺が交わした契約は、とある人物の不老不死だ。代償はその人物の肉体」
「つまり白楡が死ねば契約は破棄される。しかし白楡を殺そうとしても」
「そう、俺が助ける。契約を阻むためには俺の存在を消滅させなきゃ駄目だぜ。そして俺はこの体を自由に扱う権利を貰っている。だから、な」
白楡の左手に再び石英の塊が生み出される。
「こうして俺は何度でも繰り返す。お前が何をしようとな」
ここまで……とは。
「ん? すっかりおちこんじまったなあ。やっぱり絶望してんのか? 自分の無力さに」
「いいえ、呆れているだけ」
ここまで愚かとは、ね。
「あなたの契約は既に破棄されている。何故なら、この世界自体が有限のものだから」
「なんだと?」
「そもそも自分の世界に送った魂をどう処理する気? 一旦向こうに戻るなら当然白楡を置いていくことになるはずよね」
向こうがこちらに来るのは可能だ。次元を減らすのだから、持っていない要素は無い。しかし、私たちが向こうに行くことは出来ない。存在するために必要な要素が無いのだから。無理に補っても、それは別の存在だ。
「それにこの世界は何十億年後か知らないけれど終焉を迎えるわ。少なくとも白楡が生きたいと願った、この大地は」
「確かにお前の言うことに嘘は無いようだが……」
「あなたはこの世界についてよく知らなかったためにこの契約は一度成立した。けれど私の知識によってそれは不可能だと知ってしまった。たった今あなたの契約は無効化された」
「……」
なんとか打開策を考えようとしているのだろう。しかしその間にも契約の効力は薄れ、白楡の体は血の気を失っていき、やがて地面に崩れた。
また、助けられなかった。
名も知らぬ悪魔は精神体として私の中に移っていた。
「我の契約は失敗した。望みを言うが良い」
白楡の体を離れたため、口調から抑揚が消えている。
「冗談。私、こう見えても自分が代償を払わなきゃならないような契約をするつもりはないの」
「代償はすでに頂いた。汝がいなければ我は間違った契約を長く続けることにより、さらに罪を重くしたはず。汝が信じずとも、我は法に則った契約しかしたことはない」
じゃあ、本当に私の望み……なんだろう? 今までは契約を破棄させるだけで精一杯で、かろうじて向こうの世界に私の存在が広まることを禁止するルールを設けさせただけだから。
「この少年の命、ではどうだ?」
「それは 」
それはやってはならないこと。そもそも私にだって不可能なことではない。今のままじゃ無理だけど。
「確かにここでの蘇生はタブーだが」
そして、私はそれだけの技術を持っていた人物を知っている。
「我等の世界では可能だ」
そうかもしれない。だけど、だけど……
私は死んだ霍赤(カクセキ)を蘇らせなかった。最初に死人を見捨てた以上、蘇生はできない。どうして最初から蘇らせなかった?
青狸。
あなたは何をしたの?
『死んだ者は生き返らない』
旅の医者が残した言葉。
誤魔化しているの?
『生き返り得る者は死んではいない』
そう、死んでなんか……私は死んだんじゃない!
はっきり言ってよ……
『そうだよ』って言って。青狸。
結局私は、天使の誘惑には乗らなかった。
その代わり今の青狸の居場所を教えてもらった。
結局、忘れられなかった。
このまま私はあなたに縛られていくの?
・・・四、死してなお語るもの無し・・・
やがて黒菜がやってきた。
「終わったみたいだね」
「うん」
終わってしまった。そして、涙。泣いてないのにこぼれるものなのね。
「白楡を救わなかった。救えなかったんじゃなくて救わなかった。白楡はあんなに生きたがっていたのに。わからない。どうして? 私は何のために医者になったの? どうして人は死んでしまうの?」
黒菜は相変わらずの笑顔で、
「ボクに答えて欲しい?」
「……多分」
黒菜の笑顔が、少し緩んだ気がした。
「よく分かっているじゃないか。ボクが慰めたりしないだろうってこと。まあ助けたいと思ったならば助ければ良かったと思うよ。その点君は馬鹿だ。難しい倫理なんか気にする必要は無い」
そう、私は白楡を見殺しにしたのだ。
「でもね、君は、死ぬ前のことを覚えている?」
「! どうしてそれを?」
「死ぬ前の君と今の君は同じ君かい?」
「青狸を知っているの?」
「どうかな」
「あなた……黒菜ね」
わかってしまった。彼の瞳が似ていたから。性格や口調、顔を誤魔化しても、彼はあの黒菜だ。
「どうして……?」
「一年ぶりだね、黄葵」
やっと気付いたのか? 黒菜は眼で笑っていた。
そう、一年が経った。黒菜が最後に私を狙ってから。
「ボクはね、君を追っている途中で気付いたんだ。君を殺しても意味が無いってことを。結局のところ君は心の底でそれを望んでいるんだからね」
まさか。私はまだ死ぬわけには行かない。
「それに君を殺しちゃったらボクは何を憎んで生きていけば良いんだい?」
ぞっとするような冷たい瞳。私は彼の恋人を助けられなかっただけでなく、この瞳を生み出したのだ。
「君は殺さない。ボクの命が尽きるまで悲しみにつきあわせてやるんだから。それまでは何度でも何度でも蘇らせてやる!」
黒菜の腕が動いた。とっさに私は両手を引いた。
「とりあえずその両腕をもいでしまおうと思ったのに。ああ、そんなことをしたら手術が出来ないって? そうだよ。霍赤を助けなかった君には、誰を助ける資格もないんだ!」
笑いながらも黒菜の動きは止まらない。まだだ。まだ死ぬわけには行かない。青狸にあって確かめるまでは。
「それからね、君が昔言ってた青狸って人にも会ったよ。なんでも君の心中に付き合わされて瀕死になった芽枇って娘を助けず、あろうことか君一人を助けたそうじゃないか? 君はそのときに死ぬべきだったんだよ。どうせ治らないはずの病だったんだから、一人で死ねば良かったんだ。それすらできず、君は悲観して親友を巻き込んだ。君のことだから忘れてなんかないだろう?」
「……」
私には、やめてと叫ぶことすら出来ない。私は黙って彼に責められなければならないのだ。
「何度でも繰り返してあげる。感覚が麻痺するまで、何度でも何度でも。君はその日におびえながら必死で自我を保とうとするんだ。そして狂った君は殺戮を始める。そうさ、ボクは霍赤を助けられなかった医者に復讐するんじゃない。霍赤を殺した殺人鬼に復讐するんだ!」
黒菜は笑っていた。泣きながら笑い、それでいて私への攻撃はやまない。冷静な動きではないけれど、仙術を習得した彼の攻撃は当たればとんでもないことになるはず。
「そうそう、白楡って子に悪魔を降ろしてやったのはボクだよ。結界を張ったり麦竜をそそのかしたのもボク。あの悪魔は君を呼ぶ直前に白楡に降ろしてやったんだ。生きたがっていたからねぇ。だから本来事件とはあんまり関係なかったんだよ。なのに君は殺してしまった」
黒菜は、私が白楡を見殺しにすることを見越した上でこれだけを仕組んだというのか? それとも私を苦しめようとして出鱈目を連ねているのか? もう何も分からない。分からない。分からない……
「君に生きる資格なんかないんだ!」
もう黒菜は正気ではなかった。その証拠に攻撃の狙いが私の心臓になっている。私が彼をこんな風にしてしまったんだ。そして、私に出来ることは一つ。
「でも、私はまだ生きなければならない!」
白楡と黒菜を埋葬し、私は荒野を後にした。結局生きたがっていた白楡は死に、死にたがっていた黒菜も死んでしまった。特に白楡、別れの挨拶も出来ずにごめんね。こんなことなら最初からつれてきておけば良かった。そして私がもっと早く黒菜をどうにかしていたなら……
『死にたがり屋さんはね、生きなきゃならないのよ。まだ生きる意味がわかっていないんだからね。少なくとも生を望むようになるまでは生きていなきゃ。まだまだあなたには早すぎるわ』
あの時母は何故あんなことを言ったんだろう。そろそろ私も信じて良いのだろうか?
『僕が来たとき、辛うじて君は生きていた。でも芽枇はすでに息絶えていた。反魂なら確かに間に合ったと思う。でも、それだけはだめなんだ』
信じても良いのだろうか? 青狸のあの言葉を。私が理由を尋ねた時に彼が言ったことを。
もう少し、悩ませて。考えさせて。
青狸。あなたの元に辿り着くまで……
作品展示室トップへ
総合トップへ